人望
皇帝の車駕(仮)が走っている。
地平線の先まで麦畑の緑が広がっている風景を、劉協と董卓が絶句して眺めている。
「陽」
皇帝劉協は併走している皇甫嵩に声をかける。
「はい」
「少し畑を見てみたいのですが」
「畏まりました。説明できる者を呼んできます」
で、連れてこられたのが伝令役、兼農業担当の一刀。
適任である。
「はい、なんでしょうか?」
「陛下が畑の説明を所望していらっしゃる。
説明して差し上げるように」
「はあ……ええ」
何となく気乗りしない一刀である。
説明って何を?
そんな一刀の気持ちに関係なく皇帝劉協が車駕から降りてくる。
「ああ、一刀でしたか」
「はい、陛下」
妙にフレンドリーに話しかける劉協に、皇甫嵩が尋ねる。
「献様、この者をご存知で?」
「ええ。王宮から袁紹の本陣まで朕を抱いて運んだ者です」
陛下!余計なことを皇甫嵩様に吹き込まなくていいですから!という一刀の気持ちは全く届かない。
「そうですか」
皇甫嵩の手は、自然に刀の柄を掴んでいる。
こ、皇甫嵩様、俺何もしていませんから。
刀の柄から手を離してください!
と、心で皇甫嵩を牽制しておいて、声は劉協に向ける。
「は、畑の説明ですね。ええ、ええ、何でも聞いてください!」
「はい。
月に聞きましたが、他の州ではこれほど畑が広大でないとか。
冀州は何でこれほどまでに広い畑を作ることが出来たのですか?」
劉協と一刀は畑の間を歩きながら話し始める。
一刀は劉協から一歩下がってついていく。
当然、お目付け役の皇甫嵩がその後ろから付いてきている。
「屯田制を用いたからです」
「屯田制?」
「はい。兵士達が大勢いましたから、彼等に訓練以外の時は荒野の開墾にあたってもらったのです。
それから、広い農地に水を供給できるよう用水路も作ってもらいました。
あとは、畑が広くなりすぎましたから、住む場所を街に限定しないで、あちらこちらに村落を作って、そこに住んでもらうようにしました。
それだけです、俺……私の提言した内容は」
「それだけ……なのですか?」
「あとは袁紹軍の皆さんが全部やってくれました。
用水路の作り方は、お…私より余程詳しい人々がいましたし。
まあ、他には技術的に農機具の改良や水遣り、種まきの時期の説明、肥料の確保、連作障害回避の方法もやりましたけど、大きいのは最初に言った屯田制ですね」
「れんさくしょうがい……とは何なのですか?」
「ああ、水稲を除く畑の作物は、同じ畑で何年も同じ作物を作っていると、次第に収量が減っていくんです。
それを連作障害といいます」
「詳しいのですね」
「ええ、まあ、専門家ですから」
「朕にそのような命令が出来ると思いますか?」
「細かい技術的なことは無理でしょう。
でも、最初に述べた屯田制のような方針を決めるだけのことでしたら充分に可能だと思います。
生産量を上げろ、といえばいいのですから。
そうしたら、専門家がその方法を考えますから、陛下が一番良さそうな方法を採択すれば終わりです」
「……仮に一刀が皇帝になったとしたら、どのような命を発しますか?」
「俺が皇帝ですか?
器じゃないですけど、そうですねえ……
まず、民が望むのは安心して生きられることですから、食料増産はやりますね。
その次は衣食住の服と住まいですけど、服はもっと丈夫で暖かな服を安価に供給する方法を考えろというでしょうね。
衣食住が揃ったら公平な裁判と税制が問題になってくると思います。
支配階級のみが贅沢をしていたら、国は内から滅びるでしょう。
その次が軍備や外交、娯楽でしょうか?
でも、それらのことを全部自分で考えるのは無理でしょうから、結局参謀達に意見を聞いて、その中で一番自分の意向に合ったものを選ぶしかないんじゃないですか?
その際、自由に意見を言える雰囲気を作っておくことと、諫言や身分で不当に意見の取捨選択をしないことが重要なんじゃないでしょうか。
袁紹は私の拙いお願いも聞いてくれましたので、このうち食料と、酒という娯楽は多少は改善したのではと思っています」
「そうですか。
……そうですね。信頼できる部下がいるというのは大事なことですね」
劉協はその場に立ち止まって、遠くを見つめるような仕草をする。
一刀も一緒に立ち止まる。
暫くして……劉協はくるりと振り返り、一刀の胸の中にゆっくりと顔を埋めていく。
「朕は今まで何をしてきたのでしょうか……」
そう独り言をいいながら、一刀の胸の中で静かに泣いている。
一刀の首に尖ったものがあたる。
一刀がそれを見てみれば、皇甫嵩の刀の切っ先が触れているのであった。
その刀を持つ皇甫嵩の表情はやはり無であった。
どうしろというのだ?
陛下よりも俺の方が泣きたいよぅ!と思う一刀である。
さらに暫くして……
「疲れました。
車駕まで運んでください」
と、劉協は一刀にまた抱いて運ぶことを指示する。
拒否権はないんかい?と、一刀は心の中で号泣しながら、劉協を抱き上げる。
劉協の女を感じることは、ただの一瞬もなかった。
移動中、ずっと皇甫嵩の刀が背中に当たっていた。
その日の夜。
一刀は袁紹の呼び出しを食らった。
「麗羽様、一刀です」
「何で呼ばれたか分かりますか?」
「いえ、全く」
「今日、一刀が陛下と抱き合っているという噂を耳にしました。
天の御使いが陛下と結婚して漢を治めるのではという噂まで流れています。
どうなのですか?」
「そ、そんなことあるわけないではないですか!
抱いたのは、まあ事実ですが……でも、この間みたいに運んだだけですよ!!
そんな疚しい気持ちは全くありませんから!
大体……」
皇甫嵩様が脅していて、そんなことは……と、言葉を続けようとしたところに援軍(?)が現れる。
「大丈夫だ、麗羽」
皇甫嵩であった。
「そのようなことはありえない」
「どうしてですの?陽」
「そのような事態になるまえに、この男は私に殺されるからだ」
固まる袁紹と一刀。
皇甫嵩なら間違いなく【殺る】。
「………そ、そうですか。
わかりましたわ。でも、一刀。あまり変な噂が立たないように気をつけることですわ」
「は、はい!それはもう充分に心得ています!!」
皇帝劉協は、皇甫嵩というオプションが付加された瞬間、一刀にとって最悪の疫病神に変わったのである。
「女性関係の人望があるのも大変ねぇ」
田豊の嫌味99%の慰めでも、少しは心が休まる一刀であった。
もちろん、その後は肉体的に慰めてもらうので、心身ともにリフレッシュはするのだが。
あとがき
申し訳ありませんが、あと数回女性問題にお付き合いください。
それが終わるとしばらくなくなる予定です。
あくまで予定ですが……