麦酒
「オーッホッホッホッホ。オーッホッホッホッホ」
袁紹の高笑いが城内に響き渡る。
「どうしたのですか?麗羽様」
顔良が尋ねると、袁紹が、
「だぁ~って、お金が嘘のようにたくさん入ってくるのですよ。
これが笑わずにいられましょうか?オーッホッホッホッホ」
と、高笑いを止めることなく答える。
「なんで、そんなにお金が入ってきたんですか?」
「この間、恩賞としてビールをくっつけたら、それからというものビールが売れて売れて儲かって仕方がないのですわ。
ああ、どうしましょう。
笑いが止まらなくて、眠れなくなってしまいそうですわ。オーッホッホッホッホ」
そう、この間恩賞の副賞としてくっつけたビールが効を奏し、ビールの注文が各地からやってくるようになってきていた。
今のところ、ビール工場は直営なので、ビール工場の収益は全て袁紹の収益になる。
水のような白酒に比べれば遥かに酔えるしおいしいし、おまけに多少は保存が利くし、旧来の酒はあっという間に駆逐されてしまった。
値付けはそれほど安いものでもないが、といっても葡萄酒ほどべらぼうな値段でもなく、一度ビールの味を知ってしまうと元の酒には戻れず、ある程度高値でも売れ続けたのだ。
高値と言っても、従来の酒に対し、度数10倍、価格8倍だから、リーズナブルという説もある。
でも、原価を考えると、うはうは状態だ。
そして、どれだけお金が入ったか、ということを一刀が報告にあがる。
それが、袁紹の高笑いへとつながる。
他の領土でも作ろうと試みたようだが、まず製法が不明だし、仮に製法が分かったとしても稲作で麦がほとんど取れないか、麦が取れても食べる分がやっとという状況なので、とてもではないがビールを造るようなことはできない。
だから、今ビール市場は袁紹の独占状態だ。
ほんの数ヶ月で、数年分以上の収益を稼ぎ出す、というより他の州より搾り取る酒の力、恐るべし。
当然、袁紹のところに金が入れば袁紹のところに金を渡す人々もいる。
当然、そういう人々は面白くない。
「皇帝を確保したときもやるわねと思ったけど、今度のビールはその比じゃないわね」
「はい、華琳様。ビールを買うために大量の金が袁紹の許へと流れてしまっています」
冀州のすぐ隣、豫州での、曹操と荀彧の会話である。
曹操はビールを買うために商人が金のある限りビールを買い付けているという話を聞き、危機感を感じたのだ。
「どうにかしないと、私の州が極貧になってしまうわ。
何かいい策はない?桂花」
「厳しいです。金が流れないようにするだけでしたら、禁酒を命じればよいですが、そうすると民の不満が出てきますし……」
「きたない女ね、麗羽は」
「袁紹様一人の力とは思えませんが」
「ええ、あそこは参謀の充実度がすごいから。
それに比べれば、桂花、あなたの力はすごいわよ。
ここまでほとんど一人で対等に振舞っているものね」
「ありがたいお言葉、痛み入ります」
「それからあそこには……」
そこで言葉を区切って、はあはあと息を荒げる。
何か怒りを必死に抑えているようだ。
「むかつく男がいたわね!」
「はい!!」
普通の微乳だろうが貧乳だろうがあまり関係ない。
夏侯姉妹は巨乳だが、お前達は違う!と指摘されたのも同然のことを言われ、むかつかないほどこの二人、人間が出来ているわけではない。
「あの男、何をしているのかしら?」
「何でも結婚したらしいです」
「結婚?きっと相手は巨乳なのでしょうね!」
「相手は田豊、沮授の2名だとか」
「ああ、あの二人……」
曹操は脳内人物データベースを起動させる。
確か、胸のサイズは、巨乳ではなかったが自分達よりは明らかに大きかったはずだ!
「なにかこう……地味に嫌がるところを突いてくる心底むかつく男ね!!」
「はい。袁紹様より先に、あの男を討伐しに行きましょう!!」
「全くだわ。洛陽では残念ながら逃げられてしまったから」
本気か冗談か物騒な相談をしている二人である。
「ビールの名前を決めたのもあの男ではないでしょうか?」
ビールのブランド名は、華麟麦酒。
華麗の華に、日本の有名ビールメーカーから一文字もらってつけたのは、確かに一刀であったりした。
「ありえるわね。ビールの名前を聞くたびに私の真名を呼ばれている気がするわ。
本当に失礼な名付けね」
意図せず曹操の真名と同じ名前になってしまったビール。
そのネーミングが曹操の怒りを醸成しているとは露と知らないことであろう。
「ビールを売るのを提案したのもあの男かもしれませんね」
実は本当にそうだったりするのだが、二人はそんなことは知らない。
それが事実だと知ったら本当に一刀討伐隊が組まれたことだろう。
「ええ。こんどあったら唯じゃおかないわ」
二人の会話は、何故かビール問題から一刀問題に変わっていっていた。
良し悪しは別にして、女性の意識に昇りやすい体質の一刀であるらしかった。
そして、揚州でも。
「何?下々のものがビールなるものを飲んでいるとな?」
「そうなんですー。袁紹様のところからたくさんビールを買い込んでいるんですー」
袁術と張勲がいつもの通り話をしている。
「飲ませておけばよいではないか。
妾は蜂蜜水が飲めればそれで十分じゃ」
「でも、袁紹様のところにお金が流れていくと、蜂蜜を買うお金もなくなってしまいますー」
「それは駄目じゃ。
蜂蜜を食することは最優先じゃ。
ビールを禁止せい!」
「そうすると、民の不満が高まってしまいますー」
「別によいではないか。民が不満を募らせようと知ったことではないわ」
「そうなんですけどね。
そうすると税を出すのを渋ってくるんですー」
「無理やり徴収すればよいではないか」
「そうすると、次第に搾り取るお金自体がなくなってしまうんですー」
「うぬぬ……どうすればよいのじゃ!
……そうじゃ!袁紹にそのビールとやらを贈り物として妾に差し出すよう命ずるのじゃ」
「さっすが、お嬢さま。
その根拠の無い命令が素敵すぎますよーっ! きゃー、すてきーーっ!」
「ふふ、そうであろ、そうであろ。
もっと妾を誉めるのじゃ。
妾に敬意を払わぬものなど、この世におらぬのじゃ!
早々に麗羽にビールを要求するのじゃ!」
「わかりましたー」
こうして、ただでビールをよこせと手紙を認(したた)める張勲。
袁紹からの手紙は次のようなものだった。
みなさ~ん、ビールを唯で差し上げますわ。
その代わり、州牧を変えることを了承することですわ。
誰がどの州を治めるかは追って連絡いたしますわ。
これは勅命ですからしっかりいうことを聞くことですわ。
そうでないと、皇帝への反逆と見なされますわよ。
オーッホッホッホ!
内容はもちろん袁紹賢人会議が考えて、袁紹風に仕立て上げたものだが、そんなことは誰もしらない。
手紙の文面を考えた人物は、陳琳という名前だったりするが、そんなことも誰も知らない。
内容自体は袁紹も皇帝も了解していることだから、手紙の内容に嘘はないが、もう挑発することが目的のような書き方である。
「なんじゃ、これは?
袁紹め、相国になったのをよいことに、自分勝手に振舞うつもりじゃな!
そっちがその気ならこっちにも考えがあるぞよ」
「さっすが、お嬢さま。気概が違いますー。
それで、どんな考えなのですか?」
「それを考えるのが七乃の仕事じゃ!」
「あらほいさっさー」
ずっこけそうになる張勲。
「なんじゃそれは?」
「何となく言ってみたくなっただけですー。
はいはーい、わかりましたー。
何かいい案を考えまーす」
手馴れた様子の張勲であった。
袁紹の手紙は全州牧に届けられていた。
だが、それを了承する州牧は一人もいなかった。
漢王朝の権威は、そこまで失墜していたのだった。
いよいよ戦乱の時代が開かれるのである。