天災
時は遡って、袁紹軍が冀州に戻った頃の話。
曹操や程昱が言っていたとおり、袁紹軍は曹操軍の反撃が弱くなったと見るや否や、兌州の城をいくつか攻略してしまっていた。
ところが、業から大至急戻って来いとの指令が着たので、仕方無しに守備兵を除いて業に戻ることにしたのだ。
兵士を業に戻すよう指示したのは一刀。
何故、彼がそれだけ慌てたか、というと……
その日も一刀はのんびりと畑や牧草地や草原の見回りをしていた。
ところが、その日は何か違和感を感じた。
虫の知らせとでもいうのだろうか?いやな感触がある。
一刀は馬を下りて草原に入り、細かく様子を見てみる。
「!」
そして、一刀の見つけたものは黒く変色しかかっているバッタ。
日本ではトノサマバッタと呼ばれている種の近縁種であるが、蝗と称されている虫である。
日本のイナゴとは種類が異なる。
通常、どこにでもいるバッタだが、その色は緑色。
それが、何かの条件で黒く変わることがある。
世に言う群生相に変わる。
孤独相が群生相に変わるのは、個体密度が原因であるといわれている。
で、バッタが群生相に変わると何が起こるかというと、蝗害である。
現代では農薬の散布などで押さえつけることがある程度可能になっているが、それでも対策が難しい天災である。
農薬がないこの時代では、もうどうにも避けようがないものだ。
三国志では、曹操と呂布が戦っている最中に蝗害が発生したと伝えられているが、恋姫三国志では曹操と袁紹が戦っているときにその芽ができつつあるようだ。
呂布は袁紹のところにいるし。
何とかしなくては、と思った一刀。
人海戦術であたり一面の草原を焼き尽くすことを提案する。
そこで、兌州にいた兵も呼び戻されたのだ。
「えっ!白馬も攻略しちゃったんですか?」
戻ってくる沮授や顔良らにそう聞いて驚愕する一刀。
あそこは、顔良が死んだ場所ではなかったか?
「あの、曹操軍の守備が急に手薄になったんで、今だ!って、みんなで押し寄せて行ったんです。
そうしたら、簡単に城が陥ちちゃったんです」
「俺の知っている知識じゃ、あそこは斗詩さんが死んだところなんですよ!
あまり心配かけないでください。
でも、無事でよかった。
本当によかった」
ちょっと涙ぐむ一刀。
「……ごめんなさい、一刀さん。
夫に心配をかけさせる側室なんて失格ですね。
これからは心配かけさせないように気をつけます」
それを聞いて今度は固まってしまう一刀。
当然、正室たちも反応する。
「何で斗詩が側室なのよ?」
「私は側室一号です!
一刀さんを愛しています!」
おお!!言い切ってます。
「認めません!」
「認めるかどうかは一刀さんが決めることです!」
視線が一刀に集中する。
「と、とりあえず、その問題よりまえに蝗を何とかしないと」
逃げる一刀。
「まあ、いいわ。
あとで話し合いましょう、斗詩」
「ええ、菊香。
負けないんだから!」
不屈の顔良、健在だ。
ということで、とりあえずその場は収まった……というより、問題を先送りしただけの様でもあるが、蝗対策が発令される。
といっても、内容は簡単。
草原や畑や牧草地で蝗がいそうな場所を片っ端から焼き尽くせ!以上。
それを何十万人もの兵士や農民で実行するのである。
もちろん、その分収量は減るが、蝗に食い尽くされるよりはましだという判断だ。
それ以前に、蝗の害があることは分かっているなら、一刀は事前に何か策をうつ事ができなかったのか?という疑問もあるが、まあ彼も対策をやったといえばやっていた。
一刀の考えは、
天災は起こる。
避けられない。
だから、数年に一度、収量が落ちても大丈夫なようにその他の年で備蓄しておく。
というものだった。
そして、それを今まで実践してきた。
だから、今年収量なしでも問題ないが、被害は少ないほうがいいに決まっている。
そこで、蝗の駆除を行おうというのだ。
そもそもなんで蝗害が発生するのか?
これはまだ定説はないが、草の育成がよく、それに比して草を食べる牛や馬などの個体数が少ないと、バッタの発生数が多くなり、蝗害に繋がると言うのが有力な理論だ。
牛や馬などは草と一緒にバッタも食ってしまうから、バッタにとってみれば牛や馬は天敵だ。
で、冀州は草は増えたが、それに比べれば牛や馬の数はそれほど増えていないから、蝗害が発生したのだろう。
草を増やす努力をしたのは一刀であるが、まあ史実でも蝗害は発生しているから、蝗害の原因の一端は一刀にある、というのはいくらなんでも言いすぎだろう。
農民が蝗害の発生の予兆に気付かないのか、という疑問もあるが、バッタは四六時中草のある草原で個体数を増やすから、刈り取り後に草がなくなってしまう畑にいては、蝗害が発生するまで変化に気付かないことが多い。
だから、畑でも牧草地でもない草原を農業視点でうろうろしている一刀がそれに気付いたのは本当に幸運だった。
一刀の指示で、広大な草原に火が放たれることになる。
洛陽炎上よりも大規模だ。
というより、桁が違う。
あちらこちらの農協職員や地方公務員に調べてもらった結果、大体冀州の南側の一角に黒く変わりかけているバッタが多く生息していることがわかった。
一角、と言ったって四国ほどもある。
万が一の事を考え、付近の住民は避難しているが、ちょっと燃やす規模が巨大すぎて、全ての街が無事かどうかは保障できない。
できるだけ、草だけを燃やすようにはするのだが。
そして、いよいよ作戦決行の日。
何十万の兵士、農民たちが総出で草に火をつける。
正確には、火をつけるのは一部の人。
大部分の人は、延焼を食い止めるために燃えた草をたたいて火を落としたり、街のそばの草を刈り取って、火がそちらに向かわないようにしている。
一大害虫駆除作戦だ。
それは火をつけ始めてから三日目のことだった。
その日も朝からバッタの駆除のために火をつけて回っていた。
と、突然大地から黒い影がぼわっと立ち上り、黒い塊となって空に飛び出した。
蝗害の発生の瞬間だった。
そして、バッタの集団は麦や草を食いつくしながら、南へ南へとその集団を移動させていった。
北から火をつけていったので、火を嫌ったのだろうか?
そのうちにバッタの集団は河水を超え、冀州からその姿を消した。
冀州に残ったのはバッタに食い散らかされた畑や牧草地。
一刀もその状況を見て
「うーーーん、やっぱり自然の力はすげーな!
とても、人間の力じゃ太刀打ちできないわ」
と思うのだった。
蝗害の発生したところの収量は0になったが、冀州全体から見れば、収量が3割減った程度で、それほどインパクトはなく、また天災が発生しても大丈夫なように備蓄も十分に確保しておいたから、蝗害が発生しても途方にくれるようなことはないのだ。
ただ、大自然の力は侮れないなあ、と認識を新たにするのみである。
その後も、蝗が通っていったところは卵が残っているかもしれないので焼き尽くす作業は続けた。
当初焼き尽くす予定だった場所に加え、蝗が通った場所も焼き尽くすことにしたため、焼く面積は当初の四国くらいから拡大して九州くらいに広がってしまった。
2ヶ月もかかった。
ところで、一刀にとっては、蝗害はたいした問題ではなかった。
収量3割減ったと言っても、減ったのは冀州だけで、冀州や幽州など袁紹領の人間が食うには今年の収穫だけで全く困らない程度だし、仮に今年の収量で足らなかったとしても、うなるほど備蓄がある。
一刀には、蝗害よりも遥かに問題なことがあった。
「それで、一刀さん。私を側室一号にしてくれるんですよね!!」
そう、顔良の問題である。
「認めないわよね!」
「認めないですね」
こんなことなら、蝗害が続いてくれたほうがよかったと思う一刀である。
ちょっと不謹慎だが。
「そ、そうだな。
正室二人に子供が出来たら考えるってことでどうかな?」
またもや、問題の先送りを図る一刀であったが、幸運にも田豊も沮授も顔良もそれに納得してくれたのだった。
その時になったら、どうするのだろうか?