「はじめまして、お嬢さん」
突然の声に顔を上げると、虚空に浮かぶ女性がわたしに向かって微笑んだ。
彼女は大仰な仕草でわたしに向かって頭を下げる。
王を前に臣下がするように頭をたれる。
だがその仕草に女王が凡夫を装うような違和感が付きまとう
「わたしの名前はカレイドルビー。もちろん異名で、実際は日本人。でもまあルビーで通しているからそう呼んでくれるとうれしいわ。座右の銘は、いかなるときも優雅たれ」
よろしくね、と彼女は続け、
わたしは声も上げられずにそれを見る。
プロローグ 運命との会合
「どうしたの、そんな顔して。お口を閉じたら。かわいい顔が台無しよ。――――あらあら、そんなに驚いて。怖い? 恐ろしい? それとも本当は嬉しかったりするのかしら。未知との遭遇にロマンを感じられる人なのかな、あなたって。それともやっぱりそんな事実は知りたくはないと思うタイプなのかしら。
青い錠剤と赤い錠剤、真実を知りたいならば青を飲め、すべてを忘れて日常に戻りたいなら赤を飲めといわれれば、わたしはきっと赤の錠剤を飲むでしょう。……なーんてね」
彼女は笑顔を崩さない。
「それはきっととても賢い。でもすでに青の錠剤を呑んでから、赤を飲む世界を夢想するのはすでに賢しさとは異なるわ。それは並行する世界の出来事、それは隣り合う世界の事象。隣接するけど重ならない。接近しているけど気づけない、そういう世界。
うふふふふ、数多の世界の集合がスパゲッティだというのなら、ひとつの世界は一本のパスタで、並行する世界は別のパスタとなるでしょう。まあ、それならばわたしはスパゲッティソースとなるのだけれど」
彼女の笑顔は崩れない。
「知らないことも想像できる、範疇外でも幻想できる。それが人の怖さ、人間の恐ろしさ。ああ、わたしばっかりしゃべっているわ。ねえお嬢さん。そろそろ、お返事をしてくれないかしら?」
彼女はわたしから視線をはずさない。
「この世界には魔法がある。この世界には嘘がある。宝石から生まれ、今あなたの前で宙に浮かぶわたしに対し、まさかまだ奇術だとは言わないでしょう? この状況を、この現実をまさか夢だとは言えないでしょう? わたしは魔法使いのカレイドルビー。宝石の魔術師であり、宝玉の魔法使いであり、永遠に“あの子”のために戦うと決めた優雅と無敵を心情とする世界の奴隷」
絶句するわたしは喋れない。
「お嬢さん、あなたを巻き込んだのは謝るわ。あなたには罪はない。わたしの都合でわたしはあなたを巻き込んだ。謝罪するし、対価を払う。だけど依代となったあなたは絶対に逃がさない。だからせめて仲良くしたい。ねえ、お嬢さん、そろそろお名前を教えてくれないかしら」
笑顔を崩さず、視線をはずさず、絶句しているわたしを前に、彼女はさらに言葉を紡ぐ。
「目的はただひとつ。願い事はひとつだけ。わたしはすべてをかえりみないと決めている。だから謝罪はするけど、依代となったあなたを放すことはない。あきらめなさいお嬢さん。観念しなさいお嬢ちゃん。わたしとあなたはもう一心同体なのだから。さあ、始まりの挨拶は自己紹介から始めましょう」
わたしの名前はカレイドルビー。世界に喧嘩を売る宝玉の使い手、宝石の担い手。五色の魔術師、虹の魔剣を振るう魔法使い。妹のために座に上がり、間桐桜の写し身を救うために世界を渡り続ける宝石剣の担い手よ。
ねえ、可愛らしいお嬢さん――――
彼女はしゃべる。
すでに日も落ち、半分にかけた月が昇る夜の道。
人気のない公園で、わたしはただそれをみる。
宝石から浮かぶ人影、闇に浮かぶ白い肌。
透き通る肉体と、頭に直接響く声。
――――わたしにあなたのお名前を教えてはくれないかしら。
あまりの恐ろしさに、がたがたと震えるわたしを前に、夜空に浮かぶ半月を背にしたまま彼女はそう問いかけた。
◆◆◆
まだ日も高い週末のお昼すぎ、わたしはコスプレ用の衣装を作るための素材を買いに、電車に乗って遠出をしていた。
わたしの名前は長谷川千雨。奇人変人の集まる中学校の一クラスに在籍する身として、自分だけはマトモだと信じているが、それを改めて聞かれれば、やはり自分もあいつらと同類なのかもと思ってしまう、そんな微妙なポジションに位置する女子中学生である。
自分を変なやつだと思ってはいないが、たまにそれでも……と思うことはある。
こんな風にコスプレ用の衣装をつくるための生地を買う瞬間なんかはとくにそうだ、と自嘲気味のため息を吐いた。
基本的に通販でコスプレ衣装を用立てするわたしも、たまにする裁縫用の生地や装飾用の小物はこうして店に出向いて購入する。
クラスメイトにあって詮索されるのも馬鹿らしい。さっさと用事を済ませてしまおうと、品定めを終えた商品を持ってレジへ向かった。
品物を並べると、定員がわたしに微笑んだ。営業スマイルながらに年季の入った笑顔だ。
「えー、八点で合計4830円になります」
無言で札と小銭をわたし、おつりを受け取る。笑顔を向けられたからといって笑顔を返す義理はない。無表情で無言のままだ。
袋を受け取る。この店はなかなか品揃えもいいこともあって、自分は常連といっても差し支えはない。顔を覚えられているのだろう。営業スマイルのあとに、本当の笑顔といつもありがとうございます、という言葉をかけられた。
さすがにこれは無視できず、軽く頭を下げ、店を出る。
ふむ、と軽く紙袋を持ち上げた。厚手の生地であるため、割と重い。
この布地でこれからわたしが何を作るかを知ったらさっきの女性も変な目を向けるのだろうかと思い、まあ当然向けられるだろうな、と一人うなずく。これは現在放送中の人気アニメに登場する魔法少女のコスチュームになるのだから。
客観的に見れば、ただ隠しているだけで実際は十二分におかしな趣味を持つわたしも、ずいぶんと幼稚で可笑しな行為を行う愛すべきわがクラスメイトの同類だろう。
やってられんと首を振りながら、しかしそれでもといつものように自分自身を慰める。
ばれていないなら、それはないのと同様だ。
隠し通せれば、それはやっていないと同様だ。
知られてはいけないものに知られない限り、それは悪いことではない。たとえ、知られれば問題が起こる事柄だろうともだ。
ばれない限りは問題ないさ、とわたしは思う。
だからわたしはいつものように、こそこそと人目を気にしながら帰り道を進んでいく。
だが所詮中学生の隠形だ。わたしは気配を感じるどころか気配というパラメータの存在を信じていない。
遠めに見かけりゃ逃げることも出来ようが、運が悪けりゃ、曲がり角でたまたまクラスメイトに出会うこともある。
◆
不幸中の幸いか。いや、この人物ならば、不幸にも届くまい。
「長谷川さんも買い物ですか?」
何の因果か、そう問いかける宮崎のどかと話しながら、わたしは帰り道を歩いていた。
宮崎と組んでいるほか二名、いや三名がいたら、ここまでのんきに会話を交わしはしなかっただろう。
わたしの手には隠しようもないほどにでかい紙袋が握られている。誤魔化す自信は当然あるが、わざわざその実践を行いたいとは思わない。
ああ、と宮崎に生返事をして、反対にそのもっとも肝心なことを問いかける。
「ほかのやつらはいないのか?」
首を傾げられた。セットで認識されている意識は無いのだろうか。
「綾瀬と近衛と、ついでに早乙女だよ。あいつが来るといろいろ騒がしそうだから、逃げとこうかとおもってな」
ここで遠慮することもあるまい。それに、この考えは嘘でも誇張でもない。変に遠慮するのは性にあわないのだ。
それに宮崎もその評価をたいして悪口だとも思わないのか、苦笑しただけで悪意を見せることは無かった。
「ああ、ハルナは今日は修羅場だとかでこれません。今日はゆえとだけ待ち合わせしてるんです。夕方から大古本市があるそうで」
その理由があまりに彼女たちらしかったので少し笑った。綾瀬とも寮から同行しているというわけではなさそうだ。どっちに用事があったのかは知らないが幸いだ。
「長谷川さんも少し見ていかれますか?」
「いや、いいよ。本にはあんまり興味が無くてね」
そう断る。宮崎もさすがにこれは社交辞令のつもりだろう。ここでわたしが頷いても嫌な顔をすることはいだろうが、こんな無愛想なただのクラスメイトが同行することに喜びを見出すこともあるまい。
当然一度断れば、しつこく誘われつづけることは無かった。そのまま無駄話をしながら、少し歩く。
ひとつの交差点まで差し掛かって、宮崎とわたしの進む先が分かれた。
「長谷川さんは駅ですか? だとしたらここでお別れですね」
帰り道だということを見て取っての宮崎の一言。
ああ、と頷いて、口を開こうとしたときに、駅のほうを向いていたわたしの目におかしなものが映った。
一瞬の光。刹那の輝き。ビル街に阻まれ、いまだ駅自体も視認できないというのに、駅前の大公園に光が見えた。
いや、見えたはずが無い。見えたような気がしただけだ。視認もできない遠い場所に対しての、天恵を受けたようなそのイメージ。
一度も足を運んだことのない公園の白黒画。
あまりに馬鹿らしくて笑いたいのに、あまりにはっきりしていて笑えない。
駅前の公園のさらにその奥。立ち入り禁止の看板に守られた芝生の中にある樹の根元に落ちたその光。入り口から右回りに十七本目の外縁樹の根元。おいおい、そんなの何でわかるんだ。
なのに、その場所になにかある。そんなイメージがわたしの頭に叩き込まれた。
「……どうしたんですか?」
いきなり黙ったわたしに不審を感じたのか、宮崎がそう問いかけてきた。
「ああ、なんでもないよ。うん、少し用があるけど、一応駅の方向だから、ここでお別れだな。じゃあまた学校で」
疑問を払拭し、まずは日常を繕った。宮崎に向かって軽く手を上げる。とくに疑問も持たなかったのか、宮崎はそれでは、と頭を下げて、綾瀬との待ち合わせ場所であろう方向に歩いていった。
そして、わたしはまだ歩き始めることはない。
ふむ、と軽く腕を組み、じっくりと考える。
つまらんことだが、わたしは霊感とか幽霊とか言う概念が嫌いである。認める認めない以前の問題として、そういう事柄の有無を口論することさえ馬鹿らしい。魔法や吸血鬼まで行けばそれはすでに論議の対象ではなく、子供の戯言だ。
ネッシーは悪戯、幽霊は空想、UFOは見間違い。第六感とは五感の応用、直感は脳による無意識下の計算結果に決まってる。
幽霊がもしいるなら、もう少し幽霊側からアプローチをするべきだろう。魔法や吸血鬼がもし実在して、それでいてこんな風に世界が 常識のもと回っているというのなら、すでにこの世界はその吸血鬼どもに征服されてでもいるはずだ。ここが仮想世界で、わたしは本当は機械のベッドで意識だけの存在であるとでもいわれたほうがまだ信憑性がある。
だから、わたしは今のイメージは、ただの眩暈に少しばかり自分で想像できるような情景が組み合わさっただけのものとしか映らない。
驚いたのは、自分にそんなメルヘンチックな部分があったということだけだ。
脳への天啓、未知との遭遇。
ふん、まるで魔法少女の冒険譚のプロローグ。題名をつけるなら「運命との会合」か?
くだらないくだらないくだらないと鼻を鳴らし、わたしは軽く目をつむる。
さて、これからどうするか。
◆
探すことにした。
まあ、わたしがいましていることを説明するにはこの一言で十分だろう。
べつに草の根を分けて、駅前公園中を探すわけではない。頭に浮かんだ光景の場所に足を運んで周りを見渡そうかと思っただけだ。少し探して、何も無いなら無いでそれは今日のHPの日記のネタにでもすることにしよう。人気ページの管理人は日々ネタ探しをしておかないといけないのだ。
さて、ちなみにわたしはこのとき、たいしたものが見つかるとは思っていなかった……どころか、何かがあるとすら思っていなかった。
だって、予感は、空想で妄想で幻覚だ。記憶を道具に幻視するなんてのは、夢を見るのと同じ科学的な出来事だけど、もしそこに何かがあったらこれは予言かなにかに分類されることになるだろう。
いや、まあそれにだって科学的な説明をつけることはできるだろうが、それは無意識とか人間の限界とかその辺がぎりぎりだ。
つまりわたしは、むしろそこになにもないことに期待した。
だから、わたしはわたしが感じたまさにその場所。入り口から右回りに十七本目の外縁樹の根元に光り輝く宝石のペンダントを見つけたときにはさすがにびびった。
立ち入り禁止の柵を越えた芝生の奥、誰からも目が届かない場所である。さすがにここに落し物ということはありえないだろう。
驚きとともに駆け寄れば、そこにはかなり年代もののペンダントが落ちていた。赤い宝石がくっついている。赤といえばルビーだろうか?
装飾品にはそれなりに詳しいが、宝石自体には詳しくない。ありきたりなイミテーションかとかんぐるが、その周りの装飾はそれなりに凝っていた。
これはネタとしても一級だが、厄介ごととしてもそれなりだ。
まあここまでのものはさすがに交番に持っていかなくてはならない。犯罪関係のにおいがするが、見なかったことにするにはその輝きは生々しすぎた。犯罪者が隠すなら、土をかぶせるでも、もう少し工夫をしただろう。
素人目だが、たとえレプリカだとしても装飾といい、輝きといい無価値だとは思えない。
そうして、わたしは、いろいろと考えをめぐらしながらも、まずはそのペンダントを拾おうと手をのばし――――
――――そして、気がつけば夕暮れだった。
「……はっ?」
掛け値なしに、疑問のみで構成される声が漏れた。
意味がわからない。
瞬きした瞬間に、周りが暗くなっていた。
手には宝石のついたペンダント。そしてわたしは樹に寄りかかって座っている。
背中には樹の感触。尻の下には土の感触。
おいおい、一秒前までわたしはペンダントを拾おうと体を屈めたところだったはずだろう。なんだこれ?
腰が痛い。背中が冷たい。この体勢で数時間止まっていたとでもいう気なのだろうか? わたしはそんな持病を持った覚えはない。
現状を理解することを脳が拒否して、しかし長谷川千雨の冷静な部分が情報を集めろと訴える。
人気は無い。夕方の薄暗い公園。ここは立ち入り禁止の芝の中。駅前だけあって、一歩二歩外に歩けば他人を視認できるだろうし、わたし自身が、すでに街の喧騒を捕らえている。だが、それが完全に別世界の出来事のように認識させられる。
大声を上げるか? もし何もなかったら恥をかくだけだろうが、今はそれを踏まえても他人の姿を見て日常の安心感にまみれたかった。
だけどそれは無理だった。
声を上げようとしてはじめて気づく。わたしは金縛りにあったように声を発することができなかった。
体を動かそうとしてはじめて気づく。わたしは金縛りにあったように体を動かすことができなかった。
思考をめぐらせようとしてはじめて気づく。そう、わたしの持つペンダント。その宝石が光ってる。
光を反射するわけでもなく、光源を内部に秘めているかのように石の結晶が輝くその神秘。
その光がわたしの動きを縛ってる。
わたしは、非科学的なことは信じない。
それなのに、わたしはなぜか震えてる。
幽霊なんているはず無い。心霊現象なんてあるはず無い。
魔法なんて存在しない。
だから、そう。
――――はじめまして、お嬢さん
こんな声は幻聴に決まってる。