ネギが千雨に助けを求めて数日たった。
その間にエヴァンジェリンと千雨の間になにがあったのかというと、なにもなく。
その間に、ネギ・スプリングフィールドと千雨の間に何かがあったのかというと、なにもなく。
何ひとつコトが起こらないまま、ただネギ・スプリングフィールドとエヴァンジェリンとの戦いの幕開けだけが近づいていた。
誰がどう考えようと誰がどう行動しようと、その戦いがおくれることはなく、逆に早まることもない。
結局、千雨は神楽坂明日菜とネギがどのような会話をしたのかすら知らないまま一斉停電日の夕刻を迎えていた。
第16話
千雨は寮の部屋の中にいた。相坂さよもネギもいない。
パソコンの電気を落として、携帯用のスタンドに本を数冊。眠れば終わる夜の停電だが、寝てすべてが手遅れになるのだけはごめんだった。
「千雨、貴方が不安に思っていることに答えましょう」
突然の声。机に付属するスタンドが、まだコンセントからの電気を光に変えているのをぼうっと眺めていた千雨はたいした驚きも見せずに振り返る。
この日がすべての分岐点だということをルビーは知っているはずだ。
「ルビーか。でてきたばっかで分かるのかよ?」
「耳と目がないからといって情報が収集できないわけじゃない。起こった事象を理解するのに時間は要らない。把握してるわ。あの子の事も、あなたの事も」
「……へえ」
ボウ、としたまま返事をする。
そんな千雨にルビーが鋭い視線を向けた。
「ネギくんは誰も頼っていないわよ」
いきなり切り込まれた。
千雨は無言。
「この部屋のログによれば、あの日ネギくんはあなたにどうすればいいかを聞きに来た。あなたは助けるとも断るとも言わず、神楽坂明日菜を頼らせることだけを彼に告げた」
「……んなものとってたのか」
あきれたような千雨の言葉を無視して、ルビーが言葉を続ける。
「ネギくんは明日菜ちゃんにもさよちゃんにも学園にも、もちろんあなたにも助けてくれとは言わずに今日を迎えた。明日菜ちゃんの助けは断ったままよ。事情は聞いているみたいだから助けには向かうでしょうけど、本当にパートナーとして動けるかは五分五分ね。抑止力として動けても、それは勝算にはつながらないでしょう」
「戦うことは決定なのか?」
「本気も何も、ネギくんは果たし状を突きつけたようね。今日、この日を指定してね」
「本気かよ。なんか勘違いしてるんじゃないか、あいつ」
千雨が頭を抱えた。
だってこれは折半案を導き出せば、それでいいはずの闘いなのだ。ネギがエヴァンジェリンを倒したとして、彼に得られるものはなにもないのだから。
そんな千雨の声に、今日はじめてルビーが頬を緩めた。
かすかな微笑。それは誰に向けられたものなのか。
「生徒を思う先生の気持ちってやつじゃないかしら」
「エヴァンジェリンの事情を知ってそんなことを思ってるようなら、あの先生のおめでたさも筋金入りだな。ありえねえだろ」
「じゃ、矜持ってやつでしょ」
「それもねえな。許せないことがあるとかならまだしも、エヴァンジェリンと、ネギにそんな確執ないだろうし」
口にしながらも千雨が思案顔なのは、自分自身も解をもとめられていないからだ。
本当に、なぜネギはエヴァンジェリンに挑みかかったのだ?
かなり本気の疑問だった。
「結構色々やったつもりなんだけどなあ」
ネギの相談に乗り、エヴァンジェリンに対話をしにいき、神楽坂明日菜に魔法使いであることがばらされ、そしてネギにアドバイスをした。
ただ自分が関わらないという前提を入れただけで、千雨の行為はほとんど効果を挙げていない気がする。
「アプローチが間違ってるのよ。ネギくんが大人びているのは彼の生まれが原因だもの。ゆがんで無理やり成長した心はいまさら生兵法じゃ戻らない。ドカンと転機を与えれば一気に代わるでしょうけど、ゆっくり変えるのは相当難しいわよ」
何か考えがあるのだろう。いつものように嫌な笑みを浮かべながらルビーが言う。
千雨が返事をしようとして、その刹那、さきほどまで光を放っていた照明の灯が消えたのを見て、言葉をとめる。
コンセントから電気の供給がなくなったのだ。
携帯電話に目をやれば、時間はちょうど八時を指していた。ネギからの着信履歴が残っている携帯電話。
電話は停電中でもつながるし、もちろん携帯電話だってつながらないはずがない。だがそれは停電前も、停電が始まった今も沈黙を守ったままだ。
そして千雨自身も電話をしようとは思わなかった。
千雨はじりじりとすぎる時間に耐え、ルビーはそんな千雨を眺めている。
――――――!
変化の予兆。数分もせずにそれがきた。
びくりと千雨が体を震わせる。
ルビーとともに窓の外に視線は走らせた。
「千雨。もちろん感じたわよね?」
「ああ。いまのって」
「もちろん、エヴァンジェリンの封印が解けたのでしょう」
寮の一室にいてすらわかる。
千雨は息を呑んだ。エヴァンジェリンは隠す気がないのか? これでは事が終わったあとに学園にごまかしを口にすることも出来まい。
圧倒的な魔力の波動。それが停電から少し遅れて学園内に生まれていた。
本気で今日すべてを終わらせる気なのだろうか。だとすればネギはどうなるのか。
死ぬのか? 最悪の場合はそうなると考えるべきだろう。
よほどの自信があるのだろうか。
この魔力はまるで誘蛾灯だ。いったい誰を誘っているつもりなのか。
舌打ちをひとつすると、千雨は無言で立ち上がった。
もしかしたらと出かける準備はしていたが、まさか停電直後に動くことになるとは思わなかった。
「どちらにいくの、お嬢様?」
「……あのガキのところだよ。ついてこい」
「正直反対したいところだけど、わたしはすでにあなたの添え物。千雨の判断には逆らわないわ。でも千雨」
「ああ、無理するなって言うんだろ。言われなくてもわかっているよ。……見るだけだ。ただ見るだけで、遠目に眺めて、たとえ傷つこうが、死にはしないって言うんなら、この騒動はそれで終わりだ」
言い聞かせるような千雨の言葉。
「それは重畳」
ため息交じりに返されるルビーの言葉。
それに千雨は言い返せない。
そしてそんな会話の一瞬後。部屋の中から千雨とルビーの気配が消え去った。
ルビーは実際のところを知っている。
この学園の有力者たちはある程度今回の騒動を把握している。エヴァンジェリンがこの学園で特別な立場であることもあり、細かい事態は把握していないが、見回り組は手を出さないことを伝達されている。
当たり前である。ナギの息子、英雄の忘れ形見、マギステル・マギ候補の天才少年。
結局のところ、エヴァンジェリンの甘さを知っている学園側が、ネギの成長のために、と黙認しているに過ぎない。
死ぬことはない、と半ば以上の確信を持っているのだ。
半端に関わって情報を得た千雨よりも、情報をほとんど得ずに楽観している神楽坂明日菜や、正確な事情を説明されている魔法関係者のほうが今回の件に危機感を感じていない。
何事も半端はよくないといっていた千雨であるが、彼女はこういうところで貧乏くじを引くタイプなのだ。
◆◆◆
八時になった。
消えていく学園都市の明かりにネギ・スプリングフィールドが顔を上げる。
その背に数多の魔法具を背負い、その手に杖を握り、そしてその瞳に雷光をともらせて、彼は一人麻帆良の街並みを眺めている。
大きく息を吐き、そしてその顔を持ち上げて、そして彼は体に緊張を走らせる。
武具の確認、策の確認、そして何より自分自身の決意を確認して、彼は今日やるべきことを考える。
自分はおびえた。
自分は彼女に恐怖した。
いや、いまだって恐怖している。
だけど、それは“ボクだけ”ではないのだ。
やるべきことができた。
やらなくてはいけないことができた。
いまの自分にはそのための決意がある。
だから自分は迷わない。
背後から、航空機系の噴射音が聞こえた。
数日前に聞いたことのあるその音に彼は振り向く。
「こんばんは。茶々丸さん」
目の前に現れるエヴァンジェリン・マクダウェルのミニステル・マギ、絡繰茶々丸の姿に向かい、彼は平静を保ってそう言った。
そんな当たり前の挨拶と、一人たたずむネギの姿に、絡繰茶々丸は当たり前のように頭を下げる。
「ネギ先生。お一人ですか」
「はい」
「マスターより伝言です。我がマスター、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさまがあなたの挑戦を受け入れる、と」
先日エヴァンジェリンにたたきつけた果たし状。
風邪で弱っていたエヴァンジェリンは、ネギを笑いながらも、その決闘を受け入れた。
すべての分岐点である今日この日に起こる戦いを了承させたのだ。
遥か彼方から漏れでるプレッシャーに震えそうな心を静め、ネギ・スプリングフィールドがその手に持つ杖をぎゅっと握り締めた。
そして、今日のメインイベントが始まった。
◆◆◆
ネギとエヴァンジェリンの戦い。それは意外なことに拮抗していた。
ネギが引きながら戦い、エヴァンジェリンが追いながら戦闘を行うその図式。
ネギのマスケット銃から魔法弾がばら撒かれ、十を超える杖から術式が起動する。
めくらましの単純火力戦だ。道具の種類に意味はない。武装のうち、強力な順に銃と魔法弾をばら撒いている。
エヴァンジェリンの魔法と相殺したそれを見る間もなく、続く攻撃に対してネギが結界用の媒体を投げつける。
満載した武装を惜しげもなく使用し、ネギ・スプリングフィールドは夜空を駆ける。
それを追う絡繰茶々丸とエヴァンジェリンは余裕気だ。
ネギの奮闘に頬を緩める。
「本当に良くやるものだな、あのぼーや」
「マスター。残り時間にご注意を」
「分かっているさ。あいつの心意気くらいはくんでやらんとかわいそうだからな。だが、そろそろ決着をつけてやろう」
エヴァンジェリンが笑って言う。
いまの彼女ならネギがどれほど武装しようが、決めようと思えば初手で決まった。
だがネギだって、この日この瞬間を待つことに意味はなかった。わざわざ停電をまって勝負を挑むことなどせず、風邪で休んでいたというエヴァンジェリンの不意をつけばそれでよかった。
そんな手を使わず、決闘という形でこの場を迎えた以上、エヴァンジェリンにはネギに対して、手加減をする義務がある。
そんな古式ゆかしい礼節を保った決闘が続いていく。
戦いが続き、学園都市の境目、麻帆良大橋まで飛ぶネギを追いかけて、エヴァンジェリンが大地に降り立った。
「ふん、なるほどな。この橋は学園都市の端だ。わたしは呪いによって外には出られん。ピンチになれば学園外に逃げればいい、か?」
せこい作戦じゃないか、とエヴァンジェリンが嘲笑する。
その視線の先には、エヴァンジェリンの追い討ちで地面に叩きつけられたネギがいる。
下は舗装路で彼は半そで。痛々しい擦り傷から血がにじむ。
学園の端。結界の境目。そんな場所でネギ・スプリングフィールドが倒れこむ。
それはエヴァンジェリンからの逃避を願ってだろうか。
そんなはずがない。
本当に時間切れを狙って勝ちたいなら、ネギは学園外に逃げればいい。
電力復旧後に戻ってきて、それを勝ちとする戦い方だってあったのだ。逃げるネギを外に逃げ出さないようエヴァンジェリンが囲い込む、そういう戦い。
だが、ネギはそれを選ばず、こうしてエヴァンジェリンの前に立ち向かった。
そんな男が、逃げを想定しているはずがない。
エヴァンジェリンにはネギがどのような策を練ろうと、後出しでそれを打ち破れる自信がある。
だからこそ、その絶対的な余裕を笑みを持って一歩一歩ネギに近づき、そしてその歩みを止められたことに驚いた。
輝く術式。光を放つ魔方陣。同時に二人かけられたのは僥倖か、それともネギの作戦か。
エヴァンジェリンと茶々丸の体を捕縛結界の縄が絡めとる。
「やっ、やりましたっ!」
ネギが会心の笑みを浮かべた。
場所を誘導し、ここまで耐え、そして絶好のタイミングでの結界の発動。
全てが上手く行った結果があらわれた。
「……ほお、やるなあ、ぼうや」
エヴァンジェリンが驚きと賞賛の声を上げる。
その術式の強固さは本物だ。油断もあったが、油断だけではここまでうまくは行かないだろう。
やはり天才というべきか。
だが、ネギが続けてはなった降伏を促す言葉に返ってきたのはエヴァンジェリンの高笑いだった。
「な、なにがおかしいんですか。この結界にハマった以上、これでボクの勝ちですっ。ボクの言うことを聞いてもいますよっ!」
「ああ、そうだな。本来はここでわたしの負けだろう」
ネギの言葉にエヴァンジェリンが返す。
まだ笑いがおさまらないのか、口元には笑みが見えた。
ネギが不敵さを消さないエヴァンジェリンをいぶかしがるが、本来は力を取り戻したエヴァンジェリンにこの言葉を吐かせただけでもとんでもない成果なのだ。
「おい、ぼーや。お前はこれで勝ちといったが、お前の言う勝ちの基準とはいったいなんだ?」
「えっ?」
突然、結界に絡み取られたままのエヴァンジェリンが問いかける。
「これは決闘なのだろう。果たし状も受け取った。では勝敗は誰が決める? 当然我々自身のはずだ。つまり勝ちの基準が必要だろう」
「勝ちの、基準?」
「そうだ。わたしはお前の血を吸って、そしてこの身から呪いを追い出すことが目的だ。つまりこのエヴァンジェリン・マクダウェルにとって勝ちとはお前から血を吸う瞬間になるだろう」
そんな言葉を口にしながら、エヴァンジェリンが後ろ手で茶々丸に合図を送る。結界破壊の甲高い機動音が響きはじめる。
ネギは突然の問いかけに気を取られ気付かない。
「さて。それではお前にとって勝ちとは何だ。わたしを倒すことならば、この結界にはめた時点で追撃を行うべきだ。わたしを殺すことなら、この停電前に爆弾を仕掛けるくらいはするべきだ。この停電を逃げ切ることだというのなら、お前は学園の外で引きこもるべきだった」
もちろん、果たし状を出しておいてそんな間抜けなマネも出来ないだろうがな、とエヴァンジェリンが笑いかける。
そんな言葉を吐くエヴァンジェリンに、竦みそうな足を叱咤してネギが立つ。
「ボ、ボクは……。ボクはエヴァンジェリンさんに言うことを聞いてもらうために戦っています!」
精一杯の強がり。そんなネギの言葉を聞いた瞬間にエヴァンジェリンが大きく笑う。
魔力の波動。圧倒的な存在場。
悪のカリスマ、死の具現。
闇の福音、エヴァンジェリン・マクダウェルが大きく笑う。
彼女の高笑いが夜空に響く。
言うことを聞かせるとはどういう意味か。
それにいったいどういう意味があるのか。
あまりに単純で、予想外の言葉だった。
だからこそ、それはエヴァンジェリン・マクダウェルに敵対する理由としては上等だ。
笑いを抑えられないままに彼女はいう。
「いいな、それはとてもとてもおもしろい。わたしに言うことを聞かせるか。だがな。それはきっと――――」
ギロリと、笑い顔の吸血鬼から赤色の魔眼で睨まれる。
「――――わたしを殺すことよりも、よほど難しいかもしれないぞ?」
茶々丸の結界破りが、エヴァンジェリンを呪縛から解き放つ。
駆けつけた神楽坂明日菜とカモミール、そしてその姿を遠目で見続ける千雨の肌までがあわだった。
勝ちを信じたネギの思いも、助けに現れたアスナの決意も、兄貴分を信じるカモミールの考えも粉砕するそのカリスマ。
忘れてはいけない。
いくらいつもの彼女がちょいと抜け目の少女に見えていても、目の前の存在は御伽噺に語られるほどの怪物なのだ。
◆◆◆
エヴァンジェリンが油断を取り払った以上、素人が勝つのは土台無理な話だ。
破壊された拘束の術式、砕けたアスファルトと、倒れた人影。
ネギが、己の杖を手に抱きながら、自分の認識の甘さをかみ締める。
周りには、途中から助けに来た神楽坂明日菜とカモミール・アルベールの姿がある。
だがその救援もむなしく、その後の戦いは一方的に完結した。
茶々丸に神楽坂の動きが封じられ、ネギがかき集めた骨董品の戦闘用具は打ち砕かれた。
吹き飛ばされた衝撃でぼろぼろのカモミールが辺りを見回すが、決定的な逆転劇を演出できそうな要素はない。
「まずいぜ。せっかくアスナの姉さんを説得したってのに」
やはり、千雨も巻き込むべきだったとカモが悔やむ。
高笑いを響かせるエヴァンジェリンへの奇襲。なんとか一矢報いて時間を稼いだそれは、ただ相手の余裕から時間をめぐまれただけだった。
強い。エヴァンジェリン・マクダウェルは強かった。
油断あり気でただ強い。手加減してなお強い。
彼女がネギたちを相手に一蹴してしまわない程度に手を抜いた戦いから、少しハードルをあげただけで戦いと呼べるものは終了した。
一度拘束した際に悠長に交渉などしなければ、あと少しネギたちに運が味方すれば、あと少しネギと明日菜の連携が取れていれば、もう少しエヴァンジェリンが手加減をし続ければ、そうすれば結果は変わったかもしれない。
だがネギはまず対話を申し出てしまった。
ネギは、自分の武装は用意したが、結局明日菜にも千雨にも助けを求めずにここまで来てしまった。
そしてカモミールから説得された明日菜は、ネギの力を誤解したままこうして戦場に立ってしまった。
そして、ネギ・スプリングフィールドは“覚悟”を持ってしまった。
その結果がこのざまだ。
「このわたし相手に部分判定で勝ち星二つか。やるじゃないか、坊や。本気で感心したよ」
だが、エヴァンジェリンは掛け値なしの称賛をはいた。
ネギは骨董品で武装し、罠を仕掛け、そしてエヴァンジェリンとの戦いを待った。
停電前に奇襲することもなく、停電後に正式に戦いを挑みかかった。
一度は結界に捕らえさえして、途中で明日菜も加わった幸運もあり、これ以上ないほどに善戦した。
たとえどんなことをしようと、このエヴァンジェリン相手にこの成果はすばらしいものだということをエヴァンジェリン自身は知っている。
だが、それもこれで終わりだ。
称賛とは勝者が敗者に与えるもの。
敗残者を前にエヴァンジェリンは悠然とたたずんでいる。
ネギはぼろぼろ、明日菜とカモはとらわれて、厄介な力を持つ明日菜にいたってはすでに意識を奪われている。
だが、エヴァンジェリンに見下ろされるネギの瞳はいまだに光を放っていた。
「まだやる気か、坊や」
半ば本気でエヴァンジェリンが感嘆している。
甘いだけのガキだと思っていた。ただの秀才だと思っていた。ナギの息子というだけで、才能だけはあっても、まだまだ心はガキだと思っていた。
しかし、こいつの魂は英雄と呼ばれる色が息吹いている。そういうものが生まれでようとしている鼓動を感じる。
本当に“ここで絶ってしまうのは”惜しいほどだ。
「素質というより、千雨の薫陶だな。流石といってやるべきか」
エヴァンジェリンがつぶやいた。
千雨の名前を聞いた瞬間、ギリとネギが歯を鳴らす。
それを見てエヴァンジェリンが少し笑う。
「やはりお前の怒りはそこからか、律儀なことだ。あいつとわたしの確執でも聞いたのか?」
「あなたが、千雨さんを傷つけたと聞きました」
ネギが呟くように答える。
「なんだ。あれはあいつが自棄になって自殺しただけだぞ」
エヴァンジェリンが肩をすくめる。
「自殺……。やっぱりそういうことでしたか」
「なに、もう傷は残っていないさ」
にやりと、エヴァンジェリンが笑った。
だがその口は続きの言葉をしまっている。
千雨に傷は残らなかった、それは真実。
傷一つ残さず治療され、後腐れなく蘇生され、だからこそ相坂の件があったとはいえ、一度確執を持ったエヴァンジェリンと千雨の交流が続いている。
しかし、だからこそ、ネギ・スプリングフィールドは怒っているのだ。
「違います。千雨さんは傷ついていました。それなのに、あなたは彼女に謝ってすらいない」
「なんだ、あいつはそんなことまで愚痴ったのか?」
「千雨さんはそんなことをいいません」
ネギの即答。エヴァンジェリンの言葉に首を振る。
千雨がそんなことを自分に吐くなんてありえない
そんなことするはずない。それを自分は知っている。
彼女は結構愚痴っぽい。よく人の行為に文句を言うし、自分の考えに否定的。
だけど、決定的な弱音だけは見せてくれない。
そういう信念をもっている。
弱みを、苦しみを、悩みを抱えたまま日常を過ごせる強さがある。
そんなことにネギ・スプリングフィールドは先日やっと気付いたのだ。
彼女の首のトラウマと、エヴァンジェリン・マクダウェルに関する苦手意識。そしてなにより長谷川千雨の自殺の話
それは、意地っ張りの彼女から、ただ話をしていて気づいただけだ。
彼女は自分の弱さをひけらかさない。
「千雨さんは強い人だと思っていました。頼れる人だと思ってました。だけど、彼女はいまだに立ち直れてはいませんでした。あの人は強がっているだけでした」
「はっ、随分なことだ」
わかりきっていたことだ、とエヴァンジェリンが鼻で笑う。
だがネギは言葉をとめない。
「千雨さんはすごい人です。誇り高くて、優しくて。そして、かたくなだけど、とても素直な人なんです。そんなあの人があの時は口調を濁して饒舌で、そして早口で誤魔化して……。もうエヴァンジェリンさんと仲直りしたなんて、全てが解決したなんて、まったく傷ついていないなんて、そんなことあるはずない」
「心が、とても言うつもりか? 随分と陳腐な言葉だ」
「そんな陳腐なことで千雨さんは苦しんでます。だからここでボクが引くわけには行きません。ボクはあなたと闘って、そして千雨さんに謝らせます」
あまりにぬるいその言葉。
だがエヴァンジェリンは笑わなかった。
ネギとエヴァンジェリンの視線が交わる。
ネギの瞳の色に、エヴァンジェリンが懐かしそうな顔をする。
誇りが灯ったその瞳。
「なるほどな。お前の“勝ち”はそこだったか」
エヴァンジェリンが感心したように息を吐く。
ネギがこの真祖の身に本気で挑みかかった理由を理解する。
「だがそれでも、この戦いはお前の負けさ。千雨と同じようにな」
「ボクはまだ負けていません」
「ああ、まだ“血を吸っていない”からな。だがその様でどうする気だ?」
可笑しそうにエヴァンジェリンが言った。
ネギが言葉に詰まる。
悔しそうな顔をするが、それは事実だ。
決意はあるが、実力が追いついていない。
千雨のように現実を見据えすぎなのも問題だが、意地を張りすぎるネギだって十分に問題だ。
それでいて性根の張り方はそっくりなのだから救えない。
行為に比べて実力が半端なのだ。
だからこうなる。
せっかく“生き残れそう”だったのに、とエヴァンジェリンがあきれた。
そう。本来エヴァンジェリンには殺す気はなかったのだ。
千雨に語った言葉は嘘ではない。
血を吸って、封印が解けるかを確かめる。
そして、もし封印が解けそうにないなら、きっとそこであきらめた。
彼女は女子供は殺さない。
彼女は“覚悟のない”ものは殺さない。
だが今は違う。
ここまでお膳立てが整って、その上で見逃せば、自分はこれから悪を名乗る資格さえ失うだろう。
血を吸い、封印をとく。
死に掛けようが、封印が解けるまで血を吸おう。
その後、まだ生きていれば見逃そう。
だがなにもせず見逃すことはできない。
血を吸わないという選択を選べば、自分の意志力の腐敗が決定的となってしまう。
「生き残れるよう祈っておけ。神かわたしか、千雨にでもな」
その言葉にどういう意味があったのか。
結界に拘束されるネギの首筋にエヴァンジェリンが顔を近づける。
ネギがもがくが意味はない。
もしここでこいつが本当に死ねば、学園は一体どうするのだろう、とエヴァンジェリンは彼女らしくもないことを考える。
停電の迷彩も思いのほかうまくいっている。ネギが闘いながら大きく場所をかえたこともあり、監視しているというスタンスを見せたくないと考える学園の人間はこの状況を正しく認識してすらいないだろう。
エヴァンジェリンが首筋によった口を開く。
一瞬の間を空け、牙を突きたてようとして、エヴァンジェリンはこちらに近づいてくる覚えのある魔力を感じとった。
視認出来ない速度で跳ぶ呪いの魔弾。
風と同化した呪いがその場にいたもの全員に降りかかる。
だが直前でエヴァンジェリンが手を一振りする。さすがに全盛期の吸血鬼。それだけで、ネギとエヴァンジェリンに向かっていた呪いは吹き飛んだ。
完全に牽制用だったのだろう。遠目にみてネギはすでに血を吸われる寸前だった。狙いをつける暇もない。だから当たっても死にはしないレベルでの広範囲式の一撃を放ったのだ。
牽制のために薄められた病魔の呪い。
吸血鬼にはそよ風に等しいようなその一撃。だがそれでも、エヴァンジェリンに誰が来たかを教えるには十分だ。
ネギから離れたエヴァンジェリンを見て取って、第二派を撃とうとしていた魔力を抑え、彼女はエヴァンジェリンたちの前に降り立った。
「先生。あんまり恥ずかしい台詞を叫んでんじゃねえよ」
ポツリと一言。その言葉にネギではなくエヴァンジェリンが言葉を返す。
「喜べ、坊や。お前の血を吸うのはお預けだ。お前の願いどおりあいつも吹っ切れたみたいだぞ」
喜べと口にする吸血鬼。
だが、彼女が現れたことを信じられないような顔をしてみているネギよりもだれよりも、ネギを殺そうとしたところを中断させられたエヴァンジェリンこそが一番喜んでいるように見えたのは気のせいか。
そんな笑顔を隠せないエヴァンジェリンが言葉を続ける。
「よくもまあ、この場でわたしの前に立てたものだ」
「……まあ、先生が頑張ってるしな。わたしだけ逃げられねえよ」
「そりゃいいな。愛の力ってか?」
バカ言ってんじゃねえよ、と千雨がため息まじりに口にする。
エヴァンジェリンがおかしそうに笑った。
「それにしては遅いお着きだったみたいだがな」
その言葉に千雨が罰の悪そうな顔をする。
当たり前だ。
明日菜やカモが倒れふし、ネギはぼろぼろで血を吸われる寸前だったのだから。
だけど今、彼女はこの場にこうして戦場に立っている。
――――先生、わたしは助けないぞ
そんなことを繰り返した少女は、自分のことをわかっていた。
長谷川千雨がネギ・スプリングフィールドに対して怒ったことがあった。だが、あれはネギのためを思った行為ではない。
あれは彼女の怒りの吐露であり、ネギのためのものではなかった。彼女は彼女のために行動し、そしてネギがその行動に感謝した。
それだけのことだ。それだけのことのはずなのだ。
だが、だからこそ、彼女はこの問題を傍観できるはずだと言い聞かせなければならなかった。
そう繰り返しておかないと、自分はきっと流されて、最後にはネギに手を貸すことになるだろうと。先生を助けるため骨を折る羽目になるだろうと予想していたのだ。
それは完全に正しかった。
うっかりもののカレイドルビーの依代が、そんなに賢いはずがない。
そのツケが、この結果。
エヴァンジェリンが言ったように、ネギがうすうす気づいていたように、長谷川千雨はバカモノなのだ。
そんな彼女が、ネギ・スプリングフィールドのあんな言葉を盗み聞きして、そのまま諦観できるはずがない。
遠目でこの状況を確認してしまった以上、もう彼女に逃げ道はないのだ。
「では、千雨。改めてお前に問いかけよう。お前がここに立つその意味を」
ギロリとその魔眼に睨まれる。
千雨はそんなエヴァンジェリンの言葉にあまりビビッていない自分自身に驚いた。意外と自分も単純らしい。
呆れ顔のルビーを従えて、エヴァンジェリンの前に立つ彼女は真っ赤な顔をしたまましぶしぶと口を開く。
「そうだな。…………なんかマジっぽいからさ。あたしも加わるよ、先生側だ」
そんな、あまりに今更の一言を。
◆
呪いを被せられたのか、結界で縛られているのか、ネギ・スプリングフィールドは動かない。
しかたなしに千雨はガンドを撃ちながら牽制し、場所をかえようとする。
さきほどの風邪を引く程度で済むような温いものではない、完全に攻撃用の一撃だ。
ガンドとは呪い、呪詛である。
ボールを投げて相手に当てるのとはわけが違う。呪いとは呪いを行った時点で完結しているものだ。
つまり本来はタイムラグや攻撃としての軌跡は関係ない。
本来は避けるのではなく呪詛返しという形でしか受け切れるものではない。
拳銃を避けるのは出来ても、指差されるのを回避するのは生半可な行為ではないからだ。
ルビーからならった千雨の呪詛は、ある程度指向性を持ったものだが、やはりその速さは普通の人間がどうにかできるものではない。
長谷川千雨は呪いが得意。エヴァンジェリンなら闇の魔法向きと評するだろう。
呪いであるから物理的な対処は難しく、そして威力はルビーも文句の付けようがないレベル、手加減すら難しい致死性だ。
戦闘のセンスは欠片もないが、その圧倒的な唯一つの技術だけで、本来ならば千雨は負けない。
だが、その魔弾の軌跡は視線と千雨の意識に依存するため、速度と技術だけがない。いや、ないわけではない。
銃弾クラスの速さに十分に計算された弾道だが、それがただ届かない。
単純に相手が悪すぎるのだ。
たとえエヴァンジェリンが魔力を封じられていても危ないというのに、今回の相手は万全なのだ。
全盛期のエヴァンジェリンは、ただでさえ千雨の一撃を正面から受け止められる存在な上、戦闘経験値に差がありすぎる。
「ほう、お前の得手もフィンの呪いか。とんでもない威力じゃないか」
「――ああ、くそっ、一発くらい食らっとけよなっ!」
「そうだな、食らってやってもいいが全部力まかせで弾いてしまったら、お前もうやることがなくなるだろう? お前の希望を完全に絶ってしまうこともないだろうしな」
千雨がげんなりとした顔をする。
意味がないと思いつつ一応力を抑えてみたりもしていたのだが、遠慮はいらないらしい。
千雨はこの後の及んでいまだに最強の吸血鬼を名乗る少女の言葉を話半分できいていたことに気づいた。
世界最強とは、世界で最も強いということだ。
吹かしでなく、本当にそうなのだとしたら、遠慮するほうが馬鹿らしい。
後ろのポケットにはルビーが調達し、千雨が加工したいくつかの宝石のアクセサリーが入っているが、使用する気にはとてもなれなかった。
たいして魔力もこもっていないし、そもそも効かないと分かっている攻撃に安くはない宝石を試し打ちはしたくない。
唯一エヴァンジェリン相手でも使えそうなルビーを呼び出した赤い宝石もあるが、こっちは使えばルビーが消えてしまうとあっては、ここで使用できるはずもない。
値段にびびっているといってもいい。
千雨はこんな状況でも対価を冷静に演算していた。アンティークを惜しげもなく放出したネギとは随分な違いだ。
変なところで千雨は未だに冷静である。
しかし千雨の考えとは裏腹に、エヴァンジェリンは千雨の技量に本気で感心していた。
ルビーはまだしも千雨がこれほどやるとは思っていなかったからだ。
流石といってやるべきか。
単発でうたれる呪いを千雨の指の動きから避け、呪詛を封じることで無効化し、反対に氷柱を雨霰と飛ばしていく。
「なかなかやるな。だがやはりまだまだだ」
「こっ、このやろ……手加減くらいしろよなっ!」
「バカモノ。約束どおり精一杯手加減してやってるだろうが」
それが本当だとわかっているから千雨の文句も続かない。
千雨にかすった氷柱が地面を削る。
千雨の服が凍った。
これが体に当たればどうなるか。想像もしたくない。
エヴァンジェリンが10ずつ飛ばす氷柱を20に増やし、30に届かせて、40を過ぎるころには千雨はガンドを撃つ暇もなく避けるだけだ。
空を飛ぶエヴァンジェリンに対し、重力をある程度操れても空を飛べない千雨の体術では限界がある。
地面を駆け回りながら避けていく。エヴァンジェリンの一撃がアスファルトを削ったのを見たあとに、あれをわざわざ防壁で防ぎたいとは思わない。
ルビーのサポートをもらいながら、思考を高速に走らせて動きを読み取り、十手先まで予定を立てて後はその通り動くだけ。
それを三手ごとに更新して、誤差修正。それをひたすら繰り返す。
直感や修練を持たない素人用の戦闘技術。
心得もないままにルビーの技術をそのまま流してもらっているだけだ。平行世界からの技能流用。
だが、それもまだまだ甘い。動きに隙がありすぎる。
千雨が撃つ魔弾は一発たりとも当たらない。
本来千雨が本気で撃つガンドは人にとっては致死性だ。
エヴァンジェリンだからこそ軽口をたたいていられるが、その呪いは威力だけを見るならルビーですら再現不可能な病魔を携える腐食の呪い。死の呪い。
相手が封印が解除された今のエヴァンジェリンだからこそ、千雨も遠慮なく撃っているに過ぎない。
それでもその様な攻撃を受けつつ、早く数が多いといってもお返しに放たれるの千雨でも避けられるレベルの魔法のみ。
ニヤニヤと楽しそうに笑うエヴァンジェリンが放つのは、決定的なものではない。
いたぶっているのとは違う。恐らく楽しんでいるのか。
いや、それも違うか、と千雨は氷柱を避けながら、分割した二番目の思考で考える。
エヴァンジェリンはやはり殺したくないのだ。
ルビーが甘いという気持ちも分かる。
事故で殺すか弾みで殺すか、殺してしまえばそれを受け入れる器量がある。
殺さなくてはいけないとか、こちらを殺しにきた存在とか、殺さなくては礼を逸するものをきちんと殺し返すだけの度量もある。
それなのに、生かしてもよいものにたいしては臆病と言ってすらいい。
彼女は心のどこかで、このまま時間切れとなってこのチャンスを棒に振ることすら望んでいる。
氷の刃が地面を削り、病魔の呪いが空に消える。
そんな攻防を繰り返し、先に千雨が焦れてきた。
もともと戦いなど未経験の素人なのだ。追体験で半強制的に学習し、理論を得ただけに過ぎない。
戦闘を行う力を得ても、戦闘を行い続ける心がない。
的を打ち据える力があっても、相手に当てるまでの駆け引きが出来ない。
純粋に戦闘状態に耐え続けるだけの心の強さがない。
攻め手が見えないから千雨は動きが取れない。
だが、それはつまり。つまり、隙さえあるならば、
「千雨さんっ!」
千雨がその声ににやりと笑う。
いつのまにか拘束を破ったネギが杖を持ち、24を数える光の矢を撃ち放つ。
だが、それでもエヴァンジェリンには届かない。
ネギの放った光の矢を片手で撃墜し、余裕綽々にもう片方の手を千雨の放った呪いの魔弾に掲げるエヴァンジェリン。
ネギの光弾、千雨の魔弾、そしてエヴァンジェリンの氷柱が夜空をかける。
三人の思考が絡まって、その拮抗が無限に回転する戦闘図。
互い違いの魔法の乱舞が夜の空に百を越える線を引く。
とめられない戦い、止まらない戦闘。
ネギが動き、そしてエヴァンジェリンが動き、そして千雨が動くその図式、
絡繰茶々丸がその光景に息を吐き、戦う三人の顔に笑みが浮かぶ、そんな戦い。
あまりに美しく、だからこそそれは誰かが止まれば、すべてが崩れる脆さを内包し、
――――そして、その瞬間が訪れる。
千雨が力を引きずり出して撃った、時間差を付けて飛ぶ二条の魔弾。
光の矢を止められて、必死にあがない杖を掲げるネギが放つ雷雨の矢。
それを余裕綽々に見ているエヴァンジェリンの氷の嵐。
そしてその間を裂く、従者の悲鳴。
どこまでこの学園は彼女たちを呪っているのか、ネギたちとエヴァンジェリンとのつばぜり合いのさなかに絡繰茶々丸より叫びがあがる。
「っ!? まずい! 予定よりも7分27秒も復旧が早い! マスター、学園結界が復活しますっ!」
その叫びが起こった瞬間、ネギは動きを止め、千雨は自分の打ち出した魔弾の軌跡を思い起こし、エヴァンジェリンは回避に魔力を注ごうと動き出し――――
「きゃんっ!?」
可愛らしい悲鳴が響く。それは最悪に近いタイミングだった。
結界が力を出すエヴァンジェリンの体を打ち据えて、さらにその魔力が封印される。
拮抗を保っていた光の矢がエヴァンジェリンの矮躯を貫き、動きを止めた体に千雨の呪詛が突き刺さる。
ネギの雷、雷光を伴う大突風。エヴァンジェリンの氷の魔法と拮抗していたそれは威力を落としながらも、鉄を削るほどの一撃だ。エヴァンジェリンのまとっていた魔道衣が千切れ飛ぶ。武装解除とは明確に異なる死の要素を内包する一撃である。
カハッと、その一撃に空気を吐き出すエヴァンジェリン。だが、まだ終わらない。
さらに続くのは2射が連なる病魔の呪い。まず一撃目に病魔の汚染。
ネギの一撃をまともにくらいながらもエヴァンジェリンが朦朧とした腕を振り上げて、受けてはいけない一撃を片腕を犠牲に受け止める。
ギリギリで臓腑に当たるのは防いだ。
白い肌が黒く染まりその病の素を撒き散らす。
頭や心臓に当たれば死んでいた。
衝撃でバランスを崩し、羽をむしられた吸血鬼が空中から落下する。
その背に続く第二撃。一撃目に付き添う死病の呪い。
ネギの魔法と千雨の一撃で意識を半ば以上に奪われたエヴァンジェリンに避けるすべは存在しない。
エヴァンジェリン・マクダウェルが本来の力を取り戻せていたからこそ、牽制として撃っていた呪いの魔弾。
それは今や彼女の命を奪う力を持つ一撃へと変わっている。
誰一人間に合わない。
神楽坂明日菜のもとにいた絡繰茶々丸が主の下へ飛ぶが、彼女の思考はそれが間に合わないことを知っている。
魔法の矢の制御に力を注いでいたネギ・スプリングフィールドでは力が足りない。
絡繰に捉えられ、動きを封じられたカモと明日菜たちは今は意識すら刈り取られている。
彼らはみんな間に合わない。
彼らはみんな届かない。
そんな皆の視線の先で、意識を失ったエヴァンジェリンが落下する。
この戦いのさなか、一部の人間はちゃんと気づいていた。エヴァンジェリンが気づいていたように、ネギが理解していたように、長谷川千雨だって知っていた。
これがどれほど遊びを混ぜようと、道場試合などとは一線を画した殺し合いであることを。
だからこれはありえるはずの光景だった。
思考を停止させることはない。彼女の頭はいまこの場にいる誰よりも高速で回っている。
間に合わないなら、そのことを理解してその先を考える。
視線の先に、第2の魔弾に打たれようとするエヴァンジェリン。
放った矢の軌道はたとえ英雄でも変えられない。
止めを刺されるまであと一拍、あと一瞬、あとコンマ数秒のその命。
空を鳥のように飛ぶことも出来ず、地を獣の速さでかけることも出来ない千雨では間に合わない。
地を駆けようが空を飛ぼうが間に合わない。
もはや“一声出すくらい”の間しかない。
――――それは不可能を一時的に可能にする簡易発動型の魔術式よ。
間に合わない。
不可能だ。
だがまてよ。
人の反射すら挟めない微細な間隙を持って、千雨は思考をまわし解を得る。
分割され、高速に処理される千雨の脳内で思い出されるひとつの会話。
――――あなたが願えば発動するわ
たしか、自分に刻まれた文様に、疑問符を浮かべて問いかける千雨にたいしルビーがいった
これまで一度だけ使われて、千雨の命をエヴァンジェリンから救ったそんな技が存在した。
思い出せ、それは
「やめなさいっ!」
闇夜に響く大きな声。
だがそれは間に合わなかった。
千雨が思い切りがよすぎるなんて、あのときに身にしみて知ったはずなのに。
あの日から、ルビーは千雨の行動には干渉したが、それで人の根底が変わるわけがない。
ルビーは自分の無力さをかみ締めながらそれを見る。
――――ちなみにこれからは、令呪もわたしじゃなくて、千雨が恩恵を受けることに、
そんなルビーの言葉に対して、長谷川千雨は意味がないと笑ったけれど、この世に意味のないことなんて何もない。
なるほど、ルビー。お前はいつも正しいな。
「――――跳べ!」
千雨の口から漏れるただ一言。
その言葉が千雨に空を駆けさせる。
令呪が発動し千雨の体が吹き飛ぶように空を駆け、エヴァンジェリンの向かって跳んでいく。
そうして学園結界が復活したその瞬間から数瞬後。
ルビーの、ネギの、茶々丸の、すべてのものの視線の先。
エヴァンジェリンを蹴り飛ばし、代わりに黒い光弾に撃たれる長谷川千雨の姿があった。
◆
令呪はルビーに力を与える紋様だ。
本来は千雨に力を与えることなど出来ないはずだ。
だが、ルビーは知っている。自分に力がなくなり、その力は長谷川千雨に受け継がれた。
ランプの精が、己の力を欲した魔法使いに呪いごと力を渡したかのように、千雨はルビーの力とその特性を受け継いだ。
令呪という呪いもまた千雨の体に受け継がれる。
己が己を律する力の紋様。
令呪がルビーを制するもののままだったら、きっと千雨は躊躇した。
そしてきっと間に合わずに終わっただろう。
かつてエヴァンジェリンが断じたように、自分のチップこそが最も安い。
彼女がその文様に力をこめたその瞬間、瞬きの速さで長谷川千雨がエヴァンジェリンの前に跳んでいく。
結果、エヴァンジェリンを力の限り蹴り飛ばした千雨に死病の呪いが突き刺さる。
人を呪わば穴二つ。
だが自分を呪えば、そりゃあ被害者は一人ですむな、と千雨は笑う。
こんなときに笑えるのは千雨の成長とみるべきか。
ルビーならばそれは汚染と評しただろう、そんな自虐の笑みが千雨に浮かぶ。
肩口に受けた呪いが体に回り、即座に千雨を汚染する。
肺が傷ついたのか綺麗な赤色の血が口から吹き出た。
あたったのは右肩なのにこの様だ。頭で受けていないことを喜ぶべきか、避けられなかったことを嘆くべきか。
一瞬遅ければ自分ではなくエヴァンジェリンが受けていた。一瞬早ければ、自分もエヴァンジェリンも避けられた。
許容範囲の中の最悪か。いや、これで自分が死んだらそういうわけにもいかないだろう。
フィンの一撃は病魔の呪いだ。
打ち手も担い手も関係なく、本来の力どおりに呪いが千雨を蝕んでいく。
レジストなどできようはずがない。千雨は出力系だけが暴走した特化型の魔術師なのだ。
もともと空を飛べない千雨の体がエヴァンジェリンとともに落ちていく。
エヴァンジェリンも一撃目の呪いが弾けない。
エヴァンジェリン・マクダウェルは風邪を引く。花粉症で寝込む悪夢の使徒。
もともと吸血鬼は病魔に弱い。エヴァンジェリンは克服したが、それでも封印内でそれを十全に振るえるかといったらそれは嘘だ。
落下するエヴァンジェリンを茶々丸が抱きとめる。
「マスターっ!」
「騒ぐな。起きている。千雨もなかなかやる。結構厄介だな……力がでん」
「マ、マスター。学園結界が復活しました。撤退を提言します」
「ああ、だろうな。お前が気づかなかったということは、もともとそういうものだったということだ。気にするな。責任はあとで取らせてやる」
「し、しかし」
「大丈夫だ。戻るぞ。……別荘に行く」
言葉とは裏腹に弱弱しい声でエヴァンジェリンが言った。
その顔色は紙のようだ。
茶々丸も動揺を隠せていない。
「千雨さんは?」
「手は出さん。そういう約束だからな。あいつのことはルビーに任せておけ」
不死であるから、もともと回復は苦手なのだ。この場でルビーにアドバイスも出来ないし、人のことに気を回せるほど余裕はない。
病魔は感染前ならはじけるが、ここまで汚染された以上、別荘で本来の力を取り戻しても回復には時間がかかる。
あそこをかたくなに嫌っていたルビーも止むを得ないとなれば入るだろうが、どのみちそこでこの体の回復を待ってる間に長谷川千雨は死ぬだろう。
先にエヴァンジェリンが別荘にはいって、時間差を作っても半刻以上の時差が生じる。
自分ですらここまで損傷しているのだ。いくら呪術に耐性があってもただの中学生では十分と持つはずがない。ルビーが承諾しないだろう。
いや、そういう問題ですらない、とエヴァンジェリンは首を振る。
この状況に陥った以上、忌々しくあるが手は貸せないのだ。
エヴァンジェリンは口にした。千雨が千雨を傷つければ、それを彼女は助けないと。
人の言葉は裏切れても、自分の言葉は裏切れない。
これは忠告を無視して千雨が選んだ道なのだ。
エヴァンジェリンは口に血を滴らせながら考える。
神には祈らないが、ルビーと千雨と、そしてネギの器量に祈ってやろう。
すべてはあいつらの裁量に任される。
それがたとえ、どのような結末をみせることになろうとも、千雨はそれを許容させられることになるだろう。
引き金を引いたのはあの大バカモノ自身なのだから。
◆
空を駆け、、口から血反吐を撒き散らす千雨をネギがぎりぎりで受け止める。
胸にかき抱く千雨の体温がどんどんと下がっていくことにネギは顔を青くした。
決心はしていたはずだった。
だがそれはこのような場合の決心ではないのだ。
「千雨さんっ!」
「……先生。悪いけど、お、おろして……もらっていいか。ル……ルビーのところに……」
千雨が告げる。
その言葉に呼び出されるようにルビーが現界した。
「そのままでいいわ。ネギくん、わたしはルビー。千雨の師匠よ。悪いけどここは仕切らせてもらうわ」
ルビーを具現化したことで千雨が息がさらに乱れる。この程度の魔力行使にすら負担を感じているのだ。
具象化することでこれ以上千雨に負担をかけたくなかったが、ここでネギに頼らなければ千雨は死ぬ。
この娘は自殺願望でもあるのだろうか。ルビーはかつての弟子を一瞬思い返した。
「…………悪い、ルビー。同じような……マネを……」
「そんな謝罪はわたしやネギくんを不快にさせるだけよ。やめなさい」
珍しく、ルビーが千雨に対してきつい声を出す。
千雨はその言葉に弱々しく笑い返した。
あまりにもっともで、返す言葉が出なかったのだ。
だってそうだ。
エヴァンジェリンとの戦いのときとはまるで別。
この行為がルビーの怒りを引き出すことを、私は知っていなくてはいけなかった。
ネギに文句を言う資格などない、ただ衝動のみで行動している未熟者。
そんな人間のその結末がこの結果。
こうして長谷川千雨は死に掛けて、自己満足だけを残してその尻拭いをルビーに任せ、ネギを傷つけてしまっている。
意識が黒く染まっていく。
以前に感じた死の気配。
そうだった。
あいつが笑っているからあまり気にしていなかったけど、あの時はルビーの存在でわたしの暴走を補填したのだったっけ。
じゃあ、今度はどうなるのか。
今回の失敗はいったい誰がツケをはらうことになるのだろうか。
エヴァンジェリンの言葉がよみがえる。
わたしの失敗、わたしの未熟さ、それを誰が払うことになるのかと、千雨はそんなことを考える。
泣きながら、わたしの手を握るネギの姿がかすれた視界に大写し。
エヴァンジェリンに立ち向かったネギの姿を思い出す。
二度目の死に際だというのに、千雨の頭に浮かぶのは、目の前で泣く子供先生のことだった。
ネギ・スプリングフィールドが恥ずかしげもなく叫んでいた言葉を思い出す。
こいつが頑張ったのは、誰のためでもなく、わたしのためだったらしいのだ。
笑ってしまう。あれだけビビッた挙句の決心の種が、こんな間抜けをさらすような一人の生徒のためだなんて、本当にこいつは面白いやつである。
しょうがないから認めよう。もういまさら隠す意味もない。
こいつは本当にいい男だ。
そんなことを素直に思う。
ネギの姿が視界から消えていく。わたしの視界が暗くなる。
黒く染まっていく視界に埋もれながら、わたしは思う。
こんなことをしておいて、いまさら虫のいい願いだけれど、
このツケを、こいつに払わせるような結末だけは避けたいなんて、そんなこと。
◆
弱いからこそよいことがある。
無知だからこそ有利なことがある。
無垢だからこそ強いことがある。
この学園都市はホントにそうだ。
半端に力がある千雨が最も割を食っている。
ルビーは千雨を抱きしめながら泣くネギに事情を説明しながら思考する。
どうするか?
千雨のためならなんだってする。
そのためにはあらゆるものを犠牲にしよう。
だが、手がない。
以前の手はもう使えない。この身はすでに抜け殻だ。
いま自分の力を与えても、この病魔は払えない。
本来なら令呪でルビーに治癒を施させればいい。
だが、その効果はいまは千雨に譲渡されている。
千雨に千雨の治癒を任せるか?
不可能だ。千雨には癒しの魔術が使えない。令呪は1を10に出来ても0を1には出来ないのだ。
無理やり令呪を使って体を活性化させるのも恐らく無理だ。負担で千雨が持たないだろう。
ルビーが本来の力を振るい、宝石を全て使えば、このレベルの呪詛だろうと除去できる。千雨への力の譲渡をおろそかにしていたつもりはなかったが、楽観視のつけが出た。
千雨の魂の基盤として埋め込んだ宝石剣を活性化させれば、無限の魔力で病魔の呪詛が追い出せないか?
いや、ダメだ。同様の理由で、いまの千雨では制御する力が足りない。それに未熟な制御で剣を操れば筋繊維の断裂どころか、内側から破裂するだろう。
消えかけているルビーでは、宝石を使っても足りないだろうし、千雨の魔力は千雨への反動なしでは使えない。
令呪で活性化させて、宝石剣の制御をさせる?
それも無理。千雨側の修練がまだ足りないし、千雨側に余裕がない。無理やり起こしても千雨に行動を起こさせるのはほぼ不可能だ。
令呪とは劇薬なのだ。英霊だからこそある程度耐えているが、人の体には負荷が強すぎる。
長く補助を与え続けなければいけない場面とは相性が悪い。
わたしが千雨の体から一旦剣を取り出して使うのも無理。体から剣をぬけば病魔に関わらずそれだけで千雨は死ぬ。
いや、そもそも令呪を使わせるには千雨の意識が戻らなければいけないのだ。
ルビーは自分の思考が無駄に空回っているのを自覚する。
問題は純粋に魔力が足りないというただ一点なのに、それに対して打つ手がない。
手がないとルビーは首を振る。
だがあきらめるわけにはいかない。
ネギに説明を行いながら、何かないかと考えつづける。
「千雨さんが……あの、ボクに何か出来ることはありませんかっ。なんでも、なんでもしますからっ!」
ルビーから状況を聞いていたネギが泣きそうな声を出す。
単純に考えれば、それは良い提案だ。
この少年の魔力は強い。だが、それを使えない。
仮契約の術式か? それも無理。
この世界の魔法もエヴァンジェリンの協力もあって知識を得ているが、魔法と魔術はやはりべつもの。
ネギの魔力を千雨かルビーに送れれば手はあるが、それはパクティオーカードとやらを通して受け取っても意味はないのだ。
魔力のない千雨が魔術回路で魔術を扱うように、ネギの魔力を魔法力という形で受け取っても使えない。似て非なる力の源泉。
変換用の術式など組んではいない。ルビー自身は契約できず、アーティファクトにすべてを賭けるなんて論外だ。
だから、どうやったって――――
と、ルビーがその瞬間に表情を消した。
悲しみからでも絶望からでも、治療の手段が見つからないからでもない。
あまりにも明白な手が浮かんだからだ。
ルビーはすべての表情を隠して思考する。
仮契約の術式では取り出せない。人の魔力を使えない。
だが行き詰ったというわけじゃない。
始めて千雨にあった日にも言ったその言葉。己の特性、ルビーの立場。いまこの瞬間に立ち会うことになったその原因。
――――んーとね。そこらへんの人から魔力をすうってのはなかなか難しくてね。吸血鬼っぽく、血を絞ってそれを飲む、なんて手もあるけど、乱暴でしょう?
そういって笑ったのは誰だったのか。
そうつまり、この身、この体は血から魔力を取り出せる。
エヴァンジェリンが行おうとした手と同様だ。それを模倣すればいいだけだ。
簡単だ。この少年から血を抜き取って魔力を奪う。その魔力を使ってルビー自身が千雨を治癒すれば、それですべては解決だ。
――――効率はいいけど、ごまかすのが面倒くさいし吸われたほうも失血死、かるくても神経衰弱で参っちゃうでしょうね。
なあ、ルビー。なあ、わたし。なあ、後悔ばかりの英霊よ。それのどこが問題なのだ?
問題は何もない。とまどうことはなにもない。
いま世界はルビーと千雨とそれ以外で区切られているのだ。
弱りきったこの体。この体で力を振るうには、いったいどれだけこの少年の血を吸えばいいのかは分からない。
だが、エヴァンジェリンが狙ったこの少年。魔力に満ちたこの血をすべて吸えば、それができないはずがない。
ルビーは感情をすべて殺して、問いかける。
「ネギくん。あなたに頼みがあるわ」
感情のこもらないその微笑。
千雨をつれて付いて来いと、ルビーはネギを先導して空を飛ぶ。
ネギは無言でそれに付き従った。気絶するカモも、意識を失っているアスナも連れて行くことは禁じられ、ただ一人で魔女の後ろをついていく。
学園結界が戻った以上、ここにはこれから人が来る。処置はそいつらがやるだろう。
ここでネギを殺せば、問題になるだろう。そう“ここで”殺すのは少しまずい。
問題はただそれだけだ。
ルビーはそう考えて、郊外の森に向かって飛んでいく。
◆
かつてルビーの力が健在だったころ、彼女はこの学園について調べつくした。
図書館島をはじめとするいくつかの施設はさすがに無理だったが、郊外の森やその森に点在する山小屋は隅々までチェックしてある。
「千雨を寝かせて」
「は、はい。ルビーさん」
無駄に広い麻帆良の森、そこにあるログハウスに設置された緊急避難用のベッドに千雨を寝かせる。
千雨の意識はすでにない。
そうして、千雨を横たえるネギの後ろで、ルビーの姿がかすれていく。
おぼろげな姿、希薄な気配。千雨を受け止めることすら出来ないかつての英霊。
だがそれでも出来ることはある。
ルビーは無音でネギの後ろに回りこんだ。
「あ、あの。ボクは何をすれば……」
音はない。
そういいながら振り返るネギの後ろにはすでに誰もいない。
ネギは部屋の中を見渡すが、千雨と自分以外の姿を目視することは出来なかった。
少年が戸惑うようにあたりを見渡す。
「……ルビーさん?」
返事はない。
ルビーは霊体となった姿でネギの傍らに立つ。彼は自分が今まさに殺されようとしていることに気づいていない。
先ほどとここに来る途中にネギは、ルビーから千雨との関係を聞いている。
ルビーは千雨を助けようとしていると。
ネギはそれを疑っていなかった。
ネギは魔力障壁を張っていない。
ルビーのことを欠片も疑わず、純粋にルビーが千雨を癒すための方法を提案するのを待っている。
それに嘘はない。だが、ルビーの願いは千雨に向かっており、自分自身がそこにどうかかわるかを言っていないだけだ。
たとえ出力系が破損したルビーだろうと、生身の子供を貫くことくらいはできるだろう。
血を出してもこの場なら気づかれない。争う音も血の臭いも、視線すらさえぎる檻の中。
たとえルビーが魔力を行使しようが、その魔力は外には漏れない。
殺して、魔力を奪って、それを千雨のために使用する。
そう考えるルビーはネギの傍らに佇むままだ。
きょろきょろとあたりを見渡し続けるネギの傍らで、ルビーはほんのわずかに戸惑っている自分の心に驚いた。
(大丈夫。殺す。殺せる。わたしはこの子を殺せるはずだ)
ルビーは自分で自分に言い聞かせる。
手を突き出せば、彼は一撃で死ぬだろう。
彼は殺気を感じ取れていない。
ルビーは霊体化したまま手を振り上げた。
この状態のルビーを視認出来るのは基本的に千雨だけだ。
このログハウスには結界が張ってあるし、周辺には誰もいないことは、ここについた瞬間から監視し続けている。
無理やり突破するならまだしも、ルビーに気づかれずにここに入るのはあのアルビレオと名乗った男のレベルですら不可能だろう。
邪魔はぜったいに入らない。
(一瞬だけ具現化して、心臓を貫く)
千雨は怒るだろうか?
きっと怒るだろう。
他の生徒は怒るだろか?
いや、彼の生徒にはばらさない。
エヴァンジェリンは怒るだろうか?
エヴァンジェリンには隠せまい。
だが始まりはあの女。
死ねば、すべて隠蔽して行方不明として処理しよう。
千雨を優先すると決めた以上、最悪の最悪としてならばエヴァンジェリンに罪をすべて押し付けたっていいのだ。
エヴァンジェリンが怒ったら少し厄介だが、その場合は、こちらから先にエヴァンジェリンに対して動くことになるだろう。
だが、別にかまわない。だってこれはエヴァンジェリンが最初に提案したことだ。
――――血を奪って魔力を吸う。
人を殺す力と、その死体からの魔力吸収。
かつてルビーが憎んだ男の技術。
エヴァンジェリンが夢想し、千雨が嫌った悪の技法。
それをここで選択しなければならない皮肉にルビーは嗤う。
だけど、もう手がないのだ。
自分の失敗をこの少年とあの吸血鬼に押し付けるのは気が引けるが、それは躊躇の理由になっても行為の撤廃にはつながらない。
直情型のカレイドルビー。決心するまでの鈍さはあるが、決心してしまえば、その決意が鈍ることも途切れることもありえない。
そうして、ついに、
無防備に、いまだあたりを見渡すネギの心臓に、ルビーがその腕を突き出して――――
◆◆◆
「そういえばさ、停電日の夜に、外ですごい音がしたよね」
いつものようにざわめく、3-Aの朝の教室。
宮崎のどかがそんな言葉を口にする。
「ふーん。ホント? わたしずっと起きてたけど、そんなの聞こえなかったなあ」
「わたしも知らないです」
話題がなくなって、会話が終了した瞬間に振られたその言葉に、机にぐだっとつぶれていた早乙女ハルナと紙パックをすする綾瀬夕映が答えた。
離れた席で、ピクリと神楽坂明日菜が反応したが、それにのどかたちは気づかない。
早乙女ハルナはさきほどから机に突っ伏したままだ。
「でも停電日かあ。そう言えば、その日からよね……。うーん」
ぶつぶつと独り言をつぶやくハルナを、停電日の翌日からこのような言葉を繰り返す彼女になれている残り二人は当たり前のように無視した。
「そういえば、夕映。宿題やった?」
「ハルナ、やってないのですか?」
「だって量が多いじゃん。まさか夕映がもう終わってるの?」
「失礼な。でもまあ、わたしはのどかに手伝ってもらいましたから」
「えー。ネギくんの宿題だからって張り切ってるなあ、のどか。わたしも呼んでよー」
「でもパル、昨日は放課後に職員室に押しかけにいっちゃったよね。帰ってくるのも遅かったし、あれ何しにいったの?」
「んー? まあいろいろとねー」
思い思いの会話をしている教室。
カラカラと教室の扉が開く。
姿を覗かせたのは、病を癒したエヴァンジェリンと、エヴァンジェリンに付き添う茶々丸だった。
「あっ、エヴァちゃん。ずーっと休みだったじゃない。やっぱり風邪?」
「そうだ」
目ざとくエヴァンジェリンを見つけたまき絵の言葉に一言で答えるエヴァンジェリン。
その言葉に嘘はない。週の初めは本気で風邪を引いていたし、それを翌日の満月に無理やり治したものの、その後はその後で千雨の放った病魔に苦しんでいた。
エヴァンジェリンは答えながら視線を教室中に走らせた。誰かを探すようなそんな仕草。
「へえ、流行ってるのかなあ。なんか風邪で休んでる人が多いよね。アスナが休んだのは驚いたけど」
「わたしも驚いたわよ。バイトも休む羽目になったし…………一晩外に放置されたからね」
もれ聞こえる会話に明日菜が突っ込む。後半のつぶやきはまき絵の耳にはとどかなかった。
バカレンジャーの名に恥じず、まき絵も明日菜もこれまで風邪で休んだことはない。
先日、明日菜が休んだときはかなり騒ぎになったのだ。
「アスナがカモくんと朝方帰ってくるんやもん。おどろいたわぁ。ちなみにカモくんはまだ獣医さんのところやねえ」
いつもの口調で木乃香がいうと、エヴァンジェリンが鼻で笑った。
「そうか。お前らは風邪を引かないと思ったがな」
「ちょっと、どういう意味よっ!」
「そういう意味だ。大声を出すな。頭に響く」
風邪と花粉症を併発して学校を休んでいたエヴァだ。
ずる休みも多いようだが、本当に病気になることもあるだろうと、3-Aの生徒たちはエヴァンジェリンの返答に満足して、またクラス内で騒ぎ出す。
エヴァンジェリンはそれに頓着せず、再度教室を見渡した。
やはり長谷川千雨はいなかった。風邪で休んでいて情報が足りない。あいつがいれば話が早かったのだが、やはりネギか神楽坂明日菜にでも聞くしかないのだろうかと、エヴァンジェリンは考える。
ルビーの教えが聞いているようで、情報統制についてはしっかりしてるらしい千雨のことだ、風邪とでも言ってあるのだろう。
さよもたいしたことは伝えられていなかったし、誰に聞いてもたいした答えが返ってこないであろうことは明白である。
どの道すぐ聞くわけにはいかないようだ。
そうして、エヴァンジェリンはあたりを見渡し、最後にもう一度教壇に眼をやったあと、その視線をはずそうとして、
「――――――――――――はっ?」
あまりの驚きでその視線を教壇に立つ人物に止めていた。
エヴァンジェリンの口から驚きの声がもれている。
教卓の前に立つその姿。
3-Aの教師が立つ場所にいるその人物。
それの姿を見たエヴァンジェリンがいつもの平静とした姿を保てない。
これはいったいどういうことか。
あまりに予想外の光景だった。
ちょっとばかり想像できなかった光景だった。
タカミチが予備教師として復帰しているくらいだったら彼女は欠片も驚かない。
ネギがいつもどおり立っているだけなら、あの日の夜のふがいなさと、そこそこの頑張りを思い出しながら無視の一つでもしただろう。
たとえルビーが立っていたって、この吸血鬼がここまで驚くことはなかっただろう。
物事というのは、深刻ならば深刻なほど冷静さを保つのが重要で、この吸血鬼が驚きをあからさまにするなんて状況は珍しいなどというレベルではない。
そんなエヴァンジェリンがあまりの驚愕に声を抑えることも出来ず、教卓に立つその人物を見つめ続ける。
冷静沈着を是とする吸血鬼。
そんな百戦錬磨の吸血鬼が動揺を隠せない。
そりゃそうだ。
だって、いま目の前にいるこいつは、この魂の持ち主は、
「……おまえは」
と、動揺を隠せないまま搾り出すようにエヴァンジェリンが口を開き、
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千雨は自殺しすぎだといわざるを得ない。エヴァ遭遇戦のときもルビーはこんな心境でした。千雨再々自滅編。エヴァ編は終わったといっていいものか。顛末については次回。即バレしてそうな気もしますが、適度な伏線というのがいまだによく分かりません。スルーしてください。
ラストについても名前を出してから終わりにするかを本当に悩みました。というか最初はもう少し進んで終わる予定でした。結構長くなったし、余計に展開ばれてたたかれそうなので、次まで引っ張ります。一応オリキャラではありません。こんなこと言っておいてばればれだったら恥ずかしいのであんまり深く考えないでください。
ただこの先の展開は絶対に受け入れられない人が出てくると思います。次がいまから怖いです。
あと、だからっていうわけじゃありませんが、いい区切りにもなったので、次回で定期更新はいったんストップしたいと考えてます。
でも次回の更新は来週の予定です。
それでは。