第3話 誕生日を祝ってもらう話
令呪の焼付けとそれが失敗に終わったと知ってから数日。
知らぬ間にわたしの部屋に描かれていた魔方陣やら、どこで調達したのかわからない宝石の詰まった宝石箱やらに突っ込みをいれながらも、一応はなにごともなく日常が過ぎていた。
先日の図書館島の事件についても、一応は逃げ出せたということなので、わたしからはとくに何も言う必要はない。巻き込まれないように天に祈るだけだ。
千雨からできることは何もない。一度ばれたらおしまいだと口を酸っぱくさせていたルビー自身の間抜けっぷりに文句を言うだけだ。
だが令呪もどきの刺青は刻まれたままだし、ルビーもこの色を失った令呪を本当に機能する令呪に変えるために奔走しているようだ。今のところ成果はないがこのままということはあるまい。
ルビーはいやに頑張っているが、張り切るというより焦ったようなその表情に文句も言えない。
大浴場をこっそり使わなくてはいけなくなった身としては、まあ頑張り続けてほしいものだが、図書館島の件といい空回りしている感が否めない。
そんなある日の日曜日。
ごそごそと衣装棚をあさっていると、実体化したルビーから声をかけられた。
「何してるの千雨? コスプレ?」
ずいぶんなご挨拶だ。
ちなみにコスプレのことはばれている。
いきなり窓から部屋に飛び込んでくるような相手では隠せない。
刺青のことといい、こいつが来てから心労がたまるばっかりである。
これで趣味までを封印する羽目になってはわたしが心労で倒れてしまう。ネットアイドルのことははばれるものとして打ち明けていた。
苦渋の決断だったが、ルビーも自分が変人という自覚は持っているようで別段引いたりもしなかった。
「ちげえよ。これから、宮崎と出かけるんでな」
万年みつあみで伊達メガネをかけるような身の上だが、休日に友人と出かける際に、服を選ぶくらいにはまだ女を捨てていない。
「へえ、最近仲がいいわね。でもいいの? 今日はネットで何かイベントがあるんでしょ? えーっと、チャットだっけ? それに参加するとかなんとかいってたじゃない。いや、友人を優先するは結構なことだけど」
「あいかわらずパソコンは苦手なんだな。魔法使いってのはみんなそうなのか? まあ、今日のはあいつの好意だしな。断るわけにも行かないさ」
「好意?」
キョトンとしたルビーの顔。まあ知らなくも無理はない。
わたしは服を選びながら顔を向けずに理由を言った。
「――――ああ、今日はわたしの誕生日なんでね」
◆
そんな出来事のつい前日。
「長谷川さん、明日は誕生日ですよね」
中学二年もそろそろ終わろうかという二月一日の土曜日に、宮崎からそんな電話を受け取った。
「ああ、そうだな。覚えててくれたのか」
はい、と答える宮崎の言葉に微笑んだ。純粋に嬉しかったからだ。
正直今のクラスで一番仲がいいのはこいつである。
隣の席にいる綾瀬ともその繋がりでそれなりに会話するようになった。
早乙女だけはわたしが嫌煙気味なために、良好とはいえないが、まあ険悪というわけでもない。
人の繋がりを実感するべきか、このおとなし目のクラスメイトの意外な交友関係の広さに感心するべきか。
いや、どちらかといえば、わたしの交友関係の狭さにため息を漏らすべきか。
「ですから、明日都合がよければ一緒に出かけませんか? お祝いもかねて」
「ああ、そいつは嬉しいね」
是非も無い。なるほど、あまり友人を作らずにいた身だが、やはりこういうのは純粋に嬉しいものだ。
こいつが友人となったのは本当に幸運だろう。
正直ルビーに出会った日の一番の幸運じゃないか?
その後、わたしたちは、待ち合わせ場所や時間などを決めたあと、無駄話に少しばかり花を咲かせてから電話を切った。
それがつい昨日のことである。
◆
それを説明するとルビーは怒ったように口を開いた。
「ちょっと、千雨って今日が誕生日だったの?」
「あ、ああ。そうだけど」
くう、となぜか悔しそうにうなった。
「そういうことは言っておいてよね」
何が不満なんだこの女は。
「別段言うこともないだろ。なんだ、祝ってくれるつもりなのか?」
ずいぶんと殊勝なことだ、と笑いながら言うと、ルビーは当たり前でしょと胸を張った。
正直驚く。こいつはいいやつなのかどうなのかがよくわからなかった。
誕生日はプレゼントよりも呪いをかける一要素、くらいに思っていそうなくせに。
「あんたは桜さんのことを第一に優先してんだろ。そんな暇あるならそっちをやるほうがいいんじゃないか?」
「……いや、でもあなたにはいろいろ世話になってるわけだしさあ……そんなに邪険にすることはないじゃない」
なぜか傷ついたようにルビーが言った。
世話になんてなってないだろう、と思ったが、口にはださない。
「今年はしょうがないにしても、来年の誕生日には絶対にすごいプレゼントを贈ってあげるから覚悟しておきなさい」
なぜそんな攻撃口調なのかよりも、来年もいる気でいることのほうに驚いた。
こいついつまで居座る気だよ。
しかもルビーは来年もいることが決定事項のごとく、何も違和感を感じてはいないようである。
こいつの目的意識というのはどうなっているのか。
ふくれっつらをしているルビーを見ながら、わたしはそんなことを考えた。
◆
さて、ルビーを適当にあしらったあと、わたしは予定通り宮崎との待ち合わせ場所に向かっていた。
ルビーはついてくる気はないようで姿を消した。まあ、わたしの誕生日プレゼントを探しに言ったわけではあるまい。ああ入ったが、やつの一番の優先事項は桜さんのことであるはずだ。
いつものように、何かしら桜さんのために暗躍しているのだろう。
宮崎との待ち合わせ場所についたときに、すでに宮崎はそこにいた。
ルビーとであった公園のベンチに座っている。横には少し大きめのディバックが置いてあった。
下世話な想像をはたかせれば誕生日プレゼントだろうか。
時間としては十五分前なのに、ずいぶんと律儀な性格だ。
ちなみにほか三人の姿はない。
そもそもこの提案が突然なのだ。
やつらにも予定があるということだったので、わたしが無理に都合をつけることはないと、遠慮したのだ。
あいつらが迷惑というわけではないが、基本的にわたしは騒がしいのを好まない。
それに、つい前日から親しくなった友人の友人だ。わざわざ予定をキャンセルするほどではないだろうに、わたしから断らなければ、彼女たちは無理にでも都合をあわせそうだった。
何かとうっとうしいクラスメイトではあるが、こういうところだけは素直に尊敬できる。
「早いですね、長谷川さん」
笑い声がまぶしくてたまらない。ほんとにこいつは性格がいいなあと思いつつ、軽く返事代わりに手をあげた。
「わたしよりも早く来ておいてその台詞はないだろ」
その台詞に宮崎は少し笑った。ジョークのつもりでもなかったが、まあいいか。
わたしと宮崎はいつものように、軽い会話を交わしながら、歩き始めた。
その後はとくに騒ぐことも無く、店を冷やかし、適当な店でお茶をすることになった。
それなりに雰囲気のある喫茶店でお茶を頼んで、二人そろって伸びをする。
「わりと疲れたな」
「そうですね」
ニコニコと笑いながら宮崎が言う。目は長めの前髪で隠れているが、その口調に疲れは見えない。
実はわたしはこいつよりも体力がないのだろうか。
頼んだアイスティーで口を湿らせていると、宮崎はディバックをテーブルの上まで持ち上げた。
「そういえば、長谷川さん。あらためて誕生日おめでとうございます。これ誕生日プレゼントです」
「ああ、実は期待してたんだ。ありがとな。宮崎の誕生日は五月だったよな。まあ適当に期待しておいてくれ」
中から取り出されたのは紙袋だった。
ふむ、と首をかしげながら中身を改める。
「……これは、本か?」
「はい、わたしが厳選した悪魔祓いに関する本と.無人島に持っていきたい本のベストスリーです」
プレゼントに本を選ぶとはなかなか勇者である。そしてそれとは別に、わたしが以前に言った言葉をばっちり覚えている宮崎に驚いた。
「へえ、悪魔祓いってのは前にわたしが言ったからか?」
「はい、オカルトな出来事に巻き込まれたとか言っていたのが気になってたんです」
「はー、そりゃあ気を使わせちまったなあ……わたしの巻き込まれたってのはたいした内容でもないんだが」
実際はたいした内容だったわけだが、ここで暴露も出来ない。
「そうなんですか? 幽霊に取り付かれたとか、言ってませんでしたっけ」
そこまではいっていないはずだ。……たぶん。
たしか、オカルトに巻き込まれたという話、そして悪魔祓いに興味を持ったとか何とかだったか。
なるほど。かなり的を射ている。
さすがに魔法について話せるものではないが、かといって誤魔化すのも仁義に反する。
そういえば、と思い出す。
ルビーの言葉だ。この学園都市全体に張られている魔法の結界とやらには、魔法や幽霊や妖怪や悪魔や吸血鬼やその他もろもろのおとぎ話どもに対して、違和感を感じさせない呪いがくっついているらしい。
そのため、あの学園にいる人間は、ルビーにして魔法使いが多すぎると証された学園内においても、魔法の存在に気づかずにすごせている。
ちなみにわたしが幼少より、人から嘘つき呼ばわりされて、みなが平然とする出来事にいちいち胃を痛くしていたのはこの結界の所為らしい。
しかし、ここは麻帆良学園から遠く離れている。結界とやらもここまでは作用しないだろう。ここで迂闊に魔法について話せば宮崎がそのまま魔法について納得しまうかもしれない。
一度納得すれば、さすがに学園に戻っても魔法についての真否について疑問も持つだろう。
それは避けたかった。
だがその反面、宮崎に秘密を共有してもらいたいという願望も否定できない。
「あーっとな。幽霊っぽいやつに取り付かれたってのはマジなんだよな。われながらそんなもん信じてなかったんだが、あの日は自分でも、なんつーか、安心を得るためって言うかさ。手当たりしだい除霊だかを試してみたいって気分だったんだよ」
少し悩んだが、結局言葉を選びながら少しだけばらすことにした。
「もう大丈夫なんですか?」
とくに変な目を向けるわけでもなく、この質問が出来るって言うんだから流石だ。一ヶ月前のわたしだったら、生返事と翌日から距離をとるような対応だけで済ませただろう。
「一応、自分の中でまとまりはついたな。だが、こいつはありがたく貰っとくよ。一度起こったからには二度目が起こらないとも限らないしな」
そういって、宮崎の持ってきた本を軽く持ち上げて見せた。
「そういってもらえると木乃香さんたちも喜ぶと思います」
「近衛? ああ、もしかしてこれって近衛が選んだのか?」
だが、それに宮崎は首を振った。
「はい。ただ、選んだのはわたしも一緒です。宮崎のどかのベストスリーですから。夕映や木乃香さんたちと一緒に選んだんですよ。今日は用事もあるってことでみんなはこれませんでしたけど、長谷川さんにおめでとうって伝えてほしいって言っていました」
「ああ、ありがと」
宮崎は少し笑ったようだ。本当に性格で損をするやつである。
「木乃香さんは凄い真剣に選んでくれました。今日も来れればよかったんですけど」
「まあ、あいつならわたしも歓迎できるけどな」
正直なところ、いまだに早乙女への苦手意識が抜けないわたしが言った。遠慮してもらった面もある早乙女や綾瀬たちと違い、近衛は純粋にはずせない用事があったらしい。
「木乃香さんはオカルト研究会ですし、興味があるなら長谷川さんもお話されてみるといいと思います」
「検討するよ。だけどどちらかといえば、もともとわたしは、オカルトに深入りしないために魔法だのを調べていたんだがな」
肩をすくめた。
「魔法、ですか?」
ああ、口が滑った。わたしはバカか。
軽く舌打ちをひとつする。だがここから誤魔化すわけにもいくまい。
「あー、まあな。魔法だよ。あまりにバカらしいからだまってたけどな、ほかのやつには黙っといてくれると嬉しい。ああ、だけど宮崎がなんか困ったことがあったらいってくれ。魔法についちゃあわたしはこの間から一家言持ちだからな。力になるよ」
このあたりが返事としては妥当だろう。
宮崎は目を白黒とさせながらも、それ以上聞こうとはしなかった。
この辺が宮崎の助かるところである。他の三人だったらこうは行くまい。
わたしとしても、これ以上話を続けるのもなんなので、椅子から立ち上がった。
そろそろいい時間である。
「そろそろ出ようぜ。わたしに付き合ってもらっちまったが、宮崎も寄りたい店があるんだろう?」
ちなみに伝票は割り勘にしてもらった。お互い裕福でもない学生の身だ。そういうところはこだわるのである。
◆
帰り道は夕暮れを少し過ぎていた。空には半月から少し膨らみ始めた月がある。
「わりと遅くなっちまったな」
「そ、そうですね……」
明るくもないが暗くもない。
だが、宮崎の口調は完全にこの暗闇におびえていた。
「まあ大丈夫だろ。お化けだって出るのは新月の晩だろうし」
「ふふふ、だったら狼男と吸血鬼なら満月の晩ですね」
恐怖を紛らわせるためにとたたいた軽口に、宮崎が乗ってきた。
「じゃあ満ち欠けしてりゃあ人間か。変質者は正直吸血鬼よりも厄介そうだけどな」
「そういう人は麻帆良学園には入って来れないと思いますから」
だろうな、と頷き、無言で歩く。
この学園の治安はかなりいい。広域指導員をはじめとして、そのようなシステムに関しては充実しているのだ。学園都市という警備しやすいシステムもあるが、深読みすれば、ルビーが称する魔法学園としての一面なのだろう。
まあだからといって、宮崎のように、変質者よりも幽霊を怖がるのはやりすぎだとは思うが、その辺は個人差なのだろう。
結局宮崎は女子寮に着くまで緊張を完全にとくことはなかった。
◆
部屋に入り、部屋着に着替える。
「おかえり。遅いお帰りね」
すでに帰ってきていたルビーが話しかけてきた。
「お前はわたしの母親かよ」
「あらあら、ご挨拶ね。友人との親交を祝福してるってのに」
着替えながら生返事を返すと、意外に食いついてきた。
着替えが終わって振り向くと、ぽいと何かを投げられた。
反射的に受け止める。それは短剣風のアクセサリだった。
チェーンがのびているが、全長は三十センチちかくある。さすがに首からは下げられまい。装飾品にしては大げさすぎた。
驚きながら持ち上げて、なんとなく鞘を引く。すらりとごてごてと装飾が付いた鞘が特に抵抗もなく外れて、白刃が顔を見せた。
アクセサリどころかマジモンの短剣だった。
あまりにあまりなものに返す言葉を失った。
「……なんだこれ?」
「誕生日プレゼントよ。都合してきたわ」
「そういうことを聞いてるんじゃないんだが」
本気の顔で首を傾げられた。
「護身用よ。それくらい持ってないとまずいでしょ」
「もってたほうがまずいに決まってるだろ。銃刀法違反だ……てか本気で常識ないのか」
「しっけいね。それくらい知ってるわよ。だからそれもカバンに入る大きさでしょ。あと、心配なら隠蔽くらいはしといてあげる。周りからはナイフじゃなくて鞘が固定された装飾品に見えるようにね」
そういう問題ではないが「ほんとは火を噴いたりするのがよかったんだけどねえ」などと呟くルビーに文句を言う気力もおきない。
「じゃあ、ただのナイフってことか?」
「もう少し高尚よ。荒事苦手そうだし、あなたは魔力運用についてはなんにも覚えようとしないんだもん。銀加工なのよ。細工もしてあって性能はミスリルにちかいわ。意思を伝えやすいから幽霊とかそういうのにもある程度有効よ。これはあなたとは無関係の部分でのナイフの付属効果だから、変なのに目をつけられる心配もないし、普通のナイフとしても十分使えるわ。気休め用のプレゼントね」
装飾もかっこいいでしょ? とルビーが微笑んだ。
か弱い女子中学生に何を持たせる気だ。
刃渡りは十二センチといったところ。肉厚はかなりある。
銃刀法違反のラインはどれくらいだったか? うろ覚えだが、六、七センチといったところではなかったか。十センチ越えは論外だろう。
そもそもナイフという形状が非日常的過ぎる。装飾品といったが、ペーパーナイフとしてはごつすぎるし、わたしだったらこれをポケットに入れている人間と付き合いたいとは思わない。
「やり方によっては普通のナイフが通らないような化け物とも渡り合えるわよ。吸血鬼とかね」
これでナイフの有効性を宣伝しているつもりなのだから、困ってしまう。
「女子中学生にナイフで化け物と切りあえってのか、おい」
「まあだから気休めよ。正直本気で人外に襲われるようなことになったら何を持ってても千雨じゃ太刀打ちできないでしょうし令呪に関して本当にどうにかしないとまずいわねえ」
ルビーが言う。
じゃあ意味がないだろと思ったが、わたしがナイフを携帯する羽目になるのはこの女の中では決定事項のようだ。
純粋にプレゼントのつもりなのだろう。センスは皆無だが、好意は好意だ。わたしはやつの忠告に従って、ナイフをカバンにぶち込んだ。もう一生出すことはないだろう。
「それにしても、令呪かあ……」
呟いて腕をさすった。刺青はいまだに腕に刻まれている。袖の奥なので、いまはまだどうにかなっているが、健康診断などについてはまだどうするかを考え中だ。ちなみに体育の授業では隠れながら着替えて、授業自体ではそのものは長袖のジャージを着用している。
「正直なところ、今となっては令呪が使えるようにすることよりも隠す方法を調べてほしいよ」
「緊張感がないわねえ」
「吸血鬼に襲われる心配よりも、身体測定で村八分にされるほうがよっぽど現実的で深刻なんだよ。ちなみにナイフで悪魔を撃退するより、警察に捕まる心配のほうが重要だ」
「命がなきゃなんにもならないのよ。といいたいところだけど、交通事故にビビッて外出できなくなるような真似も困るしねえ。次は、そっちも考えて調べて見ましょうか」
「どうするんだよ? というかそもそも何を調べてるんだ?」
興味もなかったので聞いていなかったが、このナイフを見る限り、骨董品屋巡りでもしているということだろうか。
だが、軽口のつもりの言葉の返答は、ルビーからとんでもない発言として返ってきた。
「魔法の国に侵入して、令呪を成功させるための祭具を探してくるのよ。今はその準備中」
軽く語られるにはぶっ飛びすぎである。
「……魔法の、国?」
「いってなかったっけ? この世界には魔法の国があるのよ。この間図書館島で調べてたのはその辺の内容だし。えーっとね、世界がいまこうしてあるわけだけど、もうひとつ同じような世界が位相をずらして存在して、何本かの橋でつながってる、みたいな」
初めて聞いた。
愕然としたわたしに対して、ルビーはキョトンとした顔を向けた。
「んなのがあるのか?」
「ええ。一大国家どころじゃないわよ。魔法の国というより魔法世界といったほうがいいかもね。惑星レベルの隠された世界。はっきり言ってこっちの世界をまるごと侵略できるんじゃない? 一回進入したけど、航空力学だけじゃあ太刀打ちできないような飛空挺が空を飛んでたわ。聞いた話だと武道大会が開かれるような国の中で人外が格闘主体で切磋琢磨を繰り返し、魔法やら気やらが隠されていない世界って感じみたい。あとすごい物騒ね。わたしはいきなり半殺しにされたもの」
その辺はよく知ってるでしょ。とルビーは笑った。
魔法使いがこの世界に住んでいるどころのレベルではない。隠れ住むのは魔法使い自身の保身のためではなく、劣等人種への温情か?
はっ、マグル保護法が実在するとは笑えない。
ちなみにわたしはあのベストセラーがあまり好きではなかった。ファンだという宮崎と話をあわせるのに苦労したものだ。
絶句しているわたしにたいして、ルビーは言葉を続ける。
「千雨。あなたに夢が逆流しちゃった日のことを覚えてる? わたしがボロボロになったからあなたの魔力を貰った日のことだけど」
「……覚えてるよ」
今でも夢に見てうなされているくらいだ。それを告げてはいないが、早々忘れられるものではない。
「そう。あの日のこといってなかったけど、わたしその魔法の世界に侵入してたのよ。少しだけ入っていきなりばれて……で逃げるときにちょっとトラブったの。入るのも特殊だったけど帰るのがまた大変でね。奥の手を二つくらい使って無理やりこっちに帰ってきたんだけど、それでもあのとおりぼろぼろよ。この世界においても魔法技術に関してはわたしはトップレベルだと自信を持っていえるけど、それでも勝手がいろいろと違ったから流石にへましちゃってね」
「まさかつけられてわたしが巻き込まれるなんてことはないよな?」
「んー、安心していいわよ。まあ騒ぎ自体は珍しくもないみたいで追手はかかってないみたい。そこはちゃんと調べたわ。この世界はかなりぶっ飛んでるけど、わたしだって凄さでは負けてないもの。わたしこれでも超一流なのよ」
普段のルビーを知っているだけに、素直に信じることは出来ないが、わたしの心の平穏のために頷いておく。
ただね、とルビーは言葉を続けた。
「でもまあ、世界が変われば基盤も変わるし、人が違えば常識もまた違う。そして、種族が変わるなら、そのレベルもまた変わる。犬が住む村の中、切磋琢磨して最強の座を得て、とある犬が王となる。そして四苦八苦の末に空を滑空する術を得て空に浮く。だけど、ある日川を一つ越えてみれば、そこは翼の生えたトラの住む町だった」
ニヤリ、とルビーが自嘲気味の笑みを浮かべた。
「参るわね。こういう経験は何度かしてるけど、この世界は桁外れだわ。世界最高峰ってんなら、わたしのいた世界の常識でも対抗できるけど、アベレージは比較にならない。学生の剣士がセイバークラス、十歳の魔法使いはキャスタークラス、使う魔術は魔法並みってね」
ルビーが肩をすくめた。
「……」
「どうしたの?」
しかめっ面をしているわたしにルビーが言った。
「頭がパンクしそうなだけだ。魔法世界かよ。知らないままよりはいいが、この世界って実はもう魔法使いに征服されてるのか」
「そこまではいわないけどさ」
「で、あんたはあんたでそこに潜入するってのか? いやに令呪にこだわるけど、そんなことしてまでやる必要ないんじゃないか? 魔法の国とやらに潜入なんて、聞くからに物騒だ。リスクにリターンがあってないだろ。わたしには正直令呪のメリットってのが分からないよ」
なぜかわたしの質問にルビーは黙った。だが、その顔はあきらめる気はないと告げている。
「……で、潜入するってのはどういうことだよ」
「まんまよ。わたしはパスポートは持ってないからね。こっちの世界で魔具を集めるよりも、向こうの世界のほうがはるかに簡単に手に入る。身分を隠すことが前提だから質よりもそもそも手に入れることが大変なのよ」
「桜さんの件に関係あるってことか?」
「……まあそうね。あなたの令呪を正式に機能させるためにも道具は必要だし……」
「はあ」
深くため息をつく。ルビーに引く気はない。
「ごめんね、千雨。いろいろと迷惑かけちゃって。何かわたしに要望は?」
そんなものひとつしかあるまいさ。
「せめて、事情を全部話しておいてくれよ、魔法使い。ごまかしなしで本音をな」
わたしは魔法に関わりたくなかったはずなんだがなあ、本当に……
◆
「じゃあ、行ってくるねえ」
次の日に、さっそくルビーはここを留守にすると言い出した。
昨日の会話がきっかけになったのだろう。
「図書館島でミスしたっていうのは言ったでしょう? あれから少し警戒が厳しくなって、情報集めができなくなってるのよ。ほとぼりを冷ます必要があるわ。外に出るときにすこし騒ぎを起こして、わたしが外の人間だって思ってくれれば、それだけでも収穫といえるし」
「お前、本当に気にするなあ、それ」
「まあね。魔術師は秘匿にかけちゃあリスよりも臆病なのよ」
「で、そのついでに魔法の国で情報を集めてくるってことか?」
「少し違うわ。もうある程度情報をつかんだから、実践編。魔法世界に再挑戦して、出来れば令呪に関するものを取りにいってくるのよ。ここ数週間で前に魔法の国に行ったときの傷もいえたし、図書館島の失敗はいい区切りだったかも」
「こだわるなあ、令呪に。それよりも早く誤魔化す方法を調べてくれよ」
「幻術じゃ魔法使いにばれちゃうだろうし、一般人にも魔法使いにもばれないようにって言うのは難しくてねえ」
包帯を巻くのが一番いいと思うわよ、という自称魔法使いにあるまじき言葉を発する。
「おまえなあ、包帯は十分異質なんだよ。腕に包帯巻いたクラスメイトをうちの連中がほうっておくと思うか? 刺青刻んどいてその言い草はねえだろ。魔法使いなんだろ。パパッとどうにかできないのか?」
「なにいってるのよ。根源以外の魔術やこの世界の魔法っていうのは、究極的に言えば科学技術の代用品よ。ある程度のレベルに至らない限り魔術師はコンビニを利用する一般人よりも格下なんだから」
誇りだけは高いのばっかりだからきっと本人は認めないでしょうけどね、とルビーは笑う。
そんな会話がつい昨日。
ルビーは宣言どおりに、気をつけてなんて定型どおりの言葉を残して、魔法の国とやらに出かけていった。
現れた翌日から遠出していた女だ。数日期間をあけて遠出することは良くあったが、今回は数週間から数ヶ月レベルということだったので、子供に留守番を頼む母親のごとき小言をわたしに残して旅立った。
現れてから心労ばかり積み重ねてきたが、いなくなればいなくなるで騒がしい女である。
彼女はこの街に残るわたしを心配していた。しかし、ついていくのは立場的にも内容的にも不可能だし、意味がない。
彼女はわたしをこの街に残して旅立った。
わたしからすれば杞憂すぎる。この街で数年を過ごし、ルビーに会うまでは魔法どころか変質者のひとつにも遭遇しなかった身の上だ。
わたしの心配より、魔法の世界に忍び込もうという自分自身の心配をするべきだろうとわたしは笑った。
それを受けても、やはり少しだけ心配そうな顔をしてルビーは旅立つ。
ルビーの言葉と、わたしの言葉。どちらが正しかったのかとか、どちらの印象に従うべきだったのかなんて、終わってから言っても詮無きことだ。
だが、しかし。さすがに無限の時を歩んだというだけあって、
――――わたしはほんの数日で、わたしの身を心配するルビーの言葉こそが完全に正しかったことを知るのであるが。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
幕話というかだんだん本編の続きみたいになってますが、幕話と本編の3を更新しました。
ばれたら終わりですが、ばれなきゃ話が進みません。
次回でさらに場面が動きます。
この先も一話ごとに幕話と本編を更新していこうかと思っています。たぶんですけど。
あと実は次話はもう書きおわってるんですが、一時的に加速してすぐに減速してもなんなので、定期更新というスタイルでいきたいと思います。なので、次回更新は一週間後を予定しています。