「おい、出てこいよ。ルビー」
長谷川千雨がそういうと、当の本人である千雨の体が薄く光る。それがだんだんと強まって、一分もせずにその光に呼び寄せられるかのようにカレイドルビーが姿を見せる。
「はあい、呼ばれて飛び出てこんばんは。なにか御用、ご主人さま?」
ふざけた台詞とともに姿をあらわす幽霊もどき。
カレイドルビーが休眠状態から復帰して、長谷川千雨の体の中から現れた。
幕話5
そうして夕刻を大きくすぎた夜の学校の一部屋で、二人の幽霊と一人の人間が顔を突き合わせていた。
エヴァンジェリンと教室で別れたあと、別れ際に言われた言葉を確かめるためにルビーを呼んだ。
いま相坂さよがいるのは、長谷川千雨の隠れた性分からだろう。あそこで彼女を放っておくという選択肢は千雨には存在しない。
実は姉御肌なのだ、とルビーなら茶化しただろう。
「まさか教室で千雨がわたしを呼ぶとは思わなかったわ。そっちのお嬢さんに関係あるの?」
さすがにばれる。出てきたルビーはまず相坂さよのことを聞いてきた。
千雨は今日あった出来事と、先ほどエヴァンジェリンにいわれた言葉を説明した。
「うーん、じゃあ千雨がばらしちゃったのか。思ったとおり、一回ばれ始めると連鎖するわねえ」
「ご、ごめんなさい」
「ちっ。やめろよ、ルビー」
さよが怯む。初対面の彼女にとってルビーは得体の知れない魔法使いという印象だ。
さよがおびえるのを見て、千雨がルビーを睨んだ。
「わかってるわよ。別にもうしょうがないし。でも千雨、あなたからばらしたんなら、あなたも責任を持つのよ」
「だからこうして相坂をつれてきたんだろ」
わかっていると千雨が肩をすくめる。相坂さよに自分から干渉した以上、相坂が魔法の騒動に巻き込まれることに関しては、自分が責任を持つ気でいた。
たとえそれが自分の立場をばらすことになろうとも、この先ずっと相坂を無視し続けるよりははるかにましだ。
「そう。わかってるならいいけど。……もうここの安全は確認し終わったし、たぶん大丈夫だろうから、そろそろこの学園にあなたのことをばらしてもいいころでしょうし……というよりこうなってくると、もうばれてるって可能性もあるわよね」
肩をすくめながら言うルビー。
悲観的な言葉だが一理ある。エヴァンジェリンのようなとんでも女がいた以上、この教室が常に監視カメラで見張られていたっておかしくはない。
「それ以前の問題として、ばらしちまうってのはありなのか?」
「そりゃあね。もともと“わたし”という存在だけが問題なのよ。わたしはあまりに異質な存在だから、知恵を探求する魔術師にばれるのはまずかった。だから秘密裏に動いていたわけなんだけど」
「だけど?」
言葉をとめたルビーに千雨が問う。
「エヴァンジェリンを含め、この学園は秘密に対して寛容すぎるほどに寛容だった。捜査がぬるいというわけじゃなく、秘密を持つものへの対応が、という意味でね。たぶん千雨のことも、魔法生徒とやらの登録をしない限りは、事情がある一生徒として位置づけられるだけでしょう。監視すらされない可能性が高いは。それくらいこの学園は混沌としている。最低限令呪を待つつもりだったけど、千雨、学園にばらしておくというのは、すでに妥当すぎるほど妥当な選択肢の一つになっているのよ」
「…………そういうことなら学園にこっちからばらす気はない。気づいてないならそれでいいし、向こうが気づいてない振りをしてるなら、それに乗るだけだ」
状況は刻一刻と変わっている。千雨の秘匿に、ルビーの持つ情報量、そしてコネ。エヴァンジェリンというツテを手に入れた以上、すでに秘匿は最善ではない。
だがその言葉に千雨は首を振った。
予想はしていた台詞だった。ここで説得する気もないルビーは特に反論もせず、そう、とだけ言って頷いた。
それに千雨にはそれ以上に話すべきことがある。
そうして、千雨は相坂さよのことを説明した後、早々にエヴァンジェリンの言葉を問いただした。
彼女が力を失っているという内容である。
「んっ、そうね。エヴァンジェリンから聞いたの?」
しかし、それにあっさり肯定する姿に逆に千雨が戸惑う。
「弱ってるって言ってたけど、そこまで深刻なのかよ……。じゃあ、ルビー。お前いまは実体化とか言うのができないのか?」
「無理やりなら実体化くらいはできるけど、力を振るえないのよ。出力不足みたいなもの。わたしは魔力をつかって実世界に干渉してるから、そこが壊れちゃってるいまは正真正銘の幽霊か一般人みたいなものよ。あなたと一緒ね、相坂さん」
「あ……でも、わたしは自縛霊で……」
相坂さよのことは知っていたのか、ルビーは千雨と一緒に教室の中にいる幽霊に対してあまり詮索めいたことを口にしない。
「わたしも千雨に括られてるようなものよ、あなたは土地でわたしは人。いまだって千雨の力を使って空中に肉体を投射しているだけしね」
「なんだよそれは……」
げんなりとした顔で千雨がつぶやいた。
ルビーはそんな千雨をいつものように笑って誤魔化す。
「あはは、ごめんごめん。もうわたしは千雨に吸収されているようなものだからさ。千雨を通してじゃないと力を振るえないのよ」
「どういうことだ?」
「あなたが死んだときに吸収されたから。いったでしょ?」
「言われて理解できることとできないことがあるんだよ。なんだ吸収って。お前はここにいるじゃないか」
「あの、それに。長谷川さんが死んでいるって……」
相坂が口を挟む。さすがに幽霊だけあって死んでいるという言葉は聴き捨てるわけには行かないのだろう。
「ああ、相坂。つまりだな、あーっ、わたしがエヴァンジェリンに襲われたとき、とち狂って自殺しかけたって話はしたよな? 死に掛けたときにルビーが自分の体を使ってわたしを治したんだと。粘土じゃねえんだからそんなことできるのかいまだに眉唾だけどな」
「そんなことできるんですか」
千雨が相坂さよに説明した。
千雨の言葉にルビーが苦笑する。
「うーん、すこし違うのよねえ。自殺じゃなくて死んでるの。言ったでしょ千雨、死に掛けと死は魔法と魔術くらい別物よ。エヴァンジェリンが行ったのはあなたの治療で、わたしが行ったのはあなたの蘇生。まあ、あなたの粘土って言う発言は実はかなり的を射てるんだけど。わたしの魂であなたの魂の欠損を埋めた……みたいな」
千雨と相坂が顔をしかめる。とくに相坂さよにとって魂とはいまの自分自身そのもの、魂だけの存在である。その彼女にとって魂が粘土と同列に扱われるのはさすがに衝撃が強かった。材料とか粘土とかいわれれば気も悪くするだろう。
「ちなみにこれからは、令呪もわたしじゃなくて、千雨が恩恵を受けることになるわね。どっち道今のわたしが令呪を使われてもぜんぜん力が出せないから、ちょうどいいんだけど」
「……ちょうどよくないだろ。それって意味あるのか?」
千雨が最高にいやそうな顔をした。今の千雨が出力10倍の奥義を使ってもたかが知れてる。
十倍された一の力が、所詮100には勝てないのだ。
「ばっかねえ。3つの願いを自分ために使えるってのは、ランプの精時代から至高のものなのよ。あなたあの名作を見てないの?」
「見てるよ。うるさいなあ。そういうことじゃなくて、実用面の話だろうが。それに幽霊とか粘土とかよくここでいえるな。ちょっとは相坂に気を使えよ」
先ほどから無言になっていたさよを見て千雨が言った。
「ああ相坂さんはあんまり気にしないほうがいいわよ。わたしはちょっと特殊だからね。わたしは、というよりもわたしと千雨の関係がちょっと特殊なのよ。べつにあなたを使って人を生き返らせることは出来ないし、わたしと千雨だってこの間みたいなことは奇跡中の奇跡よ。死者蘇生は魔法じゃないけど魔法レベルの事象だもの。あなたはもうほんとにどれだけのことをしたのか自覚しなさい」
ぴんっ、とルビーが千雨をつつく。千雨がおでこを押さえて後ずさった。ルビーの言葉を信じればこの行為もすべては千雨の力を流用して行っているはずだ。千雨にとっては納得いかない。
「あの、魔術と魔法っていうのはどういうことでしょうか? 生き返るのは魔法っていうのは……」
相坂さよが口を挟む。
「ああそうだよ。だったら相坂も生き返れるんじゃないのか? いや、そもそも生き返るってのは魔法使いに取っちゃあ当たり前だったりするのかよ」
千雨がうんざりしたような顔で言った。
さすがにそこまで行けば、魔法使い以外の人間はいい面の皮だ。
だがルビーはその問いには首を振った。
「うーんすこし説明が難しいわね。ちょっと言い方が悪かったかな。わたしの言葉とあのエヴァンジェリンとかいうのの言葉は別だから……」
「別?」
「別ですか……?」
千雨と相坂が同時に首をかしげる。
「魔法と魔術、魔術と奇術。わたしは魔法使いでこの学園は魔法学園。だけど、わたしからすれば魔法使いはこの学園にはわたし一人って言うことよ。えーっとね、この学園では秘匿されている技術をまとめて魔法と定義しているの。千雨には説明したわよね。相坂さんは知ってた?」
「えっ! い、いえ……そんな風に考えたことはありませんでした」
突然の問いに相坂さよが首を振る。彼女も魔法の存在は知っていた。だが魔法は魔法だ。呪文を唱えて杖を振る。そこに定義を当てはめようとしたことはない。
「そう。まあ魔法以外にも“気”をつかう拳闘とか剣術とかいろいろあるみたいだけど、これもまあ魔法の一種よね。魔法生徒って定義されてるくらいだし。あなたのクラスの桜咲刹那だっけ。あの子はそれよ。この学園で言うところの“気”をつかえるはず。この学園で言う魔法の定義はこのような“科学外の技術”の総称よ」
「は、はあぁ」
「そっ。でね、わたしの定義はすこし違うのよ。わたしにとってこの学園で魔法とか気とか言われるものはすべて魔術と定義されるの。これはただ名称が違うだけと思ってくれればいいわ」
「うーん、まあOKだ。一応分かるよ」
「わたしもなんとか……」
千雨と相坂が頷く。それにルビーは満足そうに言葉を続ける。
「この世界は魔法外と魔法で世界が分かれている。でもわたしの世界は普通と魔術と魔法の三段階に分かれているの」
「この学園の区別をさらに詳しく分けてるってことでしょうか?」
「んー、この世界の定義についてそこまで精通しているわけじゃないからなんともいえないけど、わたしのいう魔法の定義としては“その魔法以外では再現できないこと”が挙げられるわね。実際はまあ根源にたどり着いた技術の総称だからちょっと違うんだけど、まあいまは分かりやすく説明するわ。オンリーワンの技術、独占された技法、そんなところね」
ややこしくなってきたと千雨は腰をすえる。この女の説明はなかなかに分かりにくいのだ。
「魔法を唱えて杖の先に火を灯すのがここで言うところ魔法使い一年生。割れた花瓶を元に戻せば二年生。箒で飛べば三年生。だけど火をつけるのはライターを使えばいい。割れたガラスを直すなら新しいガラスを買えばいい、わたしはそういう技術を魔術と呼ぶの。エヴァンジェリンが光を飛ばして千雨の体を麻痺させたらしいけど、それくらいいっぱしの拳闘家なら力だけで再現できるし、薬を使えば千雨だって出来るでしょ。コンクリートを壊す一撃だって削岩機をつかえば子供だってできるわね。科学とは別の定義だけど再現は可能な技術、それがわたしにとっての魔術でここでは魔法とよばれるものよ。魔術においては空に飛行機が飛んでいるから研究されず、ここではそこに利便性を見いだすから研究される」
「はあー。なんかすごいですね」
「いや、すごくないだろ。ちょっと待て相坂」
ルビーの言葉に渋顔をしていた千雨が口を挟んだ。
「ん、なによ千雨」
「それ言ってることがおかしいぞ。再現もなにもそれじゃ再現になってないだろ。なんでライターの火と魔法の火が同列なんだよ。ガスがないのにライターが燃え続けたらそりゃあやっぱり科学を超越してるし、言葉が発火を起こしたらそれはどうしたってオカルトだ。火ってのはどう理屈をこねくり回そうが分子運動のはずだろ。声を発して火がおこるならこの世は炎であふれちまうよ。それにガラスを直すのとガラスを取り替えるのは全然別だし、人間が道具を使わずにコンクリ壊すのはそれはつまりは再現不可能ってことじゃねえか」
千雨が口調を荒げた。はっきり言って千雨にとって今のルビーの発言はまたお茶を濁す発言の一種だと感じられたのだ。
それもしょうがないだろう。千雨にとっての常識とルビーにとっての常識は別物だ。
ライターの火と魔法の火。なるほど、千雨の言にも一理ある。
小学校で理科を習えば明白だ。着火と発火は別物だろう。
だが魔術の定義にとってはそれは同義として扱われる。“燃え続ける火”という事象の定義と、発火には分子運動の加速が必要でその種火を持続させるには分子運動の暴走を続けさせるための燃料がいるという科学の定義、それが異なるから説明も難しい。
だがルビーも馬鹿ではない。彼女も魔術師として生きながらこの長谷川千雨が住む世界と同レベルの科学文明において一般高校生の中を秀才で通した人間だ。
いまのは自分の説明の不備であったことにすぐに気づいた。
「あー、ごめんごめん。混乱させたわ。魔術は過程ではなく結果で論ずる科学だからね。火が出ればそれは理由を問わないし、割れた窓ガラスが十分後にはまっていればそこに方法は絡まない。うーん魔法の定義から説明するべきだったかもね」
あまりに常識ハズレな魔術の概念に、現代女子中学生としての常識しか持っていない長谷川千雨と相坂さよは絶句する。なるほど、魔術師とやらが異端と呼ばれるわけである。
だがルビーはそんな二人には頓着せずに説明を続けた。
「魔法……これはわたしの定義で言うところのものだけど、こっちは誰にも再現できない技術のこと。独占された魔術を魔法と呼ぶって考えてくれれば分かりやすいんじゃない? この世界に炎という概念が存在していないなら着火は魔法と呼ばれるけれど、ガスコンロがたいていの家屋に配備されているならそれは魔術に分類される、そういう概念。世界でただ一人だけが再現できる技術を魔法と呼ぶの。相坂さんは千雨から聞いているかもしれないけれど、わたしはその中でも並行世界の干渉に関する魔法を操るわ」
ルビーはそういって肩をすくめた。自分の説明の荒さに自分自身であきれたのだ。
実際のところルビーのこの説明は少し違う。ルビーの言うところの魔法とは根源に到達する概念であり技そのものではない。独占された基盤も、唯一の使い手とし君臨できる魔法としての結果もその副産物に過ぎない。
だがルビーとしてもそこまで説明する気はなかった。話がややこしくなるだけである。知り過ぎないほうがよいことというのは確かにあるのだ。
それからさらに少しばかりルビーが説明を行うと、千雨たちは一応の納得を見せた。
もともと相坂さよも、千雨からルビーがこことは違う世界から来たことを聞いていたし、千雨は以前からルビーがこの世界の常識についてうんうんとうなっていたのを知っていたのだ。いまさらルビーが言葉の齟齬について説明することに不思議はない。
「じゃあ、ルビーさんは本当の魔法使いなんですね。平行世界の移動ですかあ。たしかにそれは科学だろうと再現できなさそうです」
「正確には移動は魔法ではないけどね。魔法は魂の運用や時間旅行、無の否定……いろいろあるけど第二魔法はその中で平行世界の基盤管理だもの。移動はわたしのオリジナル、移動自体は魔術のうちよ。誰でも出来て誰にも出来ない。今はないけど宝石剣って言う道具を使う裏技の魔術ってところ」
肩をすくめてルビーが言った。平行世界移動とは魔法を越える大魔術。矛盾のようで合理性にのっとったルビーの秘儀だ。これを説明しようとするなら一晩では足りないだろう。ルビーもとくに詳しく説明しようとはしなかった。
「魂の運用に時間旅行ねえ……。さっき言ってた死者蘇生は違うのか。てか無の否定ってバーチャルペアのことだよな。この間雑誌で読んだよ」
基本的に魔法にはたいして興味のなかった千雨は、相坂さよとルビーの問答を聞いているだけだったが、ふと思いついたのか口を挟んだ。適当な軽口である。
ちなみにバーチャルペアとはなにも存在しない空間からも発生する物質と反物質の相対存在のことである。ネットサーフィン好きの天才ハッカー兼、アイドル系サイトの管理人はネタ探しのために生半可に雑学に通じている。
「無の否定ってのは物がないっていう意味じゃなくて、概念がないってことよ。魂の運用も死者というより生きている人間の魂やそれが死後に集まる場所のことね。まあ魂は死後は拡散しちゃうからそれも違うんだけどさ」
ぜんぜん分からなかったので、なるほどと頷きながら千雨が肩をすくめた。
これ以上話を詳しく聞いてもきっと得るものはないだろうと判断したわけだ。
◆
そうして暗い教室の中、数十分の時間がたった。
魔法についての講義と、これからの指針を決め終わった後、会話の種はエヴァンジェリンのことに移っていた。
ここで会話の主導権を握ったのは相坂さよである。
数十年と会話に植えていた少女は人としゃべることが楽しくて仕方がないようだ。しかもそれが魔法使いと吸血鬼のこととなれば、興奮せずにはいられまい。
今日はじめて千雨に話しかけられたことと、エヴァンジェリンに言葉をかけられたことを話すと、ルビーはしたり顔でうなずいた。
「ああ、そりゃエヴァンジェリンには相坂さんが見えるんでしょうね。あいつはわたしも見えてたし」
「はい。今日も分かれるときに良かったなって言ってもらいました。たぶん長谷川さんとお友達になれたことに関してだと思うんですけど、でもそれって前からわたしのことが見えてたってことですよね……エヴァンジェリンさんはやっぱりわたしと友達になるのは嫌だったんでしょうか」
その言葉とともに相坂は落ち込んだように顔を伏せる。エヴァンジェリンの言葉を悲観的に捕らえて、自分を卑下しているのだろう。
「落ち込まないほうがいいわね。あいつってあなたと同じようなものなのよ、定期的に忘れられる吸血鬼。あの子ってば中学十五年生なんだもの」
「ふえっ?」
「はぁっ!?」
黙って聞いていた千雨がさすがに聞き捨てならない台詞に声を上げた。
「学校にくくられているらしいわ。自縛じゃなく他縛だけどね。500才を超える吸血鬼で、15年前からこの学園内に封印されているんだって。千雨もあいつの暗示をレジストしたらしいけど、たぶんあいつの封印がなきゃ無理だったとおもうわよ。魔術はわたし並、戦闘技術だとたぶんぶっちぎりでわたし以上ね」
「……んなトンでもないやつだったのかあいつは」
「そんなトンでもないやつを封印一つで放し飼いにするこの学園も相当とんでもないけどね」
「封印か。そういやそんなこといってたな」
ため息まじりのルビーの言葉に千雨が頷く。
「ここって本当におおらかよねえ。この学園の、いや、魔法使いの善性も信じざるを得ないって感じ。偉大で人のために生きる魔法使いのお爺さまってね」
「そうか? 吸血鬼が大手をふって満月の夜に生き血を吸ってる時点でこの魔法学校とやらの自衛も眉唾だ、それより良くそんなことまで知ってるな」
千雨の問いにルビーは軽く肩をすくめた。
「エヴァンジェリンと情報交換したからね。千雨が死んじゃったときに。まあ当然全部を語られたわけじゃないけど、わたしにだって目や耳がないわけじゃないし、ある程度は調べられるわ。で、あいつにかかっている封印には他者に中学三年生を繰り返す少女に違和感をもたれないようにする呪いが付加されているから友達を作りづらいのよ。暗示をかけてる相手だし、心情的な面もあるだろうけどやっぱり数百年生きると人間考え方が変わるものよ、そう簡単に友達付き合いは出来ないんでしょ」
ルビーは意外にもエヴァンジェリンを擁護する台詞を言ったあとに、相坂に向かって微笑んだ。
「だから相坂さんもあんまり気にしないほうがいいわよ。べつにあなたがどうこう言う問題じゃないし、エヴァンジェリンが性悪なだけだから」
「は、はあ……ありがとうございます」
ぺこりと相坂さよがひかえめに頭を下げた。なかなかに頷きにくい台詞だったためだろう。
◆
「で、相坂を生き返らせるってのはどうなんだ? これもやっぱり魔法なのか」
「へえ、気にしてたんだ」
「長谷川さん……」
千雨が何気なく続けた言葉にルビーがおもしろそうな声を上げ、相坂さよは嬉しそうに千雨の名を呼んだ。
「い、いや……相坂も聞きたがってたみたいだしさ。成仏してないならどうとでもなりそうだったし……それに今こうして相坂がいる以上は死んでないようなもんだろうし」
かあっ、と顔を赤くして千雨が言う。
「うーん、相坂さんには残念だけど、幽霊に肉体を持たせるのはかなり難しいわよ。半端な人形じゃあ魂が肉体だとおもってくれないし、生身の人間じゃあ拒否反応が起こる。相坂さんが肉体を作るには、世界レベルの人形術師を捕まえるか相坂さんがあと百年は修行する必要があるでしょうしね。わら人形ってのは藁を束ねればそれでできるってものでもないのよ。そもそもわたしも千雨に吸収されて実体化がきつくなったって悩んでるんだから、これで相坂さんが簡単に肉体を持てるようならいい面の皮よ。幽霊が現界して物質に影響を与えるのは難しいの」
ルビーはそういって肩をすくめた。
「でもまあ困難とは不可能ではないということ。できなくはないけど、相当大変よこれって」
ちなみに相坂さよはポルターガイストを起こして実世界に干渉することが可能なのだが、さすがにそこまではルビーも知らなかった。
「ああ、そういえばルビーも魔法が使えなくなったんだっけ……あんまり平然としてたから忘れるところだったよ」
ため息混じりに千雨が言った。
「あのねえ、最重要事項よ。わすれないでほしいわ」
「いやだって、ルビーにはなんか手があるんだろ?」
あまりにあっさりと述べられた千雨の言葉に、むしろルビーと相坂さよが目を丸くした。
「そうなんですか、ルビーさん?」
「えっ、いや……なんで? 千雨」
「なんでもなにも、お前は桜さんのことがあるじゃないか。それが出来なくなったってんならそんな悠長にはしていないだろ」
平行世界のことは聞いていても、桜に対するルビーの執着については詳しく説明されていない相坂が首を傾げる。
しかし千雨にとってこれは当たり前すぎるほど当たり前のことだった。
もともと千雨はルビーが来た当初からそのことを言われてきたのだ。
カレイドルビーは桜のために召喚されて、桜のために行動していたはずである。
それが一時的なマスターであるはずの長谷川千雨に干渉して、その結果この世界でなにも出来なくなるような状態に陥るはずがない、とそう考えていたのだった。
だから、
「いや、もうわたしは元には戻らないわよ。永遠に」
そんな馬鹿げた台詞には、さすがに返す言葉が出なかった。
◆
「バカかてめえっ!!」
桜のことを含めて語り終わった後、千雨は相坂さよやルビーが見ていることも忘れて大声で怒鳴っていた。
相坂さよが飛び跳ねて、これを予想していたルビーはこっそりと防音の結界を張っていた。
「しょうがないでしょ。あそこで千雨を見捨てるわけにも行かないじゃない」
「そりゃ感謝するが、てめえの目的はどうなんだよ」
思わず口調の荒くなった千雨が愚痴をもらすように言った。
ルビーの力が自由に振るえなくなったと聞いたときに、長谷川千雨がもっとも先に考えたことだった。。
桜さんを助けにきておいて、マスターであるという理由だけでわたしなんかを助けて、なにも出来なくなったなんて意味がない。
もともと桜さんを助けるというルビーの目的をあの夢を通して知った千雨が、その真摯さとルビーの執念に納得したからこそ、乙女の二の腕に刺青が刻まれることまで許容したのだ。
ルビーは令呪とは桜を助けるための道具であるといったが、これでは話が始まらない。そう考えて長谷川千雨は大きく怒鳴る。
そして、長谷川千雨が怒鳴った理由はもう一つ。彼女は魔法は知らないがバカではない。魔術は知らないが愚かではない。
そう、彼女が怒ったのはこの能天気な背後霊が、きっとこの長谷川千雨の苦労も考えず、
「――――まあ、大丈夫よ。千雨はわたしのポテンシャルを受け継いだはずだから、千雨がわたしの代わりに魔法を使えばいいんだものね。命のお礼と考えれば安いものでしょ?」
なんて台詞を当たり前のように言うであろうと予想できてしまったからにほかならない。
◆
「んで、出来ちまうんだもんなあ……」
あきれたように千雨が言った。現実を信じたくない気持ちがその瞳から見えている。
千雨はじりじりと黒ずんでいく紙切れをつまんでいた。
火種はなし。千雨はルビーの言うとおり手を動かし、ただ呪文を唱えて紙を指先でなぞるだけでそれを発火させていた。
「千雨の体に干渉して力を使わせているのよ。どう、簡単でしょ」
「簡単ちゃあ簡単だがな」
「うわーすごいです。魔法をじっくり見たのは初めてですけど……」
いやいやといった口調の千雨と、興奮する相坂。
そんな二人にルビーは苦笑いを隠せない。まだまだこれは初歩というのもおこがましいのだが、やはり魔術師として育っていない以上この程度が千雨が千雨として振るえる力の限界である。
だがそれでも彼女はとくに困るということもない。だってこれはわたしの目的そのままだ。
うっかりもののカレイドルビー。強情っぱりのカレイドルビー。素敵で無敵な魔法少女のカレイドルビー。
彼女は足掻く。桜のためにいま何が出来るだろうかを考えて、桜のために自分に何が出来るだろうかを考えて。
桜のためという呪いの元、彼女はこの世界でもどの世界でもあきらめるということはない。
千雨が死んだのは予想外。
だけど、それでも、
――――この結果は幸運かもね。
ルビーはその光景を見ながら微笑んだ。