夜の帳が落ちて早数時間。
わたしはまだ眠れずにいた。
何も不思議なことはない。明日は休日だし、わたしはいつもはもっと夜更かしをしている。
ネットアイドルとしてチャットルームにいたり、いろいろと内職をこなしたり。
だが今日はなにもせず、ベッドに横になりながらマンジリもせずただ思考のみを働かせていた。
そう、わたしが考えるのは一人の少年、魔法先生のネギスプリングフィールドのことだった。
ネギ先生にえらそうな説教をたれて数時間。
なにをすることもなく、わたしはただぼうっと天井を見つめている。
自分の言葉を思い返し、その薄っぺらさに苦笑して、その結末を自問する。
先生は罰を受けにいった。
それは先生の所為だが、わたしが引き金を引いたことだった。
まあ、いつかはどの道こうなったはずだろう。
わたしが行ったのはそれを早めたに過ぎない。
だからその所為で先生が先生を辞めることになるとか、オコジョにされるとかを気に病んでいるわけではない。
わたしがいま最も悩んでいること。
それは、
「…………ネギ先生、ねえ……」
こうして名前をつぶやいた瞬間に起こる、ホンのわずかな頬の熱だったりするわけだ。
第9話
「いや、惚れてるわけじゃないけどさ」
誰に対しての言い訳なのか。
熱を持った頬に手を当てて、わたしはつぶやく。
抱きしめて頭をなでてあげますよ。
あの台詞はねえよなあ。恥ずかしすぎる。どれだけえらそうなことを言ったのか。
ルビーのあほめ。お前がわたしにへんなことを言うからそれを真に受けて雰囲気に流されてしまった。
ネギは今頃学園長室か?
あいつはいきなり強制送還でもされるのだろうか。
そうしたらこっちの教職はどうするんだ。教育実習といっても消えて誰も騒がないわけではないだろう。あいつは無駄に人気もあった。
ルビーやエヴァンジェリンがいうには、あいつはどこぞの魔法学校の卒業生。首席らしいが、魔法の学校というのはさすがにこちら側と違い生徒が少ないらしく、卒業生は全五人。
その中で主席というのがどれほどすごいのかは微妙なところだが、飛び級もしたらしいし、あいつの話している日本語も魔法ではなく自前の脳みそらしい。
魔法についてはまだわからないが、頭のほうは天才に違いない。
まさかこの世界に魔法学校が建っているわけではあるまい。
もしかしたらこちらの世界に隠れて存在しているのかもしれないが、まあ順当に考えれば魔法の国からやってきたのだろう。
魔法の国からやってきた、ちょっとチャームな男の子といったところか。
不思議な力で町中に~ 夢と笑いを振りまくの~♪
懐かしいアニメのテーマソングを思い出しながら、あのガキの所業を思い返す。
ため息をついた。正直笑えない。
まあ笑いは振りまいていたか。
悪気はなかったのだろう。
悪意がないから、神楽坂も許したに違いない。
あいつはあれでなかなかに頑固者だ。それに子供嫌いを公言している。
しかも最初はなかなかに険悪そうだった。
その神楽坂に初日で気に入られて、あれだけのことをしながらもいまだ本気で嫌われていないのは、いきなり魔法をばらして一足飛びで本音を語る仲になったこともあるだろうが、あの子供先生の気質が影響しているはずだ。
神楽坂明日菜。
中学生の身にして、バイトで学費を稼ぐ苦学生。
奨学金とはいかないところはあいつらしいが、わたしはあいつをものすごく尊敬しているのだ。
変人を通り越して、いっそたいしたやつと評されるようなクラスメイトが多い中、わたしは正直神楽坂明日菜ほどたいしたやつはいないと思っている。
大学生ですら親のすねをかじっているこのご時勢で、中学生が朝の3時だか4時おきで新聞配達だ。想像だにできない。
わたしなら、せいぜい出世払いで妥協したことだろう。
「ちうのページがあるから早起きも出来ないしな」
なんとはなしにつぶやく。
ライフワークとなりつつあるネットアイドルとしての活動もやはり活動範囲は夜である。
平日深夜、とはさすがに行かないが、うちのクラス連中のアベレージをとっても早寝の部類には入らないはずだ。
本当は今日みたいな休日前はチャットに張り付くんだが、今日はそれすらせずにすでに日も変わった深夜である。
時計の針は十二時をすぎて早くも短針の傾きが大きくなり始めていた。
わたしはふうと息を吐き、そろそろ寝ようかと考えた。
ここでわたしが悩んでいても意味はない。
祈りとは祈った人間にしか意味がない術式だ。それがルビーに習った魔法の道理。
ここでわたしがあいつの心配をすることは、あいつに対して意味はない。
それでもここで一時間以上もぼうっとしていたのは、やはりわたしの間抜けが原因か。
わたしは寝巻きに着替えると、寝支度を整える。
と、そこへ玄関のインターホンが鳴らされた。
さすがに常識をわきまえた時間を越えている。
知り合いではないだろう。
だが、なぜかわたしはそれを疑問に思わなかった。
反射的にもしかしてという考えが浮かび、わたしは不審がることもなく玄関に向かっていた。
本来、この場で出てくるキャラは、ネギ先生かもしくはネギ先生から告白を聞いた学園長からの使いだろう。
ネギ先生には秘密だと伝えていたが、魔法使いだということを学園長にばらされれば、まず確実にわたしには話し合いの機会が与えられたはずだからだ。
だがわたしはなぜか直感していた。
学園長の使いというなら、まあわたしのようなもぐりの魔法使いの存在をしったって、日を改めるくらいのことはしただろう。
だけど、そんな論理的な思考とは無関係に、わたしはそのインターホンがネギ・スプリングフィールドによって鳴らされたことを幻視した。
ルビーに知られれば怒られただろう。
こんな深夜の尋ね人に対して、チェーンもかけず、来客の確認もせずに玄関を開けたことを怒られたに違いない。
だがわたしはそんな思考をめぐらすことも忘れ玄関の扉を開けた。
そして玄関を開けた瞬間に、飛び込んできた人影に押し倒される。
さすがの強引さに、すわわたしを捕らえるための魔法使いとやらなのかと、いまさらながりに考えをめぐらすも、それは当然のことながらネギ・スプリングフィールドその人だった。
子供の体躯でわたしを玄関に押し倒し、その目からは涙を流す、そんな存在。
こいつは抱きついたままわたしに向かって口を開く。
「千雨さん。ボク、ボク……」
「お、おちつけよ先生。どうしたんだ。学園長のところにいったんだろう? どうなったんだ」
「ボクは……」
涙を流しながら、こいつはいう。
そう、
「――――許してもらえることになりましたっ!」
そんなわたしの想像を覆す一言を。
◆
「で、これか…………書類整理に中庭掃除。中庭って範囲が書いてないじゃねえか、いい加減すぎだろ……。あとは図書館の手伝いと業務補助。これも教育実習生にやらせることじゃねえな、あのじじい適当に考えてねえか? それと雑務がちょいちょい……。随分多いな。ん……ああ、期間が……そりゃそうか、なるほどね」
「ぜんぜん平気ですっ!」
ぺらぺらと紙をめくりながら感想を述べる。先生は笑顔のままだ。というか抱きついたままだった。
約束が約束なので、ほうっておいているが少し恥ずかしい。まあガキ相手にそんな意識することもないと言い聞かせながら、先生が学園長からもらったという書類を読む。
結果としては簡単なのだ。わたしは先生から最初にオコジョになるという罪を聞いたが、罰がそれ一種類ではないのは当たり前すぎるほどに当たり前。
あらゆる罰がオコジョへの変身とその期間で決まるほど単純なはずがない。
さすがに無罪放免はありえないが、話を聞けば、許すというのはオコジョの刑とやらを許されたという意味で、ネギに罰として与えられたのは、魔法とはなんら関係のない時間外労働だけだった。
わたしは玄関で抱きつかれたまま、詳しく先生の話を聞いた。
やはり先生はわたしとの話のあとに、学園長室に向かっていたらしい。
そして、そこで学園長と話した。
神楽坂明日菜の前で魔法を使い、それ力を知られてしまったことを。
そして、先日から何度も騒動を起こしていることを告白した。
その結果、学園長たちはネギ・スプリングフィールドに対して、オコジョの罰を与えなかった。
先生は罪を告白し、それを正式に許された。
魔法使いの学校で、オコジョではなく労働を持って赦免を行うという、魔法使いを束ねる学園長直々の許しを得た。
それを当たり前と考えるべきか、異常事態ととるべきか。
わたしはそんな判断もできないという自分の無知をいまさらながらに自覚した。
「神楽坂はどうするんです?」
そんな思わずもれた問いかけの答えは、記憶は消さずこのまま魔法にかかわらせる、という学園側の決定だった。
学園町の思惑など、わたしに計れるものでもないが、わたしと先生の問答はなんだったのかとさすがにあきれる。
いや、違うか。深刻に捕らえすぎていただけということだろう。
夜遊びすると鬼が来ると脅される子供が本気で鬼の対策を考えるように行動し、そして大人に諭された。
わたしがネギに、いやネギ先生にイラついたのは事実だが、それを他人に訴える権利はない。予想外だろうと、そのベクトルが先生の益となる方向ならそれを祝福すべきなのだ。
許されたのならそれを喜び、この世界の方針が異なるなら許容する。
だって、わたしもルビーのことを秘匿して、ルビーに至ってはルールそのものを犯している。
わたしに裁く権利はなく、だから八つ当たりだけですべてを終えた気になった。
そしてこれがその結果。
ククク、と笑い声が聞こえてくる。わたしの口から漏れる声。
わたしの胸で泣いていた先生が顔を上げる。
わたしの腕の中から先生に覗き込まれながら、わたしは笑う。
なるほどなるほど、こうくるかい。
やっぱりこの学園は予想の斜め上を進んでくれる。
なるほど、とわたしは笑い、なるほど、とわたしは頷く。
ルビーの言葉。異なる世界を旅する渡り人。
世界が異なること、基盤が異なること、常識が異なること、その意味を。
先生に微笑みかける。
先生はなにを勘違いしたのか、顔を赤くしてうつむいた。
いったい、いままでの会話はなんだったのか。わたしの決意はなんだったのか。
わたしのしたことに、はたして意味はあったのか。
いや、意味はあったか。じゃなきゃ先生はここにはいまい。
わたしは笑いながら考える。
いったいなにを笑っているのか、いったいなにを考えているのか。
この結末は何なのか。
子供先生は、学園長をはじめとする“大人の魔法使い”に許された。
わたしがそれにどう思おうと意味はない。
わたしがそれをどう感じようと意味はない。
わたしはすべてを先生にゆだねて、その結果がこれだった。
だから、だからつまりこれがどうなるのかというならば、
――――それならば“何一つ問題ない”ということになるだろう。
わたしにできることは何もない。
神楽坂に同情もしなければ、先生にもうこれ以上干渉もしない。
わたしはもぐりの魔法使いだ。
魔法使いの法など知らなかった。
だからゆだねた。大人の魔法使いがネギ先生を裁くようにと。
ならその大人がネギ先生を許したのなら、わたしがどうこういうことはない。
ないどころか不可能というべきか。
この世界の魔法のルールと、わたしがルビーから習った魔法のルールは別物だ。
裏にどんな思惑があろうが、先生がどのような立場だろうがだ。
コネで罷免されようが、恫喝によって無罪を勝ち取ろうが、それが法として執行されるのなら、それにわたしが文句を言うことはできないのだ。
だから怒ることはない。だから理不尽と思うことも許されない。
わたしが考えた筋の通し方を先生が馬鹿正直に実行し、そしてすべてを許された。
納得するべきだ。
納得しないといけないことだ。
だけどまあ、
――――すこしばかりため息が出ちまうのも、しょうがないと思ってくれるよな、ネギ先生。
◆
さて結局、この話には泣きつかれた先生がそのまま眠ってしまったというオチがつく。
わたしがどう感じようが、そんなものは先生には関係ない。
先生は純粋に喜んで、心労と疲れを一気に自覚して、わたしに抱きついたまま眠ってしまった。
冬も過ぎ去ろうかという二月の終わり。
月明かりだけが差し込む部屋の中。
ベッドの中で、わたしはネギ先生を抱きしめ、頭をなでながら己の境遇に引きつるような笑いを抑えることができなかった。
――――帰ってきたら、話を聞いてくれますか。
そんなあんたの言葉に対してわたしは確かに頷いた。
たしかにいったよ。
泣くあんたに対して、わたしはそんなことを口にした。
本気だった。マジだった。
あんたが帰ってきたときに、抱きしめてやってもいいと思っていたよ。
――――――ええ。抱きしめて頭をなでてあげますよ。
たしかにそう口にした。
わたしもそこそこ年を重ね、あんたがいい男になって帰ってきたら、キスの一つでもしてやってもよかっただろう。
それが数年後だったらな。
それなのに別れからまだ数十分。
当然わたしが成人することもなく、高校にすら上がらずに中学生のままである。
まだまだ乙女のはずなのに、こうしている状況はどうなのだろう。
そういえば神楽坂はどうしてるのか。あいつは二人部屋だったはずだが、こいつをどこに寝かせているのだろう。
あいつだってまさか一緒のベッドで寝ていたりはしないだろう。
こいつはすやすやと眠りこけ、同じベッドの中でわたしは心労で眠れない。
かわいい顔して寝てくれちまって……
まあ、約束しちまっていたことだけど。
このちうさまがこの様とは、
まったくどうにも似合わんよなあ……
◆◆◆
朝になった。
日が昇ったという意味だ。
先生が起きたという意味ではない。
先生はいまだわたしの腕の中で、すやすやと涙のあとをそのままに眠っていた。
早起きというレベルではなく、浅い眠りの所為か、わたしはまだ六時前の時刻に目を覚ましていた。。
昨日の夜、夜更かしをして、睡眠時間は三時間ほどしかとっていない。
旅行先で早起きをする心境か、わたしはなぜか日の出とともに目を覚ましている。
昨日の夜は、先生と一緒にベッドに入ったあとわたしは恥ずかしながら照れてしまいなかなか眠りにつけなかった。
ベッドから抜けて枕だけもって別の場所へ行こうと、何度かベッドから抜け出そうとはしたものの、先生はわたしの服をつかんで放さなかった。
つまり、わたしは正直なところ、先生と同じベッドというだけではずかしくて眠れなかったのだ。
完全に寝不足だった。
どこの乙女だよ、と強がることも出来ない。
いや。だってこれって当たり前のはずだ。わたしはまだ中学生なのだから。
「こいつはこいつでまあ、幸せそうな顔をしてくれちゃって……」
腕の中で寝る少年のほっぺたに触れた。
委員長ではないが、少しばかり癖になる肌触りだった。
むにとほっぺたをつまむが起きる気配はない。
そのままムニムニと柔らかい肌触りを楽しみながら、さてどうしたもんかと考える。
このまますべてを放棄してもう一度寝たいところだが、正直なところ先生を早めに起こして部屋から追い出さないとまずいだろう。
先生と同じ部屋の神楽坂たちもそうだが、委員長が怖い。そのほか早乙女を筆頭としたウチのクラスの生徒に見られれば次の日には確実に全員に話が伝わってしまうだろう。
先生に口止めをするの必須だし、誰にも見られずにこいつを帰すのも必須である。
一晩泊めて一緒のベッドで朝を向かえたなどとばれたら委員長あたりに何をされるかわからない。最悪の場合は神楽坂をいけにえにすれば矛先はそらせるか。
ムニムニとした感触を感じながら、思考にふけるが、正直考えているだけではらちがあかない。
そろそろ起きるかと先生のほうに顔を向ける。
「…………」
そこにはわたしに頬をもまれて顔を赤くしている先生の姿があった。
「……起きてたのか?」
「…………」
こくりと頷くネギ先生に、驚きのあまり手を放すことも忘れて呆然とするわたし。
ムニムニと手が動かすと不意を疲れたのか、先生が形容しがたい声を上げ、わたしはその艶っぽさに反射的に赤くなる。
変態かよ、と自問する。わたしもこいつもだ。
二人して顔を赤くして、バカみたいに見つめあるわたしと先生。
ああ、神さま。勘弁してくれ。
◆
顔を赤くしてベッドの中で見詰め合ってたら、いたらいつのまにか七時を回っていた。
いつもかけている目覚まし時計が鳴り響くのを合図に硬直が解けた。先生をベッドから蹴り飛ばして、着替えさせる。
わたしも最低限の身だしなみを整え、着替えをすませる。
「先生、準備できたか?」
「は、はい」
「今日は休日だからべつに急がなくても大丈夫だ。ただわたしの部屋から出るのを見られるといろいろ厄介だからな。さっさと出てけ。あとわたしのことは誰にも言うなよ」
「えっ? なんでですか」
本気で不思議そうな顔をする先生。
「あのなあ、わたしは自分が魔法使いだってことを知られるのも、男を部屋に泊めたことがクラスメイトばれるのもごめんなんだよ」
「は、はあ」
「……先生は昨晩学園長のところへいったんだよな。もしかしてわたしが魔法使いだってことも話したのか?」
「えっ、いえ。話してません。聞かれませんでしたし、千雨さんからもなるべくいうなと……」
あぶねえ、と胸をなでおろす。
「話すな」
「え、でも」
「でももなにもなくて、聞かれても黙っててほしいんだよ」
「学園長なら許してくれると思いますよ。それに千雨さんはボクに言ってくれました。黙っているのはよくないって」
「意味がちげえんだよ、このっ」
「い、いひゃいです……ひさめはん……」
むにとほっぺたを引っ張った。
「わたしはあんたと違って魔法使いとして勉強したわけでもないし、そんな変人集団の一味になるのも真っ平だ。先生が泣くから話したけど、わたしはもともとそのことは黙っているつもりだったんだよ」
「あっ……」
「赤くなんなっ!」
つられてわたしまでわたしまで赤くなってしまった。
「学園長たちは魔法使いなんてのを全部管理したいんだろうけど、それを強制するのは傲慢だってのはわかってるはずだ。先生が黙ってても怒られることはないだろ」
「でも、千雨さんはそれでいいんですか? ずっと秘密にしていくなんて……」
どうやらこのガキは生意気にもわたしを心配してくれているらしい。
「平気ですよ。わたしだって秘密を共有するやつがいないわけじゃないですし、そもそもわたしは何かをたくらんでいるというわけじゃなくて、巻き込んでほしくないだけですから」
「そ、そうですか」
何かを考え込むように先生が黙った。その真剣な顔は正直なところ空回りしてとんでもないことをしでかす前兆、といった印象しかない。
この場合も例に漏れず、先生は顔を上げると、いきなりわたしの手を握り締めた。
「千雨さんっ!」
突然迫られた。顔を突き出せばキスできそうな位置に真剣な顔をしたネギがいる。
昨晩から赤面してばっかりだ。
「な、なんですか?」
かろうじて、声をだす。その声ははずかしいほどに震えていた。
「何か困ったことがあったら僕もお手伝いします。魔法のことをボクは千雨さんから教えてもらえました。だから千雨さん、誰に相談できなかったとしても、ボクには遠慮せずになんでも言ってくださいね!」
生意気言うなこのガキめ、と啖呵を切って返事するべきだったのだろうが思考が回らなかった。
こいつはわたしに言われた懸念がなくなり、ずいぶんと世界に好意的になっている。やさしさを振りまきたい心持なのだろう。
眼前の先生の瞳にたいして、コクコクとバカみたいに頷くと、先生は満足したのかやっと顔を離した。
ツラがいいやつはこういうところで得である。
わたしは、もう今後先生とかかわりたくないのだが、そんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。
こいつの中で私がどんなカテゴライズをされたのか、聞くのが不安でたまらない。
ニコニコと先生は笑っている。わたしは恥ずかしさで赤く染まった顔を隠すように手で覆い、先生に言った。
最悪でもこれだけは言っておかなくてはいけないので、わたしはいう。
改めて言うまでもないほど当たり前の念押しだ。
「先生。だれにも言わないでくださいね」
「はい。わかりました」
先生は頷いた。
わかってくれたようだった。
「あ、でもアスナさんには話してもいいですよね」
わかってなかった。いいわけねえだろ。
◆
「――――わかりました。千雨さんのことはアスナさんにも秘密にします」
「ああ。わたしは本当にあまり魔法なんてのに関わりたくはないんだ。神楽坂の件についても学園長が許したって言うから先生を責めるのはやめるけど、あいつに対する責任は先生にある。あいつとは本気で話し合ったほうがいいぞ」
「はい」
説得にさらに時間を費やす羽目になった。
あともう少し時間がかかれば、きっと先生のほっぺたが2,3センチ伸びてしまったことだろう。
しかしそろそろ時間がまずい。
「じゃあ、先生そろそろ行かないとまずいだろ。ここまで話していきなりばれるのはごめんだ」
「あ、そういえば」
先生がつぶやく。
いやな予感がする。わたしはいやいや先生に何があったのかを問いただす。
「ボク、アスナさんに手紙を……、もうきっとお別れになるだろうって書いた手紙を置いてたんでした」
どうやら、こいつもそこそこに反省していたようだ。
だが、そういうことは早く言え。
「だったらさっさと戻って手紙を隠せっ、このアホ!」
「は、はい」
玄関から廊下を覗き、誰もいないことを確認したあと、先生を部屋からたたき出す。
わたしはふらふらとベッドに戻る。
眠たくてたまらない。二度寝しよう。
ベッドに飛び込もうとして、先客がいることに気がついた。
「……最近の中学生は進んでるのねえ」
あー、まあそうなるよなあ。
くそっ、あほかわたしは。忘れてた。
わたしは窓の外から様子を伺っていたらしいルビーの姿に深くため息を吐いた。
「……いつから見てた?」
「エヴァンジェリンのところから帰ってきたら、二人で抱き合って寝てたからさ。邪魔しちゃ悪いと思って隠れてたのよ」
なぜか笑顔で答えるルビー。
勘弁してくれ。
わたしはこの過保護の気がある同居人が、根掘り葉掘りと追求してくるかと身構えた。
しかしルビーはとくに追求してくることもなく、娘の成長を見守る母親のような微笑と、妹の成長に戸惑う姉のようなまなざしを向けている。
こっちは逆に身構えてしまうような優しげな目だ。
その挙句に彼女は言う。
「でもちゃんと避妊はしなさいね」
こいつ発想がおかしくないか?
こういうときはきっとぶん殴っても罰は当たらないはずだよな。