潜入アクションゲームがあるじゃない?
あれって一度発見されても、隠れて十秒くらい立つとアラームが消えるわけだけど、実際は一度見つかれば、一度しかれた警戒態勢がそう簡単に解除されるわけがないわよね。
どういうことかって?
つまり、現実は一度でも見つかったらそれが終焉って言うことよ。
幕話1
「――――と、いうわけで、わたしはその世界の臓硯に言ってやったわけよ。時間もないしさよならねっ、ってね。あいつの悔しそうな顔ったらなかったわ、まあ顔は見えなかったけどさ」
思い出話を語りながら、ルビーは笑った。
声は大気を振るわせず、壁をたたく腕には質量が存在しない。
大げさな動作と大きな声の割りに、長谷川千雨の部屋は傍目には存外に静かだった。
一通りしゃべり終わって満足したのか、ルビーは一旦言葉をとめる。
ルビーはつい先ほどからマスターとなった少女の姿をみた。
そこにはベッドに寄りかかったまま眠る少女の姿があった。
「んー、千雨? ……寝ちゃったか」
彼女はベッドに寄りかかったまま眠っていた。かわいらしい顔で眉根を寄せて、むぅむぅとうなっている。きっと意地の悪い魔法使いにお菓子の家から手招きされる夢でも見ているのだろう。
ルビーは千雨を担ぎ上げてベッドに寝かせた。
母性が目覚めたわけでもあるまいに、毛布をかける仕草はまるで子供を気遣う新米の母親のようにも見えた。
かつての妹が見れば、その似合わぬ仕草に笑うだろう。
毛布をかけ終わって千雨の姿を眺めるルビーの目には、深い優しさが宿っていた。
そうしてさらに半刻ほどルビーは千雨の傍にたたずんでいた。
「でもまあ、名残惜しいけどずっとこうしているわけにもいかないか」
ルビーはそうつぶやくと、千雨の机からメモ帳とペンを拝借してすらすらとペンを走らせる。
彼女は長谷川千雨と話をした。彼女は眠ってしまったが、それでも伝えるべきことを忘れるほどルビーはおろかではない。
彼女はここから出て行くと千雨にいった。
その言葉をたがえる気はない。
まだこの世界のことは知らないが、千雨は命を狙われているわけではない。
聖杯戦争を行っていた世界とは何もかもが違うのだ。
「じゃあね、千雨」
だから、彼女は小さな紙切れだけを残して、長谷川千雨の部屋から立ち去った。
そんな紙切れ。小さな紙片。
【千雨へ。
約束どおり出て行くわ。わたしの目的のために世界を知りにいってくる。
戻ってくるのは数日後になるでしょう。
あなたはわたしと契約した。
無理やりだけど契約は契約。小さくとも繋がりは繋がり。
そして、この街にはあなたがうすうす感づいていたように、神秘に関わる生き物が多くいる。
気づかれないように。危ないことはしないように。危険なことに巻き込まれないように。
わたしはもう行っちゃうけれど、草葉の陰からあなたの安全を祈っているわ。
それじゃあまたね。
貴女のカレイドルビーより】
「無責任すぎるだろ、このやろう!」
そんな叫びとともに翌日千雨に破り捨てられるまで、その走り書きはベッドサイドに白の彩りを添えていた。
◆
学園都市内の大きな建物。屋上のふちに腰掛けて、ルビーはその街並みを眺めていた。
風が強い。霊体化したまま足をぷらぷらと流している。
その視線の先には夜の街中をかける人影があった。
いまもルビーの視線の先で、さきほどまで空を駆けていた青年がコンビニでたむろしている少年たちに声をかけている。。
視線をずらせば、箒に乗った少女がいた。
さらに魔術で視線を遠くに飛ばせば、町外れの森の上に、空を飛ぶ男がいた。その横には空を飛ぶ女がいる。
悪者を探すため、この街の平和を正すため。街を巡回する人がいた。
ルビーのことはばれてはいない。
つまりこれはこの街の日常ということだ。
まるで正義の味方ねえ、とルビーは霊体化したままつぶやいた。
見回りとして教師が学園都市の中を徘徊し、街のはずれに侵入者があれば、戦闘に特化したものがそれを迎撃。
街の中を動くものは基本的に警護を担当しているのだろう。
たまに起こる騒動に備えている。
ちなみにその騒動というのは、大学棟でのロボットの暴走やら、都市内での魔法の暴走。
簡単に言えば、発生の瞬間を予想できなくとも、起こること事態は予想できる出来事だ。
つまりこの街は完全に調律されているということ。
調律を行う人間がいるということ。
それはつまり、一度でも不安を想定されれば、それが解消されるまで原因を調査され続けるということだ。
ルビーは足をぶらつかせながら、ため息を吐いた。
なんとまあ理路整然とした街じゃあないか。
完全な統制の元、混沌としているようで、完全な管理下に置かれた都市。
怪しいものを怪しいものとして定義するまで逃がさないそのシステム。
この街で悪事をたくらむのは大変だろう。
念話のネットワークと、近代技術の無線機が混在して連絡をとり続ける。
その下地になるのは、さまざまな場所で動く自動制御の監視の目。
ある程度怪しまれたままでこの学園内の一システムとしてもぐりこむか、完全に隠れたまま忍び続けるか。
どの道相当な腕が必要だろう。
この街はありえないほどに魔法と魔術の空気に浸りながら、その中身はルビーの知る魔術の都とはかけ離れている。
――あー、なんかめちゃめちゃ千雨に迷惑かけそう……
憂鬱そうにルビーが苦笑する。
一度ルビーのことがばれれば、この学園はその原因を誰かに定めるまで追究の手を休めまい。
誰かとはもちろんルビーのことではない。千雨のことだ。
――ばれたら千雨、絶対怒るわよねえ。
怒るも何も千雨に選択権が与えられるとすれば、それは千雨が捕らえられ、ルビーの情報を無理やり引き出された後になるに違いない。
潔癖症の魔法都市。
一度目が命取りになるであろう、綱渡りを強制させるそのルール。
ばれないようにしなければならない。気づかれないようにしなければならない。そしてなおかつカレイドルビーは止まれない。
――わたし以上の使い手はいまのところ一人もいないけど。
誰が隠れているかわかったものではない。
本来は一人もいないのが前提なのだ。
一人でもいれば、色々と予定が狂ってしまう。
アドバンテージがなくなるからだ。
だが、いるかもしれないという考えの下、ルビーは気を緩めるつもりはなかった。
彼女は千雨の前ではおちゃらけていたものの、その実、絶対的な意志の強さを持っている。
何しろかつての英霊だ。
不屈の英雄。彼女にあきらめるという言葉はない。
気を緩めたような仕草をしながらも、先ほどから索敵は緩めてはいないし、霊体化しながらも隠遁の魔術は切らせていない。
千雨のところに出戻るわけにも行かないだろう。
さっさと一段落をつけなければ、物語が進まない。
だってこのルビーには、目的がある。
目的があって体があって、そしてまず何よりも、その目的とは聖杯戦争に代表される期限付きのルールではないのだから。
――どんなに遅くても一週間ね。早けりゃ明日にもすべてが終わる。
すべてをこっそり、秘密裏に。
ばれる必要がなく、自分は今千雨以外に姿を見せていないという絶対的なアドバンテージも持っている。
誰かと戦う必要だってないし、誰かを傷つける予定もない。
ルビーには目的がある。
それは平行世界の間桐桜を助けることだ。
彼女は傷ついてもいないし、誰かに命を狙われているわけでもない。
――さて、それじゃ
そういってルビーは飛んだ。
彼女だってバカじゃない。
夜風を浴びるためにビルの上にたたずむような年じゃない。そういうのは卒業した。
先ほどから人の流れを調べ、あるポイントで一瞬空隙が出来ることを確認していたのだ。
警備員は基本的に複数人で行動することが決められているようだが、この学園は広すぎる。
そして、学園を守るために動いている人間は無線機や念話の存在を過信しすぎる傾向があった。
ゆえに一人で動くものがいる。巡回範囲的に十分程度の空白が出来る巡回員が出来る。
中から攻められることを想定してないが故の、失敗だ。
だがルビーにとっては好都合。
コンマ数秒で助けを求められる念話だって、いきなり意識を駆られれば使えない。
ルビーは霊体化したまま、一人で街を巡回していた一人の生徒に襲い掛かった。
◆
力よりも努力よりも友情よりも才能よりも技術よりも魔力よりも魔術よりもなによりも、
何かを成し遂げる際に必要なものは情報であるとカレイドルビーは考える。
ましてや、新しい世界にきたばっかりとなっては当然だ。
そしてルビーは桜のためならほかすべてを割り切るほどの激情家。
手段を選ぶつもりは毛頭ない。
村に入って騒ぎを起こさず、町に入って問題を起こさず、街に住んで騒ぎを起こさず、国に住んで事件を避ける、その術を得るその手法。
その村に住むならば、その常識を村民に聞くとよい。
その町についての知識を得たいならその町人に尋ねるべきだ。
その街ならば住民に、そして国なら国民に。
それならば、世界を知るにはその世界に住むものから聞けばよいことになるだろう。
ゆえに、彼女のとる行動は決まっている。
「――――と、いうわけで。あなたが裏と呼ぶ世界の事情について一通り教えてくれるかしらお嬢ちゃん」
こそこそちまちまと情報を集める気など欠片もない。
その言葉にルビーに意識をのっとられた少女が言葉を返す。魔力を宿すシスター風の制服姿、そんな彼女に向かって平然とつむがれるその言葉。
麻帆良の敷地内で、麻帆良の魔法使い相手にこのような真似をする非常識さを問えるものはここにはいない。
ルビーは無傷。彼女は確実に勝てる相手を見定めた後、さらに霊体化したまま背後から襲いかかっているのだ。
負けようはずがない。
意識を奪われた彼女が正気を持っていれば突っ込んだだろう相手の非常識な行いとその技量は誰に知られることはなく、彼女もそれを指摘することもせずに口を開く。
「――――一般的に裏の技術とは、気を扱うものと魔法を扱うものの俗称です。この学園でも、気を使う人物も含め、魔法使いはひとまとめに魔法関係者と呼称されます。この中でもさらに魔法世界からこの世界に来ているものと、この世界で生まれ裏の技術を学んだものの二通りが存在します。わたしも以前は魔法世界に住んでいました。この学園都市で私以外の魔法関係者は、魔法使いである教師のほかに、魔法を知っており協力をすることを前提に入学した生徒、教師に事情を話され学園に協力している生徒、学園とは無関係に存在する魔法関係者、一般人ながらある程度の情報を知ることが許されている生徒などがいます。わたしはそのうち入学前から魔法を知っていた生徒として学園の魔法関係の雑務を手伝っています。現在は警備のための巡回中でした。この学園内の主だった魔法関係者は、麻帆良学園の学園長兼関東魔法協会の理事である近衛近右衛門学園長。麻帆良学園教員兼広域指導員である高畑先生、同じく麻帆良学園教員の瀬流彦先生、二ノ宮先生、ガンドルフィーニ先生、弐集院先生、明石先生、葛葉先生、神多羅木先生、シスター・シャークティ――――」
「名前はそこまででいいわ。魔法世界っていうのについてをお願い」
「――――その世界は、魔法世界(ムンドゥス・マギクス)もしくは、魔法界(マギアニタース)と呼称されます。一世紀前までは魔法世界人にとってこちらの世界は伝説かお伽話だと思われていたそうですが、現在は交流システムが確立されています。こちらの世界においては魔法世界の存在は秘匿されていますが、魔法世界においてはこちらの世界についての秘匿は行われていません。ですが魔法世界はその世界の特性上こちらの世界のことを知らない住民も多くいます。また魔法世界の一般人が魔法学校に通っているわけではなく、こちらの世界と同程度の能力の人間も多く存在します。魔法世界の総面積は地球の約3分の1程度、人口は6~7億人ですが、魔法使い……これは気や体術使いを含めた“一般外の人間”のことですが、このような人物はすべて合わせても一億人以下と推定されています。ただ魔法世界は獣人など厳密には人でないものも多く、その判断しだいで上下しますが、それでも一億人を超えることはないでしょう。魔法世界は都市国家制をとっており、国家に属さない辺境や、国によっては奴隷制度なども残っています。通常技術については国家ごとに大きな開きがあり、この世界で言うところの中世レベルから、こちらの世界で用いられる現在の科学を超越した魔法技術までが幅広く日常レベルで存在します。技術交流もないわけではありませんが、こちらの世界と比較すると非常に緩やかです。また、こちらの世界は魔法世界からは旧世界(ムンドゥス・ウェトゥス)と呼称され、現在は世界に十一箇所あるゲートで結ばれており――――」
◆
「――――さま、お姉さまっ!」
自分を呼ぶ声に高音・D・グッドマンは目を覚ました。
目を開ければ自分をゆすっている佐倉愛衣の姿があった。
「愛衣? どうしたのです……ここは?」
きょろきょろとあたりを見渡す。学園内だ。休息用のベンチに横たわっていたようだった。
頭をはっきりとさせていけば、自分は見回りの最中だったことを思い出す。
そうだ、確か見回りの最中にすこし疲れて……
「ああ、ごめんなさい。すこし休もうと思っていたのですけど、眠っていたようね」
ほかにとくに言うべきことはない。だってほんの少しの休憩。わずかな休息。
別段報告すべきことが起こったわけじゃない……
そう考えて、高音は見回りを再開した。
その日はとくに異常なし。
それから数日後に起こった魔法世界へのゲート襲来事件について、彼女はこうコメントする。
「ええ、あそこは、わたしも使用するゲートだったので驚きました。――――ええ、はい。それにこっそりと教えますけど、私は転送担当の方と知己でして、あのゲートのことなら開く時間から警備スケジュールまで結構知ってるんですよ、私。まあ、だれにもいえませんけどね。麻帆良も大概問題が多いところですが、やはり麻帆良と関係ないところでも事件は起こっているものですね」
死者ゼロ人。ゲート半壊。重軽傷者多数。
魔法の国との移動をつかさどる大施設。そこに起こった前代未聞の密航事件とそれが露見した後に起こった犯人の逃走。
魔法世界を騒がせた大ニュース。麻帆良にまで話が流れたその事件があったわけだが――
――まあ世の中の事情とは知ってみればたいていがこのようなものである。