「ではわたしは今日はそろそろ部屋に戻るぞ。時間がもったいない。おい、ルビー。ついてこい」
「もーしょうがないわねえ」
さて、千雨の部屋での話も一区切りつき、そろそろいい時分になると、エヴァンジェリンが会話を切り上げてそういった。
明日の修学旅行を控えた千雨たちに気を使ったということはないだろう。
エヴァンジェリンの言葉に茶々丸も立ち上がる。
ルビーも文句を言いながらもついていくようだ。
「あっ、それじゃボクもアスナさんのところに戻りますね」
ネギも言葉を続ける。
同時にさよの視線が、千雨とエヴァンジェリンの顔を往復した。
「えっと……じゃあわたしは千雨さんの部屋で……」
「むっ? ……まあわたしたちは今日徹夜するから、それでもいいが……おい、千雨。適当な性根のままさよに手を出すなよ」
「だすわけねえだろ」
というか許可する前に家主にことわれ。
千雨は最近の自分の立場に首をかしげながら、お休みと言葉を交わしてエヴァンジェリンたちを見送ることとなった。
第19話
「んじゃまあ。明日も早いし今日は寝るか」
と千雨は部屋の中に目を向けて、部屋の中に残る相坂さよに向かってそういった。
パジャマ姿のさよがこくりとうなずく。
なぜか胸元に枕を抱いていた。
千雨が非常に複雑な表情でそれを見る。
「…………お前はこっちな」
そういいながら千雨は布団を指差した。さよが頻繁に止まりに来るようになって用意したさよ用の布団である。
ショックを受けたようにさよが後ずさる。だがネットアイドルなんてあこぎな趣味を持っているとそういうあざとい表情には騙されなくなるのだ。
すごくわざとらしかったので、千雨はリアクションをとる義務を放棄した。
「うー、昨日は一緒に寝てくれたじゃないですか……」
反応しない千雨にさよが唇を尖らせる。
「あれはお前が抱きついたまま寝ちまっただけだ」
「最初の日みたいに寝ませんか、千雨さん」
「あれは布団がなかったからだ」
「う、そうですか……」
「ああ」
一刀両断しつづける。
罪悪感を無視するのがポイントである。
一度流されると癖になる。躾は初めが肝心なのだ。今日へたれたらきっとこの先ずっと相坂さよに勝てなくなってしまうだろう。
わたしはそんなバカじゃない。
「なんでそんなに一緒に寝たがるんだよ。ガキかお前は」
「あのですねえ、千雨さんに抱きついてるとなんかこう、くうぅ、って感じで幸せになるんですよ。わかりませんか千雨さんは?」
「ああ、そう」
こいつはすげえなあ、と息を吐く。
適当に会話を続けながら寝間着の準備。
好かれるのは嬉しいが、ここまで行くとどう対応していいのか分からない。
変な性癖に目覚めてないだろうな、と千雨が冷や汗を流した。
「だけど駄目だぞ。エヴァンジェリンに釘刺されたばっかりだし、ばれたらなに言われるかわかったもんじゃない」
「…………」
枕を抱いて潤んだ瞳を向けられた。
こいつはこれを素でやっているのだ。
恐ろしすぎる逸材である。
「……また今度一緒に寝てやるから我慢しろ」
さっそくいいわけめいた台詞をはいて、千雨がへたれた。
ぎりぎりの譲歩、というよりはただ根性がないだけだろう。
それだけ口にすると、千雨はさよの視線を振り切ってベッドに入る。
流石に今日は心労がたまっている。千雨もさっさと寝たかった。
チェッと舌打ちして、しぶしぶとさよも用意された布団に入った。
千雨がそれを聞いて頬を引きつらせる。
なんて危険なやつだろう。危なく牽制球に釣られるところだった。
そのまま電気を消して、二人とも黙る。
お互いの息遣いだけが、暗い部屋の中で聞こえてくる。
暗闇の中、すこしたってさよが小さな声をあげた。
「あの……もうねむっちゃいましたか」
「……起きてるけど、なんだ?」
もぞもぞとさよが動く。
さよにベッドを譲ることもなく、遠慮なくベッドの上で寝ていた千雨が答えた。
その表情は眠そうだ。
「……いえ。別になんでもないんですけど……明日の旅行は楽しみですね」
「あのな、幽霊のときどうだったかは知らないけど、その体は疲れを自覚するんだから、そろそろ寝ないとマジで明日がつらくなるぞ」
「……うっ、すいません。でも楽しみで楽しみで……」
千雨から声が返ってきたことにうれしそうな顔をしていたさよが、その言葉に申し訳なさそうな声を出す。
「眠れないってか?」
暗闇の中、小さな声で問いかける。
さよが、ハイとうなずいた。
そんなさよの言葉を聞きながらも、特に返事をすることも無くわたしは口を閉じる。
というかいい加減眠い。
千雨は小学生の時分だろうと、遠足や旅行を前に眠れないという気分を体験したことがないが、さよの気持ちはわからないでもない。
しかし、それを千雨が解消する方法など何もない。
子守唄でうたってやるか? それとも寝付けない子供をあやすように抱きしめてやるってか?
はっ。あほらしい。わたしはそんなにアホじゃない。ここでそんな泥沼におちいるほどバカじゃない。
そろそろ新米を脱却しようとしている魔術師の長谷川千雨をなめてるのか。
さよを無視して目を瞑る。
そしてさらに数分たって、さよが口を開く。
「あのあの……千雨さん。もう眠っちゃいましたか? 明日はいつごろ行きます? 始発でいきますか?」
「……あのな、さよ。わたしは結構眠いんだが」
さすがに千雨が怒った。
彼女は怒るところは怒るのだ。そして面倒見のいい女ではあるが別に優しくもない。
そもそも始発で行ってどうするのだ。着いたところで誰もいまい。
「ご、ごめんなさい」
千雨の荒々しい口調に、さよが恐縮して縮こまった。
「じゃあ、寝ろ。さっさと」
「は、はい」
そのまま二人とも黙るが、もぞもぞと動き続けるさよの気配に千雨の意識も引きづられる。
千雨はその気配を感じながらも、ようやく眠れると意識を沈め、ウトウトと――――
「……あの、千雨さんっ! わたしやっぱりちょっと眠れそうにないので、外をすこし走ってきますっ!」
――――目が覚めた。
一周して変な方向に思考がそれたらしいさよが布団から出て立ち上がっていた。
半分以上眠っていた千雨がその叫びに青筋を浮かべながら顔を上げる。
「おい、さよ。ちょっとまて」
千雨がさよを呼び止めた。
寝ぼけ眼のまま千雨がその姿をとらえる。
「は、はいっ!?」
パジャマ姿のまま玄関に向かおうとしているさよが振りかえる。
そんなさよに眠気でまぶたを半分閉じている千雨が微笑んだ。
美しく、済んだ、単一のベクトル成分を持つ笑みだ。
なぜかさよの肌があわ立った。
そのまま口調は一切荒げずに、よろよろと上半身をベッドの上にあげ、千雨はさよに手招きをした。
「こっち来ていいぞ。眠るまで抱きしめてやろう」
「ふぇえっ! いいんですかっ!?」
「ああ、いいよ。だからさっさと来い」
千雨が寝ぼけ眼のまま言った。
「あ、あの、それでは」
ベッドの横で三つ指突きそうなほど恐縮したさよがおずおずと布団に入る。
からかう言葉は大胆なのに、相手に本気でこられるといきなりヘタレる様はまさに千雨の弟子だった。
千雨は寝ぼけ眼のままそれを見る。
「よしよし、それじゃ――――」
そんなさよの言葉を聞きながら、千雨がさよの頭に手を回し、
【――――眠れ】
睡眠導入というより気絶の技法。
若干の攻撃色すら混じった魔術を発動させた。
約束どおり眠るまで抱きしめて、このあとこいつは布団の上に転がしておくことにしよう。
まあ妥当だよな、その辺が。
◆
「で、ルビー。お前はどう考えている」
「んー。なにを?」
「わたしの呪い、お前の存在、そして此度の親書の件」
寮からの帰り道を歩きながらエヴァンジェリンがルビーに向かって問いかけた。
「呪いはこのままのペースならあと五年。わたしはこのままならあと半月、そして最後の解答は」
「解答は?」
ルビーが肩をすくめる。
わかってるくせに、とつぶやいた。
「きっとあなたと同じものでしょう」
「やはりそう感じるか」
「あのクラスで修学旅行よ? 親書なんてのに関わらず何も起こらないはずがない」
なるほど、とエヴァンジェリンがうなずく。
自分とは違う視点からだが、結論はたしかに同一だ。だが問題はその騒動のベクトルである。
「さよちゃんの言じゃないけど、このタイミングで親書って言うのは、絶対になにかある。もちろん本来の意味じゃないほうでね」
「爺がたくらんでいるということはないだろうが、偶然というのもタイミングがな……」
「でも嫌がらせじゃすまないレベルで何かあるわよ。たぶん学園長さんも規模の問題で黙認してるんだと思うけど、それでもちょっと危ないかも。魔術みたいに未来視とかはないの? 魔法にはさ」
「一応ある。未来視というより予言や占いだがな。しかし、お前の言う未来視というのは魔術でなく、超能力ではないのか?」
「インチキだけど一応魔術にもあるわよ。千雨が使ってたのもその一種だし。ほら、あなたと戦ったときに」
むっ、とエヴァンジェリンが難しい顔をした。
千雨との戦闘を思い返す。
反応できない速度の攻撃を避け、相手がよける方向に向かって魔術を放つその技法。先読みを極めた分割思考。
「あれも魔術に入るのか。お前らの分類は本当に節操がないな。魔力を使ってないだろ」
「剣術家を魔法生徒と呼ぶあなたたちほどじゃないわ。魔術は現実の技術で置き換えできることが定義だもの。それに千雨のは使ってないわけじゃないんだけどね。一応あれは魔術師の技術よ。穴倉に住む思考の錬金術師による未来予報。予想を極めれば予知になるって感じ」
「普通それは技術と呼ばれるのだ。だがまあ……なるほど、そういうことなら、お前の“未来視”とやらも信頼性があるか。何か情報をつかんでいるのか?」
「修学旅行先の変更に伴って動きがあったみたいよ。西の組織ではなく、個人のレベルで動いているやつがいるわ」
いったいどうやって情報を得ているのか。動きも取れない半幽霊の癖に、ルビーは当たり前のように頷いた。
「親書関係ではないのか?」
「それにしちゃあ大げさだと思うのよね。西どころか日本に関係ないやつも動いていたわよ。雇われたってことになってるみたいだけど、どこまで本当だか。エヴァンジェリンだってわかってるでしょ。いくら仲が悪いからって、親書の妨害なんて組織に属していて起こすはずがないわ」
「お前は魔法使いの短絡を良くわかってないな。起こってもおかしくないんだよ。だから警戒されている」
むう、とルビーが膨れる。
「あなたたちってほんとにおおらか過ぎない? 一応学校行事でしょ。それに千雨やさよちゃんも行くのに」
「はっ、そんなもんは麻帆良にきてあのクラスにいるあいつらが悪いのさ。死にはしないよ。爺たちもプライドだけは達者だから最低ラインは守るだろう」
「最低ラインだけを守ればいいと思ってるようなら、わたしもさすがに怒っちゃうけどねー」
「その筆頭がなにを言う。千雨は起こらないほうがいいなどといっていたが、わたしの下僕にそんなしょぼい信念は許さん」
「千雨は身内だもの。他の子がかわいそうじゃない」
ルビーが肩をすくめた。
しかしその台詞にエヴァンジェリンが眉根を寄せる。
いまでこそ根回しにと、こうして自分に干渉もしているが、こいつの千雨以外への無関心っぷりを自分やさよは知っているのだ。
「あれだけ千雨以外を適当に考えていたくせに、よくもまあそんな偽善者めいた台詞がはけるな」
「優先順位を明確にしてただけよ。手が空けばそれを他者のために使ってもいいわ」
嘘ではあるまい。だが完全に本当でもない。
きっとこの台詞は最後だからこそだろう。
だんだんと病状を悪化させている思念体。現界した英霊体。ルール違反のサーヴァント。
それを読み取ってエヴァンジェリンが少し黙った。
「……まあどのみちなにも出来ないだろ。放置しておけばあいつらのことだから上手くやる。やれなかったら所詮それまでということだ」
「もともと放置する気満々だったくせに」
「そりゃそうだろ。魔法使いとして成長したかったらトラブルに巻き込まれるのが一番いいんだ」
うわー、とルビーがさすがに無責任すぎる発言にあきれ返った。
この吸血鬼は厄介ごとを放置しておく癖がある。いや、癖とは少し違うか。この女は度量が広すぎるのだ。
世界征服を狙う悪の組織とそれを阻止する正義の味方だけでこの世が構成されているはずが無いことはわかるが、それにしたって、自分とそれ以外で世界を分けすぎである。
いや、それどころかたとえ子供アニメの悪の組織だろうと、世界征服の“先”が見えているのなら、エヴァンジェリンはそれを肯定しさえするだろう。
すべてを肯定した上で、破却する。故に悪。
相手の悪を理解しその上で蹂躙するエヴァンジェリン・マクダウェルとしての“悪”のあり方。別種の正義。
悪だなんだと自称する吸血鬼。なるほど、たしかに純正義とは反するそのあり方は、一端の悪ではあるだろう。
だが、ルビーは素直にそうは思っていない。
純粋悪の珍しさをカレイドルビーは知っている。世界征服をたくらむ悪の組織なんていうのは天然記念物なんてものじゃないのだ。
魔法使いたちとは異なる思考、別方向からの分類観。
魔術師であるルビーから見れば、エヴァンジェリン・マクダウェルは悪ではない。
純粋悪とは別の、混沌に属する正義の概念。ステータスは混沌・善。
そんなルビーの思考に頓着せず、まあいいとエヴァンジェリンが首を振る。
ちょうどエヴァンジェリン邸に到着していた。
茶々丸がドアを開け、エヴァンジェリンがえらそうにルビーを招きいれる。
千雨の部屋からの帰り道。
魔法使いとその従者、そしてその友人の魔術師によるそんなありきたりな帰り道。
そんな彼女らの雑談だった。
◆
さて、エヴァンジェリンとルビーがそんな会話をしていたその時分。
夜もふけた寮の一室で、千雨はさよを抱きしめながら魔術を唱え、
「……えっと……その、ごめんなさい……」
「…………そうか。お前はそういう体だったもんな……忘れてたよ」
その魔術が当たり前のようにレジストされていた。
いくら千雨が眠気交じりだからって耐性強すぎである。
さよは千雨と違って、防御に特化した特別性だ。
自分で作ったくせに忘れていた。
ルビーのマスターの名に恥じない抜けっぷりである。
そんなだから、こうして千雨は頬をひきつらせながら、放り出すことも出来ずに胸の中の少女と顔をあわせるはめになる。
千雨の胸元でもぞもぞとさよが動く。
いい加減眠くなってきた千雨が頭を振った。
もうどうとでもなれと、抱き枕代わりにさよを力いっぱい抱きしめて目を瞑る。
おずおずとさよも手を回してきた。
適当に願ってみたら、それがかなってしまって戸惑うような、そんな逡巡。
断られることを前提に言葉をかけたらそれが受け入れられたようなそんな驚き。
いたずらっ子のいたずらは、怒ってもらうことが前提で、受け入れられると困ってしまう。そんな小さな子供のようなさよの姿。
そんなさよを抱きしめる間抜けで甘くてヘタレ気味で、そしてそろそろ魔術師失格の長谷川千雨が息を吐く。
悪いネギ。まあこれくらいなら浮気にはならないさ。
別にいいだろ、大丈夫。と適当に考えながら千雨はいった。
「寝る」
「ハイ、おやすみなさい。千雨さん」
◆
千雨とさよがようやく寝ようかとしていたころ。
エヴァンジェリン邸は明かりを煌々と灯したままで、その中では魔女と吸血鬼が会話をしていた。
「――――マスター、こちらは?」
「これは千雨製だな。前に作ったのは口止めに持ってかれたとかほざいていたが、もう作り直していたか。よく血が持つな」
「吸血鬼がよく言うわ。千雨の血はもう吸っちゃだめだからね」
「あいつの血には興味はない。処女でもなくなったしな」
軽く答えて、エヴァンジェリンが千雨が魔力を込めた宝石を光にすかす。
魔術的に加工がしてあった。魔法とは異なるその概念。
魔法の術式なら封印されていてもある程度は読み取れるが、魔術はいまだに難しい。精霊などの要素に干渉するのではなく、世界というシステムを用いる魔術は魔法使いには読み取りにくいのだ。
たとえ全盛期のエヴァでも知識がなければ見逃していただろう。
「純魔力を込めた宝石か。…………ふむ、暗示耐性に即席結界。なかなかだな。魔法にも効果も有りそうだし、これもやはり魔法使いでは気づけまい。……おいルビー。前に言っていた固有結界というのはやはり千雨たちは出来ないのか?」
「固有結界かあ。まー千雨は無理よね。わたしの同系だし。それにそもそもこの世界の魔術師なんてのはあの子達だけなわけで、師匠も固有結界の方面には疎いわたしだけ。さよちゃんだって可能性はあるとはいえ、どんだけ頑張っても卒業までかかっちゃうでしょうね」
「まあそうだろうな。魔術は学問だ。修行やがむしゃらな努力ではどうにもならんだろう。世界に干渉するというのは興味があったのだが」
ちっ、とエヴァンジェリンが舌打ちをしながらいった。
一年分、二週間ほど別荘に放り込めば時間だけは何とかなるかもしれないが、了承は絶対に得られないだろう。
「あなたの別荘が学園外にならないってことは、登校地獄は大丈夫でしょ。同じ理由で学園結界はキャンセルできるかもね」
「だが、世界を作り変えているのだろう? 学園外として定義されるのではないか?」
「固有結界は異界みたいなものだけど、書き換えているだけよ。別の場所というわけじゃないわ」
「世界を書き換える技法か。やはり現物を見ないとなんともな……」
「うーん、でも魔法世界がそんな感じじゃなかった? あれも似たようなものでしょ」
「なに? おい、それはいったい――――」
さて、エヴァンジェリン邸にお邪魔しているルビーとエヴァンジェリンはいつものように、魔術や解呪、学園結界などについての談義をしていた。
もっともルビーの知る魔術や、エヴァンジェリンの知る魔法については話せることについては、ほとんどが考察済みだ。
一級の魔術師と最高レベルの魔法使い。二人はすでに新しい技術を模索する段階に入っている。
だが、それ故にその議論は真剣だ。二人とも冗句を交えながらも、今だけはその思考から遊びを抜いている。
「そういえばチャチャゼロは修学旅行に行かないの?」
茶々丸の入れた紅茶を飲みながら、一休みに入った際にルビーが聞いた。
「俺ガイッテドースンダヨ」
呆れ顔でチャチャゼロが答える。
「観光すればいいじゃないの。可愛い妹と一緒に。向こうにいってる間の魔力供給くらいなら千雨が手伝ってくれるわよ」
「ケケケ、俺ガ観光カヨ、ゾットシネーナ」
チャチャゼロが笑う。
「千雨モさよヲ作ッテルトキハ面白カッタンダケドナー」
「あなたちょっかいかけてたものね」
「アイツハ御主人ト同類ダカラナ。さよヲ作ッテル間ハピリピリシテテ面白カッタケド、最近ヨリツカネーシ、ツマンネーンダヨナー」
最近の御主人の甘さと千雨のへたれっぷりをつまらなく感じているチャチャゼロがケケケと笑う。
魔力供給がないために動けないその体が、カタカタと震えた。
「あのときの千雨は、かなり本気で魔力を引き出してたからね。記憶が混線してたんでしょう」
ルビーが笑った。
ちなみに千雨はチャチャゼロと舌戦で勝ったことがない。意地っ張りですぐ挑発に乗るくせに抜けている彼女は、ある意味チャチャゼロをエヴァンジェリン以上に苦手としているのだ。
「さよの護衛ならば千雨と茶々丸で十分だろう。お前も行くという話だし、よほどのことが起ころうが問題ない」
むしろチャチャゼロがいたほうが、千雨が心労を負うことだろう。そんなことを考えながらエヴァンジェリンが答える。
ネギの護衛や、親書の配達に関しては興味ゼロの台詞だった。
だがルビーとしては、チャチャゼロが来ることで起こるだろう千雨の心労は、問題とはとらえていない。千雨が困る方面の問題などというのは、命や魂の問題に比べれば些事である。チャチャゼロのような、容赦のないアドバイザーは貴重なのだ。
伊達にナイフや令呪をプレゼントに選んでいない。千雨から誤解されるわけだ。
「俺ヲソンナコトニ使ウ気カヨ」
さすがにチャチャゼロが呆れ顔を見せた。自分を助言者として使うなどといいだすのは、大概おかしい自分の主人くらいのものだと思っていた。
「だって、京都だしねえ。何かの拍子で本気の対立が起こったらさすがにね。千雨の将来にも影響しそうじゃない」
「んなもんはどうとでもなるだろ。わたしが雇ってやってもいいぞ。それよりさよのことだ。本当に大丈夫なんだろうな」
エヴァンジェリンの真面目な言葉を繰り返す。ほえーとルビーが声を上げた。
チャチャゼロと茶々丸もさすがに過保護すぎる発言にあきれている。
「オイオイ、御主人。ズイブン気ヲ揉ムジャネーカ。ソンナニ気ニ入ッテンノカ、アノガキノコトヲヨー」
「いったんわたしのものとした以上、それに手を出されるのがむかつくだけだ」
さすがにチャチャゼロが突っ込みを入れる。
ふんとエヴァンジェリンが鼻を鳴らした。
「さよちゃんかあ。まあ、さよちゃんも千雨も最近テンパってるしね」
ルビーがニヤニヤ笑いながらも、ほんの一つまみのまじめさを持って答えた。
彼女はエヴァンジェリンが言いたいことがわかっている。相坂さよが諍いに巻き込まれるとか、騒動に巻き込まれることを恐れているわけではない。彼女はそういう方面の試練は歓迎するタイプだ。
その反面というべきか、契約関係にはかなり潔癖。千雨がさよと契約を結んだことに起こったのもそれが理由だし、いまこうして気を揉んでいるのも同様だ。
そう、つまり。
簡単に言えば、エヴァンジェリン・マクダウェルは長谷川千雨が相坂さよに“手”を出したことを、いまだに怒っているわけである。
「まあどちらにしても、危ない方面はわたしと千雨が頑張るから、茶々丸ちゃんもあの二人をよろしくね」
ルビーがまとめるように茶々丸に向かって口にする。
常に現界できるわけではないルビーは日常では役立たず。
最近おきている時間が長くなっているのだって、線香花火の最後のともし火のようなものだ。
そんなルビーの言葉に茶々丸が首をかしげる。
今の会話から、その結論に至る過程がわからなかったためだ。
「? あの……わたしも二人をお守りすればよろしいのでしょうか」
「違うわ」
「違うぞ」
主人とその友人が同時に否定の言葉を返してきた。
眼を丸くして、茶々丸が二人を見る。
それでは今までの問答はなんだったのか。
だがルビーもエヴァンジェリンも冗談を言っているような気配ではなかった。
「親書のトラブルはべつにいい。さよにもいい経験だろう。放っておけ。そうではなく、あいつらが旅行中に“おかしな”まねをしないように見張っておくようにしろ。一、ニ発は本気で殴ってもいいぞ」
片頬を上げて皮肉気に笑いながらも、エヴァンジェリン・マクダウェルが、真剣な口調で断言した。
「茶々丸ちゃんに殴られたら、素のままの千雨じゃ死んじゃうわよ。あっ、適当に同行してくれればいいからね。二人っきりにして、雰囲気に流されなければ大丈夫でしょうから」
チャチャゼロが必要になる自体やルビーが力を振るう機会というのは、ルビーが心配している命の危険。
たいして今こうして口にするのは、相坂さよと長谷川千雨の私的で日常の問題だ。
「し、しかし。それでしたら……」
いままさに二人っきりで置いてきているわけだ。さすがに茶々丸があせる。
「逆だ。今日の置いてきたのはワザとだよ。今日いきなり手を出すようなら、さよの側につく」
あっさりとエヴァンジェリンが言い切った。
さすがに茶々丸も目をむいた。
ケケケとこんな状況でも楽しそうに笑える自分の姉に感心する。
先ほどとは逆に苦笑いをしながらも困った顔をしているルビーも、その言葉に口を挟むことはなかった。
「あれだけ説教したその晩に千雨がさよに手を出すようなら、もうなにしても無駄だろ。それくらいさよが本気ならさよを手伝ってやってもいい。そのかわり、千雨はさよのものにする。あいつはわたしの下僕なのだ。ぼーや一人に持ってかれるのももともと業腹だったし、流されるようなマネをするのでないなら構わないからな」
「もー、信用ないわね。大丈夫だって。さよちゃんは暴走してるようで理知的よ。ただの悪戯みたいなものじゃない」
「それ以上に千雨が抜けているから意味がない。だから流されてるんだろうが。いたずらだろうと、わたしは契約関係には妥協はしないぞ」
意思が伴えば許すが、それを適当な覚悟で行うことは許さない。エヴァンジェリン・マクダウェルの本質が見える回答だった。
茶々丸は淡々と語られる二人の会話を聞くだけだ。
結局茶々丸も、自分がとめればいいのか、それとも本気ならば傍観するべきなのかすら読み取れていない。ちょっとこの二人はおおらかすぎるのではなかろうか。
そんな三人を見ながらチャチャゼロが久しぶりに見る自分の御主人の悪の吸血鬼っぷりに笑っていた。ルビーの分類と真っ向から対立する悪の分類。正道を無視する覇道の概念。
「ふん、まあいいさ。あのバカのことは明日の朝だ。ルビー、先ほどの話を続けるぞ」
「はいはい。じゃ、茶々丸ちゃん。次は結界弾を見せてくれる? この宝石に向かって撃ってみて」
ひょいとルビーが宝石を見せる。
考え込んでいた茶々丸があわててそれを受け止めた。
そうして、いつものようにルビーとエヴァンジェリンが議論を始め、千雨とさよのことはもう話題には上がらない。
だけど、まあ、ちょいといやな予感を感じながらルビーが思う。
長谷川千雨と相坂さよ。
エヴァンジェリンはさよが自覚を持って本気になれば、許容するとすらいっているわけだが、千雨とネギはそれを許容できるのだろうか。
自分の依代が評価されるのは嬉しいが、パンクしないか心配だ。
自業自得といってしまうにはかわいそう。
まっ、さすがに昨日の今日でエヴァンジェリンがいうようなマネをするはずないとは思うけど。
さよは好意を示すという行動そのものに意味を見ているので、いろいろと冗談交じりで本心の言葉を口にするが、それ自体を心から欲したりはしていない。
欲するまでもないからだ。
過程こそが重要だと考えている。だから千雨からバカなことを言い出さない限り、いきなり襲い掛かるどころか、さよは千雨と本気で抱き合うことすら出来ないだろう。
そして千雨は自分を常識人だと思い込んでいるので、さよの言葉に流されることもない。
しかし、エヴァンジェリンの推測は逆であり、そして一端の真実もついている。
千雨は意外に生真面目で、ジョークを軽く流せない性格なのだ。
好きな相手にちょっかいを出す子供のごときさよの牽制球に翻弄されて、そして厄介ごとをわざわざ自分から背負い込む。
まあ明日いきなりエヴァンジェリンに怒られるようなことはないだろう。
ルビーは二人を思い返して考える。
まあ大丈夫大丈夫。さよと千雨を信じよう。
◆
さてそのころ、さよはルビーの予想を裏切って、ある意味予想通りに千雨と同じ布団にくるまれていたわけだ。
どちらかといえばさよが原因だが、監督責任的に千雨もアウトだろう。
トクントクンとゆったりとしたリズムを刻む千雨の心音を聞きながら、さよは驚くほど落ち着いている自分に驚いていた。
さよとしてもやりすぎだったかなあ、とは思うものの、千雨が全然怒ってくれないので歯止めが利かない。
(ネギ先生かあ……)
目を瞑り、その心音に集中しながら考える。
目の前で眠る千雨から、すうすうと寝息が聞こえる。
さすがにもう眠ってしまったようだ。
水気のあるその唇。整ったその顔つき。アイドルとしてトップを張っているその体。
さよは思う。
千雨さんはネギ先生をとてもとても評価している。
教師であるということ、強い信念があるということ、その矜持、その性根、その基質。そういうところをすごいものだと考えている。
口には絶対にしないけど。
ネギ先生に知られずに、ネギ先生を評価する千雨さん。
彼女はきっと自分とネギ先生がつりあわないとさえ思っている。
ただの女子中学生だと自分を評価するその少女。
そういう姿を自分はなんども目にしてきた。
だけどわたしから見れば、千雨さんだって全然負けているとは思わない。
千雨さんだって十二分にすごい人なのだ。
全国にいる多くのネットアイドルでトップを張っているくせに、彼女は自己評価が低すぎる。
わたしが千雨さんを大好きだということを、すりこみだなんて思い込んでいたくらいである。
まったくわたしはどちらにうらやましがればいいのだろうか。
さよはそんな千雨の姿を見ながら、ぼうっとエヴァンジェリンの言葉を思い出していた。
千雨さんに向けたお説教。わたしの処女性が失われたというそんな話。
処女を捧げたというのは、人型の身の上だし相手が千雨だ。まあ問題ない。
問題なのはそのときの言葉である。
――――昨日の今日でさよにまで手を出すってのは、
そんなエヴァンジェリン・マクダウェルからの言葉があった。
さよにまで、だ。
さすがに誤解も何もない。必然自分の前にネギ先生がいるのだろう。
というか文脈からして、わたしと違いキス以上のことまでしているらしい。
そのときは軽口で誤魔化して気づかない振りをしたが、実はものすごく驚いた。
長く女子中学生の中で話だけを聞いているだけに、耳年増であることは自覚している。
だから“そういう”女子中学生だってまったくいないというわけではなかった。
もっともさすがに相手が十歳の魔法先生というのは初耳だけど、千雨さんとネギ先生はきっとそういうことなのだろう。
恋人同士だし当たり前というべきなのか、常識に疎いといわれている身の上ですら非常に悩む。
さよは少し考え込むと、薄目を開ける。
寝息を立てている千雨の姿。
ちょっとやそっとでは起きないだろう。たぶん。
「もしもーし……寝てますか? 寝てますよねー?」
悩みながら、さよは眠る千雨に小さな小さな声をかけ、
「……ちょっと失礼しますよー」
千雨が眠っていることを確認しつつモニュリ、と胸を揉んでみた。
そのまま二、三度手を動かしてから、ふむ、と頷く。
危なすぎる光景だが、さよは真面目だ。
一応言い訳するなら、自分の心情の動きを確認したのだ。
非常に良い感触であるとは思うが、まあ欲情はしない。
自己を俯瞰する魔術の技……というほどのものでもない、半分はただのノリである。
眠る千雨にキスをするよりはいいだろう。
自分がいまだにネギに嫉妬しているようなこともない。
ネギはネギで自分は自分。相坂さよはちゃんと自分の位置を自覚する。
そのまま少し感触を楽しんでから、さよは一人で納得した。
つい先日から反省ゼロのその行為。
さすがにその確かめ方は危ないが、さよは千雨に関しては真剣なのだ。妥協はしない。
いくら千雨がさよの行動に理解を見せるといっても、ばれれば頭に拳骨程度ではすまないだろう。
それくらいわかっているだろうに、さよはそのままモニュモニュと手を動かす。
さよもまずいかなあと考えながらも、手を止めない。悪乗りしすぎだ。
千雨は委員長や千鶴の姿を見て時たま悔しがっているが、ちうとして活躍している千雨のプロポーションは贔屓目抜きでアイドル並みだ。
スリーサイズは上から82、57、78。バストサイズはCカップ。
そのくせ人の体型にうらやましがるなど、圧倒的多数の一般中学生をバカにしているのだろうか、この人は。
比べる対象がおかしいだけで、千雨のプロポーションは十分すぎる。
「…………んっ……あ」
「っ!?」
考え込みながらなんとなく止めるタイミングがつかめなかったので、そのまま本格的に揉み続けていたら、千雨の口からなんとも言えない声が漏れた。
あわててさよが手を離す。
さすがにばれたら怒られる。それに“誤解”されてしまいそうだ。
わたしは千雨さんが好きだし、こうして一緒に寝たいと思うが、さすがに本気で体を重ねることはないだろう。
千雨も了解しないだろうし、自分もそこまでする気はない。
十分今の関係に満足している。
おかしな方向に夢でも見ているのか、頬を赤らめる千雨の寝顔を見ながら、さよはふうと冷や汗をぬぐった。
危なかった。次やるときは、きちんと事前に了解を取ろう。
寝ている人を襲うのはいけないことなのだ。
もっとも、いきなりおっぱいをもませてください、などと交渉しては恐ろしいことになるのは明白なので気をつけなくてはいけないが、まあその辺は適当に機会をうかがうことにする。
素でそんなことを考えながら、さよはようやく眠ることにした。
はだけた布団を直し、目を瞑る。
それにしても自分は今後どうなるのだろうと考える。
中学が終わって、高校に行って大学か就職。正直自分は千雨がいればなんでもいいが、千雨に迷惑はかけたくない。
千雨は魔法使いの道に関わりはしても、それ一本ではすすまなそうだし、自分は魔法使いの道に進んでみたい。
千雨が魔法使いの道に進むことになるなら、気兼ねなくついていけるのだが、なかなかそれも難しそうだ。
そもそもこの世界は魔術師一本で職を得るようなものではないのだから。
うーん、とうなりながら、さよはまあいいかと思考を切り上げた。
千雨はずっと一緒にいるといってくれた。ならべつに心配することもない。
なるようになるだろう。
明日も修学旅行も、その先も。きっと全てが決定されるそのときも。
そうしてほどなく、すうすうという寝息がさよからも聞こえてくる。
先ほどまでの興奮が嘘のようにあっさりとさよが眠りにつく。
同じベッドで眠るその姿。
千雨が上着をはだけさせて顔を赤くしている。
そしてさよがそんな千雨の姿をほったらかしで、抱きついたまま眠っている。
仲のよいただの友人などという言を鼻で笑う、そんな二人。
よって、朝方に部屋を訪ねたエヴァンジェリンは二人を見て、あきれたように息を吐くことになる。
彼女は意思と覚悟さえ伴えば、あらゆる現象に頷ける。そしてそれを自らの価値で判断するわけだが、今回の相手は相坂さよだ。
身内に甘い吸血鬼。いま身内であることも含め、一度見捨てていた以上彼女はさよにはどうにも甘い。
だからこういう羽目になる。
本当にさよのものにしてやろうかなどと、半ば本気でエヴァンジェリンがつぶやいた。
いつも自覚もなしに人に決定的な種を植え付けるその少女。
自覚がないとは覚悟がないと同じこと。だから彼女は自分の植え付けた種の大きさに、それが育ってから驚くことになり、こうしてそんな情景にため息を吐く吸血鬼に怒られることとなる。
決めるときは決めるくせにどうも師匠に似て抜けている。
そんな修学旅行前日の、長谷川千雨と相坂さよの一幕だった。
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なんとまあ話が進まない回なのか。さよがおっぱい揉んで終わりました。内容はエヴァンジェリンの考え方というか立場についてお話しする回。必要は必要ですが一話とるべきではなかったかも。あとネギはいったいいつ出てくるのか。
それと相坂さんは理性的な魔術師を目指しているので壊れたりしません。真面目に常識から外れているだけです。なんども言いますが、友情度がカンストしてるだけです。
長さは一応予定通りの量なのですが、やっぱり自分でも短く感じてしまいますね。ちょっと展開もおそすぎますし、ちょっと真面目になって次回は来週に更新できるようがんばってみたいと思います。