「千雨ちゃんっ、木乃香は!?」
「――向こうだ、駅の中ッ!」
「っ!? 人払いの呪符が貼ってありますっ! やはり計画的ですっ。――――いましたっ!」
「電車に乗って逃げる気みたいですっ! 皆さん急いでくださいっ!」
近衛を追い始めてほんの数分。
ある程度の方角をわたしがつかみ、そちらに向かって走り続ける。
電車乗り場を通り過ぎ、わたしたちは、ようやくぽんぽんと空を飛ぶキグルミを着た女に追いついた。
追うのは、もっとも先に走り始めた桜咲と、近衛のソナー役のわたし。そして、神楽坂とネギの計四人。ネギの肩にはカモミールが乗っている。
さよと絡繰はまだ部屋のはずだ。声をかける暇がなかった。
相手の手に近衛が抱かれている以上、いまは一秒が惜しい。
ここまで本格的な敵対行動が起こった以上、できれば神楽坂は残らせるべきだったかもしれないが、今こうして横を駆けるこいつが、そんな案に納得するはずがない。
瀬流彦先生はついてきていない。
万一陽動として3-Aが狙われる可能性を考え、彼は約束どおりホテルに残った。皆の護衛役だ。
出際にいつもの困り顔に悔やむような色を混ぜた表情で頼むといわれた。
期待には答えなければならないだろう。
近衛がここで修学旅行からいなくなるなどという道を許せるはずもない。
神楽坂を巻き込ませないことや、せめて瀬流彦先生に絡繰への伝言を頼むべきだったかもしれないなど、悔いも残るがもう遅い。
今ここにいるのは直情型のやつばかり。わたしも突然の騒動に気が動転していた。
突然すぎる事態に、わたしも対応が甘いことを自覚する。
ただがむしゃらに追いかける。
せめて追いつかねば面目がたたなすぎる。
そんな修学旅行一日目。
夜の京都で起こる近衛木乃香の誘拐劇。
それはどうにも芳しくない展開を迎えていた。
第22話
電車に乗り込む誘拐犯を視認して、あわててわたしたちも閉まっていく扉に滑り込む。
単純なスピードではわたしが一番が遅いようだ。
ネギが押さえた扉に、ぎりぎりで飛び込んだ。
重力軽減を使い、さらに風をまとってギリギリ神楽坂と同レベルといったところか。
というかこいつらちょっと速すぎる。
キグルミを着た女の姿。
その肩には近衛が乗っており、周りには数十の小猿の式神をはべらせていた。
一度追いついた以上もう見失うことはないが、向こうの準備も万端だった。
逃走ルートには結界が、通る道には罠がある。
人払いの結界を抜け、電車に乗り、その中でおこなわれる攻防で水まみれ。
浴衣の桜咲たちと違ってわたしは制服なのだ。明日どうするのかと憤りながら、近衛の誘拐犯を追いつめる。
「はっはっは……ぐぇ……きつ……」
「大丈夫ですか千雨さん」
先生に言葉を返すヒマすらない。軽く手を振って、誘拐犯を追いかける。
「ん、なんか止まったわよ、あいつ。千雨ちゃんもうちょっと頑張ってっ!」
「くっそ……お前らと違って、わたしは普通の人間だから疲れるんだよ……」
神楽坂の言葉に頷いて、魔力を流した体をなけなしの体力で動かし続ける。
まったく何で神楽坂まで普通に走ってるのだろうか。
基本性能の差が顕著に出ていた。
そんな中、わたしがが脱落する前に、なんとか接敵。
駅のエントランスを抜けた大階段。
そこで誘拐犯が立ち止まる。
視界の開けた場所での追撃を嫌ったのか、迎え撃つ気らしい。
妥当な判断だ。近衛を担いでいては魔法使いからは逃げられない。
大階段を挟んで向かい合う。
たいして息すら切らせていないクラスメイトに囲まれて、わたしはゼエゼエと息を落ち着ける。さすがにきつい。
ウエイトを落として、追い風を吹かせようが、体を動かすこと自体が長谷川千雨に取っては重労働なのだ。ここまで全力疾走をしたのはあの夜以来かもしれない。
「フフ。よーここまで追ってこれましたな」
「ハァーハァー。…………うるせえ、おばはん。さっさと近衛を放せ」
「オバッ!? く、このクソガキ!」
戦闘中の会話で主導権をとられるわけにも行かない。
軽口を返すと、いつの間にかキグルミを脱いでいた女が激昂した。
意外に沸点が低い。気が合いそうだ。
同時に再度近衛木乃香が本物であることを確かめる。
走査した魔力のリターンを受け取り、その結果に少し驚きながらも、それが顔に出ないように抑制した。
あそこにいるのは間違いなく近衛本人だ。今のところはその情報だけで十分だろう。
いつの間にか偽物と戯れる羽目に陥るような最悪は避けられたようだ。
相手も止まった以上、ここから始まるのは攻防だ。
逃げ続けて本拠地を探られるわけにも行かないだろうし、相手もそれくらいの準備はしてあったようだ。
こちらも桜咲やネギが警戒を強める。わたしと神楽坂もそれにならった。
ガンドは近衛がいるから難しい。
暗示を叩き込んでさっさと終わらせてしまおうかと、魔力回路に充填スタート。
視線を繋ごうと意識を伸ばすが、距離が遠い上に視線が合わない。
魔術による暗示効果は、対魔法使い戦ではかなりの鬼札なのだが、やはりどれほど強力な手札も効果的に切るには経験がいる。
機会をうかがっていたわたしが動くより前に、呪符使いに動かれた。
「ま、あんたらみたいなんと遊んでるヒマあらへん。足止めさせてもらいますぇ」
お札さんお札さん、と気の抜ける言霊を飛ばし、そいつが札を投げつける。
【符術、京都大文字焼き】
お気楽な名前とは裏腹に、開封ワード一つで広がる炎が肌を打つ。さすがに近衛を誘拐しようなどとたくらむ輩だ。
電車を一瞬で水浸しにした召喚術といい、腕そのものは悪くない。
魔術と異なる魔法の炎。大炎陣がわたしとそいつをさえぎり、わたしたちの歩みを止める。
斜めに走る火柱が左右に別れ、わたしたちを囲んでいた。
魔術では炎というのは制御は難しいが発現そのものは簡易だったりするのだが、魔法ではその逆だ。しかしそれを加味してもこれはレベルが高い。
正味な話、見た目だけならエヴァンジェリンとネギの闘いで見た魔法よりも凄そうに見えた。
だが、魔法使いにとっては魔法の炎と、現実の炎は別物である。ここら辺が魔術と大きく違うところなのだが、つまりそれは炎の大きさと威力が別物だということだ。
呪符使いは自信があったらしいが、それを一撃でネギが吹き飛ばし、その隙を縫って、桜咲と神楽坂が動く。
自信があったらしい大文字の符を消されたことに、目を丸くする女が驚きの叫びを上げ、横に近衛を担ぐ小ザルを従えたまま足を止めた。
それは隙だ。一瞬の空白にわたし以外の三人が割り込んだ。
近衛の元に走りよりながら、ネギがパクティオーカードで神楽坂に力を送り、アーティファクトを出現させた。
ハリセンの形をした摂理の鍵を模すアーティファクト・ハマノツルギ。
魔力をまとった神楽坂とネギが横に並ぶ。
いいコンビだ。さすがにエヴァンジェリンに一太刀浴びせていない。
さすがにハリセンには気が削がれるのか桜咲がその格好に戸惑った声を上げている。
しかしあれはルビーお墨付きのアイテムである。
神楽坂の身体能力とあわせれば、たいていの魔物は相手にならないといわれているそれを片手に神楽坂が走る。
しかしまあ、改めて見ると、こいつらは本当にとんでもない。
わたしは魔法を放つどころか、息を整えるのが精一杯。ぶっちゃけ足が棒になり掛けだ。
はあはあと息を吐きながら、後方支援と言い訳して、機会をうかがう。
くっ、と一声。迫る神楽坂の姿にあせる女が気を取り直したように護衛の使い魔を呼び出した。
善鬼と護鬼。式神なのだろう。
桜咲と神楽坂の一閃を、式神使いの女が出現させた二匹のキグルミが受け止める。
だがこちらは四人でそっちは合わせて一人と二匹。
二人が止めて、その隙にネギが迫る。
サポートとして、なんとか息を整えながら、後方からネギの光の矢に追従してわたしもガンドを放とうと手を掲げた。
わたしの根源。虚数の海。真っ黒なそれにアクセスして、病魔の矢を引き出そうとわたしの魔術回路に光がともる。
戦いなど一撃が本気で入ればそれで終わりだ。
単純に腕の数の差で、こちらの勝ちが決まるだろう。
そうして、あまりにあっさりと戦いが終わるかとすら感じたその瞬間――――
「後ろを失礼。神鳴流です~。おはつに~」
――――わたしの耳にそんな声が聞こえてきた。
◆
「ちょいと失礼しますえ~」
「っ!?」
反射的に後ろを振り向くと、ゴスロリのメガネっ娘がすでに二刀を振るっていた。
暗示の魔術式をキャンセルして、とっさに防壁を張る。
いったい何の意味があるものかと、思いっきり吹き飛ばされるが、二つに切断されなかっただけ上等だ。
ごろごろと転がりながら距離をとった。
「千雨さんっ!」
近衛の誘拐犯に迫っていたネギがわたしのザマに動きを止める。
心配してくれるのは嬉しいが、衝撃に胸を詰まらせて返事も出来ない。
気とやらが使えないわたしは接近戦はからっきしなのだ。
斬撃を衝撃に変換して、刀の一撃を緩和したが、死ななかっただけだ。
一撃で体にガタが来ている。
だが弱音を吐いてばかりもいられない。
【――――燃えろ!】
ケチる場面ではない。
わたしを通り越してネギたちに向かおうとする女に宝石を投げつけた。
「っと!? ――――ん~、ちょい危ないですわあ。む~、ほいっと!」
燃え上がる炎が一瞬女の肌を焼くが、刀でそのまま切り開かれる。
小さな火傷。
ただそれだけを与えて宝石一つ分の一撃が回避された。
気のガードに、炎という現象を絶つその剣技。
なるほど、桜咲の同門か。こいつも大概おかしすぎる。
わたしはそのまま階段の上を転がった。
意地で顔は守るが、体が傷つく。スカートのすそがまくれるのも気に出来ないほど派手に転がり、血がにじむ。
くそ、ちうの部屋で足を出すのは、この先数週間お休みだ。
戦闘が行えそうなのは、全員近衛の方に向かっていたし、これはわたしたちの失態だろう。殺されなかったのは純粋に相手の手加減だ。
声をかけられなかったら死んでいた。しかもどう考えても手加減されたようだ。
「そちらの坊ちゃんもせっかちなのはいけませんわ~」
「えっ! くっ!?」
神鳴流斬空剣。そんな言葉と共に残撃が空を舞う。
近衛とわたしの間で足を止めていたネギがそれを避けて大きく移動した。
「千雨ちゃん、だいじょうぶ!?」
「神鳴流! 同門ですっ、相手はわたしが!」
人形と立ちあっていた神楽坂たちからも声がした。
その隙を突いて、桜咲と神楽坂がサルの人形に押し戻された。腕をぶん回す攻撃をかわして二人が階段の下まで戻る。
桜咲はそのまま刀を持った女とわたしたちの間にたつ。その背中が今の状況の悪さを物語っていた。
「まさか神鳴流剣士が護衛についていたとは……まずいです。油断しないでください」
「千雨さんっ! 怪我はっ!?」
「グッ……ゲホ……だ、大丈夫、擦り傷だけだ。手加減されたみたいだしな。ネギ、治癒はいい。いまは近衛を優先しろ」
「は、はい」
ネギが頷いた。
状況はかなりまずい。
「あら~、意外に脆い。お姉さん、大丈夫ですか~?」
「大丈夫じゃねえよ。一般人になにしやがる」
「一般人はあんな鬼気を発したりはしませんえ~。それに西洋風でも東洋風でもない感触でしたなあ。ちょっと面白い方やわあ」
笑みが怖い女だ。
こいつの前でぶっ倒れてはいられない。あわてて立ち上がる。
ずきりと足に痛みが走った。捻ったらしい。
つまり次距離をとられると逃げられる可能性があるということだ。
思わず歯噛みしてしまった。どんだけ足手まといなんだ、わたしは。
「千雨ちゃん、大丈夫?」
横に桜咲と神楽坂が並んだ。
心配する声に返事をするが、この状況は少しまずい。
追いついた瞬間のタイミングをつぶしてしまったのは正直痛い。
「ふふん、ざまあないなあ、がきんちょども。ほな、わたしはこれで。殺しはせんから、遊んでな。たのみますえ、月詠はん」
「はいな~」
やはりだ。時間稼ぎと足止め狙い。
そんな輩を前に睨みあいもなにもない。
きぐるみ女がここで足を止めたのは、こいつと合流するためだったのだろう。
ここで時間を取られれば、それはそのままわたしたちから近衛までの距離になる。
正直なところ逆転の手がないわけでもないのだが、タイミングがつかめない。
ミスればそれで何事もなかったように終わるだろう。
アイツも頑張っている以上、ここでわたしが適当にぶち壊すわけにも行かない。
わたしは逃げようとする女を睨みながら、無言でタイミングをはかりつづける。
「お嬢さまっ!」
ここで逃がせば終わりだということを感じ取ったのだろう。桜咲が駆け出した。
爆発的な速度でかける桜坂を月詠と呼ばれた女が迎え撃つ。
三閃四撃と刀が交わる。桜咲がメガネっ娘と戦うのを横目に、残り二匹のぬいぐるみがわたしと神楽坂で、先生が近衛の奪還となった。
先生とわたしのポジションは交代してもよさそうだが、わたしは人を傷つける以外では無能なのだ。
桜咲が先陣となり、全員が同時に走る。
足止めをする気なのだろう。のんきそうな声を上げながら、二刀使いが桜咲の野太刀と切り結んだ。
さすがに強いが、桜咲もとんでもない。残光しか視認できないそんな戦い。
桜咲がいなければこいつに全員やられていただろう。
相性の問題もあるが、それでもこの二人は頭一つ抜けている。
やはり絡繰がいないのが悔やまれる。瀬流彦先生からエヴァンジェリンの従者に応援が頼まれることはないだろうし、期待するのは楽観すぎる。
さよとキスしたときにパスを結んでおけばよかった。
だが、不幸中の幸いというべきか。キグルミ女はわたしたちでも対処できる。
桜咲たちを横目にわたしと神楽坂、そしてネギが走る。
足が痛いが弱音を吐いてはいられない。
迎え撃つのは二匹のきぐるみ。女の言葉を受けるのならば、猿鬼と熊鬼。
横に並ぶネギが呪文を唱える。武装解除には距離がある。光の矢だろう。
近衛に当たれば洒落にならないうえ、飛ばしたらそれっきりのわたしと違い、誘導性のある先生の技術はこの様な場に向いている。
そして、ネギが動くと同時に神楽坂がハリセンを振りかぶる。
ネギの言霊により神楽坂の手に召喚されたアーティファクト。
見た目の滑稽さとは裏腹に凶悪な性能を秘めるそれは、油断を誘うという意味ではハリセンなどという形こそがピッタリだ。
えい、などと気の抜けた声をとともに振るわれるスパンときれいな音を立てたその一撃。
その一閃で、自信満々に誘拐犯が繰り出したぬいぐるみが消し飛んだ。
大ダメージもなにもない。強制的な式神返し。
紙ふぶきとなった鬼が虚空に舞った。
戦いとすら呼べないそれに、正直なところわたしまで驚いた。
相性がよいとは聞いていたが、限度がある。
「なんだ、弱いじゃないこいつら」
「な、なんやてっ!? どういうことや!」
さすがに呪符使いが驚いたような声を隠せずに後ずさる。
そりゃ知らなかったらそう思うだろう。
ルビーお墨付きの反魔法。天下無敵の魔素殺しの魔剣である。
いやはや、なるべく神楽坂は巻き込まないようにと思っていたが、有能すぎる。
わたしよりよほど活躍しているようだ。
同時にわたしも熊鬼とやらに襲い掛かる。ここでへたれていては、神楽坂に面目が立たないだろう。
卓越した技術を振るう桜咲のように切り結ぶことも、神楽坂のようにシステムに介入してぶちのめすことも出来ないわたしの役目は時間稼ぎ。
相手が人形ではわたしは基本無能である。だって人形相手に暗示も病魔もない。
一撃を受けて無理やりガード。そして反撃にとガンド撃ち。衝撃は通ったが、当たり前のようにたいして効いていないようだ。
神楽坂や桜咲がとんでもなさすぎるだけで、このヌイグルミは意外に強い。
拳を受けて踏みとどまって、蹴り飛ばされて吹き跳んで。そんな攻防をもう一往復。
数秒の攻防を行っていると、札に戻った一体目を尻目にこちらに向かった神楽坂がわたしの目の前のぬいぐるみを消し飛ばした。
だが、それでもちょいと遅かった。
わたしたちがぬいぐるみに足止めされ、桜咲が月詠と名乗る二刀使いとじゃれている。
近衛に向かっていたネギがあわてたような声を出し、打ち出していた光の矢を呼び戻していた。
そして当の式神使いが、近衛を抱えたまま光の矢を逸らしたネギに驚いていた。
わたしとは神楽坂と共にそちらを見る。
近衛を前に出して、笑っている式神使い。
ネギの放った式神使いを狙った光の矢。それを近衛を盾にすることで防いだのだ。
舌打ちをこらえられない。
近衛を盾にしたのは条件反射。あいつも狙ったわけではないようだ。
しかし、女は近衛ごと打ち抜くのを避けたネギの行為をあざ笑った。
「は、ははーん。なるほど、読めましたえ。甘ちゃんやな。人質が多少怪我するくらい気にせず打ち抜けばえーのに」
「なんですってっ!?」
「それで命拾いしといて大口叩くなよ、オバハン」
その言葉は道理だが、誘拐犯に言われる筋合いはない。
神楽坂が怒りの声を上げ、桜咲が月詠と切り結びながら、ビキリと空気を凍らせるほどの戦気をつのらせる。
「ホーホホホホホ。まったくこの娘は役に立ちますなぁ! この調子でこの後も利用させてもらうわ」
「このかをどーするつもりなのよ!」
神楽坂が叫ぶ。こちらを煽る言葉だとはわかるが、さすがにわたしもむかついた。
女が挑発するように近衛を肩に抱える。
そうして大きな人形を呼び出して、その尻尾につかまった。
高速思考を走らせるまでもなく予想できる。
あの尻尾につかまったまま飛んで逃げる気なのだろう。
「まずは、呪薬と呪符でも使て、口をきけんよにして、上手いことうちらの言うこと聞く操り人形にでもするのがえーな」
捨て台詞。それは嘘だ。
そんな手で呪術協会とやらを牛耳れるようなら、わたしは近衛の父親とやらを指さして笑ってやる。
そのような手で騙されるあほがいるわけない。
そう、どう考えても挑発だったのだが、神楽坂たちには効果覿面だった。
ネギと神楽坂、そしてもちろん桜咲が冷静さを失って怒りの声を上げていた。
「ボクの生徒になにをする気ですかっ!」
ネギの武装解除。人質を気にせず打てるそれは、この場では最善だがネギは移動法がない。
風も矢も、この距離では遠すぎる。
遠距離の武装解除ではさすがに格闘専門でなくとも食らわない。
即座に無数のぬいぐるみが盾に入り、その体と引き換えに霧散する。
近衛にまとわりついた大半が消えるが、それでも盾になったぬいぐるみの代わりにと、近衛を肩に担ぐ女までは届かない。
「このかになにする気よーッ!」
「お嬢さまぁあああ!」
二体目のぬいぐるみを消し飛ばした神楽坂も走るが、ちょいと遅い。
神楽坂のセンスはとんでもないが、それでも数十メートルの距離を一足飛びではわたれない。
同時にわたしの横にいたはずの桜咲が掻き消えるような速さで跳ぶがそれでも足りない。
間に合わない。
わたしも同様。
わたしもまだ動かない。令呪で跳ぼうが制御が利かない。
わたしの跳躍は移動であって、踏み込みではない。敵の前に飛び込めば、そのまま撃墜されて終わるだろう。
暗示は対面して視線を合わせでもしないと使えないし、ガンドはネギ同様の理由で却下だ。
武装解除ならまだしも、ガンド撃ちや魔法の矢は近衛に当ればシャレにならない。
唯一可能なのは瞬動だとか言う技術を持つ桜咲だが、あいつの前には月詠と呼ばれたメガネの二刀使いが立ちふさがっていた。
相手の思惑通りといったところだろう。用意周到すぎる。
近衛の護衛である桜咲のことが知られていたということだろう。
桜咲は双刀使いに完全に抑えられている。
ほえほえと笑うゴスロリのメガネっ娘。
不満そうな顔をした彼女は、このような場ではなく真剣勝負がしたいのだろう。だが足止めの任を受けておいて、それに私情を挟むほど能無しではないようで、その対応は完璧だ。桜咲は動けない。
戦闘狂という桜咲の評価にも一理ある。
そもそも正直なところ、あの女と接近戦をマトモにできるのは桜咲だけなのだ。
あいつがいるのを不幸と見るべきか、桜咲がいるのを幸運と見るべきかすらわからない。
だがそれは桜咲にとっては関係ない。あいつにとっては自分の足を狙われようが、たとえ命を狙われようが、きっとどちらでもかわらない。
だって、そんなのは近衛木乃香を救えないことには違いがないからだ。
こうして月詠と切り結んでいる桜咲に焦りが見える。憔悴が感じ取れる。このまま近衛が奪われるくらいなら、自分がどうなろともかまわないという裂ぱくの気合が見える。
近衛木乃香。3-Aの基質を体現するかのようなお人よし。友人思いで幼馴染のことに悩んでるそんな少女。
知り合いの恋話に盛り上がり、そのあげくそんな“知り合い”の元を興奮と共に訪れたそういう乙女。
――――千雨ちゃん千雨ちゃん。千雨ちゃん。アスナとネギくんから聞いたで。ネギくんと――――
「ウチの勝ちやな。ほななーケツの青いクソガキども。おしーりペンペーン」
そんな中、高笑いを響かせる呪符使いが、わたしたちをあざ笑う。
もう少し、とわたしは呟く。わたしはまだ動かない。
呪符使いの高笑い。
そう、なすすべも無いように見えるであろうわたしたちを笑っている。きっともうわたしたちには手がないように思ってる。
わたしは動けず、神楽坂とネギは動きを止められ、桜咲は戦闘狂と遊んである。
肩に担ぐその少女。魔法の世界に関わらず、何一つそういうことを知らされず。
だけど彼女は占い研究部の部長で、オカルト好きなそういう少女。
秘匿され監視下にありながら、一般人としてそういう道具を集める趣味をもったオカルトマニア。彼女はそんなちょっと不思議なアイテム集めが好きだった。
魔法使いでないものが、己の知識のみで集める偽りありきの収集物。
だけど彼女は魔法を知らず、本物の魔法使いから見れば哀れだと評されるかもしれないそんな趣味を持っていた。
友人にも知り合いにもクラスメイトにも知れ渡る、そんな趣味を持っていた。
――――いやーん、なんやの、それ? すごいなあ
戦況を把握して、それでもわたしは動かない。
近衛木乃香は桜咲刹那と風呂場で会って、会話した。
久しぶりに少しだけ話せそうになって、やはりいつものとおり避けられて、それを彼女は悲しんだ。
なあ、呪符使い。
近衛を襲おうとしたお前は最初にホテルの外に分類される露天風呂を狙っていたな。
そいつが失敗して、さて次はどうやって近衛を狙うかを、お前はそれなりに悩んだんじゃないのかい?
そのあと、式神返しの張られたホテルに忍び込む機会を探ったろ?
なあ、そうなんだろう呪符使い。それは意外に苦労したんじゃないのかい?
桜咲刹那の結界を破るのは、それなりに作戦が必要だったんじゃないのかい?
あんた、一体どうやって入り込んだ。いったいどうやって近衛木乃香にたどり着いた?
玄関先で誰かが出るのを伺ったのか?
桜咲の符をかいくぐったり、外から近衛を呼び出したりしたのかい?
いいや違うね。なあ、近衛木乃香を狙った呪符使い。
お前が近衛をさらえたのは、単純に標的であるアイツが外に出たからなんじゃないのかい?
そうたとえば、
たとえば、オカルト好きの標的が、願いを叶えるなんて眉唾の、そんなオカルトアイテムを手に持って、建物の外側であるベランダなんかに出ていたからじゃあないのかい?
――――遠慮せず、ぜひ持ってってくれ。ついでにこのペンダントとかどうだ。もって祈りゃあ願いが叶う――――
「木乃香さんっ!」
なんでアイツがそんなところに?
それはアイツがきっと祈っていたからだ。
なにに祈った?
そんなの友人があいつに渡した“祈れば願いが叶う霊験あらたかなアクセサリー”に決まってる。
お前が近衛をさらえたその理由。
それは、風呂場で幼馴染との距離に涙して、きっとそんなものに縋らないとやってられなかった近衛が、晩酌して酔っ払ったその挙句、
ベランダに出て、一抹の望みを持って、そのペンダントに祈っていたからじゃないのかい?
――――ほう、賄賂にとられたといっていたが、作り直したのか。催眠耐性に簡易結界……魔法使いには気づかれまい
「このかっ!」
近衛木乃香が、このまま担がれなすすべもなく奪われる。
そんな敗北がありえるとでも、ネギ・スプリングフィールドと神楽坂、桜咲、そしてこの長谷川千雨がそろったこの場でそんな企みがうまくいくとでも思ってるのか、呪符使い。
近衛木乃香が眠りつづけ、長谷川千雨がただ負けて、ネギ・スプリングフィールドの心が折れて、神楽坂明日菜があきらめる。
そして桜咲刹那が近衛木乃香の救出に挫折する。
おいおい、オバハン。正気かよ。皮算用にもほどがある。
――――居場所とそして近衛の状態くらいなら、わかるんだ。
「このちゃんっ!」
なあ呪符使いの誘拐魔。お前そんなことがありえると、もしかして本気で思っていたのかい?
それはちょっとばかり近衛木乃香と、その友人たちをなめすぎだ。
そんな結末あるはずない。
なんで一旦逃げ切っていたお前にわたしたちが追いついたと思ってる?
べつに見回りしている先生に会ったわけでもないだろう?
不思議に思わないのか、呪符使い。わたしたちがお前に追いつき、そしてこうして逃げられようとしている今は、そんなこと考える必要なんてないってか?
だけどそれはちょっと甘いと思うぜ、サル女。
取り巻きの小ザルが術者から離れ、わたしたちに向かってくるその瞬間。
呪符使いが、あとは逃げるだけだと、わたしたちから完全に意識をはずすその間隙。
そして“彼女”がただ一手繰り出せば、それだけで拘束から抜け出せるような、そんな状況。
そんなことにまるっきり気づかないまま、逃走用のぬいぐるみに飛び乗ろうとする呪符使い。その姿を見ながら、わたしは叫ぶ。
「近衛――――」
手はあった。
ただタイミングがつかめなかった。
そして、いまがそのタイミングだということは明白で、
たとえ足をくじき動けずとも、声を発するのに支障などあるはずない。
「――――いまだっ!」
その叫びとともに、四十歩先の近衛の持ったペンダントに魔力を送る。
近衛が手に巻いていたアクセサリーが大きく光り、簡易結界が発動される。
はっ? と間抜けな声を上げる女の肩で、近衛木乃香の体に光がともる。
いままでわたしに近衛の位置を教え続けたその道具。GPSとはいかないが、わたしの魔力に反応してある程度の位置をつかみ取れるそう言うアイテム。
そう、その魔道具には催眠耐性が施され、担い手か作成者の手によって結界を生み出す特別性。
だからわたしは知っている。
担がれて光をまとうその少女、
いまこの瞬間、きっと浚われて幾ばくもしないそんな時から近衛木乃香は、
浚われて、ぐったりと担がれて、ずっと目を瞑ったままに身じろぎ一つしなかったその少女が、
いまこの瞬間に呪符使いにぐったりとしたまま担がれているその少女が、
――――すでに目を覚ましていた、ということを。
◆
寝たふりをしていた彼女が、完全に油断していた女の肩で身をよじる。
「やあっ!」
笑ってしまうような甘い叫び。
だが、それで十分だった。
そんな叫び声と共に、肩に抱えられていた近衛が呪符使いを蹴っ飛ばし、その拘束から抜け出した。
わたしが笑い、そして桜咲が駆け出した。
驚愕の顔のまま蹴っ飛ばされる呪符使いの間抜けな姿。
自動制御の小ザルが近衛に群がるが、光る防壁にはじかれる。
魔術の技術は魔法使いには発動まで気付かれることはない。
そんな小さな、そして絶対的な優位性。
月詠とやらにわたしの炎が切り裂かれたが、出した炎は切り裂けても発動した防壁はそうそう簡単には破れない。
どれだけ力の差があろうとも、油断すればそんなものに意味はない。
呪符使いには肉弾戦の力はなく、そして近衛はああ見えて運動神経自体は悪くない。なにしろ神楽坂明日菜の友人だ。
そう。近衛木乃香は起きていた。
タイミングを計っていた。
得体の知れない連中にとらわれながらも、その瞬間を待ち続けた。
空を駆け、水を生み出し、炎を呼ぶそういう化け物に連れ去られ、自分の友人をバカにされながらも、それでも取り乱したりはしなかった。
きっと挫けそうになる恐怖に耐えながら、追いかける幼馴染と友人たちの声を聞き続けた。
幼馴染を信頼し、友人を信頼し、担任教師を信頼し、そしてまあきっとクラスメイトのわたしのこともほんのちょっとは信じてくれていたはずだ。
だから耐えた。恐怖に耐えて、無言を通した。
恐怖に震えながらも、寝たふりをして待ち続けた。
だってあいつは誘拐犯に浚われながらも、それを追いかけている友人の声が聞こえていた。
だからアイツは崩れなかった。声が聞こえていたから、あいつは絶望なんてしなかった。
そして待った。
近衛をずっと抱え続けていた無数のサルから開放され、未知の力を使うとはいえ、ただ肩に担がれただけのそんな状態。
間抜けな誘拐犯が、追っ手のガキをあなどって、完全に油断するさまを見せるその瞬間。
拘束がなくなるその間隙。誘拐犯から抜け出して、そのまま逃げを打てるそんな理想的なタイミング。
それを彼女とわたしは待っていた。
「なっ、なんやてっ!? 眠らせておいたはずやっ!」
動揺するより行動しろ、この間抜け。
あわてて近衛を追いかけようとするその足元に濃度を薄めたガンドを飛ばす。
人形には効かないが人間には十分なそれが、呪符使いの足にかする。
わたしの一撃で足が止まり、たたらをふむ女の横を近衛が駆ける。
「せっちゃんっ!」
拘束を抜け出した近衛が刹那の名を叫びながら、大階段から身を投げる。
大胆なその行動にちょいと驚く。
いったいどれほど桜咲に信頼を寄せているのか。
そしてその信頼を受ける桜咲。
あいつがその期待に答えられないはずがない。
近衛が大階段から身を躍らせた瞬間、桜咲が近衛の名を叫びながら、立ちふさがったメガネの双刀使いを吹き飛ばした。
あれだけ近衛を気にしていただけのことはある。
近衛が動いた瞬間に、驚きながらもやるべきことを失わず、最も早く駆け出した護衛役。
痛快なその光景に思わず笑う。いつも思うが魔法使いという輩はメンタルに左右されすぎだ。
激情のままに月詠を吹き飛ばした桜咲がそのまま近衛を受け止める。
同時に近衛が意識を取り戻したことに動揺したままの呪符使いに、ネギと神楽坂が駆け寄っていた。
近衛を助けようとする桜咲を信じ、あいつらは自分のやることを見失わなかった。
ネギの一撃が呪符使いの服と武装を吹き飛ばし、神楽坂のハリセンがメガネ女の頭を引っぱたく。
服が吹き飛ぶ様には同情するが、自業自得だ。
「くっ、なんでガキがこんなに強いんや!」
素っ裸のまま凄む女をネギと神楽坂が取り囲む。
ギロリと睨む二人にハダカのまま仁王立ちする女が悔しげに歯を鳴らした。
そのまま捕らえられればよかったのだが、引き際はわきまえているらしく、そのまま女は逃げをうった。
チイ、と舌打ちして、先ほど生み出したサルのキグルミに抱きつくと、そのまま飛び去る。
逃走の用意だけはしていたのだろう。
わたしたちも近衛がいる以上、再度追いかけなおすわけにもいかない。
おぼえてなはれー、と叫ぶ女が京都の夜空へ消えていく。
月詠もいつの間にか消えていた。負けを認めたということか。
桜咲のほうも抱きつく近衛の姿におろおろとしているばっかりで、先ほどの双刀使いのことは意識にないようだ。
「いやはや、逃げられたな。あいつを捕まえれば、芋づる式に全部解決しそうだったんだけど、そんなにバカでもないのか」
一段落着いたようなので、わたしもよろよろと歩きながら神楽坂たちに近づいた。
「あっ、千雨ちゃん大丈夫?」
くじいた足をかばいながら歩くわたしに、神楽坂から心配そうな声がかかった。
こいつらに怪我はない。どうやらわたしが唯一の怪我人のようだ。
なんとも不甲斐ない。
「いえ、千雨さんがいなければ、そもそも追いかけることも出来なかったでしょう。そういえばなぜ、お嬢さまの場所が?」
「やっぱ魔法なの?」
「まあな。だけど、いくらわたしだって、念じただけじゃクラスメイトの場所はわからない。手品にゃあ仕込みがないとな」
桜咲と神楽坂の問いに肩をすくめた。
ポカンとした顔に少し笑う。
桜咲に抱かれながら近衛がこちらを見ていた。
その顔には笑顔が浮かんでいる。
「修学旅行に持ってくるほど気にいってたのか、近衛」
「もちろんや。せっかくもらった霊験あらたかな一品やからね」
笑って近衛が浴衣のたもとから一つのペンダントを取り出した。
まだ残光が残っていたが、それもだんだんと消えていく。篭った魔力を燃料に簡易防壁をはる長谷川千雨の特性だ。
いつだったか、近衛が部屋に押しかけてきたときに、わたしはそんなものを渡していた。
わたしが近衛を追いかけられたのも、近衛が意識を保っていたのも、そのペンダントがあるからだ。
発信機はついていないが、魔力を当てれば、自作の魔道器の位置くらいは感じ取れる。
「うち、途中で目が覚めたんよ。眠ってもうて、ずっと夢みてるみたいやったけど、これがすごい熱うなってな」
桜咲の腕の中に納まったまま、近衛はひょいとペンダントを掲げて見せた。
視線が集まるが、わたしは肩をすくめて返事とした。
「前に千雨ちゃんからもらったんよ。千雨ちゃんお手製の願いをかなえる霊験あらたかな一品やってな」
そのペンダントを胸に抱く。
魔術がかかっているものの、願いが叶うなんて嘘っぱちとともに渡されたそういうアイテム。
だが、近衛はにっこりと笑って見せた。
「千雨ちゃんのいうとおりやったね」
「近衛……」
そう、あの時はただの軽口だった。
それでもそれを近衛は大切そうにその小さな手に包み、泣きそうなほどの深い深い息を吐き、
「――――持って祈ったその晩に、ほんまに願いが叶ってもうた」
さすがに効果がありすぎやと彼女は笑う。
万の感情、無限の心情。
近衛の願い、近衛の望み。
それがいったいなんだったのか、それをわたしは知っている。
ネギだって神楽坂だって知っている。
きっと気づいていなかったのは、おろおろと胸に抱きしめる近衛の姿にうろたえ続ける半人前の剣術家くらいのものだろう。
「……そりゃよかったよ。お前に取られた甲斐があった」
「ふふふ、あんときはごめんなあ」
「いいさ、気にすんなよ。近衛にゃジュースをおごってもらった借りもある」
「もー根に持たんといてや、千雨ちゃん。あんときも悪乗りしてもうてゴメンなあ」
肩をすくめて返事とした。
「それは千雨さんが?」
「まあな」
「うん。もらったんよ。千雨ちゃんから……ちょっと強引に、やったけど」
ネギの問いに近衛が笑いながら答えた。
「ちょっとどころじゃなかったけど、まあ役に立ってよかったよ」
「うん。でも、すごい怖かったわ。電車ん中がいきなり水びたしになるし、お札を投げて声をかけたら火柱上がるんやで。全部夢やったって言われたほうがまだ納得できるわ」
「……お嬢さま」
「ふふ、せっちゃんが追いかけて来てくれへんかったらきっとウチ、泣いてもうたかもしれへんね」
近衛が大きく息を吐いた。
一瞬の静寂を経て、決心したかのように近衛はその言葉を口にする。
「――――魔法かあ、怖いもんなんやね」
「……っ」
桜咲が悔やんだような顔をする。
それを知られないようにするために、彼女は麻帆良に来てからもわざわざ近衛から離れていたはずなのだ。
「せっちゃん。これが理由やったんやね」
近衛の問い。それに一瞬黙って、桜咲が観念するように口を開いた。
「……はい。この世界には魔法使いがおり、今この京都にはお嬢さまのことを狙っている輩がいます。わたしはそれを妨害するために、陰ながらお守りする役を……」
懺悔するかのような桜咲の声。
近衛木乃香は魔法にかかわらせずにすごさせる。それがルール。
本人に魔法を知らせず、魔法の世界からその身を守る。ルビーからも超一級と評される魔力を持つ近衛を守り続けた桜咲。
ネギよりもエヴァンジェリンよりも、そしてきっとナギ・スプリングフィールドよりも強大な魔力を持ったその少女。
だからこそ、近衛の親や、学園長は彼女を魔法に関わらせずに、そして護衛だけをつけていた。
それを崩しちまったのは、わたしが適当な気持ちで渡した小さなペンダントだったわけだ。
悔やむような顔をする桜咲に向かって、近衛が口を開く。
大きく大きくため息をはいたあと、どうにも分かっていないらしい幼馴染に憤る。
「あんなあ、せっちゃんっ! なんで言うてくれへんかったんっ!」
近衛らしからぬ大声だった。
涙目のままの近衛の叫びに、桜咲がビクリと震えて縮こまる。
桜咲にすがりつき、涙目のまま抱きついて、友情を燃料に怒るその少女。
桜咲の戸惑った顔が救いを求めるようにさまよっていた。
気持ちはわかる。覚えがあった。あれはやられる側からはどうしようもないものなのだ。
まっ、わたしとさよのとき然り、これは100%桜咲が悪いということで結論付けりゃあそれでいい。
わかっていたことだった。
だって、近衛と桜咲の対立なんて、二人から話を聞いた時点でたいした問題ではないとわかっていた。
近衛と桜咲が会話できる場を作ってやるだけで十分だとしっていた。
近衛が大切でたまらない桜咲に、桜咲が大切でたまらない近衛木乃香。
近衛を大切に思いすぎて隠れ続けた桜咲に、桜咲を大切に思いすぎて動けなかった近衛木乃香。
だから、これは二人にきっかけを与えるだけで解決間違いなしの、わたしたちの助けなど何一つ不要なあまりに簡単な問題なのだ。
わたしはその姿を見てきびすを返す。
どうも長くなりそうだ。
くい、とあごで合図すれば、神楽坂たちが意図を汲み取ってついてきた。
「千雨さん?」
「どうするの、千雨ちゃん」
「どうしたんすか、姉さん」
二人と一匹の問いにわたしは笑う。その答えは簡単だ。
いまからわたしたちがやらなくてはいけないことなど唯一つ。
水浸しの電車に、燃えカスと消耗符だらけの大階段。刀傷の残った壁に床。
「後始末でもしてようぜ。終わるころにゃあ、あの二人のことは解決してるさ」
後ろで騒ぐ近衛の声と、おろおろと平伏し続ける桜咲。二人の声を聞きながら、わたしたちは笑いあう。
近衛木乃香に桜咲。あの二人には何もする必要はないだろう。
だから、わたしたちがやるべきことは掃除くらいしか残ってはいないのだ。