修学旅行3日目の朝。
今日は私服行動が許可される完全自由行動日とあって、朝から生徒の皆は張り切っていた。
「ホラホラーッ、ぼさっとしてないで準備しなさいよっ!」
「あれーネギくんがいないよ?」
「千雨さんもいませんわね。まあ予想通りですけど」
「うわー、いいんちょ怖いなー。でも茶々丸さんたちも含めて全員いないよ。一緒に行動してるんじゃないの?」
「完全自由行動日だよー、わざわざ一緒にいるかなー?」
「でもなんかネギくんも用事があるとか言ってたじゃん」
「あー、木乃香の実家によるとかいうやつかあ」
「わたしらも行ってみたいよねー」
ホテルの中。すでに自由行動は始まっているとあって、思い思いの行動予定を述べながら、ホテル内で騒ぐ麻帆良学園中等部女学生。
その喧騒の隙間を縫って、ネギがホテルの裏口から抜け出していた。
もちろん、自由行動日であるこのチャンスを逃さずに、親書を届けてしまうためである。
第24話
もっていれば敵を引き込み、引き込まれた敵が木乃香を狙うとあっては、さっさと届けてしまいたいアイテムだ。
使用すれば争いをなくすものでも、使用前は争いを呼び込むというものは少なくない
さっさと抜け出して、ホウキの一つでも使いたいところだが、木乃香の件もあり、徒歩で向かおうかと考えているネギは、丹市八木町から亀岡市にかけて流れる大堰川、その川にかかる大堰橋の端に向かっている。
道案内と護衛をかねて、刹那と木乃香に同行をお願いしているのである。
木乃香に関しては、また狙われる可能性もある。ほうっては置けないのだ。
「どうしたんスか、兄貴?」
「このかさんたちと待ち合わせしてるんだけど、どこにいるのかな」
上手くホテルから抜け出し待ち合わせ場所にたどり着いたネギとカモミールがそんな言葉を交わしていた。
完全自由行動日。生徒の自主性に任せているため、今日は大阪だろうと、京都内だろうと移動が許可されている。
さっさと移動しないとほかの人物にあってしまうかもしれない。一応これは秘密の任務なのだ。
もっとも、一昨日の段階で、木乃香の父親の元へ向かうことはクラスメイトにはばれているし、木乃香に魔法ばれしたことに関しては学園長から許しを貰っている。
「そういや昨日はどこ行ってたんすか?」
「ボクは見回りで外を回っていたけど、どうかしたの?」
「カー、せっかく俺っちが気を効かせて離れてたってのに、ちうの姐さんを誘わなかったんすか!?」
「う、うん……千雨さんに迷惑をかけるわけには……」
「なに言ってるんすかっ! 姐御はどう見ても奥手っぽいんすから、兄貴から誘わないといつまでたっても進展なんザしませんよ! 兄貴は男なんすから!」
「そ、そうなのかな?」
「当然ッス! 姐御が他のやつになびいちまってから悔やんでもおそいんすよっ!」
「ええっ!?」
カモの言葉に心のそこから驚いたネギが叫び声を上げた。
正直ネギは自分が千雨から離れて浮気するなんて光景は想像すらしたことがない。自然と同様のイメージを千雨にも持っていた。
カモの言葉は想像の外すぎる内容だ。
「で、でもそんな人なんて」
「いくら野暮ったく見えたって、あの姐さんの本性はネトアの日本一なんすよ。ファンメールを日にどれだけ貰ってるかしらないんすか!」
「野暮ったくなんてないと思うけど……それに、それ本当? 知らなかった……というかなんでカモくんは知ってるの? それに、そういう人に千雨さんが……」
「おとといの夜のこと忘れたんすか! さよの姉さんもいるじゃないっすかっ! あの方はおれっちの見立てでは姐御にベタボレッスよ」
「で、でもさよさんは女性だけど」
「刹那の姉さんたちも同じようなもんじゃないっスかっ!」
「そ、そんな……」
酷すぎる説得だったが、なぜかネギは頷いた。
カモミールの言葉に突っ込む人間がいないのも問題だ。刹那がいればカモを締め上げてくれただろう。
畳み掛けるカモの姿を不審に思うこともなくネギがうなる。
いくら思考や知恵が大人顔負けといっても、そこにあるのは子供らしい独占欲だ。
ネギは自分の信念と心情に関しては、わがままで直情的である。なんとか周りの助けもあって改善されているともいえるが、人間の本質とは中々に尾を引くものだ。
のどか相手に、千雨が手を貸したいと願ったそのあり方。
それにネギやカモは気づいていないし、千雨もそうそう世話を焼く気はない。まだまだ二人とも子供なのだ。
ネギとカモミールの会話もたいした深刻さも含まないまま続いていた。
「駄目ッスよ、もっと押さないと。せっかく昨日は俺っちが……」
「どうしたの、カモくん?」
ぶつぶつとつぶやき始めるカモにネギが不思議そうな顔を向けた。
ちなみにカモとネギは昨日の夜に、屋上へ向かう階段から転げ落ちた千雨がクラスメイトにつかまって、そのまま一騒動が起きたことなどはもちろん知らない。
大橋の袂で木乃香たちを待ちながら話し合う一人と一匹。
二人そろって首をかしげていると、ネギの後ろから声がかかった。
「ネギ先生」
「えっ? あっ、はい」
声にネギが振り向くと、そこには5版と6班の面々がそろっていた。
木乃香と刹那、そして千雨、ぎりぎりでアスナの姿くらいしか予想してなかったネギがその大人数に流石に驚く。
そもそも個別自由行動日になぜ班行動しているのだろうか、この人たちは。
3-Aの皆が仲良しだということは知っていたが、それは班行動を示唆するものではないはずだ。
「えっと……あ、あの! 皆さん可愛いお洋服ですね」
内心では驚きながらも、ネギが担任教師としての威厳を保ち、笑顔のまま対応した。
そのままちょいちょいと明日菜たちを手招きする。
「なんで、皆さん一緒なんですかっ!? いくらなんでも多すぎますよっ!」
「ごめんごめん、パルに見つかっちゃたのよ」
「ウチの班員は全員関係者だからな。さよも近衛たちのところに行きたいっていうし。それにいきなり街中で襲ってくるほどバカじゃないだろ。早乙女たちとは途中でわかれりゃいい、大義名分もあるわけだし」
すまなそうに明日菜が手を立て、千雨がまったく反省してない顔で事情を述べた。
明日菜は騒動を予感してかスカートの内にズボンを合わせているが、刹那は制服のままだった。千雨がハイソックスとミニスカートの刹那の姿に首をかしげている。一昨日の風呂場の件といい、こいつは慎みがなさすぎる。
流石に刹那以外の生徒は、お洒落に気を使う女子中学生だけあって、荷物が増えようが私服は用意していた。
編み上げブーツを持参する夕映ほどではないが、千雨も今日は制服姿からジーンズを主体に動きやすい服装に着替えていた。
「えー……、あの、5班の皆さんは自由行動の予定はないんですか?」
少しばかり困った顔でネギが5班の面々に問いかける。
6版はまだしも、5班ののどかたちは完全に部外者である。
千雨はむしろそれが襲ってこない原因になると考えているようだし、その根拠もあるようだが、心情的には不安は分からないでもない。
「わたしたちは特に予定はないですので」
「ネギくん、一緒に見てまわろーよ」
ジュースを飲みながら夕映が、ニヤニヤと笑いながらハルナが答えた。
どうしようと考えながら、ネギが助けを求めるような視線を発する。
その視線をたどられてまたからかわれたりもするのだが、その視線の先にたたずむ千雨にも特にこれといった意見はないようだった。
「あの……ごめんなさい、千雨さん」
「宮崎か。べつにお前の所為じゃないけど、先生のは本当にデートとかそういうのじゃなくて、仕事なんだ。近衛や神楽坂に付き合ってもらっているのも、あいつらが許可されたからでな。終わったら早乙女に付き合ってもいいが、一段楽するまではマジで遠慮してもらっていいか?」
「はい、そういうことでしたら」
「ん、助かるよ」
「いえ。……ふふ、でもお邪魔する気はありませんから。安心してください」
「宮崎よ……わたしが悪かった。もう勘弁してくれ」
頭に手を当てて千雨が言う。
ふふふ、とのどかは嬉しそうに笑った。
仲のよさそうな二人にニヤニヤと笑いながらハルナが寄ってくる。
事情は聞いていないようだが、この女の勘のよさ相手に、千雨が楽観視することはない。
ジト目を向ける千雨にハルナが笑った。
「やー千雨ちゃん。なにこっそりはなしてんのー?」
「先生の手紙の件だよ。早乙女。お前はわかってんだろ。これはマジで仕事なんだから邪魔するなよ」
「わかってるって。でも千雨ちゃんも拘るね。旦那の心配するのは分かるけど、束縛はしちゃ駄目だよ」
「触覚を引っこ抜かれたくなかったら黙ってろ」
同じ内容なのに、のどかに対するよりも温度が低い。
「ま、でも途中まではいいでしょ。わたしらもともと自由行動日の予定は立ててなかったし」
不機嫌な千雨の姿に苦笑しながらハルナが言う。
木乃香たちが用事があるというのは聞いていた話なのだ。
学園長からの手紙となれば、それは流石に嘘ではあるまい。邪魔して迷惑をかけるのもなんである。
だが千雨はジト目を向けたままだ。ハルナの誤魔化し台詞はどうにも信用できない。
のどか以外には強気を崩さない千雨だった。
ヘタレの癖にプライドが高い女である。
「オッ、あっちにゲーセンあるじゃん。記念に京都のプリクラとろうよ」
「プリクラー?」
キャイキャイと騒ぎながら皆で歩いている。
そんななか、千雨の横を歩いていたハルナが大き目のゲームセンターを声を上げた。
明日菜が不満そうな声を上げたが、意外にゲーム好きの夕映たちはまんざらでもなさそうに視線を向けている。
屋外でやるゲームにはあまり興味がない千雨も、楽しげにしている茶々丸やザジの姿を見て口をつぐんだ。
そんな彼女たちの後ろを歩きながら、ネギと千雨が並んで歩いている。
ネギはどうしたものかと思案顔だが、ここで和を乱すようなマネはしないだろう。切り替えがはっきりしている。
逆に刹那などは片時も木乃香から目を離さずに歩いていた。
「大丈夫なんでしょうか」
「まあ、今日は桜咲に絡繰もいるしな。それに切羽詰らないかぎり人気があるうちは襲ってこないだろ」
ネギと千雨がこっそりと会話を交わす。
彼女と茶々丸がいれば、当面の安全は確保できていると見てよいはずだ。
流石にこのまま本山まで向かおうとすれば、どこかで仕掛けられそうであるので、その前にはなれる必要があるだろう。
そんなことを話しながら千雨とネギもゲームセンターに入る。
陰鬱な気持ちを引きずっていても仕方が無い。切り替えるべきだとして、千雨は物珍しそうにゲームセンターの中を見渡すネギの背中を押した。
「もーなんで、京都に来てまでゲーセンで遊ぶのよー」
「何のゲームをやってるんですか?」
「あ、ごめんね先生。上手くいくと関西限定のレアカードをゲットできるかもしれないんだよー」
ハルナたちはゲーム筐体の前に座っていた。
周りには夕映にのどか、そしてアスナの姿がある。
千雨に背中を押されて、トトトと駆け寄ってきたネギに笑いながら説明するハルナは、すでにゲームを始めている。
「魔法使いのゲームですよ」
「ほら、わたしたちが新幹線でやってたカードゲームのゲーセン版なの」
「魔法使いですかあ……やってみようかなあ、ボク……」
「よっしゃあ、まってましたっ!」
「スタートセットをお貸しするですよ、先生」
魔法使いと聞いて、興味深そうにするネギにハルナたちが盛り上がった。
のどかがネギにカードを手渡す。引継ぎ方のゲーム筐体であるため、コインを入れてはいスタートというわけでもないのだ。
それなりに本格的なゲーム仕様にネギが楽しそうな顔をしていた。
そんな子供っぽい姿にため息を吐きながら、明日菜がゲームセンターの中を見渡した。
他のメンバーもどうやらここで遊ぶことに決めたようだ。
「もーしょーがないわねー」
遊びを始める姿を見て、明日菜が呆れたため息を吐く。
自分はこういう切り替えが苦手なのだが、しょうがない。
一つ頭をかいて、明日菜も少しばかり遊んでおくことにしてあたりを見渡す。
まあ他の“本業”の皆を見る限り、そこまであせらなくてもいいのだろう。
千雨や刹那だって、これだけのメンバーがそろっている中で、いきなり襲われることはないといっていたし、他のメンバーも今は楽しむことにしたようだ。
「ザジさん、あの人形とれますかっ!」
「……」
「おお、まさかそこまで自信満々な返事が聞けるとは! 意外に真剣な感じですね。得意なんですか?」
「……」
「キャー、すごいです! まさかの2個同時! 流石です。くれるんですか、ありがとうございます、ザジさんっ!」
「……」
「じゃあ次はわたしが何かいいものゲットしてザジさんにプレゼントしますね」
「ありがとう」
「おまかせです!」
「せっちゃんはゲームせえへんの?」
「わたしはこのようなゲームは経験が……」
「もったいないなあ、じゃあウチがせっちゃんにあいそうなゲームを……。んー、オーソドックスに格闘で剣士役は失敗フラグやね。レーシングゲームで対戦がええかなあ」
「わ、わたしはお嬢さまとご一緒できるならなんでも……」
「あかんで、もっと自分で主張せな……んっ? おーすごいなあ、茶々丸さん。三次元シューティングやね。いまんところノーミスみたいやわあ」
「ああ、木乃香さん。じつは、止めるタイミングがつかめなくて」
「な、なぜ茶々丸さんはこれをお一人で?」
「いえ、なんとなくです。この戦闘機のフォルムに引かれて、ふらふらと」
「そ、そうなのですか……」
「へー、どうなん、おもしろいん?」
「画像処理は中々ですが、敵機体の行動AIと弾丸の軌道計算に若干の粗があります。難易度的には、このままノーミスでクリアできるかと」
「ほ、ほんとにすごいですね。もうすでに前ハイスコアに三倍の差がついてますけど」
「このようなゲームは究極的にはパターンの推定・確立と軌道計算の速度で決まりますから」
「へー、よー分からんけど、計算しとるってこと? それやと超さんとかハカセちゃんとかもうまそうやね」
「いえ、これはどちらかといえば千雨さんでしょう」
「ん、そうなん?」
「彼女の演算能力はこの様な計算式に特化しておりますので」
「へー」
◆
さて、楽しそうに遊んでいるクラスメイトを尻目に、明日菜と千雨がゲームセンターの中をうろついている。
他のやつらも楽しそうではあるが、わざわざ京都にきてまでの楽しみ方ではないと思う。千雨はなぜか後ろをついてくる明日菜と一緒にぶらぶらと歩き回りながらそう考えた。
さて、どうするか。自分はこのような人気のある場所でゲームを楽しめるたちではない。
神楽坂もいきなり一人でゲームをするほどアホではあるまい。
というより明日菜は、別の思考が頭を占めているようだ。
やはり昨日のことが尾を引いているのだろう。
「千雨ちゃんはゲームやらないの?」
「やってもいいけど、わたしは外ではあんまりゲームはしないんだよな。ほんとにプリクラでも撮っとくか?」
「あー、わたしプリクラとかって苦手なんだよね」
「ああ、そうなのか。わたしもああいう写真はわざわざとったことがないなあ」
「ああいう写真?」
「ああいや、なんでもない。んで、どうする。やっぱやめるか?」
「えっ、うーん……どうしよっかな……」
「……いやじゃないなら一枚撮らないか? いっしょにさ」
悩む明日菜に千雨が言った。
意外そうに驚く明日菜に千雨が微笑む。この娘は気を張りすぎだ。
そこでようやく千雨が気を使ったということに気がついた明日菜が照れながら頷いた。
パズルゲーに、オチゲー、格闘にギャンブル、生育ゲームにシューティングといろいろあるが、たいていのゲームセンターで景品ゲームが入り口付近に並び、両替機は当然ながら店の奥。そしてプリクラは表の入り口と相場が決まっている。
二人そろってゲームセンターの入り口まで足を運んだ。
「フーレムはこれでいいか? んー、ちょっとライトがまずいな。ラフ版とはいかないから角度を……ん、こんなもんだろ。神楽坂、お前ちょっとこっち来い。そこだとちょっと映りが悪いぞ」
「ういういー。って千雨ちゃん結構凝るわね」
「当然だ。写真はあとあとまで残るもんなんだぞ。妥協なんてもってのほかだ」
「へー、意外」
「うるさいぞ。おい、髪をもっと整えろよ。はねてるじゃねーか」
写真嫌いの性か、意外に頓着しない明日菜に、筐体の上部についているライトをいじっていた千雨が頬を膨らませながら口を挟む。
手はバックから櫛を取り出して明日菜に放り投げた。
もちろん千雨が写真にはうるさいネットアイドルなどとは知らない明日菜は、意外な一面に面食らうだけだ。
明日菜と千雨のツーショット。自分たちのことながら珍しいペアに顔を見合わせて少し笑う。
その後、ゲームセンターの中に戻らず、プリクラの置いてある入り口で少し話す。
プリクラの横においてあった自動販売機からスポーツドリンクを取り出しながら、明日菜が千雨に向かって口を開いた。
「全然こないわね。誘拐犯。やっぱり一回失敗したからなのかな?」
「だろうなあ。それに今は絡繰たちもいるし」
「そっかー。じゃあこのまま何にも無く終わるかもしれないわね」
「まーな。いけそうなら全員まとめて近衛の実家とやらに行ければ一番楽なんだけど……」
「けど?」
「もし巻き込まれるとまずいじゃん。人数的にも守りにくいし。たどり着けさえすれば安全そうだけどな。向こうもうちの生徒を利用しようとはしてないみたいなのが救いだけど、ちょっと怖い。ホント、昨日結局来なかったのは助かったよなあ」
まあその遅延が相手方の準備期間だと考えると楽観視もしてられないのだが、それはそれだ。
「ふーん。刹那さんも準備を整えてるかもって言ってたわよね。わたしはなんかまだちょっと心配」
「結構心配性だな、神楽坂。お前がそんなんだと近衛が気にしちまうぞ。もっと肩の力抜いたほうがいい」
「しっかりしてるわねー。わたしはどうも苦手だわ。ちゃんと終わるまで息抜きできそうにないもん。……そういえば昨日の夜のアレはなんだったの? 朝倉と騒いでたみたいだけど」
「あー、あれはだな、非常に言いにくいんだがテンパっているところに奇襲を食らったというか、決してわたしが朝倉に負けたというわけじゃなく――――」
ジュースを片手に雑談をする二人。
そんななか、千雨の脳内にいきなり声が響いた。
――――後ろ
そんな警告がただ一言。
反射的に飲みかけの缶ジュースを放り投げ、振り向いた。
「どったの、千雨ちゃん?」
突然の気配に振り向き、真剣な目をする千雨の姿に明日菜が戸惑った声を上げた。
千雨に返事をする気配はない。
手をポケットに突っ込んで、宝石を探り当て、戦闘用の思考型に切り替える。
過剰反応過ぎる気もしたが、今の警告は本物だった。内に組み込まれる自動式の警告システム。勘をシステム化する防御機構。
勘違いの笑い話ですむなら、歓迎したいほどだ。
だが、それはないだろう。
明日菜に返事をする余裕もないまま後ろを振り向いた千雨の視線の先、そこに一人の少年が立っている。
「……やあ、こんにちは」
詰襟姿の銀髪をなびかせる少年。
修学旅行生だろうか?
いや、違う。
魔力でサーチするがリターンがおかしい。
マトモな反応ではない。目の前の少年からは普通の人間ではない反応があった。
千雨はどうにか舌打ちをこらえる。やはり今日も休ませてくれるというわけにはいかないらしい。
無言でこちらを見るその無表情な少年に気圧されそうになる心を叱咤して、ゆっくりと明日菜をかばうような位置に立つ。
その千雨の行動で状況を察したのか、明日菜もいつでも行動に移れるように踵を上げた。
「……一昨日の夜に月詠さんに炎を放ったというのはあなたなのかな?」
見詰め合うこと数秒で、突然少年が口を開く。
あまりに直球な言葉に明日菜が声を上げようとして、それを千雨が後ろ手で制した。
気を抜きすぎたらしいが、それだけが原因というわけでもない。
こいつはいったいどれほどの使い手なのか。
一応ネギとさよに念話を送ろうとするが、その前にその少年が手をあげた。
「争う気はないよ。ただの質問だ。一昨日の夜、炎を生み出す術を組んだのはあなたであっているかな?」
「わたしに用があるのか。復讐ってわけでもなさそうだけど、近衛が狙いのやからとは別口か?」
「ボクはフェイト・アーウェルンクス。一応別口というわけでもないのだけれど、いまは別件だよ」
当たり前のようにフェイトと名乗った少年が頷いた。
「……引く気はなさそうだな」
「うん。それに今は本当に争うつもりはない、あなたもあまり攻撃的にならないでほしいな」
「……だったら、もう少し手段を選べよ」
「話をしたいのはあなただけだったからね。邪魔を入れたくなかったんだ」
少年が淡々といった。
索敵にだけは気を抜かず、千雨も言葉を返していく。
「だったらこいつを巻き込んでんじゃねえよ」
「ん? 無理やり引き剥がしても良かったんだけど、仲間なんだろう? 彼女も一昨日はいたと聞いているけど」
「チッ、あー、そういやそうだな。おい、神楽坂、気を抜くなよ。なんかお前もどっぷり巻き込まれてるっぽいぜ」
背後に立つ明日菜に指を向ける千雨にフェイトが不思議そうな顔を返した。
明日菜を分断しなかったのは、この場を整えたことを千雨に対する攻撃性だと誤解されないためらしい。
既に彼女は戦闘要員として数えられているようだ。
文句を飲み込んで、明日菜には巻き込まれてもらうことにした。
「平気よ。わたしもこっから無関係ってわけにもいかないでしょ」
背後から聞こえる明日菜の言葉。
その胆力に千雨が内心で微笑む。
「……で、結局お前は何のようなんだ? 謝罪ならわたしじゃなくて近衛たちのボスに言えよ」
「そういうわけでもないんだけどな。今回は本当に千草さんの目的とは関係ないんだ。ボクがあなたたちと完全に敵対する前に、長谷川千雨、あなたと個人的に話しておきたかったんだよ」
そういって千雨に目を向けた。
千雨が首をかしげる。
心当たりがなかったためだ。
「話?」
「千雨ちゃんと?」
ああ、と少年が頷いた。
当たり前のように頷いた。
そして、
「あなたの“魔法ではない術”についての情報が得たくてね」
少年はそんな言葉を口にした。
◆
「あー負けたー」
ゲームセンターの中。
白熱した戦いを繰り広げていたネギたちから残念そうな声が響き渡った。
画面内では、ネギの操る魔法使いキャラが対戦相手の操る格闘キャラに負けている。
「いやー、初めてにしてはよくやったよネギ先生ー」
「そやなあ、中々やるが、まっ、魔法使いとしてはまだまだやな。ネギ・スプリングフィールドくん」
ニット帽をかぶった黒髪の少年がハハハ、と笑いながら言った。
黒髪をニット帽に押し込んだその少年。活発そうな瞳が面白そうにネギの顔を覗き込んでいた。
「えっ、どうしてボクの名前を?」
「だって、ゲーム始めるとき名前入れてたやん」
ネギが自分の名を呼ばれたことに驚きの声を上げる。
笑いながら少年が答え、そのまま手を上げて背を向けた。
「あー、キミ勝ち逃げはずるいよー」
「はは、悪いな。ほなな」
ハルナたちが不満そうな声を上げたが、そのままニット帽の少年が走り去る。
名乗ることもないその後姿。
そのまま少年は立ち去った。
ネギはその後、木乃香と一緒に3D格闘ゲームを行う刹那と茶々丸、そしてさよと一緒にクレーンゲームに力を注いでいたザジたちに目を向ける。
そうしてようやく、
「えーっと、千雨さんと明日菜さんはどこにいるんでしょうか?」
そんな言葉を口にした。
◆
さて、ネギたちがようやく千雨の不在に気づいたのと同時。走り去った少年、犬上小太郎が仲間たちに合流していた。
メガネをかけた二人の女性。一人は着物姿の呪符使い、もう一人はゴスロリ姿の長物使い。当然のことながら、天ヶ崎千草と月詠の二人だった。
二人に駆け寄る小太郎が、手を上げながら先ほどのことを報告する。
「おー千草姉ちゃん。やっぱりスプリングフィールドやったで」
「やはり、あのサウザンドマスターの息子やったか。それやったら相手にとって不足はないなぁ」
千草が不敵な笑みを浮かべる。
先日戦ったネギと呼ばれた子供たちのことだ。
異様に高い戦闘能力と、正体のわからない技を使う仲間に、こちらの鬼札である月詠と同レベルの神鳴流。
仮にも西の一人娘。適当な護衛ではないとは思っていたが、予想外に大きな獲物だったようだ。
納得して頷く千草に向かって、小太郎が首をかしげる。
敵の確かめにとここに出向いた自分たちに同行していた、ついさっきはいたはずの仲間の一人。
「んっ、アイツはどこいったんや?」
「ああ、新入りか?」
どこで襲うかと考えていた千草がどうにも得体の知れない協力者を思い出しながら小太郎の問いに答える。
アッシュブロンドの西洋魔法使い。一時的にやとっている仲間の一人。
どうにも読みきれない人間性を持つその男。
そんな少年の姿を思いだしながら、天ヶ崎千草は小太郎の問いに対して口を開く。
「アイツなら、なんでも用が出来たみたいやな」
◆
フェイトの言葉を聞いた瞬間に、千雨が目の前の少年に繋がる視線をたどって暗示を飛ばす。
暗示とは魔術のなかでも力でなくシステム的な技術を利用する。
相手に魔術の知識がない以上、場さえ整えば絶対に成功するのだ。
意志力で弾かれることはあっても、魔法の眠りとは異なるそれはあの月詠たちですら動きを止めさせることが可能なはずだった。
それが素通りした。この男は実体ではない。
無音の一戦。
何が起こったのかわかっていない明日菜が首をかしげているが、千雨は軽く舌打ちをした。
この世界の幻術体と魔術は相性が悪い。幻術体を極めれば分身であり、分身を極めればそれは己のストックにほかならない。
そのくせ、体は魔力から成り立つものとなり、人の構造を利用する技術が効かなくなる。
人の精神システムを利用する魔術が根こそぎ効かないのだ。
以前ルビーが図書館島で戦ったという謎の司書とやらの話を思い出す。
あのときルビーはどう対処したといっていたか。
「へえ、すごいな」
千雨から“魔力”感じ取ったのか、フェイトが少し表情を変えた。
さらにいまの千雨の一撃からある程度の情報まで読み取られたらしい。
千雨の初手は完全に失敗だ。
反射的にドジを踏んでしまった。
「お前、分体かなにかか……」
「やはりわかるようだね」
「話し合いにきたとか言っといてそれはどうなんだ?」
「ボクにも少し事情があってね。でも嘘はついていない。その力はどういうシステムなのかな? 誰だろうと使えるのかい? それを教えてほしいんだけど」
「弟子入りしたいなら頭を下げな」
「弟子になる気はないよ。情報だけでいい。魔法ではないようだけど……」
どこが話し合いに来た態度なのかと千雨が黙った。
まったく気を抜かないまま無言でたたずむ。
「ち、千雨ちゃん?」
「神楽坂、まだ動くな。かばえなくなる」
「でも戦わないとか言ってるけど……」
「わたしはそういうのは信じない。カードは出しといてくれ。わたし一人じゃちょっと厳しい。お前なら当たればたぶん勝てるから、わたしの合図で、わたしがディフェンス、お前がオフェンスだ」
「ん、うん、オッケー。分かったわ」
千雨の背後から動こうとした明日菜を制する。
背後で状況を理解した明日菜がカードを取り出す。
「信じてもらえないかな。さっきから言っているだろう。今は争う気はないよ」
目の前で堂々と自分の対策を立てる二人を、フェイトが手を上げて制する。
おそらくそれは本当だろう。
いまこの場に罠はない。結界すら張られていないのが、戦う気がないという相手の言葉を肯定している。
さらに数拍黙ってから千雨が口を開いた。
やはりそうそう信じることは出来ないが、突っぱね続けても意味がない。
「……わたしのは魔術と呼ばれている。お前は魔法使いっぽいけど、気だの契約術だのほかにもいろいろあるじゃねーか。いまさらわたしみたいのに、なにを聞きたいんだよ」
詰襟姿の少年が首をかしげる。千雨の言葉が予想外だったようだ。
そう、自分がどれほど特殊なのかを、どれほど異端なのかを、どれほど“外れているか”を知らない千雨に驚くように首を傾げるその少年。
目を丸くして驚いた表情のまま少年が口を開く。
「わかってないね。内腑のエネルギーを昇華させる気や魔素の運用である魔法と違い、あなたの技術は存在と現象に作用している。あなたが魔力と呼ぶ力を持って、確率や現象を操っている。それはあなたの行為が“現実”に属しているということだ」
「どういう意味だ? 分かりやすく言え」
千雨が首をかしげた。魔術を運用している自分ですら意味がわからなかったからだ。
だが、続いて述べられる男の言葉に流石に千雨の動きが止まる。
「ルビーと名のる女性のことを知っているかな?」
未熟だ。動揺を隠せなかった。
後ろに立つ明日菜も同様に目を丸くしている。
彼女はその名が千雨の師を表すことをしっていた。。
そんな二人の姿を確認してフェイトが言葉を続ける。
「知っているようだね。やっぱりあれはあなたと同じ技術なのか」
「あー、まあな。知ってる」
いまさらシラは切れないだろう。すでに動揺を握られている。
あのバカ、なんでこんなへんなやつに名を知られているのだと、千雨が心の中で愚痴った。
そう、ルビーはかつて千雨に令呪を灯すため、魔法世界に行っていた。そこで路銀を稼ぐため、その腕っ節を利用した。
その技術はそうそう気づかれるものではなかったが、それでも気づくものはいた。
そして往々にして、そのようなことに気づくものは、気づけるだけの力を持っている。
「長谷川千雨。君や彼女の力は僕らの知る理から外れている。それは全てを狂わせる可能性を持つほどのものだ」
「……はっ、なれなれしいんだよ、クソガキ。教えを請うつもりならその態度をあらためな」
虚勢を張った。
相手を怯ませるものではなく、自分を鼓舞するためのものだ。
「ボクは見た目どおりの年齢というわけでもないけど」
「へえ……でも百年二百年生きてるって感じじゃねえだろ。お前が吸血鬼だの英霊だのの同類かなんかとは思えねえな。テメエを老獪奸智と評するには交渉がなってなすぎだ。もっと対人経験をつんどけよ」
だが存在規模は桁違いに千雨より高い。千雨は先ほどからエヴァンジェリンに匹敵するプレッシャーを感じていた。
千雨の罵声にはほとんど意味がない。
まったく動じていないフェイトが言葉を続ける。
「あなたたちの技術はとても特殊だ。月詠さんの怪我は純粋な火傷だったし、千草さんに巣くった病毒は魔素を伴っていなかった」
「それがなんなんだよ」
「この旧世界が現実世界と称されるその理由、それは幻想ではないということ、それだけで完結しているということ、世界にあり方に反していないということだ」
「……」
「それは他の歪みを否定する。だけどあなたのそれは拒絶されなかった。おそらく僕らの“キー”にすら属さない力だろう」
一人で納得して頷いているバカに千雨がイラついた視線を向ける。
こいつはルビーの同類だ。
人の話を聞いているようで聞いてない。
「本題をいえ、誘拐魔。それが何かお前に関係あるのか」
「あるかもしれない。ボクの目的にね。影響を与えるかもしれないから詳しく知っておきたかったんだ」
「お前の仲間になれってんなら断るぞ」
ばっさりと千雨が言った。
「不和が決定している仲間を持つ気はないよ。一度決めたことをよほどでなくては覆す気はない。どれほど魅力的であろうとも、僕らの願いがこれまでを積み重ねてきたものである以上、目を眩ませて安易に道を変更させることは出来ない。ボクにはボクの考えがある。聞くのは情報としてだ」
「気が合うな。だったらわかってんだろ。わたしも同じだ。わたしの行動はわたしが決める。根底を担う信念に干渉なんてさせる気ない」
すでに骨子の固まったものは、たとえどれほど重要そうに見えても別の要素を取り込むわけには行かないのは当然だ。
ゆえにそんな展開を望むのならば、その後の話は決定しているといっていい。
意地と意地のぶつかり合い。
この世には話し合いでは決まらないことが確かにある。
そんな千雨の言葉にフェイトが言葉を一瞬止める。
そして恐ろしいほどの眼光が帰ってきた。揺らぐことのない氷石の瞳。
「ルビーと名乗る彼女が振るった力は“かの地”でさえ作用した」
「……なに言ってる?」
「一部は無効化されたものの、それでも彼女の術はそのほとんどが起動した。王都跡地をホウキに乗って飛んでいたという報告が、ボクらにどれほどの衝撃を与えたのかは筆舌にしがたいよ。千雨、あなたたちの力はあまりに異質だ。それは全てを根幹から揺るがすほどに。まさかこんなところで会えるとは思わなかったけど」
その言葉に千雨は言葉を返さない。
その真摯さは、近衛を誘拐したやつらとは別種のものだ。
こいつの言った別件という言葉は嘘ではない。こいつは本当に誘拐とは別の用件でこちらの来たのだ。
そしてそれは長谷川千雨に深く深く関わっている。
失敗しても次があるなどという考えとは無縁の信念だけで構成されたその意識。
己の中に絶対的な“唯一”を内包するものだけが持てるその瞳。
複雑に見えて愛すべきほど単純で、歪んで見えてその実あまりに真っ直ぐで、小賢しく見えて驚くほどに無垢なその思考。
同じ陣営なら仲良くなれたかもしれないが、異なる居場所に立つ今は、こいつとは絶対に馴れ合えまい。
「利用したいわけではない。だけど、あまりにも突然でね。それでもあなたの力を知らないままでは悪影響があるだろう。利用したいわけではない。知識を得ておきたいんだ」
そうして、フェイトはふっ、と視線をそらした。
「邪魔が入るね。また来よう。話はまたそのときにでも」
そういってフェイトがゆらりと消える。
千雨は気を抜かず、フェイトの姿と同時に結界が消えたことを確認して、あたりを見渡した。
同時にゲームセンターの中から、ネギをはじめとする面々が顔を出す。
千雨とパスが繋がっているネギは、千雨に怪我がないことなどを確認している。
そのため、特に危険があったとは考えていなかったのだが、ネギを迎えた千雨の顔がわずかに強張っていたことに心配そうな声を上げた。
「あの、千雨さん。どうしたんですか?」
「…………ああ、ネギか。ちょっとな。なんでもないよ」
「! は、はい。わかりました」
ハルナたちもいる。説明はあとですると視線で訴えて、お茶を濁した。
明日菜と千雨の真剣な表情にネギも頷く。
千雨が息を吐いて力を抜く。
一昨日の夜からほんの二日。
ただの誘拐劇でもやっかいなのに、どうやら話はそれだけでおさまってくれそうもないらしい。
やはり、今日はもう気を抜いていられないようだ。
◆
千雨が別行動を提案し、明日菜がそれにうなずくと、もうほかの面々から反対意見は出なかった。
千雨や明日菜に対する信用というよりは、前日までの行動も理由の一つだろう。
「じゃあ先生たちは、例の木乃香の実家かあ。さよちゃんたちは行かないんだよ。予定ないなら一緒に回らない?」
「あっ、はい。嬉しいです。ハルナさん」
ぴょんと飛び上がってさよが喜んだ。
「よろしいのですか、さよさん?」
「はい。一応“こっち”にもいたほうがいいでしょうし、お邪魔になってしまいそうですから。茶々丸さんこそいいんですか?」
「はい。わたしはなるべくなら本山のほうへは立ち寄らないようにとマスターに仰せつかっておりますので」
千雨からじきじきに頼まれればさよが文句を言うことはない。
ハルナたちに付き添うことに特に文句があるような顔は見せなかった。
もともと千雨と違ってさよは社交的だ。
クラスメートの社交性に毎度助けられている千雨と違い、さよはどの班だろうが十分に自分から旅行を楽しめる3-Aらしい気質を持っている。
その横で、茶々丸が同行しないという言葉に眉根を寄せた千雨が手招きをした。
小声で尋ねる。
「絡繰、正直お前の腕っ節には結構期待してたんだが」
「マスターの指示なのです。もし二手に分かれた場合、わたしはさよさんに同行するようにと」
「あー、なるほど。それはそうか」
さよに聞かれないようにこっそりと茶々丸がこたえた。
千雨が頷く。
先ほどのガキは気づいていなかったようだが、さよはルビーの技術を扱えるものの一人なのだ。
エヴァンジェリンたちから見れば、木乃香以上に守るべき人間なのだろう。
納得して頷く千雨に、いいづらそうに茶々丸が言葉を続けた。
「それに、近衛詠春さまに、わたしからマスターの情報が漏れるのは嫌だとかなんとか」
「……昔なじみらしいしな」
まさかそっちがメインの理由ではないだろうな、あのイカサマ幼女。
アイツのヘタレさはわたしの口から言いふらしておこう、と千雨が誓った。
あの吸血鬼はもう少し真剣さを持つべきだ。
さよのことを心配しているのは本当だろうが、尊敬する気が一気に失せてしまった。
たまにものすごくガキっぽいやつだ。
近衛木乃香は魔法にかかわったばかりだし、神楽坂明日菜だって別に荒事になれているわけじゃない。
この場合、親書を届けに行くのは、ネギに木乃香の必須メンバーと、護衛として千雨、刹那、明日菜の三人。
どう考えても戦力として乏しすぎる気がする。
茶々丸には途中までは同行してもらいたかったが、さよのことを考えるとどうしても気が引ける。
どのみちハルナ側にも護衛はいるだろうし、こちらだって襲われると確定しているわけじゃない。
最後には千雨が頷いた。
まったく無関係のクラスメイトは大丈夫だろうが、さよにはルビー繋がりで先ほどの男が接触する可能性もある。
ゲームセンターでの会話からして、さよのことはばれていないようなので、同行させて関係性を強調するよりも秘匿すべきだと本山へは連れて行かないことにしたが、茶々丸がついてくれれば心強いことは確かだ。
歩み去るさよたちの姿を見送って、さあいこうかと歩き出す。
どうにも最近は回りに引っ張られて自分まで楽観的になっている。
千雨はどうにも緊張感の抜けない面々の背中をため息交じりに追いかけた。
◆
鳥居小道。
本山とやらに向かう途中、朱色の鳥居が連なる小道を通っていた。
「へえ、いいところだな」
「そうね。なんか風情って言うの? 侘び寂って感じ?」
皆を先導する刹那とその横に並ぶ木乃香が、地元の名所を喜んでいる千雨と明日菜の言葉に微笑んでいる。
鳥の声に木漏れ日と心和む風景だが、刹那や千雨は微笑みながらも気配探知を怠っていない。
歩き始めて数分も経たず、すっと刹那の手が木乃香の前に差し出された。
足を止めた刹那にならって、そろって全員が歩みを止める。
「なんかあったのか?」
一番後ろを歩いていた千雨が声をかけた。
それに刹那があたりを見渡しながらこたえる。
「縦間封じの結界です。お嬢さま、わたしの後ろに」
おどろいたように千雨も索敵。
言われて見れば結界がある。
随分とレベルの高い隠蔽だった。
「ホントだ、よく気づいたな。なんだこれ」
「分断策でしょう。符を使っているようですから、境界を踏み越えない限り、取り込まれることはありません。皆さんは動かないでください」
「えっ!? ほ、ほんとうですか!」
「はい。あそこの鳥居ですね。取り外してもよいですが、敵のようです」
ネギが声を上げて、杖を構える。
千雨や明日菜も瞳を真剣なものに変えた。
木乃香はおろおろとあたりを見渡しているが、刹那の言葉に従い背後にかばわれる形をとる。
そうして刹那が、連なる樹木の一本に向かって出て来いと声を張り上げた。
「あらーやっぱりばれてもうたか。二ヶ所に分けられれば楽やったんやけどなあ」
「まあええやん。タイマンもエエが、ごちゃごちゃ策練ってもおもろないしな」
「ウチは先輩と死合えれば、あとは構いませんな~」
ぽんぽんと、木の陰から千草たちが現れた。
呪符を構える千草の横に月詠が、そして先ほどの少年が、そしてその背後には式神と思われる大蜘蛛がいた。
「あっ、さっきの」
「よー、西洋魔術師」
小太郎の姿にネギが声を上げる。
それに小太郎が笑いながら手を上げた。
「悪いな。まあ、俺らも仕事やから、一勝負といこうや」
「……それで全部か? 一昨日逃げ帰っておいて増援はガキが一人増えただけかよ」
「ほう、いうやんか、お姉ちゃん」
あざけるような口調の千雨に、小太郎が鋭い眼光を向けた。
それに千雨が不敵に笑い返す。
もう一人いたりしないのかという意味で聞いたのだが、そう簡単には口を滑らせてはくれないようだ。
索敵に一つだけ思考を割いたまま、千雨が代表として口を開いた。
「ちなみに、お前らいちいち面と向かってから誘拐するのか」
「まあガキンチョ相手に後ろから襲い掛かって女を浚うってのは性に合わへんからな」
「ウチはそれでもええんやけどな、ま、西洋魔術師ら相手にはちょうどエエやろ」
そんな言葉と共に、刀を、拳を、呪符を構える誘拐犯に千雨が笑った。
対応する刹那や明日菜、守りの呪を紡ごうとしているネギには悪いが、まあここは相手のミスだとつけこませてもらうとしよう。
「いや、お前らさ――――」
宝石も、呪文も必要ない。
この世界の魔法と魔術は別の技術で、先ほどの少年には効かなかったが、それはこの瞬間でも無意味だということではない。
魔術はシステム。暗示とは力でなく技である。
関節を逆に曲げられないのと同様に、決まった手順で行われるそれは対応策を知らなければ防げない。
臨機応変な技術が重要な肉弾戦と異なり、知られていないという有効性は精神戦では絶対なのだ。
だから、千雨は微笑んで、
「――――さすがに、それは迂闊すぎると思うぞ」
視線を合わせ、ただ一言【動くな】と。
その瞬間、千雨の暗示がその三人の動きを縫いとめた。
視線はすでに繋がっている。
ガンドならまだしも、すでに届いている暗示が破られることはない。
ただ一言それで相手の動きが止まる。
決まりきったその結末。
ほら、勝った。
そうして千雨が走りよる。
後は意識を奪って縛り上げればそれで終わりだ。
手には混濁の呪詛をまとわせて、そのままその場にいる三人に肉薄する。
それに対して、相手三人は動けない。
ガキだと思っていたようだ。西洋魔術師を見下していたようだ。先輩剣士以外は大して気にもしていなかったようだった。
そう。やはり侮っていたのだろう。
だから足をすくわれる。
慢心を穴として破られる。
だから負ける。
そう、
いまこうして、魔術にとらわれた誘拐犯を見くびる長谷川千雨と同様に。
◆
「――――待ってほしいな」
千雨が混濁泥を打ち込もうとしたその瞬間。
そんな声が千雨に届く。
戦いを争いまで発展させずに終了させようとした長谷川千雨を止めるそんな声。
それに千雨が驚いて、それを理解するよりも早くそれが来る。
地面から生えた石槍に千雨の体が吹き飛ばされた。
地面より襲う一撃に千雨は反応できなかった。
殺気など感じ取れない身の上だ。戦い始めれば先読みできるが不意打ちの力技にはめっぽう弱い。
防御術などなにも張っていない。
人がバットで殴られればそれだけで死ぬように、人を殺すのは力の強弱ではなくタイミングだ。
ぎりぎりで衝撃は逃がしたが、気や魔法と違い魔術師の肉体は普通の人間と変わりない。
千雨は舌に広がる血の味を自覚する。
痛いし、きついが、死にはしない。だが意識を保つのも不可能だろう。急速に目の前が暗くなる。
ルビーのうっかりが移ったようだ。
つい先ほどまで、こいつのことも警戒していたはずなんだがな。
勝てると考えて油断した。
すぐそばから驚いたような声を聞き、遠くから自分の名を呼ぶ悲鳴を聞いて、
それに返事をする間もなく、千雨はその意識を消失させた。
◆◆◆
暗い世界。
空を泥の天蓋に覆われた夜の世界。
そこで■■が力を振るっている。
自分はいったい誰なのか。ルビーの前身遠坂凛の視線であり、それ以外の人間の視線でそれをみる。
彼女が手をふるって剣戟を放ち、それを受けて泥の巨人が消えていく。
無限の供給と無尽蔵のタンク。
視界がぶれる。
意識がゆれる。
そして現状を自覚する。
「こりゃ、夢か」
千雨は自分が夢を見ていることを自覚した。
意識が肉体を離れてどこかの空に浮いている。
「その通り」
独り言に答えが返った。
声に振り向けば、ルビーがいた。
泥の巨人とそれを貫く白刃を背景に、千雨とルビーが向かい合う。
「アイツ、お前の知り合いらしいぜ」
「いやはや、まさか術からあたりをつけられるとはねえ。この世界って結構めちゃめちゃに何でもありだから油断してたわ」
「わたしにとばっちりが来るんじゃたまらないな」
「この世界は精霊術が畸形的に発達してるから根源基板を用いる魔術は知られていないのよ。ほんと、魔術師には盲点だったわ。魔法の無効化地帯ってのもねえ、そこが繋がっている場所なら魔術が発動しないはずがない。そもそも宝石魔術師になにをいわんやっての」
「わたしもくわしく聞かなかったしな」
というより、魔法世界でのルビーの奮闘期など、聞きたくもなかったのだ。
情報の重要度がわかってなかった。千雨はこいつが空を飛ぶときにホウキを使ったらしいということさえ知らなかった。
敵を知り己を知ればというけれど、敵も己も知らないままでいたつけが出た。
「あのフェイトとか言うガキもやりすぎなんだよ。ったく、まさか死んでないよな?」
「それこそまさかよ。ものすごく手加減されてたしね。むしろあの子、千雨が血を吐いてめちゃめちゃ驚いてたわよ。だいじょぶだいじょぶ、起きなさい」
千雨が首をかしげる。
「魔力や気は身体的な強化にかなりかかわるのよ。あれも千雨が真っ当に“魔法”を習っていれば、吹き飛ぶくらいですんだと思うわよ」
「嬉しくない」
「いやー、あなたほんとに波乱万丈ねえ。大丈夫だって。応急処置してくれたみたいだし。それより起きた後のことを考えるべきかもね」
応急処置とはどういう意味かと問いかけようとして、その前にルビーが手を振った。
「ま、ネギくんたちも心配してるし」
そろそろお前は帰りなさい、と。
そんな言葉をかけられた。
◆
――――千雨!
そんな叫びに目を開ける。
腹部に疼痛。周りからはネギたちの声が聞こえてくる。
「はっはー。やるやんか。熱いやつは嫌いやないで!」
「くっ、このっ!」
ネギ・スプリングフィールドと犬上小太郎の近距離戦。
あせった顔でこちらに向かおうとするネギが、小太郎に思考を読まれていいようにあしらわれている。
ネギの体には魔力による強化術がかけられているようだが、それでも獣化している小太郎には及ばない。
腹に一撃を受けて動きが止まり、そこにさらにもう一撃が加わってネギが吹き飛ぶ。
ザザザ、と音を立てて足を突き、ネギがそのままもう一度突き進む。
一撃を浴びせるが、小太郎がそれに耐え、二撃目にはカウンターを決められる。
再度ネギが吹き飛んだ。頭に血が上りすぎだ。
その横では月詠の斬撃を受け止める刹那がいる。
後ろに木乃香がいる現状に足を奪われて、こちらも防戦に回っていた。
木乃香が動揺を隠せずに倒れた千雨に向かって声を上げている。
「千雨ちゃん!」
「くっ! お嬢さま、お下がりください!」
「で、でも千雨ちゃんが!」
「いや~、あのお姉さんはやっぱり一筋縄ではいかない方ですなあ。対策とってたつもりやったんですけど、まさか護身真言をすり抜けて意識を取られるとは思いませんでしたわあ」
そしてその横で戦う三組目。
神楽坂明日菜と千草が争っていた。
「どきなさいよ、サル女!」
「うっさいガキんちょ。あの小娘が心配ならさっさと負けをみとめんかい!」
「ふざけんじゃないわよ! このかを渡せるわけないでしょうが!」
「くっ、この! ちい、ウチとは相性悪すぎや! 新入り、お前も手伝わんかい!」
無理やりに千雨に向かおうとする明日菜を、千草が式神と符だけを使って何とか止めていた。
千草が愚痴るように相性が悪すぎる。
炎の符は当たった瞬間に消し飛んで、式神は一太刀爪を振り、明日菜の足を一歩止めただけで消し飛ばされる。
だがそれでも意識が倒れる千雨のほうに向いていた明日菜は千草を突破できてはいなかった。
そんな中、ようやく起きた千雨に皆が声を上げる。
かすれた声で皆を呼び、体を持ち上げようとしてへたり込む千雨を見て、安堵した顔を見せるが、それでも状況が変わったわけではない。
千雨が体内時計をノックすれば、自分が意識を失ってからまだ三分とたってない。
傷をスキャンすると、内臓に結構なダメージがあったようだ。口には血がしたった後がある。
応急処置用の呪符が張られているが、これが傷を癒していたのだろう。
自分を人質にしなかったことといい、どうやらまたもや敵に情けをかけられていたらしい。
月詠が刹那と戦い、明日菜とネギが、小太郎と月詠と向き合って、近衛の姿がその戦いの向こう側に見えている。
そしてそんな長谷川千雨のすぐ横に、、
「ああ、起きたんだ」
自分を吹き飛ばした全ての元凶。
フェイトと名のった男が立っていた。
◆
「悪かったね。かなり手加減したんだけど」
なめてんのか、こいつは。
無視して立ち上がるが、あまりの痛みに傷を抑えてうめき声を上げた。
「――――ッ!?」
「動かないほうがいいよ。骨にヒビが入っているから。千草さんに快癒と除痛の呪符を張ってもらったけど、効きが悪いのかな?」
よろける千雨をフェイトが支える。
意外に紳士だ。無意識に同じようなことをやっては女を落としていそうなやつである。
意識をわき腹に向ければ、そこになにやら札が貼られている感触がある。
胡散臭そうだったが、耐痛訓練などしていない身では意識がゆれてしまうような痛みは少々まずい。
痛み止めとやらを突き抜けるほどの傷に真っ向から立ち向かうのはごめんこうむる。
不満そうな顔をしながらも、札のことには触れずに千雨がフェイトに向かって口を開いた。
「やっぱテメエはあいつらの側かよ」
「ああ。いまはね」
平然と頷かれる。だが、ここで千雨を害する気はないようだ。
ゲーセンで聞いた話は本当なのだろう。
自分に話を聞きたいとか言っていたか。
だからこそ、こいつは介入していないのだろう。
おそらく、こいつが本気になれば、戦いはこの場で終わる。
余裕をかまされるが、それを仕方ないと思ってしまうほどの使い手だ。
戦闘用に頭の演算式をまわすまでもなく、この場での最適解などただ一つ。
ふう、と一つ息を吐いて、千雨は懐から宝石を一つ取り出した。
「おい、クソガキ。これをやる」
ひょいと放り投げた宝石をフェイトが受け止めた。
驚きの表情のまま、宝石に視線を向けている。
「こいつにわたしのいうところの“魔力”が詰まっている。こいつをやるから今はどっかいけ」
「……ボクは引いてもいいけど、千草さんたちは納得しないよ。一応同盟を組んでいる以上、彼女の邪魔は出来ないし、引くとしても一度までだ。たとえ君の技術と引き換えでもね」
「意外に義理堅いな」
「ボクは嘘はつかないし、約束は破らないんだ」
「嘘つけクソガキ。ちっ、じゃあお前が邪魔しなきゃいい。あの三人が負けたら、お前込みでここは引け。それならいいだろ」
「……この状況からかい? できるなら、それでもいいけど」
フェイトが首をかしげた。
ネギも明日菜も刹那もここから簡単に勝てるような状態ではない。
だがそれを聞いて千雨が、自分の体を支えるフェイトから離れ、明日菜たちに目を向けた。
息を大きく整えて、タイミングをはかる。
そして、
「ネギ、左だ! 神楽坂は屈んで右に振りぬけ!」
一気に叫んだ。
反射的にネギと明日菜が反応する。
千雨の声に驚く呪符使いたちとは対照的に、二人は千雨に全幅の信頼を置いていた。
ネギと明日菜はその言葉を戸惑いなく実行した。
空ぶった小太郎の一撃をくぐってネギが肉薄、明日菜は千雨の声を聞いて腰を落ち着いて撃墜体制。
「ネギ、後ろに回って右から来る! 神楽坂、左足を一歩進めて右上に振り払え!」
さらに千雨の指示が飛ぶ。
指示を大声で叫ぶことで、敵方が先読みしようと動くことさえ計算に入れた先の先を見るアトラス院の戦闘法。
千雨の指示に混乱したままだった小太郎が行動を読まれたことに一瞬止まり、その隙をついて、ネギの一撃が小太郎を吹き飛ばす。
ガードはしたが、雷撃系の一撃は筋肉を麻痺させる。小太郎が吹き飛んだまま膝を突いた。
明日菜のほうはもっと簡単だ。彼女の一撃は障害などなにもなく式神を破壊する。その上、プログラムで動いている式神など、千雨から見れば的と変わりない。
千雨の言葉に迷いをなくして動く明日菜の一撃。
降りぬいた軌道のまま天ヶ崎千草の式神を吹き飛ばす。
「んでもって、こいつを食らっとけ!」
そして千雨が魔弾を放つ。
動きを止めた二人と、突然変わった状勢に驚く月詠の計三人。
止血してもらった恩はあるが、ここで遠慮する気はない。
避けてかすって受け止めて、それでも体から力が抜けたように三人がその表情を歪ませる。
死にはしまいが、そうすぐには動けまい。
三人が顔を青く染めて動きを止めた。
それを見て千雨は横に立ったまま、感心しているフェイトに向き直った。
「ちなみに、ルビーはわたしの師匠にあたる。あいつはもう表に出ないし、この技術はわたしらの間だけのものだから、わたしのご機嫌はとっといたほうがいいと思うぞ」
そういって、千雨は何一つ加工しない純魔力を叩きつけた。
体の中の無限機関が回転する。大気から魔力を取り出し、平行した場所からそれを打つ第三技法。
地面が揺れるほどの衝撃に、打ち込んだ千雨の体にまで痛みが走った。
苦痛に顔を歪ませる。
それを避けたフェイトが残り三人の場所に降り立った。
「ちょ、ちょい待ちいや、新入り! ここで逃げたら」
「彼女たちとは相性が悪いようです。対峙して戦わないほうがいいでしょう。それに今は劣勢だと思いますよ」
「ぐっ、やるやんか、西洋魔術師。しびれが取れん」
「いやー、やられましたわあ。なんやお姉さんはやりにくいですなあ」
月詠に担がれた小太郎が笑う。
月詠と千草はたいしてこたえてなさそうだが、それでも引くという決定に納得したのか、不満は口にしなかった。
ズズズ、と水溜りが広がって、その場にいた人間を運び去る。
水溜りに消えた四人を見て、千雨がようやく膝を突く。
内腑に傷を負った状態で無理をしてしまった。こういうときに自分を治癒できない未熟に不満がつのる。
「千雨さん!」
全員が千雨に駆け寄ってくる。
千雨は片手をあげて返事とした。
「大丈夫なん、千雨ちゃんっ!」
「……ああ、まあ大丈夫かな……」
「あっ……ち、ちさめさん……」
泣きそうな顔をするネギの頭をぽんと叩いた。
「平気だって。宮崎たちがいるときに教われなくて良かったよ」
「す、すいません」
「あやまんな。この状況は文句なくわたしらの勝ちだ。誰も欠けてないし、誰も殺してない。これくらいなら十分だろ」
「千雨さんっ! そのようなことを言うのはやめてください!」
「このくらいの傷なら、問題ないよ」
「っ! 千雨さん!」
ネギが怒鳴る。
見慣れないその怒り。いや、怒りというよりも悔しさに涙を滲ませたままネギが叫んだ。
少し千雨が目を丸くする。
そうしてすこし苛立ったように口を開いた。
「お前は何でもかんでも最善を求めすぎだ。いいか、この傷はわたしのものであって、テメエのものじゃねえ。お前が責任を感じるのはむしろ侮辱だ」
「まだわからないんですか! そんな話じゃありません!」
「いいだろ、べつに。わたしは――――」
ネギの胸倉をつかんでいた千雨が驚いたように言葉をとめる。
視線を降ろしたその先。自分のわき腹に張られていた呪符がペロリとはがれていた。
天ヶ崎千草が作り、フェイトから渡された止血と快癒と痛み止めの万能癒符。それがはがれる。
時限性か、術者認識か、それとも自分の防壁が弾いたのか。
まあどちらにしろ変わりない。
ジワリと加速度的に痛みが広がって、血が喉を這い上がる。
フム、と千雨は頷いた。
あの白頭、手加減したといってたくせに、全然加減が出来てない。
意外に理知的に見えたが、やっぱりそのままボケたガキだ。世の中の常識がわかっていない。
女の腹をなんだと思っていやがるんだ。今度あったらぶん殴る。
腹の中で文句をつぶやき、千雨は口から血が滴るのを自覚して、
「――――悪い。ちょっと気絶する」
そのまま意識を失った。
◆◆◆
バチリと、意識が浮上した。
目を開けて周りを見渡せば、枕元にネギがいる。
でかい和室の中で、布団に寝かせられているようだ。
服は浴衣。宝石がないのが気になったが、視線をめぐらせれば、先ほどまで来ていた服が一式、枕元においてあった。
血を流したためか喉がひりつく。水が飲みたかったが、我慢してそばに座るネギに声をかけた。
「ああ、ネギか。ここは?」
「木乃香さんのご実家です。関西呪術協会の本山だそうで、千雨さんの治療をしてもらっていました」
やはりたどり着けたらしいが、木乃香たちの姿はない。
千雨が上半身を持ち上げた。
ズキズキと痛むが、我慢は出来る。
慌ててネギが水を渡し、千雨が礼を言って喉を潤した。
「先生が看病してくれてたのか」
「はい。骨折に加えて、熱もでていましたから」
「ん、もう大丈夫だよ。先生こそ殴られてただろ」
「ボクは障壁を張っていましたから……」
「ん、そうか。あいつらは?」
「木乃香さんたちは皆さんと夕食です。あと、呪符使いさんたちには逃げられてしまったままです。一応西の長さんたちも探してくれるそうですけど」
「ああ、報告はもう終わったのか。任務とやらのほうは成功だな」
「成功のはずありません。ボクは、いえ、ボクらみんながとても心配しました。それに彼らに逃げられて……一矢報いることすらできませんでした」
悔しそうな顔をしたネギが言葉を詰まらせる。
「一矢報いるってどこの時代劇だよ。それに犬上とか言うやつには勝ってただろ」
「でも千雨さんに全てを任せるようなマネをしなければ、その怪我は避けれたはずでした」
「いいって。わたしたちの勝ちは近衛と親書を近衛の実家に届けることだろ? 目的は達してる。あの時お前にミスはなかったさ」
「……」
ネギが一瞬黙り、ふう、と小さな息を吐く。
終わりのない問答を繰り返すのに疲れたかのようなそんな吐息。
「千雨さんは一人よがりがすぎます」
「そりゃお前もだろ」
そう断言する千雨にネギは反論せずに微笑んだ。
その言葉が千雨の優しさから出ていると知っているから。
以前の自分の失敗を認識しているからこそできる笑み。
それは過ぎた優しさが傲慢に転じるそんな呪いである。
「あの、千雨さん、ボクは千雨さんの恋人ですね?」
「えっ!? あ、ああ、そうだけど」
それは質問の振りをした断定だった。
千雨が状況を理解できないままに頷いた。
「始めてお部屋にお邪魔したときからずっと、ボクは千雨さんに頼っています。でも、千雨さんもボクに頼ってください。ボクだけが千雨さんに寄りかかるのは、少しいやです」
淡々とネギが喋った。
千雨は戸惑っているだけだ。
「え、えっと……」
「ボクが千雨さんに怒られて、ボクは千雨さんに頼ってばかりでしたけど、今度はきっと千雨さんがボクに怒られる番ですね」
当たり前のようにネギが告げる。
突然の言葉に千雨が声を上げようとして、その言葉を止められる。
上半身を上げていた千雨が、その頭をネギにギュッと抱きしめられたからだった。
あまりに優しいその仕草に、千雨は反論も忘れて唖然とした。
こんな扱いをこの少年から受けた記憶はちょっとない。
恋人でも親でもなく、まるで兄が妹を抱くようなそんな抱擁。
千雨は言葉に詰まってしまう。
「千雨さん。以前あなたは言いました。自分がピンチになったとき、ボクがあなたを助けるか、と」
ずっと以前にそんな問答。
自分を犠牲にする人格は、他者を犠牲にすることに反発する。
そんな救えない独りよがりの英雄思想。
千雨が知っていなくてはいけない、そういう考え。
ルビーから説教されて、それでも治らない根源性の心の疵。
「もし逆の立場でボクたちが怪我をして、それに対して自分を悔やまなかったといえますか?」
その言葉に流石に詰まる。
自分を犠牲に自己満足だけを得るそういう行為。
独りよがりな反省劇。
以前にネギに問いかけたそんな問答。
「もしそれに頷けないのならば、あなたは自分の犠牲を笑ってすませてはいけません」
長谷川千雨は、自分を犠牲にするその性質を改めよ、と。
自分が耐えることで決着をつけるそのやり方は間違っていることを理解せよ、と。
そんな当たり前のことを言ったことがあった。
そしていま、そんな当たり前のことを言われている。
「千雨さんは一人じゃありません。自分の怪我が自分ひとりの責任だなんて、そんなのは間違いなのでしょう?」
ネギ・スプリングフィールドは声を荒げたりはしなかった。
だからこそその言葉は千雨に響く。
千雨は頷く。
なるほど、説いた子に教えられ、教えた男に教わった。
以前に行ったそのやり取りがそのまま自分に返っている。
きっとネギが千雨をかばえば、逆の問答を千雨が行っていただろう。
この二人は自分に対して愚かであり、人に対して優秀だ。
自分の犠牲で願いが成就して、それを良いことだとしたならば、いつか他人の犠牲で願いをかなえる道を許容する道を強要される。
自分の犠牲は許されて、人の犠牲を許容できないというのなら、それはただの傲慢な独善だ。
それは千雨がネギに対して怒ったことだ。
だからいまこうしてネギも同じ間違いを犯す千雨を怒る。
「……そりゃそうだな。悪い、ネギ。今のはわたしが間違ってた」
素直に千雨が頭を下げる。
それにネギが微笑んだ。
「ありがとうございます、皆さんもとても心配していました」
「そうだな。目的は達しても、この怪我はそりゃダメだよな。……心配かけた」
千雨の頭を抱きしめていたネギが離れる。
ネギが覗き込むそこには、嬉しそうに笑う千雨の顔があった。
手を口元に当てて、クククと笑っている少女の姿。
こいつに偉そうに説教されるのは久しぶりだ。そういやこいつは教師だったか。
「ありがとな。ちょっと自惚れてたよ」
「木乃香さんには謝っておいたほうがいいですよ。あのあと、千雨さんが血を吐いてしまって、それを見てものすごく取り乱してました」
「そっか。うん、わかった」
素直に千雨が頷いた。
そうして、何かに気がついたように、言葉を止める。
「そういや、あのオコジョはいないのか。この旅行中ずっと一緒だったくせに」
「え、は、はい。木乃香さんたちと一緒にいると思います」
ネギがあはは、と笑った。
千雨も頷く。その情景が想像できた。
質問攻めにでもされているのだろう。
それはとっても都合がいい。
「それじゃ千雨さんのことを皆さんに知らせに行きましょう。あ、それに――――」
「あのさ、ネギ」
何かを口にしようとしたネギをさえぎって、今度は逆に千雨がネギを抱きしめた。
立ち上がろうとしたネギを止める幼い抱擁。
千雨自身も驚くほどに自然なその行為。
よくわからないままに自分の子供っぽさが暴走してるを自覚する。
「……ふえっ?」
何が起こっているのかわからないように、ネギが戸惑った声を上げる。
ぎゅうと千雨がネギの首に手を回し、その体を密着させる。
一瞬後に、状況を認識して、抱きしめられたままネギがカアと顔を赤くした。
「あの、えっと、その? 大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
「あ、あの、ち、千雨さん?」
あまりに無垢な千雨の言葉。
戸惑ったネギの声。
いつものすました表面がはがれて地が見えていた。
そんなネギの声を聞いて、千雨はネギの肩にあごを乗せたまま耳を済ませる。
聞こえるのはネギの声と自分の心音。
感じるのは静謐な空気とネギのぬくもり。
ルビーもいないし人気もない。
いいたい事があるけれどお互いに口が開けない。
そんな空白。
無言のまま、千雨は恋人を抱きしめる手に力をこめる。
そうして動きが止まったまま数十秒。
千雨がテヘヘと笑いながら手を離す。
そしてそのまま軽く軽く、当たり前のようにネギに顔を寄せた。
軽いキス。
あまりに不意打ちなその行為。
ぽかんとしたネギの顔に、照れたように頬をかきながら千雨が笑う。
「先生。ホントはこんなのわたしのキャラじゃないんですけど……」
そういって、千雨は言葉を止めて息を吸う。
誰かがいると素直になれない。
だからこの機会を逃したら、きっといえなくなるだろう。
もじもじとしたまま、真っ赤になって、千雨は蚊が鳴くほどの声でいった。
ルビーに師事し、のどかに勇気を分けてもらった自分がここで勇気を出せなくてどうするのか。
「ありがとうございました。先生に怒られるのは少し新鮮ですね。頼られるのも悪くないですけど、こういうのは、その、ちょっと……いや、結構嬉しかったです。…………って、はは、ほんとキャラじゃないかな、こんなのは……」
へへへ、と笑う。
どうしようもない感情がこぼれ出るそんな微笑。
ネギの前に立つ、どうにも素直じゃない少女の、こらえようもない可愛らしさの小さな発露。
「近衛にはあとで謝って、そんでお礼を言うことにする。桜咲に神楽坂も……それで、その。ネギもな。お前たちに嫌われるのはいやだしさ」
驚いた表情をしていたネギが、にっこりと微笑み返した。
そうだ。この少年は空気を読まないようで、こういうときには間違えない。
だから当たり前のように彼は言う。
「ボクは千雨さんのことを嫌いになったりしませんよ。」
一瞬の沈黙。
見詰め合ったままの千雨が、どうにもこらえ切れなくなってネギにもう一度抱きついた。
いつか聞いたさよの言葉。抱きつくと、くうぅという気分になって、こらえ切れなくなるんです。そんな稚拙な言葉に笑ったけれど、あれは本当だったらしい。
千雨はネギの体温を感じながらもその手を離さす力をこめる。
二人とも無言の部屋の中。
声など立てず、音を発するものもなにもない。
誰も見ていない、恋人同士のそんな小さな一幕だった。
◆◆◆
「あー、千雨ちゃん。起きたんだー」
ネギと千雨が二人で部屋を出て、板張りに障子壁の古風な廊下を少し歩くと、いきなり声をかけられた。
のほほんといつもの表情で千雨に向かって笑うその女性はどう見ても早乙女ハルナその人である。
予想外の人物に千雨が戸惑った声を上げた。
「…………早乙女?」
「いやー、聞いたよ。気分悪くなって倒れちゃったんだって? 大丈夫?」
「ん、……うん、まあ……」
どういうことだと視線を向ける。
ネギはちらりと目配せだけをよこして、ハルナのほうに向き直った。
「千雨さんは、えーっと、その、先ほど目を覚ましたんです。他の皆さんは? 夕食では?」
「あはは、さすがにもう食べ終わっちゃったよー。今はお風呂かな? 委員長が仕切ってるけど、めちゃめちゃでかいらしいし、木乃香のお父さんからもいつでもどうぞっていわれたから、みんなで入ってるよ。チアたちは到着がちょっと遅れたからまだ夕食食べてるかも。わたしはちょっと千雨ちゃんの様子を見にきたんだけど、大丈夫そうだね」
「……あ、ああ。まあな」
「そりゃよかった。じゃ、お邪魔もなんだし、わたしもお風呂入ってくるよ。千雨ちゃんのことも伝えておくから、ごゆっくりどうぞ~」
ハルナが手に持っていたミネラルウォーターのペットボトルとタオルと洗面器、それらをまとめて千雨に向かって放り投げる。
慌てたように千雨がネギから手を離し、飛んでくるそれを両手で掻き抱くように受け止めた。
そんな千雨の姿にハルナが笑う。
頬を膨らませながらも千雨が礼を言い、それにひらひらと手を振りながらハルナが背を向けて歩き去った。
その背が見えなくなったところで、先ほど言い忘れていたことを思い出したようにネギが口を開く。
「すいませんでした千雨さん。説明していませんでしたね。木乃香さんが千雨さんの怪我を本当に気にされてまして、ここで西の長さんの話を聞いたあとに、一段楽するまで、本山にクラスのみんなを呼んで欲しいと、長さんにお願いしたんです。それに長さんも賛成されて……先ほど説明しておけばよかったです」
「呼ぶ?」
「はい。携帯で連絡を。今日の観光後はホテルじゃなく、こっちに集まってほしいと。主にスケジュール調整や許可を取るのに動いてくれたのはいいんちょさんと瀬流彦先生ですが」
ネギは千雨につきしたがっていたためだろう。
確かに、自分が本山で寝込んでしまった以上、他のみなが勝手に帰るというわけには行かなかったようだ。
「親書を届け終わったとはいえ、あの人たちはまだ捕まっていませんから」
「なるほどな。ここならまあ他のやつらも安心か」
一応頷く。他のクラスの生徒がいるが、そちらを狙うほど外道ではないだろう。
月詠は戦闘狂だし、小太郎は誇りを重視するタイプだ。
千草だって、千雨に情けをかけていたことを思うにそこまで非道な手は打てないだろう。
残るはフェイトだが、アイツもおそらく大丈夫だ。目的のためには手段を選ばないタイプのようだが、“手加減する余裕”があるうちは殺しはしまい。
煌々と千雨の瞳が光る。
自分が倒れてしまったことで、思わぬ迷惑をかけてしまっていたらしい。
反省は先ほどしたつもりだったが、まだまだ反省が足りないようだ。
さて、それでも、いまこうして親書自体は届け終わったわけだが、これで騒動が終わるのだろうか。
執念深そうな呪符使いに、いまだに真意の見えない石使い。親書ではなく木乃香を狙っていた誘拐犯。
千雨はそんな面々を思い出して苦笑する。
これで終わるとは思えない。
先ほどネギと約束した。後悔だけはないように、この修学旅行を良いものに。
そして、その上でわたしたちもクラスメイトと楽しもう。
いいだろう。今の自分は意外にやる気にあふれてる。
千雨は言った。
「じゃ、ネギ。最後まで気を抜かずに頑張るか」
「はい、こちらこそ。千雨さん」
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意志が固いのは重要ですが、意固地になりすぎるといやな子になってしまいますね。千雨やネギの欠点。それを補っていくというか、ただのバカップルというかそんな話。
戦いはほぼ省略。毎度毎度千雨が気絶するのは防御力がないから。フェイトに殴られた場合、刹那は吹き飛びますが、千雨には穴が開きます。
思考読まなくても動きを読めれば小太郎は対処できます。結界からは出れませんが、ちびじゃない刹那なら罠に嵌る前に気づけます。さよたちはシネマ村にいってます。委員長たちと普通に楽しんでました。
あと生徒のみんなは全員本山入りしました。