曇りの深夜。そこに多くの人影があつまっていた。
そこは魔法の国へゲートである。
重要度は世界最高だが、場所としては一般的な魔法使いが使用することもある“公共施設”。
だがその使用頻度はかなり低い。
それにくわえて、その警備に関しては魔法にかかわりない人間ですらも偶然で入れてしまうかもしれないといわれるほどにぬるぬるだ。渡航人数と実際の渡航者を出立前でなく到着後に調べるところなどがまさにそれ。
柵で覆って、コンクリートの壁の囲いとかぎ付きのドアをつける。それだけでこの大層な魔法結界以上の効果が出せる。魔法を過信しすぎる前の世界からの間抜けの共通項。隠蔽に気を使いすぎて警備に穴がありすぎる、とルビーなら評するだろう。
大きな光柱がゲートから天にのびる。
それが魔法世界と繋がって、大規模な転移が終了した。
管理員が現れ不法入国者のチェックを始めようとするその瞬間、渡航者の中から一人の女性が飛び出した。
転移陣の陰に隠れていたその人物。
わざわざばれるまで待つことはない。
それは一人の侵入者。
そう、誰あろうカレイドルビーが現れた。
幕話3
「いやっっはぁあぁあああああぁっっ!!」
先手必勝。
ルビーは叫びながら、魔法の国のゲートを飛び越えた。
即座に対応してくる警備員から逃げ回る。
右に銃弾、左に光弾。目の前には剣を振りかぶった甲冑姿。
ナイフは避けて、光弾を甲冑に向かって反射する。
続いてガンドを八連発。警備員の昏倒を確認してさらに走る。
詠唱無しで重力制御。上に飛んで光彩で姿を隠し、気流を流して体を飛ばす。
この世界の魔法使いは当たり前のように空を飛ぶ。
ルビーは己のいた世界ではトップクラスの魔術師だった。いまこうして英霊となってその腕は人外の領域にまで昇華されているが、それでも空を飛ぶとなったらかなりの制限がかかる。
少なくとも今ルビーを追っている旧世界と魔法世界をつなぐゲートの警備員のごとく空を走り抜けるというのは不可能だ。
空を飛ぶには箒が必要、空を翔るなら呪文を少々。
だがそれでも、勝てないというわけではない。
すべての技術が同じベクトルを向いているわけではないのだ。
霊体化はまだしない。ここで手をさらしては怪しまれて終わってしまう。
この魔法のゲートというやつは意外と規律がしっかりしている。
開くのはせいぜい月に三回。ルビーは今日開くのを知っていたからこそ、千雨に別れを告げてきたのだ。
ここで失敗すれば出戻りとなるだろう。
千雨にどうも力がないと思われているような気がするルビーとしてはここで戻る羽目になったら面目がたたなすぎる。
ゆえに準備は万全だった。
情報収集時に、鎖国した日本か冷戦時に相手国へ侵入するほどの困難が伴う、と情報を収集させてもらった少女は言っていたが、つまり“その程度”の困難さということだ。
生身で月に行けといわれるわけでもない。死後の世界を探ってくるわけでもない。
それはつまりどういうことか。
それは実現する方法が当たり前のように存在するということだ。困難なだけで不可能ではない。
ならば、それはルビーにとって困難にすら値しない。
そんなものに不可能に延々と挑戦する魔術師の末裔を挫くことは不可能だ。
そんなことを考えながら、デコイを一体生み出して、ゲートの外へ。そのまま逃走させて魔力体を霧散させる。
前回ルビーは強行後に突破を目論見て応援を無尽蔵に呼ばれて多勢に無勢で叩きのめされた。
向こうはお優しい気質でまずルビーの昏倒を狙ったらしいのだが、この世界の魔法弾、一般的に使用される攻撃術である魔法の矢は精神体であるルビーにはかなり効く。というかぶっちゃけ死にかけたのはまだ記憶に新しい。あの時は千雨に迷惑をかけてしまった。
だが、実際その性質を知ってしまえば、さすがはルビー、相手の油断もあいまってこの程度は可能である。
もちろん相手の油断は、内部にある監視システムや管理機関を信頼しているからこそなのだろうが、それを突破できる腕があるのなら、結果は明白。
デコイを追った人影は、街にまぎれてきえていく。きっと侵入者は走って逃げたという扱いになるだろう。
「前の失敗はやっぱりちょっと先走ったせいよね。やっぱわたしは優秀じゃない」
前回の失敗をうっかりだとは認めない。
そうして、二度目にしてついに魔法世界に侵入をはたしたルビーは呟いた。
◆
さてそれから数日後。
ルビーは魔法道具店の棚の前で物品を品定めしながらため息を吐いていた。
魔法世界は意外に魔法の道具が出回っていない。
いや、出回ってはいるがレベルが低い。遺跡の発掘品やシングルマテリアルなどの一品ものが多い反面、流通品はかなりレベルが低い。
そしてレベルが高いものは異常なほどの高級品か、すでに誰かの持ち物だ。しかも売られていれば売られているで身分証明が求められたりする。
中間が存在しない。レアアイテムの高級品と、安物の流通品。
それでもやはりある程度は出回っている品物を探し買い集めているが、満足できるほどではない。
魔術道具とはたいていそのようなものであるが、魔法世界という呼称に期待していただけに残念だった。
密入国者の癖に盗難はしないという変に潔癖症の気があるルビーである。
品定めしていたナイフを棚に戻す。
これなら自分で加工して千雨に渡したナイフのほうがレベルが高い。
ため息を一つ。
そのまま店を出ると、寝床に戻る。
治安の悪い地域を通り、宿の道を実体化したまま歩いていく。変質者の一人でも出れば、返り討ちにして路銭を稼ぐのだが、今日は特に何事もなく宿に着いた。
べつに盗人の懐を探るわけではなく、この地区は報奨金制が敷かれているためだ。
賭け試合などが多いこの世界で、ルビーほど腕が立てば意外に金儲けの手段に困ることはないのだが、遠坂の宿命か、宝石を主体とした魔道具を買い集めれば金は減る。
身分照明も出来ないとあって、ルビーの寝床はそこそこの宿ではあるが、高級とは言いがたい。
遠坂の人間としては不本意だが、千雨の身には変えられない。無駄遣いは避けるべきだった。
さすがに野宿をするほどではないが、ルビーは千雨にたいしては妥協しない。
ちなみに、ルビーが千雨に誕生日プレゼントとして渡したあのナイフであるが、あれも当然ただのナイフではない。
言うまでもなく当然だが、千雨に語った護身用というのは嘘である。
当たり前だ。素人がナイフを持って戦うというのは逆に相手に殺される口実を与えるだけで逆効果である。ルビーがそんな無駄をするはずがない。
ルビーがナイフを与えたのには、当然きちんと理由があるのだ。
千雨にいうと捨てられそうなので黙っているが、あれは監視用の発信機なのである。
かつて遠坂凛の父、遠坂時臣は電子機器というものを嫌っていた。電話やFAXを信用できない道具として考えていたのだ。
そして、その娘の凛も電子機器は苦手であった。
それは英霊となっても同様だったが、
「今回はこっちのほうが役に立つわね」
そういって、ルビーは長谷川千雨のナイフと対になるナイフを取り出した。
ナイフに内蔵された水晶の共振を利用した伝達技術。これは一つの水晶の二つに分け、その共振を利用するため、発信や受信といった伝達のための手順が必要ない。
魔力の波動や、電子の波を出さずに伝達を行う、初歩にしながら遠坂の技術の結晶となる奥義である。
発信されるものが何もないために、誰かにそれを読み取られることも気づかれることもない。
対となるナイフを持ち、紙に触れさせる。
ボッ、と軽い音が立ち燃え上がり白い紙に黒く焦げ跡からなる文字が刻まれた。
「今日も千雨の魔力には異常なし。でも体調はかなり悪いわね。病気かしら……、でも食生活はそこそこね。最近は夜更かしと夜中に起きるのが多い……これが体調不良の原因か。体調は最悪、風邪でも引いているのかも。よく倒れないものだわ。それでも肌がある程度整ってるのはやっぱりあのちう関連でお肌に気をつけてるからね、きっと」
ルビー以外の魔力の残滓もないため、誰かに接触された可能性もほぼゼロ。
その他、興奮状態や生理パラメータを見たあとルビーは一つ頷いた。
もう一つのナイフを持つ千雨に日常から逸脱したレベルでは異常はないらしい。
死に際の怪我ならば緊急で分かるようになっているが、それでもルビーはこうして毎日千雨の様子を探っている。
風邪や少々の怪我には対応しない。死病ならまだしも風邪に魔術使うのは違和感を感じ取られる。千雨もそういう行いをよしとはしないだろう。
彼女は魔術を嫌っている。
千雨はそこそこ順調に生活しているらしいのがわかれば十分だ。
きっとわたしがいなくなったことだし、ネットアイドルとやらを満喫していることだろ。
あの趣味はなかなかに意表をつかれた。
そんなことを考えながらルビーが部屋の隅に視線を飛ばす。
そこには大きな袋に入った魔術道具が置いてあった。今回の旅の成果である。
いいものがないと愚痴っていたわりに、ルビーは目的をほぼ滞りなく果たしていた。
優秀さも分かろうというものだ。
袋の中身は令呪を正式に発動させるための魔力媒体が九割を占めている。残りの一割はお土産の服だ。
魔法世界では、まさにコスプレ用といった衣装が日用品として売られていたので、いくつかを購入しておいたのだ。
きっと喜んでくれることだろ。
だが、帰りが大変だ。持ち帰らなくてはいけない。
進入時は手ぶらだったが、帰り道は荷物が多い。荷物自体の隠蔽も必要だし、手もかさばる。
着の身着のまま自分ひとりで帰るなら何とかなるが“お土産”付きとなるとそうは行かない。
ルビーが進入にはやすやすと成功しながらもこうして長い時間をここで過ごしているのにも、その辺に原因がある。
いっそ、ここで令呪の契約をすませてしまうのがいいだろうか、とさえ思った。
すでに千雨に令呪の回路自体は刻まれている。
かつて契約殺しを所持した魔女が、その短剣をマスターではなくサーヴァントに突き立てたことで分かるように、令呪はマスターに刻まれるものの、実際はサーヴァントに依存する文様だ。
発動と補助はマスターの魔力に頼っているが、それも絶対的な能力の基盤になるものではない。一般人でも令呪さえ刻まれればそれを発動できるのがその証拠。
ゆえに、文様が千雨の腕に刻まれている以上、道具さえそろっていれば、いまこの瞬間にサーヴァントであるルビーの手によって、千雨の令呪に光を灯すことだって――――
「――――って、あほらし。安牌もっているのに、わざわざ冒険する必要ないわよねー」
そういって、ルビーはベッドの上に転がった