・scene 37-1・
「何ていうか、最近自分が最低の人間なんじゃないかって思えて仕方が無いんだけど」
「個人的な見解を言わせて貰えば、女性とそういう状況になったその日に、別の女性を寝室に招いているという行為は充分に最低最悪と言って良いのではないかと思うが」
「アンタが勝手に上がりこんでるんじゃないか!!」
森を覗くバルコニーに続く全面窓の側に置かれたティーテーブル。
悔恨の念と共に口にした言葉にあっさりと賛同せしめた女性の堂々とした態度に、アマギリは思わず全力で突っ込みを入れてしまっていた。
「夜も遅い時間だというのに、大きな声で。近所迷惑だぞアマギリ」
「半径百メートル以内に建物が無いよっ!」
ついでに住んでいる人の偉さを象徴してか、この寝室は防音施工も完璧に施されていたりする。
「大体アウラ王女、何で今日はこんなに遅い時間なんですか?」
大きくリアクションを取るアマギリの様子を楽しそうに観察しているアウラの優雅な態度に、アマギリはげんなりとした声を上げた。
このダークエルフの友人がダークエルフらしい気まぐれさを発揮して、稀に部屋を訪れる事は、ある。多くて一月に一度か二度程度だが、訪れてはさして内容の無い話を適当に広げた後で、アマギリ手ずから用意したティーカップの中身が空になる頃には姿を消す、と言う按配だ。
しかし来訪する時間は決まって、アマギリが就寝する一、二時間前辺りが常だったから、今この時のように、既に日付が変わってしまったような時間に訪れると言うのは初めてのことだった。
他所に知られれば、流石に言い訳の立たない危険な時間だといえるだろう。尤も、普段の時間でも別にまともな言い訳が成立する訳ではないのだが。
そんな風に考えつつ、遠まわしに帰ってくれないかと言う意味を込めた言葉を送ってみたら、アウラは何故か奇妙な顔で首を捻っていた。
アマギリの言っている事が、まるで要領を得ないという態度である。
「アウラ王女?」
「ん、ああ―――いや、ああ、そういう事か」
呼びかけに応じて、何度か含むように口元をまごつかせた後で、アウラは何かに気付いたかのように薄く笑った。
「その場に居たのに聞いていなかったんだな。私は、今日はお前と同じテーブルで夕食を食べていたんだぞ」
「へ?」
「まぁ、確かに目に見えてぼうっとしていたからな。ユキネ先輩もマリア王女も、大分呆れていらっしゃったが」
「……ちょっと待った」
思い出し笑いをしているアウラの言葉を遮って、アマギリは額に手を当て考える。
本日の夕食。
メニュー、不明。故に味も不明。
食卓を囲んだ人間の顔など、覚えている筈も無いから、会話内容など知る由も無い。
と言うかそもそも、食べた記憶がなかったが、ちゃんと食べたらしい。
気分的には、気が付いたら寝室に居たといったところだったのだが、無意識に日常生活をちゃんとこなしていたようだ。てっきり、帰宅してからこっち、この時間まで寝室でぼうっとしていたのだと思ったが。
尤も、その割にはちゃんと風呂に入って着替えまで終えていたようだが。
「因みにその晩餐の折に、今日は泊まっていっては如何かとマリア王女のお誘いを受けてな。―――王女が就寝するまではお付き合いしていたから、遅れたのはまぁ、そのせいだ」
「……マジですか」
知らない間に随分仲が良くなったものだと、アマギリは微妙に頭が痛くなってきた。
想像するに、碌でもない組み合わせである。口撃が激しくなりそうな意味で。
「まぁ、それだけ意識を奪われていたのだから、最低と言うほどでも無いんじゃないか?」
「―――ここで、そこに引き戻しますか」
微笑むアウラに、今度こそアマギリはテーブルに突っ伏した。
その常なら有り得ぬであろうだらしの無い姿勢に、アウラは益々笑みを深くした。嘲笑ではなく、好意的なものだった。
「いや、なに。大切な親友に関わる問題だからな。真剣に考えていてくれているなら安心したよ」
「真剣―――って、言われると辛いんですけどね」
首だけ動かして顔を上げたアマギリは、苦い笑みを浮かべて応じた。
「本当に何ていうか、戸惑ってるんですよ、ホントどうしたら良いのか、本当に解らなくって……」
言葉の使いからして混乱が伝わってきそうな態度が、いっそアウラにとっては微笑ましかった。
「少し意外だな」
「何がですか」
その頬を膨らませた拗ねた態度が―――ではなく、それはそれで意外だと思いつつも、アウラは続けた。
「こういう人間関係の処理はお前の得意技だと思っていたのだが」
もっと上手くあしらえそうな物だがと、今のアマギリの体たらくを意外そうな目で見るアウラに、アマギリは眉を顰めた。
「他人事じゃないんですから、そんな遊び感覚じゃ出来ませんよ……。泣かせたら、怖いじゃないですか」
「紳士なのか臆病なのか、返答に困る答えだなそれは」
「どーせヘタレのビビリですよ、僕は」
うあー、等と情けないうめき声を上げて脱力するアマギリに、アウラは片眉を上げて驚きを示した。
泣かせると、怖い。
冗談のような不貞腐れた口調だったが、本気でそれが理由らしい。
何とも人情味に溢れすぎていて、正直この男らしくないとしか感想が浮かばない。
女の涙に弱いなどと―――逆に考えれば、それが怖いからこそ、普段人を自分の外側に排除するような人間を演じているという事なのかもしれない。
最近の年齢以上に幼く見える態度こそ本質、と言う事なのだろうか。
本人曰く、記憶が無いと嘯いているから、記憶がなくなった丁度その瞬間で精神的な成長が止まってしまっているという事も考えられるか。
尤も人間には誰しも多面性と言うものがある、それが全て真実という訳でも無いだろう。
これまでは友人としての片側からしか見えなかったものが、彼の家族が現れた事により、違った面が見えるようになった。そういう事だ。
「端から見ている分には面白いから結構な事だがな」
「いきなり黙ったと思ったら、どんな経緯でその結論に到達したんですか……」
「お前は得がたい友人だよ、と言うことだ」
半分諦めの入った口調で突っ込むアマギリに対して、アウラは楽しそうに笑って応じた。
「どうしてこう、他に考える事があるときに限って、色々重大事が起きるんですかねぇ。暇な時は本当に何にも起きないのに」
だらしなくしているのも疲れてきたという態度で体を起こしたアマギリは、そのまま背もたれに体を預けて天井を見ながら言った。
「他?」
アウラは首を捻った。アマギリは苦笑して言った。投げやりに。
「剣士殿の事とかね。他にもシトレイユのオッサン絡みの話とか、色々。まぁ、後者は半分遊びだから良いのか……」
「―――剣士、か」
忘れていた訳ではない、と言う言い訳すら難しいくらいに完全に失念していたアウラは、その名前に眦を寄せた。
「剣士―――の、事はしかし、暫くは放置しておくと言っていなかったか?」
「まぁ、本当はそうしたかったんですけど、ちょっとウチの連中の報告とか聞くに、あんまり遠ざけておくわけにもいかなそうなんですよね。―――放っておいても、遠からずぶつかりそうと言うか」
天井から降ろされた視線は、何処か倦怠感のある、つまりはアウラの尤も良く知っている類の表情だった。
貴女も巻き込まれますよと言う、視線に込められた意味をアウラは誤解しなかった。
「どういう事だ?」
「たいした事じゃないですよ。ヒトもモノも、何故だか此処―――聖地へと集中し始めているってだけです」
「―――聖地へ、だと?」
「ええ。まぁ前からその気配は無くはなかったんですけど、今年に入って一気にですよ。初めはてっきり従妹殿を暗殺するためかと思っていたんですけど、どうも違う。―――連中、此処で何かしようとしている」
連中、と言うものが誰を指すのかを解らないアウラではない。従妹殿と呼ばれている少女がラシャラ・アースだと理解しているのだから、尚更だった。
「しかし、それと剣士がどう関係がある?」
「本命の手下の連中はさ、倅君が気まぐれに動かしている連中と違って、無駄な行動は一切取らない慎重な人たちなんですよ。だからこそ、ウチの連中も全部の存在を把握し切れていないんですけど―――まぁ、とにかく。その無駄な行動をしない連中が、何故か最近剣士殿の周りでウロチョロしているのが、ちょっと疑問でして」
アウラはそこまでの話を聞いて、感心したように頷いた。
「半分寝ぼけているような状況の最近でも、その辺も確りやってたんだな」
「……まぁ、気分転換にもなりますしね」
最早反論する気も起きなかった。投げやりな口調のアマギリに、アウラは冗談だと苦笑した後で、真面目な顔を作った。
「しかし、確か剣士は元々その―――その、”連中”に使われていたのだろう? ならば単純に、回収に来たということではないのか? 何しろ貴重な男性聖機師だ―――その上」
異世界人でもある。
口に出さずに、アウラは付け足した。アマギリは肩を竦めて応じる。
「回収する気が有るほど重要な駒なら、初めから捨て駒扱いで倅に預けたりはしないでしょうよ。百歩譲って回収する気が有るとしても、こんなに衆目にさらす前に、もっと早く手を打つと思いますし」
「なるほどな」
アウラは頷いた。
そういう方面の人間心理なら読みきれるのに、何故女性の心理は理解できないのか疑問で仕方が無かった。無論顔に出す事はなかったが。
「異世界人に、陰謀を企む権力者の影……後は、聖機神とかもあるのか。何なんですかね、聖地って?」
自身の考えを纏めるように呟いた後、顔を上げてアマギリは尋ねた。しかし、アウラは首を横に振って応じた。
「私が知っているような事は、とっくの昔にお前も知っていると思うが」
「名も泣き女神との契約の地―――ってまぁ、建前は良いですか。元々はシトレイユの領内で、聖機神が発見された場所らしいですね。地底部には先史文明の遺跡がまだ眠っているとかいう話もありますし―――何か、偉い人が興味を持つような碌でもないものでもあるんでしょうかね」
「偉い人間が興味を持つようなものがあるのなら、そも、聖地を教会に譲渡した時のシトレイユ国王が確保してしまっていると思うが」
考えられる話だった。
必要なものを全て手に入れたからこそ、もう必要ないからと―――そのカモフラージュも兼ねて、先史文明の遺産の管理を司る教会に差し出す。
「でも逆に、偉い人でも手に負えないから、教会に丸投げしたって考え方もありなんですよね」
「それを今更回収しようと思い立った人間が居れば、手に負えるようにする算段がついたと考えられるか。―――まさか、それが剣士だとでも?」
探るようなアウラの態度に、アマギリはさて、と首を捻った。
「そうするとさっき言ったように、剣士殿を捨て駒にした理由が解らなくなるんですよね。―――まぁ、この辺推測ばっかりになるし、推測しようにも、向こうも一つの思惑だけで動いているんじゃないっぽいんで解釈のしようが難しいんですが」
「思惑が……一つではない、だと?」
「現場で勝手に動いてたり、裏でこっそり動いてたり、隠し様もなく堂々としていたり、まぁ、ゴチャゴチャですよ」
面倒くさそうに話を纏めるアマギリに、アウラは難しい顔で頷くしか出来なかった。
この方面に関してこの男が解らないというような問題を、自分が理解しきれるものではないと正しく理解していた。
「何か解って、手が必要ならば、その時は言えば良い。私でよければ幾らでも手を貸そう」
その時は手助けをするからとはっきりとした口調で言うアウラに、アマギリは目を瞬かせた。
「何か、随分と気前が良いですね」
係わり合いになりたくないと一歩引かれると思っていたと正直に話すアマギリに、アウラは笑った。
「何、単純な話さ。そんな面倒な事柄よりも、私個人としてはお前にはもっと別の問題に注力してもらいたいからな」
だから、憂いを絶つ手伝いくらいはすると、とても楽しそうに笑うアウラに、アマギリは項垂れた。
「結局そっちに戻る訳ですね……」
「重要な事だからな。―――お前にとってもそうではないのか?」
「否定はしませんよ」
出来る筈も無いしと、音を出さずに付け足した。その言葉に、アウラは満足そうに頷いた。
「ならば、いいさ。お前にとって先の件が―――特に剣士が関わってしまった以上、重要な意味を持ってしまっているのも理解できるつもりだ。何しろ剣士は、お前にとって……」
たった一つの、帰還への道しるべ。
二年間、此処へ来る前を含めれば、もう六、七年は暮らし続けていたジェミナーについに訪れた、過去との接点。
重要で無い筈が無い。
時に曖昧な過去を語る事のあるこの友人が、そういったときに限って憧憬の眼差しを虚空へと捧げている事をアウラは知っていた。
「―――だが、出来れば帰還が決まった場合であっても、その前に……」
そこから先を口にする事は、流石に当事者ではない自身には分不相応かもしれない。
口ごもるアウラに、アマギリは薄く笑って答えた。
「そうですね。―――発つ鳥跡を濁さず、とも言いますものね」
アマギリの言葉に、アウラは悲しげな笑みを浮かべて頷いた。
”発たない”とは言わなかった―――発ちたくは無いのだという気持ちは痛いほど伝わってきたのに。
地に下りし龍は女神より翼を賜り、そして。
そしてその時―――龍は何を思ったのだろうか。喜びか、悲しみか。それとも。
何故だか、それが解る日が近いことを予感せざるを得なかった。
※ サブタイが原作通りに戻りますけど、内容が最早原作を追従できる環境に無かったり。
バカンスですので、久しぶりにアクティブに動く事になるかと。