・Sceane 42-1・
「女神の翼……」
目を見開き呆然と呟くラシャラに、軽く微苦笑で応じた後で、アマギリは視線を伸ばした腕の先へ戻した。
掲げた掌の先、彼の意思に従うがままに、外壁を焼き尽くし迫る粒子の奔流を塞き止めるように、光り輝く―――そうとしか表現しようがない、翼を思わせる発光体が三方に広がり、力場を形成している。
正しくはその名を、”光鷹翼”と言う。
銀河最強ともいえる軍事力を有する星間国家”樹雷”に於ける最高機密にして、最大的特徴である”皇家の樹”のみが作り出す事が可能な、計測不能、正体不明のエネルギー場。
皇家の樹は樹雷本星に於いてのみ群生する、ものによっては亜空間に太陽系を丸ごと一つ固定可能なほどの膨大なエネルギーを有する意思を持つ樹であり、その中でも特に力の強いもの―――確立した自我を有するものは、その自らの意思で以って、人間のマスター……パートナーを選ぶ。
樹のパートナーとして選ばれた人間は、契約に基づき樹の力を振るう事が可能となる。―――即ち、皇家の樹のみが展開する事が可能な光鷹翼の展開が可能となるのだ。
アマギリ―――ジェミナーではその名で呼ばれている、樹雷皇家の末席に位置する少年は、今、自らの意思で以ってそれを作り出す事に成功した。
頂神の、高位次元知性体の力の発露とも言えるそれを、例え皇家の一員であろうとも、本来なら作り出す事など不可能な筈のそれを、彼は作り出したのだ。
彼に、パートナーとなるべき樹は今も昔も存在しない。
樹雷本星に居た間も、樹に選ばれる事はなかったし、樹を選ぶ儀式を受ける事もなかった。皇家本流ではなく、分家の末席に過ぎない生まれであったから、それも当然であるが。
だが、彼は光鷹翼を発生させている。
それは彼が生まれ付いての特別な存在であるから―――の、筈は在り得ない。
「……いや、特別と言えば特別なのか?」
圧力の一つも感じず、絶対必死の光の波濤を受け流しながら、アマギリは薄く笑った。
特別脆かったり、特別不幸―――人によっては、いや、大多数の人間には特別僥倖とさえ言える立場だったのは事実。
その末路の果て、特別生き急いだ果てに手に入れたのがこの力だ。―――とすれば、やはり特別幸運だったと言えるのだろう。
もとよりこれに同意しなければ確実に、それこそ何百年も前に死んでいたのだから―――いや、どうだろう。
あの神木・瀬戸・樹雷が、一度目に付けたものをむざむざ死なすような真似をするか?
ましてやあの女性は、かつて早死した友と同質の―――近い、衰えさせたような―――力を有していたという理由から、彼を政敵である天木家当主である天木・舟参・樹雷より取り上げたのだから。
それはもう強引に、議論の余地を差し挟む間もなく。
いや、酷かった。本当に、酷かった。
今、思い出すにしても、アマギリはそう思わずに居られなかった。
いやいや、子供の夢を弄んで脅迫まがいの真似をしてきた天木舟参も酷さで言えば同レベルなのだが、あちらはまだ手順を踏んでいるからマシだったと思いたい。
何せ問答無用、気付けば檻の中のような泣くに泣けない状況だったから、啼きながら日々を必死こいて生きていく以外他無かった。
その結果、皇家の樹の中でも格段に情報処理量が多い神木瀬戸のパートナーである”水鏡”の近くに居る事が多くなり、彼は自身の特性に押しつぶされて死期を早めた。
人の窺い知れぬ高次元の於いて交わされる皇家の樹同士の情報伝達―――それを、アマギリは”存在だけ”は感じる事が出来た。
実際に、やり取りされている情報の内容自体を把握できる訳ではないから、現実においては何の役にも立たない。
役に立たぬとは言え、生まれ持った能力である事には違いなく、彼が生まれた時から感じる事の出来た、その自分でも理解できぬ情報のやり取りの、その意味を理解したいと望むのは当然だと言える。
そのために目指したものが、哲学士。銀河最高の頭脳である。
銀河の辺境で、曽祖父の作った負債を返済しながら細々と惑星開発に勤しんでいた父母に、哲学士になりたいから銀河アカデミーに留学させてくれ、等と望む末子の夢を叶えてやれる経済的余裕は無かった。
それ故、父母達の取った手段は単純で、辺境に居たが故に疎遠だった主家に資金援助を願い出たのだ―――当時の樹雷中央で行われていた、政争の具合も知らずに。
樹雷皇が柾木家の阿主沙に決まり、皇太子もその息子である照樹に確定したとあらば、樹雷皇を―――その権力の掌握を目指す天木家当主舟参には打つ手は最早限られる。
樹雷皇も皇太子も、尚武の気風のある樹雷皇家において尤も解りやすい”力”の象徴とも言える、皇家の樹の中でも、更に最強の力を有する第一世代の皇家の樹との契約に成功していたのだ。
舟参自身は力ある樹に選ばれなかったが故に、意思の薄い第三世代の樹を与えられた。
彼の息子である次期天木家当主も、第二世代の樹との契約しか出来なかった―――それでも、樹と契約に成功するものの方が少ないのだから、たいしたものなのだが。
しかし第一世代の樹と第二世代の樹の力の差は隔絶的であり、覆す事は実質不可能。当代も、そして次代の樹雷皇の座も、舟参の手の届く場所に落ちてくる事はありえなかった。
ありえなかったからと言って―――諦められるくらいなら、鬼姫の異名で持って銀河に恐怖させる神木瀬戸と政治的な対立など初めからやろうとしないだろう。
万策尽きて、打つ手なし―――そんな時に、辺境で忘れ去られていたような貧乏分家から届いたのが、資金援助願いと共に記されていた、特異な能力を有した少年のデータ。
皇太子照樹と同年代の少年。才はそれなり、少しばかり変わった能力もあるし―――駄目で、元々。
皇家の樹との契約、樹選びの儀式を司る家系であった天木家の当主ならば、秘密裏に辺境から呼び寄せて儀式を執り行うなど造作も無い事。
運良く力のある樹との契約に成功すれば、皇太子の対抗馬として擁立する事が出来るし―――駄目だったのなら、放り出せばそれで済む話。
短絡的な企み、見え見えの謀は―――銀河最高クラスの情報処理能力を有する、神木瀬戸の水鏡に察知されない筈も無く。
資金援助のための審査をするからと、本家から出頭を命じられて樹雷本星を訪れた少年が、何故か気付けば神木家の屋敷で行儀見習いをさせられていると言う現実を生み出した。
樹選びの儀式など、以ての外。待っていたのは本来会話を交わす事など在り得なかった様な高貴なる人々に振り回されて、見習い士官の真似事をさせられる忙しい日々。
まぁ、楽しかったから良いけど。
―――そんな風に思っていたら、辺境、父母の有する―――数代前の古い時代に、主家から賜ったらしい―――第五世代の樹しか傍に存在しなかった頃には在りえなかった、莫大な、超高密度の情報処理に精神を押しつぶされて、あっさりと瀕死の瀬戸際に追い込まれていたのだが。
偶然、予期せぬ事態、申し訳ない事をした―――扇子で口元を隠し、眦を寄せて。
彼は、自らが死に行く避けられない現実を告げられた。
―――だけど。
今ならばこそ出来る―――瀕死で指一本動かせないほどに疲弊していた幼い頃には出来なかった思考だが、実は間接的にそうなるように誘導されていたのではないかと、アマギリは思う。
神木瀬戸はアマギリがどういう存在であるか理解して彼を引っこ抜いた訳だし、そうした結果どうなるかも、当然予想が付いていた筈だ。
なるほど、確かに俺は今の立場に満足している。満足しているが―――しかしたまに考える事があるんだ。
本来ならば必要なかった、要らない苦労を、背負わされていたのではないかと。
もっと楽な道があったんじゃないかなぁ、そんな風に言っていた先達が居た事を、今更ながらに思い出す。
アマギリは、今の自分に満足している。神木瀬戸の提案を受け入れる事は、彼の望みと一致していたから、願ったり叶ったりではあった。
「けど、なぁ……?」
僕は皇家の樹を”知りたかった”のであって、けっして、皇家の樹に”なりたかった”訳ではない。
今更ながらに、そんな当たり前の事実を認識する。
現状に後悔はしていないし、”なる”事が”知る”ことの一番の近道だったのも瀬戸が語るとおりに事実だったが、落ち着いて考えれば何処か間違っている気がしなくも無い。
「まぁ、今更だな」
そのお陰で、今こうして敵の攻撃を防ぐ事が出来ているのだからと、アマギリは苦笑して呟く。
人為的な施術で、人に皇家の樹―――その種を移植し、力を行使する。
聞けば、現樹雷皇阿主沙が皇太子時代に武者修行の途上で遭遇した、第一世代の皇家の樹の力と拮抗した能力を有する正体不明の海賊船の出現に、瀬戸は言い知れぬ危機感を覚えたらしい。
何も解らぬと放置しておけば、いずれ樹雷に災いをもたらすかもしれないと、ならば、対策を立てることは急務だ。
今後再びあるであろう、第一世代の皇家の樹を有する阿主沙と互角の戦闘を演じたその宇宙海賊のような存在に対応するための、樹雷の戦力強化プランの一つ。
宇宙を駆ける船の動力としてではない皇家の樹の新たな活用方法、その試験石として考案されたその計画の被験者となる事を、死に掛けのアマギリは同意した。
施術には数百年の時を賭け、慎重に慎重を重ね行うと、手術台で眠りに落ちるアマギリはそう聞いていた。
調整を加えた自らの肉体をコアユニットに見立て、種をその内に定着させる。
しかしアストラルの側面から見れば、皇家の樹の巨大なアストラルを器に見立て、ボロボロとなったアマギリのアストラルをそこに流し込む形となる。
まだ意思が未成熟である種のままの皇家の樹の意思は、やがて流し込まれたアマギリのアストラルと同化し、そしてアマギリは人の身でありながら皇家の樹そのものとなる―――そんな計画だ。
施術開始から、既に七百年以上。
七百年以上の時が、過ぎているらしい。施術において組み込まれた幾つかの機能を用いて、彼は意識を凍結されており本来なら知らぬ筈だったそれを理解していた。本人のあずかり知らぬ所で、客観的な経過時間を観測する機能が備わっていたらしい。あるいは、これもまた、皇家の樹の高次元からの認識の一つかもしれない。
しかし七百年以上の歳月を重ねているにしては明らかに調整は不完全。
展開された光鷹翼は、”展開する”と言う意思自体は彼のものであるのは間違いないのだが、その展開する規模は明らかに彼が望むものを超えている。
たかが大気圏内で使用される粒子砲を防ぐには不相応なほど、膨大な―――最大出力で以って、光鷹翼は展開されていた。それは目視においてはただの強力な防御力場にしか見えないだろうが、その実際は過剰に過ぎるエネルギーが凝縮されていた。
最大出力である。縮める事は出来無い。制御がまるで出来ない。
出すか、消すか。どうやら、スイッチのオンオフ以外は不可能らしい。
この状態でエネルギーの解放による光鷹翼の攻撃的運用など行ったらどうなるか、想像するに恐ろしい。
多分と言うか確実に消し飛ぶ。”惑星ジェミナー”どころか、”ジェミナー太陽系”が。
「―――なんて、笑い話を考えている場合でもないか」
フラリと―――急激に、足元が覚束無くなっていく。体が自分のものではないかのように、まるで言う事を聞かずに地に臥したい衝動に襲われる。意識が遠のく―――久しく忘れていた、身近に感じる死の気配。
原因は考えるまでも無かった。
光鷹翼はそもそも、頂神の一柱たるの落とし子である皇家の樹の様な超存在のみが発動可能な、三次元では認識不可能な高次元の力の発露である。
人間には本来扱えない。高次元で振るわれる力で在るならば、三次元世界、つまり低次元下に於いては、そのエネルギー量を賄う事など不可能。
アマギリが今現在発生させている光鷹翼も、だから彼の胸の中にある皇家の樹の生み出す常識の外に在るエネルギーによってのみ、発生させる事が可能なのだ―――本来なら。
だが今、彼の内に存在する皇家の樹は、本来生み出せるはずの文字通り次元違いのエネルギー量の、その一片以下しか精製する事は叶わなかった。
皇家の樹が幼生にもみたぬ発芽したばかりの種であるからかもしれないし、調整が未了であるが故に、生み出したエネルギーの大半をロスしているせいかもしれない。
理由は幾らでも考え付く。
そもそも人に皇家の樹を入れると言う計画そのものが初めてだったから、結論として想定通りのエネルギーを得られなかっただけと言う話かもしれないのだ。
兎角、今重要な事実は、本来光鷹翼―――それも発生可能な最大出力の―――を維持するために必要なエネルギーに、今のアマギリの精製しているエネルギーが微塵も追いついていないことである。
しかし光鷹翼は発生し続けているのだから、足りないエネルギーを何処かから持ってきている訳で―――急速に遠のいていく意識に、アマギリはふら付く足を地に押し付ける事に全神経を集中する必要に駆られていた。
そして、何時かの夜に、誰かから言われた言葉を思い出す。
あ、念のため忠告しておくけどね。
二度と今の調整不良の状態で光鷹翼を展開しようなんて考えるんじゃないよ。
アンタはまだ完全に皇家の樹になりきれていない、人と樹の間を揺らぐ非常に不安定な状態だ。人であろうとしても、人でありきれず、樹になろうとしても、樹とはなりきれない。
そんな状態で樹の本質に近づこうとしてごらん。アンタのただでさえ壊れかけている人間としての部分が完全に壊れちまうさね。
早い話が―――。
※ 今回だけはホント、まんま真・天地無用!魎皇鬼のSSのような。
大体時系列的には、二巻の213ページと214ページの間の出来事辺りだと解釈してみると丁度良いかと。