・Scene 42-4・
鋭角的なラインを有する禍々しい黒い聖機人。
光を反射せぬ鉛色の装甲を不気味に蠢かせる龍機人。
天を見上げてその光景を目撃したものが居たのであれば、言うであろう。
―――二体の悪魔が、空で踊っている。
それは聖地北端に屹立した朽ちかけたバベルの威容と、その底部演習を高速で旋回しながらぶつかり、飛び交う姿を合わせて、まるで何か邪悪な儀式の様相すら想起させる。
飛翔、交差、激突、回避―――超速での接近から繰り出される刃と刃、離れれば撃ち交わされる亜法の光弾の応酬。
集中など、神経を鋭敏化させる暇が無いほどに反射的に動作を入力し、それが機体に反映したことにすら気付かないほどの速度で、更に先の動作を入力。
「半死人にやらせる戦いじゃ無いっての、この―――っ!!」
『いい加減堕ちろ! 蛇がっ!!』
歯を食い縛り呻くアマギリの言葉に応じるように、刹那の交差によって開かれた接触回線から、恐らくは黒い聖機人の聖機師―――人造人間”ドール”のものと思われる、金切り声が鳴り響く。
年端も行かぬ小娘としか思えないその声。それがこの、見たままに凶暴な黒い聖機人を顕現させていると言うのだから、なるほど、先史文明人と言うのは随分と悪趣味らしい。
文明崩壊末期にまで、少女を矢面に立たせて自分達は引きこもろうと言うのだから、多分にフェミニストの気があるアマギリには苦々しい現実だった。
「ああもうっ! 良いから諦めてオッサンのところへ帰れよ!」
『戯言を!!』
下された大鎌の腹を振り上げた右の手の甲を叩きつける事により払いのけ、零距離から左肘の刃をコア目掛けて抉り上げる。口にした言葉とは対照的に、明確に聖機師ごと殺すつもりで攻撃していた。
しかしその一撃は、黒い聖機人の超常的な反射速度―――鎌の重量を利用して全身を捻り、滑る様に龍の側背にまろび出る事によって回避された。
そして黒い聖機人は、そのまま遠心力を利用してガイアのコアユニット―――密集したエナの大質量を棍のように叩きつけてくるから、アマギリは空を泳ぐように衝撃を下半身の尾で受け流しきり、距離を離す。
『逃がさないよっ!』
距離を離そうとする龍機人に、さらに追いすがるように黒い聖機人はガイアのコアユニットを突き出す。
「―――のやろっ!?」
突き出されたコアユニットが中心から変形していく様を見て、アマギリは何が起こるのかを瞬時に悟った。
収束される膨大なエネルギーが燐光を放つ。巨大な列車を絶壁ごと溶かし尽くすには不十分だろうが、しかしそれよりは遥かに小さなサイズの聖機人を焼き尽くすには有り余る威力。
解き放たれる粒子砲は、避けた所で飛散する粒子を浴びただけでも致命的だ。
射線をずらしながら追い縋られたら悲惨な事になる。
―――アマギリは、光点が収束するその一瞬で、覚悟を決めた。
龍機人を反転させ黒い聖機人と剥き合わせ、そして、右手を広げ眼前に突き出す。
その動作と、粒子砲の発射は全くの同タイミングだった。至近と言う外無い位置からの射撃。
回避不能のそれを、防ぐ手段が―――あるのだ、彼には。
『―――っ、また!?』
正体不明の力場によって塞き止められ、捻じ曲がる粒子砲の光の奔流と交じり合うように、少女の悲鳴の如き声が上がる。
「またも何も、だからもう、諦めろっての!」
―――頼むからと、口には出さずに付け加え、そして一瞬咳き込んだ後でアマギリは突き出した腕を振り払った。
『くっ!?』
完璧に防がれていたエネルギーが、押し込まれた力場に干渉して黒い聖機人に逆流する。
自分の攻撃で機体を焼かれてはたまらないと、黒い聖機人はコアユニットを引き下げ龍機人より距離を離す。
「なんつーかもう、チキンレースになってきたなぁ畜生!」
何故か錆び臭くなった口元を袖で拭って、アマギリは吐き捨てるように呟いた。
視界が狭まりぼやけ、頭の奥に鈍痛が鳴り響いている。シートに体を固定していなければ、今にもコンソールパネルに突っ伏してしまいそうだった。
絶対たる防御を約束する光鷹翼の展開は、確実に彼の命を削っていた。
「自殺願望なんて無いんだからな、僕は……」
意識を繋ぎとめようと大きく首を振りながら、自分に言い聞かせる。
ぼやけそうな視界の端に、崖の向こうでその役目を終えた破壊された装甲列車の姿を確認する。
脱出用の電気自動車は、無事森を抜けただろうか―――抜けていると、信じるより無い。ラシャラも流石に、アマギリが姿を消したとなればあの場に残っては居まい。
そして黒い聖機人の聖機師は、明らかにこの龍機人を破壊できない事に苛立って、攻撃を集中させている。
「今の所は上手く言ってると―――」
―――言えるか?
反射による行動に身を任せる刹那に、アマギリは思う。
戦闘に持ち込んだ所までは予定通り。こうして一人、敵と向かい合う形になったのは願っても無いことではある。
しかし、少し予定外だったのは戦闘位置に関してだろう。
当初予定では渓谷の中だけで殴り合うつもりだったのだが、龍機人の特性―――尾の末端に備わった亜法結界炉を利用した喫水外での限定的運用能力を活用して、常に上を取るように戦闘を行ってきたから、何時の間にやら聖地直上―――バベルの直下辺りにまで移動してきてしまっていた。
時間稼ぎのために相手に併せての行動を優先しすぎたのだ。
と、言うよりも予想以上に黒い聖機人は強力で、余り位置取りを気にしていられる余裕が無かったと言う事もある。
そこに気をつけさえすれば―――概ね、予定通り。黒い聖機人は完全に龍機人に意識を囚われきっている。
聖機神ガイアの特性を聞いた時から考えていた、想像通りの展開に事態が推移している事に、アマギリは安堵を覚えていた。
ガイアは全ての破壊を望んでいる。
それは、生命としてこの世界に誕生し始めた時から刷り込まれていた、本能のようなものだ。
―――ならば、そのガイアの前に、”絶対破壊不可能”な物が存在していたらどうなるだろうか。
本能的に破壊を求め、そして実際に全てを―――生みの親とも言える先史文明そのものすらも破壊しつくしたガイアだ。
生まれてから此れまで、一度も―――活動停止に追い込まれたときだって、二対一で相打ちにまで持ち込んでいる―――破壊活動に失敗した事が無いのだ、それはさながら、失敗を知らぬ子供のように思えた。
生まれた時から失敗知らずの子供なら、自分が破壊に失敗すると言う想像すら抱けないのではないか、アマギリはそこに活路を見出した。
絶対破壊不可能な光鷹翼を前に―――否、破壊不可能と言う事実すら、認められまい。
存在理由にすら関わる問題だ、唯一の解法として、意地になって破壊しようとしてくるだろう。
「ムキになってくれて、ありがとう、よっ―――とぉっ!」
再び接近してきた黒い聖機人の一撃を、身を捻りながら避け、太い幹のような尾を捻り叩きつける。
『ちょろ、ちょろとぉっ!!』
「それはこっちの台詞だよ、人形!」
鞭の様に撓り迫る尾の一撃を、ガイアのコアユニットを叩きつけて払う黒い聖機人。その一瞬に二人は怒鳴り声をぶつけ合う。
アマギリにとって唯一の不安はこの、ユライトからは情報を渡されなかった人造人間ドールの存在だったが、戦闘の経過を見る限り、どうやら確りとガイア―――ババルン・メストの支配下に置かれているらしい。
ババルンから攻撃中止の命が無い限り、アマギリだけを攻め立てるのをやめる事は無いだろう。
「後の、問題は、あぁ―――っとっとととぉお!?」
鎌を一瞬だけ白刃取りの要領で押し留めた後、一瞬で重心を逸らし一撃を避ける。慣性制御の範囲から逸脱する高速起動の連続に、アマギリはシートの上で体を前後左右に押しつぶされるような圧力を受ける。
そのたび、一瞬意識に空白が出来て、回避動作に遅れが出始めている。
危険を一身に引き受けると言う作戦自体は嵌ってくれたが―――流石にこの消耗は予想外の事態である。
「もっと何とかなると思ったのに……」
やはり、解析不能の神に等しい力を、人の思惑で振り回そうと言うのが土台無茶な話なのか。
自身の見込みの甘さに、反吐が出そうな気分だった。―――現実として、嘔吐感があるのも事実で、それがまた嫌になる。
「……自分がなってみれば良く解るなんて、嘘っぱちじゃないですか、瀬戸様。 ―――自分の事を完全に理解できるヤツなんか、居るかよぉ―――うっ、く!? ―――ぉぉおっ!?」
此処には居ない誰かに毒づきながら、アマギリは打突武器として突き出してきたガイアのコアユニットと正面から組み合う。大質量による凄まじい圧力に、一気に振り回され、下方―――聖地地表へ向けて押し込まれそうになる。
「こ―――のっ!?」
『蛇なら! ―――地面を這ってるのがお似合いだろ!? このまま踏み潰してあげるよ!!』
人造人間の狂気に彩られた叫びが響く。
一気に流れ行く景色、近くなる地表、凄まじい圧力の中で、アマギリは覚悟を決めた。
「ざけんなっ! 人形と寝技合戦する趣味なんかこちとら無いんだよ!!」
確実に意識が飛ぶ。そうと解っていても状況を脱するためには使うしかなかった。
三枚花弁の輝く翼。
ガイアのコアユニットと組み合った両手の先から、幾何学文様を描くような軌跡を取りながら満ち開き―――そして彼の望みどおり、落下速度と合わさったガイアの最大重量が生み出す衝圧の全てが瞬間的にゼロと化した。
『ゼロ距離でも使うっての!? っ、くっ―――あぁあっ!?』
しかしそれは、受け手のアマギリのみの事。押し込んでいた黒い聖機人にとっては、唐突に目の前に強固に過
ぎる壁が出現したのと同様だ。最大速度の落下と合わさったガイアのコアユニットの大質量が生み出す落下エネルギーの全てを、ただの聖機人の身で浴びる事となった。
相手を撃滅せんと放たれた一撃、自らが浴びる事となったその威力は絶大だ。
ガイアのコアユニットによる二度の高圧縮エナの収束粒子砲の全力射撃と、そして高機動力に定評のある龍機人との息つく暇の無い鍔迫り合い。
加えて、聖機神を動かすために特別な調整を受けた人造人間の強力な亜法波を浴び続けていた聖機人は、遂に身体構成の維持に限界を迎えた。
光鷹翼によって駒のように錐揉みしながら跳ね飛ばされた黒い聖機人の脇を、アマギリは残った意識を振り絞って天上へ避ける。
腕が、脚が、四肢がボロ雑巾のように引きちぎれ、武器を手放しガイアのコアユニットを投げ出しながら、黒い聖機人は聖地の中庭目掛けて突っ込んでいく。
瓦礫と粉塵を撒き散らし、激突の衝撃で芝の禿げ上がった中庭を転がり、そして遂に、黒い聖機人は港湾部へと続く階段の下で―――スワンとオデットの、直ぐ目前で。稼動を停止した。
「―――ぁっ、た……のか?」
最早指を動かす事すら覚束無い。
覚束無い思考で、しくじった事を理解する。
落下場所が最悪だ。いやそもそも、戦闘領域を誤ったか。
気付かぬうちに、愛すべき女たちの居る脱出用の船の傍まで接近していたらしい。
黒い聖機人の落下位置は、もう桟橋の目前だ―――速やかに、止めを刺さなければ。
アマギリは何とか機体を飛翔させて、四肢をもがれて階段の下に転げ落ち、仰向けに倒れ臥した黒い聖機人に止めを刺そうと、腕を振り上げ―――。
ズルリと、操縦桿を握り締めていた左手から力が抜けて、滑り落ちる。
支えの無くなった身体は、前面コンソールにそのまま顔面を叩き付けそうになって―――痛いのはたまらない。
咄嗟にそう考えてしまったアマギリの思考をトレースするように、右手が掛かっていた操縦桿―――思考伝達モジュールが、前面コンソールの側面への退去を機体に命じていた。
前周を覆うように設置されていた半円周のコンソールパネルが無くなれば、前面の透過装甲とアマギリ自身との間に遮るものなど何一つ無い。
手を伸ばす、伸ばした掌が透過装甲と接触し、結界式を起動―――透過装甲の液化処理を命じる結界式が、起動した。
「まずっ……」
そして当然の如く、液体に手を突っ込んだ形となったアマギリは支えを失って、コアの中から、転げて、落ちた。
空の高い位置から落とされたと言うのに死なずに済んだのは、転げ落ちた先が柔らかい花壇の上だったからだろうか。堆積されたやわらかい土の上に、それでも、叩きつけられた事実は変わらない。
「がっ―――んぐっ!?」
落下によって受ける筈だった衝撃の殆どは回避された筈だったが、体が思うように動かずに受身も取れなかったため、顔から花壇の耕せた土の上に突っ込む事になった。錆びと、土、花の香りに意識を何とか繋ぎとめる。
体を、起こさないと。
しかし指一本動かず―――そして、背後で龍機人がコクーンに戻る気配を感じた。
龍機人はアマギリの放つ特殊な亜法波―――皇家の樹の生み出す常外のエネルギーが原因だろう―――が原因で、たった一度の起動でオーバーホールが必要となるほどの形質劣化を引き起こす。
故に、一度起動して、そして降りてしまえば再度の起動は不可能。
―――拙い。
敵は階下、見えないけれど、まだ生きているかもしれないのに。
否、真の敵は背後に、バベルの中に、まだ。
倒れ伏している場合ではない。
体を起こせ、意識を留め、対策を練れ。
ああ、しかし。
人の身に在らざる力を使った代価を支払う時が来た。
一握りの砂のように零れ落ちそうな意識にしがみつこうとしても、最早それも叶わず。
握り締めた傍から、意識は零れ落ち、視界は闇に。
拙い。拙い。拙い、拙い、まずい、まずい、まず、い、ま、ず……、ま、………。
※ 長々と続いてきた聖地決戦もそろそろ佳境が見えてきたって感じでしょうか。
まぁ、しかし。久しぶりに出てきたのに一話でログアウトはちょっと勿体無かった気もしなくも無い。
あんまり戦闘にばっか尺取ってる訳にも行かないんで、仕方ないんですが。