・Scene 46-1・
「……なんで、目覚めた翌日にまた張り倒されてるんだろうな、僕は」
しかも、今回は間違っても自分には責任が無い理由で。
熱と鈍い痛みを持った顎を摩りながら、ゆっくりとシルクのベッドシーツの上で身を起こした。
窓から差し込む日差しは、中天のものを思わせる力強いものだった。
気付けば間借りしている客間で、どうやら着の身着のままで転がされていたようである。首を捻り、大きく息を吐いた。
―――結局謁見の間では、娘の発言によって凶暴化したシュリフォン王の右の一撃を顎に貰ってしまったらしい、そこで意識は途切れてしまった。
会談中の他国の王族に突然殴りかかるのも正直一国の主としてどうなんだろうと思わなくもなかったが、突っ込んでやらないのがマナーというものだろう。
困った時は無礼講、と言う実家の流儀に近いとでも思っておけば良い。
壁にかけられた時計の針を目を凝らしながら見ると、シュリフォン王と対面していた朝のそれなりに早い時間からは、やはり幾許かの時間が過ぎている。
もう、昼過ぎ―――と言うことは、それほど時間がたっていないのだろうか。
「―――また二週間寝込んでましたとかは止めて欲しいなぁ」
「―――安心しろ、精々三時間かそこらだ」
「正直、それだけ寝れば充分だよね」
じっと、ベッド脇の椅子に座っていたのだろう、アウラの苦笑混じりの言葉に、肩を竦めて応じる。
「それで凛音。体は無事か?」
「首の骨が折れなかった事はありがたいね。あと、床に絨毯が敷いてあったことも」
「中々見事に衝撃を受け流していたな。と言うより、半ば自分で後ろに飛んでいただろうお前」
「そりゃ、耐えようとしたら確実に骨に皹だけじゃすまなかったと思うし。―――まぁ、受け損ねて顎揺らされてダウンだったんだけどもさ」
酷い目に合ったと、アウラから手渡されたグラスを受け取りながら言う。
口に含んだグラスの中身は、酒精が混じっていた事に気付いた。アウラも同様のものを嗜んでいるようだったので―――と言うか、どうやら凛音が目覚める前から飲んでいたらしい。
「差し向かいでお酒飲むの初めてだっけ?」
「普段はお前が用意するからな。お茶ばかりだったか」
「酔いが回りやすいからねぇ。それでよく怒られてるし」
飲むこと自体は好きなんだけどと、ちびちびとシュリフォンの特産品らしい果実酒を啜りながら肩を竦める。
「ああ、バカンスの時マリア王女がお冠だったか」
「酔いが回ると言動が怪しくなるって言われてるからなぁ。何が一番辛いって、後日自分が振り返った時だよね」
「記憶に残るタイプか」
それはまた災難だことと、アウラは果実酒の入ったグラスを片手に楽しそうに笑った。
「―――と言うか、何で寝起きで酒を飲まされているんだ、僕は」
「私が飲んでいるからに決まっているじゃないか」
「……酔ってる?」
「さて、何のことやら」
サイドテーブルの上に置かれていた果実酒のビン―――栓の抜かれた”複数”のそれを確認してジト目で問う凛音に、アウラは惚けたような口調で応じた。幸か不幸か、室内は明かりも灯していなく、影の部分が多かったため、元より褐色の肌の彼女の、その朱に染まった頬を伺う事は出来なかった。
「まぁ、今日はちょっとした記念日みたいなものだからな、付き合え」
そう言ってアウラは、まだグラスに半分以上果実酒が残っていると解っているだろうに、アマギリに向けて酒瓶を突きつけてきた。
「記念って、何の記念さ」
溜め息一つ吐き、残っていた果実酒を一気に飲み干してグラスを酒瓶の口に差し出した後で、凛音は尋ねた。
酒瓶を傾けながら、アウラは笑って応じた。
「―――お前の名前が解った記念だよ。甘木凛音殿?」
「そんなの、聞いてくれれば何時でも教えたのに」
じっくりと繰り出したアウラの言葉に、凛音は特に驚きも見せずに応じた。
実際問題、思い出していた以上聞かれれば応えるつもりは合ったので、その態度に不自然な所は無い。
「だが、聞かれない限りは教えてくれんだろう?」
「そりゃそうだ。”今日から僕は××です”なんて言いふらして回るのも紛らわしいし」
詰まらなそう―――と言うよりはどこか拗ねた口調で反論するアウラに凛音は微苦笑を浮かべて応じた。しかしそれが逆に、アウラには面白い態度ではなかったようだ。
「別に言いふらす必要も無いだろう。私達くらいには報告があっても良かったじゃないか。―――と言うか、凛音。お前は何時からその辺りを思い出していたんだ? ワウアンリーは何やら察していたふうだったが」
「その辺はお察しくださいって事で。僕もまだ思い出していない事もあるしね」
―――例えば何故、自分がこの世界に居るのか、とか。
「あと、ワウとフローラ女王には大体あらましを話してあったり」
「―――なに?」
飲むと口が軽くなるなぁ、やっぱりと自分でも思いながらも、凛音は目を丸くするアウラに苦笑しながら先を続けた。
「良くも悪くも僕はあの子の事を縛っちゃってる部分があるからね。福利厚生の一環てことで、余り隠し事はしないようにしてる訳さ」
それがまた返って縛りを増やしているのかもしれないけどと、凛音は少し自嘲気味に笑う。
アウラは窓際に背を預けてグラスを傾ける凛音を静かな面で眺めていたが、やがて一つ息を吐いた。
「―――お前達は、何だかんだで信頼しあっているな」
「僕とワウのこと?」
尋ね返すまでも無い問題だったろうが、一応の意味で尋ねる凛音に、アウラは微笑を浮かべて頷く。
「ああ。聖地での一件にしてもそうだが、肝心な場面では確りと互いの認識を一致させている。傍目には傍若無人に振舞っているように見えて、気遣いを欠かさない。振り回されているように見えて、確りと行動を把握して影に日向に良くサポートしている。―――お似合いだよ」
「そうなるように見越して選んだんだから、当然さ」
からかっているつもりだったのだろうアウラの言葉に、凛音はむしろ得意げに応じた。
空になったグラスをアウラに差し向けながら、言う。
「知ってる? 僕がこの世界に来てからわざわざ自分から”欲しい”って言ったのは、あの娘だけなんだ。結構無理言って手元に置かせてもらったけど、まぁ、こうして思い返すと元は充分に取れてるよね」
「―――見事な惚気をありがとう、と言うべきか?」
差し出された空のグラスに酒を注ぎこみながら、アウラは降参とばかりに苦笑しながら言った。
内心、なるほど酔うとこうなるのかと、疲れたような気分になっていた。矢鱈嬉しそうに見える辺りが、正直微妙に腹が立っても居たが、それは面に出す事無く、アウラは話を逸らす事にした。
「―――因みに、何故フローラ女王にも?」
「何故ってそりゃあ、あの人には言わない訳にもいかないじゃない」
後が怖そうだし。
付け加えられたただの一言には、実感のある重みがあったので、アウラもそれ以上追求する気が起きなかった。
「……とは言え、何時までも逃げ回ってる訳にもいかないよなぁ」
「逃げ回る?」
少しの間を置いてから呟かれた言葉に、アウラは片眉を上げた。凛音はグラスに視線を落としたまま、微苦笑を浮かべた。
「”楽しみね”とは言われてるんだけどさ、これでも臆病だから、僕は。―――怖さの方が先に立つなって」
「良く解らんが―――いや、よそう。お前が何処の誰として自分を認識しようと、周りの人間の応対は一々変わったりはしないだろう」
お前は変わらず、私の友である事は間違いない。
「それは、フローラ女王とて同じだろう。他人の好意が悪意に反転する時は、もっと別のタイミングで起こるものだ。ましてや、聞くのを察するに、示し合わせていたのだろう、その日を。―――ならば、何も怖いと思う必要もあるまい」
「女の人ほど簡単に割り切れないものなんだよ、男なんて」
情けない生き物なんだからと、凛音は恥ずかしそうに明後日の方向に視線を逸らした。
アウラは凛音の態度に少しだけ笑う。
「お前が情けないのは、良く知っているがな。―――ヘタレの格好付けが」
好みの女性のタイプが自立心のある年上の美人、と言う段階からして、ようするに自分が”甘えたい”と言う気持ちが強いのだろうなと、アウラは口に出さずに思っていた。
自分のそういう部分を確りと把握して、それでワウアンリーを傍に置くようにしたんだとしたら、実際たいしたものだと思う。褒めていい部分なのか、些か疑問を覚えなくも無いが。
「まぁ、構われているうちが華って言葉もあるしね。―――剣士殿を取り返したら、一度、顔見せに言った方が良さそうかな。雪姉―――じゃないか、ユキネさん辺りが、先にこっちに来ちゃいそうな気もするけど。……っていうか来てくれると、手札が増えて助かるんだけどなぁ」
向こうもどれだけ状況把握しているんだかと、アマギリは苦笑混じりに言う。
「実際の所、どうなんだフローラ女王たちは。ユライト・メストが一枚噛んでるから最悪の状況にまではならないと言っていたとラシャラ女王から聞いたが。―――私にはそこまで楽観しできる様な状況には思えない」
「うん、僕も一日置いて少しそう考えるようになってきたトコ」
行方知れずのハヴォニワの女王たちの安否を気遣うアウラに、凛音もあっさりとその危機を肯定した。
アウラは、余りにもあっさりと自身の意見が肯定されて、目を剥いてしまった。
「だ、大丈夫なのか、本当に!?」
「”多分”って頭につけられる程度には、大丈夫じゃないかな。―――近衛の駐屯地に泊めておいたスワン級三番艦の”オディール”が、何故か崩壊した王宮から見つからなかったらしいからね。今頃追っ手とくんずほぐれつしながら遊覧飛行って感じだと思う。身一つ城一つ、お気楽な気分だろうね、きっと」
下手に通信回線を開くと位置が特定されて面倒だから、向こうから連絡を取ってくることは無いだろうと、凛音は何時ものように、自身の予想が真実そのものであるかのように語る。
実際八割方はそれで正しいのだろうなと思いつつも、アウラとしてはやはり、逃亡中で在るならば救いにいけよと思わないでもない。
特に、凛音の立場なら尚更。後が怖いとか言っていないで。
「いやでもさ、危険度で言えば僕らとたいして変わらないって感じじゃない? 此処だって何時奇襲を受けるか解らないんだから。迂闊に合流して、固まった所を狙い撃ちとかされるのも拙いでしょ。―――嫌な予感が、するしね」
当たるんだ、嫌な予感がと、凛音は何を思い出しているのか、とてもとても苦い顔で呟いた。
その顔に近い昔に見覚えがあったアウラは、聞かずにはいられなかった。
「―――何が心配の源泉だ? ”一度失敗している以上”今回は確りと予測を立てているんだろ?」
問われて、凛音は目を丸くした。そしてその後、参りましたと微苦笑を浮かべる。
「隠し事、得意なほうだったんだけどなぁ」
「だろうな。―――ただ私もこれで、隠し事が得意な人間と長い交友があってな。それを見分ける事に関しては自信があるのさ」
「その人間とは仲良くなれそうだから、是非今度紹介してもらいたいね。―――さて、まぁ心配事と言うか……可能性が高いんだか低いんだか良く解らないってのもあるんだよ」
冗談に冗談で返しつつ、結局凛音は重要な部分で曖昧な言葉を返した。
自分でも納得できていないことは余り言いたくない、と言う態度を見て取ったアウラは、苦笑交じりに口を開く。
「とにかく、言って見ろ。お前が想定する最悪の状況を。―――恐らくそれが正しいだろうし、それに縦しんば間違っていたとしても別に誰も責めはせんよ」
「責めはしなくても、信用問題に関わりそうだしなぁ」
戯言交じりに言葉を濁す凛音に、アウラはそれこそ心外だと言う顔をした。
グラスを三分の二以上を満たした果実酒を一息で飲み干しながら、言う。
「一度や二度の失敗で信用する事を止めようなんて思うくらいなら、初めから婚約の申し入れなんてしないぞ、私は」
吹き込む森の空気に冷やされた涼風が頬を冷やす程度には、酔っていたのだろうか。
目を何度か瞬かせた後で、何故だか妙に喉が乾いている事に気付いた凛音は、手元のグラスに残っていたものを喉に流し込んだ。それが酒だったことを思い出したのは、胃が熱をもってからだ。
その後、どうにも無様な仕草で空になったグラスを二度三度と弄んだ後で、漸く凛音は口を開いた。
「―――そういえば、そのせいで殴られたんだっけね」
「この、ヘタレが」
直接的に話題に関わる事を避けたら、思いっきり鋭い言葉で突っ込まれた。
「いやさ、酒飲んで寝室で差し向かいでする話じゃないじゃないって言うかああいうネタ親に振った後で堂々と寝室上がりこむのやめてよとか、そもそもなんで真昼間から酒宴を開いてるんだ僕らとか、色々僕としても思うところが無いことも無いということもあると言うかね」
「ああ、そこまで反応してくれるのは女冥利に尽きると言えなくもないが、少し落ち着け」
早口でまくし立てる凛音を、アウラが頬を染めて苦笑を浮かべて嗜める。話を振った本人としても予想以上に恥ずかしく思えてきたらしい。
「そこで照れるくらいなら、初めから無かった事にして流そうよ」
ああもうと、口をへの字に曲げて乱暴な仕草で空のグラスを差し出しながら、凛音は言う。
「いや、無かった事にして流すには些か問題があるぞ」
突き出されたグラスに果実酒を注いでやりながら、アウラは苦笑交じりに応じた。
「問題?」
「ああ、問題だ。―――人生の大事、と誰かに聞けばそう応えるだろう、問題だ」
首を捻る凛音に、アウラは然りと頷く。
「―――明後日。お前が私の婿に相応しいかどうか、父上が直々に見定めてくださるそうだ」
静寂。
静寂と次ぐ静寂。
グラスを空にする音。突き出す音。注ぐ音。飲み乾す音。突き出す音。注ぐ音。飲み乾す音。
「一つ、良いかな」
「ああ。存分に言うといいぞ。―――因みに、明日ではなく中途半端に明後日などとなったのは、一応私の進言が受け入れられたからだが。お前、一応昨日目覚めたばかりだからな」
据わった目つきでおもむろに呟いた凛音に、アウラはどうぞと頷く。自身のグラスにも、酒を注いでいた。勿論、三度突き出された凛音の空のグラスを満たすことも忘れない。
凛音は口元に引き戻したグラスに、並々と注がれた果実酒を睨みながら、重々しい口調で言った。
「―――キミの親父、馬鹿なんじゃないか?」
「否定しない」
即答だった。頭に”親”とつけると尚良いなと、”親”の心子知らずとはよく言ったものだろう、堂々とした態度である。
むしろアウラの方が容赦ない態度だったせいか、逆に凛音のほうが落ち着きを取り戻した。グラスを傾け喉を潤した後で、苦笑を浮かべる。
「まぁ、娘婿の要請って形を取れば兵を貸しやすくなるって言うアウラさんのフォローは実際助かるんだけどね。そこで過剰反応されちゃうと、割と収拾つかない感じなんだよなぁ」
「収拾なら簡単につくぞ。―――お前が本当に父上の娘婿とやらになってしまえば良い。むしろ、それ以外の方法で収拾をつける手段は無くなったな。それ以外の解法を探そうとしたら、もうシュリフォンには未来永劫、出入り禁止を喰らうこと確実だ」
「何か、投げやりじゃない?」
「―――いや、本当に申し訳ないとは思っている。もう少し冷静に状況を鑑みて判断を下さると思っていたのだが、まさかいきなり拳から入るとは……」
まだ少し赤く腫れている凛音の顎の辺りを見ながら、アウラは空笑いを浮かべていた。
「まぁ、愛されてるって喜んでおけば良いんじゃないか……なぁ? たぶん、いやきっと」
「あれは流石に愛されていると言うか、過保護とか言う次元でもないと思うが……」
割と国際問題にならんかと、アウラとしては眦を寄せるしかない。
「親の庇護を離れてみると、結構その辺の事もありがたかったなとか思えてくるもんだよ。僕も、樹雷についた当初は、此処からは全部自分の力だけで生きていけるんだとか思ってたけどしばらく経つと―――って、どうでも良いか。とりあえず、さ」
もうずっと、それこそ数百年単位で昔の事を懐かしみそうになって、凛音は首を振り払って気分を変えた。
話を逸らし続けるのも、いい加減失礼に過ぎるだろう。
「それでアウラさんは、僕の嫁さんになる事に依存は無いの?」
「むしろそれは、私が聞きたい話だな」
「美人は好きだよ、僕は。年上で自立した女性なら尚更、ね」
おどけて尋ねるアウラに、凛音もまた、冗談交じりに返す。言った後で、二人してシニカルな笑みを向け合ってしまった。
「構わんさ、私は。どのみちお前とは、長い付き合いになるだろうと思っていた。友人から夫婦の関係に変わったところで、なに、たいして違いはあるまい」
何かあっても、基本的に被害を受けるのはお前だけだろうし。
アウラはそんな風に、あっさりと自身の未来の予想図の一つを受け入れて見せた。
「それじゃあ、仕方ないか。精々良い墓石でも探してくる事にするよ、僕は」
凛音はそんな風に、アウラの言葉を受け入れて、まだ半分以上残っているグラスを差し出した。
アウラもまた、同様に果実酒に満たされたままのグラスを凛音に差し出す。
「それでは」
「二人の未来を祝して―――」
グラスを打ち合わせる涼しげな音が響いて、消えた。
※ 流石に此処まで話が進んじゃうと、このSSがオリ主ハーレム物だってバレますねw
まぁ、あんまりお約束劇はやってこなかったし、今後もやる予定も無いので解りにくいのですが、元々こういうSSだったりします。
でもこれで打ち止めかなー。フラン姉妹は、流石に無理だ……