・Scene 47-3・
「逃げずに良く参られた、と言うべきなのかな、私は」
「どうですかね。実家だと揉め事が起きた時は無礼講の殴り合いってのは日常茶飯事なんで、生憎逃げるって選択肢は思い浮かびませんでしたが」
「中々面白い風習があるな、キミの実家は」
肩を竦める凛音の気楽そうな態度に、シュリフォン王はクックと喉を鳴らして笑った。
そして、辺りを見渡しながら、言う。
「それにしても王都の民の過半以上を集めて見せるとは、中々豪快な事をしてくれたものだ」
「―――真に申し訳ない話ですが、全ての人を逃がす、と言うのは無理な話だったようです」
「で、あろうな。―――しかし、キミが気にする問題でもあるまい」
重い口調で頷くシュリフォン王に、むしろ凛音のほうが眉をしかめた。
「私が居なければ、確実に避けられた犠牲ですが?」
「―――で、あろうな」
「お認めになるのであれば、貴方は私を責めるべきでしょう。―――責められたからといえ、残念ながら首をくれてやる訳にも行かないのですが」
「フム。―――確かに一面的な意味では、そうするべきなのだろうがな……」
凛音の言葉に、シュリフォン王は少し考える仕草を見せた。
「キミが居る。キミを殺すために敵が現れ、その過程で王都が焼かれる事になるかも―――いや、なるのだろう。そしてキミは、そうなる事が解っていながら、この国を退去しようとしない」
「ええ」
凛音はゆっくりと頷く。シュリフォン王は目を細めた。
「人道に悖るとは思わないのかね?」
「思います」
「では、何故―――?」
自分からは消えようと思わないのか。
国を預かる人間として、当然の疑問だろう。
しかし、その仁義を知る人間であれば誰でも思うであろう疑問に、凛音は微苦笑を浮かべて応じた。
「王陛下、私は先日貴方に言ったと思うのですが。シュリフォンの民に血を流させる権利をくれと」
「―――む」
「まぁ、その後で思いっきり殴られて、有耶無耶になってしまったのですがね」
「いや、うむ……」
微苦笑交じりにそれを言われてしまえば、シュリフォン王としては言葉に詰まるより無い。
凛音は口をモゴモゴとうごめかすシュリフォン王に薄い笑みを浮かべて言った。
「多少、過程が変わりましたし被害が増える結果になるでしょうが、私の行動によって生まれるであろう被害、それ事態は既に受け止める決心はついていました。その結果生まれるかもしれない軋轢についても。―――私にとっては、それ以上に得るものがありますから」
「―――具体的に、それは?」
「ガイアを打倒する手段が手に入ると、確か告げたような気がするのですが―――」
「そうではない」
実利的な言葉で答えようとする凛音を、シュリフォン王は遮った。
「私が聞きたいのは、―――そうだな、今回の行動を過程として、結果としてガイアを打倒する。それは理解した。―――では、その後にキミの手に残るものはなんだ?」
「残るもの、ですか」
「キミと言う人間が、実利さえあれば他者が何を考えていようと気にしない、と言う性質であることは既に見て取った。キミはそれで良いかもしれない。―――だが、私は捨て置けないのだよ。感情の見えない言葉と言うのは、人を不安にさせるものだ。そんなものに民の命を託す訳にはいかない」
口元に手をやったまま、迂闊な返答は許さないという隙の無い顔で尋ねるシュリフォン王。
「そう、ですね……」
凛音は視線を外してどこか遠い所を見上げて考えた。
この親にしてあの娘あり、とでも言うのだろうか。
それとも、自分自身が気持ちを言葉にするという行為に頓着が無さ過ぎるだけか。自分の気持ちに、自分ですら信頼が置けないから、ただ惑っているだけなのかもしれないけど。
剣士を取り戻し、ガイアを叩く。
この世界で生きる人間の一人としてガイアは放置しておくには危険に過ぎるし、そんなものの側に柾木剣士が居るという事実は、とてもではないが許容できない。
だから、だ。
それ以上の理由は無いし、行動するにはそれで充分だと凛音の中では完結していた。
でも此処で求められている言葉はきっと、それ以上の”何故”なのだろう。
この忙しい時にめんどくさい事聞くなよオッサン。
ふと、そんな風に答えてしまいたい自分が居る事に気付く。
案外その言葉こそが、一番状況に相応しい言葉に違いないのかもしれないが―――凛音はそこまで、割り切った考えが出来る筈も無かった。
「―――まぁ、自己満足ですかね」
「自己満足?」
結局といった風に出てきた当たり障りの無い言葉は、やはりシュリフォン王の満足は得られなかっただろうか。微妙な表情で繰り返されてしまった。
しかし凛音としても、それ以上に上手い言葉など見つからなかったから、そのまま続けるより他無い。
「そうです、自己満足。ぶっちゃけ、利益がどうのとか、どうでも良いんですよ。それが楽しいか否かとか、まぁこういう事を言い始めちゃうと、僕も樹雷皇家の一員っぽいなとか自分でも思っちゃうんですが、結局それに尽きるんです。”何となくそうすると良いかな”くらいの気分で、後はそれをいかに、自分好みに色付けしていくか―――シュリフォンの民に強いるであろう苦労は、その結果生まれるものです」
酷い事を言っているなと自分でも頭を抱えそうになりつつも、それと同時に、ああ、こんな自分にも樹雷王族らしい奔放すぎる部分があるなと、妙な感慨すら抱いてしまえる。
「―――自己満足、か」
諦念の篭った深い溜め息とともに、シュリフォン王は言った。
「ご納得いきませんか?」
「キミは他人に自己満足のために死んでくれと言われて、納得できるかね?」
「―――その行為に、自分が満足できれば納得するでしょう」
出来ないと言う言葉を期待して言った言葉は、あっさりと肯定されてしまった。シュリフォン王は一瞬目を丸くした後、苦笑した。
「そういわれると、納得してしまいそうになるな」
「そこは馬鹿野郎とでも言うべき部分ですよ」
「―――口が回るな、アマギリ王子。キミと話し続けていると、それはそれで楽しいが、惑い続けて抜けられなくなりそうだ」
自分の娘のようにと、微苦笑を浮かべるよりなかった。いつの間にか会話をずらされて来ているのにも気付いているのだが、一々引き戻すのも億劫になってくる。
「あの生真面目一辺倒の娘をあんな風にしたのも、今のやり口か」
「御宅の娘さんも、アレで昔から食えない部分がありましたし、素なんじゃないですか?」
「親を前にしてよくも好き勝手に言えるな?」
「まぁ、寝室で夜を過せる程度には親しい間柄なんでね、あの人とは」
斜に構えた笑みと共に肩を竦められてしまえば、最早怒りも沸いてこない。コレで最後、とばかりに大きくため息を吐いた後で、シュリフォン王は表情を改めた。
「―――そろそろかね」
ドン。
遠くで鳴り響いた音が言葉と同時だったのは、ダークエルフの超直感によるものなのか、それともただの偶然か。
「そのようですね」
視線を丘の向こうの深い森の更に向こうに見える、王城の尖塔の方にやりながら、凛音は小さく頷いて応じた。
その側で、王都が広がる筈の場所で、一筋の煙がたなびいていた。
「敵の攻撃かね?」
「いえ、こちらの先制攻撃です。出現と同時に教会施設に仕掛けた爆弾を起爆させました」
「……聞きしに勝る背信者だな、キミは」
重い口調を一旦途切れさせて、唖然と呟くシュリフォン王にチラリと視線を送り、凛音は薄く笑った。
「これでも正真正銘の神の眷属なんですけどね、僕」
「なに、それはどういう―――」
「シュリフォン王陛下」
疑問の言葉を遮って、凛音はシュリフォン王に向き直った。瞳の色は重く、深く。そこには斜に構えた態度は見られなかった。
「それでは只今より、事後承諾になりますが、貴方の国と民をお借りします」
言葉と共に、返事を待つまでも無く深く礼をする。顔を上げた瞬間殴られたら嫌だなと思いながら。
しかし頭の上で発せられた、厳格な言葉は、凛音には予想外のものだった。
「昨夜のうちに許可を出してある。―――此度の一件、全てアウラの判断に任すと」
「―――っ、それは」
聞き捨てなら無い言葉に、礼を失して頭を上げる。
「私はアウラの言上だからこそ、今回の一件を承諾したのだ。ただキミ一人が望んでいたのであれば、絶対に否と述べただろう」
機先を制するようにシュリフォン王は言う。重々しい、威風に満ち溢れた言葉で。凛音は苦々しい顔で押し黙った。
「そうそう自分の思い通りにばかり生きられないことを、キミは学ぶべきだな。キミが趣味に走った結果生む、”キミの望まぬ”結果の事も」
「―――そのために、娘さんに責任を取らせると?」
即ち、シュリフォンの民達にとっては顔も知らない誰かを救うために被る事となる犠牲、その原因が自国の王女にあるのだという形になってしまう。それは、凛音にとっては許容できない。
眉間に皺を作る凛音に、しかしシュリフォン王はゆっくりと首を横に振った。
「撤回はせぬ。子供の遊びで済ませられる問題でも無いと、それはキミも納得していただろう?」
「それは、そうです。ですがだからこそ―――」
「―――あの子も、もう子供ではない」
向かい合う凛音の向こうのテントの下で、慌しく兵に指示を出している自分の娘の姿に、シュリフォン王は目を細めた。
「行動に対する責任すら与えられぬとあっては、返ってあの子の意思を侮辱する事となる」
「だからって進んで泥を被せる必要も無いでしょう。―――此処に丁度、泥を引っ掛けても問題の無い異邦人も居るのですから」
泥を被せて、切り捨てる役目なら幾らでも引き受けると凛音は言い募ろうとするが、しかしシュリフォン王は手を掲げてそれを遮る。
「キミが被る責任とはそういう物ではない。そもそも、キミにとって大衆の評価などと言う物は箸にも乗らない、歯牙にかける価値も無いものだろう」
だから、そんな風に自分が泥を被るなどと簡単に言えるのだと、シュリフォン王は続ける。
凛音は、何かを言いたくて、しかし何も返す言葉が見つからなかった。
への字に唇をまげて押し黙る凛音に、シュリフォン王はニヤリと笑いかける。
「キミは私の娘にだけ責任を持っていれば良い」
「―――待てやオッサン」
「人一人の人生を背負いきると言うのは、これで中々大変だ。私ですら、まだ道半ばと言ったところだからな。特にウチの娘は、知っての通り気難しい部分があってな……」
「いや、何か話逸れてないですか?」
腕を組んで語りだしたシュリフォン王に、目上に対する態度も忘れて素で突っ込んでしまった。
「数知れぬ無辜の民よりも、娘ただ一人の方が重いものだと思ってくれているのは、親としては喜ぶべきなのだろうな。―――些か、複雑な気分ではあるが」
「いや、ですから……」
「今までの会話で、キミの人となりは大まかには見定めさせてもらったよ」
なんと言えばいいのやら、微妙な方向に流れ出した会話に、凛音が眉根を寄せていると、シュリフォン王は厳つい笑みを浮かべて、凛音の肩に手を置いた。
「つまり、だ―――」
確りと、そこだけは冗談の一欠けらも無い視線を向けて。
「娘の気持ちを裏切らない範囲で、大いに好きにやりたまえ。―――その結果起こる全ては、あの子の父である私が責任を負おう」
さっき、”もう子供じゃない”って言ったばかりじゃないか。
そんな風に突っ込む間もなく。
その一言と共に、凛音はくるりと、体の向きを反転させられた。
「さて、行き給え。フローラ女王譲りの戦の手腕、確りと見させてもらおう」
振り向く暇も与えられず、背中を押される。
蹈鞴を踏みそうになりつつも、真っ直ぐテントの元へと歩みださねばならなかった。
次第、歩みは速くなり、表情も真剣なものに変わり行くその中で、最後に一つだけ、冗談めかした気分で思う。
今日ほど、自分の事を子供だと思う日は無いのだろうなと。
※ 格の違い、みたいな。
多分どちらかと言えば、娘に恥かかすんじゃねーぞ的な親心。