・Seane 6-5・
「流石に、人が多いですね」
「……年始休業も、昨日までだから」
「ってことは、今日は何処も新年初売りの日ってことですか。……そりゃ、人も増えますよね」
ハヴォニワ首都、市や商店が並び立つ大通りの人ごみの中を、アマギリはユキネを引き連れて歩を進めていた。
どうせなら、お忍びで街に出歩いてみてはいかがかしら。良く考えたらアマギリさん、貴方まだ、此処に来てから一度も城下に降りた事がないでしょう?
お供なら、ホラ。ユキネを貸して差し上げますし。
そんな言葉が、朝の食卓で妹の口から告げられていた。
「はぐれたら、いけないから……手を」
「いや、そこまで姫殿下と陛下に義理立てしなくていいですから」
寄せては引く人の波を掻き分けながら目的もなく商店街を進むアマギリに、背後からそっと、それこそ躊躇いがちにユキネが提案したが、アマギリは微苦笑をして首を横に振った。
この淑やかな女性が自らそんな提案をするはずもなかろうし、どう考えても何処かのお気楽親子の入れ知恵に違いなかったから。
年末から年明けの新年祝賀の行事にかけても、何故だかやたらとアマギリとユキネを一緒にさせようと言う王家親子の企みにアマギリは気づいていたから、その目的も知れるというものだった。
据え膳を付き返す趣味はないが、つっかえ棒と草かごで作ったわながその上に仕掛けられているのが解って入れば、流石に迂闊に手を出す気にはならない。
精々、美人と一日二人きりでお出かけできてラッキー、程度に思うしかないだろうなとアマギリは考えていた。
ついでにある程度―――本当に、ある程度で充分だが、お近づきに慣れれば幸運この上ない。年初めのイベントとしては良いほうだろう。
そんな訳で、アマギリは年初めで人気の無い政庁街―――コレも含めてハヴォニワ王城と言っても言いのだが―――を降りて、市民の行きかう首都市街地へとやってきたのだった。
「おっと」
そんな事を漠然と考えて苦笑していたら、アマギリは前から歩いてきた人にぶつかりそうになってしまった。
咄嗟の事で立ち止まってしまうと、そっと背中を柔らかい感触が支えてくれた。
ちら、と視線を後ろにやってみれば、女性にしては背の高い、アマギリと殆ど目線の変わらぬ位置にある整った顔立ちと、切れ長の瞳と視線がぶつかった。
失礼、と一言口にして、アマギリが身体を離そうと思ったら、コートの袖が何かに引っかかったような感触が会った。
細く、白い指が、アマギリのコートの袖口を、摘んでいた。
そこからなぞるように腕を通って視線を上げると、頬を朱に染めたユキネの顔が、居住まい悪げに視線をそらしているのが見えた。
「人、いっぱいで……危ないから」
ポツリと、そんな事を呟いてくる。
その小動物のような愛らしい照れた顔を見ていると、草かごを蹴飛ばしてご馳走を口にしてみたいと思わざるを得なかったから、アマギリはさっと紳士的に見なかった事にして、視線を前に戻した。
「そりゃあ、ごもっとも」
器用に手首を返して、袖口にあった細い指に自身の指を絡めて見る。
相手の協力もあってかそれは、あっさりと成功してしまい、さて城に帰ってからが大変だろうなと思いつつも、アマギリは一先ず、この状況を楽しんでみようと思考を放棄することにした。
役得だとでも思い切らなければ、どうにもならないのだから。
新年の初市で賑わう商店街の人ごみを抜けて、幾つもの通りが交差する大広場に歩を進める。
広場の中心の噴水の周りでは、曲芸やら即興の演奏会やらが見物客の喝采を集めていた。
アマギリはたまたま路肩に出ていた屋台のクレープ屋に、ストロベリーソフトのクレープを二つ注文をし―――それから、良く考えたら自分が財布を持っていない事に気づいた。
一瞬、どうしたものかと思考を停止したアマギリの脇からそっと、ユキネが屋台の店主に硬貨を手渡した。
へい、毎度と受け取ったクレープを、ユキネはアマギリに差し出した。
「……嬉し恥ずかし初デートって言うよりは、はじめてのおつかいって感じですね、コレだと」
苦笑を浮かべて片方だけをユキネから受け取って、もう片方は貴女の分だと手で示して見せると、ユキネは驚いているようだった。二つともアマギリが食べるものだと思っていたらしい。
その惚けた姿に微笑ましいものを覚えつつも、これきっと、何処かで監視しているんだろうなぁと言う事実を思うと、アマギリは暗澹たる気分が抜けなかった。
たとえば、空を巡回飛行している聖機人の姿とか、怪しいよね。
いっそ見事なエスコート振りでも示してやって、逆に笑い返してやろうと思っていたが、そうそう上手くはいかないらしい。
噴水の外周を覆うように設置されていたベンチに空きを見つけて、座ろうかとユキネの手を引きながら、アマギリは微妙に空回った行動をしていた自分に苦笑していた。
何処まで言っても僕は受身に生きるのがあっているのだなと、アマギリは自分に苦笑いしていた。
「あれ、じゃあ週末にはもう帰る……ってのもおかしいか、学校へ戻るんですか?」
巨大なボールの上に載りカラフルな棍棒を幾つも投げ操る大道芸を横目に、アマギリは雑談途上にでたユキネの言葉に目を瞬かせた。
指に付いたクリームを舐めとりながら、ユキネは頷く。
「新学期……始まるから」
「三学期せいでしたっけね、聖地学院って。……珍しいですよね、普通学校って言うと、前期、後期の二期制で、それぞれ間に長期休暇でも挟むものだと思ってましたけど」
「……異世界人が昔、そう決めたって聞いた」
ユキネが言うには、聖地学院の学則作りに携わった異世界人の故郷の風習でそうだったから、聖地学院もそれに習う事になったらしい。学校における長期休暇のシステムは、本来その学校が存在する土地々の季節風土にしたがって決められるのが一般的なのだが、聖地学院では特にそういう部分を考えずに、圧倒的な権力者であった異世界人の言うがままにルール作りが行われたとの事だ。学期制度の他にも、異世界人が強引に決めた首をひねりたくなるルールが、聖地学院には他にもいくつかあるらしい。
「なんだか、そこへ通うのが楽しみと言うか、微妙に不安になってきましたよ……ユキネさん、どうかしましたか?」
聖地学院の風習を自身の常識に照らし合わせながら楽しそうに聞いていたアマギリを、ユキネは何か考え込むように眉根を寄せて見つめていた。
失礼かな。ぶしつけ過ぎて怒られないかなと、不安そうに揺らぐ瞳を安心させるように、アマギリは微笑を浮かべて頷いて見せた。そっと膝の上に置かれた手でも包んで見せれば更に絵になったのだろうが、アマギリは礼儀正しくそれは見送った。頭上の空を、顔を下に―――こちらに―――向けたまま飛行する聖機人が横切ったからだ。
この、ヘタレめと呟く母の言葉が、虚空に響いた気がした。
「殿下……、学校は二学期制が普通って言った」
「言いましたね」
ポツリと呟くユキネに、アマギリは何て事のない風に頷いた。本当にそれがどうしたかという態度だったので、ユキネはますます居住まい悪そうに視線をそらしたまま、か細い声で後の言葉を続ける事になった。
「ハヴォニワでも、何処でも……この世界の学校は、普通三学期制」
学期制度が二期の学校なんて、聞いた事がないと、ユキネは言っているのだった。
「……ああ」
ユキネの言葉にアマギリは、まただ、とばかりに納得した風に頷いた。自分の常識が、また世界とずれている。
ふぅ、と空を見上げてアマギリは大きく息を吐いた。
「……殿下?」
労わる様な目で見つめるユキネに視線を移して、微笑みかける。その後、もう一度空を見上げて―――ポツリと、どこか遠くへ向かって言葉を漏らした。
「内緒話を少し、しましょうか」
「―――?」
「此処へ来る前は、山の中の小さな樵小屋で、一人暮らしをしていたんですよね。一人になったのは、三年前からで―――それ以前は、偏屈な爺さんと一緒に暮らしていたんですよ」
その話は、ユキネはマリアから聞かされている。それ以前がどうだったかが、不明だと言う事も。その辺りをユキネが確かめるように聞くと、アマギリはその通りと弱い笑みを作って頷いた。
「まぁ、偏屈な―――あまり、こちらが尋ねない限り言葉を話さないような爺さんだったんですけど、でも、僕が尋ねた事には基本的に全部答えてくれていたし、ユキネさんが感じているような、僕の微妙にずれた常識の事も、それがおかしい、という事はなかった」
それは―――はたして、どう言う事だろうか。アマギリの知識は、恐らく少し突っ込んだ話をしてみれば誰もが”変”と思うだろう。爺さんというからにはそれなりの年齢だっただろうその老人は、それだけの時を常識の中で生きているのだから、一緒に暮らしていればアマギリの言動がおかしいと思うはずだ。
「あの爺さん、僕に一人で生きていくための知恵を仕込んで―――そして、三年前に居なくなったんですよね」
「―――居なくなった?」
亡くなったのならはっきりとそう言えばいいだろうに、アマギリの言葉は微妙な表現に満ちていた。
「マリア様はその部分には突っ込んでこなかったんですけどね。そう―――居なくなった、です。ある日忽然と、姿かたちが失せて、まるでそう、伝えるべき事は伝え終えたからと、陽炎のごとく」
―――それは文字通り居なくなったのだと、アマギリはそう言った。
その不思議に何もいえないで居るユキネを余所に、アマギリは自身の思考に耽る。
「今思い出すと、あの爺さんの常識ってヤツは、僕と同じ方向を向いていた気がするんですよね。あの人はあまり人前に出る事を好まなかったし―――僕にも、あまり人里に下りないように言っていた気がする。……最近になって、その理由がこの辺りにあったんじゃないかって思うようになってるんですよ」
「自身の異質を知っているからこそ―――それを、悟られないように?」
「ええ。聖地学院の話を聞くと、僕の常識って”異世界人の常識”とも違うんでしょう? それってつまり―――どういうことを意味するんでしょうね?」
それぞれは些細な違いに見えるが、積み重なって全体像が映し出されると、まったく違うものが組み上がっているようにも見える。
「本当にね、思うんですよ。僕はただの、ちょっと常識知らずの異世界人ってだけで済ませられるのか、そうじゃなくて本当は、ひょっとしたら隠れてすごさなきゃいけない禄でもない事情でも抱えているんじゃないかって」
隠れて生きるのも、もう不可能なんですけどねと、困った顔で笑うアマギリに、ユキネはかける言葉が見つからなかった。
自分には、わからない悩みだったからだと思う。
否、彼自身が、それが悩みであるかすら理解し切れていないのだ。
初めて出会った時から俄かに感じていた、芯の無い行動―――真実、彼は自分の中心に確固たる物が存在していない。いや、あるはずなのに、自分でも見えていない。
それはきっと、ゆらりと流れに乗って何処へでもいけるだろうが、自分で何処に下りるかも決められない、辛い、生き方をする事になるのではないだろうか。
他人に左右され、他人の意のままに振り回される。そして気付けば、敵ばかり。味方は何処にも―――居たとしても、今はもう、遠く風の向こう。流れ続ける限り常に一人だ。
あの方達は、そういう人を利用するのは、とても得意だし。
近侍であるが故の親近感から来る思考で、ユキネは主家親子の事を苦笑しながら、それならばせめて自分くらいは無条件で味方であると思ってもらえるような付き合いが出来れば良いと思った。
今後長く、恐らくは生活を共にする事になるのだから。
きっと、最後までついて行く事はしてあげられないけれど。今、此処に居る間だけは。
だからユキネは、そう言う事が伝わるようにと、言葉を選んで―――結局、何時もの口下手な自分に困らされる事となった。
「平気。―――多少変でも、平気。……私もたまに、変って言われるけど、平気、だから……」
だから、何だろう。そこから先が必要なのに、ユキネには言葉が見つからない。
口下手なユキネにはそれ以上の言葉が見つからなかったけれど、場の空気を読む能力には無駄に長けるアマギリには、それだけの言葉で充分だった。
何を思っているのか、それは彼以外には知れず。
今度は上手く、自分からユキネの手を取る事に成功させた後で、アマギリは微苦笑を浮かべて頷いた。
「それなら、変なもの同士―――仲良くしましょうか」
「―――、ん」
ユキネが微笑を浮かべて頷いたのと時を同じく、王城の何処かで、喝采が上がったような気がした。
・Seane 6:End・
※ 別にクリスマスイブだからそれっぽい話とか狙った気は無いぜ!
まぁ、妹を挟んだ関係から個人的なお付き合いを始めましょうくらいにはなった、ってとこですかね。
次回からシーン転換なのでユキネさんは一旦此処で退場。まー思いのほか早く出てくるんですが。