・Scene 54-4・
「―――…………ワウ?」
振り返った先、薄暗がりから静々と歩み寄ってきた小柄な少女の姿を確認して、凛音は乾いた声を漏らしていた。
「あたしじゃないですよ!!」
傍に居た従者は、ブンブンと大きく首を横に振る。
「ええ、その通り。ワウアンリーの責ではありませんよ」
少女は、普段着慣れない装いをしているせいだろうか、少しばかりぎこちない足取りで凛音たちに歩み寄ってきながら、言った。
「何で……」
「此処にいるか、ですか? それとも、貴女だけがハブられたか、ですか?」
ワウアンリーの呟く言葉に、泰然とした笑みで少女は応じる。凛音は、少女の言葉に聞き捨てなら無い単語がある事に気付いた。
「貴女……”だけ”?」
凛音の言葉に、矢張り少女は微笑んで応える。
「ええ、その通りです、お兄様。―――ワウは、お兄様に近過ぎますから」
意味を理解するまでもなく、拙い、とその一言で思考が満たされた。
「―――ワウ?」
「だからあたしじゃないですって! 殿下がへちょいからじゃないんですか!?」
汗を垂らしながら従者を呼ぶと、従者も従者で、背筋を総毛立たせながら返してくる。
間抜けな主従のありようを見て、少女が一人、大きくため息を吐いた。
「お二方共に問題ありです。隠し事がしたいのでしたらせめてもうちょっと解りづらくしてください!」
「そこで、隠し事をするなと言われないだけ愛を感じるべきなのかなぁ?」
「”お前の隠し事好きはもう諦めた”」
「……アウラさんか」
少女に見合わぬ超然とした口調に、凛音は呻くように漏らした。
少女の背後に居るであろう人々の一端を、垣間見たのだ。チラと、意識しない動作で視線を今さっきまで聖機人が待機していた使用済みの転位装置の方に動かしてしまう。
「今更そんな、”何故ばれた”みたいな顔されても困るのですが」
「何時から皆、そんなに人を騙すのが上手くなったのさ」
苦い顔で言う凛音に、少女はクスリと微笑んで言った。楽しそうに。
「”アンタと長く一緒に居れば誰だって性格悪くなるわよ”」
「ラピスさんと同じ事言ってますよ、先輩……」
ここまで来ると、”凛君は迂闊すぎ”と言う言葉すら聞こえてきそうな雰囲気だった。
少女は降参とばかりに項垂れる凛音を、してやったりと笑顔で見ながら、何気なく付け加える。
「ところでお兄様。―――何故、こちらを見ようとしないのですか?」
「ああ―――いや」
明後日の方向を見ながら、凛音は頭を掻いた。
嫌な現実に戻りたくないから、とはとても言えない空気である。と言うか、言った瞬間現実に戻らなければならないから。
話を上手くごまかし―――無理に決まっていると自分でも思いつつも、それでも、最後の男のプライドというヤツを見せる気分で、凛音は口を開く。
「いやね、妹が突然そんなはしたない格好をして出てきてしまうと、兄としては対応に困るんだよ」
「はしたないって、ただの戦闘衣じゃないですか」
妹と呼ばれた少女―――最早、書類上ですらそんな関係ではなくなってしまった、ハヴォニワの王女マリア・ナナダンは、自身の着ている上品な刺繍が誂えられた装束を見下ろしながら、兄の言葉に口を尖らせる。
「今時そんな、身体のラインがはっきり出るスキンタイプの宇宙服なんて流行らないから」
「ですから戦闘衣ですって」
ジェミナーで極一般的に用いられる女性用の聖機師の戦闘衣。
細身の―――むしろ、痩せ気味ともいえるような少女の肢体がはっきりと示される様な服装である。
聖機人戦になる度に思う、何の意味がある服なのかと。
実は極薄であるからこそ亜法波の伝達が良くなるとか、意志力伝達系統に対する干渉力が増す亜法式が刻まれているのではないか等と、初めて見た当初は色々と研究してみたものだが、現実としては、何の意味も無いらしい。精々、通気性と保温性に優れているくらいである。
そもそも、そんな薄手の衣装を纏うのは女性聖機師だけで、男性聖機師は私服の延長―――せいぜい、操縦系に干渉しないように引っかかりの少ない服装を着るだけである。
調べてみると、衣装の考案者は異世界人。考えたやつを殴りたくなったのは、ある意味当然とも言える。
何せ気が高ぶるような戦闘行為の終わった後に、一々同年代のグラマラスな女性たちの身体のラインを見せられるのだから、色々とたまらない。
少なからず在る助平心よりも、勘弁してくれと言う気分の方が先に立つものだ。
「で、なんでマリアはそんな格好をしているのさ」
もう誤魔化すのは諦めたと言う体で、直球で凛音は尋ねる。
「あ」
しかし、その言葉に応じたのはマリアではなく傍に居たワウアンリーの方だった。
「何?」
「ああ―――いえ、その」
ジロ、と視線を滑らせると、ワウアンリーは気まずい顔で視線を逸らす。凛音は嫌な予感を覚えた。
つなぎ姿の彼女が、首もとのジッパーを降ろし始めたのだから、それも尚更だろう。
「おい?……―――っ!?」
いきなり何をしている、と言う言葉をいうまでもなく、その行動の意味は明白だった。
だぼだぼのつなぎ姿の下。
「―――あたしも、着てたりして」
聖機工であり、尚且つ聖機師でもある彼女にとってはもう一つの正装でもある、聖機師の戦闘衣を纏っていたのだ。
「お前……」
何を考えているんだと、凛音が従者の格好の意味を考えていると、前に居たマリアが鼻を鳴らした。
「矢張り、そう言う事でしたかワウアンリー」
「……マリア様、何時からお気づきに?」
主と同じようにうめき声を発するワウアンリーに、マリアは呆れ声で応じる。
「貴女にお小遣いを与えているのは、一体何処の家だと思っているのですか?」
「あー」
ワウアンリーはグテっと目の前の端末に突っ伏し、濁点でも付けた方が合いそうな音を漏らした。
「ちょっと待った。―――お前まさか、何か碌でもないこと考えてなかったろうな?」
何故サポート役のワウアンリーがわざわざ戦闘衣を着込んでいたのか。そして、マリアも。
辺りを見渡せば、コクーンは転位装置の台座に設置中の一機しかなく、そして他の転位装置は現在使用不可能。基本的に片道一回のみの使い捨ての機材であるから、これ以上聖機人は用意出来るはずが無い。
であれば、あの機体に乗るのは凛音で確定しているから、彼女等が戦闘衣を纏っていても無駄だ。
なにしろ、今現在搬入中の聖機人は、凛音用にカスタムメイドした特注品なのだから。
「その特注品なんですけどね」
恐る恐ると言う口調で、ワウアンリーが呟く。
相変わらず、嫌な予感しかしなかったが、とりあえず頷いて先を促さない事には、どうしようもないのが現実だった。
「―――実は、”複座”だったりして」
「…………は?」
聞き慣れない単語に、凛音は耳を疑う。
「―――スマン、もう一度」
「新型、複座ですから」
「黙れ」
聞きたくなかったと言う思いが素で出てしまった。
「今自分でもう一度って言いましたよね!?」
「煩いよ! つーか複座ってなんだ!? 何で聖機人二人乗りなんだよ!! 発注どおりの仕事しろよ下請け!!」
言葉の意味を理解して、凛音は大慌てで台座の上のコクーンの元へと走る。
大きさは通常の聖機人のコクーンと同様。
ただ、内部の素体の形状だけは大きく異なっていた。
足が無い。変わりに、下半身はそのまま蛇の胴体のような蛇腹状の骨組みで構成され、ソレがとぐろを巻いてコクーンを構成する形状記憶装甲内に押し込められていた。
そして、胸の前で組まれた腕にも、些か通常の機体とは違っている。
肘から先に亜法結界炉を生やしている下椀部が、幾らか伸張、肥大化しており、手のひらの付け根、手首の位置から明らかに砲口と思しき形状が見て取れた。
それ以外に胸部にも水晶状の亜法防御力場の精製器官が見て取れたし、詳しいものが見れば、少し後頭部が大きくなった頭部に関しても、センサー系統が強化されているのが解るだろう。
壁を背にしているため確認する事はできないが、背部に背負われている亜法結界炉も、通常並列して二機搭載であるところを、機体形状に併せて縦に四連装と言う形式に変更されていた。
無論のこと、下半身の最端部、尻尾の先端とも言うべき部位には、予備の亜法結界炉が搭載されている。
凛音が形成する特殊な機影―――龍機人用に、特別に設計した機体。
尤も、設計者が”人型ロボット”に浪漫を追い求めない凛音だったから、その形状はもう、骨格だけの現在を見ればただ稼動腕の付いただけの自在戦闘機とさして変わらなかった。
コクーンに包まれていなければ、恐らく、ソレが聖機人であると気付く人も少なかろう。
そして、肝心の腹部。操縦席が設置されている透過装甲で覆われたコアの部分だが。
「……本当に複座になってるぞ、オイ」
呻く以外に、凛音に出来ることはなかった。
縦に上下二席、座席が設置されていた。上の席に操縦桿が、下の席の周りにコンソールパネルが見て取れる。
「えーとですね、背部四連装、更に両椀各一基、オマケに尾部先端にもう一基の結界炉七基体勢の出力制御の難しさと、ついでに増設した内蔵火器と強化した防御機構のお陰で、システム周りが本当に不安定なんですよ。―――もう、ならいっその事、火器と出力管制専門のオペレーターを用意した方が、安定するかなって」
あはは、と背後から追いついてきたワウアンリーが、早口でまくし立てる。凛音は大きく息を吐いた。
「微妙に言い訳がましいぞ。つーか、システム周りの亜法式は組んだやつ渡しておいただろうが」
「エー、ソンナモノワタシミテナイデスヨー」
「戻ったら絶対給料減らすわ、お前」
凄い棒読みに、低い声で返していた。
―――すると。
「あ、戻ってくる気あったんですね」
何故だか、心底からの安堵と見て取れる笑みを、返されてしまった。
ニコリと、相変わらず小柄だが美人である―――凛音個人の好みから言えば、髪を降ろしていてくれた方が尚嬉しいのだが。
馬鹿な事を考えながら見惚れている間に、視線を外されてしまった。
ワウアンリーは、矢張り隣に立っていたマリアの方へと振り向く。
「あたしとしては言質が取れただけで充分ですから、後はマリア様にお任せしますね」
「―――その潔さ、常から思っていたのですが、貴女が一番強敵な気がします」
余りにも自分にとって都合のよすぎる申し出だったからだろう、マリアは同じ女として、酷く負けた気分になった。
「ただの年の功ってヤツですよ―――って、自分で言うと悲しいなぁコレ」
ワウアンリーは自分の言葉に頭を掻きながら、端末のある位置まで引き返していく。
その後は、どっかりと椅子に腰掛けて端末のモニターでも眺める体勢に入ってしまい、コクーンの元に立ち尽くしている兄妹に関しては、我関せずの態度。
「―――来るの?」
馬鹿みたいな唐突な口調で、凛音は尋ねていた。
「行きます」
初めて見る戦装束姿の妹は、強い瞳で頷いてきた。
そういえば、母親の血を引き継いで聖機師としての資格を有していたんだっけなと、今更ながらに凛音は思い出す。ついでに言えば、凛音の”機能”によって彼の周囲に居れば亜法振動波は完全に無害化されるから、一緒に乗ったところで何も問題は無い。
―――問題は、無い?
「放っておくとフラフラと何処かへ跳んでいってしまいそうなお兄様には、私のような足手まといの―――”重石”が付いていた方が、気合が入るでしょう?」
ただでさえしんどい思いをする事になるであろう場所に、わざわざ、さらにお荷物となるためについて行く。
堂々と宣言して、それこそが必要だと訴えてくる。
勝てないな、と凛音は思った。
と言うよりも、この世界に来てから、一度として勝った記憶なんて無い事を思い出す。
諦めて、それから破顔して。凛音は幼い少女に手を差し出した。
「じゃあ、行こうか」
マリアは差し出された手の平の上に、自身の小さな手を、そっと重ねる。
「何処なりと」
貴方と一緒ならば―――。
・Scene 54:End・
※ モイ。足手まといと言うが、なんの、精神コマンドは二人分である。
特に凛音は気合が使えないから……。