・Last scene 4・
『はぁ~い、ダーリン♪ お・ま・た・せぇ~~~♪』
外部スピーカー。ご丁寧に甲板―――上層庭園部の外縁に沿って増設された大型のスピーカー群から、旧聖地を囲む渓谷一体に、これでもかとばかりに響き渡るのを、凛音は透過装甲越しに聞いた。
「……お兄様?」
妹の声が引き攣り、揺れているのが解る。凛音自身、ダラダラと脂汗を流していた。
それでも無意識で空気を呼んで、ガイアが叩き落された縦穴の直上から避ける位置へと機体を進めているのは、ある意味立派と言えなくも無い。
「―――逃げようか? いや、逃げるべきかな。シュリフォン方面に離脱して、亡命を……」
「通信、全周波帯に最大出力で流されてますけど。―――民生用の受信機にまで、届いていますわよ」
「マジで逃げるぞチクショウ!」
妹の刺々しい言葉に、凛音は何もかも投げ出すように叫ぶ。
「と言うか、何故お母様が此処に? 進軍スケジュールでは、漸く国境線を越える筈だったのでは……」
マリアは兄の情けない態度と実の母親の何時もの奇行に、深々と息を吐いた。
『それは勿論、頑張って急いで来たからよぉ』
ただの呟きに、何故か遠くオディールにいるはずのフローラが、艶やかな声で応じる。
「なっ―――!?」
「ガイアじゃあるまいし、なんでコッチの声が聞こえるんだよ!?」
兄と妹は揃って目をむいた。
当たり前だが、普通ならコントロールコア内の音声は、通信を同期させなければ聞こえる筈が無い。
聖機人同士の近接戦闘中であれば、結界炉の共鳴現象により局地的に双方向で通信が開く事はあるが、現状とはまるで違う。
『あら、あんな化け物と比べるなんて失礼ね。貴方たちが乗ってるその玩具、誰のお財布からお金を払って購入したと思ってるのかしら』
失礼しちゃうわと、茶化した言葉に凛音とマリアは顔を見合わせた。
「……キミと、同じ事言ってるぞ」
「真に不本意ながら、実の親子ですので。―――と言うか、お母様はお兄様の担当でしょう、何とかしてください」
「実の娘に指名されるってのも微妙な気分だよなぁ」
半笑いで明後日の方向を見る凛音に、マリアは額に青筋を浮かべて答えた。
「貴方達から揃って同じ香水の香りがしている事に気付いた時の私の方が、よほど微妙な気分です」
「真に相すみません」
『自重しま~す♪』
「お母様は本当に自重しなさい!!」
兄への説教に茶々を入れてきた母の声を、マリアは怒鳴りつける。
この会話、全周波帯に流れているんだよなと思うと、凛音は泣きたい気分になるのだった。
「まぁ、もう何でもいいですけど……とりあえず、何で毎度毎度の如く、ご自分で最前線に上がりますかね?」
事前に要求したのはメザイアを保護するための足の速い船一隻だけだった筈なのに、地上に上がってみれば大型艦クラスのオディールが姿を晒しているのだから、凛音とて溜め息の一つは吐きたくなる。
しかし、映像を通信を繋いだフローラの美貌は、笑顔から崩れる事は無かった。
『あらだって、大事なダーリンが体を張って頑張っているのに、泥棒猫にばかり格好付けさせているわけには行かないもの』
「誰が泥棒猫ですか! 誰が!!」
マリアが顔を真っ赤にして突っ込む背後で、凛音は頬を引き攣らせる。
「実の娘に酷い言い草だなぁ……」
「あら、言わせているのは誰だかお気づき?」
「ハイハイ僕です光栄ですよ―――って事で、とっととこの人回収していただけると」
探る様なフローラの瞳から視線を逸らしながら、凛音は肩を竦めて龍機人の手に確保したままのメザイアを示した。
『私に』
何時の間にやら傍にやってきていた一機の聖機人が、手を差し出してきた。
「ああ、助かる―――って、え?」
『?』
我が目を疑い瞬きをする凛音に、傍によってきた水色の聖機人は、器用に首を傾げてみせる。
そう、水色の聖機人が。
聖機人と言う兵器は、搭乗者の生態亜法波の波動によって、その形状、装甲色を変質させる特徴がある。
即ち、聖機師それぞれに固有の色と形状を持った聖機人が形成されるのだ。
「何故だろう。凄く見覚えのある機体が傍にあるんだけど。―――見間違いかな。それとも、目の錯覚?」
「錯覚でしょう、お兄様。いえ、私にも見えていることからして、集団幻覚か何かかもしれません」
遠い目で語る兄に、妹も乗っかって現実逃避していた。
『酷い話だよね。―――急いできたのに』
『むしろ、先回りしてたじゃない』
「―――先回りって、何してんのさ、姉さん」
聞き捨てなら無い言葉に、漸く凛音が現実を直視する行為を始めた。
何故か目の前に居る、どうやら本物らしいユキネの聖機人に、メザイアを手渡しながら声を引き攣らせる。
ユキネは、一方的に通信映像を開いてきて、そして機体と同様に、小首を傾げながら凛音の疑問に応じた。
『泥棒猫ばかりに、任せてられないから?』
「それはもういいですから! と言うか説明をなさい説明を! 余り時間も無いのですし!!」
ガーと、猫の如く喚きたてるマリアに、しかしユキネはまったりとしたリズム応じた。
『……体のラインがはっきり見える衣装って、たまに人を不幸にするよね』
「誰の何処を見て言ってるんですか! 貴女は!!」
因みにユキネの戦闘衣は、シックで控えめな色使いであるからこそ、逆に着ている人間のプロポーションのよさが引き立つものだった。
マリアの視線に若干妬みが混じっているのは、気のせいだろう、いや、気のせいだと思わないと命が危ない。
「―――姉さん、自分だけ転位装置の座標をオディールに変えたな?」
凛音が苦い顔で尋ねると、ユキネはアルカイックな笑顔を浮かべるのみだった。
そういえば、工房で一人でコソコソと動いていたなと、今更ながらに思い出す。
「でも、飛行中のオディールどうやって座標を……」
「お兄様。ワウアンリーが工房へ向かう途中に、オディールに立ち寄っています」
マリアの言葉に、ユキネも頷く。
『立ち寄ると言うか、強引に捕獲したんだけどね……荷物ごと』
「荷物ごと、ね。―――あの無能従者め」
『そうあまり責めてやりませぬな、殿下』
事情が読めて苦い顔で吐き出す凛音に、穏やかな老人の声が口を挟んできた。
「つーか家令長、居るなら止めろよ! 諸々を!」
当たり前のようにフローラの脇に控えていた、一応部下の筈の老人に、凛音は思いっきり突っ込む。
現実主義な老人は、老練な仕草で首を横に振った。
『長いものには巻かれるもので御座いますれば』
「アンタに期待した僕が馬鹿だったよ、畜生……」
この老人、穏やかで確りとした見掛けに反して、自分の仕事と定めた領分以外の事に関しては、割りと大雑把な人間だった。
ある意味、ナナダン王家に仕える人間たちに共通する性質だったりもするのだが、言い出せば薮蛇になるだけだ。
凛音には項垂れる以外の行為は出来なかった。
モニター越しに、見覚えのあるオペレーターの女性たちが揃って苦笑しているのが、心に痛かった。
「と言うか、ユキネ! 貴女じゃんけんに負けておいて、抜け駆けじゃありませんこと!?」
「いや、それ以前に姉さんが抜けて向こうは平気なのか……?」
”じゃんけん”とか”抜け駆け”とか、色々と不吉すぎる言葉は聞かなかった事にして、凛音は現実的な問題について尋ねる。
順当に考えればもう終了しているころあいだが、ユキネは本来なら此処に居ない他の少女たちと共に、結界工房の周囲でにらみ合っていたユライトの聖機人に対して、奇襲攻撃を掛けているはずなのだった。
ユライトには、剣士一人。
無人のもう一機には、他の少女たちが総がかり。
聖機神用の亜法結界炉の自爆攻撃に対して、圧縮による処理を敢行しようとしていたのだ。
『大丈夫だよ、皆なら』
「信頼感が溢れているようにも聞こえるけど、微妙に姉さんが言って良い言葉でも無いような……」
「まぁ、現実問題、三人も居れば充分なのでしょうが……」
きっぱりと言い切るユキネに、兄妹は揃って乾いた笑みを浮かべる。
「四人から三人って、”絶対安心”が”多分大丈夫”になるくらい危険っちゃ危険なんだけども……無茶するねぇ、姉さん」
『恋する乙女は、時に道理を覆すんだよ』
「恋してたの!?」
誰に、とはとてもじゃないが、怖すぎて聞けそうになかった。
そして、そんな暇も残っていなかったらしい。
背後で、爆音が響く。
振り返る必要すらなく、突然視界が逆光に被されば、何が起こったのかは理解できた。
瓦礫の山を吹き飛ばして立ち上る、極光に、彼等の意識は自然と引き締まっていく。
光が止んで、地の底から邪悪な龍の姿が這い出してくれば、最早待ったなし。
「姉さん」
『―――うんっ』
ユキネはすぐさま頷いて、受け取ったメザイアを抱えてオディールへと退避していく。
『あらあら、随分見た目が変わったのねぇ』
フローラの言葉は相変わらず呑気に聞こえたが、口元を覆い隠す扇子を握った手に、血管が浮かび上がるほどの力が込められている事は、簡単に見て取れた。
「……これ以上、前に出ないで下さいね」
『―――駄目?』
「駄目に決まっているでしょうが……っ!」
愛らしく―――ある種の恐れを抱かせるような声で尋ねてくる母に、娘は断固とした口調で言い切る。
『つまらないわねぇ……』
「これを機に、待つ楽しみでも覚えてくださいよ」
『待ちに待った機会が、今なのに、つれないこと』
言いながらも、確りと後退を始めてくれる辺り、実に空気を読める女王だった。
凛音は安堵の息を漏らしながら、一応とばかりにユキネにも声を掛けた。
「姉さんも。―――戻ってこようとか考えなくて良いからね」
『―――うん、後は、任せるよ』
「任されました」
信頼を込めた眼差しに、気楽に肩を竦めて返す。
それで、充分だった。尤も、充分なのは凛音だけだったりするが。
「戻ったら色々聞かせてもらいますからね、ユキネ」
口を尖らせるマリアに、しかしユキネはにっこりと微笑んで応じる。
『うん。ちゃんと聞いてね、凛君』
「お兄様に何を聞かせるつもりなんですか、貴女は!!」
「ハハッ……相変わらず凄いねぇ、姉さんは」
余りにも日常の延長過ぎるそのやり取りに、凛音は噴出してしまった。そんな凛音を、ユキネは満足そうな顔で見ている。
『お姉ちゃん、だから。―――気合入った?』
「うん。断然ね、やる気が出てきたよ」
ゆっくりと浮上してくる悪神ガイアと向かい合いながらも、凛音の顔からは笑みが消えなかった。
どうとでもなりそうで―――真実、どうとでもなるんだろうなと、そう思う。
ゆらりと、ガイアが首を擡げる。
次の瞬間。
二機の異形の聖機神は、蒼天の下、激突した。
※ 当初姉さん出てくる予定も無かったのですが、このままだと空気になりそうだったので登場をば。
じゃあどうせならと、最後まで名前の出なかった家令長も。後一話から出てる通信席の皆さんもと、
まぁ、ハヴォニワ勢全員集合って事で、ラストっぽくて良いかなー。