・Seane 8・
「随分、しばらくぶりでしたか」
ふと囁く様に漏れ伝わった声に引かれて、アマギリは膝の上に広げていたハードカバーから視線をはずして、対面に座る少女を視界に収めた。
少女はしかし、アマギリの態度など気にする風でもなく、むしろその存在を認知しないようにあえて示しているかのように、バルコニーの欄干の向こうの、徐々に花咲き始めた春先の庭園を見下ろしていた。
春風を纏って揺れる亜麻色の髪に、その透き通った横顔の稜線に魅せられながらも、アマギリは穏やかな声で尋ねた。
「……しばらくぶり、とは?」
何を示しての言葉なのか。尋ねるアマギリにしかし、マリアは横顔を向けたまま視線を移すことも無く、少しの間をおいた後、ゆっくりと、呟いた。
「こうしてここで、お兄様と茶を嗜む事が」
「―――ああ」
マリアの囁きに、アマギリはなるほどと頷いた。
「今年は、冬が長かったですからね」
そっと、昨日まで昼下がりのお茶会を開いていたリビングを窓越しに眺める。
ユキネを含めた侍従たちは、主たちの戯れを邪魔する事も無く、慎ましやかにリビングへと続く窓際に控えているのが見えた。
「おおよそ、五ヶ月ぶりと言った所ですか?」
「……五ヶ月」
アマギリの言葉に、マリアは自身に言い含めるように言葉を繰り返す。
その横顔はやはり、アマギリのほうを向く事は無かった。アマギリも、それに何を言うでもなく、テーブルの上に置かれた紅茶を手に取り、口に運ぶ。
朝夕であれば冷えもするだろうが、四月の昼下がりともなれば、そこに吹く風は至極穏やかなそれだった。
青空になびく細く白い雲の情景も、春の暖かさを象徴するゆったりとした風合いを示している。
それはあまりにも穏やかな空気で―――ともすればアマギリは、今、会話の途中である事すら忘れてしまいそうだった。
「五ヶ月」
再び繰り返されたその呟きに、アマギリは視線をティーカップからずらすだけで応じる。
マリアはそんなアマギリの態度を咎めるでもなく―――そもそも、視界に収める事も無く、自身の言葉を続けた。
「五ヶ月もの時が流れれば―――そう、思い出にもなりますか」
その言葉だけで、アマギリはマリアが何を言いたいのかを、察する事が出来た。
一つ頷いて、口を開く。
「僕が此処で暮らし始めてから、もう半年ですね」
「半年」
アマギリの言葉にマリアは、かみ締めるように繰り返す。
「半年もあれば、そこにお兄様がいる事も自然に感じるようになりますし、そこから居なくなる事を―――居なくなる、と言う風に考えるようにも、なります」
「そう、―――そういうものかも、しれません」
アマギリは、マリアの言葉を否定しない。自身も感じていた事だったからかもしれない。
「半年間、此処で暮らして。それから、此処を出て―――それから」
「―――お兄様は、此処にまた、戻ってくるのかしら?」
ふっと、ごく自然に視線を合わせながら、マリアは透き通った瞳のまま、アマギリに問いかけた。
「戻ってくる、ですか」
「お兄様にとって、此処は戻ってくる場所なのでしょうか。それとも、たかが半年程度滞在しただけで、通り過ぎるべき場所なのか―――」
それは、半年と言う時間の流れの中で、彼と言う存在をごく自然に感じるようになったが故の、疑問だった。
「受動的な生き方をしていらっしゃるお兄様にとって、今日までの此処での生活は、全て誰かに言われたから続けていたものに過ぎないでしょう」
「否定はしません。―――ええ、まったく否定できませんね」
辛らつとも取れるマリアの言葉に、アマギリも頷くしかなかった。
居ろと言われたから居て、これから先、明日には、行けといわれた場所に行く。
「お兄様には、自分で行く道を決める程度の力が備わっているのに」
望むのならば、誰かに頼まれた生き方をする必要も、無いだろうにと、それはともに過ごした半年間があるが故の、マリアの言葉だった。
「力はある、か―――そう、ですね。力、まぁ、今更こんな未開惑星で勉強する事もないでしょうし。生きるために必要な力は、それこそ」
ありもする。それは否定しようも無い事実だったけれどと、アマギリは困ったように笑った。
「僕には、目的が無いですから」
「……目的、が」
無い。それはそう、アマギリの姿を半年間見続けていたからこそ、マリアにはあっさりと受け入れられた。
力は、ある。自身ですら否定しないほどのものが。人一人、きっと自分ひとりを支えるだけなら充分なものが。
でも、それだけ。支えているだけで、何処かへ進もうと言う、目的が見つからない。
「だから僕は、女王陛下の言葉に異を唱える事は無かったし、王女殿下とも、こうして茶会を楽しむ生活に溶け込んだりもしたんですけど」
「―――此処から先へ行く場所で、目的が見つからないとも、限らない。……ですか?」
「どうでしょうね。少なくとも、この半年では見出せなかったものですし」
そう簡単に、見つかるとも思えない。そう、アマギリは己を嘲笑うかのように呟いた。
目的の無い人生と言うのは、気楽で、生き易いものであろうが、だからこそ空虚なものでも有り得るから。
いつかそれに飽きてしまうのではないかと言う、その不安は―――果たして、どちらのものだったのか。
そして、だから。
その不安をどうしたいと言うのか。
目的の無い少年には、その力の方向性が存在せず、それ故に明確な行動指針と言うものが内包できない。
どうしたいかなんて、きっと何時まで経ってもわからない。通り過ぎた後に、きっと、そういえばそんな事もあったっけと、少しそう思うだけの事だ。
では、状況を明確化してしまった少女は何がしたかったのかと言えば、果たして。
言い切ってしまえば彼女は何がしたかったと言うわけではない。
強いて言えば何かを”して欲しかった”。
受動的なこの少年の、多少なりともともに過ごした時間に対する郷愁のようなものでも、示して見せて欲しかったと。それが何処から来る感情かは、きっとそれこそ明確化できないものだったが、とにかく、彼女は彼に何かを求めたのだ。
このとき、初めて。
そしてそれが、迂闊な態度では伝わらないものであると、少女ははっきりと認識した。
当たり前のように傍に居て、半年間。それだけの時が過ぎたというのに、それに気づいたのは、ようやく半年たってから。
つまりそれは、たかが半年程度の時間しか、まだ、ともにすごした時間が無かったと言う事。
このまま行かせて、そして戻ってこなかったとしたら、それはきっと、彼女の小さな、女性としての沽券に関わる。
ならば、と。彼女は行動を決めてしまえば素早かった。親譲りの、躊躇いの無い、その行動。
少女はこれまでの会話の流れをまったく受けていないような、その言葉を。ただ簡潔に、言った。
「では、お兄様。聖地学院より無事のご帰還を、マリアは心より、此処でお待ちしております」
その日、ハヴォニワでの一先ずは最後の夜が終わるその時に。
アマギリは、少女の呼びかける自身への言葉が、最後まで変わる事が無かったことに、気づいたのだった。
請われ、頷いてしまった以上果たさないわけにもいかず。
そう思わなくてもきっと、少女がそうだと決めてしまった以上はその事実を果たさざるに終わるわけにもいかないだろう。
そんな半年の間に当たり前になった事実に、少しだけ笑って。
あけて翌日、船に乗り。
彼は、聖地学院へと向かい、此処を旅立った。
・Seane 8:End・
※ 第一部完、的に。
ホントに当分マリア様は出番がありませんので締めっぽく(湿っぽく?)登場してもらいました。
だからと言って別にメインヒロインっつー訳でも……そもそも、まだ原作メインキャラ殆ど出てきてないしねぇ。
因みにこれで今年最後の更新なので、次回は1月の三日だか四日だか辺りになると思われます。
では皆様、良いお年を。