・Sceane 10-4・
「さっきの話だけど」
「―――と言うと、どれの事かな?」
「―――ユライト先生との……学院長室での」
学院長室に挨拶に出向き正式に初等部二年に編入を申し渡されたアマギリは、今はそれを終えて、ユキネと二人で寝所となる寮を目指しているところだった。
森から這い出した木陰が日差しを隠す水路脇のあぜ道を歩きながら、完全に敬語を使う事を諦めたらしいユキネの言葉に、アマギリは学院長室でユライトと交わした言葉を思い出していた。
「ところでユライト先生、失礼ですがお歳は?」
「今年で25になりますが、何か?」
「25……3歳差かよ。―――ああ、失礼。と、すると聖地学院に通って居たのは7~8年前と言う事に?」
「おや。―――ええ、その通り。こんな私でも当時は生徒会に所属していましてね。いや、あの頃は無茶をしました。殿下と非常に性格が似てらっしゃる方が生徒会長を勤めていまして、毎日毎日、騒がしい日常を過ごしたものですが―――それが何か?」
「―――いえ。……強いて言えば、参りましたと言うか」
ふくよかな体系をした学院長の老婆との会話を終えた後、唐突にそんな会話を交わして、学院長室を後にしていた。
アマギリは食えない笑顔を浮かべるユライトを思い出して、苦笑した。
「世の中味方じゃない人間が敵とは限らないって言う事と―――味方こそが最大の敵って事も無きにしも非ずって事かなぁ」
出会い頭の雰囲気から、ユライトはあまりああいった”遊び”を好むようなタイプには見えなかったのが事実だった。だがあえてああいった場を仕組んでみたと言う事は、その背後に誰かの意思があったと言う事で―――アマギリは当然、それには気付いていた。
だが、背後に居る誰かが一人とは限らないし、かつそれが複数だった場合、それらが協調関係にあるとも限らないとまでは、思い至らなかった。
「今さらだけど、昨晩の件の女王陛下への報告は家令に任せきりだったし、陛下なら事件の背後関係を探る事だって簡単だったろうからね。―――付き合いがあれば、それを貸しにでもして僕に悪戯を仕掛けてくる事もあるか」
完璧に遊ばれてたと木漏れ日を見上げながら言うアマギリに、ユキネは今ひとつ状況が掴み取れていないようだった。そんなユキネの気配に気付いたのか、アマギリは背後を振り返り微苦笑を浮かべた。
「ようは、子供に甘い優しいお母様が、離れていても守っていて下さるってところだよ」
「―――背中の危険は、気にしなくて良い?」
ようするに事後処理をフローラが的確に行ったと言う解釈で良いのだろうかとユキネは尋ねた。
「―――そ。結局、あの人は子供の遊びも自分で楽しもうとしちゃうって事だろうね」
若干投げやりな口調で頷くアマギリは、歳相応に拗ねた態度に見えて、ユキネには意外なものだった。
その後で、良く考えたらこの少年と自分の間にはまだ、それほど長い付き合いがある訳ではないのだと気付かされる。むしろ、知らない面の方が多いだろう。
それはこれから理解していく事。共に過す過程で―――そう、しばらくは、当分の間は、共に過す事になるのだと今更ながらにユキネは思い出し、そう考えると何故だか胸が上気してしまう。
何しろ彼女の本来の主であるマリアからも、”機会があれば一向に構わない”とハヴォニワを出立する前に言い含められているのだから。
この少年と、所謂そういう関係に―――聖機師として当然の義務であるが。さりとて、付き合った歳月を錯覚する程度には親しく感じているが、あまりそういう気にならない不思議もある。
と言うより、少年自体がその年齢に相応しくないくらい枯れているように見えるのはユキネの勘違いだろうか。
仮に、この少年とユキネが”機会”を作ろうとした場合、アプローチを掛ける側になるのはどう考えてもユキネになってしまう訳で―――駄目だ、とても考えられない。
自分にそんな事が出来る訳は無いと、ユキネは大きく首を振って思考を追い払った。
「どうかした?」
そんなユキネに、上から、と言うよりはむしろフランクな口調で話すようになったアマギリは、不思議そうな顔をしていた。この少年、丁寧語が抜けてから、さらに自分の事を女性として見るのを止めているようにみえるのは気のせいだろうかと思いつつ、ユキネは何でもないと呟きながら首を振った。
そうこうしている内に、ユキネたちは目的地に到着した。
「お帰りなさいませ、殿下」
玄関ホールに整列した使用人たちと共に、老執事が頭を下げる。
アマギリはどうにもコメントに困ると言う形で、オデットの小城にも劣らない豪勢な屋敷の高い天上を眺めながら、言葉を漏らす。
「……学生寮、ねぇ」
「はい、ハヴォニワ王国、王家専用の学生寮で御座います」
只の別荘じゃないかと言う突っ込みはしても意味が無いだろうなと思い、アマギリはああそうと頷くだけだった。お金持ちの無駄なお金の使い方―――見得の貼り方―――はいい加減、今更立ったと言うこともある。
「簡単なご説明を致しますと、アマギリ殿下にお使いいただくのはこの本塔施設及び、エントランスホールより向かって右塔のみ、となっております。左塔に関しましては―――」
「マリアの部屋、でしょ」
あえて呼び捨てにして見せるアマギリに、老執事は深々と一礼した。
外観から察するに多少こじんまりとしていた右塔の方は新築に見えていた。ようは、アマギリがここに通うに辺り増築でもしたのだろう。そのために再設計したらしいエントランスも、まだ真新しく感じられる。
これからここで、長い期間を過す事になるのだと、アマギリは特に感慨も無く受け入れた。
「とりあえず、寝室と風呂と盗聴器の場所だけは教えておいてくれる」
「寝室は右塔最上階奥、風呂に関しては本塔のもの以外に各塔個別のものが用意されていますので、お入りになられる際は事前にご連絡ください。盗聴器に関しましては、自分で見つけられたのなら解除して構わないとの言伝を預かっております」
「……つけてること、否定しないのね」
「絶対に尋ねられるからその時はそう答えるようにと女王陛下より仰せつかっておりますれば、私めにはそれが事実であるかどうかなど、些細な問題で御座います」
整列した侍従たちに解散を命じた後、花壇で埋めらた中庭の見えるティールームで紅茶を啜りながら、アマギリは老執事の言葉に顔をしかめていた。
因みにユキネは右塔一階にある私室―――アマギリの生活領域はエントランスの大階段を上がって二階以降になる―――で、明日の聖機師就任式で着る為の正装の着付け合わせを行っているいたので不在だった。
「聖機人でも運び込んで、亜法機関を最大出力にでもすれば高振動波で盗聴器くらい破壊できるかなぁ」
「その場合、屋敷の維持機能まで破壊される事はお忘れなきようお願いしますぞ」
本気で実行に移しそうなアマギリの言に、老執事が口を挟む。
アマギリは深々とため息を吐いた。
「裏を読めば、僕が解っている以上盗聴器は、無い。でもその裏を読んでやはり、有る。―――と言う裏を読めばやはり、無いけど、やっぱりその裏を読むと……」
「何やら機嫌が悪う御座いますな、殿下」
「そりゃあ、ね。これでも少しくらい羽を伸ばせるような気分になっていたのに、遠く離れていてもこれだけ遊ばれてれば、不機嫌にもなるよ」
率直に言ってアマギリには忌々しいとしか言えない状況だった。
「大体この屋敷のスタッフだって随分多いじゃないか。オデットの乗員はオデットの管理維持で残してあるし、つまりこの屋敷の使用人たちはわざわざ別口で取り寄せたんだろう? つまり聖地学院は、生徒が必要と思えば幾らでも人を呼び込むことが出来るって訳で、建前としての”難攻不落”の警備体制なんてモノとは程遠いって事だ。これだって、何も言わずに僕が気付くかどうか、試していたに決まっている」
「それにお気づきになられると言う事は、自然、女王陛下のお望みもご理解出来ましょう」
吐き出すように多弁となったアマギリの言葉に、老執事は穏やかな声で返す。
「―――期待してるって事? 何を期待するって言うんだ。僕はあの人にとっては只の道具だよ? 道具はその機能を見極めてその範疇で効率よく利用すべきだ。用途外の目的に使おうなんて、無駄だよ、無駄」
「殿下の仰りようを字義道理に解釈しますれば、それはつまり、陛下はそれが可能であると判断していると受け取れるのですが」
「……まぁ、ね。仕込めば使えると思ってるのかもしれないけど、わざわざ自分で教育するような事じゃないだろう? そういうのは王女殿下に仕込むものだ」
何がこんなに苛つくのかと言えば、どうにも女王フローラの行動が、アマギリを甘やかすように動いているように感じられる事だった。便利に使われるはずの―――実際に、初めは真実そうだった筈だ―――自分が、今ではこれほどの厚遇、地位に於ける待遇的な意味ではなく、感情的な意味での厚遇を受けている事が、アマギリにはどうにも腑に落ちない。
老執事からすればそれは、単純に気に入られているからでしょうと、一言で片がついてしまう問題なのだが、アマギリ本人には理解の及ばない真実らしい。ここに来ても、必要な時に直接的な指示を受けて便利に使われるのだと思っていたくらいである。自分が自由に動けるようにフォローを受けるようになるとは、流石に予想していなかったのだ。
「……ホント、何をさせたいのさ、僕に」
「逆にご質問いたしますが、殿下は何をどのように為さりたいのでしょうか」
ふと洩れた呟き声に対する老執事の言葉に、アマギリは目を瞬かせた。
「何を―――?」
したいか。僕が。そんなものは、どうであったとしても何の意味も無い事だろう。
そんな風に思い首を捻るアマギリに、老執事は言葉を続ける。
「失礼を承知で私見を申し上げますと、殿下はただ便利に使うには余りにも優秀すぎます。しかし優秀な才隠す事無くを見せると言うのに、それを自らの意思で振るう事もなく、ただ言われるがままに誰かの言葉に従う。まるで望んで状況に流されるように。しかし、貴方様がそうあろうと、ただ流されるだけの石片であろうと思おうとしても、回りの人間にとっては巨石の如き存在感を示しております。ただ流れるのを見過ごすには巨大に過ぎ、さりとてその重量ゆえに、抱え込むのも難しい。有体に言って、扱いづらい。―――特に女王陛下の如きお立場であれば、尚更でしょう」
「―――なら、切り捨てれば良いじゃないか」
拗ねたような口調で、アマギリは窓の向こうの花壇を見やりながら言った。
目的もなく、行く当てもなく。故に誰かの目的に付き合っているだけだと言うのに、それすらも邪魔だと言う。
面倒な話だ。
つまりは、せめて自分の方向性を此処で見つけて来いとでも言いたいのだろう。
その上で尚付き従うなら由、裏切って見せても、笑って相対して見せるのだろうと思うと、怒りも沸かない。
晴れてその意味を理解したとして―――アマギリは自身の意思を振り返った。
例えば、何かしたい事があるか―――問うて一言、無いと返した。
そこまで言い切れる自分が可笑しいと思う反面、そうであって当然と思う自分も居るのがアマギリには不思議だった。
だって、欲しいものはもう、持っているから。
心臓の位置を手で押さえて、そんな風にアマギリは思う。その理由すらも解らないまま。
自分でも解らないのだから、これは、誰に言っても伝わらないだろうなと、唇をゆがめて首を振った。
つまりは、その場しのぎの誤魔化し言葉を言うしか、無いのだ。
「……遊び方を知らない人間となんか、誰も付き合いたいと思わないって、そういえば昔、誰かに言われましたっけね」
陰の差した表情だったアマギリの顔が、微苦笑に変わる。
その言葉に、老執事も微笑んで頷いた。
「女王陛下は、事の他娯楽に対して拘りをお持ちの方ですからな」
しかめっ面していないで、一緒に遊びを楽しめるように成長して見せろとでも言いたいのだろうか。
面倒なものだと思いつつ、それこそ正に親の期待と言うそれそのものだと気付いてしまい、最早アマギリには苦笑する事しか出来なかった。
聖地学院での生活が、こうして始まる。
・Sceane 10:End・
※ 此処まで来るとモブの人にも名前付けたほうが楽だったかなぁと思わんでも無いですが、このSSはそういう仕様。
ただでさえ名前のある原作キャラが大量に要るのに、これ以上キャラを増やすとか、無理だ……