・Sceane 17-2・
盤面、一進一退の攻防が続く。
一手を囮にし五手先、八手先の状況を手繰り寄せ、しかしそれを七手前の仕込によって覆される。
観客がいたとすればきっと、盤上からあふれ出る得も言えぬ緊張感に、喉を鳴らして後ずさっていた事だろう。
「正統派、だね」
自身、どう考えても邪道な打ち回しをしている自覚のあるアマギリは、ダグマイアの打ち方をそう評した。
純粋に自身の持てる技量のみで、相手を踏破しようとしている。ダグマイアの打ち方はそう言った物だった。
常に相手の一手を利用とする傾向のあるアマギリの打ち方とは、対局といえた。
「正道こそが相手を駆逐する上で尤も有効な方法です」
兵士の駒を前進させながら、ダグマイアはそう返した。その表情は真剣そのもの。勝負に挑むに相応しい男の顔と言える。
「正道。―――清廉潔白は、確かに美徳だろうね。……人としては」
寄せ手に対して城壁をめぐらせて絶対防衛圏を築き上げながら、アマギリは薄く笑っている。あからさまに何かを企んでいる、そんな顔である。
「何か、含むところを感じますが」
騎兵の跳躍により城壁を乗り越えながら、ダグマイアは眉をひそめた。乗る必要もない挑発に、しかし乗らずにはいられない自身の心根が、どうしようもなく憎かった。
ダグマイアの気持ちを知ってか知らずか、アマギリは城壁の裏に潜ませておいた伏兵を迎撃に向かわせながら、笑って続けた。
「そうかい、なんだと思う?」
「大方、為政者としては失格だと仰りたいのでしょう」
向かってくる兵を槍の一突きではじき返しながら、ダグマイアは吐き捨てるように行った。
パン、パン、パン、とダグマイアの耳に耳障りな音が響く。盤面から顔を上げて見れば、アマギリが一局目が終了した時のダグマイアのように、笑顔で手を叩いていた。
「ご明察。―――大方、ユライト先生辺りに言われたかな?」
「……何故、そこで叔父上の名前が」
僧兵の痛打によって騎兵の攻勢を退けながら言うアマギリに、ダグマイアは顔をしかめた。
落ち着け、と心の中で繰り返そうとも、どうしても心がささくれ立つ、アマギリの言葉は魔性の響きを秘めていた。
「だって君のお父上は、自分の子供に愛のある教えを施そうとするようなお方には思えないじゃ―――おっと、こんな事を僕が言えた義理ではなかったね」
途中まで述べて、わざとらしく言葉を濁す。
城壁破壊のために進ませた一手が、大理石と打ち合わさって甲高い音を立ててしまった事が、ダグマイアの精神状態を告げていた。
―――父ババルン。偉大なるシトレイユの宰相。大なる野望とそれを実現する確かな自力を持ち合わせた―――しかしそうであるが故に、周囲の人間に対する斟酌は酷く少ない。それが、自身の息子であっても。
「だいたい、放任主義はウチもさして人の家の事は言えないからね」
日頃考えないようにしていた部分に思考が及びそうになっていたダグマイアの耳に、アマギリの自嘲するような言葉が聞こえた。
「……フローラ女王陛下とは、あまり、親しくしておられないので?」
普段聞かぬような生の言葉を聴いてしまったような気がして、ダグマイアは思わずそんな言葉を口にしていた。
「本来的な意味で言えば、僕の方があの人の叔父になってしまうからね。立場上いろいろ―――解るだろう?」
「それは―――いえ、はい」
アマギリ・ナナダンは好色で成らしたハヴォニワ前国王の最後の胤であると、そう言われている。真実のところは全く以って不明なのだが、本人のこの吐き捨てるような口ぶり。事実なのだろうか。
事実だったとして―――この言動は、何の含みもないものなのだろうか。それとも何かの仕込みなのか。
ダグマイアにはそれが判断できなかったが故に、アマギリの次の言動を待った。
アマギリは、盤上から拾い上げた王の駒を手で弄んだ後で、カツンと角を打って音を鳴らしながら、女王の傍に置いた。
「手駒の一つも与えられずに、精精飼い殺し―――はは、これ何時か似たようなことを言ったっけ? 男性聖機師の悲しさってヤツ以外の何物でもないんだけどね」
王は手ぶらで自在に動けるが、それ以外に戦力の一つも持っていない。
あらゆるものを与えられ、最高の厚遇を齎されているが、何処へ踏み出す自由すらない。
男性聖機師と言う、生き物に似ていた。
ダグマイアは思い悩む。
この男、現状に対して大きな不満がある、と言う事だろうか。
飼い殺された獣が反逆の隙をうかがって、虎視眈々と―――よもや今回の一件。そのための会合のつもりではないだろうか。
先日の森での騒動がハヴォニワの女王に対してすら不利益となる行動だったとしたら。それを引き起こしたアマギリの思考はどちらかと言えば、自分に―――いや、そこまで都合のいい話があるか?
だが可能性は否定できない。そのための敵味方を探るために、あえて他者をふるいにかけるような言動を続けていたとすれば―――こうして、込み入った会話への前振りとも取れる状況もおかしくはない。
―――懐柔、してみるか?
切り札ともいえる最後の騎兵を前進させながら、ダグマイアそんな考えを持ってしまった自分に気づいた。
懐柔。アマギリを、自身の計画に引き込む。
ダグマイアの思考の中で、急速にその気持ちが膨れ上がってくる。
敵に回すには―――暗殺を試みようと思うほどに―――厄介な存在だった。だが、それが味方であれば。
利に聡い男に見える。目分量さえ違わなければダグマイアにとっては有用な駒として働いてくれるだろう。
事、この状況に於いても自分が上に立つ事を前提と考えてしまえる事が、ダグマイア・メストの最大の弱点と言えるかもしれない。
自分優位過ぎるその思考は、どうしようもないほどの隙を生み出し、それ故に、アマギリの次の言葉を、初めダグマイアは理解できなかった。
「―――その辺、優秀な手駒を持ってる人は良いよね」
肘掛に体重をかけながら、頬に手を当てたゆったりとした姿勢で、アマギリはそんな事を言った。
その視線は、入り口のドアの向こう。そこにいる誰かを指しているかのようだった。
「何?」
取り繕う何一つもなく、ダグマイアは素で言葉を漏らしてしまっていた。
アマギリは、呆然とした顔をするダグマイアに薄く笑いかけながら、肩をすくめた。
「だってそうだろう? 十回やれば八度は失敗するような粗雑な作戦に文句の一つも言わずに付き合ってくれるんだ。しかも、ちゃんと失敗した場合に仕える主人に不利益が行かないように最大限の配慮までしてくれるんだから、羨ましいったらないよ。―――ウチの母の手の者も感心してたよ? 盗聴を試みようにもランダムに変更される特殊集波帯を用いていたから、どんな機材を使ってもノイズにしか聞こえなかったとか。その辺の指示何もされていなかっただろうに、手際が良すぎるよ」
その言葉の意味が、今度は正しく理解できてしまったからこそ、ダグマイアは震える自身を、隠しきれなかった。
「何の話を……していらっしゃる、のか」
夏の昼の中に相応しくない、冷たい汗が、頬を伝う。
解っている。目の前のこの男はやはり、何もかも解っているのだ。
「爆薬の量にしたってそう。あの最悪のタイミングでターゲットを消してしまうと、後々のリスクが大きすぎるから、本気で消してしまうわけにも行かなかった。だから、自身の判断で死ぬか死なないかギリギリの―――後で調べた時に、助かりようがあったと解る量にまで、爆薬を減らした。何故だか解る?」
突然硬くなったダグマイアの態度などお構い無しに、アマギリは薄い笑いを貼り付けたまま言葉を続ける。
いつの間にか女王による征進を始めており、次はダグマイアの手番だと、手で指し示している。
「……何故、でしょうか」
胆力を込めて、ダグマイアは言葉を返す事に成功した。城壁を築こうとする自身の指が、震えそうになるのを必至で押し留める。呑まれてはいけないと、叱咤しなければこの場から逃げ出したくなりそうだった。
「生き延びられる状況で死ぬようなヤツだったのなら、興味を持っていた誰も彼もが、直ぐに興味を無くしてしまうからさ。そうであれば、それを成した人間が攻められる筈もない。逆に生き残ったのであれば、必死の状況から見事に生還した危険人物として誰も彼もがいっせいに警戒レベルを引き上げる。そうであれば危険人物と主を一人で対決させるような状況を起こさなくて済むって公算で、全く、すばらしいアフターサービスだよね」
城壁を蹴散らし女王を更に推し進めながら、アマギリは哂う。盤上は既に支配しきっているかのように、超越的に、ダグマイアを哂う。
「それを私に、わざわざ直接指摘する意味は―――何だ?」
カンと。
側背より騎兵を強襲させながら、ダグマイアは叩きつけるように言った。
最早取り繕いようもなく、直接的な態度で。そうしなければ、押し負けてしまいそうな事が解っていたからだ。
そして、決して此処で負けてはならないのだと言う事も、ダグマイアは理解していた。
懐柔など、出来る筈もない。アマギリ・ナナダンは、全力で以って妥当しなければならない。
「私一人では―――貴様の相手に相応しくないとでも、言いたいのか?」
予備戦力まで投入して騎兵の奇襲を退けようとするアマギリを、僧兵の突貫でさえぎりながら、ダグマイアは吼える。進撃中の女王は退路を立たれて帰還も出来ずに、最早アマギリの王と騎兵を遮る壁は何一つ存在していない。
「何を言っているか解らないな―――っと」
胆力を込めたダグマイアの言葉を軽く往なしながら、アマギリは意味もなく王を逃がそうともがく。
そんな悪あがきを見過ごす筈もないダグマイアは、騎兵を堂々と進撃させる。
チェック。逃げ場は最早何処にも無かった。
「何時でも、勝てる。そう思っている事こそが思い上がりと言うものだ。私はまだ負けた訳ではない」
そして、今負けるのはお前の方だ。
逃がしはしない。する気は無い。決着の時は今だと、ダグマイアはアマギリを睨む。
しかし―――しかし、アマギリは強い口調で言葉を並べるダグマイアに、ただ肩をすくめる事しかしない。
まるでこの場の凍りついたような空気が読めないかのように。
何故なら。
「だって、ダグマイア君は、僕を殺そうとした事なんて一度も無いだろう? 僕の話の何処に、ダグマイア君の名前が出てきたのさ」
「―――な、に?」
お前は、何を言っているんだと。それは果たしてどちらの言葉だろうか。
アマギリの言葉は、単純だった。一度たりともアマギリは、ダグマイア・メストが事件の犯人であるとは―――間接的にそうだと取れたとしても―――言っていない。それ故に、アマギリの言葉は黒ではなく、黒の限りなく近いだけの灰色に過ぎない。
それなのに、ダグマイアはアマギリの言葉に釣られてしまった。
認めなければそれ以上何も起こらなかったはずなのに、認めてしまった。つまりは、罠に自ら踏み込んで。
そもそも何処から何処までが罠だったのか。
震えが、ダグマイアの全身を襲う。総毛立つ身を、掻き毟りたくなる様な恥辱を覚える。
目の前で哂う男が、どうしようもないほどに、憎い。
「本当に、駆け引きが苦手なんだな―――まぁ良いか。さて、僕の負けだね、これは」
椅子から立ち上がりながら、アマギリはテーブル脇に置いてあったガラスのベルを鳴らした。
控えの間に居から部屋に入ってきた使用人たちに、テーブルの上を片付けるように指示をする。
戦いは、これで終わり。
つまりはそういう事だった。
「なるほど、言うだけあって正面激突だと強いね、ダグマイア君。それに、中々有意義な事も聞けたし、この時間を持ててよかったよ」
椅子に座ったまま。ダグマイアには賞賛という名の侮蔑を受け入れるより他無かった。
「―――ええ。私の方こそ、有意義な時間を過ごさせていただきました」
はっきりと、貴様が倒すべき敵だと理解できたと、言外にそう言葉を込めてダグマイアは搾り出すように言った。
アマギリは軽い仕草で入り口へ向かいながら、良いよ、と首を振った後で―――思い出したように言った。
「ところでダグマイア君、一戦目の勉強の成果を、僕はちゃんと見せられたかな?」
「―――は?」
唐突な言葉に目を瞬かせるダグマイアに、しかしアマギリは返す言葉も無く。
ドアを開く使用人に礼を述べて、部屋を後にした。
残されたダグマイアは―――アマギリの言葉を、考えざるを得なかった。
勉強。一戦目。素人と嘯くアマギリに対して。ダグマイアの敗北。
「何だと……?」
今まさにテーブルの上から下げられたチェスボードを見送って、ダグマイアの脳裏に戦慄が走った。
アマギリ・ナナダンは言った。
相手に気づかれぬように、ギリギリで負けるその手腕。
それが、勉強になったとアマギリはそう言ったのだ。
然るに、二戦目。際どい所を地力で押し切ったダグマイアの勝利―――そうだった筈だ。
―――だが、アマギリの最後の言葉を真実と捉えるならば。
ガン。
未だ席を立たぬダグマイアの元へ、代わりの紅茶を運んできた使用人が驚くのも構わずに、ダグマイアは拳をテーブルへと打ちつけていた。
肩を震わせ、眉間を寄せて、歯を食いしばり。
「その、侮辱に見合った……っ!!」
最後を、惨めで無残な最後を与えてやると。
ダグマイアは、例えそれがどれほどの時間が掛かろうが、成し遂げて見せると、今はっきりとそう決心した。
・Sceane 17:End・
※ それが本当かどうかは、実は言っている当人にしか解らないのが一番の罠。
その辺までは解らないのがダグマイア様クオリティだと思うんだ。
このダグマイア様との暗黒チェスバトルはこのSSの書き始める前からやろうと思ってた話だったりします。
本当はもうちょっと早くやる予定だったのに、後に引っ張ったお陰で黒さが上がっちゃいましたね。
そんな訳でダグマイア様苛めも一先ず終わり、次回は第二部ラスト。漸く一年目の一学期が終わる……