・Sceane 19-2・
胃が痛い。
だから、このまま回れ右をして聖地に戻ったら駄目だろうかと言ってみたら、従者の年上の女性に思い切り睨まれた。
政庁としての機能を併せ持つ、広大な水路によって碁盤目状に区切られたハヴォニワ王城。その一角、王家専用の飛空艇の離着陸上に、アマギリ達を載せた飛空艇は着艇していた。
着艇と同時に瞬く間に空港人員により昇降機が設置され、外部接続ハッチへと案内されれば、後はそこに乗り込むばかりであるのだが―――アマギリは、昇降機の扉を前に足踏みすることとなった。
それは単純な理由で―――ようするに、ハッチへと続く通路の窓の向こう、下方に見える人影に問題があった。
幾人かの護衛と侍従を引き連れた少女の姿。
見なかったことに―――出来る、筈も無い。
ならば、とばかりにアマギリは回れ右をして後ろに続いていた三人の少女に振り返る。
「……此処は一つレディーファーストって事で、従妹殿から先に」
「たわけが。お主の祖国じゃろうが」
一撃で切り捨てられた。
「というか、昇降機なんですから全員乗り込む以上順番を決める意味って無いですよね」
逃げ口上を告げるアマギリを、ラシャラに続きキャイアまで苦笑しながら嗜める。
ユキネの態度は言わずもかな、いい加減覚悟を決めろというそれだった。
「いや、でもさぁ。……だいたい普段なら稽古事で忙しい時間だろ。何であんなところに居るのさ」
女三人に白い目を向けられても、それでも、アマギリとしては出来る事なら逃げ出したかった。下方で待ち構えている誰かの存在が、そうさせていた。
「美しき兄妹愛というヤツではないか、従兄殿。早う妾にも感動の再会の場面を見せてたもれ」
殊更古めかしい言い回しで答えるラシャラはようするに、状況を指差して笑っているのと同じ事だった。
「あのこまっしゃくれたマリア・ナナダンが、駄目兄貴を前にどのような醜態をさらすのか、実に楽しみじゃのう」
「駄目兄貴って、ラシャラ様……」
最早ラシャラは本音を隠す事すら放棄していた。キャイアまで心持ち胃が痛そうに見える。
ユキネは相変わらず何も言わない。微妙にいい薬だとか思っているのかもしれない。
「……嫌だなぁ」
昇降機の開閉ボタンに指を添えたまま、アマギリは誰にとも無くもう一度ため息を吐いた。
どうしようもなく自業自得だとは解っているのだが、それでも、なんとも言えぬ気まずい気分が胸の中で湧き上がってくる。
第一声をどうすべきか。いや、第一声に何を言われるのか。
何よりも何も言われなかった場合が一番怖いといえば怖い。
お帰りをお待ちしております。
そんな言葉で別れを終えて、それから三ヶ月。
心変わりするには充分な時間だろう。何しろアマギリは、この三ヶ月一切連絡を取っていなかったのだから。
所詮半年程度の付き合いしかない人間の事を、忘れてしまうには充分な間隔だ。
「……そんなに気まずいなら、どうして今日まで連絡しなかったの?」
せめて、聖地を出る前にでも一度連絡しておけばまだ良かったのにとユキネは呆れ交じりの言葉で言う。
実際ユキネは帰還前に一度アマギリ自身が王城に連絡するように言ったのだ。だがアマギリは、その忠言をあれやこれやと理由をつけて避け続けた。
そのくせ、いざ此処に到った時にそれを後悔するのだから、最早自業自得としかいえない。
棘の混じった従者の言葉に、アマギリはばつが悪そうに呟いた。
「……電話、じゃない。通信ってあんまり好きじゃないんだよ。低画質で補正された立体映像とかだと、相手の表情が読めないし、何を考えてるか読めないじゃないか」
嘘か本気か判断に迷う説明だった。
処置なし、とユキネが隠しようも無いため息を吐いて肩を落とした。
何時まで経っても煮え切らないアマギリの態度に、ラシャラがやれやれと苦笑しながら首を振る。
「いい加減覚悟を決めぬか従兄殿。確かにあのマリアのへちゃむくれの顔を拝むのが嫌だというのは同意するが、それでも嫌な事を後々まで放置しておくと、益々嫌になって、手を伸ばしにくくなってしまうぞ。言うなればあのへちゃむくれが更に……」
「誰がへちゃむくれですか、ラシャラ・アース」
ガコン、という音が昇降機から響いた。
金属質の匂いのする空気を吐き出しながら、鋼鉄製のスライドドアがゆっくりと開く音だ。設置された昇降機は密閉式のものだったから、外から見れば動いているかどうか、開くまで解らないのだ。
故に。
例えば気づかぬうちに昇降機が下に下りていて、下から上に人が乗って上がってくるなどという事態も、まるで予想できないものではなかった。
いや、下で待ち構えていた人間の性格を考えれば、まるで予想できていた展開ではあるのだ。
事実としてユキネは、唖然として目の前の扉が開いた事を眺めていたアマギリを呆れた眼で見ていたし、呵呵大笑していた主に苦笑していたキャイアも、扉の上のランプの点等により、昇降機が作動している事に気づいていた。
「……王女殿下」
「ええ、―――お久しぶりですお兄様。無事の再会、マリアは嬉しゅう御座いますわ」
ドアの前に立っていたアマギリと正面から向かい合うように、昇降機の中で一人立っていたのは、この国の唯一の王女、マリア・ナナダン。
年に見合わぬ嫣然とした微笑は、母親譲りのそれだった。
そしてそれが、アマギリにはどうしようもなく、恐ろしいものに見えた。
アマギリの内心の恐れを知ってか知らずか、マリアは楚々とした態度で彼の脇をすり抜けて昇降機より出でる。
歌うように、言葉を紡ぎながら。
「―――ええ、ええ。無事の再会。マリアはまこと楽しみにしておりましたのに。お出迎えに上がっても何時まで経っても姿も見せず。何か御身に危急の事態でも訪れたのかと心配のあまり上がってきてみれば」
「―――きてみれば?」
まるで舞踏会に挑むような優雅な足取りで進むマリアの言葉に、アマギリが頬を引きつらせながら問い返す。
笑顔が、まるで笑っているように見えなくて、いっそ恐ろしかった。
「ええ、きてみれば。―――可憐で儚い妹を差し置いて、まさかどこかのこまっしゃくれたへちゃむくれの金タヌキと仲良く談笑していようとは。マリアは悲しくて涙が出てきてしまいそうですわ」
「そのまま何処ぞの蛇女のように、涙で枯れ果てて干からびてしまえば都合も良いじゃろ」
芝居がかったマリアの言葉を、鼻で笑いながら嘲った者が居た。
ピシリ―――と言うか、いっそ”ギシリ”と鈍い音を立てて、空気が凍りついた。
一瞬頬を引きつらせたマリアはしかし、ふわりと髪を撫で上げながら流し目で尋ねる。
「―――何か仰いまして? こまっしゃくれのラシャラ・アース」
「おお、何処かの年増の血を引いているだけあって耳が遠くなるのが早いの、マリア・ナナダン」
今は玉座で政務中であろう何処かの年増と同じ系譜の血を引いてる事に関してはどちらも変わらないよなと思いつつ、言ったら酷いことになりそうなのでアマギリは何もいえなかった。
とりあえず、額を押さえて疲れたような態度をしているキャイア達の下まで退避している。
その間にも、当然だがマリアとラシャラのやり取りは続いていた。
「だいたいなんで、貴女がお兄様の船に同乗しているんですか。まさかシトレイユは外遊に際して他国の王家の船に便乗するような礼儀知らずの集まりとでも?」
「フン、自ら招いた賓客に対してこの物言い。いかにも小国の王女らしい、けち臭い事よの」
「あら、失礼。自分で賓客などとのたまう品性に問題のある人間を賓客として扱えるほど、我が国は気品に掛けておりませんの」
喧嘩と言うほど悪辣でもなく、ようするに似たもの同士の意地の張り合いではあるのだが、如何せん二人して身奇麗な美少女ではあるので、それがきつい口調でやり取りしているととても凄絶なものに見えてしまう。
二人の姫君が昇降機の前で言い争いを始めてしまったから、その他扱いされそうなアマギリたちは少し離れた場所に退避していた。
「仲が良いやら、悪いやら、ねぇ」
「喧嘩するほど、とは言いますけど。これが公の場でもこれに近い状況ですので、そこは……」
「……と言うかアマギリ様。他人事のように眺めている場合じゃないと思う」
完全に観戦の体だったアマギリに、ユキネが白い目を向ける。
「そうは言うけど、あの台風の中に飛び込んでいくのはちょっと、ねぇ」
「台風の発生原因は、主にアマギリ殿下だと思うのですが……」
放っておいてもラシャラとマリアが出会えば発生する事は間違いなかったのだが、今回の導火線はどう考えてもアマギリだろうと、キャイアも否定できなかった。
と言うか、他国の船の中で、しかも下に出迎えの人間を待たせたままで喧嘩を始めるのは、お忍びとは言え流石に外聞が悪いので止めて欲しいと、常識を弁えるキャイアは思わざるを得なかった。
だからと言って自分が台風に飛び込む気には決してなれないが。
「放って置いて先に行くってのは……」
「……そうやって、嫌な事は後回しっていうの、いい加減に直すべき」
「だんだん、言葉に容赦がなくなってきたよねユキネ。……って、何処行くのさ」
苦笑して話を逸らそうとするアマギリを放って、ユキネはキャイアを促して外部接続ハッチを後にしようとしていた。
チラリと、珍しく悪戯っ子のように笑った後で、ユキネはアマギリに言った。
「王家皆様方のご歓談を邪魔するわけにはまいりませんから、私たち従者一同は乗員勝手口を使用させて頂きます。……アマギリ様は頑張って、この場を納めて」
「へ、あ、ちょ……っ!?」
言うが早い。状況についていききれないキャイアの背を押すようにして、ユキネは接続ハッチを後にしてしまった。
一人、少女たちの喧嘩の現場に取り残される、アマギリ。
そろそろと、後ろを振り返る。
「だいたい、ラシャラ。貴女は何時も何時もそうやって……っ!」
「フンっ! そなたのように以って回ったやり口ばかり取るから、ああして……っ!」
「なぁんですって!?」
「何を言う……っ!!」
「……!!」
「!?」
二人の姫君のやり取りは、何時まで経っても収まる気配は無い。
恐らく、第三者の介入でもなければそれは、収まる事は有り得ないだろうから、アマギリは自ら進んで台風の中に飛び込んでいかなければならなかった。
「……僕が何をしたって言うんだ」
降って沸いた不幸を嘆くように、アマギリは心底からのうめき声を上げた。
”何もしていない事”が悪いんだと―――果たしてそれに、彼は気づいているのかどうか、それは誰にも解らない。
※ まぁ、私生活はダメな男である。
どうでも良いけどOHPの人気投票の結果が偏りすぎていて笑った。
ドールとキャイアが低めなのは、作品的にどうなの……。