・Sceane 19-3・
「ただいま戻りました、女王陛下。お久しぶりです」
「あら、久しぶり。―――マリアちゃん達はもう良いの?」
一枚板の執務机と壁を覆うように立つ書棚との距離が明らかに開きすぎている、仕事をしにくそうな女王執務室において、アマギリとフローラは再会した。
「王女殿下でしたらラシャラ王女と仲良くご歓談中ですので、席を外す事にしました」
何故か両の頬に三本船の横筋を腫らしたアマギリは、慎ましやかな態度で答えた。
「マリアちゃん、久しぶりのお兄様との再会を楽しみにしていたのに、つれないわねぇ」
「つられると錐揉みされて摩り下ろされそうな勢いでしたからね。―――というか、ああいう状況を希望してラシャラ王女を呼んだ訳じゃないでしょうね」
率直に言って酷いものだったキャットファイトの様子を思い浮かべながら言うアマギリに、フローラはまさかと笑って首を振る。
「そんな無駄な事をするタイプにではないでしょう―――お互い」
「―――お互い、ですか」
窓際に誂えられた歓談席にまで移動しながら、艶やかな、射るような笑みで言うフローラの言葉を、アマギリは眉根を寄せて問い返していた。
胸元に挟んでいた―――何の意味があるのかは解らないが、アマギリが来ると解って仕込んでおいたのだろうか―――扇子を取り出し、口元に当てながら、フローラはにんまりと笑って頷く。
「ええ、お互い。―――だってまさか、貴方が本当にハヴォニワに来てくれるとは思ってなかったもの、私」
「戻って来いって言ったの、女王陛下じゃないですか」
「あら、ちゃんと自主判断で黙殺しても平気なように仕向けたつもりだったのだけど」
侍従の入れた紅茶を受け取りながら、嫌そうにアマギリはため息を吐いたが、フローラは楽しそうに笑うのみだった。
「こちらの指示も聞かずに、散々聖地で好き放題暴れておいて、まさかあんなお願いを聞いてくれるとは思わないじゃない?」
「―――いや、待った。もとい、待ってください。僕は向こうで何か女王陛下の指示を受けたためしがないのですが」
むしろ、積極的に放置されていたじゃないかと言うアマギリに、フローラは肩をすくめて言う。
「一度も聞いてこなかったでしょう、貴方」
「―――いや、まぁ。……というか、今更それを言いますか」
「勿論私は、聖地での貴方の行動を縛るつもりなんてなかったけど―――でも、それは貴方がその事を確認しなくてもいいと言う理由にはならないでしょう?」
状況予測から来る思考展開で、フローラの思惑を読み取っていたアマギリは、それを真実として扱って、現実としての確認を怠っていたのは事実。
故にその部分を責められたとすれば、粛々と受け入れるよりなかった。
がっくりと項垂れて―――反省はまるでするつもりもないが―――アマギリは大きなため息を吐いた。
「―――まさか、こっちへ来て早々に、女王陛下からお叱りを受けるとは思いませんでした」
「あら、放蕩息子の帰郷に合わせて母親がやる事なんて、それくらいしかないでしょう?」
自分で好きに動くように仕向けておいて、良く言う―――とは、心底楽しそうなフローラを見ていると、言えそうになかった。
「それで、一人で好きに動いてみてどう? 楽しかったかしら」
空にたなびく雲が窓の格子から格子に移る程度には時間が流れた後、フローラはポツリと尋ねた。
アマギリは、執務室の窓の向こうに見える王宮の庭園―――記憶と違うように見えるのはきっと、見ている角度が違うからだろう―――を眺めながら、特に考える事もなく答えた。
「まぁ、一人じゃどうにもならないって処ですかね。楽しむ余裕なんて、とてもとても」
「何でもできるからこそ、一人を選ぶように見えたけど―――思い違いだったかしら」
「ゼロから、共通のスタートラインから始められればそうなんですけど、まぁ、お解りかと思いますが、中途半端に途中から状況に放り込まれてしまうと、動きが制限されすぎるんですよね」
フローラの言葉に、アマギリはあっさりと肩をすくめてお手上げでしたと言ってみせる。
「せめてもう一年前から始められてれば、やりようは幾らでもあったんですけど―――あそこまで状況が固定されてると、もう駄目ですね。場当たり的に対処するしかないです」
「それで自分の命だけをチップに、無茶を繰り返していたと」
「生憎、命以外に賭けられるものを持っていませんでしたから。一点張りで大穴勝負するないでしょう」
誰のせいでそうせざるを得なかった、等とはアマギリは一言も言わなかったが、フローラに解らない筈もなかった。
「腕利きの子たちを、つけてあげたつもりだったんだけど」
扇子を口元にあて呟くフローラを、アマギリは鼻で笑い飛ばした。
「他人の用意した駒を無条件で信用して使えるはずないじゃないですか。何時”本当の”主人のために動き出すか解らないし」
逆に監視されているようで非常に息苦しかったとぼやくアマギリに、フローラは嫣然と笑って答えることはなかった。
内心で、その辺りを踏まえても、あえて他人の駒まで動かす器量があれば一人前なのだがと考えている。
「―――じゃあ、貴方が聖地で信用できたのは、ユキネちゃんだけだったのかしら?」
考えている事をおくびにも出さずに話題を逸らしたフローラに、アマギリは苦虫を噛み潰したような顔で視線を逸らす。
口元に手を当て、目を細めて言葉を選んでいるその姿は、どうにも正対している母親にそっくりだった。
「どうなんでしょうね」
やがてぽつりと呟いた答えは、意外なほどに曖昧なものだった。
「―――僕はきっと、あの人が信頼してくれてるほどには、あの人のことを信用すらしていないと思うんですよね。人物の好き嫌いはさておいて、ですけど」
「人物の好き嫌いは別にある訳ね」
「プライベートの事なので黙秘します。―――まぁ、ようは外向きの話をしてしまうと、結局あの人も王女殿下の部下ですしね。余り信用しすぎちゃうのも、本人に申し訳ないかなぁって。ホラ、真面目な人ですし」
裏切り者の後ろめたさそのままの態度を見せるアマギリに、フローラは迂闊にも微笑んでしまいそうになった。
先ほどまでとは打って変わって自分の感情を持て余しているその姿は、どうしようもないほど年相応のものである。
こんな態度を見せられるようになっただけでも、聖地に行って正解だったと思うけれど。
それはフローラにとっては第三者であるからの発想であって、アマギリ本人としては難しい分岐路に立たされているつもりなのだろう。
今後この方向がどう転ぶであれ、フローラにとってはアマギリを縛る鎖が増えるのは良い事である。
アマギリに気付かれないように、扇子で隠した口元に笑みを形作った。
「その割には、ユキネちゃんの言う事は聞くみたいじゃない。こっちへ帰ってくる事を決めたのだって―――」
「まぁ、そうですね。あの人にきつく言われたからで、終ぞ自発的にこっちへ戻る気にはなりませんでしたが」
それは今でもです、と続けるアマギリに、フローラは微笑んで首をかしげる。
「さっきから聞いてるけど貴方、気づいてる? 自分では一度も―――”帰る”って言葉を口にしていないわよ」
さり気なく挟まれた言葉に、アマギリは目を瞬かせた。
言われて、自分の言葉を思い返せば、確かに。事実ではあるが別にだからどう、と思われるのはなんなので、言い訳がましく話を逸らした。
「だからといって、別に向こう―――聖地が帰るべき場所になったと言うわけでもありませんし、それにそう。生憎と帰る場所を探しているんだとか、そういう格好付けを望んでいるわけでもないですよ」
「そうよねぇ。アマギリちゃんはそんな自分探しなんて甘ったれた学生みたいな事は考えないわよねぇ」
アマギリの言葉にフローラは、それはもう楽しげに頷いた後で―――目を細めて、言った。
「だって貴方には、初めから帰る場所があるんだものね」
夕方も間近の穏やかな空気が、一瞬で凍りついた。
微笑む美女と、向かい合う―――笑っているような、無表情のような顔をした、少年。
向かい合い、視線を絡ませ、そして、失笑を浮かべたのはどちらが先立ったか。
「そうですね、ええ、その通り。そしてそれは―――少なくとも、此処ではない」
初めから、解りきっていた事実をそのまま告げるかのように、アマギリは感情のこもらぬ声でそう言った。
「あーあ、言っちゃった。マリアちゃんも可哀想に」
残念そうな口ぶりの割りに、フローラの顔は少しも残念がっているように見えなかった。初めからわかっていたことだと、彼女にとってはそういう事だ。
「時と場所と言うべき人くらいは弁えてますから、ご心配なく。―――尤も、王女殿下も鋭いところがありますから、既に察しているような気はしますが」
「そりゃあそうよ。私の大切な、一人娘だもの」
「そりゃ、ご尤も」
面倒そうに頭をかきながら言うアマギリに、フローラも好きのない笑顔で頷いた。
悠然とした態度を崩さないフローラの態度に、アマギリは困ったように微苦笑を浮かべている自分に気づいた。
一人娘、ね―――。
聞こえないように、唇だけを動かして。
少しだけ、寂しそうに。自業自得だと知りながら。
※ よく考えたらこの二人のサシのシーンって初めてですね。
そしていきなりマジトーク。まぁ、段取り芝居をする関係には見えないし、こんなものでしょうか。