・Sceane20-3・
「こんな天気の良い日に、何を好き好んで薄暗い地下室何かに居座っておるのじゃ、従兄殿は」
「……アレ、従妹殿。良くこんなところまで来れましたね」
薄暗い室内の隅。小さな書生机の前のリクライニングチェアに腰掛読書に勤しんでいたアマギリが、突然の声に顔を上げた。
巨大な書棚に遮られてうす暗がりとなった入り口付近の石造りの階段。そこに、一人の幼い少女の姿があった。
ラシャラ・アース。お忍びでハヴォニワに来国しているシトレイユの皇女の周りには、常なら必ず存在する供の姿が何故か見えなかった。
「この城には幼い頃より幾度となく訪れておるでな。恐らく、構造に関してはおぬしより詳しいぞ」
「今でも充分幼い人が、幼い頃なんて語るのもどうかと思いますが」
「ぬかせ」
ハヴォニワ王城。内裏、王文書庫―――と言っても、政庁にある公的なものとは別のものである。
外敵からの防衛のために、それなりに複雑な構造になっている王城の中でも、特に入り組んだ一角に存在する其処は、王家ゆかりの書物、文章を保管する巨大な書庫だった。
あくまで王家の私的なスペースに含まれており、それ故に王家に縁さえあれば―――つまり、休憩中にパラパラと捲った、程度の関わりさえあれば、片端から書棚に放り込まれていく。
そうして、歴代王族の趣味嗜好が渾然一体とした、一種近づきがたい空間が完成してしまった。
そも、王族ともあらば個人で専用の書斎を構えているし、必要とあれば従者に告げるだけでその書物は何処からともなく入手可能であるから、わざわざ他の誰かの趣味を調べることくらいしか出来ないこの雑然とした書庫にまで踏み込む人間は居ない。
それ故に、アマギリは一人で時間を潰したい時は好んでこの場所を利用していた。
一人で本に囲まれて時間を潰す。
アマギリにとって書物というのは知を象徴するものであり、その山に埋もれられているのは、至福の一時でもあった。
完全な趣味の時間であるため、つき従おうとする従者たちにも遠慮してもらうほどに、一人であると言う事を徹底している。
そんな時間を邪魔されるのは、些か心がささくれ立つ部分がある。
それ故にアマギリは、幼い少女に語るには些か意地の悪い話題を振る事にした。
「最近気づいたんですけど、其処の可動式の本棚を動かすと、簡単な寝室に行き着くんですよね」
「……まぁ、人目につかぬ場所じゃからの」
「初めて気づいた時は十年単位で使用されて無いって感じで埃被ってたんですけど、さっき確かめてみたら綺麗に内装がリフォームされてました。……使えって事ですかねぇ?」
「妾は遠慮しておくぞ。―――そういう事は、伯母上と致すが良い。と言うか、十年単位と言うと、お主の父親の代に使用されていたものではないのか」
素気無くアマギリの戯言を切り払いつつ、ラシャラは呆れたように言った。
「親子揃って同じ部屋で胤を植えるなど、中々に王族らしい話よな」
「そんな爛れた王家は滅んでいいと思いますがねぇ。だいたい、知っての通りその人と僕は他人ですし」
「おお、そうじゃった。すっかり忘れておった」
鼻で笑うラシャラに降参と苦笑しながら、アマギリは手ずから彼女のためにお茶を用意する。彼の趣味に合わせて、急須で入れた玉露だった。
「んで、人のプライベートに土足で踏み込んできて、何か用?」
自身の茶碗にも急須からお茶を注ぎながら、アマギリはいたってぞんざいな口調でラシャラに尋ねた。
「唐突に言葉使いが変わるの、お主」
「今は仕事中じゃないし。それに、外向きの言葉でキミと話してると、何時まで経っても堂々巡りになりそうだしね」
「おお、それは道理じゃの。―――しかしお主、それを踏まえるとマリアとの談笑は主にとって仕事に含まれていると言う事になるぞ」
態度をフランクなものに変えたアマギリをあっさりと受け入れながら、ラシャラは目敏くそう尋ねてきた。
アマギリは書棚に遮られて光量の足りない書斎をチラリと見渡す。
「……因みに、キャイアさんの姿が見えないけど」
常にラシャラの傍に侍っている聖機師の姿が見えない事を疑問に思い、アマギリは尋ねた。
アマギリの考察によるキャイア・フランと言う人間は、余り空気を読めない人だったから、居るのであれば迂闊な会話は避けたいと思っている。ラシャラもそれを理解しているのだろう、あっさりと頷いて答えた。
「うむ。慣れぬ他国で妾の背後に付きっ放しというのも疲れると思うての。今頃は、お主のユキネと剣を合わせている頃じゃろう」
「と言う事は王女殿下も……」
「一緒じゃろうて。それにしても、お主にとってマリアは”王女殿下”なのじゃな」
ついでにマリアの所在も確認するアマギリに、ラシャラは耳ざとく聞きつけた疑問を投げつけた。
するとアマギリは、少しも眉をひそめることもせずに、あっさりと頷いてそれを肯定してしまった。
「―――まぁ、そうだね。あの子はスポンサーの娘さんだから、必要以上に気を使ってる気もするかな。と言っても、別にラシャラ皇女が考えているほどには距離をとろうとしている積もりも無いけどさ」
第一印象がそのまま残ってそれを引きずっているだけだとアマギリは言う。
妙に弁舌が言い訳がましいのは、何か後ろめたい気持ちがあると言う事なのかもしれない。
それを聞いて、ラシャラは気づく事があった。
「なるほど、の。お主にとってマリアはあくまで”フローラ叔母の娘の”マリアなのじゃな。マリアはどこまでいってもフローラ叔母との関係を構築する上で付随するものに過ぎない、と」
アマギリにとって、マリアとの関係は彼女との一対一で築くものではなく、フローラとの関係の一部に付帯する要素としての関係性なのだと、ラシャラはそう理解した。
「マリアとの会話はフローラ叔母との関係に関わる事であるが故―――なるほど、その考えではあの者の前ではプライベートと言う訳にはいかぬか」
「―――ですから、そこまで深く割り切っている積もりも無いんですがね。始めの前提条件のままズルズルと、って感じですよ」
ハヴォニワ王城に来た当初は、当たり前だがアマギリが優先すべきだったのはフローラとの関係である。
気まぐれで連れてこられたのだから、気まぐれで切り捨てられない保障は何処にもなかった。
……過去形ではなく、それは今もだが。
それ故にアマギリには、マリアはフローラと関係がある人間の一人、と言うフィルターがかかっていた。マリア個人との関係性を築く前に、その向こうに居る筈のフローラとの関係を考える必要があったのだ。
「……考えれば、酷い話だよね」
「そりゃそうじゃ。向き合って話しているようで、そなた、あの者の事を見ておらんと言う事になるからの。女と談笑する時に、別の女の事ばかり気にしているなど恥知らずも良い所ではないか?」
「とは言え、今更改めるのも、ねぇ。何かホラ、説明しにくいけど、苦手なんだよねぇ」
「お主アレか、年上に甘えるのは得意じゃが、年下に慕われるのは苦手なのか?」
微妙な表情で言いよどむアマギリの言葉を、ラシャラが拾う。
アマギリの表情が固まった。自分では意識していなかったが、どうも図星を突かれてしまったらしい。
この男、こういう会話になると途端に顔色が解り易いものになるなと、ラシャラは内心面白がっていた。
「……よくお解りで」
「何となくじゃが、の。お主他のもの―――例えば叔母上辺りに対しては、上手く距離感を図って付き合えておるが、マリアだけは別じゃの。何処まで近づいても平気か、また、何処まで近づかれてしまうのかと、何時も何時も戦々恐々しておるように見える」
つまるところ、距離感がつかめていないと言う事だ。
一度腹を割って話してみればあっさりと解決してしまいそうな問題だろうに、それすらも何時切り出せば良いのか図りかねて、結局はお互いの隙間を埋めるように空虚な会話の積み重ねに興じている。
「まぁ、マリアのヤツもアレで相当へ垂れた部分があるから仕方ないかも知れぬが、お主の方が兄なのじゃから、少しは努力せねば拙かろうて」
「返す言葉もありませんね」
一度だけ、向こうから近づいてきてくれた事もあったというのに、その時もアマギリは返答を避けて―――挙句三ヶ月も連絡を取らない体たらくだった。正に駄目人間である。
「まぁ、妹ではなく娘として関係を深めるつもりだから今はそのまま、と言うのであれば妾は何も言わんが」
ニヤリと笑ってラシャラは混ぜっ返す。
「尤も、そちらの方もお主、回答を避けて逃げ回っておるようだがの。端で見て居る分には面白いから、それはそれで一向に構わんが」
本当に、向けられる厚意―――いや、好意か。現状そこから逃げ回っている状態なので、何も言い返せない。
「どうせ、最高の女に口説かれても指の一本も動かせないヘタレだよ、僕は」
したり顔で語る、男女の機微の何たるかを到底理解できているとは思えない幼い少女に、アマギリはぼやくことしか出来ないのが悔しかった。
ハヴォニワに戻ってから、どうにもこの辺の内容の会話ばかりしているような気がするな、と頭を抱えたくなった。思春期の少女たちと言うのは、たちが悪い。―――いや、元々の原因は妙齢の美女の発言なのだが。
「お主も男性聖機師なのじゃから、手際よく女をエスコートする方法を覚えねばいかんぞ」
「仕事の付き合いはちゃんとしますよ」
ニヤリと笑って言うラシャラに、アマギリは憮然と返す。内心、まだこのラインの会話を続けるのかと考えていた。
「歳の割にはその辺りに対する興味嗜好が欠けているように見えるの、従兄殿。―――よもや、既に聖地で何処ぞの教師か女性聖機師辺りに手を出して、手痛い失敗をしたという訳ではあるまいな」
「もの凄い余計なお世話で薮蛇な気がするけど、自分の名誉のために一応言わせて貰うぞ。断じてそんな事は無い―――と言うか、諸々の事情で、僕に手を出そうと考える女の子が居ないって事なんですけど」
「おお、そう言えばお主には色々と事情があったのじゃったの。例えばそう、奇怪な形状の聖機人や、女神の―――」
「ノー、コメント」
したり顔で頷いたまま、滔滔と語りだしそうだったラシャラの言葉を、アマギリはその一言で封殺する。
突然話を遮られて、苦いものを口に含んだような顔になったラシャラに、アマギリはニヤリと哂いかけた。
「言ったでしょ? ―――仕事はちゃんとするって」
「……遊びが足らん男じゃの、従兄殿め」
「褒め言葉として受け取っておこう。―――んで、本題はその辺りで良いの?」
「なんじゃ、きつい顔して遮った割には教えてくれるのか」
自分で話題を振っておきながら、どうせ聞けるとも思っていなかったらしい。ラシャラの目が点になった。
「―――仕事は、ちゃんとする方なんで」
アマギリは肩をすくめて皮肉気に笑った。
「そうじゃの、お主との雑談はそれ相応に好ましいものではあるが、妾も仕事はきちんとせねばの。留守を任せている者達に申し訳が立たん」
「それはまた、ご立派なお考えで」
「ぬかせ。―――さて、それとしてもまずは、何処から話さねばならぬか」
腕を組んで悩む振りをしてみせるラシャラに、アマギリは投げやりに言った。
「僕が貴女に、―――ハヴォニワがシトレイユに賠償を請求するって話し辺りからで、どう?」
道理じゃのと、ラシャラは二コリと頷いた。
それは、互いにとって共通の懸案事項とも言える人物達についての話しだった。
※ 次回は久しぶりにギスギスしたノリで。
で、ギスギスする時と言えばあの方。まぁ、別に登場するわけでは無いですが。