高町雄介はおよそ一年の間、行方不明になっていた。
雄介が最後に目撃されたのは、大学の講義が終わり、サークルの友人たちと一緒にカラオケ店で遊んだ時が最後である。
友人たちと笑顔で別れた彼は、その後自宅に戻った形跡が見られず、数日経っても消息がまったくわからないため、家族はついに警察に捜索願を出したのだった。
行方不明者となった雄介の捜索に警察は尽力した。聞き込みを行い、近くの監視カメラも全て洗い、雄介が一人暮らしをしているアパートの自室に至っても徹底的に調べ、どこかに彼が失踪する手がかりがないか、それこそ目を皿のようにして探したのである。
しかし、いくら捜査範囲を広げ、草の根を分けるどころか引き抜いて更地にするような気迫を以って捜索しても、ついぞ一つの手がかりすら見つけることが出来なかったのである。
わかったことは唯一つ。高町雄介はカラオケ店を出てから自宅であるアパートまでの、徒歩わずか十数分の距離で忽然と姿を消した。それだけであった。
この事実はマスコミを伝って世間を大きく驚かせるとともに、賑わせた。
曰く、現代の神隠し――。
各紙・各局はそんな見出しでこの失踪劇を取り上げたのである。
雄介の家族は連日取材と称して迫ってくるメディアに嫌気が差したが、同時にメディアを通じての雄介への呼びかけを行っていた。マスコミの対応は正直に言って鬱陶しかった。しかし、メディアが持つ影響力はよく承知していたからである。
だが、そんな家族の努力も実らず、一ヶ月……三ヶ月経っても雄介は見つからず、次第にマスコミが取り上げる話題も他の新たな出来事に移っていく。雄介の失踪は緩やかに世間から忘れられていった。
しかし、それでも雄介の友人たちや家族にとって、彼の失踪は何ヶ月経っても変わらない重大な関心事であった。忘れることなど、出来るはずがなかったのである。
それでも、雄介がいなくなって半年を越えた辺りから、彼らにもわずかに諦めの空気が漂っていたのは仕方がないことだろう。
警察は変わらず捜索を続けてくれているが、それでも何の手がかりも見つからないのである。つまり、進展はゼロ。この状態で希望を持ち続けろというのも酷な話であった。
そうして半年が過ぎ、一年が経ち、家族の中にも悲観的な考えが蔓延しそうになった、そんな時であった。
ある日、自宅で家事をしていた雄介の母は、突然鳴った呼び鈴に家事を中断して玄関に向かった。そして、扉を開いた先にいた人物に、彼女は声もなく目を見張り、次いで大粒の涙を流しながらその人物を抱きしめたのだ。
そして、それを受け止めた彼は、一言ごめんと呟き、ただいまと応えたのである。
――そう、現代の神隠しとして行方不明となっていた男、高町雄介。その突然の帰還であった。
「――本当にご迷惑をおかけしました。失礼します」
扉を開いたまま最後にもう一度だけ頭を下げ、雄介は扉を閉めて部屋を辞した。
彼が今までいた場所の名前は理事長室。一年もの間大学を無断で休んでいた彼は、自分が通っているということで少なくない迷惑をかけたことへの謝罪と、どうにか復学させて欲しいという嘆願を直接理事に訴えるために、理事長と直に顔を合わせていたのだった。
事情説明なども求められた時には、いかにも怪しげな理由を何とか説明したが、理事長はどう見ても納得してない表情だった。それこそ、帰還後に警察に説明した時と同様に。
しかし本当のことを言えるはずもない彼は、嘘をつくことを心苦しく思いつつも何とかその理由で納得してもらうしかない。そのため、彼は説き伏せることに四苦八苦し、結果として非常に精神を疲れさせることになっていた。
「はぁ……。この三日、気が休まらないなホント……」
理事長室の横の壁にもたれながら、雄介は溜め息をつく。そして、とんでもなく疲労が募るこの三日間を思い起こし、もう一度溜め息をついた。
雄介が戻ってからは、怒涛のように様々なイベントが彼に襲い掛かった。
家族との再会と事情の説明。そして警察への連絡と警察への説明。また一時はマスコミで取り上げられたこともあり、マスコミは帰ってきたばかりの雄介にも押しかけてきて、慣れない事態に雄介は上手く対応できず疲れてしまった。
しかも未だに全てが終わったわけではない。家族は雄介の話に半信半疑であるし、警察も雄介の話はおかしいと思っているだろう。つまり、事情説明はまだ続くということである。そしてマスコミもまだ雄介の周りについて回っている。さすがに家や大学に押しかけるような真似はしてこないが、外に出た途端にマイクを向けられるのはあまりいい気分ではなかった。
この三日で、芸能人の苦労を雄介は実感した。雄介としては、特に知りたくもなかったことではあったが。
そして今、雄介は大学への対応に追われていた。まずは理事長への謝罪と復学の嘆願。これについては、思いのほか理事長が雄介に同情的だったこともあって、特に問題なく片付きそうであった。
もしこれもこじれて長期化するようなら、雄介はそれこそもう一度失踪したくなっていただろう。
それほど、この三日は雄介を疲れさせていたのだ。
「あー……あっちの世界に行きたいなぁ。癒しが欲しいよ、癒しが。具体的には娘の愛が」
金髪オッドアイという個性的な容姿を持つ娘の姿を脳裏に描く。想像の中の娘は雄介のことをパパと呼び、天使のような笑顔を振りまいていた。
やばい、可愛すぎる。なんという萌え。もうパパ死んでもいいとすら思った自分は、きっと間違いなんかじゃない。そんなことを思う雄介の顔は、実にだらしなく緩んでいた。
周囲からも親バカと言われていたのは伊達じゃない。雄介にとって娘の存在は究極の癒しなのだ。もちろん恋人も負けず劣らず大切で究極的存在だが、恋人に向ける愛情と娘に向ける愛情は違うものだ。いま雄介が求めているのは、恋人との語らいではなく、娘との癒しであるだけのことだった。
とはいえ、いくらなんでも何の問題も片付いていないまま向こうに行くわけにもいかない。ましてや、彼女たちをコッチに呼ぶなんてもっての外だ。まずはこっちの問題を片付けること。それが最優先事項だと雄介は自分に言い聞かせた。
こっちでのゴタゴタを片付けておかなければ、彼女たちはコッチに呼べない。いや、呼ぶこと自体はできるのだが、そんな状況で呼んでも彼女たちに迷惑をかけるだけである。だからこそ、雄介はまずコッチの状況をある程度落ち着かせなければならなかった。
「家族にも紹介しないといけないしな……。実は娘が出来ました、なんて言ったら母さんどう反応するかねぇ」
両親の反応を想像する。平手が飛ぶ、卒倒する、認めない、などなど。どんな反応だろうと、面倒なことに変わりはなさそうだった。
雄介はさらに溜め息をつく。そして気持ちを切り替えた。
先のことを想像したところで、所詮は想像。そんな益体もないことを考えるよりも、まずは目先の問題を片付けていかなければいけない。
そう切り替えると、雄介はもたれかかっていた壁から背を離し、理事長室を離れていった。
次はどこに行き、何をして、その後どうして、何をするのか。マルチタスクと呼ばれる向こうの世界で身につけた多重思考技術を駆使しながら、雄介は向かうべき場所へと向かうのだった。
雄介が帰還して一ヵ月後。
世間はようやく“神隠しからの帰還”を過去のこととして注意を向けなくなりつつあった。
例えばマスコミが押しかけてくることもなくなったし、テレビでその話題を見ることも少なくなった。
また、警察も雄介が話した事情を怪しいと思いつつも、まったく悪事の気配がない上に雄介が言い分を変えないことから、結局雄介の言い分で納得することにしたようだった。警察も他に沢山の事件を抱えているのだ。既に解決した事件にいつまでも関わっていられないと判断するのは自然な流れだった。
そうして、ようやく雄介の周囲は落ち着きを取り戻しつつある。明日からは大学に復帰することにもなっている。帰還してから一度だけ友人たちとも顔を合わせているが、これからはまたカラオケに行ったりと普通に遊ぶことも出来るようになるだろう。そう考えると、懐かしさがこみ上げてくる雄介だった。
なにしろ、一年以上も雄介はコッチの友人と会っていないのだ。みんなでカラオケに行くということに懐かしさを感じるのは当然だった。向こうではそんな暇なんてなかったことだし。というか、そもそもミッドチルダにカラオケはなかったのだが。
そんなわけで、雄介はようやく「周囲の状況が落ち着いたから近いうちに呼ぶ」という旨を向こうにいる恋人に伝えることが出来たのである。
その連絡に対して、雄介と名字を同じくする恋人は娘と共に喜んでくれた。向こうにいる時から雄介の故郷に興味を示していた彼女だから、それは当然のことなのかもしれないと雄介は思う。
とはいえ、彼女の出身地とほぼ同じ雄介の故郷になぜそこまで興味を示すのか、雄介はよくわからなかったのだが。ちなみにその疑問を彼女の親友でもある部隊長に訊いてみたところ、
「そりゃ、恋人のことを知りたいからやないか? どんなところで生まれて、育って、生きてきたのか。そういうことを知りたいんやないかな。……つーか、それは彼氏のいない私に対する当てつけか、自分?」
というありがたい言葉をいただいた。ちなみにその後は愛想笑いと共にそそくさと立ち去った。
扉を閉めたあと部隊長室から「なんでカレシができんのや――ッ!」という叫びが聞こえてきた気がしたが、雄介は全力で無視したので聞かなかったことにしている。
そんな過去の出来事を思い起こしつつ、雄介は遠く離れた恋人とのやり取りを楽しむ。あまりの遠さゆえに映像の通信が出来ないのが残念だが、文章だけでも特に不都合はなかった。要するに携帯のメールと一緒なのだから。
そうしていくつかやり取りする中で、娘がとても会いたがっていて寂しい思いをしているということを聞き、雄介は何とも申し訳ない気持ちになった。雄介の中で、娘と恋人はぶっちぎりで大切な存在だ。その娘が寂しがっているというのは、雄介としても心を痛めることだった。
正直に言えば明日呼んでも問題ないといえば問題ないのだが、少しは様子を見たほうがいいだろうという思いがあった。二人が面倒なことに巻き込まれるのは嫌だったからだ。
そんな雄介の慎重な考えは彼女にもわかるようで、彼女は娘を説得する方向で動いてくれるようだった。
雄介はそれに感謝して、よろしく頼むと伝えた。
それから向こうでの近況などを少し話した後、二人は通信を切った。そろそろ夜も遅くなっていたからだ。
ベッドに入り、雄介は何気なく天井を見つめた。
向こうでのことや皆が気になるのは事実だが、まずはコッチの日常に慣れなければならない。なぜなら、雄介の出身は向こうではなくコッチなのだから。
雄介は向こうの皆の顔を思い出すと共に、明日久しぶりに行くことになる大学と友人たちのことを楽しみにしながら瞼を閉じるのだった。
翌日。
一年間いなかったことで留年となった雄介は、一年前と同じ講義を聴きながら授業時間をぼーっとして過ごした。もともと勉強熱心ではなかった雄介は、一年ぶりの講義には懐かしさを抱けなかったようである。
そうして時間が過ぎると、昼休みの時間がやってくる。
教室を出ると同時にサークルの友人たちに捕まった雄介は、引きずられるようにして学内の食堂に連れて行かれた。
それぞれ適当なメニューの食券を無言で買い、無言で並び、無言で食事を受け取る様子に何かうすら寒さを感じる雄介だったが、どうにも発言を許さないような空気に呑まれて結局雄介もテーブルにつくまでは喋らずじまいだった。賑やかな食堂内において、実に不気味な一団に映ったことだろう。
そしてそれぞれが頼んだメニューを受け取って全員が席に着くと、サークルの長にしてニックネーム「部長」という直球なあだ名を持つ雄介の親友が、ずいっと身体を雄介のほうに乗り出してきた。
「……で?」
「は?」
部長の口から飛び出したいきなりの「で?」に雄介は困惑した。主語や目的語どころか、その前に一言も発していないのに「で?」とは何のつもりだろうか。これでは何を聞きたいのかわかるはずもない。
だというのに、そう思ったのは雄介だけだったらしい。何故なら一緒に座っている友人たちは一様に部長に同意を示すようにうんうんと頷いていたからだ。
どうやら判っていないのは自分だけらしいと悟った雄介は、若干面倒くさげな雰囲気を醸し出しつつ、部長に問いかけた。
「……で、って何が?」
そんな問いに、部長は一瞬怪訝な顔を見せたが、すぐに何やら得心がいったとばかりに「ああ」と声を出し、次いで悪かったと謝罪を口にした。
「いや、俺たちにとってはもう何を聞きたいかは共通認識だったから、つい同じノリで雄介にも聞いちまった。悪い。……で、あーっとつまりだな。俺たちが聞きたいのは、お前にいったい何があったんだってことなんだが……」
さっきとは違って少し聞きづらそうに尋ねてくる部長を見つつ、そういえば前はホントに会っただけだったなと雄介は思い出した。
コッチに帰ってから、一度だけ友人たちとも顔を合わせたのだが、その時はまだゴタゴタが続いていて、とても何か話ができる状態ではなかった。互いに顔を合わせ、少しだけ近況を話すだけの再会だったのだ。
なるほど、それを考えれば自分に何があったのかを知りたいのは当然か、と雄介は納得した。
さて、部長たちが何を聞きたいのかは判ったが、どう話したものかと雄介は思案する。
さすがに異世界に行ってましたと言ったところで、黄色い救急車を呼ばれるか、哀れみを込めた優しい目で見られるだけだろう。それはさすがに御免こうむりたい。
かといって、詳しく話すわけにはいかないしなぁ。
うーんと雄介が腕を組んで唸っていると、部長は何とも気まずそうな表情で口を開いた。
「あー……なんか、言いづらいなら言わなくてもいいんだぞ? その、なにか辛いことがあったりとか、かもしれないし」
歯切れが悪く言われたその言葉に、雄介は思わず顔を上げた。
見れば部長は、いかにもマズイことを聞いてしまったというような顔をしており、周りの皆もだいたい同じ感じだった。
なぜだ、と雄介は疑問に思うが、すぐにその答えにピンときた。
よくよく考えれば、雄介は一年もの間消息を絶っていたのだ。その間、当事者ではない彼らは雄介がどんな境遇にあったのかを知らない。
拉致監禁拷問強制労働etc……考えられる可能性は無限大だ。彼らにしてみれば、この件はいわゆる某国への拉致事件のように感じているのかもしれなかった。
だとすれば、彼らのこの表情も納得が出来る。雄介自身はむしろこうなってよかったと思っているが、彼らにそんなことがわかるはずもないのだから、そういった想像をするのは当たり前のことだった。
失踪したのが親しい友人となればなおのこと。雄介のことを彼らは心配したに違いなかったのだ。
そのことに思い至った雄介は、急に彼らに申し訳なくなってきた。確かに向こうでは色々あったが、ぶっちゃけ楽しんでいたのも事実なのだから、後ろめたくなるのも仕方なかった。
雄介はその気まずさを振り払うように、彼らに明るく笑顔を見せた。
「あはは、いや、大丈夫だよ。ホントのところ、俺って向こうでの生活楽しんでたしな。コッチに帰れなかったのは仕方がないことだし、向こうの人にもよくしてもらってたから」
そう告げると、彼らはしばらく雄介の顔を見つめた後、その言葉に嘘がないと判断したのか一様に息をついて肩の力を抜いた。
「……ったく、なんだよ心配させやがって。とりあえず、何かヤバイことにはなってなかったんだな?」
「まあ、な。悪い、心配かけたみたいで……」
「いや、いいよ。思ったより元気そうだったから酷い目には遭ってなかったのかもしれないとは思ってたんだけど、確認したくてな。でもまぁ、これで安心した」
な、と部長が仲間たちに振ると、彼らも口々に「よかった」「心配したぜ」と笑顔で返してくれる。
一年もの間、自分のことをこんなに心配してくれていたのかと思うと、雄介は申し訳なく思うと同時に嬉しかった。家族が自分の帰還を泣いて喜んでくれたときのように、自分を受け入れてくれる居場所というものの素晴らしさを雄介は感じた。
「さて、話はこれぐらいにしようか。これ以上は雄介も話しづらいみたいだしな」
「え?」
部長の言葉に、雄介は意表を突かれたのか驚きの声を上げた。
そんな雄介に、部長をはじめとする彼らはそろってニッと歯を見せて笑う。
「入学以来ずっとつるんでるんだ。それぐらいわかって当然だろ?」
その言葉に、みんなが「そうそう」「雄介はわかりやすいしなー」「言いたくなったら聞くからさ」とそれぞれが笑って追随する。
「………………」
なんとも自分のことを理解している友人たちに、雄介は言葉もない。
一年経って、いつの間にか彼らのほうが先輩になっていても、自分たちの関係は何も変わっていない。そのことを自然と感じることが出来た。
コッチに戻ってきてよかった。こいつらと友達でよかった。
雄介はその幸福を強く実感するのだった。
「で、どうする? またカラオケにでも行くか?」
「雄介の復活歓迎パーティーか」
「いいね。ボーリングにも行こうよ」
「全員が集まるのは去年の男だらけの夏合宿の打ち上げ以来かぁ」
「……言うな。悲しくなる」
ワイワイと昼飯を食べながら雄介の帰還祝いについて話し始めた友人たちは、あーでもないこーでもないと案を出し合う。途中、彼らの心を抉る話題も入っていたが、その件はスルーすることにしたらしい。
そして雄介も自然とその輪に加わり、どこに行くか、いつ行くかの計画を立て始めた。それこそ一年前のただの大学生であったときと同じように。
雄介は久しぶりの友人たちとの時間を思いっきり楽しむのだった。
「――よしっ、決まりだ! まずはこの後カラオケ! で、朝まで飲み会だ!」
「異議なし!」
「要するにいつも通りだよね」
「まあいいじゃないか」
結局、雄介にとっても馴染みのコースを辿ることになった雄介の歓迎会は、ノリのままにこの後から決行されることに決まった。
そういえば、いつもこういう感じだったよな、と雄介は一年前を懐かしむ。こうして集まって、喋って、適当に何をするか決めて、みんなで遊ぶ。一年では変わらなかった自分たちの習慣。その変わらない様子は、雄介にとって何よりの歓迎祝いだった。
「雄介、このあとは講義ないよな?」
「大丈夫だ」
雄介が頷くと、部長はテーブルを軽くパンと叩いた。
全員の目が自分に集まったのを確認して、部長は口を開く。
「久しぶりの全員集合だ! 今日は盛り上がって――」
「パパ!」
勢い込んで盛り上がっていこうと言おうとした部長の言葉を、幼く高い声が遮った。
昼の混み合った学食内であっても、その大きな声はよく響いた。
その声の発生源に、学食にいる多くの学生の目が向けられる。
大学内であまり聞くことのない子供の声、そしてこれまた学内で聞く機会の少ない「パパ」という単語。これに加えて、その声を発したのが金色の髪と左右で虹彩色が異なるオッドアイの可愛らしい幼い少女だったのだから、注目の視線が向くのは必然であった。
とはいえ、いきなり多くの目に晒された彼女はたまったものではない。あんなに大きな声で呼びかければこうなることはわかりそうなものだが、幼い彼女はまだそこまでの判断は出来なかった。
ただ、大好きなパパを見つけたから、嬉しさのままに呼びかけてしまっただけなのだ。
その証拠に、見る見るうちに彼女の目に怯えの色が混ざり、心なしか涙も滲み始めていた。
これには突然の娘の登場に放心していた雄介も我を取り戻した。
そして、学生としての外面や体面に躊躇することなく、大きな声で娘の名前を呼んだ。
「ヴィヴィオ!」
雄介の声に、友人たちが驚きの表情で雄介を見る。
そして呼びかけられた娘――ヴィヴィオは、雄介に向かって一目散に駆けてきて、そのままの勢いで腕を広げた雄介の胸に飛び込むのだった。
「パパぁ!」
「ぐふっ……、ヴィ、ヴィヴィオ……どうしてここに?」
ヴィヴィオの頭がいい感じに鳩尾に入った雄介は、若干むせながら問いかける。
しかし、よほど大勢に見つめられたのが怖かったのか、ヴィヴィオはぐずるだけで要領を得ない。
仕方なく雄介は抱き締めたヴィヴィオの背中を撫でて、落ち着くのを待つのだった。
しかし、そんな雄介は学食中の注目の的だった。明らかに日本人ではない上に、五歳ほどと思われる少女にパパと呼ばれる大学生。そのことに周囲の人間が様々な憶測を抱いてしまうのは当然の流れだった。
そして疑問を持ったのは部長をはじめとする友人たちも同じだった。雄介と付き合いの長い彼らは、雄介にこんなに大きな歳の娘がいないことを知っている。そもそも、自分たちと同じく雄介には彼女すらいなかったのだ。
それを知っている彼らは、あるいは周囲の人間よりも雄介とヴィヴィオの関係に疑問を抱いたのである。そして雄介の友人である彼らは、雄介に誰よりも話しかけやすい立ち位置にいた。
雄介はしがみつくヴィヴィオの背を撫で続けている。そんな雄介に、部長は意を決して声をかけようとするが……結局声をかけることはなかった。
なぜなら、その前に学食の入り口から雄介の名前を呼ぶ声を聞いたからだ。
「ヴィヴィオ! 雄介くん!」
さっきの少女よりは抑え目の、しかしそれなりに大きな声で二人の名前を呼んだのは、学食にいる学生たちと同い年ほどの少女だった。
そしてその少女の登場に、学食内の視線は先程とは別の意味でまた集まった。
長い栗色の髪をサイドでポニーテールにした彼女は、軽く走ってきたのか少しだけ息を弾ませて学食内に入ってきた。心配げに揺れる紫色を帯びた瞳が、雄介に抱きつくヴィヴィオの姿を見て安堵の色に染まる。
そして自分に集まる視線に気づき、頬を赤くして足早に雄介の下へと歩み寄っていった。
新たに学食に現れたのは、彼らと同年代のまごうことなき美少女だった。ちなみに集まった視線の大半は男子のものであったのは言わずもがなである。
学食中の視線に晒されながら、少女は雄介の下に辿り着き、聞く者を安心させるような柔らかい声音で雄介にしがみつく小さな背中に声をかけた。
「ヴィヴィオ」
その声を聞き、雄介にしがみつくばかりだったヴィヴィオは後ろを振り向き、声をかけた人物の姿を捉えると、今度は彼女に抱きついた。
「なのはママ!」
その発言で、学食内がざわりと揺れた。
自分たちと同年代の二人をパパママと呼ぶ五歳程度の女の子。その光景を見た彼らの中にどんな想像が広がったかは知る由もないが、何らかの衝撃を与えたのは確実だったようである。
そしてそれよりも更に衝撃を受けたのが雄介の友人たちであった。
自分たちと同じ彼女いない暦=年齢の同志が、なぜか幼女からパパと呼ばれ、同年代の美少女と交流を持っていて、さらにその美少女がママと呼ばれる。
どういうことなの……。そう思わず呟いた部長の反応は至極真っ当であったといえるだろう。
「なのは……なんで、コッチに?」
二人の突然の来訪に驚いたのは、なにも周りだけではない。当事者である雄介も同じだった。近いうちに呼ぶとは言ったが、まさか呼ぶ前から来てしまうとは想像もしていなかったのだ。
そんな思いを込めた雄介の疑問に、なのはは曖昧に笑ってお茶を濁そうと試みる。
「にゃはは……えっと、その、ヴィヴィオに昨日の夜雄介くんが言ってたことを伝えたらね? じゃあ今日行く! って言って聞かなくて……」
「………………」
つまり、“明日呼んでも問題ないといえば問題ないんだが”の部分を聞いたヴィヴィオが、我慢できなくなってなのはに我がままを言ったというのが真相のようだった。
しかし、それなら叱って止めるのが母親の役目というものではないだろうか。そう思った雄介はじっとなのはを見つめてみる。もちろん、そんな気持ちを込めて。いわゆるジト目というやつだった。
そんな雄介の視線を受けたなのはは、うっと居心地の悪い気持ちに呻いてみるも、状況が変わるはずもなし。
雄介の視線を受けて、なのはは目を逸らしながら、実に言いにくそうにごにょごにょと呟きのごとき声を発した。
「えっと……ヴィヴィオもだけど……わ、わたしも……ゆ、雄介くんに早く会いたかったし……その、いいかなーって……」
そこまで言って本格的に照れくさくなったのか、なのはは顔を真っ赤にして腰の辺りに抱きつくヴィヴィオの頭を撫でてヴィヴィオを慰め始めた。ちなみに、雄介の視線を意図的に避けているのはバレバレだった。
そしてなのはの不意打ちのような可愛らしい台詞に、雄介もまた盛大に照れていた。
そもそもこれまで彼女がいなかった雄介にこういったものへの耐性は全くない。だからこそ、こういうことを言われると雄介もまたどんな対応をとればいいのかわからなくなってしまう。
つまるところ、お互いにまだまだ恋愛初心者であるというのが、二人して顔を真っ赤にして黙るという奇妙な空間を作ってしまったといえる。
とはいえ、そんな二人だけの世界の外側にいる人間にとって、その光景は実に目に毒であった。主に独り身の人間にとって。
とりわけ雄介と長く付き合いのある部長たちにとって、雄介に彼女が出来たらしいという事実は、雄介帰還と同じか上回るぐらいのトンデモ大ニュースであることに間違いはなかった。
「……おい。雄介の奴、一年間失踪してたんだよな」
「……ああ」
「俺たち、ずっと心配してたよな。何かヤバイことに巻き込まれたんじゃないかって」
「ああ」
「で、帰ってきたと思えば、美人の彼女持ち、美少女娘つきって……」
「それなんてエロゲ?」
「羨ましいな……」
「ああ」
「なのはさん、だっけ? 美人だよな……」
「ああ」
「………………」
「………………」
「雄介の奴、いったいこの一年の間に、何があったんだ?」
「さあ、なぁ」
学食中の視線を独り占めしている友人の姿を、彼らは見やる。
一年間の失踪。その間に、雄介の身に何が起こっていたのか。それは雄介ではない彼らにはわからない。
しかしただひとつ言えることは、雄介が自分たちよりも一段階上の存在になってしまったという事実だけだった。
高町雄介、二十歳。彼が一年間どこに行って、何をしていたのか。
それは運命の悪戯というものに出会った者だけがわかる、物語のような現実のお話なのであった。
==========
あとがき
やっちゃったZE☆
現実→なのは→現実という、なんとも無謀な試みをしてみました。
ちなみに主人公の高町雄介君は、なのは世界の高町家とはなんの関係もありません。ただ同じ名字というだけです。
で、次元漂流者→管理局保護→なのはと同じ名字だ→原作関係者が興味を持つ→なのはと接触、みたいなご都合的流れの結果こうなったと思っておいてください。
まあ、一発ネタなので気楽に読んでもらえればと思います。
それでは。