「ややや……やめろぉぉぉおおおおおぉぉぉぉおおぉおぉ……!!」
「ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた」
「ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた」
狭い馬車の中でガイが悲鳴を上げている。アニスが楽しそうにガイにぺたぺたと触っていて、ついでに何故かジェイドまで悪乗りしていた。どうやらあの機械の広間では発生しなかったガイの女性恐怖症のエピソードは、アリエッタ戦後の屋上で起こったらしい。特訓だ克服だとなんだかアニスはノリノリだ。狭い馬車の中では逃げ場もなく、ガイはそれはそれは顔を青くしながら涙目になっていた。
ティアが一度やりすぎだと止めようとしたのだが、やはりというかなんというか、ジェイドの口八丁に言いくるめられて心配そうな顔をしながらも眺めているだけだし、ルークはルークで楽しそうに見ているだけだし、ここは僕が動かなければとでも思ったのだろう、イオンが声をかけようとしたときだった。
「なあイオン」
「え? あ、なんですかグレン」
いやいや、別にイオンのガイ救出を妨げたわけではない。断じて。ああ、断じてだ。コーラル城から心ここにあらず、といった風に馬車の窓から空を眺めていたグレンが何を思ったのか話しかけてきたのだ。イオンはキョトンとした目をしながらグレンのほうを向く。その目を見て、グレンは自分の中に渦巻く激怒を思って苦く笑う。
ああ、やっぱり駄目だ。放って置いたらきっとああなる。それでこいつが泣くのは、嫌なんだよなぁ。
「アリエッタとちゃんと話せたのか?」
「それは……」
「余計なお世話かもしんねーけどさ、いつか時間をとってちゃんと話したほうがいいと思うぜ。……もちろん知らないほうが幸せなこともあるさ。でも、知らなけりゃ進めないことだってあるんだ」
「そう、かもしれません」
だんだんと小さくなる声でそれだけを呟き、イオンの視線は床に落ちた。
「……でも、僕は……きっと僕では、彼女に上手くことばを伝えられない、から」
「ばーか。そういうのは、一度ぶつかって失敗した時にでも言えっつーの」
口元に苦笑を刻んで、すぐ隣にある緑の頭をぐりぐりと撫ぜる。導師という身分柄、こうも突然他人から頭をなでられることなど初めてのことだったのだろう。イオンは驚きに目をぱちくりとしていた。そんな、物分りの良い、生きた年月に似合わぬ聡明さを持った彼の目を真っ直ぐに覗き込む。そして一言一言、言い聞かせるように言い切った。
「考えなしはどうかと思うが、場合によっちゃ考えすぎると臆病になるぞ。今のお前が、今のお前の言葉で話せば良いんだよ。聞きたくないって言われても、なんどでも、分かるまで話せ。……分かり合えないまま、すれ違ったままで終わってしまうのは……見てるだけでも結構悲しいんだからな」
「……はい」
「まあ、それで、なんだ……キッチリぶつかって、あれだ、失敗したら……うーん……そうだなぁ、またこうやって頭撫でてもっかい頑張れ、って発破かけてやるから。相談にのるし、話くらいは聞くさ」
「……そう、ですか。ありがとうございます、グレン」
すこし乱暴に撫でられる手の下で、普通なら無礼だと怒るところだろうに、やはりイオンは嬉しそうに笑う。
「グレンにかかるとまるで僕は子ども扱いなんですね」
「え、いいじゃん別に。だってお前一応俺より年下だろ?」
「はい……そうですね。ありがとうございます」
「はは、何で事実言っただけで礼言ってるんだよ、お前は。変なヤツだなぁ」
「変……ですか?」
「ああ」
右手を馬車の窓枠において、そのまま頬杖にしているグレンの頬が柔らかに緩む。嬉しそうに、懐かしそうに、どこかまぶしそうな目でイオンを見て、親愛のこもった優しい声でもう一度だけ呟いた。
「やっぱ変なヤツだよ、お前は」
変なヤツ扱いされたというのに、イオンはそれでも嬉しそうだった。そのまま言葉通りの意味ではないと分かっているからだ。
そして今までぎゃあぎゃあと楽しそうに騒いでいるガイ達を見ていたティアは、小さく紡がれる二人の会話に妙な既視感を抱く。二人のほうを見やって、ぐりぐりと乱暴そうに頭を撫でられながらも嬉しそうな導師と、笑いながら彼の頭を撫でているグレンをみて、ああと納得した。
夕日に染まるエンゲーブでの宿屋と、タルタロス。
なるほど、どうやら彼と彼は似たもの同士だったらしい。妙に気が合う子どもっぽさも含めて。
だからだろうか。彼がいつも妙にルークを理解しているように見えるのは。
「おいいいいいい、ルーク! ティア! グレンでもイオン様でも良いからもうだれでもいいからいい加減とめてくれえええええええ!」
聞こえてきた悲鳴にティアとイオンがはっとする。大慌てで悪乗りをしすぎたジェイドとアニスをいさめる二人を見て、グレンとルークは楽しそうにしていた。
ざわざわと騒がしい町並み。多くの人が行きかい、水気の少ない地面からは薄く砂埃が立ち上がる。白い日よけを屋根代わりにした露天からはたくさんの人が客を呼び寄せて、自分の店の品の良さを声高に宣伝していた。活気のある町。
世界中の商品が集まる流通拠点、ケセドニア。ここからグランコクマに鳩を飛ばしてくれとジェイドに頼んで、一応エミヤ印の暗号文(日本語、ひらがな)で書いておいた手紙を渡し、本来ならもう少し肩の力を抜いていいはずのグレンはずーーーーんと沈んでいた。その理由は。
「おい、グレン……大丈夫か? おまえキャツベルトに乗った途端にぶっ倒れるとかよ、休んどいたほうがいいんじゃねぇ?」
そう、理由はこれだ。キャツベルトに乗った途端、とんでもない頭痛に襲われ一気に意識を失いひっくり返ったのだ。原因には心当たりがあるし、恐らくはそうなるだろうと思っていたのだが……いや、そうなってくれなければ仮説が成り立たず困るところだったのだが、それでもタイミングが悪すぎた。よりにもよってキャツベルト! もう少し遅く来ると思っていたのに……最悪だった。
試すだけで悪気はないのだとは知っているが、いい加減に一発どころか三発は殴ってやりたい気分だ。
なんせ、キャツベルトに乗っている間には、同調フォンスロットと同じく絶対回避しなければならないヴァンの暗示があったはずなのだ。それこそこれからバチカルに帰るまでは四六時中ヴァンを見張ってルークにくっついて行動しようと思っていたのに。……一応、おきてからはなるべくルークの近くには居たのだが。
しかしヴァンはダアトにアリエッタを引き渡すと言って去っていた。それはつまり、もう暗示をかけ終わっているということに他ならない。グレンは許されるならひたすら頭を抱えて地面をごろごろとのたうち回ってしまいたい気分だった。
「これか、これが修正か畜生。エミヤの言ったとおりだ、強敵過ぎるだろこれ。悪意の連鎖じゃなくて自分が変えたことによって起きる偶然のつながりで修正するってのがいやらしいんだよ。スコアかっつーの、畜生……っ!」
暗い顔をしながらぶつぶつと喉の奥で呟くグレンを見て、今までどこかからかう様だったルークは一気に眉間にしわを寄せた。実はこれは彼なりに心配をするときの表情だったりする。タルタロスの時はそれこそ表情を作る余裕も無かったのだろうが、今は違う。それを知っている人間なら微笑ましく映るのだが、傍から見たら不機嫌そうにしか見えない。
しかし、グレンはそんなルークを知っている。だからもう過ぎてしまったことは仕方ないと頭を切り替え、顔をあげて苦笑を溢す。
「いや……大丈夫だよ。うん。平気平気うん……」
「でもなぁ、なんつーか、平気そうな顔じゃねーっつーか」
「ははははは平気だよヘイキー」
「まあ、お前がそう言うんならいいけどよ」
ルークは組んだ腕を後ろ頭に添えて、何度か口をあけては閉じて、微妙な顔をしていたのだが。やがて思い切り今までよりも不機嫌そうな顔をして、キッと半分睨みつけるような顔をしてぼそぼそと呟く。
「気分悪くなったらすぐ言うんだぞ」
「おぉ、なんだよ、心配してくれてんのか? はは、ありがとな、ルーク」
「うるせー! 町中で倒れられたら、は、運ぶのが面倒だってんだ! おらとっとと行くぞっ」
「えー、まあ待てよ。そんな焦らずもうちょっとこの町回ってみようぜ? なんせ流通拠点だ、珍しいものもあるかもしれないしさ」
「いーんだよ! お前とかイオンとか普通の顔して無理しそうだからさっさと用事終わらせるに限るだろ!」
突然話に出されたイオンは解らなさそうに首を傾げる。
「え、僕もですか?」
「あ? だってお前からだ弱いんだろ。木登りもしたことねーとか言ってたし。徒歩の旅んときとかすぐ疲れてたし、こんな暑いとこじゃ体力食うだろ」
「ルーク……イオンを気にかけるなんて、嬉しいこと言ってくれるじゃねーかお前……」
「グレン、お前さ。俺を鬼畜だとでも思ってねぇ?」
「いーや。そうだなぁ、お前目を見張るくらい不器用なだけで案外真っ直ぐで優しいやつだもんなぁ」
にやり。グレンは人が悪そうに笑って、けれど声だけはやたらに嬉しそうに呟く。その言葉を聞いた瞬間ルークは一気に顔を引きつらせ、けれど顔を赤くしてしどろもどろになってしまった。
「どぁ、だだだ、誰が優しいってんだ! キモイこというなよな!」
必死だった。ルークはなんだかとても必死に言い張っていた。口元のニヤニヤはおさまらないまま、グレンの目は生暖かい目になる。イオンは、彼らしく澄んだ緑の瞳を嬉しそうに緩ませていたが、二人の後ろでじーっとルークを見ているティアだのガイだのアニスだの、ほとんどがグレンと同じような目をしていた。
「分かりやすいなぁ……な、イオン」
「そうですね。僕もルークは優しいひとだと思いますよ」
「うるせーーーー!」
坊ちゃんオーバードライヴ。ほめられることに慣れていないルークは大噴火を起こし、くるりと背を向け町の方へとずんずんと歩き出す。「なんだよー、本当のこと言ってみただけだろ」とか「お前誉められ下手だよなぁ」とか「おいおいいい加減に無視はやめてくれよ寂しいだろ」とか。色々聞こえてきたけどルークは振り返りもせずにスルーする。一生懸命ガイが宥めるようなことを言っているが、その返答もどこかぞんざいだ。
それでもグレンは言っている言葉のわりには落ち込んではいないようで、むしろ上機嫌そうに見えた。そんな彼を疑問に思って、ティアが口を開く。
「随分上機嫌なのね。ルークは一度怒ったらなかなか機嫌が直らないんじゃないの?」
「うん? だいじょぶダイジョーブ。あれな、ちょっと緩んじゃう口元見られたくなくて振り返ってないだけだから」
「え。何でグレンってばそんなこと言い切れるわけ」
「ふっふっふ。それは秘密さ、タトリン奏長」
「えぇ~。ぶーぶーぶー、ケチ!」
「ま、嘘だと思うならあいつに声かけてみれば、響長。返答はぞんざいだろうけど声はそのまま嬉しそうなはずだから」
「ほほう、そうですか。では早速」
「マテ、大佐。アンタは駄目。本気でルーク怒らせるから却下。ここにいろ! イオン、確保だ! お前も軍服の裾でも握っとけ」
「え? あ、はい! 失礼します、ジェイド」
「…………」「…………」「…………」
「えっと……親子? カルガモ?」
「アニ~ス、笑えすぎて腹筋が痛くなるような冗談はよしてください。ね」
「(あ、やべ、つい素で言っちゃった)きゃわーん、大佐ぁ……えーっと、あれ? 目が……目がマジやばですって、は、はははは……冗談ですよぉ」
「ええ、分かってますよ? おやおや顔が真っ青ですねアニス、どうしたんですか? ふふふふふふ……」
夏でも涼しくなりそうなオーラを撒き散らす背後をティアは溜息ひとつでスルーして、グレンの言っていたことを確かめようと少し歩を早める。会話に入るでもなく、ふとルークの左隣を並んで歩くように入る。それに首を傾げたのはルークの右隣を歩いていたガイで、どうしたんだと問う彼に後ろ、とだけ答えた。ガイは振り返り、納得したように頷く。
「え……あー、なるほど。どうしたんだ、あれ」
「さあ。いくらなんでも十代半ばのひとと親子扱いされるのは、流石に納得いかなかったんじゃないかしら」
「うーん。でも確かにアレは……カルガモ? おいルーク、ちょっと見てみろよ。なかなかお目にかかれるようなもんじゃないぜ」
「ああ?」
振り向けば、ジェイドの蝉の羽のような青い軍服をイオンとグレンがそれぞれ右と左から掴んでいる。いつもの彼なら即座に放してくださいと一言でぴしゃりと納めたのだろうが、ちゃっかりイオンにも掴まれたせいでグレンへの発言がイオンへも行くということを慮って言えなかったのだろう。
微妙な顔をして眼鏡を直していた。その両後ろにグレンとイオン、どこか顔色を悪くしたアニスがこそこそとイオンの背に隠れるようにして歩いていた。
けけけと笑っているグレンが何事かをいい、それに対してジェイドは表情も変えずにサラリと答え、その返答にむっとした顔のグレンはしぶい顔をする。どうやら流石のグレンもまだジェイドには敵わないらしい。むしろ逆に何事かを言われてグレンは顔を引きつらせ、それをとりなすようにイオンが声をかけていて、同意を求められたらしいアニスは先ほどよりは顔色をよくしてイオンの言葉に頷いている。
そして、やはりジェイドの軍服はつかまれたままだった。
グレンも本当に体調も悪くなさそうだし、ここから見てもイオンの顔色も良いようだ。ふっと小さく笑うような柔らかな息が零れたのだが、ルーク自身はそれに気づかない。
ガイとティアがちょっと目を見張るような表情をしたのにも気づかず、少しだけ歩く早さを落とし、へっと鼻で笑うような動作をしてふてぶてしい表情をする。
「なんだぁ、ジェイドのヤツ。見せもんみたいなことになって。へへん、ザマーミロ、ってか」
「おいルーク、旦那に聞かれたらどんな目に遭うか解らないようなことは言うなって」
「っへ、今のあいつには聞こえねーだろ、どーせ。しっかし……」
キョロキョロと辺りを見回しずっと続く店を見て、感心半分呆れ半分の声をあげた。
「本っ当に、どうにもごちゃごちゃしてる町だなー」
「まあな、世界中から物が集まるって言われてるからな。マルクトからキムラスカへ輸出される農作物や薬草は、必ずケセドニアの領事館で監査を受けるんだよ。当然、キムラスカからマルクトへ輸出されるときも同じ手続きをしてるんだけどな」
「あなたが口にしているものの殆どは、こうしてバチカルへ流通しているのよ」
「へぇー。随分長いたびをしてきてるんだな」
「ま、それは俺達も同じだけどな」
「オイオイ、俺達は野菜かよ……っと!」
不意にどんと前から人がぶつかってきて、ルークはそうではなかったが相手は女だったせいかよろめいていた。赤みの強い髪色の、海賊の帽子のようなものを被った女だ。咄嗟に腕をつかんで、転げそうになさそうだったのでさっさと放す。
「あらん、ごめんなさいね。前をよくみていなかったものでね」
「ちゃんと前くらい見れっての、ったく。俺みたいなのじゃなくて餓鬼にでもぶつかったらどーすんだ?」
「ああ、そうだね。気をつけるよ。じゃ……」
「待ちなさい」
そのまま歩いていこうとしたその女の進行方向を、静かにティアが止める。
「……盗ったものを返しなさい」
「へ……あぁ?! 財布がねぇ!」
ばたばたと自分の体を叩きまくりながら確認しているルークを見た後、ティアをみて女はつまらなそうに溜息をついた。
「はん……ぼんくらばかりじゃなかったか。ヨーク、後は任せた! ずらかるよウルシー!」
そう言って、女は財布を近くに居た仲間に渡したのだが、その後は、もはや鮮やかというばかりだ。財布を持って逃げようとした男にもティアは慌てず騒がず、男の足もとにナイフを投げつけ男をこけさせ、すばやく近付きナイフを突きつける。逃げられなくなった男は大人しく財布を返し、ナイフがどけられると大慌てで逃げ出し仲間のもとへと走って行った。
そして何故か民家の上に登って偉そうに自己紹介をしていたのだが、それを聞いてルークは思いきり悔しそうに憤慨していた。ティアが小さく笑いながら何事かをいい、ルークはむっとして口を噤んでいる。そして、不機嫌そうな顔をしながら、財布を受け取るときにティアにぼそりと何かを言っていた。
グレンの場所からは辛うじてひどく小さく聞き取れただけなのだが、まさか。あれはまさか! しかし見てみればティアは呆気にとられた表情をしていて、ルークは口をへの字にして不機嫌そうなままで、その背後でガイは驚愕のあまり面白い顔をしていた。
と、言うことはまさか幻聴ではなかったのだろうか。あのルークが「さんきゅ、」と言ったとは!
いかん、宴だ! といわんばかりにジーンとしていたグレンの様子をみて、イオンには首を傾げられてアニスには変なものを見る目で見られたが……気にするものか! ついついジェイドの軍服から手を離して、両手で拳を握ってふるふると感動に打ちひしがれてしまう。
「随分と喜んでいますね」
「そりゃあ……あのルークがお礼言えるとか……喜ぶってもんだろ」
「そうですね、エンゲーブのときからだけでも随分と変わったものです。……彼がああなるのは、あなたの予定だったんですか?」
「はあ? 何言ってんだよ大佐。俺はただ単にコイツこのままじゃ苦労するだろうなーって思っておせっかい焼いただけだぜ。なんつーか、こう……弟っていたら、こんな感じなのかなーって思っちまったって言うかさー。もー微笑ましいよなー、ほんとさー」
「弟ねぇ」
「ん、何?」
「いえ別に」
キョトンとした顔をして首を傾げて見せたが、内心は結構必死だった。隠せていると思うのだが、どうだろう。ヴァン師匠のときは『グレン』とあまり接したことの無い人間として隠し通せたのだと思うが、それなりに長い間旅をしているこっちのジェイドは隠せているかどうか。自分がルークだったころ、あの眼鏡は本当は嘘発見器ではないか、と思ったほどの観察眼で見通されていないことを心底祈るしかない。
「まあ、いいでしょう。しかしそろそろ領事館とアスター殿のところへ行くべきでは、イオン様」
「そうですね……そろそろいきましょうか」
「そっか。おーい、ルーク! そろそろ領事館とかへ行くんだとさ!」
グレンが必死にジェイドに対して上っ面を取り繕っている間にルークたちは少し進んでいて、丁度店先で誰かと話していたようだった。因みにガイはまだ頭を抱えながら小声でぶつぶつ呟いていて、様子が尋常ではない。もっぱら話はティアがしていたようだったのだが……おいガイ、そんなに信じられないのか。
まあ気持ちは分かるけどさ。
「おーう。おい、行くらしいぞ」
「へ? あ、うん……」
いつもよりもいくらか気が抜けた、というか少し気を落としているような返事をしてティアも頷く。そしてそのままルークの後ろに歩いて、少しだけ俯いた。何かに謝るように目を閉じて、けれど目を開けたときにはいつもの彼女がいただけだった。
領事館へ行き、そしてすぐにアスターのところへ行ってグレンがシンクから奪った音譜盤を解析してもらった。やはりその内容はあまりに膨大で、帰ってから読もうということになって。今度こそはと気合を入れたグレンはガイに任せず自分で持つことにした。
そして確かあの方向からそろそろシンクが、と念入りに気配を探って、さあこい! と思っていたとき。
「危ない!」
「グレン!」
「は?」
全くの予想外の方向、から。そして咄嗟にガイに庇われて―――思い切り目の前でガイがカースロットにかけられてしまったのだ。
「嘘だろおいいいいいいい!」
「ここで諍いを起こしては迷惑です。船へ!」
船へと走りながらも流せるのであれば血の涙を流したい心境になって、グレンは一人土下座をしているつもりで、相棒に心中で語りかける。
ごめん、エミヤ。俺やっぱり一人だとへたれかもしんない。
しかし、バチカルだ。問題は、バチカルからなのだ。親善大使。あの任務と、英雄という言葉の甘さと―――始めて誰かに必要だといわれた喜びと。これからだ、ここからだけは、もう、しくじることはできない。何があっても。
正直、世界の修正というのをなめていたのかもしれない。
けれど、ここからなのだ。歴史が転げ落ちていくように回り始めるのは。
奥歯を強くかむ。誰にも悟られぬように一人決意しながら、グレンは船へと乗り込んだ。