「答えは得た。大丈夫だよ、遠坂。オレも、これから頑張っていくから」
目の前には泣き出しそうな少女。
朝焼けがひどく綺麗だった。
そうして、体は消えて座へと帰る―――はずだったのだが。
なんだかヨクワカランひとに投げ飛ばされて、目を覚ましたルークの視界に真っ先に入ってきたのは高い高い空の色だった。遠く高く澄んだ青。……よく似た色を、知っている。一度強く目を瞑って、うっすらと開けていただけの瞳をしっかりと開く。
空よりも少し低めでぷかぷかと流れていく綿雲。頬に当たる草の感触。風が吹いて、草が揺れる。少しくすぐったいな、そう思って―――ああ、まだ自分が生きているのだと実感する。
「眼が覚めたか」
「うおっ?!」
突然真横から聞こえた男の声に驚愕して飛び起きた。姿勢は低く屈めたまま、つい戦闘体勢をとってしまうのはもうこの一、二年で身についてしまった癖だろう。腰に手をあてて、そこに剣がないことに気づき顔色を変える。相手の様子を見て、逃げれるものならば逃げたほうがいいかと考えて……ルークは思いきり脱力した。
なぜなら。
「ふむ、その反応からしてどうやら君は戦闘経験、それとどうやら長いたびの経験があるようだな。顔色から察するにいつもはそこに剣を刺していたか? しかし解せんな、鞘は身につけているくせにどうして君は剣をもってはいないのかね。そもそも腰の後ろに差していては横に差すより刃を抜く動作の遅れが……む、フィッシュ」
翻る赤い外套、焼けたような肌と焼ききれてしまったかのような白髪、鷹のような鋭い目。黒い薄手の鎧のうえからでも鍛えられているとわかる体。研いだ刃の色のような瞳はわき目も振らずただ一心に―――川の中へと注がれていた。手には簡易なさお。
つい先ほど釣れた魚をみてにやりと口元を弛めて、「ふむ、これは中々の大物だ」などといわれてしまっては警戒するのもばかばかしいというものだ。……いや、あまりのアンバランスさに逆に警戒をするべきなのかもしれないけれど。
「おい……ちょっとそこのひと。あんた、一体誰なん……」
―――孤軍奮闘ずたずたになってそれでもかけていく姿も胸を打つがさすがに酷だともおもうので、
「いや待てよ、もしかしてゼル……なんとかって人が言ってた相棒がどうだのってひとか?」
「…………やはりそうか。あの状況説明一切無しの独り言が説明だぜといわんばかりの問答無用ぶりはもしやと言うかまあ大体予想はついていたのだが、やはりそうだったかあのひとか……」
「え、問答無用って、どういう」
『ふむ、小僧。丁度いいじゃないかお前さんの大好きな人助けだ。ちょい面貸せ』
『は?』
『構成は……むう、面倒くさいな。聖杯はないがそのままクラスアーチャーで世界に……いやまてよ、あの世界には魔法じみたものはあっても魔術がないからな、ラインが……ここはいっそ受肉させるか。なんか丁度いい感じに肉体作れそうな元素があったなよしそれでいこう。受肉さえしとけばあとはまあ無駄にマナだけはやたらめったらそこら中に噴出され取るしそこまでカツカツもせんだろうよっしゃ決定逝ってこい』
『いや、あのこの声はもしや宝石お、うああああああぁぁぁ?!』
「…………………………、……詳しくは聞くな」
「あ? あ、ああ……」
なにやら背中に哀愁が漂っていて遠い眼をしている。なんだろう、もう本当に訳がわからないのだが。ただ、あの遠坂の魔術の祖だけはあるだの傍若無人だだの凡人出身の英霊なんてこんなものか、だの。なんだか途中から激しく落ち込みだしている。
どうしろというのだ。
「……あー、もしもーし」
やり辛そうに声をかけられて、赤い男も正気に戻ったようだ。小さく苦笑したかと思えば、釣ざおをすぐかたわらにおいて、こちらに近付いてくる。
こちらも姿勢を直して、近付いてくる男を観察……観察、
「いや、すまん。私としたことがいささか情緒不安定だったようだ。さて、おおよそお互いなんとなーく分かってはいると思うが、それより先に少し聞きたいことがあるがいいかね」
「…………」
「どうした? 私の髪にほこりでもかついているのか」
「あ、ああごめん、なんでもない。まあ、俺にわかることならなんでも」
畜生、なんだこいつ。でけえよ! なんだよこいつの背! ジェイドよりでけえんじゃねえのかよ!
実は結構気にしていたりする背の高さに、ルークの心中にひどく打ちひしがれた感が漂う。やはりこれはあれだろうか。ティアがいっていたとおりミルクか。ミルクを嫌いだといって飲まなかったからなのか! 小魚を骨ごと食うのを嫌がったからなのか! しょうがないじゃないか嫌いなんだからよ!
本人としてはいたって真剣に考えているのだが、ここに彼の仲間がいたらきっと一刀両断にこういうだろう。じゃあ頑張って好き嫌いなくせば。至極尤もな回答かつルークにはとんでもない試練ではあるが。
「そうか。ではひとつ、この世界で一番有名な国はなんだ」
「は? いや、一番っつーか、国はキムラスカとマルクトの二つしかないな」
「……そうか。ではここは魔術、魔法というものはある世界なのかね」
「魔法じゃなくて、似たようなもんで譜術っつーのはある」
「ふむ。では、その譜術というものは誰もが知っている技術なのか」
「ああ……譜術を扱うには才能とかがあるらしいが、譜術、ってものは大人も子どももたいていのヤツは存在自体は知ってんぞ」
「それを君は使えるか?」
「いや、譜術じゃなくて超振動ってやつなら……いや、それ使うと俺の体がイカレちまうからもう使えないんだけど」
「ふむ……まあそれについては後で詳しく聞こう。とりあえず今はこれで最後だ。君は私と君を繋ぐラインの存在を感じ取ることはできるか?」
「ライン? って、なんだそ……あー、でもまてよ、そういえばなんつーか、こう……そうだな。アンタのほうからどことなーく第七音素がこっちにながれてきてるような……感じが……いや気のせいかも知れねーけど」
「そうだ。ラインは繋がっているのはわかるのだが、流れが逆流している。まあ確かにこの世界はむやみやたらにマナが濃いから困ると言う訳ではないのだが…流石に固有結界は無理そうだな……」
「なんだ。普通は違うのか」
「ああ、普通はマスターからこちらへ流れてくるのだが、まあ、こちらの話は詳しく話しても意味がないだろう。なんにせよ、ラインが繋がっているのだから私のマスターは君なのだろう」
「マスター……?」
「そうだ。いうなれば、私は君の従者といったところかな」
やれやれ、やっと人使いの荒いマスターから解放されたと思えばまた従者か。そんなことをぼやきながら溜息を吐かれても。しかし、それでも従者ということばに。思い出されるのは金色の。
ああ畜生、一々泣きそうになるなよ馬鹿野郎。頭を振って、気を保つ。
気を取り直して文句を言うべきかとも考えるがしかし、もしかしたら、というよりはきっと、彼はただ単に自分の願いに巻き込まれただけなのだろうとおもえば自然文句をいう口も重くなるというもので。
難しそうな顔をしているルークを見て、赤い男はとりなすように笑う。
「ああ、別に文句を言っているわけではないのだ。世界に使役されることに比べればまだまだ十分ましなのだから」
ただ、『あの』宝石翁に気に入られでもしなければあのひとはこんなことなどしないだろうと思っていたから、その当事者こんなにも普通の人間であることに不思議に思ったのだ。一体彼のどこを、かのとんでもない気まぐれ翁は気に入ったのだろうか。
「さて、マスター。君は宝石翁に何を言われた」
「過去に戻ってやりなおしたいかと聞かれて、それを断ったら突然笑われて。そうしたら、可能性の旅に連れて行ってやる、と」
「ふむ……やり直したいとは、思わなかったのかね」
「思ったに決まってる! ……でも。皆と歩いた時間とか、言葉とか、約束とか。そういうのをはじめから無かったことにするのが、嫌だったんだ」
臆病で、強欲で、我侭な身勝手で。やり直せるはずのチャンスを棒に振った。本当にどうしようもない、
「―――なるほど。いいだろう。君をマスターだと認めよう」
「え?」
「なんだ。その顔振りからするとまるで間違えてしまったのだという顔だな。胸を張れ、マスター。仲間と共に過ごした時間をなかった事にしたくないと。やり直しで、更により良い未来をつくれる可能性をまえにして、それでもなくしたくないと思えたほどの時間を共に過ごすことができた仲間がいると言うのなら―――君の仲間も君と同じ状況に立っても、君と同じ選択をしただろう。
どんなに苦しい結末でも。どんなに悲しい結果になってしまったとしても。なくしたくないと、何を以っても喪いたくない時間を築くことができたのなら。君のその選択は、決して間違いなどではない」
「そんな、立派なもんじゃない。俺は……ただ、傲慢なだけだ……」
皆が。ジェイドが、アニスが、ナタリアが、ガイが、ティアが。イエモンさんやタマラさんやキャシーさんやイオン、もっとずっとたくさんの人たちが。死ななくてもすんだかもしれない、そんな未来をつくれたかもしれなかったはずなのに。
それを断って、そんな決断が正しいだなんてそんなことあるはずがないのに。
「そうか。だがな、マスター。たとえ君自身がそう思っても、私は君が選んだその選択はとても尊いものだと思っているよ」
「でも、俺はきっと、生きてる限りあの選択を後悔し続ける」
「そうだろうな……それは人として当然の心情だろう。それでも、それでも私は正しいと思うのだ」
「……わけわかんねぇ」
何故か涙が止まらなくなって、眼を腕で覆った。ああ、瞼の熱が収まらない。喉が痛い。うれしいのだろうか。それともほっとしたのだろうか。間違えではないといわれて。絶対にとんでもない過ちを犯してしまったのだと自分で思っていたことを、当たり前のように肯定されて。
「お前、変なヤツだよ」
「なに、自覚はある」
悔し紛れの言葉も、なんだかものすごくふてぶてしい笑みと共に返されてしまった。畜生、礼なんて絶対にいうもんか。
心中で文句を言いまくりながら、涙が止まるまで泣き続けた。
そしてしばらく。ようやっと落ち着いてきた頃合を見計らって、声をかけられた。
「さてマスター、そろそろ名前の交換と行かないか。私はエミヤ。英霊エミヤだ。ただの人間だったころはエミヤシロウ。ついこのあいだまではアーチャーと呼ばれていたな。先に言っておくが冗談ではないぞ。アーチャーはこれでもなかなか慣れ親しんだ名でね、結構気に入っているくらいだ。どれでも好きによぶがいい」
「じゃあ、アーチャー。俺はルーク・フォン……」
未だに少し擦れそうになる声をどうにかこうにかして普通の声を出す。けれどいいかけて、ルークははっとした。そうだ、忘れていた。あの宝石翁というヤツがいってなかったか。この世界には。
突然眉根を寄せて考え込んだ彼に、アーチャーは訝しげな顔をしている。
「どうした、マスター?」
「あー、いや。ごめん、そういえばこの世界にはこの世界の俺が居るんだ。だから、名前が被るから、この世界での俺自身の名前はなんか別のヤツ考えなきゃなんだけど……急には見つからなくて。なあ、なんかいい案ないか」
「む、急に言われてもな……元の名前の意味などないか?」
「『ルーク』で『聖なる焔の光』だよ」
「それはそれは……そうだな、髪の色合から銀朱というのもあるが、いささか世界にはあわんな。色は違うが炎にちなんでグレンはどうだ」
「グレン、ね……グレン、グレン……ああ、いいな。じゃあ、俺は今日からグレンだ。よろしく頼むぜ、相棒」
なにやら嬉しそうに名前を呟いた後、主から差し出された手に少しアーチャーは少し驚いた顔をして、彼も彼でにやりと笑う。
「ああ、任せろマスター。……ところでグレン。君はこの世界で一体何をするつもりなのだね?」
「んー? そんなの、きまってるだろ?」
後ろの世界を振り返ったルークをにならって、アーチャーも眼前に広がる世界を見遣った。そこにあるのは遠く続く空と山。近くでせせらぐ川の音。
これから起きるはずの大激動も、まるで嘘のような平和な風景。
それでも、起こるはずの大激動を。
「一人でも多くの人が、手に届く限り力の限りたくさんの人が死なないように、幸せになれるように。目指すは天下無敵のハッピーエンドだ―――無茶でも無理でも全力で駆け抜けるからな。頼んだぜ」
「なるほど、それはまた傲慢無謀この上ない目標だが……いいだろう、今の私には随分とタイミングのいい目標だ。全力で補助しよう」
歯車は回りだす。
その結末は天国か地獄かも定まらぬまま。