動けない。身動きが取れない。足元にまとわり着く何か。
ずぶずぶと泥に沈みこむような感覚がして、必死になってここから逃れようとするのだけれど動けない。(ダメだ)
どうして動けないんだろう。(見ちゃダメだ)
足もとに視線を向ける。(やめろ)
黒い塊が嫌なにおいを発して足元にまとわりついている。(知らなくていい!)
なんだか分からず目を凝らして、その泥に向かって手を伸ばす。触れればねちゃりとした感触に顔を歪め、それでも確かめようと顔を近づける。その瞬間、ただの泥の塊だと思っていたものがガバリと動いた。驚いて引こうとする腕をとられる。ただの泥が生きている? 馬鹿な。泥にとられた腕がまるで人に掴まれているようで―――そう考えた時、ざあっと血の気が下がった気がした。泥。ただの泥の塊。……本当に?
泥の塊がゆっくりと何かの形を作っていく。(見なくていい)
ボタボタと落ちていく泥からも更に泥の塊ができて、それが次々に体にまとわりつく。(もう覚めろ)
腕を掴む泥から目をそらせない。(やはり近すぎて混線してたのか)
ゆっくりと泥が削げていき、人間のような形になった。(くそ、同調フォンスロットのせいだな)
ぼたぼたと、人間で言えば目の部分の泥が剥がれ落ち、目鼻立ちが崩れかけたできの悪い泥人形の中から、濁った目がぎょろりとのぞいた。その瞳に浮かぶのは憎悪、怨嗟、悲憤、激怒。がぱ、と泥人形の口が開き、一音一音をゆっくりはっきりと発音する。
―――オ マ エ ノ セ イ ダ
「――――――っ!」
悲鳴を上げたいのに声が出ない。喉がつぶれている。枯れていると言ってもいいだろう。声が出ない。誰にも助けを叫べない。そのまま、泥の中へ―――
『違う、それは俺の罪。だからお前は知らなくて良い』
泥の海の中。
一人きりでいたはずの夢の中で、誰かに背中を押された気がした。浮き上がる。悪夢からはじき出されていく。ほっとしていいはずなのに、それでもルークは必死に踏みとどまろうとする。待てよ。俺をここから弾き出したら、それじゃあお前は。……”お前”? 俺はお前を知っているのか?
『覚めれば忘れる。いいな、忘れるんだ』
―――――――――俺は誰の夢を見ていたんだろう?
名前を呼ばれた気がして、目を開ける。視界がぼやけていて、これでは目を開けている意味がない。何度か瞬きをして、目を凝らす。ルーク、と名前を呼ばれた気がする。音がひどく遠い。頭が回らない。思い出せない。なにが思いだせないんだ? それすらも解らない。頭が回らない。ただ目の前にあるものを見る。
青色が目の前にあった。きれいな色だ。まるで、あの時三人で寝転がって見上げたセントビナーの空の色に似た……いや、少し違う。もっと深い青色。
「……海の色だ」
「ルーク?」
音が聞こえた。今度はさっきよりも近い。そして、その時になってルークはやっと気づく。今、自分を覗き込んでいるのは……現状認識完了。
「うおあああああ?!」
すごい勢いで起き上がり、ずざざざざと砂埃を上げて後ずさった。起き抜けでまだ完全には頭が回っていない。パクパクと口を開くだけで何も言わない自分は自分でも間抜けだと思う顔をしていたのだが、そんなルークをみてティアはキョトンとしている。
「な、ななななんでお前っつーか何してんだよ?!」
「何って……寝坊して中々起きない誰かさんを起こしに来ただけなんだけど……」
「はあ?! んなの、ガイが起こしにくりゃ……」
や、やめ、やめてくれナタリアァァァァ! それは、それは無理だあああ!
ダメです、食べなさい、ガイ! 今度こそルークに私の手料理を……お待ちなさい!
ナタリアも自分で味見すればいいのに。
まあ彼女も王族ですからね。毒味役は使用人、ということですか。
大佐ぁ、止めないんですか?
いえ、見ている分には面白そうなんで。
……あの、止めなくても良いんでしょうか。どうしても嫌と言うなら、ぼ……
イオン様、ダメですよ。いくらイオン様がお人好しでも、ガイの代わりに味見しましょうなんていったらダメですからね!
……やっぱりだめ、ですか。
分かってるんですか?! アレは毒ですよ毒! 猛ど…
あらアニス、面白いことを仰っておりますのね。
はぅあ?! ナ、ナナナナタリア……?
ええ、確かに過日貴方の料理の腕前は拝見させていただきました。だからこそ私の料理の難点も上手く見つけられるでしょうね……ではアニス!
ごめんなさーーーーい!
ああ、アニス! お待ちなさい! 味見を!
無理ィ! ガイ助けてーー!
うわあ、アニス、こっちに来るなああああ!
ははははは、やー、皆さん元気ですねぇー。砂漠越え分の体力は残しておいてくださいよ。
「………………」
「説明は要るかしら」
「いらねー…」
いつもなら起こしに来る友人がこれなかった理由は十分に分かった。十分すぎるほどに分かった。むしろもう一度惰眠を貪りたい気分になり、つい遠い目をしそうになる。起きたって知られたら味見無しでも食べさせられるんじゃなかろうか。が、そこでふと先ほど聞こえてきた声の中に聞いてない声があった気がして、辺りを見回す。やはりいない。
「……グレンはどこだよ」
実はルーク並みに早起きが苦手なグレンは、いつもならルークと一緒にまとめて声をかけて起こされている。なので同じように近くで寝ぼけているのかと思えば、そうでもない。またこみ上げてくる欠伸をかみ殺しながらした質問に、ティアは遺跡の方を指差す。
「グレンなら遺跡探検、って言って早起きしながら潜って行ったわよ」
「ええ? 何だよそれ、それなら俺も起こして連れてってくれりゃあいいのに……」
ぶちぶちと文句を言いながら、寝るときにかけていた毛布をばたばたと叩いた。結構な量の砂がでてきて、ルークはうへぇと思い切り嫌そうな顔をする。そして適当に畳んでいたところで、いつもならもっと丁寧にだのなんだのいう当人が何も言わないままな事に気づいて、ティアの方を見る。
彼女はルークの顔をじっと見て、何かを言いたそうな癖に何も言わない。
「あんだよ。なんか俺に言いたいことでもあんのか?」
「いいえ…………ただ、あなた、昨日―――」
「ルーク!」
何かを言いかけた彼女の言葉に被る元気の良い声。つられてそちらを見ればひらひらと手を振るグレンがいて、昨日頭痛で倒れかけていた陰など微塵もない。ルークが我知らず安堵の息を吐いていれば、片手に小さな袋を持ったグレンがご機嫌に近付いてくる。
「よ! やっと起きたか……しかしお前も結構寝るの好きだよなぁ」
「しゃーねーだろ? 屋敷にいたときなんてずっと寝てるしかなかったんだから……で、お前、その手に持ってるのってなんだ?」
「これか。やー、昨日盗賊団襲撃してきただろ? ならあいつ等のお宝どっかに隠してんじゃないかなーって思ってさ」
「え……まさかグレン、盗人の上前をはねるつもりかよ」
「ふ、これは正統な権利だゼ。俺らを襲ってきた慰謝料さ」
「えげつなー……」
「なんとでも言え。旅は物入りなんだよ。ところでルーク、少し顔色が悪そうだが……なんだ、夢見でも悪かったのか?」
「ああ? 夢って……んなの覚えてねえからわかんねえよ」
「そうか。じゃ、影でそう見えただけか……悪かったな。朝食は……うん、姫じゃなくて色男が作ったやつがあるから、そっち先に食っちまえよ。そしたら姫さんのはもう入らねぇって言い張っちまえ」
「だな、あんなの食っちまったら進めねえっつーの。そーすっか」
「こっそり食うんだぞー。他の奴らに味見させようと必死な今のうちに!」
グレンの言葉がやたらに真剣なのは、実際にその身でその料理の強力さを味わったからだろうか。ルークも真面目に分かった、と頷き、こそこそと朝食が置かれたところへ行く。ナタリアはまだ頑張ってガイとアニスを追いかけている。……うん、本当に粘り強いお姫様だ。ルークの背を見送ってグレンはほっと息を吐き、それまで会話に入ってこなかったティアの方を向いて苦笑を溢す。
「グランツ響長……言っただろ。余計な事は聞くな、ってな」
「でも、昨日のルークのうなされ方は尋常じゃ無いわ」
「本人は覚えてないってんだ。思い出させねーほうがいいに決まってる」
「あなたが忘れさせた、の言い間違いじゃないかしら」
昨夜の一番初めの不寝番はティアだった。不寝番を始めて大して時間も経たぬ間に、妙に魘されているグレンをおこし、適当に会話していたら不意にルークも魘されている声がして。その魘されようが酷くて、咄嗟にグレンがルークを起こそうと肩に手を置いた瞬間、彼は驚いたように手を離し、愕然とした顔で呟いたのだ。まさか、と。
何がまさかなのか分からず、とにかくティアは固まっているグレンの代わりにルークを起こそうとしたのだが、何故か彼にそれを止められて。代わりに彼はルークの瞼を覆うように手の平を置いて、少しの間意識を集中させていたかと思えば突然舌打ちし、まるで暗示のような言葉を次々と言いはじめた。
『違う、それは俺の罪。だからお前は知らなくて良い』
『覚めれば忘れる。いいな、忘れるんだ』
意味深すぎる言葉達ばかりで、勘繰るなというほうが無理な話だ。
それにこの言いよう、これではまるで、彼はルークがどんな夢を見ていたか知っているようではないか。
「彼は貴方を知らなかったみたいだけど、貴方は彼を知っていたんじゃないの?」
ティアは厳しい目をして、グレンを見る。グレンはそれでもいつもの表情を崩さない。さてねぇ、と気の抜けたような返答で、ティアの表情が更に冷えていく。再度問い詰めようとして、しかしこの時になって初めてグレンは表情から笑みを消し、酷く冷めた目でティアを見た。
「グランツ響長。アンタが自分の兄を殺そうとした理由を誰にも言いたくないように。俺にも、誰かに言いたくないことくらいあるんだ」
「……っ」
それを言われては、ティアには何も言えない。その表情を見て、グレンは溜息一つですぐいつもの表情に戻り、肩をすくめる。
「ま、ルークに害意は全く無くてね。むしろ俺はアイツを守りたいんだが……そこら辺は信じてくれて良いぜ?」
「……そうね。少なくともそこだけは信じられるわね」
その言葉にグレンは気を悪くした風もなくにやりとした。うん、上等上等と笑いさえする。そしてその笑顔は、いつの間にやら片手に劇物を持ったナタリアに追い詰められていたルークをみて、びしりと凍った。ルークーーーー! と叫んだグレンは、大慌てで彼のもとへと駆けていく。相変わらずの保護者ぶりに、ティアは呆れたようなため息を一つ溢す。
そして、心から思ったことをポツリと一言呟いた。
「本当に親馬鹿ね……」
砂漠を渡って、ケセドニアの宿に着く。そしてそこで繰り広げられているのは、ひたすらに冷たい言い合いだった。グレンとジェイド。両者一歩も譲らない。
「連れて行くべきです」
「反対だ!」
「イオン様も自ら行きたいと仰っているではないですか」
「アクゼリュスは障気の被害が大きくて、その救援に行ってるんだぞ?! 陸路を取っている分こっちもいくらか遅れている、これから強行軍にもなるだろう。そんな中に疲労が激しいイオンを連れてくってのか? ふざけるな、これからまだデオ峠まであるんだぞ! どれだけキツイ山道だと思ってやがる!」
「しかし六神将に再びイオン様が攫われては元も子もないでしょう。彼らの動きが解らないなら、イオン様も一緒に来ていただくほうが良い」
「それなら導師守護役のタトリン奏長だっているし、この領事館から兵を借りて護衛させればいいだろう! 俺は絶対に反対だ!」
「しかし六神将が直接来たら? 兵程度では防げませんよ」
「だから細心の注意を払って隠匿するんだろう……アンタは体が弱ってる時にイオンをのこのこ障気まみれのとこに行かせて障気障害(インテルナルオーガン )になれって言うのか?! ふざけんな!」
「障気は長時間大量に吸い込まなければ大丈夫だ、とティアも言っていましたが」
「それでも症状に出ないだけで体に影響はある! 俺やアンタみたいなヤツと一緒にするな。イオンはダアト式譜術とやらを使わされて体に負担がきてるんだろう? そんな状態でいったら……!」
一人はあくまでも冷静に、もう一人は既に激昂している。二人の言い合いはずっとこの調子で平行線をたどり、そしてどちらもが引く気はないらしく終わりは見えない。触らぬ神になんとやら、と言わんばかりに皆はひたすら見ているだけで、ただ一人だけルークが顔を引きつらせていた。このままで行くなら、きっと。
今まで言い合いをしていた二人がくるりと一斉にこっちを向き、ルークの表情は更に引きつった。
「ルーク!」
「決めてください。親善大使は貴方ですから」
「イオンを連れて行くか、行かないか。お前が決めるんだ」
「…………やっぱそーきたか」
どっちを選んでも地獄のような気がする。グレンが不機嫌になるか、ジェイドが冷たく笑うか。どっちを選べと言うのだ、一体。いつもならこういう時ルークに助言を与えてくれるグレンは決断を迫る側で、ルークは途方にくれる。グレンをちらりと見る。眼が怖かった。ジェイドのほうを見る。……眼鏡の反射で眼が見えないのに、口元にはいつもの笑みが張りついているのが余計に恐かった。
……本当に、どちらを選べと言うのだ。
逃げ出したいのを根性で堪え、すぐ傍で申し訳なさそうに二人の言い合いを見ていたイオンの方を向く。
「イオンは、やっぱ着いて来たいのか」
「はい。僕はピオニー陛下から親書を託されました……ですから、陛下にはアクゼリュスでのルーク達の活動を僕からも報告して、和平をしっかりとしたものにしたいんです」
「イオン! お前自分の体のこと分かってもが!」
イオンに食ってかかりそうだったグレンの口をジェイドが塞ぎ、ついでにその身長差を利用して拘束している。グレンはまだもがもが言っているが、ジェイドはどこ吹く風と言った様子だ。その隙にルークなりにイオンの意思を確認しようとあれこれ言ってみる。
「一応こっちにはジェイドがいるんだろ。体力のねーお前がわざわざ行かなくても…」
「いえ、ローレライ教団の導師として、第三の中立組織からの見解として報告するんです。……ピオニー陛下に、というよりは僕の報告は議会に向けてのものと考えていただければ……」
「……そうか」
ルークは溜息をつき、そろーっとグレンのほうを見る。そうすれば、ルークがどういう判断を下したのかが分かったらしく、グレンは肩をがっくりと落としながらも大人しくしていた。静かになったからかジェイドも拘束をはずす。
「イオンは、もうお前本当に……真面目って言うかお人好しって言うか実は言ったらきかないっつーか、本当に結構頑固で向こう見ずなとこあるよなぁ……」
「すみません……」
「でも引く気はないんだろ?」
「はい。よろしければ僕も連れて行ってもらえませんか?」
「よろしくないって俺は散々言ってるんだけど……」
「すみません」
ものすごく不機嫌そうにぼやくグレンにイオンは申し訳なさそうな顔をするのだが、どうも彼も彼で引く気はないようだ。
「ほやほやした顔の癖に頑固なんだからよぉ……ルークも良いって言ってるんなら、俺がどうこう言うことじゃないな……本当はものすごく言いたいんだけどな…」
「すみません……」
「おいグレン、それくらいにしとけよ。俺が良いっていったんなら良いンだろ? ……まあ気持ちは分かるけどよ。おいイオン、デオ峠……だったか? へろへろになって進めなくなる前にさっさと言えよ」
「はい。すみません、迷惑は……」
「だあああ、この馬鹿が!」
「うわ?!」
「ちょっと!」
突然の馬鹿発言と、イオンの頭をわしゃくしゃにしだしたルークにアニスが声をかけようとして、しかしそれはグレンに止められる。抗議の視線を受けるグレンはしかし平然としていて、むしろ楽しそうだ。まあ見とけって、と声に出さずに呟く。納得がいかない。納得がいかないながらも、グレンが何の意味もなくこういうことをするとも思えない。
むしろ、彼はルークが何かをすれば、正すべきところはやんわりと直させようとするひとだ。不機嫌な顔のまま、アニスはとりあえず黙りこむ。その視線の先には頭をわしゃくしゃにされているローレライ教団導師イオン。導師守護役としては決して見過ごせるようなものではないのだが……
ただ、なんとなく、その当事者のイオンが嫌がっているというよりも目をぱちくりさせていただけだったのが、なんだか印象的だった。
「迷惑かけないようにします、って我慢される方がうっとーしいんだっつーの!」
「え……」
「お前までグレンみたく無理してぶっ倒れやがったら、お前でも殴るからな! 無理する前にさっさと言えってんだ……分かったな、イオン!」
「はい……はい、ルーク! ありがとうございます!」
「ふん」
ぱあああ、とでも効果音がつきそうな笑顔で礼を言われて、ルークはそっぽを向く。うむ、もうそろそろどういたしまして、と笑顔で返せるようになったらなぁと思うグレンだが、そんなルークはもうルークじゃない気がするし、今のルークにしてみればこれで十分なところだろうか。
うんうんと何度も頷きながら、ちらりとすぐ隣にいるアニスを見やる。なんだか怒ってるんだか羨ましいんだかよく解らない感じの目をして、微妙な顔をしている。
「な、奏長。別に悪いことじゃなかっただろ?」
「まあ、そうだったけどぉー……イオン様に馬鹿はないんじゃないの、馬鹿は」
「しょうがないさ。ルークにとってはローレライ教団の導師イオンじゃなくて、一緒にセントビナーで展望台に登ったイオンなんだから。まあ、誰に対しても平等に横柄、って感じかな。照れ隠しだよ、照れ隠し」
「ふーん……でもイオン様本人があんなに嬉しそうにしてるなら、私に言えることなんて無いか。聞き流してあげますよぅ」
「OKOK。じゃ、ルーク。決まったんなら次はどーする? 今日はここで泊るのか、それとも遅れを取り戻す為にすぐ領事館に行って船の手配か」
「領事館。アクゼリュスもやべーんだろ。さっさと行ったほうがいい」
ルークの発言に誰も反論するでもなく、皆でぞろぞろと領事館へと行く。が、その途中でグレンはルークに別行動を申し込んだ。理由を聞かれて一瞬困ったが、グレンは咄嗟にザオ遺跡で漁ってきたお宝の入った小袋を見せる。
「なかなか良い品があってな。どうせならしっかりとした目利きのできるアスターさんに、高額で買い取ってもらおうかと……」
「おまえさぁ、本当にえげつないよなぁ」
「なんとでも言え。じゃあすぐ行ってすぐ追いつくから、先行っててくれ」
アスターのところへ行って、少々話し込んでしまった。これではもうマルクトの領事館での手続きは終わっているだろう。言い訳程度に考えていたのだが、一応ということでアスターに見せた小袋に入る程度だったお宝は、何故かとんでもない金額に化けてしまった。この紙束と金貨の量、本気でどうしようか。アニスにばれたら確実にたかられる。間違いない。道具袋に突っ込もうにも中々の重さで、本気で悩む。
金はあっても困ることもないし、ありがたいのはありがたいのだが。……これから行く山道を思うと、本気で喜べないというのはきっと贅沢なのだろうが、本心だ。溜息を吐きつつ、とりあえず金貨の入った袋を道具袋にぶち込む。予想通りにずっしりと重くなった。
急ぎ足で港に向かう。そうすれば丁度良い具合にルーク達が見えた。ガイがルークに肩を借りて歩いている。カースロットか、と心中で苦々しく呟く。本当ならあの時、自分がもっとしっかりしていればガイが喰らうはずも無かったものを。
一度目を閉じて、深呼吸をする。もう過ぎてしまったことを悔いても仕方ない。ルークの名前を呼ぶ。そうすればすぐに気がついたように振り返り、軽く手を上げた。手を上げ返す。軽く小走りになって駆け寄れば、やはりガイの顔色が悪い。
「よう、色男の肩かついで一体どうしたんだ?」
「グレン? ああ、なんかカースロット? っていうやつにガイがかけられてるみたいでさ。術者と離れたほうが良いってんですぐ離れようとしてたんだけど……まあお前が戻ってきたならすぐに離れられるな」
「そうか、じゃあこっちに来てて正解だったな。すぐに出ようぜ」
軽く笑いながらそう言うが、ちらりと見てみればやはりイオンの表情が少し沈んでいた。まあ、カースロットの内容を知っていればそうなるだろう。どうしようか。今のうちにカースロットは解呪できるなら解呪してしまったほうが良いのだが、これから行くのはデオ峠。イオンに負担はかけさせられない。
これならアスターに会いに行った時に町を回ってシンクに接触をしておいたほうが良かっただろうか。ラルゴやリグレット以外なら、まだ上手く事を運べばどうにかなるかもしれないとは思っているのだが……説得するにもなかなか難しい。コーラル城であんな言葉を投げかけたのだから、シンクとディストはそれなりにこちらの事は気にしているだろうが……どうしたものか。
色々考えても埒が明かない。
それより何とかしなければいけないのが、ルークの暗示だ。最悪ルークを後方奇襲で意識を刈り取らせてから、ティアかナタリアにパッセージリングを操作してもらうしかないかもしれない。ヴァンはアクゼリュスは崩落させるつもりだから、おそらくまだパッセージリングに暗号は仕掛けられてないはずだ。しかしパッセージリングを操作するという事は……
「グレン」
「ん? ああ、なんだイオン」
「いえ、何だか表情が暗かったもので……どこか体調でも悪いんですか?」
「そっか……ちょっと色々考えててさ、なんでもないよ」
「……そうですか」
「ああ」
港から船が出る。甲板の上でガイを心配するように集まった皆とガイが話している。笑顔になっているところを見ると、どうやらガイの体調も戻ったようだ。それをぼんやりと眺めながら、これから進む先を見つめる。デオ峠を抜ければ、そこは。
……グレンにとってもトラウマのような場所で、今から行くと考えても実は心臓が悲鳴を上げそうになる。それでもそれを冷静さで綺麗に覆い隠し、じっと海の先にあるはずのその場所に意識を向けた。
鉱山の街、アクゼリュス。
岐路はすぐそこまで迫っている。