デオ峠でイオンを背負って山道を歩いていた。
イオンはやっぱりイオンで、どうやら無理をしていたらしくて顔色がすっげー悪くなってて、それに気づいたらつい問答無用で一発軽ーくイオンの頭をポカってやっちまった。なんか色んな奴等がすげー眼で見た気がするけど、知るもんか。俺は無理したら殴るって宣言してたんだからな。……まあ、流石に本気では殴らなかったけどよ。俺だってグレンならともかく、イオンを本気で殴るほど鬼じゃねえ。
休憩だのなんだの言ってたけど、ちょっとの休憩でコイツの体力がすぐに回復するもんか。俺でもわかるっつーのに何でこいつらわかんねーんだよ! うざったくて、休憩なんてしねーって言ったらまた面倒くさい眼で見るんだから、堪ったもんじゃない。俺が無視してさっさとイオンを背負って山道を登りだすと途端に静かになって、全然ついてくる気配が無くて振り返ったらどいつもコイツもポカンとしてやがる。
なんだよ。休憩してもすぐに疲れるに決まってんなら健康なやつが背負って行きゃー良いだけだろうに、なんであいつ等あんなにぼけっとした顔してんだ。グレンだけはすぐに明るい顔をして、疲れたら俺が代わるぜって言ってたけど、ジェイドとガイは何であんなにポカンとしてたんだか。お前らのほうが背もあるし体力もあるんなら、グレンよりも先に言えっつーの!
それに俺はそん時はああ頼む、って言ったけど、そうさせる気はさらさら無かった。だって、また分かったんだ。なんだかよくしらねーけど、グレンも無理してるって。アクゼリュスに近付くたびに軽い頭痛がしてるって、なんとなくまた分かったんだ。それなのに相変わらず誰も気づいた様子もねえ。俺の勘違いかと思って見るんだが、確かに傍から見ても全然そんな気はしない。でも、なんでだろう。俺にはどうしてもグレンが無理してるようにしか感じないんだ。
そんなことをあれこれ考えながら歩いていたら、やたらに高いところからリグレットだとか言う女が出てきやがった。どうにもティアを行かせたくないみたいであれこれ言って、そん時に出来損ない扱いされていらっとしたが、あんなとこに居られちゃ剣で届くわけもねえ。つーか出来損ないってなんだよ、出来損ないって。ムカッとしてたらジェイドは激怒するわイオンはなんか止めるわ、それを聞こうとしたらリグレットが降りてきて。でも人間相手のしかも女じゃいくらムカついてても斬りかかるには少し抵抗がある。それに俺は人間は殺せない。いや、自分からは殺さないと誓ったんだ。
仕方ねーからイオンの側に居て、流れ弾が来ないように注意してみてたがそれだけじゃ気が治まらなくて、近くに投げるのに手ごろな木の棒でも無いかと見てた。ら、グレンがすごい勢いでリグレットに突っ込んでった。どこの誰が出来損ないだっつーんだ、あああ? と、ちょっとびっくりするくらいドスが利いた声で、恐かったけど、まあ、なんだ。うん、なんか少し嬉しかったかな。
なんか殆どグレンのオンステージだった気がするが、ギリギリのところでグレンの斬りつけを回避して、リグレットは退却した。やるな、グレン。アイツのことだ、怒っていても女を斬るなんて出来なかったんだろう。でもそれでもすごい勢いの剣戟でリグレットは引いていった、と。こいつ、うちの白光騎士団に入らねえかな。そしたらいつでも会えるのに。
そう思いかけて、すぐにそんなことを考えた自分を馬鹿だと思った。俺は、アクゼリュスで障気を消したらヴァン師匠と一緒にダアトに亡命するんだから。頭を振って、気分を入れ替える。そのついでに先刻のジェイドが激怒してた会話の内容を聞こうとしたんだが、どうも話が長くなるからって流された。畜生、アクゼリュスのことが終わったらみっちり聞いてやる、って思ったが、だから障気消したら俺はダアトに……まあいいや。流したんならそんなに大した話じゃないんだろう。
そして、アクゼリュスに入って驚いた。人が居ない。本当に、人っ子一人居なかった。アクゼリュスの中に入っていって、病人が居たんだろうベットが並ぶ部屋に入ったら、机の上にメモみたいなのがあった。どうも報告書と言うか、俺たちあてのメモみたいなもので、ジェイドが言うにはマルクト軍の陸艦が救援に来たとか書いてやがったらしい。……オイ。待て。じゃあ何で俺が親善大使なんてのに任命されたんだよ! ジェイドに食って掛かったらヤツも訳が分からなさそうにしていて、話が解らない。
訳が解らないじゃダメなのに。アクゼリュスに住んでいたやつを動かしたら戦争になるってヴァン師匠は言ってたんだ。それじゃダメだ。それじゃダメだってのに!
いろいろ、頭ん中がぐるぐるしていたら―――――――――グレンが倒れた。
「グレン?! オイ、どうした……グレン!」
「待ちなさい! ルーク、そんなに揺らさないでください。倒れた理由が分かりません。とりあえずそこのベットを使わせてもらいましょう」
ルークが駆け寄り意識の無いグレンを揺するのをジェイドが止める。冷静な声で、それだけで今のルークの気に障るのだが、言っている事は事実だ。ほとんどが同じ背丈で、肩を貸すようにして持ち上げてベッドに寝かせる。ジェイドはどうやら医学の知識があるみたいで、目を見たり脈を測ったりしてるみたいだ。
「……心拍数には異常は見られません。やや頻脈気味ですが、だからといって倒れるほどでもない……ただ意識を失っているだけのようです」
「……大丈夫なのか?」
「分かりません。ただ、ここで倒れたとなると……彼は障気と相性が悪かったという可能性もあります」
「相性が悪いって……まさか!」
「だからといって、すぐに障気障害にかかるわけでもないでしょうが……なんにせよ、早めに出したほうがいいでしょう。しかし先遣隊も居ないとなると……」
ジェイドはまだ何かブツブツと言っているが、ルークはそんなことを聞いている状況ではなかった。英雄。英雄にならなければいけないのに。戦争を起こさせないで、英雄にならなければ。なのに、アクゼリュスの人々は移動してしまっている。どうすればいいか分からなくなってしまった時に、これだ。
グレンが倒れた。しかも、障気のせいの可能性がある? では、障気に包まれたこんなところに居たらどうなるのだろう。体に良い訳が無い。そういえば最近体調が悪そうだった。ザオ砂漠でも。相性が悪くて、体力が低くなっているときに、こんなに障気が濃いところに居たら。
こうしている間にも、グレンの体が壊れているかもしれないのなら。どうすればいい。いつも守ってもらってばかりだ。いつも庇われてばかり。助けてもらってばかり。こんな時くらい、力になりたいのに。どうすればいいのかが解らない。考えても考えても思いつかない。どうすれば、
――――超振動がある。お前の超振動で、障気を中和する。そうすれば戦争は起こらない。大丈夫だ、お前一人でするのではない、私も手伝う。自身を持て、ルーク。お前は、選ばれた。お前ならそれが出来るのだ。
「……俺、ヴァン師匠が居ないか奥のほうとか捜してくる!」
「ルーク! ちょっと待っ……行っちまった、くそ!」
「いえ、ルークの言ったとおりにしたほうが良いかもしれませんね。われわれはあまりにも状況がわからなさ過ぎる。ここで帰っても私も報告ができません。海路を行ったヴァン謡将は先に来ているはずですから……彼に聞けば何かわかるかもしれません」
「では私達も……」
「ええ。しかし、奥へ行けば障気が濃くなっている可能性もあります。気をつけて進みましょう。イオン様とアニスはここでグレンを看ていてもらえますか」
「……分かりました。僕が行っても足手まといでしょうから」
「了解でーす。二人の護衛は任せちゃってください!」
アニスの言葉に頷き、皆もルークの後を追って走っていく。
それはキャツベルトの船上での会話だ。
『お前は自分が誘拐されて、七年間も軟禁されていたことを疑問に思ったことがあるか』
それは、父上たちが心配して。
『違う。世界でただ一人、単独で超振動を起こせるお前を、キムラスカで飼い殺しにするためだ』
一人で起こせる? 今みたいに?
『そうだ。訓練をすれば自在に使える。それは戦争には有利に働くだろう。お前の父も、国王もそれを知っている。だからマルクトもお前を欲した』
じゃあ、俺は兵器として軟禁されてたってのか?! まさか一生このまま……
『ナタリア王女と婚約しているのだから、軟禁場所が城に変わるだけだろう』
そんなのはごめんだ! 確かに外は面倒が多いけど、ずっと家に閉じ込められて戦争になったら働けだなんて……嫌だ、先生! 俺、兵器になんてなりたくない。いや、なっちゃいけないんだ! 俺が兵器だって言うなら、いつか人殺しをさせられるってなら……グレンは、アイツは何のためにあの時……っ
思い出されるのはタルタロス。
『人を殺したくないってその気持ちはとても尊いものだと思う。俺にはもうそんなことを思える資格はないんだけど、だからこそ尚更そう思う』
これは自分のエゴだと笑って、それでもお前にひとを殺させたくないんだと言った人が居た。殺すのが恐いといいながら、殺されたくないと、殺させたくないと願って殺すと言っていた。
『後悔は、生きている限りいつでもできる。反省も、自己嫌悪もだ。だが、死んでしまってはもう何もできん』
殺されそうになれば迷い無く殺せといった人も居た。どちらもが自分を心配しての言葉だと理解できたから何も言えなくて、迷ってばかりいた。あたりに満ちる血の匂いと悲鳴に、思考が出来なくて。呆然としていたら、死体だと思っていたオラクル兵が斬りかかろうとしているところだった。咄嗟に剣を抜こうとして―――エミヤの言葉と、泣きそうな顔で笑っていたグレンの言葉が脳裏を過ぎる。
殺される前に殺せ。それでも俺はお前にひとを殺させたくないんだ。相反する二つの言葉に迷って動きが鈍くなり、気づけばどう考えても間に合わない状況で、ああやられるのかとぼんやりと思ったら。目に飛び込む鮮血。目の前で死んでいくオラクル兵。倒れるグレン。
迷ったなんて、本当は嘘だ。ただ、人を殺したくなかっただけ。殺す覚悟が無かっただけだ。殺すのが恐くて、自分が殺されそうになってるってのに殺せなかった。俺は自分の弱さで殺されかけただけだったのに、それでもグレンはそんな俺を庇った。
結局グレンの右腕は俺を守った代償に痛覚を失って。俺はそんな代償の下に人を殺さずに済んだのだ。俺はグレンの右腕の痛覚を食らって、この手を汚さずに済んでいる。
だから、だからこそ、アイツの痛覚を奪ってまで守ったものなら、それこそ一生それを守り続けなきゃと思っていたのに。本当に、どうしようもなくなったら殺すと決めた。それでも、そんな時が来なければこのままずっと人は殺さないで居ようと決めたのだ。例え守られるだけの荷物だと思われても、それでも大人しく守られていようと。この手は己の意思で汚さない。
だというのに、戦争の時に兵器として使うために飼われていたなんて。初めから人殺しの道具として飼われていたなんて、とんだ喜劇だ。
『ルーク?』
師匠、俺、人を殺したくない。殺しちゃいけないんだ。グレン、グレンの右手は。俺がひとを殺せなかったせいで痛覚が無くなって。それでもグレンはお前にひとを殺させなくて良かったって笑ってて! だから、俺は、殺しちゃいけないんだ。アイツが痛覚を手放してまで守ってくれたものを、戦争なんかで捨てたくない。師匠、師匠、どうすればいい? 俺はどうすればグレンの願いを叶えてやれる?
『そうか……外ではじめての友達ができたのか。ならば、彼のためにも……英雄にならねばな』
英雄?
『そうだ。ルーク、まずは戦争を回避させるのだ。その功を内外に知らしめる。そうなれば平和を守った英雄として、お前の地位は確立される。少なくとも理不尽な軟禁からは解放されるだろう』
そうかな。師匠、本当にそうなれるかな。
『大丈夫だ。自信を持て。お前は選ばれたのだ。超振動と言う力がお前を英雄にしてくれる』
英雄……俺が、英雄になれば……
―――アンタはもってる力が大きすぎだ。大きすぎる力を持ってるのに、その大きさを分かっていない。
不意に脳裏に蘇ったのはフーブラス川でのグレンの言葉。その言葉が何故か不安を呼び覚まし、顔が暗くなっていたのだろう。彼の師匠はルークの肩に手を置いて、励ますように笑って言ってくれる。
『元気を出せ、ルーク。未来の英雄が暗い顔をしていては様にならないぞ』
頷いた声は、ちゃんと元気の良い声になっていただろうか。
次に過ぎるのはバチカルでの会話。
『そのスコアには続きがある『若者は力を災いとしキムラスカの武器となって』と。教団の上層部では、お前がルグニカ平野に戦争をもたらすと考えている』
俺が戦争を? そんな馬鹿な……!
有り得ないと思った。いくら師匠の言葉でも笑い飛ばそうと思ったぐらいだ。それでも、ユリアのスコアは今まで一度も外れたことが無いといわれて、笑えない。ああ、笑えない。俺は戦争を止めたいのに、俺が行くと戦争になるとスコアに詠まれているのだから。
だからといって逃げることなど出来ない。アクゼリュスに行くからと師匠を牢屋から出してもらっているし、そもそも俺がここから逃げ出したらアクゼリュスの町がやばいということもある。自分ひとりが逃げ出すために町ひとつを見殺しにするなんて、そんなのは嫌だし、後味が悪すぎる。
『スコアにはこう詠まれている。お前がアクゼリュスの人々を引き連れて移動する。その結果、戦争が起こると。だからアクゼリュスから住民を動かさず、障気を失くせばいい』
障気ってあの毒みたいなのだろ。どうやって……
『超振動がある。お前の超振動で、障気を中和する。そうすれば戦争は起こらない。大丈夫だ、お前一人でするのではない、私も手伝う。自信を持て、ルーク。お前は、選ばれた。お前ならそれが出来るのだ』
超振動で中和……本当にできるかな。師匠、だって俺超振動を自分で起こせるかどうか、
『ルーク、私の話を聞いていなかったのか? お前一人でやるのでは無い。私もついている』
師匠……
『私がついている。私も、力を貸そう。船の上でお前の超振動の暴走を納めてやったようにな』
……分かった。俺、やってみる。
『そうか。では、頑張らねばな、ルーク。お前の大切な友達が右腕を犠牲にしてまで守ってくれた目に見えないものを、戦争などで奪われぬようにするために』
はい、師匠!
『良い返事だ。いいか、ルーク。この計画は直前まで誰にも言ってはならぬぞ。特にキムラスカの人間に知られれば、途中で妨害されてスコアどおりに事を進めさせようとするかもしれん。そうなってはお前をダアトへ亡命させられない。お前を兵器と言う役目から自由にしてやれんからな』
……グレンにも、言っちゃダメなのか。
『ああ、言わないほうがいいだろう。お前のことをそんなに大事にしてくれている友達だ。このままバチカルに居ては兵器にされるかもしれないなどと、余計な心配をかけぬほうが良い。あの子なら、お前のためにとんだ無茶をしそうだからな』
そうだな。なあ師匠、アイツ、本当に俺のこと友達って思っててくれるんだ。変なヤツだよな。
『そんな顔をするな、ルーク。全てが終わったら私と共にダアトへ逃げて、ほとぼとりがさめたころにお前の状況を私から伝えてやる。そうしたらきっとお前のことを心配して会いに来てくれるだろう。今は未来を心配するより、先にやるべきことがある』
うん。分かった。師匠、俺頑張るよ!
英雄にならなきゃいけない。英雄にならなければ、俺は戦争の道具として飼い殺される。いつか兵器として敵を殺せと命令されるのだろう。そんなのはごめんだ。俺は絶対兵器にはならない。人を、殺さない。自分からは決して人を殺さないと決めたのだ。俺に殺させないために自分の手を赤く染めていくあいつが守ってくれたものを、そうまでして守り続けようとしてくれるものを、俺も守ると決めたのだ。
アクゼリュスから人が動いてしまって、師匠の言うとおりにスコアどおりになってしまっているのかもしれないけれど。まだ間に合う。きっと、師匠に相談すればそれでも助けてくれるだろう。
親善大使として英雄になれなくなったなら、それなら俺は俺にしかできない方法で町を救って英雄になるんだ。
そうすれば、きっとグレンの体調もよくなる。もう兵器にならなくて済むんだって言える。お前が右腕をかけて守ってくれたものは、ちゃんと守り通すぜと胸を張って言えるだろう。いい加減に気にしすぎだとお前は笑うだろうか。重荷になりたかったんじゃないと怒るかもしれない。
重荷なんかじゃない。これは俺が自分でそうしたいと願ったことだ。俺はお前が守ってくれたものを自分でも守ると自分自身に誓ったんだ。そのためには、まず。
「―――師匠に会って、アクゼリュスの障気を中和する!」
たとえ俺一人では出来なくても、師匠が助けてくれるんだから。
ぼんやりと目を開ける。頭痛が激しい。吐き気と眩暈。普段ならまだ平気なはずの障気が、喉の奥に絡まるようで気持ち悪かった。ごほごほと咳き込めば、名前を呼ばれた。なんだか切羽詰ったような声だった。のろのろと顔を動かせば、こちらを心配そうに見つめている二人。
「イオン、と……タトリン奏長?」
「眼が覚めたんですね! 良かった……」
「もー、心配したんだから! ……自分がどうなったか、覚えてる?」
「俺は……」
アクゼリュスに入ってから、正直頭痛が酷くなった。確かにあの時も散々アッシュに奥に行くなって声を送られていたっけな。そのタイミングだったのだろう、ただでさえトラウマの土地に足を踏み入れて緊張していたのに、頭痛が激しくなりすぎて気を失ってしまった。
額に手をおき、体を起こす。とめようとする声にやんわりと大丈夫だと返し、辺りを見回す。人っ子一人居ないという事はエミヤが予定通りに住民の移動をしてくれたのだろう。予定ではここで再会するはずだったのだが、さてどこに居るのだろうか。
それにしても、さっき眠っている間に何かを見ていたような気がしたのだが、よく思いだせ―――
―――俺はどうすればグレンの願いを叶えてやれる?
思い出す。眠っている間に同調フォンスロットを通じて流れ込んできた、ルークが今一番思いつめていたことを。どうして英雄にならなければといっていたのか、その記憶が。グレンの顔色が一気に青くなる。こうなるとは思っていなかった。こんなふうになるとは思ってはいなかったのだ。まさか自分をダシにしてヴァンがルークに障気を中和させるなんて。
大切だからこそ言わなくて、大切だからこそその願いをかなえようとして、表われてきた優しさゆえにルークはヴァンの思惑通りに動いてしまう。違う。こんなことを願っていたんじゃない。こんなふうにルークを追い詰めたかったんじゃない。守りたかっただけ。俺には無理だったから、いつかは敗れてしまう願いでも、せめて今の間だけでも守りたかっただけなのに。
「?! ダメです、グレン! そんなに顔色を悪くして……動かないでください!」
「止めるな、イオン! 俺はルークのとこに行かなきゃ……早く止めなきゃ行けないんだ!」
「ちょ、アンタ何を言って……」
「行かせてくれ! 説明してる時間がない! 止めなきゃ……あいつが!」
真っ青な顔色のまま起きあがろうとしてよろめくグレンを、イオンが咄嗟に押し留めた。それでもグレンは無理やり起き上がろうとして、アニスと二人がかりで止めようとするのだがそれでも彼は起き上がろうとする。グレンが何に焦っているのか、何を言っているのかは解らない。
解らないが、ただ、とてつもなく不吉に感じられたのは何故だろう?
イオンが戸惑ったようにアニスと視線を交わしていると、不意に聞きなれない声が扉のほうから聞こえた。いや、違う。聞きなれない声、ではない。知っている声だ。ただ、最近はあまり聞いていなかっただけの。
「やれやれ、これは一体どういった状況だ。また無理をしたのかね、マスター?」
その声に三人は一斉に振り向く。背の高い男だ。赤い外套をまとって、偉そうに腕組みをしながら扉に寄りかかりこちらを眺めている。短い白髪に、刃色の瞳。そんなに離れていたわけではないのだが、ひどく懐かしい顔に、グレンは呆然と己の従者の名前を呟く。
「エミヤ……」
「久しぶりだな。仕事はキッチリこなしたぞ、マスター。住民は移動させた。タルタロスも一応この近くにおいている。ここまで操縦させた兵も移動を確認済みだ……が、どうしたんだ。予定よりも少し早い到着だったな」
「え、ちょっと待って。じゃあここの住民を移動させたのって……」
「エミヤ殿?」
「……っ、エミヤ!」
アニスとイオンが戸惑ったような声で質問するよりも先に、グレンは切羽詰った声で己の従者の名前を呼んだ。グレンのその様子にアーチャーはいつもの皮肉げな表情を消し、真剣な表情になる。改めて、主の側に二人しか居ないことに気づいたらしい。彼の眼からして見ても結構懐いていたあのルークが、今グレンの側にいないという不自然さに思い当たって、一気に表情を険しくする。
「まさか……」
「エミヤ、今すぐ俺たちをルークの側まで連れて行け!」
「分かった。では失礼する、導師イオン」
「へ? うわ!」
「イオン様!? あんた何すん」
「君は私の背に掴まれ、タトリン奏長。なに、ごついトクナガだとでも思えば良い」
「ふぁ?」
グレンを荷物持ちにしたかと思えばイオンを肩の上に抱えあげて、とりあえず止めようとしたらなんだか頓珍漢なことを言われた。だというのに、赤い男は思わず固まるアニスにしゃがんで背を向けている。どうした、早くしろ、などといわれても。おいこらなんで俺だけ荷物の持ち方なんだよとグレンがぶつぶつ言っているが、久しぶりに見た彼の従者は一向に気にするつもりもないようだ。ああ。これでこそグレンの従者。あまり会話をしなかったが、アニスはなんとなく納得してしまう。
「頼む、タトリン奏長! 今だけは話を聞かずに言うことを聞いてくれ!」
グレンが必死に懇願してきて、訳が解らないながらもその言葉にこめられた感情が切羽詰っているのは分かって、あああああもう、とぼやきながら赤い男の首下に腕を回す。トクナガだったら台座があって楽なのに。しっかり捕まっていろと言った後、行くぞとにやりと笑って赤い男は走り出した。
――――両手に二人を抱え、背中に小娘一人背負ったまま、とんでもない、人外のスピードで。
「うきゃあああああああ?!」「うわあああああああ!」「エミ……もうちょ、静かに、ぐふ! 振動…!」
荷物みたいに脇に抱えられているグレンが一番ダメージを喰らっているようだが、気にかける余裕はイオンにもアニスにもない。ただ、人間ジェットコースターから振り落とされないように必死になってしがみ付くだけだ。
ああ、走るときの風切り音が耳元でしっかりと聞こえるなんて初めて。ってか、本当に人外じゃんこいつ!
ジェイドが暇さえあれば人外だと評していた理由をアニスも身にもって知り、しかし声を出せば舌を噛みそうでぎゅっと黙り込む。ひたすらしがみ付きながら、後で絶対一発殴ると涙目になりながら誓うのだった。
ルークを追って奥に入っていったジェイド達は、濃くなっていくだけの障気と、ルークが見つからないことに困惑していた。あらかた町は見終わった。と言う事は、これ以上奥というなら坑道しかないのだが……どの坑道に入って行ったのか、皆目見当がつかないのだ。
「クソ、ルークのヤツ……どこに行ったんだ?」
「迷子になってなければ良いんですがね。坑道というのは道が入り組んでいて、一度迷うとなかなか出られない。……それにしてもおかしい、先遣隊の姿が見えないというのは……どういうことだ?」
「大佐、それよりも今は先にルークを……」
「……そうですね。では手分けし」「きゃあああああぁぁぁぁぁ」「うわああああああ!」
ジェイドが言いかけたところで、びゅおんとすごい勢いで何かが目の前をよぎっていった。巻き上がる風でふわりと皆の前髪が靡く。とんでもないスピードだ。辛うじて見えたのは赤。赤い、背の高い……男? ナタリアはわけがわから無さそうにキョトンとしていたが、残りの三人は思いあたるものがある。
「あの速さは……」
「えーっと、旦那?」
「人外ですね」
「なんのことですの?」
何かを悟ったようにぼそりと呟く三人に、一人だけ解らないナタリアが眉をひそめる。そんな彼女に多分さっきのはグレンの従者のエミヤと言う者だと説明され、彼女の頭の中に浮かぶのは伝説のレシピ。
まあ、先ほどの赤い風が。それならぜひとも料理についてご教授願いたいですわね。
油断してついうっかりのんきなことを考えてしまった自分に気づき、はっとする。今はそんな場合ではない。ナタリアは慌てて頭を振って、エミヤの走っていった方向を見つめる。
「あれは……第14坑道?」
何故彼がそんな場所を目指して走っていったのか、誰にも解らない。解らないが、どうして彼がここに居るのか。もしかしたらここの情報を知っているかもしれない。彼は、グランコクマに行くといっていたのだから。ジェイドはそう判断し、彼の後を追おうとして―――誰かがまた走ってくる音に振り返った。
そして、驚く。
「おい! あの出来損ないとヴァンのヤローはどこにいる?!」
「鮮血のアッシュ……何故ここに?」
剣を握って物凄い形相で怒鳴ってくる相手に、ジェイド達は咄嗟に戦闘体勢を取る。しかしアッシュはそんな彼らに気を向けるでもなく。何かを探っているようだ。目を凝らしながら、辺りを見回している。
「走りながらならいくらでも話してやる、それよりあの屑はどこだ! ヴァンのヤローはとんでもねえ事をあの馬鹿にさせるつもりなんだぞ!」
坑道の奥にたどり着くと、無理やり破壊されたダアト式封呪の扉が見えた。イオンは驚いていたが、グレンとアーチャーは舌打ちをする。やはり超振動で無理やり入って行ったらしい。
「くそ、エミヤ!」
「わかっている!」
走る。走るが、ここは中が螺旋階段のようになっていて、先ほどまでのようにはスピードが出ない。ぐるぐると降りて行く途中で―――パッセージリングに両手を翳すルークの姿が見えた。グレンの背筋が凍った。ルークは真剣な顔をして集中している。その彼をみて、ヴァンは口元を歪めて、
「ダメだ、ルーク!」
さあ、力を解放するのだ―――『愚かなレプリカルーク』
嘲りを含んだその声が発せられると同時、ルークの掌に集まっていた光が大きくなる。凄まじい衝動が世界を駆ける。明滅する光。ルークは突然のその自分の手の中の力の暴走に驚いているようだが、何も出来ない。
そして、音叉の形をしたパッセージリングにひびが入ったような音を聞いた瞬間。グレンは決断を下す。
「エミヤ、降ろせ」
「何だねグレン、今は小僧を……、まさか!」
「止めるな、アーチャー」
アーチャーはぎりりと歯を食いしばり、しかし大人しくグレンを降ろす。そしてアニスとイオンも降ろし、ルークの手の中の光が強くなるたびに生まれる衝撃波のようなものから庇うように背に隠す。イオンとアニスからはアーチャーの背に隠れて、ルーク達の姿が見えない。ただ、グレンが何かを思い切るように閉じていた瞼を開けたのは見えた。
グレンは左手を音叉の形をした音機関に向けて、右手で左手を押さえていた。ぼう、とした光が彼の左掌に宿ったかと思えば、ルークの掌の中の光よりももっと鮮烈な輝きと衝撃が生まれる。何が何だか解らない。ただ、その光を見たら何だか恐くなって。咄嗟にイオンの前に出る。
「死ぬぞ、マスター」
「分かっていたのに止められなかった。ならばこれは俺の罪だ」
「……ルークは怒るだろうな」
「この崩落は俺の罪。二度目は自分の意思で背負う」
彼らが何を話しているのか解らない。ただ、ルークの手の中の光が音叉にひびを入れた瞬間。強すぎるまぶしい光にアニスとイオンが目を閉じたと同時、その大きな音叉が崩れきるよりも早く、グレンの掌から放たれた光が欠片も残さず崩れかけたそれを吹きとばした。
轟音。音が大きすぎて逆に静かになっているように感じる。耳が痛い。
「まさかお前まで超振動を使えるとはな……何者だ?」
地震が起きて、崩落のはじまる中。驚いて辺りを見回すイオンとアニスは、はっとしてヴァンのほうを見る。すぐ隣でがくりとヘたれこんでいるルークに目も向けず、これまた後ろに倒れかけてアーチャーに支えられているグレンを見ながら冷笑を浮かべて聞いていた。
答える気力もないのか、ひゅーひゅーと弱い呼吸をしているだけの主に代わり、射殺すような殺意を持ってアーチャーがヴァンを睨みつける。
「私の主で、貴様の敵だ」
「ふっ……そうか」
「畜生、間に合わなかったか!」
聞こえてきた声に振り返り、ヴァンは驚いた様に目を見張る。
「アッシュ! 何故ここに居る、来るなと言ったはずだ!」
「……残念だったな。俺だけじゃない、あんたが助けようとしていた妹も連れてきてやったぜ!」
アッシュのその言葉にヴァンは顔を歪め、指笛で鳥型の魔物を呼びつける。ヴァンはそれに飛び乗りながら、もう一体の魔物にアッシュを連れさせて空に舞い上がった。
「放せ! 俺もここで朽ちる!」
「イオンを救うつもりだったが、仕方ない。お前を失うわけにはいかぬ」
アッシュは腕を掴んでいる魔物を殴っているが、魔物は彼を放そうとしない。ヴァンが一つ手を振り合図を送ると、そのままどこかへ高くアッシュを連れて行ってしまった。そしてやや遅れて、ジェイドたちが追いついてきた。はじまっている崩落と壊れたパッセージリングを満足そうに眺めているヴァンを見て、ティアの顔が泣き出しそうに歪む。
「兄さん! やっぱり裏切ったのね! この外殻大地を存続させるって言ってたじゃない!」
「……メシュティアリカ。お前にもいずれわかるはずだ。この世の仕組みの愚かさと醜さが。それを見届ける為にも……お前にだけは生きていて欲しい。お前には譜歌がある。それで……」
「兄さん!」
悲鳴のような声で詰る妹に対してだけ、人間の感情を浮かべたヴァンの声が生き残る術を彼女に残す。それだけを言い残すと、彼は妹の叫びにも振り向かず魔物に乗って空へと消えていった。
「まずい、坑道が崩れます!」
「私の傍に……早く!」
グレンを担いだアーチャーはすばやく主をティアの近くに横たわらせ、ルークを担いでこちらに走ってくるガイの援護に行く。イオンとアニスもティアの側に寄り、ジェイドとナタリアもティアの近くに駆けつけた。ティアの譜歌が周囲にバリアをはる。フーブラス川でも彼らを守ったユリアの譜歌は、ここでも彼らの命を繋ぐ役割を果たしたのだ。
大地が崩落する。激しい揺れと共にアクゼリュス全体に亀裂が走り、地鳴りと共に崩れていく。高い空から、地獄のような地の底へと落ちていく。
それはある少年の優しさゆえに。大切なものを守りたいと願うその心から、ついにこの世界も崩落をはじめてしまった。激動が始まる。この崩落は、その序章がはじまっただけに過ぎないのだから。