タルタロスにいる間はずっとグレンの傍にいた。食事はエミヤがとってきてくれた。どれだけ俺が第七音素を集めてみても、体を構成する第七音素にはできない。俺の第七音素をエミヤが受け取って、それをグレンに流せたらよかったのに。でも、俺とエミヤの間に繋がったラインは魔術行使にのみ使用されるラインだったから繋がったようなもので、それ以上を願うのは過ぎたことだ。
眠っていても、生きている。それだけで今は十分だと思わなければいけないのだろう。
「眼帯を買わねばなるまいな」
ポツリとエミヤが呟いた。言われて、そういえば自分の片目の色が明るい赤に変わってしまっているのだと思い出す。確かにこの色のオッドアイは自然には存在しない。目立つことこの上ない特徴ではあるし、さっさと隠すに越したことは無いだろう。
そう言うのを考えると、今の状況は助かったのかもしれない。わざわざ部屋に足を運ぶのは俺に食事を持ってくるエミヤくらいで、他は誰も近寄らないんだから。……本当は、イオンはグレンの様子を見に来たいんだろうが俺がいるからとアニスやらジェイドあたりから止められてるんだろう。会わせてやりたいんだが、俺はいま先ほども言った譜眼の変化などによりあまり船内をうろつけない。その結果いつもこの部屋に閉じこもってばかりで、イオンがグレンに会いにこれない状況を作ってしまっている。
エミヤは、考えようによっては今のグレンの状況をジェイドたちに見られずに済んでいるから御の字だ、と言ってくれてはいるが……多分フォローなのだろう。あの皮肉屋エミヤにまでフォローされるとは、俺も何だかんだ言っても師匠に裏切られたとかその他もろもろダメージをくらってたんだろうか。
感情の起伏が、自分で妙なくらいに平坦になってしまって、よく解らない。未来を知って改変をする可能性を手に入れる対価に、感情をごっそり取られていったみたいだ。まあ構わない。それでグレンの願いを叶えることが出来るなら安いものだ。
……実際のところはエミヤが言うには『譜眼と譜陣の過多な重ねがけによる感情減退』らしいけど。素質がなければ精神汚染だといっていたが、素質があっても過ぎれば危険って訳だ。でも、そうでもしなきゃグレンが助からなかったっていってるんだからしょうがない。俺は別に困るでもなし、一向に構わない。
それに、考えてみれば感情がなくなるならこのタイミングが一番良かったんだろうとも思う。グレンは眠ってるし、グレンの記憶の中ほどではなくて少しひとりになって頭を冷やせ、って言う程度だったけど、仲間は俺に呆れて不干渉だ。俺が少々変質してしまっても、今なら妙な探りは入れてこないだろう。
「……なあエミヤ、ユリアシティに着いたときはどうすればいい。皆に会うときにずっと片目瞑ってるなんて怪しすぎるぞ」
「そうだな……甲板でグレンと殴りあいをした事にして、包帯でも巻いておくか?」
「グレンヘロヘロだったじゃないか。つくなら……そうだな、俺が崩落をグレンのせいにしようとして、怒ったエミヤが教育的制裁を入れたってことにしたほうが……」
「自虐発言をサラリと普通に言えるようになってしまったか……偽悪ははがれた時に周りが辛い。装うなら決してばれないようにせねばなるまい。さて、ルーク。嘘をつき続けると言うことは得意かね?」
「俺だって嘘くらいつけるさ」
「一時つくのと、つき続けて何かを隠すというのは随分違うぞ。はっきり言って骨だ。そうしなくてもいいならしないほうがいい」
「……間抜けなルークは甲板ですっ転んで顔から手すりに突っ込みました。これでどうだ」
「妥当だな。では包帯を巻いておこう」
ユリアシティに着いたらしい。いきなり左目に包帯を巻いていたから皆も少し驚いていたようだが、あまり詮索はされなかったので実はこっそりほっとしていた。ただイオンだけは何か言いたそうにしてたが……本当にお人好しだな、アイツも。
タルタロスから降りる。皆はティアの促す声にしたがって奥へと進むが、俺は動かない。グレンを背負っているアーチャーの足が止まり、確認するように振り返ってきたので目で返す。肩をすくめて、その場に残った。一応協力者だから、万が一危なくなったら助けようとでも思ってくれてるんだろうか。
俺たちが動こうとしないことに気づいて、ティアが振り返ってこちらに歩いてくる。なるほど、今なら分かるぜグレン。お前の言ってた通り、たしかにこいつは根っからの生真面目だ。
「……いつまでそうしているの? みんな市長の家に行ったわよ」
「ならお前も行けばいいだろう。俺はドッペルゲンガーに、あれこれ返してやらなきゃいけないんだから」
「……! ルーク、まさか……知って……?」
恐らくアクゼリュスの坑道をアッシュ達と進んだ時にでも聞いたのだろう。ルークは動揺するティアに視線も向けずに背後に意識を向ける。感じないはずなのに感じる気配に、やはり記憶のとおりだと声をかけた。
「おい、そこにいるんだろう。出てきて下さいませんかね、元バチカル貴族の『オリジナルルーク』サマ」
その言葉で確定する。彼が、自分が何かを知っているということに。ルークの言葉を聞いて、今までどこにいたのかアッシュが姿を現した。敵愾心も憎しみも殺意も隠そうとしていない。そんなアッシュを見て、ルークは凪いだ感情の下でぼんやりと考える。おかしいな。廃工場を出た後と、ザオ遺跡と。
会うたびに気持ち悪かったのに、今では何も感じない。感情が本当に根こそぎなくなったのか、まだそこに回るほど心の余裕が回復していないのか。まあいい、そんなことは些事だ。ルークがこれからすることには何の影響も無いことに過ぎない。
「屑……てめぇ、知ってやがったのか」
「最近な。まあヴァン師匠にも言われたし、なんのこっちゃって思ってたけどいろいろあって分かったよ」
言葉はまるで挑発しているようなものばかりなのに、その声は酷く淡々としている。瞳は冷えている。声は揺らがない。自分が誰かの複写人間だ、と知ってしまった人間にしては妙に冷静すぎる。何もない、温度の無い表情。いくらなんでも、これはおかしい。目の前に居るこれは、誰だ?
アッシュとティアはルークの変容にここにいたって気づき、表情をきびしくする。アーチャーはただ静かにルークを見ているだけだった。
「オリジナルルーク。あんた、このまま皆と一緒に外殻大地へ行け」
「……何だと?」
「俺は俺で動くから、お前はあいつ等と一緒に動けって言ってんだ」
「ふざけんな! 屑が俺に命令する気か?」
「ふざけてねえよ。そうだな。俺はもうバチカルの屋敷に帰るつもりがないんだけど、そうなったら母上が心配してまた倒れるかもだろ。そうしたら流石に悪いから、お前が屋敷に帰ればいい。でも、屋敷に帰るにしてもお前はカイツールでアリエッタに命じて人を襲わせてるから、その分何かで覆い隠して帰らないと面倒くさいことになる。だから皆と一緒にヴァン師匠のことを止めて、大手を振って屋敷に帰る。どうだ、あるべきものはあるべき場所へ。一番理想的な帰還方法だろ」
「……ふざけるなっ! お前は、俺を、馬鹿にしてるのか?! 俺はお前に存在を食われたんだ! 過去も未来も奪われた……ここにいるのは燃えカスだ、今更のこのこ帰れるか! お前を憎んで、憎んで、ずっと憎んで生きてきた! それをあっさり返すだと……そんなんで許されるとでも思ってんのか!!」
「別に許して欲しいから返すって言ってる訳じゃない。ただ、俺は誰かの代わりなんてごめんなんだよ」
あそこにいても、あの家の人たちにとっては俺はお前のマガイモノだ。そう言うふうに見てくる奴等の中に何で俺がわざわざいなきゃならないんだ。わざわざ針のむしろに座り続ける趣味は無い。はっきり言って嫌だ。だから、俺にはあの場所は要らない。俺から捨ててやる。
オレは誰かの代替品なんていう存在理由なんて、要らない。いらないんだよ、オリジナルルーク。あの場所はお前の場所で、俺にはいらない。
お前はお前で、俺は俺で、アイツはアイツなんだから。
「俺は、俺自身の意思でグレンの願いを叶えると決めた。俺のために俺の願いを叶えると決めた。とりあえずそれが優先事項で、それだけだ。むしろ身辺整理ってやつかな。いいんじゃないか、帰れば。俺はいらないって言ってるんだから。母上……いや、シュザンヌ様もファブレ公爵もきっと喜ぶぞ」
「いい加減にしろ! お前は、俺をどこまで愚弄すれば気が済むんだ! この劣化レプリカが!」
ついに激怒したアッシュが剣を抜きルークに切りかかってくる。それを抜いた剣で防いだルークはやはり表情が浮かんでいない。感情を削がれた彼からは、ギリギリと剣で競り合っているというのに力んでいる様子も見れない。
静かに観察する瞳しか浮かべることが出来なくなったルークは、淡々と言葉を呟くのみ。
「レプリカレプリカレプリカレプリカ……そんなに自分が本物だと叫ばないと、安心できないのか。それとも自分が保てないのか。弱いな、俺の被験者の癖に」
「黙れ! 屑の癖にべらべらべらべらと……喋りすぎなんだよ!」
刃を合わせる。ルークは人と斬り結んだことは殆ど無い。いつもグレンに守られていたからだ。けれどもうグレンは守ってくれない。いや、違う。守られるだけでは願いを叶えることが出来ないと知った。ならば切り捨ててでも、先に進むまで。これからの道は、自分の身は自分で守らなければ。
何があっても、進むと決めた。
だからごめんな、グレン。ずっと守っててくれたのに。
―――自分の意思で、人を、斬るよ。
「!! ……ちっ」
ざん、とアッシュの額の薄皮を一枚裂いて振り下ろされた刃には、微塵の迷いも無かった。咄嗟に引いていなければ、確実に脳天を割られていただろう。殺気は無い。ただ、やるべきこととして情もなく処理するように振り下ろされた刃だった。避けられたというのに、ルークには悔しがる様子も見えない。ほっとしているでもない。表情を変えない。見れば分かる、今の彼はどこかが確実に壊れている。
「はん、やるじゃねえかっ……タルタロスの時はまともに反応も出来なかったお坊ちゃんがよぉ!」
「殺したくないが殺されるわけにはいかない。お前が殺す気で来るなら、仕方ないから俺が先にお前を殺すまでだ」
「やれるもんならやってみろ!」
再びかち合う剣と剣。その剣筋はだんだんと容赦というものが削げていく。当たれば確実に殺せるように。そんな殺し合いじみてきた剣戟だ。
当たり前の作業のように、それこそジェイドのようになんの躊躇いもなく命を刈り取ろうとしたルークを見てティアが顔色を変える。今のルークのおかしさが、はっきりと分かってしまったのだろう。人を殺すのを怖れていた、甘すぎるくらい優しい、ただの子どもみたいな世間知らずのお坊ちゃんはどこにもいない。
「だいたいてめぇ、一人になって何をするつもりだ? 逃げ出すとでも言うのか、アクゼリュスを崩落させたことから! ふざけんな、人こそ死ななかったが、お前のせいでとんでもないことになったんだぞ!」
「ああそうだな、俺はアクゼリュスを崩落させた。罪は俺に在る、責は俺が背負う。―――俺以外の誰かに、この罪業は渡さない。俺の罪だ。だがな、オリジナルルーク。それで俺を責められるのは、……復讐権が存在するのは、帰る場所を有無なく俺に奪われたアクゼリュスの民だけだぜ。
あの屋敷に帰ってこなかったのはお前の意思なら、復讐権はお前にない。違いが分かるか?」
「言葉遊びを……っ!」
確かに落ち着いて考えさせようと一人にしていたが、その間に一体何があったのか。アクゼリュスの罪は自分だけのものだと、傲岸に言い放つ彼は一体誰だ。復讐されることを当然と言い放つ彼は誰だ。罪に怯えてすべてから目を背けていた子供は一体どこに行ってしまったのか。
何かがおかしいと、これ以上やれば本気でどちらかが死ぬかもしれないと思い至って止めようとしたティアの耳に、今まで黙っていたアーチャーの呟きが聞こえた。
「アレでは殺戮人形だ……流石に気に入らん。止めるのは私の義務か。グランツ響長、マスターを頼むぞ」
「は?」
ティアが聞き返すよりも先に、アーチャーは背負っていた主をぺいっとティアの方へ放り投げた。放っておけば頭から床にぶつけていたかもしれない。大慌てでグレンを支える。そして彼は何をしているのかと思えば、激しい剣戟を繰り返す二人の間に割って入って、黒白の双剣で二人の刃をあっさりと止めていた。
アッシュは勝負に水を差されたのを怒っているのか闖入者を睨みつけていて、ルークの方はやはり感情らしい感情を浮かべず、ただどこか不思議そうな顔でアーチャーを見ている。
「そこまでだ、悪餓鬼ども。兄弟喧嘩にしては激しすぎだ。引きたまえ」
「誰が兄弟だ! だいたい、なんだてめぇ! 真剣勝負の間に割って入りやがって!」
「ふむ、貴様がアッシュか。私としてはいろいろ積もるものもあるのだが、流石に大人気ないので流してきたが……これ以上はた迷惑な殺し合いをやると言うなら、先に私がお相手しよう。ルーク、グレンは出来ればグランコクマに運びたい。早急に浮遊機関を手に入れる必要がある。それまでのグレンの保護とユリアロードの使用許可を、その旨市長に話してきてもらえないか」
「分かった」
「こら待て! てめえ、逃げるのか!」
「ああ。エミヤが止めてるのにこれ以上暴れる勇気は俺は無いからな、逃げさせてもらうよ」
ルークはアーチャーの言葉にあっさりと頷き、剣を納める。そのままアッシュに背を向けスタスタと歩いてティアに近付き、グレンに肩を貸すようにして受け取り微妙に引きずっていく。ティアとしては、何故グランコクマに運びたいのかとか何故ユリアロードを知っているのかなどを問いたかったのだが、皮肉屋の煽る様な言葉に一触即発寸前に戦意が膨れ上がってる赤くて黒い二人をみて、止めるべきかどうか迷ってしまう。いや、止めるべきだとは分かってるのだが……はたして止められるか。
怒りのボルデージが上がっていくアッシュと引き換えに、アーチャーはとてもいい感じに口元に笑みを浮かべている。ああ、間違いない。アレでは止めても両方聞かない。嫌な確信をしてしまうティアがまだそこに残っていたのに気づき、アーチャーは先に行っていろと手振りで示す。
諦めて大人しく進むことにした。そうすればすぐにグレンを連れているルークに追いつく。どうやらグレンを引きずって歩いていたことに気づいたらしく、ルークはよろよろしながらも彼を肩に担いで歩いていた。その後ろ姿だけを見れば、何も変わっていないように見えるのだが。
「……ルーク」
久しぶりに呼んだ気がする名前に振り返る緑の瞳は、やはり何の温度も宿していない。冷たくは無い、けれど温もりも無い。何の感情も持っていない眼だ。これはきっと、無関心の瞳だ。見ている事象に対して何も感じない、無感動の心。こんな目で見られて、何も感じないわけが無い。現にティアの心にざらざらとした苛立ち、不快なものが溜っていく。
何かを言わなければと思ったのだが、何を言えばいいのか分からない。それに、何を言っても今のルークには届かないような気がした。結局、ティアはルークの視線から目をそらす。自分から彼を呼んでおいてこれは失礼かと思ったが、そうせざるを得なかった。
「今のあなた、変よ」
声も、目も、言葉遣いすらも、何もかもが違う。
ティアがなんとか呟いた事実指摘に、それでもルークは平然と答える。
「やっぱり変か。まあ、俺のことなんて些末なことだ。気にするな」
返答はやはり静かなだけで何の感情もこもっていない。ただ、彼がグレンを肩に担ぎ直していた時。案外重いなぁこいつ、と。呟いた時だけは、どこか人間味のある声の響きに聞こえた気がした。
ユリアシティに一時グレンを置いていく、というのは少し不安がある。この都市の存在は六神将でもリグレットが、そしてヴァン師匠自身が知っているのだから、下手に置いていったら俺たちがいない間に簡単に連れて行かれるかもしれない、と言う危惧があるからだ。エミヤがグレンの傍にいてくれたら安心だが、浮遊機関のあれこれはナタリアかエミヤがいないとどうにもならないだろう。
とりあえずグレンを寝かせに入ったユリアシティの一室で、どうしたものかと悩んでいたらコテンパンにされて意識を失っているアッシュを担いだエミヤが帰ってきた。他にもベッドがあるというのに思い切り床に寝かせようとするんだから、俺の知らない場所でアッシュはエミヤの怒りを買ってたんだろうか。地味に嫌がらせだ。あれ、起きたら絶対からだの節々が痛いぞ。まあ別にいいけど。
グレンならエミヤを止めるんだろうが、別に俺はグレンな訳でもないし。床で寝かせられているアッシュに毛布はかけるがベッドに運ぼうとはしないまま、困っていたことを話した。そうすれば、エミヤがどうにかできると言っていた。
トウエイマジュツとか言うのでどうにかするから俺の譜陣が作動するが良いかと聞かれて、それでグレンの安全が保証できるならなんだって良いと答えれば、エミヤに溜息をつかれた。俺おかしいこと言ったっけ。
エミヤの魔術が始まった瞬間、俺の身体中に刻まれた譜陣が光を放つ。左眼が痛んで、咄嗟に片手で抑える。が、投影はすぐに終わったようで、すぐに譜陣の光が消えて、エミヤは見たこともない小さな小刀を何本か手にしていた。
血が滲む左目に手をおきながら、どうするのかと聞けばこうするのだと言って天井に一つ、グレンのベッドを囲むように四隅にひとつずつ、その小刀が投げられる。エミヤが何かの名前を呟いたように聞こえた。そうすれば、ぱきんと何か固いものが割れるみたいな音がして、五つの小刀が淡い光を放っている。
訳がわからず首を傾げると、ナマクラの剣を投影(宝具、とか言うのじゃなかったら左目は痛まないみたいだ)して、徐にグレンのいる場所に振り下ろす。驚いた俺が声をかけるより先に、その剣は不可視の何かに弾かれた。エミヤはバリアーのようなものだ、と教えてくれた。なるほど、これならグレンは安心だ。
じゃあ早速ユリアロードを使って外へ行こうと言うのだが、そこでエミヤはとんでもないことを言い出したのだ。
「グランツ響長を連れて行け」
訳が解らないとはこのことだ。俺のタルタロスでの決意をエミヤは知っているはずなのに。
「……エミヤ、俺言ったよな。全部ここに置いていくって。聞いてただろ」
「分かっている。しかし、我等はこれからパッセージリングの操作をせねばならんだろう。リングの起動にはユリアの血族が必要だ」
「そんなの俺の超振動で操作盤を……」
「小僧、お前はスイッチも入ってない操作盤を動かしてどうにかなると思っているのか?」
反論できません。電源の入ってない状態でいくら操作盤をいじってもどうにもならない、ということくらい俺でもわかる。しかし、納得いかない。それじゃあ対価にならないじゃないか。腕組みをしてじーっとエミヤを見続ける。そうすれば、無表情でこちらを眺め続けるのはやめてくれといわれた。あれ、やはり無表情だったのか。一応不機嫌そうな顔をしたつもりだったんだが。
頑張って眉をよせる。そこに転がってるヤツみたいだぞと言われた。じゃあどうすれば良いんだよ。無視してアッシュの顔真似をしてエミヤを見続ける。アーチャーはやれやれと首を振り、俺を指差して苦笑する。
「あとだな。君のそのさっくりと削除されたコミュニケーション能力と感情のリハビリに、私以外の普通の人間を連れて行ったほうがいい。でなければ、誰かと交渉するということもまともにできん。交渉でおさまればそれでいいのだ。やたらめったら敵だらけでは余計な恨みを買って動きにくくなるからな」
「なら、ティアじゃなくてガイのほうが良くないか。アイツだって結構無表情じゃないか。イオンにカースロットを解いてもらってガイを連れて行けばいいだけだろ。……ついてきてくれるかは別として」
「剣士が三人になるだろう。回復が一人は欲しいところだと思うがね」
「グミあるだろ」
「それでも後衛が一人はほしいだろう。それにあちらのほうを考えてみろ。ガイがいなくなれば前衛が一人、後衛が四人。だぞ」
「アッシュと……アニスと、でもジェイドもアレで前衛も出来るだろ」
「あの大佐殿から譜術を取るほうが戦略的に下策だ。タトリン奏長は早いうちにダアトへ帰ろうとするだろう」
「なら、俺らはバチカルでの逃走経路確保とか地核振動の対策とか、モースに対してとか、そういう裏方を……」
「そもそもだ。私はユリアロードの存在は知っていても、使い方は知らん。知っているのはこのユリアシティの住民くらいだぞ」
「………………」
なるほど。何も言えない。でもそれならテオドーロさんに聞けばいいだけなんじゃないだろうか。でもそう言ってもまた何やかやと理由をつけて振り出しに戻るだけの気がする。まあ確かに、ガイまで抜けさせたとして、アッシュがグレンのときと同じように一人で行動しようとしたら、アニスを残して前衛が壊滅状態になるだろう。同じく治癒師としてはナタリアがいるが、彼女はオリジナルルークの傍にいたほうが良い。
確かにそれを考えたらティアしかいないのだろうが……
「……エミヤがいたら、治癒師とか要らないんじゃないのか」
「それは否定せん。が、万一ということもある……それに、」
実はこれが一番ネックになっていることだが、とアーチャーは続ける。
「ルーク、お前は自分が超振動を使えることを知ってはいてもグレンのようには自分では制御できていない。お前も第七音素の制御訓練は受けておいたほうがいいだろう。パッセージリングをうっかりまた破壊しましたでは話しにならん。
しかもだ、今回はグレンのときより制御は難しいぞ。刻まれた譜陣が容赦なく発動して、ちょっと力を込めただけでもとんでもない超振動になるだろうからな。パッセージリングをいじるにしても、制御が命だ。私がわかるのは魔術で、譜術は専門外でね。だとしたら、連れて行くのは第七音譜術士(セブンスフォニマー)のほうが良いということもある」
もう諦める。ルークは両手を挙げて降参のポーズをするしかない。
「分かった。じゃあテオドーロさんにユリアロードの使い方聞いて、分からなかったらしょうがない、ついてきてもらおう。こないって言ったらそのままアッシュ達と一緒に行ってもらう。ダメだったら大人しく俺らは裏方専門。それでいいな」
「ああ、そうだな。それでいい。ではルーク、お前が聞いてきてくれ。私は聞いてもこの世界の機械の原理は分からなかったのだ」
「……そうなのか」
「そうなのだ、いきなり音素といわれてもな……私は呼吸で無意識に取り込んでいるようだが、魔術放出以外は操れんのだ。それと少々タトリン奏長に渡すものがあってね。お前が市長と話をしている間に渡してこようと思う」
「了解。じゃあ行ってくるよ」
アニス・タトリンに両親からの手紙を渡した。タトリン夫妻をグランコクマに引き取って、孤児院の教師として来て働いてもらっているという内容だ。そう、実はアーチャーは、アニスがどれだけ両親の為に必死になって借金を返済していたか、導師守護役という名誉ある役目の裏側でどれだけ大変な思いをしていたか、それはどうしてなのかを容赦なく理論的にこれ以上無く正確に彼女の両親に話きり、証拠物件としてアニスがモースへと送った手紙までをも見せたりしたのだ。
そして、モースが強硬手段をとる時の人質にされる可能性があるということと、実際問題被害を受けたタルタロスの状況を説明。もうこれ以上借金は絶対にしないとユリアに誓う、という条件でモースに肩代わりさせられていた借金をエミヤが返済、しかしその金の都合は実質マルクトだったので、ダアトの代わりにマルクトでせっせと働いてもらうという算段を立ててきた。
それゆえ、モースのスパイとして働く必要なし、とその報告を兼ねて両親に手紙を書いてもらっていたのだ。
読んだ瞬間彼女は顔色を悪くし、やがて顔をくしゃくしゃにして泣き出した。いままでどれだけの必死になって両親を守ってきたのか、そのために仕えるべき人を裏切らなくてはいけないという苦しさ、そして裏切っている人は本当にお人好しで、その苦しさはどれ程のものだっただろう。まだ彼女は十三歳の子どもなのだ。
……恐らく、タルタロスでグレンが無茶をしてでも船員達を死なせないようにとしていたのは、この目の前の少女の感じる罪悪感を少しでも少なくしようとした為だったのだろう。グレンが生きた記憶を見た。自分のせいだと泣いていた少女の悲鳴を知っている。
アーチャーは声を殺して泣いている少女の頭を撫ぜた。どうにも乱暴にならないように気をつけたのだが、小さな頭をなでるのは久しぶりで調子がつかめない。
「今までよく頑張った。もう、両親のことは心配しなくていい。色々と手を打った。君の両親がこれ以上借金をすることもない。なんせユリアに誓ったのだからな。……もう、普通の導師守護役で良いのだぞ」
「どうして、知って……どうして、ここまで……助けてくれたの」
「企業秘密だ」
口元だけでにやりと笑う。ただ一言、私のマスターはお人好しでね、とだけ呟く。それだけでいいだろう。このままではいつか君は導師イオンをモースに渡すことになり、その結果導師が死ぬかもしれなかったからだよ、などという必要もない。この世界ではIFになった可能性なのだから。
「グレンが?」
「そうだ。今は寝こけているが、いつか起きたらグレンの方に礼を言ってくれ。私は、マスターの言うとおりに動いただけなのでね。……これからは本当の導師守護役としてしっかり働いてくれ、アニス・タトリン奏長」
「うん……ありがとう」
「ふむ。礼ならマスターに言ってくれ、と言わなかったかな」
「起きたらちゃんと言うもん。でもエミヤにも言わせて。……本当に、ありがとう」
「そうか。では、どういたしましてと言っておこう」
涙を滲ませながら、本当に嬉しそうに笑う顔。守護者として抑止の働くままに動くようになって、一体どれだけ時間が経ったのか。……自分がこんな笑顔を向けられる日が、また来るとは思ってもいなかった。不意に思い出す。朝焼けの中、泣きそうな顔をしながらこちらを見上げる一人の少女の姿を。
―――凜。こんなオレでも、まだ誰かの笑顔を守ることができるらしい。驚いたよ。本当に、世界と言うのは可能性に満ちている。
アーチャーも笑う。それは皮肉が消えたほっとした笑顔で、まるで彼の方こそ救われたような笑顔だった。