アルビオールがユリアシティにたどり着く。着陸が完了した時点で誰よりも先にシートベルトを外し、そしてハッチが開ききる前に真っ先に飛び降りて走っていく。アーチャーはそんなルークを呼びとめようとしたのだが、声をかける前に走り去っていた。
下が土であれば、きっとすごい勢いで砂埃が立っていただろう。
かんかんかんと金属と靴が打ち付けあうような足音を立てて、あっと言う間に見えなくなった忠犬の背中を見送る。アーチャーは溜息をついた。ノエルにすぐに帰ってくると声をかけて、すぐ隣でポカンとしながらルークの背を見送っていたティアに声をかける。
「……さて、グランツ響長。ルークの行き先は恐らくというかほぼ確実に、グレンが寝ている医務室だ。私は市長に話をつけてくるから、君はルークの様子を見てきてくれるかね」
「はい……」
「驚いたかね? ルークがあそこまでグレンに依存していることが」
「……いいえ。シェリダンでの彼の錯乱を知っていれば、ある意味妥当かと……」
「やれやれ、あの様子だと恐らく『アレ』の事を忘れているな。……グランツ響長。なるべく早くルークの様子を見に行ってもらえるか。理由はまあ……すぐに分かるだろうさ」
乾いた声ではははと笑いアルビオールから降りるアーチャーの後ろに続いて下りる。途中で市長のいる部屋へと向かう彼と分かれてティアは医務室があるほうへ。ユリアシティ内の廊下を歩いていると、ティアさん~と廊下の奥からトテトテと走ってくる小さな青い小動物。つい表情が緩むティアだったが、よく見れば聖獣は半泣きの状態だった。
首を傾げながらも、とりあえずミュウを抱き上げて廊下を歩く。どうしたの、と問えばミュウは半泣きの状態でティアに泣きついた。
「みゅうう、ご主人様がどこかのお部屋に入ろうとしたら、すごい音がして急に倒れちゃったんですの!」
「……ちょっと待って、倒れたの? ルークが?」
はいですの、ボクどうすれば良いのかわからないですの。みゅうみゅう泣き出した聖獣の背を軽く撫でて、ティアも小走りになる。医務室に近付く。扉が開かれかけたたままだ。大急ぎでその扉の奥に入ろうとして―――ルークを見つけた扉の前で動きが止まった。
倒れている。確かに、ルークは倒れているのだが。
「ルーク……あなた一体何やってるの?」
「不覚、だ」
ルークは床に大の字になって倒れこみ、片手で顔を押さえて呻いている。
忌々しそうに呻く彼の片手には何故か先が吸盤になっている矢。
そして彼の額には、赤い丸い痕。
吸盤矢に撃たれたのが余程苛立たしかったのか、ふるふると小刻みに震えている彼の手の中でめきょりと玩具の矢が折れる。
倒れたと聞いて強張っていたティアの体から力が抜ける。むしろ抜けすぎて脱力して、何があったのか、その説明を待っている。そんな彼女の気配を感じ取ったのか、彼はぼそぼそと小声で呟く。
「結界、そうだエミヤが結界張ってたんだった……くそ、忘れてた。しかもその後にこれか。罠ですらない嫌がらせじゃないか」
ルークがグレンの傍に駆け寄ろうとして、アーチャーの張った結界にぶつかった時のことだ。
まず馬鹿正直にそれはもうガッツリと結界に顔面からぶつかり、その衝撃でよろよろと後ろへ蹈鞴を踏んだ。何とか踏みとどまって、ふと聞こえた風切音に顔をあげれば額にヒット。恐らくは結界に一定値以上の衝撃が感じられたら、近くの時計から飛び出すように細工をしていたのだろう。
吸盤矢で怪我などしようはずも無いが、やたらに勢いだけはあった。むしろ矢というよりも打撲系の衝撃を与えることを目的としたかのような一撃だった。そんな一撃で額を勢いよくどつかれたのだ。余波で立ちくらみ、よろけた先、再び結界で頭を打った。泣き面に蜂とはこう言うときに言うのかもしれない。
額と後頭部を襲った衝撃にルークの三半規管は白旗を揚げあえなく撃沈。現在に至る。
因みに、ユリアロードについてテオドーロ市長に聞いてくる、と言っていたときについでにアーチャーに簡単なトラップでも仕掛けておいてくれと頼んだのはルークだ。
結界に手を出したら作動する仕掛け。それ以上は無い。しかし、結界を壊せばさらにまた何かあるのではと思わせれれば上々。万が一ユリアシティの人が引っかかってしまったときのことも考えて、簡単なものしかできないと言っていたし、本当にその程度だったのだ。
アーチャーにそれでも良いと、グレンに手を出すなと警告代わりにおちょくって、ついでにやる気を削げさせてしまえと言ったのはルークだった。当の本人は綺麗さっぱり記憶の彼方へと追いやって、すっかり忘れていたことであったのだが。
「顔からぶつかったの……?」
「…うるさい」
とりあえずティアは吸盤矢のことはスルーして話てくれているのだが、その気遣いが逆にルークの居た堪れなさを強くする。
だって間抜けだ。いくらなんでも間抜けすぎる。彼女は知らないだろうが、言いだしっぺはルーク自身。どうせならいつものように馬鹿ねとでも言われていたなら、八つ当たりに文句も言えたのに。既に八つ当たりのような思考をしていることを自覚しつつ、前髪をぐしゃりと握りつぶした。
「…………口の中を切ったり、舌を噛んだりはしてない? 大丈夫?」
「そこまで間抜けな訳が、……っ!」
言葉の途中でルークの声が途切れる。大声をあげようとしたら痛んだ口の端に顔を歪めていた。じわりとにじむ赤を苛々と指で拭う。
無言。気まずそうなルークはティアの方を見ようとはしない。
無言。ティアは常のようにクールなまま、ルークをじっと見ている。
無言。……だったのだが、仔チーグルはくりくりした目をぱちくりとさせて慌てたように騒ぎ出した。
「ご主人様、口が切れてるですの! 痛くないですの?」
「ちょっとお前黙れやああああああ!」
「みゅううううううう~」
「ルーク、ミュウに当たらないで!」
「ふん」
近寄ってきたミュウの頭をぐりぐりといじくり回して、ついでに軽くデコピンをお見舞いしつつティアに投げつける。そんなルークを見て、ティアはふと妙な懐かしさを感じた。大きな声をあげながらミュウの頭をぐちゃぐちゃにすることも、ティアに怒られた後に鼻を鳴らしてそっぽを向くその動作も。
もう随分と見ていなかった気がする仕草だ。
頭を振りながら立ち上がったルークは、そのままティアから逃れるように視線を逸らして結界に近づく。不可視の壁を軽くノックして、未だに起きないグレンをじっと見ていた。
やがてルークは大きな溜息をつき、結界に背を預けてそのままずるずるとベッド脇に座り込む。
「ったく、エミヤがお前を危険なまま置いてくわけがないっつーのに、なんであんなに焦ってたんだかなぁ」
ルークの表情が柔らかくなる。
口元が小さく緩んでいる。
ティアは今のルークがそんな表情を浮かべられたことに驚いていた。果たして彼は今の自分の表情に気づいているのだろうか。
「人のこと散々寝ぼすけ扱いしといて、グレンの方こそそうじゃないか。人のこと言えねぇっつーの」
本当にかすかに笑いながら、答えの返らない独り言をいつかのままの口調で呟いている。
ルークのその表情に、ティアは見覚えがあった。一番最初にケセドニアに行った時。イオンとグレンと、その二人の体調が悪そうではなかったことを確認して、ほっとしたように小さく笑っていた。
あの時と同じ表情だ。
そんな表情を、感情のほとんどを忘れてしまった今でも浮かべられることに驚いて、けれどすぐになんとなく納得する。
きっと、今の彼にとっては。
「顰め面のまま寝やがって。変な悪夢でも見てたら、夢をつなげてぶん殴るに行くからな」
グレンの傍にいるときだけが、あの頃と同じ『ルーク』のままで居られる世界なのだ。
「……ルーク」
気づけば彼の名前を呼んでいた。
その声に反応して、ルークの意識がグレンからティアへ移る。
途端に掻き消える彼の表情。今では見慣れてしまった無表情。なんだ、ティア・グランツ。先ほどまでは確かにあった穏やかな抑揚は跡形も無い。緑の瞳は凪いでいる。
その変わりようが苛立たしい。そうだろうと思ってはいたが、これは本当に行きすぎだ。
「今のあなたは、酷く歪よ。自分をグレンに預けすぎてるわ」
「そうか。……そうだな。で、それがどうした」
「彼が起きたら、今のあなたを見て何て言うでしょうね」
「さあな。知ったことじゃないし、そもそも俺を先に怒らせたのはグレンのほうだ。あいつが俺をどう思おうが俺は俺のやりたいようにやるだけだし、それに」
傲岸に言い切っていた途中で、ふとルークの言葉が途切れた。その途切れ方がまるで、これ以上言うのはまずいか、と思いとどまった時のような途切れ方で、しかしティアはそのまま流してやる気はさらさらなかった。
「…………それに?」
「……お前のその心配は成立しない。ああそうだ、グレンが起きる時は、全てが丸く収まってすっきりとした後なんだから」
わらっている。笑うというより嗤うに近い。口元を歪ませて嗤っていた。
嗤いながら紡がれたルークの言葉は予言染みた宣誓で、その声がじわじわと世界を侵して行くような錯覚さえ覚えた。この世界の誰もが信じるスコアさえも捻じ曲げて、己の願いを以って自分が望む未来を叶える。スコアの遵守を善と為すオールドラントの住人からしてみれば狂気と見なされるだろう、絶対的な強い意志。
それはいつかの雨の日、グレンがルークに語った事に似て、けれども今のルークの言葉は何か根本的なものが違う。
全てが丸く収まった後。もう無理をさせたいくないからと、そう言う意味だろうか。
しかしそれにしては随分と不吉な予感がする言葉だった。
「今までグレンの保護を請け負ってくれたことを感謝しよう、テオドーロ市長」
「いいえ、これくらいのことなら何でもありませんよ。しかしあなたの言うとおりでしたね。私たちは一切何もしていないのに、ずっと眠り続けて本当に生きているとは。一体どのような譜術を使ったのですか」
「ふむ。実は私の本業は魔術使いでね、詳しくは企業秘密なのだが」
「それはそれは」
冗談だとでも思ったのだろう、テオドーロは小さく笑うがアーチャーはにやりと口元を釣り上げる。場所はユリアシティの会議室。議長が座する場所に腰掛けたテオドーロと、壁に背を預けながらそれを眺めるアーチャー。
テオドーロは大量の書類を読みながらその書類をいくつか選別し、時々サインをしたりと仕事の片手間と言ったところだ。
「しかし惜しいですな、あなたの企業秘密を開示してもらえれば、その技術により一層多くの人々が助かるかもしれないのですが」
「それはお勧めしないと言っておこう。この技術は悪辣極まりなくてね、習得するにも行使するにも対象者にも行使者にも、どれだけ鍛えた手練になっても常に死の危険が付きまとう、物騒極まりないものなのだ。そして必ず対価を必要とする。なにより素質がなければその片鱗にも触れられん。そう言うものなのだ」
「そうですか。そういえばあのルークレプリカの彼も、感情を対価にしたと仰っていましたな」
人形のような目をしていると思った。淡々と抑揚もなく喋り、その瞳には光が無い。ただひとつだけ、秘めたその願いのためだけに己の全てを捨てようとしている、狂気の宿った翡翠の瞳。
レプリカだから、あの目をしているのではない。意思の無いレプリカドールでは決してできないだろう目だった。
「さて、それではグレンを連れて行かせてもらうが……未だにルークの言った言葉は信じられないのかね?」
アーチャーの言葉にテオドーロははっと我に帰る。いつの間にやら書類を捌く手が戸止まっていた。らしくないと苦笑いしつつ、書類を見直す。書類に市長のサインを記して、彼にとっては純然たる絶対的な事実を単調に言い切る。
「セントビナーが崩落すると? そんなことはありえません。これから起こる二国の戦場はあの辺りになる。スコアにはそのような大事は詠まれていないのですから」
「なるほど、流石は監視者の町の長か。私にはペテン師の未来占いくらいにしか感じられないのだが、ここまで盲目的に信じられるのは驚嘆に値する」
「これは、エミヤ殿は外殻大地の住人とは思えない様な言葉ですね。スコアとは遵守する為にあるものでしょう」
「否。遵守せねば届かぬ未来など、それこそ占いと同等だ。占いごときに未来を決め付けられるなど、私は堪らんな。その結末が善にせよ悪にせよ、白紙の未来に己の意思で願いを刻むほうがよほどマシだ」
「ユリアは第六譜石の最後で外殻大地に未曾有の繁栄を詠んだ。最善の結果があると知っているのなら、その通りに進めて最善を享受するのが良いに決まっているではありませんか」
「―――未曾有の繁栄。それだけのためにアクゼリュスを、そしてかつてはホドをもスコアに記されたままに見殺しにしたのかね?」
アーチャーのその言葉に、テオドーロのペン先がぴくりと一度だけ止まった。しかしすぐに動きを再開し、迷いの無い答えが会議室に朗々と響く。
「そうです。我々は、ユリアのスコアを守り外殻大地に繁栄を導く監視者なのですから」
「―――――――どういうこと、お祖父様」
呆然とした声にテオドーロは目を見開き、書類から顔をあげる。会議室の入り口に立っている孫娘を見て、一度、ゆっくりと瞬きをする。そして顔を歪ませて歩み寄ってくるティアを落ち着かせるように、ゆっくりと尋ねる。
「ティア……いつからそこにいたのだ」
「私、そんなこと聞いてません!」
「これは秘預言(クローズドスコア)。ローレライ教団の詠師以上のものしか知らぬスコアだ」
「スコアで起きることを知っていたのなら、どうしてアクゼリュスの消滅を世界に知らせなかったの?」
「ティア、お前も知っているだろう? 何故、教団で死のスコアを詠むことが禁じられているのか。己の死のスコアを前にすると人は穏やかではいられないからだ」
「そんなの、あたりまえじゃない! 誰だって死にたくないに決まってるわ!」
「それでは駄目なのだ、ティア。我々は監視者だ。ユリアは七つのスコアでこのオールドラントの繁栄を詠んだ。その通りに歴史を動かさねば、来るべき繁栄も失われてしまう。我等はユリアのスコアを下に外殻大地を繁栄に導く為だけにある。ローレライ教団さえ、そのための道具にしか過ぎないのだ」
「……っ」
ティアが祖父に詰め寄り絶句している間にルークはアーチャーの方へと近付き、二人には気づかれないようにぼそぼそと小声で会話を交わす。
「来たかルーク。私がそちらに行かねば痺れを切らして迎えに来るとは思っていたが……全く遅かったな。話をのばすこちらの身にもなって欲しいものだが」
「エミヤ、分かってて聞かせたのか? 別にわざわざこんな風に聞かせなくても……」
「あちら側は導師とともにある限り、いずれは歴史の流れで秘預言も知ることになる。しかし我々が連れまわす響長にはその機会がユリアシティでしかない。私たちがいくら言っても彼女にとってはそう簡単に信じることはできぬだろう。何せ情報源が『未来の記憶です』などとは言えないのだから。いずれ知らねばならぬことだ、なるべく早めに知っておいて損はあるまい」
「……市長にはどこまで伝えている?」
「外殻大地が崩落するとは言っている。が、消滅預言(ラストジャッジメントスコア)は教えてはいない。全く、つくづくピオニー陛下はこの世界にしては柔軟な人間だったのだな。これを教えるにはこの世界の指導者は些か心許ない」
「仕方ないだろう、スコアに従うことが善としてこの世界では当たり前なんだから」
「難儀な世界だ」
アーチャーがふっと小さく息を吐いたと同時、今まで俯いていたティアの顔が上がる。テオドーロの顔をじっと見て、否定して欲しいと思いながらも答えを分かっているのだろう、ぎゅっと手を握り締めながら声の震えを押し殺そうとしている。
「……お祖父様は言ったわね。ホド消滅はマルクトもキムラスカも聞く耳を持たなかったって! アレは嘘なの!?」
「―――すまない、幼いお前に真実を告げられなかったのだ。しかしヴァンは真実を知っている」
「……っ、じゃあやっぱり兄さんは世界に復讐するつもりなんだわ。兄さん、言ってたもの。スコアに縛られた大地など消滅すればいいって!」
「ティア、ヴァンが世界を滅亡させようとしているというのはお前の誤解だ。確かにヴァンはホドのことでスコアを憎んでおった時期もあった。しかし今では監視者として立派に働いている」
「立派……? 今回のアクゼリュスの崩落では、人は死ななかった……でも、下手をしたら何万人もの人々が一瞬で死んでいた……その人たちを全て見殺しにしようとしたことが立派だったって、そう言うの、お祖父様!」
「ティア。エミヤ殿にも言ったことだが、ユリアは第六譜石でこう詠んでいる。ルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる。我等はただその未来を叶えるためだけに今まで監視を続けてきたのだよ」
「テオドーロ・グランツ市長」
静かに話に入ってきたのは、意外にもアーチャーではなくルークのほうだった。ルークはちらりとアーチャーの方を見るが、彼は任せるとでも言いたげに一度だけ頷き、己は傍観者に徹するつもりらしい、腕組みをしてこちらを眺めているだけだ。
「話に割り込みをすることを許して欲しい。しかし、俺がアクゼリュスのパッセージリングを破壊したことにより、もうまもなく南ルグニカ平原は確実に沈む。……スコアには、アクゼリュスだけではなく南ルグニカ平原ごと全てが沈むと詠まれていましたか?」
「まさか。カイツールはキムラスカがマルクトに進軍する為になくてはならない拠点です。沈むはずが無い」
「スコアに詠まれていないから、ですか」
「ええ。ユリアのスコアは今まで一度も外れたことが無いのですから」
「そうですか」
ルークはちらりとアーチャーに視線を向ける。彼は特に表情を変えもせずに、ただルークを見ているだけだ。小さく口だけでいいのか、と問えば、好きにしたまえ、と僅かだけ口元が動いた。頷いて、記憶を浚う。
「ND2000、ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王族に連なる赤い髪の男児なり。名を、聖なる焔の光と称す。彼はキムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄へと導くだろう。
ND2018、ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街とともに消滅す。しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる。
さて、監視者の長、テオドーロ市長。このスコアに既に狂いが生じているのがお分かりですか?」
冷静に、これ以上無く冷静に己の消滅が詠まれていたスコアを読み上げてルークはテオドーロへと話を振る。そのことに驚いていたのはもちろんだが、テオドーロが、ティアも含めて驚いていたのはそれだけではない。
「ルーク、レプリカの……きみが……なぜ、秘預言を知っているのだね? いや、それよりも、狂い?」
「一つ。俺は七年前のND2011に作られたのだから、ND2000とはっきりと示されている『ローレライの力を継ぐ者』は、今はアッシュと呼ばれているオリジナルルークだ。しかし実際にアクゼリュスに行ったのは、そのレプリカである俺で、そもそもオリジナルルークはその時には既に『聖なる焔の光』と言う名を失っていた。
二つ。アクゼリュスとともに消滅するはずだったアッシュは生きていて、実際に消滅させた俺も生きている。『ローレライの力を継ぐ若者』はスコアのままに消滅していない。
三つ。……さて、これはどうして起きた齟齬か、その理由自体。お分かりですか?」
「……まさか」
「そうだ、ティア・グランツ。お前は気づいたようだな。テオドーロ市長、ユリアのスコアには俺が―――レプリカと言う存在が詠まれていないんですよ。人間の手によって作り出されたスコアに存在しないものが動くことによって、スコアは既に狂い始めている」
「スコアが……狂う? そんな馬鹿な!」
初めてテオドーロが声を荒げて、椅子から立ち上がった。じっと、狂いの原因となったレプリカルークを睨みつける。長年監視者としてスコアの道筋を見守り続け、それがより多くの人々への幸福と永年の繁栄の為なのだと、たくさんの人を見殺しにしてきた。直接汚したわけではないにしても、既にテオドーロの手は数多の犠牲に血塗られている。
この町に生まれて、そして指導者となったときから覚悟はできている。しかしそれはいずれ来るはずの未曾有の大繁栄のためだけであったはずなのだ。
よりにもよってこんなにも後一歩と言うところで小さいながらも狂いが生じるとは、テオドーロにとっては許せるものではない。
じっと己を睨みつける監視者の長をみても、ルークは変わらない無表情のままだ。感情をほとんど忘れてしまったせいだと聞いてはいても、いまのテオドーロには酷く腹立たしい。年老いた、とはいえ長年人々を率いてきた指導者の眼光が一層鋭くなる。
しかしルークは怯むどころかゆっくりとテオドーロのほうへと歩いていく。
「スコアの狂いが許せませんか。俺を、殺したいですか? テオドーロ・グランツ市長」
ルークの顔には表情が無い。緑の瞳にも感情は波立っていない。ただ淡々とした問いかけだった。否定の答えを欲しているのでは無い。だからと言って肯定が返ってきて欲しいと思っているわけでもないのだろう。ただ思い浮かんだから聞いてみただけなのだ。
今のルークにとっては、誰かに殺意をもたれるということでさえその程度のことでしかないということだと。彼にとってはその他で構成される世界というのは、ただそれだけの価値しかないのだと、ただ己の死を問うことだけで示している。
カツン、と。机に両手をつき立ち上がっていたテオドーロと一歩の距離にまで近付く。
「……良いですよ。殺しますか、その手で。見殺しではなく、実際に」
「ルーク!? 何を考えて……っ!」
ルークはティアの非難の声を無視して腰に差していた剣を抜き、切っ先を己の喉下に突きたてて柄をテオドーロのほうに向ける。
「さあ、その手で肉を裂き命を絶つ感触をずっと覚えて、残りの人生を過ごす覚悟があるのなら」
硬直して動けないテオドーロの手をとって、自分の首に突き立てさせた剣を握らせた。
「その手で殺しますか? 俺を。安心してください、俺はレプリカだ。死ねば流れ落ちた血すらも世界に乖離して、跡には何も残りはしないのだから」
「―――――……っ」
「お祖父様! ルークも、何をやってるの!」
カタカタと握る剣を震わせながらも迷っている祖父を見て、ティアの顔が険しくなる。テオドーロは息をつめ、ぐっと柄を握る手に力をこめて、ルークをにらみつけた。ルークの瞳には揺らぎも無い。ただ観察するように、無機質な緑がテオドーロに向けられている。
年下も年下の、しかもレプリカなのだから生まれてまだ七年の子どもに観察されるような瞳を送られて、腹が立たないわけが無い。頭にかっと血が昇る。
そしてテオドーロは大きく後ろにその手を引いて―――思い切り、その剣を床にうち捨てた。
からんからから……と、ユリアシティの金属の床と剣が打ちつけあう残響。
無表情ながらも意外そうな目をするルークを睨みつけて、テオドーロは大きく深呼吸をする。そして重々しく、吐き捨てるように呟いた。
「嘗めないで頂きたいものですな。あなたを今ここで私が殺しても、一度狂った、と言う事実は消えない。それに私が手を下すまでも無い、ユリアのスコアは絶対です。どれだけねじれてもいずれはその流れの通りに歴史は進むでしょう」
「……どれだけ狂っても結局行きつく先は同じだと言うのなら、それこそアクゼリュスもホドも消滅を止めればよかったんだ。死に行くはずだった人が生き残ってもユリアのスコアは歪まないなら、生かす道を探せばよかったのに」
「違います。ここまで来たからこそ、多少のゆがみはものともしない。そう、私達はいつか小さな歪みが起きたとしても対処できるように、補正されるようにと、長年スコアのままに世界が回ることを監視してきたのですから」
「なるほど。ならばアクゼリュスを崩落させた『ローレライの力を継ぐ若者』は、いずれユリアのスコアに殺されると?」
「それが星の記憶と言うものです」
重々しく頷くテオドーロをみて、ルークはくっと口元を釣り上げた。くつくつと小さく笑っていたと思えば、やがて声をあげて笑い出す。
「ははははは、なるほど、なるほど、なるほど。アクゼリュスを崩落させたのは俺だ。面白い、はたして俺が願いを叶えるのが先か、スコアが俺を食らうのが先か! どちらのタイムリミットが先に来るか、それまでの勝負と行ったところか!」
「……ルーク」
「俺が狂ったとでも思ったか、ティア・グランツ。安心しろ、俺はどうせもうあの時から狂っている。今更これ以上狂うものか。しかしテオドーロ市長、俺という不確定要素のため狂っている事象も確かにある。貴方はこれ以上外殻大地が崩落しないといったが、しかし俺は崩落すると確信している。一応教団の上層部たるあなたに許可を貰っておこうかと」
「……何の許可をですか」
「外殻大地が崩落を始めた場合の、パッセージリングの操作の許可です。崩落をする前に降下で死傷者が出るのを防ぐ為に」
「……ああ、杞憂に終わるでしょうが、構いませんよ」
「ありがとうございます。もしもオリジナルルーク達が外殻大地やパッセージリングについて聞きに来たら、そっちは俺が担当するからお前らはもっと他のことをどうにかしろ、と言っておいてください」
「承知しました」
では、とルークがくるりと背を向けたときにはもうテオドーロはもう普段どおりの平静で、再び淡々と書類の仕分けをして判を突いたりサインをしたりしている。そして部屋から出る直前、ふと思い出したように振り返ってまるで試すかのように質問をした。
「テオドーロ市長。俺は常々疑問に思ってたんですが、どうしてユリアは第七譜石だけを真っ先に隠したんでしょうね」
「なに?」
「隠せばそれを巡って争いになることは分かっている。戦争だって起きるだろう。これからおきる可能性の高い未来の出来事だ。知れば知るだけアドバンテージになる。権力者の奪い合いだ。……そうなると分かっていて、なぜユリアは第七譜石を詠んですぐに隠してしまったのでしょうか」
「……私ごときに始祖ユリアのお考えなど、到底読み解くことはできません」
「そうですか。ではこういうことは考えたことはありませんか。高く高く空へ跳ねたボールほど、高い高い場所から地上に落ちてくると。そしてその落下の衝撃に耐え切れなかったボールは破裂する」
「……何が仰りたいのですか」
「いいえ。教団が死のスコアを詠まないのは、死を前にした人々では平静ではいられなくなるから―――自棄を起こしていらぬ騒乱を起こさぬため。あっていますか?」
「その通りです。しかし先ほどから……まさかとは思いますが、第七譜石の欠片でも知っているのですか」
「何も。俺は何も知りません。ただ、解らないからどうしてなのかとあれこれ考えていただけですよ」
それではいずれまた命が続いていれば、と平然と口にしてルークは会議室から出て行った。彼らが出て行った後、テオドーロは大きく溜息をつき両手を組む。そして神よりも最も彼らが信じる聖女へと祈りを捧げた。
始祖ユリアよ、今まで築いた血を無為の流血にせぬ為にも、どうかそのスコアに記された未曾有の繁栄を外殻大地に約束せん、と。