オレンジだ。オレンジオレンジオレンジオレンジ、オレンジ。フルコース。なんだろう妙なデジャヴが。ああそうだセントビナーだ。エミヤが一時グレンから離れて根回しをするために宿屋を出て行った日のことだったか。匂いが食感が味がぁと嘆きの声が再生される。
睨み付ける。目の前のオレンジディナーを目で焼き殺さんばかりに睨みつける。突然発火能力が覚醒して燃え尽きないかな、これ。
「睨んでも夕食は減らんぞ。食え、小僧」
「エミヤ……これは何の嫌がらせだ」
「嫌がらせなどではない。先人として若輩者に教育的指導を施しているだけだよ」
「だから、それはもう悪かったと言っただろう」
「ふん、その場凌ぎの嘘ごときも私が見破れぬとでも思ったのか? ああそれとグランツ響長とミュウと私はきのこフルコースだ。君の救世主ミュウは私の最高傑作きのこ料理集で満腹だろうさ、せいぜい頑張って己で食べるのだな」
「………………」
どれだけ細かに手を回してるんだよこの暇人め。がっくりと肩を落としつつ、ルークは椅子に座る。本日はグランコクマの宿屋に宿泊。一泊した後、明日出発とのこと。……本当はすぐにでも出てしまいたかったのに、アーチャーとティアの数時間に渡る怒涛の説教によりずるずると遅れてしまったのだ。
ちらりと隣の食卓を見る。すごく幸せそうにきのこ料理ですの~なんていいながらもきゅもきゅ食べてる青い小動物発見。オイコラご主人様のピンチだぞ、助けやがれちくしょう。
ルークは半眼になってミュウを睨んでみるも、これ以上睨み続けていればミュウをとにかく可愛がっているとある可愛いもの好きがミュウの代わりに睨み返してくるだろう。諦めてため息をつき、とりあえずフォークで手近にあったニンジン一つ目を突き刺す。
ガッツリと一気に口に入れれば、その瞬間口の中に弾けるニンジンの風味。おい、普通ニンジン嫌いのヤツにニンジン食わせるならその食材の味を何かで誤魔化そうとするもんじゃないのかよ。それともお仕置きレシピだからこそこれなのか。エミヤの鬼アクマめ。
眉間に皺を寄せまくりつつももぐもぐと超鈍足速度で食を進めるルークを見て、アーチャーはほうと感心したような顔をする。
「ふむ、やはり感情減退の副作用か。味覚はあっても好き嫌いがわからなくてはあまり効果はなし、といったところか?」
「……そうだな。でもなんか体が味を覚えてんのか、気を抜いたら吐きそうになるんだが」
「その淡々とした声でそう言われても信用できんのだがね」
「じゃあ俺にどうしろって言うんだよ、エミヤは」
実際問題ルークは今すぐにでも口の中のニンジンをぺっと吐き出してしまいたい勢いなのだが、そんなことをすれば今度は食べ物を粗末にしたということでアーチャーの逆鱗に触れるだろう。感情は忘れてしまっても体の記憶が動かそうとする反射行動に必死に抗いながら食を進める。
ごくごくと水を飲んでニンジンを流し込む。食べてもせいぜい苦味を感じるだけなのにどうしてこんなに疲労が溜まるのか。なかなかどうして、体の記憶と言うのも侮れない。
本当にこれ急に燃え出したりしねえかなぁ。
再びフォークにさしたニンジンを見てしみじみ現実逃避しつつ、ルークは逃げぬようにと己を見張っているアーチャーに声をかけた。
「なあ、そういえば言おう言おうとして忘れてたんだが、俺コンタミネーション使えるようになっとかねぇと困るんだよな」
「む? ああ、そうだな。いずれは鍵を取り込んでしまっても取り出せるようになっておかねばなるまい。しかし今すぐといわずとも……」
「エミヤ。俺がすぐに何かのコツをつかめるような要領のいい人間に見えるか?」
「……そうだな。練習は早くするに越したことは無いということか。では明日の朝までに私が投影で剣を作っておく。それをコンタミネーションで出し入れできるように練習しろ」
「わかった……って、おいエミヤ? どこに行くんだ」
もぐもぐとしぶい顔をしながら食事を勧めていると、今までじーっとルークを見張っていたアーチャーが自室へ戻ろうとしていたのだ。見張るだけでアーチャー自身はまだ食べていないではないかと声をかけたのだが、なに、すぐに戻ってくるよとだけ呟いてそのまま戻っていった。
そして言葉通りにすぐ戻ってきたアーチャーが握っているものに見覚えがあったルークは、どういうことだと怪訝な顔をする。
「エミヤ、それは確か……グレンの道具袋だろ? いや、俺の記憶が正しければその中に入っているのは……ザオ砂漠で盗賊たちのお宝を奪って売りさばいて手に入れた金が入ってたんじゃなかったか?」
「そうだ。だがまあ実はできるだけ金を稼いでおいてくれ、とマスターに言ったのは私でね。ルーク、私がこの国に依頼をして陛下はほとんどそれを実行してくれたのだが……一体どれだけ金がかかったと思う?」
言われて、特に疑問に思うでもなく考える。エミヤの頼んだこと。
アクゼリュスの民の受け入れ、タトリン夫妻の借金の肩代わり、シェリダンでの浮遊機関の金銭面備品面での援助、これから起きるだろうことではセントビナーの住人の移動、エンゲーブはきっと機能停滞するだろうし……
考えていればなんとなくアーチャーの思考が分かった。確かに、今のマルクトにはいくら金があっても困ることは無いだろう。
「国家予算の十云分の一?」
「そうだ。どうも見たところグレンは上手い具合に稼いでいたらしい。使わせた金額にしてみればまだまだだろうが、それでも少しは返しておかねば流石に居心地も悪い」
それより何より、せめてタトリン夫妻の借金分くらいは用意しておかねばな。遠い目をして乾いた笑いを溢すアーチャーの表情をみて、ルークはどれくらい借金をしていたのかと聞くのをやめにした。
ぶつぶつと零れた言葉曰く、雪だるまだの悪徳金融だの詐欺だの、個人でアレだけ借金を増やす才能は驚嘆に値するだのよく耐えていたタトリン奏長、だの。聞いてはいけない。きっと聞かないほうがいいのだ、これは。
まあ確かにタルタロスが襲われた根本原因となった夫妻の借金を何故マルクトが肩代わりすることに、と議会あたりに情報が流出して、せっつかれることになる前にチャラにしておいたほうがいいのは確かだ。
「へ、へえ。……そうだな、確かに借りは返しとかないと気分が悪いだろうが、でもエミヤの要請って全部(借金肩代わり以外は)未来的にはマルクトのためになることばかりだろ。それでも返すのか?」
「私の気分の問題だ」
「律儀なヤツだな」
「さて、ではこれ以上遅くならぬうちに渡して来よう。小僧、分かっているとは思うが……残すなよ?」
分かっているからさっさと行け。ルークはしっしっと追い払うようにして手を振る。出て行くときにちゃっかりティアに見張りを頼みやがって、これでは本当に残すことができない。余計なことをと半眼になり扉を睨みつけるが、仕方がない。
フルコースに向き合い、眉間の皺を険しくしつつも黙々とニンジンを食べる。
「まあ、確かに借りは返しとかないと気分が悪いか……」
「あー疲れた。今日も一日ご苦労様だ、俺ー。さーてただいま可愛い方のジェイド。ネフリーは怖い怖い赤いにーさんに会わなかったか? 心配したんだぞー?」
ただいまマルクト帝国皇帝、ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下は可愛いブウサギと休息のひと時をお過ごし中。デレデレと、それはもう絶対に国民には見せられないような緩い顔でブウサギに頬ずりをしていらっしゃる。ここにフリングス将軍がいれば頭が痛いというように黙して俯くのだろう。
そしてご機嫌に一匹一匹の名前を呼んでは親ばか炸裂の発言を繰り返して、しかしふと何かに気づき部屋の隅に鋭い視線を送る。すっと目を細めて、疑問ではなく確信を持った声で低く声を出した。
「――――誰だ?」
「私だ」
陰から出てきたのは、赤い外套を身にまとう赤い弓兵。何だエミヤか脅かすなよ、とピオニーは苦笑交じりに警戒を解き、そんな皇帝にアーチャーはどこか呆れた風だ。
「ピオニー陛下。信用してくれるのは嬉しいが、貴公は王だ。この場合はどれだけ信用のある者でも同国の人間ではないのだ、警戒をそこまで解くのは感心しない」
「前に言わなかったか? これでも俺は人物を見る目はあるつもりなんだぜ、ってな。エミヤ。あんたは常に理性で以って人を殺す。ある意味狂人よりも狂ってる人間でもなきゃそんなのは心が耐えられない。それでも狂わないあんたはなるほど人外だ。警戒はしておいて損は無い。……が、今の俺なら、別だ。俺がいなくなることで起きる被害とデメリットと、俺がいれば生まれるはずのメリットと。生き延びる命の数をあんたが考えないわけがないんだ、だからお前は今は俺を絶対に殺せない」
だろう? と問われて、アーチャーはまた溜息をつく。せめてこの半分くらいの意思と思考を各国の指導者が持ってくれれば、もう少しこの世界もまともになるのだろうが。ぞんざいに頷き、片手に持っていた金貨や紙幣がぎっしりと詰っている袋を軽く放り投げる。
ピオニーはそれを軽い気持ちで受け取って、思いのほかのその重量に肩が脱臼しそうになった。
「うお!? っと、とと……軽々投げたと思ったら、随分な重さだな。エミヤ、何だこれは?」
「何。今のマルクトの国庫は色々とあってすっからかんだろう? 私の主の名前で寄付してくれ。それはグレンも先刻承知済みのことだからな」
「……ったく、律儀なヤツだなぁお前さんは。そんなのじゃ色々と苦労するだろうに」
「私は私がしたいようにしているだけのことだ」
「そうか。まあ、これだけ寄付をされれば文句も出ないだろ。お望みどおり一室を用意する。そこにお前の主人を運んで結界でも何でも張って行け」
「ありがたい。恩に着る」
「対価にもならん対価だがなぁ」
くく、と笑ったピオニーは袋の中を覗きこみ、その中にぎっしりと詰った金貨の量に驚きに目を見張る。思わずがばっと顔をあげてアーチャーを見るが、私の主は白だぞ、という一言に思い切り胡散臭そうな顔をした。何を言いたいのかは分かるが、事実なのだから仕方ない。
「……昔から一級品だけに囲まれて育っていたからな。食事然り宝石然り装飾然り服から日用雑貨に至るまで、だ。本人は食事以外には頓着していないが鑑定眼だけはやたらに利くのだよ、わが主は」
「どこを発掘したらこんな金になるようなお宝が出て来るんだよ……なあエミヤ、本当に俺のとこに仕官しないか? 主もまとめて高待遇だぞ」
「マスターが頷けば自動に私も配下になる。マスターに交渉したまえ」
あっさりとした却下に、ピオニーはつれないねぇエミヤは、と割と本気でぼやく。肩をすくめるアーチャーにまあいいと流し、近くにあった椅子に座り本題に入った。
「……で、わざわざこれを渡しに来ただけじゃないんだろ? ……ルークが居ない時に話したいことか。どれだ?」
「どうも研究室に入られたようだ。陛下が選んだ研究員は確かに信用できるが、白い人間ほど嘘をつくときには分かりやすい。ルークも口止めをしたのだろうがね」
「あっちゃあ……一応こそこそやってたと思ったんだがな」
「私が入ってから稼動している研究はどれだと問えば簡単だ。一般兵には己がエミヤの主だ、と言う顔をすればいいのだから」
「あー、そうか。お前の関係者なら現状調査だって言われたら解らないか……ミスったな」
がりがりと頭をかいて罰の悪そうな顔をするピオニーに、アーチャーは腕を組み小さく苦笑を返す。何、そこまで気にすることは無い。そういいながらも口から出るのは疲れたような溜息だった。
「記憶が混線しているのなら、いずれは辿りついた事なのだ。だが疑惑が確信になったのだろうな……暴走しなければいいが。やれやれ、これでは小僧が暴走する前に下準備を整えておいたほうが良いだろう。ピオニー陛下、外殻大地を降下させきるまでに時間を短縮したい」
「っはぁ? おいおいあの量だぞ! …………ああ、くそ、分かったわかった元はといえばこっちのミスだ。何とか急がせる。浮遊機関の2号機は、お前のコネでセントビナー救出に働くまでは協力してくれるそうだからな。近いうちに今までできた分だけでも例の場所へ運んでおく」
「すまない。これは本当に感謝しよう」
「……なあ、ここまで協力しておいて今更だが、本当にこんなに大量にどうするつもりだ? しかも対象があれで運ぶのもあんなとこだし、何の役に立つんだか俺にはさっぱりなんだが」
「それは言えないな。だが、この世界のためには必須なのだ。いずれ分かる、それまでどうにか堪えてくれ」
「……しかたないな。お前が秘密主義なのは今に始まったことでもない。信じよう」
諦めた嘆息の後、ピオニーは机の隠し引き出しの中から書類を取り出しめくり始める。パラパラと確認して、計画の時間短縮にかかる手間にうへえと嫌そうに顔を顰めた。
「すまない……だが、ありがとう。主の分も私から礼を言おう」
「良いってことよ。お前がいなきゃもっと大変だったこととかもあっただろうさ……ああ、だがお前は気づいているか、エミヤ」
「何をだ」
「こういう話をしているときは、お前もルークと同じ目をしてるぞ」
書類を見たまま顔を向けられることもなく言われた言葉に、アーチャーの顔が一瞬驚愕に彩られ、しかしすぐに平静の表情に戻る。何を言い出すかと思えば、とんだ戯言を。常の口調、常の抑揚、常の表情だ。
ピオニーはそんなアーチャーをちらりと一瞥し、溜息をつき、書類に力なく額を埋めた。
「ったく、協力者でコレなら寝てるって言うお前の主も同じ穴の狢か? やってられん。ろくでもない結果だけは勘弁してくれよ、エミヤ」
「……そうだな。努力しよう」
「頼むぞ、本当に」
小さく笑いながら答えたアーチャーに心底からの言葉をかけて、ピオニーは自室の窓から空を見上げた。
コツンコツン。扉の奥から小さな音がして、寝る準備をしていたティアは少し首を傾げる。ノックにしては随分と弱い音だ。なんなのかと不審に思いながら小さく扉を開ける。誰もいない。おかしいと思いかけた時に、足もとから声がしてその謎も氷解する。
ミュウだ。ミュウが扉をノックしていただけだったのだ。どうやら幽霊のおこした空耳の類ではなかったことに、ティアは内心かなりほっとする。そしてじっとこちらを見つめる聖獣に気持ちも柔らかになり、膝を折って視線を低くした。
どうしたの、と尋ねる。そうすれば、ミュウはそれはそれは可愛らしい動作で今まで背中に隠していた何かを両手で持って、ティアの前に差し出してきた。
「―――――――――え?」
その差し出されたものをみて、ティアは呆然とする。
硬直したティアにミュウは首を傾げながら、それでも一生懸命にティアにそれを差し出している。
「ミュウ、これ、どこで……?」
「えっと……その……拾ったんですの!」
「拾った?」
そんなことある訳がない。そんな訳がない。だって、これは、あの時。
信じられない気持ちで見つめるしかできない。小さな聖獣が持っているものに手を伸ばそうとしないティアに、ミュウは困ったように小首を傾げて尋ねてくる。
「みゅううー。ティアさんティアさん、これ、ティアさんの大事なものじゃないんですの?」
その言葉に、おおよそが想像できた。慌てて笑顔でそれを受け取る。もう手にすることは無いのだと思っていた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。それでも仕方ないと自分に言い聞かせて手放したものだ。大きなスターサファイアがはめ込まれたペンダント。
震える手を伸ばして、落とさないように大切に大切に受け取る。母の形見を胸元に持ってきて強く握り締めていると、ミュウもほっとしたような顔をして嬉しそうに笑う。
「ティアさん良かったですの!」
「ええ、ありがとう、ミュウ」
「はいですの! ……えっと、じゃあ、ボクはもうお部屋に帰るですの!」
「ちょっと待って」
なんだかそわそわして帰ろうとするミュウを捕まえて、抱き上げる。その目を覗き込めば、仔チーグルはみゅうううと困った声をあげながらキョロキョロと落ちかない様子だ。やっぱり。そう思って頭を撫でながら、ミュウの困惑をほどけるようにとティアは努めて柔らかく微笑む。
「あのねミュウ。ちょっとお願いがあるの。いいかしら?」
ご主人様。扉の向こうから聞こえた声に、ルークは今まで読んでいた本を閉じて、ベッドから腰を上げた。落ち込んでいるような声色ではない。どうやら上手くやったようだ。ルークはほっとしながら、扉を開ける。
「よう、上手くあいつに渡し―――」
ぶっつりとルークの声が途切れた。代わりに聞こえるのは、困惑している小さなこどものような高い声。ご主人様、あの、その。もごもごと言い切れず、しゅんとしていた。
部屋の前に立っていたのは、その腕にミュウを抱き上げてこちらをじっと見てくる見慣れた少女。
ルークは無表情。感情があればきっともう分かりやすいくらいに狼狽していただろうが、今のルークは無表情だ。感情減退に感謝するのは二度目だろうか。今ほど自分が無表情で助かったと思った事は無い。
「こんばんわ。まだ起きてたみたいで良かったわ、ルーク」
「こんな夜中に男の部屋に来るとはいただけないな、ティア・グランツ。いくらなんでも無警戒だ」
「それは今更ね。同じ部屋に泊まったことだってあるんだから」
「…………」
そりゃそうだ。エンゲーブ、シェリダン、野営などなどその他多数。近くで寝起きしたことは何度もある。確かに今更だが、それをサラリと言うのはどうかと思う。おい、兵士でもお前女だろ。変なところでスコンと抜けている彼女に、ルークは他人事ながら心配になってきた。
溜息をついて彼女の腕の中からミュウを引っこ抜き、ベッドに座る。小刻みに震えるミュウを膝の上に置き、ぽんぽんと軽く叩くとその震えもおさまった。それを確認して、ティアの方に視線を向けた。夜で表情はよく見えない。ただ、あの深い海の色をした瞳がじっとこちらを見つめていることだけは分かる。
「こんな時間になんの用だ? 体調管理も兵士の務め、なんだろう。明日に備えて寝る時間だぞ」
「気になることがあって聞きに来たのよ。ペンダントを拾ってきたってミュウが言ってたんだけど、嘘なんでしょう?」
「ペンダント? 何のことだ、知らないぞ俺は。拾ったって言うミュウに聞けばいいんじゃないか……おっと、もう寝てるな」
聞けばいいんじゃないか、あたりの所でびくりと肩を強張らせていたミュウをぐっと布団に押し付けて、ふみゅう! という小さな悲鳴は聞かないふりをする。起こすのは悪いから明日にすればどうだ、しれっとした顔で淡々というルークに、ティアは少しむっとした気配を発していた。
「ミュウがね、ペンダントを私にさしだして聞いてきたのよ。これは大事なものじゃないのか、って」
「へぇ。なるほど。確かに大粒の宝石だしな、あの手の大きさの宝石がついてるペンダント、ってのは代々母から娘へ、さらにその娘へ、というのがセオリーだ」
「…………」
「飾り気の無いお前がわざわざつけてたことからしても想像はつくしな、だから大事なものだとでも言ってたんじゃないのか」
「そう……そうなのよね。たしかにこれは、私にとってとても大事なものよ。でも私はミュウに会ったときにはこれをもう手放していたのに、ミュウはどうしてこれが『私の』ものだって分かってたのかしら」
「……ん? ………ああ、そう言われれば……」
やべぇ、しくったな。ついぽろりとそれを声に出してしまって、はっとした時にはもう遅い。やっぱり、と呟いたティアがカツカツとこちらに近付いてくる。
おいおい、今まで部屋に入ろうとはしなかったくせにそれはどうよ。なんだ無防備とは言えそれなりに警戒心はあるんだなとか思って安心した俺のなけなしの親切心を返せ。因みにこれは切羽詰ったゆえの八つ当たりではない、断じて違う。
現実逃逃避気味にルークがつらつらとそんなことを考えていると、すぐ近くで立ち止まる。すっと差し出された手に乗っているのは、旅の始まり、馬車代の代わりにと彼女が手放した宝石の嵌ったペンダント。
「これは、あなたが見つけてくれたんでしょう?」
確信しているくせに何故いちいち尋ねてくるのだろう。断言が欲しいのか。ルークはティアから視線を逸らして、部屋の隅のほうを睨むように見続ける。目をあわせようともしない彼に、ティアは確認するように言葉を続けた。
「ケセドニアで馬車の御者に宝石の行方を聞いたとき、あなただけは私といっしょに聞いていたものね。グランコクマのライズさん。いつの間に捜したの?」
「知らないと言っているだろう、ティア・グランツ。お前の勘違いだ。ミュウが拾って、宝石と言ったら女で連想して、ミュウが知ってる女はお前だけで、たまたまだったんじゃないのか」
「惚けないで。そもそもこんな大きな宝石が嵌ってるペンダントを落とすわけがないじゃない」
「分からないぞ。何事にもうっかりしている人間と言うのもいるからな」
「ルーク!」
「俺はもう寝る。話は明日にしてくれ」
のらくらと話を逸らそうとするルークにティアは苛立ち声を荒げるが、ルークは鼻から相手にするつもりは無い。とにかく時間を稼いで明日までに上手い言い訳を考えようとそればかり考えて、ベッドから立ち上がるとティアの背を押しずんずんと部屋の外へと押しやっていく。
ルーク、と怒った声が再び名前を呼ぶが知ったことか。後残り二歩三歩を歩いて扉を閉めれば完了、というところで背を押していた手を振り払われ、ティアが無理やり振り返ってきた。苛立ちがこもった青い瞳を、感情のない緑の瞳は淡々と受け止める。
そのとき、ふと青い瞳が何かに気づき困惑に揺れたのをみて、しまったと思った。とにかく誤魔化そうと彼女の背を押そうとして、しかしそれよりも先に勘づいてしまったらしい。
「ちょっと待って……ルーク、あなたあの銀細工どうしたの?」
「どうって、別に関係ないだろう。今日は気分で外してるだけだ」
「気分? そんな訳ないでしょう? だってあれは、」
ザオ遺跡。グレンが盗賊のお宝の中からいいものだけを取ってきたのだと笑っていた。へぇ、と気の無さそうにその戦利品を見ながら、その中で唯一ルークが手に取ったもの。C・コア(キャパシティ・コア)のような円形と装飾の銀細工。その背面に古代イスパニア語で刻まれた祈りの言葉。
じーっとそれを眺めていたルークを見て、グレンがお守り代わりにやるよ、と笑ってルークに渡していて、その銀細工が大いに気に入った彼はいつもそれを身に着けていたのだ。
本当は首から提げる形のものだったのを、モンスターの攻撃を受けて割れたら嫌だと鎖をベルトに通して本体をズボンのポケットに入れていたくらい気に入って、肌身離さず、ずっと大切に持っていた。
「まさか、ルーク……あなた、私のペンダントの代わりにあの銀細工を」
「違う。気分だ。たまにはそう言う日もあるんだ、もういいだろう、さっさと寝―――」
「じゃあ今すぐ見せて」
煩い、何故俺がお前の言うことを聞かなきゃいけないんだ。そう言おうとしたのに、真剣な目を見て何も言えなくなる。舌打ちをしてそっぽを向くと、どうして、と小さく声が聞こえた。答えないままでいると、ぐっと奥歯をかみ締めた彼女がそのまま部屋から走り出ようとする。
そのまま放っておけば、彼女の性格からしてどうにかしてライズを探しあて、今度はそのペンダントを差し出してルークの銀細工を取り戻してきそうだ。というか、ティアなら絶対そうするだろう。
仕方無しにその腕を掴んで引き止めた。そのまま壁際に追い詰めて、さて逃げないようにとここまでしたがこれからどうしようか、と困ってしまう。青い瞳が睨みつけるようにルークに向けられる。その目を見て、彼はしぶしぶティアに話す。
「仕方ないだろう。ペンダントは買ったものだから買い戻すなら十万ガルド寄越せといわれたんだ。そんな大金今は持ってないから、代わりにあの銀細工を質として渡したんだ。十万ガルドを揃えた時に渡して返してもらうことになっている。他人の手には売らないと契約もした。お前が気にすることじゃない」
「……でも、お金をそろえるのに時間がかかったら誰かに売られてしまうかもしれないでしょう?」
「売ったら地獄の果てまで追いかけて殺すと脅……じゃなかった、契約したからな。大丈夫だ」
サラリと問題発言を言い掛けて、それを言い直すのだがあまり意味は無い。しかしルークにとっては大まじめな問題で、彼にとってそんなに大切なものを質にして戻ってきたのだと思うとティアは素直に喜べない。
「このペンダントを手放したのは、私があなたを巻き込んでしまったせいなのだから。あなたの大切なものを差し出して取り戻すのは……あなたがそこまでする必要なんて、」
「巻き込まれた側の俺が勝手に動いたんだ、別にお前が負い目を感じることもないだろう。くそ、面倒くさいな。こうなると思ったから適当に誤魔化そうと思ったのに……」
「誤魔化すって……そうしたら、私はあなたがしてくれたことにも気づかないで」
「別に俺がそれで良いと思っているならそれでいいだろう、お前があれこれ考えなくても」
「ルー……っ!」
思わず大声で声を荒げようとしたティアの口を、ルークは咄嗟に片手で塞ぐ。彼女は失念しているようだが、今は夜なのだ。これ以上騒いでいては眠っているほかの客に迷惑がかかる。大声を出すな。そう言って周りを気にするような彼の様子に、ティアも今の時間を思い出したようだ。
つりあがっていた眉が下がって、大人しくなる。
「……それにな、お前がどうこう思う責はない。俺にはまだまだ時間があるんだ。俺は必ず金をそろえてあれを取り返す。でも、お前は違うだろう。だから先に取り戻した。それだけだ」
「……―――――」
ルークの言葉に一瞬だけ、ティアの体が強張る。それが掴んだ腕から伝わって、それでも真っ直ぐにこっちを見る瞳を見て、ルークの心にはいつもの苛立ちが募る。
これからさらに酷くなるだろう激痛に、苦しみに、死へと向かう病気を背負うことに恐怖がないわけではない。それでも逃げようとしない。逃げるつもりは無いのだと雄弁に語る瞳に、彼の表情が一気に消える。
無意識にティアの腕を掴む手に力がこもって、少女の顔が痛みに歪む。それにも気づかず、苛々と言葉を吐き出した。
「あのペンダントは、代々伝わってきたものではないか、と俺は言ったが。もしそうだというなら、そのペンダントは何度も代を重ね変わっていく主の誕生とその死を見届けてきたんだろう。喜びも苦しみも幸せも悲しみも。繰り返す始まりと終わりを、ずっと主と共に歩んできたんだろう」
ならば、そのペンダントは最後までそうあるべきだ。
そのペンダントには、お前を最期を記録する義務がある。
それだけだ。そうだ、それだけなのに。この苛立ちは何だ。
「……ティア・グランツ。何を勘違いしているか知らないが、俺はお前のためにこんなことをしているわけじゃない。ただ、あるべきものはあるべき場所に。そうあるべきだと俺が勝手に思った形に戻しているだけだ。分かったら余計なことなど考えずに、」
もうさっさと自分の部屋に帰れ。そう言おうとして、けれど最後まで言えなかった。
「ルーク、起きているのか? 明日以降の予定だが―――………………む?」
いつの間にやら閉じられていた扉をガチャリと開けて入ってきたのは、食事の時にちょっと出てくるといって結局この時間になるまで帰ってこなかった赤い弓兵。扉を開けた瞬間に固まっている。なんだか似たようなことがいつかもあった気がする。
ルークはどうしたんだと聞こうと思ったが、今の状況を客観的に見ればどう見えるかとはたと思い至ってさあっと青ざめた。
現状を確認しよう。
1、今は夜。ついでに寝る準備をしていたからお互い普段の服よりも薄着。
2、ここは男部屋である。しかもアーチャーはつい先刻まで外出中だったのでルークの一人部屋状態である。
3、ルークはティアの腕を掴んで、壁際に追い詰めて、ついでに言えば声を出させないように口を手で塞いでいる状態。よくよく改めて考えれば結構顔の距離も近い、かもしれない?
事実は全く持って違うのだが、これは、あれだ、もしかしなくとも傍から見れば。
「……すまない、部屋を間違えた。取り込み中ならば見なかったことにしようどうぞごゆっくり」
「って、やっぱまたそれかエミもが!」
「ちょっとルーク、大きい声だしたらダメよ周りに迷惑でしょう!」
大慌てでティアを解放してアーチャーに怒鳴り散らそうとしたルークの口を今度は彼女が手で塞ぐ。
オイコラマテ。お前今の状況わかってるのか。しかも背中から抱きつくようにして口を塞ぐなぞお前わざとか、わざとなのか? エミヤがどんなとんちき勘違いをしてるのか、分かってての行動かこれは!? いくらそんなつもりは無いとは言ってもこれは……畜生め、ヴァン師匠に言いつけて説教してもらうぞこら!
むぐうと唸って、しかし上手く逃れることもできず―――動けば背中に意識が集中しそうになって動けまないのだ―――しかめっ面をしていればますますアーチャーの顔がにやりと笑って、ルークの感じる嫌な予感はますます深刻になっていく。
「そうかそうか。うむ、あとは若いお二人で……」
「もがもがーーーーー!」
グランコクマの一角で、夜は今日も和やかに更けていく。