のんびりとした農村の砂利道。歩く影は二つ。
道を歩く二人のうちの前を行く人物の一歩後ろにつき従うように歩いている男はアーチャーだ。常の黒い鎧と赤い外套ではやはり道行く人道行く人にすごい眼で見られてしまったため、黒を基本とした動きやすそうな上下に赤い外套に似た形のものを羽織っている。なんだかんだで、やはりあの配色はゆずれなかったようだ。
ただでさえ高めの背と鋭い目つきに威圧感が漂っているというのに、両腰に差した白と黒の双剣と背に背負った弓が、更に只者ではない感を感じさせている。旅の途中なら立っているだけでも盗賊避けになりそうだが、こんなにも呑気そうな田舎ではいささか場違いのように感じないこともない。
先を歩いている青年はグレン。どこか東洋風の青い上衣と黒のズボンに腰当(平たく言えばタクティカルリーダー)、髪の色よりも濃い赤色の、額に当てられた布の結び目は左側にたれるように降ろされている。
やっべえもしも髪切ったら同じ顔ってどうよ、ということで慌てて服を変え前髪を上げてみたらこれ服装違うだけでいや髪の長さも違うけど、ほぼアッシュじゃん! ということになり、髪を更に短くして目元が影になって隠れそうになるほどギリギリまで足掻いた結果がこれだった。
それでも、似ているねと言われれば皆が納得してああ似ているねと返すだろうが、じゃあもしかして同じ人? と思うほどには似ていない、くらいにはなっている。上出来といえば上出来と言ったところだろう。声は、まあ……身長というか骨格が似てたら声って似るらしいですねHAHAHAHAHAで誤魔化すしかないだろう。多分。
「よかったのかね」
「なにが?」
「……チーグルの森により先にタタル渓谷に行けば、まだ間に合ったのではないか?」
「それは、ダメだ。やりたいことと、やるべきことと。混同したら、とうのあいつに怒られちまうだろ。……少なくとも、俺の世界のあいつならばっさり一刀両断に叱られちまうだろうさ」
「そうか」
「それに」
歩く村の名はエンゲーブ。食料の村とも呼ばれるこの村は、大陸中にさまざまな農作物を輸出する農業の盛んな村だ。歩く道は舗装されてない土の道。すぐ傍らには畑、ブウサギの家畜小屋、近くの森から流れる小さな川からは灌漑用水も整備されていて、まさしくその名に相応しい有様だ。
風に混じる緑の匂いに気持ちよくなってつい深呼吸をしたのだが、ふと、始めにここへ来た時の自分が言い放ってしまった言葉を思い出して苦く笑う。この世界の自分はまだ、あのころの自分のように無敵に傲慢で―――人の血の匂いもしらぬままの潔癖なのだろうか。
「この世界の『ティア』は俺の世界のあいつでもないんだ……こっちの世界の『ルーク』しだい、流れのままに任せるよ」
「了解した。これからやるべきことに変わりはないな?」
「ああ。俺はルークの理解者、友人……それにならなきゃだなー。うわー、自分とお友達って冷静に考えたらなんかこう……変な感じだ」
「ルークの中のヴァン・グランツの比重を少しでも崩す、か……マスター、君本気で言っているのか? 話に聞いただけでも、というか今の君を見ていても、君の中の比重をなんとなく感じることができるのだが……当時の君にとっては世界そのものだったんだろう?」
「……解ってるよ、なんてったって昔の自分だぜ? でも、可能不可能かはまだ解らないんだから、やれることはできるだけやっておかないと」
記憶をなくす前のルークじゃなくて、今そこにいる自分を見てくれてたのは、バチカルの屋敷の中じゃあの人だけだったから。解らないことにはいつも丁寧に答えてくれたし、危ないことをすれば怒られて―――本当は、今だって尊敬しているくらいなのだ。たとえその優しさが裏のあるものだったのだとしても。
誰よりも優しくて誰よりも強かった。誰よりも信じていた。彼の言葉を疑うということなどありえないほどに。あの当時の自分がどれだけ師匠に心酔していたかなんて、自分が一番分かっている。
「だがな、マスター。もう一度言うぞ。相手はもう何年も準備をしての計画的行動だ。それにたいして、こちらは相手が何を行うかはわかってはいるが、圧倒的にソレに対応する準備をする時間がない。しかも、その通りに世界が動くかも保証はない。いや、私たちの行動で既に道筋が変わっている可能性もある。ルークの理解者になる、これはそもそも成功するかどうかも解らないようなことで、その貴重な時間を削ってでもするべきことなのかね?」
「……アクゼリュスの住民の救出にはどちらにしろ組織的な後ろ盾がいる。最低限重症者の収監、輸送ができる車両もいる。ローレライ教団とキムラスカ王国が却下なら、必然的に協力を要請するのはマルクトだ。でも、突然皇帝に合わせてください協力してくださいなんていったって無理ってもんだろ? 俺がルークのときならまだ何とかなったかもしれないけど、今の俺は絶対に素性は明かせないときた。それなら、どうにか旅の仲間に混じって信頼を得て、ジェイドに紹介状か名刺をもらうくらいしとかないと」
「ふむ……まあ、いいだろう。確かに理屈は通るには通る。そういうことにしておこうか」
「……なんっかひっかかるいいかただよなー」
「ふん……この世界にいることになった理由のようなものだ、会いたいと思うのは当然か。似ているのに同じ、同じなのに違う。似てるとこばかり見つけてホームシックになってくれるなよ、グレン。この世界の者達と君の世界の者達の関係は一卵双生児のようなものだとでも思っておけ」
「ぬっぐ……」
ばれていらっしゃる。
グレンは思わず立ち止まってがりがりと頭をかくが、アーチャーは相変わらずしれっとしたままだ。
「どうした?」
「……、さっき少し村の一角が騒がしかっただろ。多分あの騒動はルークだ。俺はそろそろ頃合だと思うんだけど、エミヤはどう思う?」
「そうだな……少々急いているように感じんでもないが……害があるわけでもない。止めはせんよ」
「そうか、じゃあローズさんとこへ行こう」
瞼を閉じれば今でもまざまざと思い出せる。振り返った先の血だまり、必ず皆で帰ろうと約束したはずの動かない仲間達。暗い場所へと落ちていくみんなにどれだけ必死になって手を伸ばしても届かなかったあの絶望に満ちた無力感。
自分の世界の彼らは皆死んでしまったけれど、そうならない可能性を持つ世界の、そうならない可能性を持つ人たち。
―――たとえ、今から会う人たちの全てが俺を知らなくても。
それでもいい。それでもいいんだ。生きて、話せて、笑っている彼らが見れればそれだけで。
ああ、早く会いたい。
「そこの二人は食料泥棒なんかじゃないぜ」
声をかければ、ローズ夫人の家の中に回りに集まっていた人たちの視線がこちらに向いた。そのまま歩いていけば自然に割れる人混み。家の中に入る。いかにも不機嫌だと顔に書いてある青年、探るような目つきの少女、そしてじっとこちらを観察している眼鏡の男。
――生きている。息をして、立って、温もりを持ってそこにいる。
さっと視線を投げかけただけでもつい泣きそうになって、おいおいこれは流石にどうよと自分でも思うくらいで、グレンはなるべく自然の動作を装ってこの家の主のほうへと視線を向けた。
「最近この村で食料泥棒騒ぎが起こっていた。そうだったな?」
「ああ……でもどういうことだい、ぼうや。この二人が食料泥棒じゃないってのは」
「それは、こういうことです……ミュウ。ほら、でてきて説明してくれ」
そう言って、彼は道具袋をことんと床に置く。すると次の瞬間道具袋が勝手にもそもそ動き出し、それを見ていた村人達の間から少し驚いた様な声が上がり、声をあげなかった人たちも目をまん丸にしたままその道具袋を見ていて―――ぴょこりと顔を出した青い生き物を見て、皆が皆ポカンとした。
「グレンさん、もうボクでてもいいんですの?」
しゃ、しゃべったぁ?! ものすごいどよめきがおこるもグレンは気にした風もなく、あ、これコイツの持ってるこのリングの力なんですよ流石聖獣ですよね~とさり気無くこのちんちくりんが本物のチーグルだということをアピールし、まだ一生懸命道具袋から出ようとしている仔チーグルを摘み上げて床に置く。
ありがとうですの~と機会さえあれば懐いてくるミュウの額に軽ーく指弾をいれて、そのままぐいっとローズ夫人や村の皆々様方のほうへと向ける。
「さ、キッチリきっかり説明しろ。言っとくけどな、どんな理由があれ泥棒は悪いことなんだから、しっかり説明してちゃんと謝るんだぞ」
「みゅううう……ごめんなさいですの! ボクがライガさんのおうちがある森を焼いちゃったから、ライガさんが怒って僕たちの森にやってきたですの。それで、ライガさんたちのご飯用意しなかったら僕たちを食べるって言われてたんですの……全部全部ボクのせいですの! ごめんなさいですのごめんなさいですのごめんなさいですの!」
「と、まあ、こういうわけで。件のライガクイーンとは拳を交えた熱い話し合いの末どうにか説得して丁重に他の森へと移ってもらったんで、これからはもうチーグルが原因の食料泥棒はないと思んだけど」
ほらみろだから俺は泥棒じゃねえっつったんだよ! と気炎を上げてまくし立てようとするルークに、疑われるような行動をとったことを反省するようにと、ティアの冷たい声がかかっていた。うわあ。
なんというか、こう、いやまああの当時の俺の言動は確かに目にあまるものがあったけど、傍からみてこんなに仲悪かったのか、俺とティアは。客観的意識って重要だよなぁとしみじみ考えながらも、よくぞ見捨てずにずっと見守っていてくれたものだと今更ながらに強く思う。だって、確かにこれはひどい。その挙句にあのアクゼリュスだ。それでも、ずっと、ずっと、約束どおり見続けて―――
やばい。
気を抜いたら号泣しそうだ。
意識的に彼らの姿が視界に入らないように顔を逸らす。そうでもしなければ突然脈絡もなく泣き出した頭のねじが吹っ飛んでる人になってしまうから。
「はあ……そんな理由があったとはねぇ。それにしてもぼうや、拳を交えた熱い話し合いって……その、クイーンってのと戦ったのかい?」
「はい、まあ……俺じゃなくて、ほとんどは俺の相棒が、だったけど。俺は人並みですけど相棒は人外の強さでして。ほら、家に入らずあそこで突っ立ってる背の高いヤツいるでしょ。あいつです」
「待てマスター。人外扱いはないだろう人外扱いは」
「えぇ? だって本当に人外じゃん、お前」
「……グレン、今日の晩御飯はニンジン尽くしだ。舌鼓を打ちながら思う存分堪能するがいい」
「え? ……ええええええええええええ!!」
爽やかだった。アーチャーの顔は何故か無駄に爽やかな笑顔だった。それはそれはもう楽しそうで爽やかな笑顔だった。爽やかすぎてなぜかこう背筋が冷たくなるくらい爽やかだった。ひでえ。
鬼だ。アクマだ。鬼畜だ。ニンジン魔人だアカイアクマだ!
「ああ……そうだね、確かに一目見てかたぎじゃなさそうだね」
「ご夫人。人を見た目で判断するのはよろしくないぞ。まったく、これも人のことを散々言ったマスターのせいだな、よしよし安心したまえ残っても明日食べられるように加工しておくからな」
「ごめんなさい! イヤほんとごめんなさいマジでちょっとそれは勘弁してくださいエミヤさん! ねえちょっと!」
「そうか、嫌か、では仕方ないくりーみーな特濃牛乳オンリーとどっちが好みだ?」
「デッドオアデッド?!」
ががーんと頭上に何か重たいものでも落ちてきたかのような勢いで頭を抱えてうんうん唸りだしていたグレンの耳に、おほん、となんだかわざとらしい咳払いの音が聞こえてやっと我に帰る。びくりと肩を揺らせて振り返れば、眼鏡を直す男の姿。
やばい。
役に立つよ導師の護衛におひとついかが大作戦がいきなりピンチに。ここはどうにかして汚名返上を、
「まったく、そんなにカルシウムをとろうとしないから背が伸びないと悩まざるを得んのではないのかね」
しなければならないのだがちょっと今聞き捨てならない言葉が!
「おおおおま、何言ってんだよお前まだ伸び盛りなんだよもうちょっとすればのびるんだよまだ! ……っていうかちょっと待て、何でお前俺が背きにしてること……?」
「なに、私も昔は背の高さを気にするくらいには小柄だったクチでね……成長期がおそかったのか、18を過ぎたあたりくらいからやたらにのびて今ではこれだがな」
「なんだと?! ってことは、なんだまだ俺にも可能せ」
「牛乳も飲めぬ魚も嫌い野菜も苦手が多い、では希望も薄いのではないかね」
「ぐ、は……っ」
アーチャーのじじつしてき! ずがーん、きゅうしょにあたった! こうかはばつぐんだ!
さんざん色々な人からも言われ続けて自分でもわかってはいる事実であるが故に、大ダメージをくらってがっくりと床に膝をつく。ちらりと視線を向けてみればにやにやと満足そうに笑う赤い男。なんだそれ、ライガクイーン説得(という名の刃と牙の語り合いを)して一仕事やり遂げた直後よりも満足そうな顔しやがって、お前根っこから絶対いじめっ子だろ!
くそう、月夜ばかりと思うなよ!
「ごほん、失礼。私はマルクト帝国軍第三師団所属ジェイド・カーティス大佐です。最近頻発する食料泥棒のことについて今ローズ夫人から相談を受けていたのですが、大体の状況はわかりました。……わかりましたから、そろそろここらで見世物じみたコントもお止めになっては如何です?」
「あ、ああ……まあ、そう言うわけだからさ、食料泥棒騒動の全容は。被害請求は……ダアトにでもすれば受け入れてくれるんじゃないの? なんせチーグルはローレライ教団の聖獣だから」
「なんっ……」「そんな、恐れ多い!」「オイオイ兄ちゃん軽く言うなよ!」と、口々にまくし立てる村人に向かって肩をすくめてみせ、腕を組む。
「っつってもなぁ……それくらいはしねーと落とし前つけた気がしなくてなんだかすっきりしないお方がそこにいるみたいだしな……なあ導師サマ?」
「え……あ、導師イオン!」
「話はそこで聞かせていただきました。そこの方の仰るとおりです。チーグルは始祖ユリアとの縁が深いローレライ教団の聖獣、何かあればその力になるようにと伝えられています。この件はダアトが預かります、僕のほうからも教団に伝えておきますので、被害総額を算出されましたらどうかダアトのほうへ回してください」
「ですが……」
「チーグルに助力するのは始祖ユリアの遺言ですから……遠慮なさらないでください」
小さく笑いながら歩いてくる少年の道筋が、人垣が自然に割れて出来ていく。フラッシュバックするのは彼の最期。熱い火口、背筋の冷たさ閉じられた瞳光って消える手の中の重み。――今ここで歩いている、気負いもなく、気取りもなく、近付いてくる少年の姿にまた泣きたくなる。
「このたびはチーグルの危機に助力をいただき、ローレライ教団導師として礼を申します」
緑の瞳は真っ直ぐに相手の目を見て、穏やかな声ながらもしっかり芯が通ったような声。底なしの無邪気さをもった声とも冷たく凍えた声とも違う、これはイオンだけがつむげる抑揚だ。いつだって相手の目を見て話すところも変わっていない。何も変わらない。当たり前だ、違う世界でもやはり根っこは同じ人なのだから。
「僕はイオン。とは言っても、あなたは僕を知っていたようですが……失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
真っ直ぐに目を見て話す緑の瞳を見返しながら、これから彼は笑いながら嘘をつく。散々嘘をつくのが下手だといわれても、辻褄合わせの嘘をつかねばこれから何もできないのだから細心の注意を払って偽りを紡ぐ。もう何度も整理した。これからおこること、これからやるべきことのために。
そうして、ずっと、俺はこの世界でその嘘を真実として紡ぎ続けるのだ。
「緑の髪に緑の瞳、白の法衣に音叉の法杖……これだけそろってりゃわかるって、流石に。俺はグレン。姓はない。……ただのしがない旅人さ。導師のことは―――祭典だので遠目で見たことがあったからな」
「そうですか」
一緒にチーグルの森へ行った彼によく似ている、同じだけれど違う人は、それでもやはり記憶そのままの笑顔で柔らかに笑う。
「グレン……いい名前ですね。世界を明るく照らすような優しい光を感じます」
「サンキュ。俺も、なかなか気に入ってるんだ」
笑う。
ちゃんと笑えていただろうか。
この声が彼をルークと呼ぶことはもうない。この世界の人たちが彼をルークと呼ぶことはない。当たり前だ、彼らがルークと呼ぶべき存在はこの世界には別にいる。この世界のルークは『彼』で、自分は異邦人なのだ。
ちゃんとわかっていたはずなのに、それでもやはりどこか少しだけ感じる寂しさ。
「グレンさん、と言ったかね。食料泥棒事件のお礼といっちゃぁなんだけど、今日はこの村の宿に泊ってってくれないかい? 宿代は無しでいいからさ」
「ああ、そりゃありがたい。よろしく頼むぜ」
「―――グレン」
「ん?」
声だけかけて、振り返った先にいるアーチャーは何も言わない。ただじっとこちらをみていて、案じるような目をしているだけだ。
大丈夫だよ、そのうち慣れるさ。
唇だけを動かしてそういえば、やれやれと肩をすくめられた。
ピースは揃いはじめている。ルークが外にでた時から歯車はもう回っている。
―――はじまれば、そこから先は転がるように運命は動き始めるのだろう。