「エミヤ、エミヤ、僕こんなところ来るのはじめて! ねえ、あっちのほうとか見に行ってみてもいい?」
「待て、フローリアン。このようなそこら中にキノコの胞子だらけかつ魔物がうじゃうじゃ居るの森の中で元気がいいのは大変豪胆だが、少し待て。待ちなさい。お前は戦闘の術を持たないのだから、私やルーク、グランツ響長の後ろにひいておけ」
「えー」
「えーではない! まて、せめていざと言う時の為にホーリーボトルをいくつか持っておけと……大人しくしろ、フローリアン!」
「みてみてエミヤ、あの花みたいなの動いてるよ! うじゃうじゃ頭から触手が……イソギンチャクって海じゃなくてもいるんだね!」
「メデュサローパーだあれは! 魔物だぞエネミーモンスターだぞ待たんかフローリ……ちいっ!」
ニコニコ笑いながら魔物に突進していくフローリアンを見て舌打ちし、アーチャーは目にも留まらぬ早業で背から弓を取り出し放つ。魔物がフローリアンに触れる前に、神業のごとき神速で矢が三本ほど突き刺さる。
びくんと痙攣した魔物に止めと言わんばかりに黒の剣が突き刺さり、左右に両断された魔物はそこで完全に息絶える。その様をキョトンとしてみていたフローリアンだったが、溜息をつきながら彼の背後からでてきて、地面に突き刺さっていた剣を引き抜いたアーチャーを見てキラキラした目をして走り寄る。
「フローリアン。良いか、これはピクニックではないのだ。魔物も出るのだから君もうお!?」
「エミヤすごい、エミヤすごい! なんかひゅんって飛んできてびゅんって真っ二つ! すごいすごい!」
後ろから腰にタックルを喰らってアーチャーは面食らっている。助けた相手に向けられる瞳は感謝の代わりに不審、憎悪、憤怒、嫌悪、そんな感情ばかりだった。生前ではそれこそこのような容貌になる前に、数度だけ向けられたことがあったかないか。そんな笑顔にアーチャーは眉尻を下げて困惑している。
「……フローリアン、放してくれないかね。これでは動きづらいのだが」
「エミヤ、僕にもさっきの……えーっと、ユミ? それ教えて! ベンキョーもするけど、やっぱり僕強くなりたい!」
「そんなに一朝一夕でできるものではないのだが……」
「じゃあこれからずーっと練習するから! 教えてよぉー」
ヘルプだマスターもしくはタトリン奏長。私に二歳児の子守は無理だ。
わりと本気で空を見上げて助けを請う。当たり前だがそうほいほいと助けが降ってくる訳もなく。ねえねえねえねえと先ほどから執拗にねだられて、アーチャーは降参だと両手を挙げる。
分かった分かった、勉強の合間ならみてやろう。ほんとうに? ああ本当だ。やったぁー!
大はしゃぎしていたフローリアンだが、かんかんとアルビオールの階段から降りてくる足音を聞き取ってピクンと耳を反応させた。そのままばっと勢いよく振り返り、隣を歩くティアとなにやら淡々と言い合いをしているらしい様子のルークを見つけて標的変更。そのままだっと走り出す。
「魔物がいるなら治癒師(ヒーラー)が一人はいたほうが良いに決まってるでしょう? 何かあったらどうするの」
「だから、お前の体には障気が溜まっているんだぞ。エミヤもいるし、万一などない。パッセージリングの操作は無いんだから大人しくアルビオールで待機……ぐはあ!?」
そしてルークが階段を下りて地面に足をつけた瞬間、すごい勢いでボディタックルをされた。ティアとにらみ合いをしながら会話をしていたせいもあるが、全く殺気のないフローリアンの突撃を察せなかった。
いい感じにボディに入った衝撃にルークはごほごほと軽く咳き込んで、そして自分の腹の辺りにある見覚えのある緑の頭を見、とりあえずその頭にぽんぽんと手を置いてみた。
「フローリアン?」
「ルーク、ルーク、聞いて! あのね、エミヤが勉強の間ならしゅぎょーつけてくれるって!」
「え……修行ってまさか剣か? お前にはあんまりそう言うのはやって欲しくないんだが……」
「けん? 違うよ、なんかねー、ひゅひゅって遠くからたおすやつ。ユミ……えーっと、弓だっけ?」
「そうか、弓か……でもなぁ、そりゃあ護身位できたほうがいいのは確かだけど。……なあフローリアン、今の間は俺たちが守ってやるから、やっぱり先に勉強したほうが良いんじゃないのか」
「えええー。だから勉強の間にするだけにしようって言ってるのにー」
口を尖らせてむっとする顔をする子どもの頭を撫でながら、ルークは弱ったような声でフローリアンの名を呼んだ。戦える力とは、守るためにしろ戦う為にしろ、何かを殺す可能性をその手に持つということだ。
「だって守られるだけなんて、嫌だもん。僕はお兄ちゃんなんだから、いつかあったら、弟たちをちゃんと守れるようになりたいんだ」
「……そう、か」
ルークとて、ただ守られるだけと言うのがどれだけ焦れったいかを知っている。彼と同じレプリカのシンクはあれだけ戦えるのだから、恐らく体力的にイオンほど劣化している様子が見られないフローリアンの様子を見れば、いくらか鍛えればそれなりに戦えるようにもなるのだろう。
それでも、これがただのエゴだとしても『フローリアン』と、その名を与えられた彼が戦う力を手に入れることがルークは嫌だった。
渋い顔をし続けるルークだが、フローリアンはニコニコと彼の服の裾を引っ張って全く持って気にしていない風だ。
「それにね、弟……イオンは導師で、シンクは六神将なんでしょ? なら僕はね、いつかオラクル騎士団の主席総長になってやるんだ! だから強くならないと!」
「主席……待て、それは待て! いいか、それは軍人になるということだぞ!? 戦争になれば真っ先に人を殺して、そう言う職業で……っ!」
「ルーク。僕ね、家族も守りたいけどルークも守りたいんだ。僕を助けてくれた人だから。助けたいけど、僕は弱いから、守られるばっかりで、それでも主席総長になれるくらい強くなれればルークも守れるでしょ?」
「何を言って……フローリアン!」
「……へへ、ルークは優しいね。僕ね、ずっと助けて欲しかった。誰かに助けて欲しかった。連れてって欲しかった。でも、僕はレプリカだからどこにも行けないんだって思ってた。それでも、連れて出しくれた人がいた。それがルークだよ」
ルークの本気の怒鳴り声にも、フローリアンは嬉しそうに笑う。その笑顔を、果たして無邪気、と評していいものかどうか。ニコニコと笑う、フローリアンの笑顔は変わらない。
ただ、なんとなく。
「だからね、僕はルークが大切なんだ。すっごくすっごく大切なんだ。だからね、ルーク。僕はルークがいなくなったら泣いちゃうよ?」
なんとなく、オリジナルイオンに一番似ているのはきっとシンクでもイオンでもなく、今目の前に居るこのフローリアンなのだろうと、なんとなく思った。オリジナルのイオンとなど、ルークは一度も会ったことなどないのに。
表情は、きっと傍から見れば無邪気そのもの。演技でもなんでもなくこれは彼の素の表情だろう。しかし、ルークはその無邪気さの中に微かに宿る何かの片鱗を感じとっていた。これはとんだ番狂わせだ。まさかこんなダークホースがいたとは思いもしなかった。
「俺がいなくなったら、泣くのか」
「うん、すごく泣く。わんわん泣いて悲しむよ。ルークはイオンとも友達でしょ? なら、きっとイオンも泣いちゃうよ。僕の弟虐めたらダメだからね!」
「そうだな。イオンを泣かせるのは嫌だな」
「そーそー。だから、」
ずっとそんな目をしてたら、心配になってエミヤに相談しちゃうよ。
小さく囁くような声で溢された言葉に、それこそルークは驚きに目を見張る。思わず一歩下がってみれば、それでもやはりニコニコ無邪気に笑うフローリアンの姿。
ルークはそれに本気で戦慄した。この無邪気は、素だ。そのくせさっきの子どもに似つかわぬ低いあの声も、素だ。もしかしたら自分はとんでもないヤツに気に入られてしまったのでは無いだろうか。無言で固まるルークにニコリとそれはもうお子様らしい笑顔を向けて、フローリアンはアーチャーのほうへと走っていく。
その背を見ながらルークの思考はぐるぐるに回っていた。ティアのいぶかるような声に反応する余裕もない。ひたすら頭の中には何故の連呼だ。
ありえないありえないありえない。何だアレは。そもそも何故フローリアンがあんなに頭が回るのだろう。モースに教育されたはずだがそれは必要最低限の知識だったはずだ。それが何故? 文字の読み書きもできないはずで、早速教わった自分の名前を書けたと嬉しそうに見せに来ていたくらいだったはずだ。
それが何故ああもこちらを見透かしている。今までの無邪気な子どもは演技だというのか。いや、そんなはずが無い。たとえ俺が気づけなかったとしても、流石にあの嘘吐き屋なら気づくはずだ。どうしてだ。例えば演技だったとして、どうしてそのような演技をしなければならなかったのかと考えていて、途中ではっとした。
思い出す。一番初めにあったときの、怯えてこちらを探るような視線を。
「そう、か……あいつを閉じ込めて生かしていたのは、モースだったか……」
薄暗い狭い部屋だった。地下牢のような部屋だった。その場所に閉じ込められていたフローリアンが会う人間は、常に一人。時間も短いだろう。そして、その相手は己を蔑み見下し道具としか思っていないような人間で。だから、フローリアンはいつも考えていたのだろう。
その短い時間で相手を観察し、何を思っているのか、何を望んでいるのか―――どうすればモースの反感を買わずに少しでも長く自分が生かされるのか。無力で、無邪気で、まるで怖るるに足りぬ幼い子ども。オリジナルイオンのように気の抜けない相手でもなく切れ者でもない、取るに足らない知能の低いレプリカ。それを無意識に被っていたとしたら?
そして、ここに来るまでの間でこちらを観察し、無力な自分を被る必要性がないのだと生存の無意識が判断したのだとしたら。
「くそ、後悔するつもりは無いがとんでもない下手を打った気がする……」
「ルーク?」
「……なんでもない。いくぞ」
頭をガリガリとかくとルークはぶっきらぼうにそれだけを言って、ずんずんと歩いていく。そしてアーチャーに向かって修行修行を連呼し、「ではまず筋力トレーニングや精神統一からだな」と言われ頬を膨らませているフローリアンを見て、大きな溜息をついた。
ぺろぺろと頬を嘗めてくる舌は猫のようにざらざらしている。それが少し擽ったくて、少女はくすくすと小さく笑った。抱きしめて首元を軽くかくように撫でる。まだ薄い白色の産毛に覆われた首元を撫でるその手が気持ち良いのか、彼女の弟はぐるぐると気持ち良さそうに喉を鳴らす。
母親に背中を預けて弟の世話をしていれば、ずっと末っ子をかまっているのが気に食わないのか、弟よりも少しだけ先に生まれた妹がずるいとでも言いたげにぐりぐりと額を彼女の肩に摺り寄せてくる。彼女は破顔して片手を妹に伸ばしかけ、そしてねぐらの入り口付近に感じた複数の気配を敏感に感じ取り鋭い視線を向けた。
兄弟たちを後ろに庇うように前に出る。そのアリエッタの気配に気づいたのか、彼女とともにいてくれる大きなライガの兄弟も小さなこどもたちを守るように前に出てきてくれた。クイーンが一声鳴けば、今まで近くで遊んでいた兄弟たちがさっと集まってクイーンの背後に隠れる。
森の女王が娘の向いている方向へ視線を向けたと同時だった。
「やれやれ。久方ぶり、と言ったところかねライガクイーン」
現れたのは白髪で背の高い男。鋭い鷹の目、刃の瞳。黒い上下に赤い外套を纏い、その両腰に剣を下げた男をアリエッタは知っている。
「……あなたは!」
「ふむ? やはり娘も帰省中だったか。君は確かアリエッタ、と言ったかな」
「何をしに来た、ですか……アリエッタのお友達だけじゃなくて、兄弟まで……っ!?」
「何故そうなる。チーグルの森からこの森へ移るように頼んだのは私とマスターなのだ、その後の様子を見に来るのはひとつの義務だろう? アフターケアだ。ところでクイーンよ、これは手土産だ。生まれたばかりの子どもを抱えては満足に狩りもやり辛かろう」
そう言って、ゆっくりと近付いてくるアーチャーが軽く放り投げたのはキノコロードから少し外れた森に住むイノシシ型の魔物だ。それもかなり大型の。アリエッタはポカンとしながらも、慌てて表情を険しくしてじっとアーチャーの方を見る。すぐに気を許すなどできない。
ぎゅっと両手を握って警戒するアリエッタだが、彼女にとっては意外なことに先に警戒を解いたのはライガクイーンのほうだった。軽く頭を下げてアリエッタの背中に額を当てる。
ふぇ? と困惑気味の声を上げながらアリエッタは振り返る。首を傾げれば、静かな目をしたライガクイーンがそこにいた。
「ママ? え……大丈夫……? なんで……」
「どうやらエミヤは上手いことクイーンの信頼を勝ち取ってたみたいだな」
「……っ、あなたはルーク! ……です、か?」
「まて。お前俺を誘拐したこともあっただろう。何故に疑問形なんだ」
「顔は同じだけど、何か違うです。雰囲気も。あと眼帯も……それに、えーと……ぼろぼろです」
「………………………………いろいろあったんだ……」
アリエッタの首を傾げての言葉に、ルークは遠い目をして答えた。
ぼろぼろなのはルークだけではない。このねぐらの中には入ってきてはいないが、微妙にティアもぼろぼろだった。ルークよりは余程小奇麗ではあったのだが。
どうやらアーチャーはザレッホ火山でのルークの無茶に大層お冠りだったらしく、また時々抜けたことがあったとしてその時にも同じように無茶をされては堪らないから、と。実戦経験を積むいい機会だからと、自身はフローリアンの護衛に専念するのでモンスターは自分達だけでどうにかしろと放り出されたのだ。
出てくるモンスターは自分達の技量だけではなかなか倒せない困難な奴等ばかりで、それはもう聞くも涙語るも涙の艱難辛苦の道のりだったのだ。
……本当に危なくなった時だけはアーチャーもモンスターを狙撃してくれていたが、なにやら狙撃救助の優先順位はティアのほうが上だった。ルークへの援護はなぜか常に一足遅く、モンスターの一撃を必死になって受けたり結局喰らったり。
アーチャーに向かって抗議をすれば、それはもうお前もジェイドの同類だなと言いたくなる量の皮肉とともに、お前の修行不足だとばっさりと切り捨てられた。チクショウめ。ザレッホ火山でのことをそんなに怒ってるのかよ。仕様がないじゃないか、ああするしかなかったんだから!
因みにルークがずたぼろになりつつも自分には的確に援護が来るのがティアの公平精神を刺激したらしい。彼が抗議をしていた時に援護のような言葉が発せられ、ルークは内心でそうだもっと言ってやれ! と応援していたのだが。
パッセージリングだの障気障害だの治癒師の重要性だの前衛と後衛の違いだの獅子の子落としだの、最終的には納得はしていないはずなのに何故かいい感じに言いくるめられていた。オイ。
おかげで戦闘経験がどうとか言うのはよく解らないが、とにかく防御と逃げ足の自信だけは無駄についたルークだった。今ならあのフィアブロンクと戦っても、もっとまともに逃げ回れる自信がある。
「お水、いるですか?」
「……一杯頼む」
ついでに外にいるフローリアンとティアの分も受け取って渡しに行こうとすると、にやりと笑っていたアーチャーと目があった。……このやろう、ムカつくな。と、内心が目つきにも表れていた。ルークの目つきは不機嫌そうな半眼だ。
「なんだよ」
「いや……どれ、外の二人には私から渡して置こう。君はそこのアリエッタと上手いこと交渉をしておいてくれ。……フローリアンを呼ぶときになったら呼べ。いいな?」
後半部分は小声で囁く調子のアーチャーの言葉に、ルークは頷く。
アーチャーが去って言った後、ルークは改めてアリエッタに向かい合う。アリエッタはアーチャーが持ってきた魔物を兄弟たちのほうへ持っていき、それに食いついている様子を小さく笑いながら見ていたのだが視線を向けられたことに気づいたらしい。
こちらの方へ振り返り、険悪な雰囲気は薄れたが警戒は完全にはといていない。
「何しに来た……ですか」
「アリエッタ、単刀直入に言おう。ヴァン師匠から離れてこちらにつけ」
「できません」
ルークの言葉に多少は驚いた顔をしたが、間髪を入れずきっぱりと返す。髪の色によく似た赤い瞳に迷いは無い。
「アリエッタの大切な場所、ヴァン総長が復活してくれるって約束してくれたもん! 生まれた街も、家族も、ちゃんともう一度合わせてくれるって約束したもん!」
「復活ね……それは、レプリカで、か? それはまやかしだ。レプリカは本当の家族では無いし、その代わりでもない。一個人、別の存在にしかなれない。代わりになんてなれない」
「そんなことない! ルークだってアッシュの代わりに作られたんでしょう!?」
「ああそうだ。それが俺が作られた理由だが……だが、別に俺がその通りのためだけに存在する必要性も無いだろう。というか、俺は感じないね。俺は俺だ。俺は俺が叶えたい願いを叶えるし、俺は俺だけのためにしか死なない。代わりに生きるのもごめんだし、代わりに死ぬのもごめんだ。レプリカだからってオリジナル様や製作者様の言いなりになるつもりも無い」
俺は、俺のやりたいようにしかしない。
ルークは傲岸不遜に言い切って、ポカンとしているアリエッタをちらりと見る。レプリカがそんな風に言うとは思いもしなかったのだろう、少し動揺しているようだ。
「アリエッタ。お前は考えたこと無いのか? 自分が作った存在が、本当に自分の思い通りのままでいてくれるかなど。はっきり言うぞ。レプリカで作った人間は人形じゃない。あくまでも人間のレプリカだ。はじめは赤ん坊のようにまっさらでも、学習もするし理性も持つし自我も芽生えるし自分だけという個を持っている」
作った後のレプリカがどんな反応をするか、それはその個々のレプリカ自身にしか解らない。製作者の願いを自分の存在意義として従うか。そんなことを知ったことじゃないと自分自身を見つけるか。作られた存在ということに絶望して世界を呪うか、もしくは自分を作った人間を憎悪して殺そうとするかもしれない。
統計的にこういう行動をするレプリカが多い、と傾向を見つけることは出来るだろう。それでも、人間のレプリカは厄介だ。自我と理性と感情、それだけは科学でも計算でも数式のように完全に明らかな、定まった解答を導き出すことはできない。
「でも、でも……っ! もう一度……もう一度会えるって……ヴァン総長、は……」
「ありえない。死んだ人間は蘇らない。会うことも喋ることも触れることも出来ない。思い出すしかできない。それすらも段々と遠くなり消えていく。そう言う風にできているんだよ。世界も、人間の記憶も」
死者はよみがえらない。時間を撒き戻せない限り。しかし。
『なかったことになんて、できない―――したくない……っ!』
たとえできたとしても、どれだけ心の底から願っても、撒き戻してはならないのだ。
だって、無かったことになる。誰かと歩いた道が、誰かと過ごした時間が、交わした言葉が、誓いが、約束が。向けた笑顔も向けられた笑顔も、喜びも怒りも哀しみも楽しかったことも。旅の中で形作られていった信頼も友愛も親愛も。
撒き戻せば全てがなかったことになる。今まで歩いたその道を完全に否定することになるのだ。
「……死んだら終わりだから。だから、生きてる時間が大切なんだろう。陳腐で使い古した表現だが、それが大多数の人の変わらない意見だからこそ、陳腐で使い古したほどに人に使われるんだ。もう一度言うぞ。死者は蘇らない。時間は撒き戻せないし、撒き戻してはならない。レプリカも、死んだ人間の代わりになどなれない」
「……それでも……っ!」
死者は蘇らない。会えない。どれだけ誰かに言い聞かされても、ならばはいそうですか、と納得できるなら苦労はしないのだ。人間の厄介さはここにある。例え理性がその言い分に納得したとしても、感情が納得してくれないことなどはごまんとある。
死ねば会えない。では諦めましょう、と納得できるならそもそもフォミクリーという技術は誕生しなかった。会えなくなって、それでも会いたいと願ったからこその技術だ。死んだ人にもう一度会いたい、そう願うのはもはや人の性だともいえる。
震える握られた拳にアリエッタの願いの強さを見て取って、ルークは溜息をつく。
「はあ……それじゃあ仕方ないな。……エミヤ!」
ライガクイーンのねぐらの出入り口付近で待機しているはずの彼を呼べば、すぐに近付いてくる足音。アリエッタは俯いている。だから、アーチャーの後ろについてきている『彼』の顔をまだ認識していない。
アーチャーの後ろからクイーンのねぐらに入り、キョロキョロと辺りを興味深そうに見回している。あまりにも注意力散漫で、転ばないようにとティアがやんわりと注意しているがあまり効果は無い。早速転びかけて、後ろに控えていたティアに支えられてニコニコと礼を言っていた。
そして彼―――フローリアンは、ルークに気づいて無邪気に走り寄る。
「ルーク! ねえねえねえ、あのお姉ちゃんの後ろにいる大きな魔物さんって何? すっごくふわふわしてそうだし、なんかちっちゃいのもいっぱいいるよ! ねえ、遊んじゃダメ?」
「……え?」
その声に。響いた声が酷く聞きなれたもので、その実根本的に違うその声音を敏感に聞き取って、アリエッタは俯いていた顔を上げた。目を見開く。ルークに走り寄る緑色の髪と瞳の少年。
アリエッタはよく似たひとを、知っていた。けれどその人は今目の前に居る少年のように、無邪気に笑うことなど一度もなかった。自分よりも年下のはずだったけれど、それでもいつも大人のように柔らかく笑う人だったはずだ。
その人の名前を、アリエッタの唇が勝手に呟く。けれどその形に動いた唇が声を出すことはなく、ただ呆然としてその少年を見ていた。
「フローリアン、ちょっと待てな。あのお姉ちゃんが遊んで良いって言ってくれたら多分遊んでくれるから」
「え、本当?」
「まさか……」
「ねえお姉ちゃん、あの後ろの大きなねこさん、いっしょに遊んでいい? ねえねえねえ、遊んじゃダメ?」
「イオン様、の……レプ、リカ?」
「え? お姉ちゃん、僕の弟達のこと知ってるの? あれ、それともオリジナル? えっとね、僕はね、フローリアンっていうんだ!」
ルークがね、付けてくれたんだよ。いい名前でしょ。
本当に嬉しそうに無邪気に笑うフローリアンと名乗ったイオンによく似た少年は、アリエッタの思わず、と言った呟きを否定することもなくにこりと笑って首を傾げた。そしてとてとてとアリエッタに近付き彼女の服の裾を握り、ねえねえ、とねだる様に尋ねてくる。
「お姉ちゃんの名前はなに?」
『――――アリエッタ』
名前を呼んでくれたはずの声と同じ声で、同じ抑揚で、けれどどうしようもなく違う声が、無邪気な声が、柔らかく笑いながら名前を聞いてくる。
擦れそうになる声で途切れ途切れにアリエッタ、と名乗ると、ぱあっと嬉しそうに笑って両手を握ってぶんぶんと上下に振ってきた。その動作にアリエッタがキョトンとしていると、やはり嬉しそうな顔のままフローリアンは笑っている。
「アリエッタ、アリエッタ、アリエッタ! えへへ、僕自分で名前聞いた友達ってはじめて! ねえアリエッタ。僕、後ろの魔物さんといっしょに遊んでもいい? ダメ?」
「え? あ、えっと……」
困ったように振り返ってライガクイーンの瞳を見る。クイーンはちらりとフローリアンの様子を見て、仕方ないと言いたげに寝そべって尾を一度だけ揺らした。その様子を見て「良いみたい、です」と答えれば、それはもう嬉しそうに「やったー!」と喜びの声を上げて仔ライガのほうへと突撃していった。
まさか許可がでるとは思っていなかったのか。流石に危険だと思ったのかティアがフローリアンにやめるように声をかけようとして、それをルークが止めていた。
代わりにフローリアンへ仔ライガは生まれたばかりのはずだから優しくして落とさないように、と声をかけている。分かってると元気よく返した彼は、そのまま飛びつくのではなく一応立ち止まった。
そしてこちらをキョトンと見ている小さな獣に恐る恐る手を伸ばす。触ろうとして、びくんと体を強張らせたライガにフローリアンもおっかなびっくり、といった風だ。しばらくじーっとお互い見つめ合って、もう一度手を伸ばす。そしてじっとして、ライガのこどもがそっと匂いをかぐように鼻を寄せる。
くんくんとした後額を擦るようにして触れてきたライガに、フローリアンは破顔して抱き上げた。
「ルークルーク、見てみて! すっごい、すっごいふわふわー!」
「ああ、良かったな」
「僕魔物のお友達ってはじめてー! お名前は?」
当たり前だがライガと言葉が通じるわけがない。ぐるぐると喉の奥で鳴いているだけで、意思の疎通はできていない。それでも構わないのか、ミュウを呼べば済む話でもご機嫌な彼は気づかないまま、にこにことライガの子どもを抱きしめもふもふとその手触りを楽しんでいる。
そんなフローリアンをみて、呆然としたアリエッタの瞳がルークに向けられた。対して彼は分かったか、といわんばかりの顔つきだ。アリエッタはそれにかっとして声を荒げそうになって、しかしすぐに沈静する。出す声は振り絞るような小さな声だ。
「どういう、こと……ですか?」
「それはどこにかかってるどういうこと、かな。導師イオンのレプリカを作ったのは、モースとお前の総長だぞ」
「ヴァン総長が!? そんな……フェレス島じゃそんなことしてなかった! それにそんな話、アリエッタには、総長も、イオン様も、一度も……っ!」
「アリエッタ。取引だ。ヴァンからこっちにつけ、とは言わない。ただ、しばらくこちらに手を貸せ」
「なんで……どうして、アリエッタが、ルークに力を貸さなきゃいけない、です!」
「イオンにあわせてやる」
「っ!」
その答えに驚いたのはアリエッタだけではなかったが、ティアは驚きの表情はしても話に割り込むようなことはしなかった。ちらりと見た先のアーチャーの表情が酷く冷静で、もとからそのつもりだったのだろうと判断したからだ。それに、ルークがイオンの立場を悪くするようなことをするわけが無い。
「これ以上俺が詳しく話すわけにはいかないだろう。後は本人に聞け。ただし、言っておくぞ。知らないほうが良いだろう真実は世界には存在する。知らないままでいたほうが幸せな事実もある。……それでも、知らなければ進めない道なんてしょっちゅうだ。アリエッタ、イオンに話を聞くつもりはあるか?」
ルークの言葉にアリエッタは息を呑み、押し寄せる嫌な予感を無理やり押さえつける。そして不安と恐怖に顔を歪めながらも、俯かずにじっとルークの目を見てポツリと溢した。
「イオン様、は……アリエッタに、今度はちゃんと話してくれる……?」
「ああ。コーラル城の馬車の帰りにそんな感じのこと話してたからな。お前とゆっくり話す時間さえ取れれば、お前がそれを望むなら、イオンはちゃんと全部話してくれるさ」
「…………総長の邪魔のお手伝いは、やらない、です」
「なら俺らの動きをあっちにこぼさないことを条件だ。主な仕事はイオンに会うまではフローリアンの護衛、そして万が一戦争がはじまった場合の、住民移動の手助けだ。飛行系の魔物で視界を確保させてくれればそれで良い。下手に魔物で人を運ぼうとしたら住民がパニックになるかもしれないからな……戦争で人がたくさん死ぬのはイオンが一番哀しむことだ。これは手伝ってくれるか?」
「……戦争は、アリエッタも嫌いです。イオン様も、止めようとしてました……避難のときなら、アリエッタのお友達に、手伝ってもらう、です」
「それじゃあ契約成立だな」
ルークはずかずかとアリエッタに近付き手を差し出す。その手を不思議そうに見つめる様子に小さく溜息をついて、握手だよ、と呟いた。驚いて顔をあげ、おずおずと差し出す少女の手を握りもう一度声に出して宣誓する。
「それじゃあこれからお前をイオンに会わせるまでは休戦だ。フローリアンの護衛頼んだぜ、元導師守護役(フォンマスターガーディアン)?」
「……あの子はイオン様と違うです。でも……わかった、です」
握った手を強く握り返し、桃色の髪の少女は顔を上げた。