セントビナーが崩落した。その一報を聞いた瞬間、ユリアシティの市長テオドーロの表情がいっきにそげ落ちた。馬鹿な。小さく呟いてもう一度聞きなおしたのだが、セントビナーの崩落はどうも誤報でもなんでもなく事実であるらしい。その日一日は、もう仕事と言う仕事が手につかなかった。
続いて流れてくる情報。そのどれもが全てセントビナーの崩落を示しているもので、テオドーロの脳裏に蘇るのはいつかの声だ。
―――俺がアクゼリュスのパッセージリングを破壊したことにより、もうまもなく南ルグニカ平原は確実に沈む。
―――レプリカと言う存在が詠まれていないんですよ。スコアは既に狂い始めている。
―――外殻大地が崩落を始めた場合の、パッセージリングの操作の許可です。崩落をする前に降下で死傷者が出るのを防ぐ為に。
「そんなはずはない……ユリアのスコアが狂うなど、そのようなことがあるはずが無い! それでは、一体、我らはこの二千年間、何のために……っ!」
「市長、技術局の観測の結果です。パッセージリングにかかっている負荷状況を考えますと、やはり南ルグニカ平原が崩落することは確実と。このままでいけばルグニカ平原全体を含んだ崩落と、最悪その崩落によりパッセージリングにかかる負荷の連鎖による外殻大地全体の崩落の可能性すらありうるとの結果が……」
若い市長補佐の言葉に、テオドーロは力任せに机に拳を叩きつけた。どん、と鈍い音が広い会議室に大きく響く。手元の書類を見ながら報告していた補佐は、はっと驚いた様子で顔を上げた。テオドーロはその顔を歪め、ぎりぎりと奥歯をかみ締め唸っている。馬鹿な。小声のうめき声の後、信じられんと首を振って、もう一度机に拳を叩きつける。
「馬鹿な! 馬鹿な、そのようなこと……これから起こる戦争は、ルグニカ平原の上で行われるはずなのだ。アクゼリュス以外の崩落などユリアのスコアに詠まれてなどいない!」
「ですが! 研究者自身も信じられずに何度も何度も計算して計測しなおしてこうなったと申しているのです! 結果がでてしまっているのです! ユリアのスコアは……もう、狂っているのではないですか―――市長」
「なんという、ことだ……」
スコアが狂っている。いつか言われた言葉でも、そんなことはありえないと否定した現象だったはずだ。それなのに、己の補佐としてとても有能に今まで支えてきてくれていた補佐官の口から零れた言葉に、テオドーロは打ちのめされていた。
「ホドを見殺し、アクゼリュスの住民の犠牲すらも致仕方なしと見殺しにしようとした……その結果が、これか。始祖ユリア……一体、私はどうすればよかったのでしょうか」
「テオドーロ市長……」
一気に十は老け込んでしまったかのように生気が無い。がくりと力なく肩を落とすテオドーロに、補佐は何も言えなくなってしまった。しばらく無言で時が流れる。そしてしばらくして、慌てたような駆け足が聞こえ、会議室の中に入ってきた男がいた。
その男は焦ったように市長、と声をかけながら入ってきたのだが、なぜか妙に力の無いテオドーロの様子を見て咄嗟に口をつぐむ。困ったような視線を向けられて、代わりに補佐官が話を聞いた。一つ頷き、男に退出するように促し補佐官は改めてテオドーロに向き合う。
「……市長。その、今ユリアシティに、セフィロトやパッセージリングについて聞きたいと申している者たちが来ております。マルクトとキムラスカとダアトの主要人物の集まりでなんとも豪華なメンバーなのですが……いかがいたしましょうか」
「主要人物? そのような者達が何故この都市の存在を知って……いや、もしや以前ここに来たことのあるものたちか?」
「はい。マルクトの懐刀にキムラスカの王女殿下、導師イオンに六神将の……」
「まて。六神将? それは……赤い髪の男か?」
「は? あ、はい……特務師団長のアッシュというものが……」
「…………」
オリジナルルーク。あの時見逃した、スコアの通りに進めば死ぬはずだった『ローレライの力を継ぐ者』だ。その男がここに来ているという。スコアが、決定的に、狂い始めたその始まりの元凶が! スコアが狂った本来の元凶はルークレプリカだそうだが、そもそもその存在がなければ死んでいたオリジナルルークだ。
ならば。
あの男を殺せば。
『隠せばそれを巡って争いになることは分かっている。……そうなると分かっていて、なぜユリアは第七譜石を詠んですぐに隠してしまったのでしょうか』
ユリアの、スコア通りに―――
『教団が死のスコアを詠まないのは、』
「…………まさか」
「市長?」
「まさか! いや、そのようなはずが無い。ユリアは……第七譜石は……!」
唐突に思いついた嫌な考えを、テオドーロは必死になって振り払おうとする。けれど、一度考えれば後から後から疑問が湧いて止まらなくなるのだ。何故ユリアは騒乱の元となると知って第七譜石を隠したのか。何故、星の記憶を詠んだスコアが第七譜石までしか残されていないのか。
……何故、ユリアの子孫であるヴァン・グランツはスコアを狂わせるルークレプリカを作ったのか?
『高く高く空へ跳ねたボールほど、高い高い場所から地上に落ちてくると』
「ま……さ、か……」
テオドーロ市長? と問うような声も今の彼には聞こえていない。
二千年間。先達の監視者達もただそれだけを願って世界を見てきた。訪れるはずの繁栄を。未曾有の大繁栄を。切り捨ててしまう命がでることを知っていた。それでもより多くの人々が笑っていられるはずだった未来のために、終わることなき繁栄だと信じて。
その心は機械となり、その行動は歯車となり、その目はただ現実を映すだけのレンズとなり、スコアに死を詠まれていた者たちの嘆きを、防げていたかもしれない悲しみを知らせぬままに見殺しにし続けてきたのだ。
テオドーロとて監視者の長になったときには覚悟をした。心を殺して歯車の一部になることを受け入れ、そして先達のように監視者としてあるべき姿として世界を監視してきたのだ。初めのころは理解していても感情が受け入れられずに吐いたこともあった。
それでも人間は慣れることができる生物なのだ。何年もその勤めを重ねていくごとに心は鈍化して、そして眉一つ動かすことなく人の命を人柱として見捨てることもできるようになった。嘆きの声と恨みの瞳も簡単に忘却できるようになっていた。
けれど、その行動全てが。先達の願い続けてきた守り続けてきたものは。
『そしてその落下の衝撃に耐え切れなかったボールは』
―――そうだとしたら、とんだ喜劇だ。
「……アッシュは、いるのだったな」
酷く掠れた声だった。テオドーロのその声に補佐官は不審げに眉根を寄せる。セントビナーが落ちたと聞いてから一睡もしていない市長を知っていたため、どこか案じるような目だった。それでももう一度確認するように尋ねるテオドーロに、はい、と小さく頷く。
「ルーク、は…いるかね?」
テオドーロがついついルークレプリカ、といいそうになったのを何とか堪えて尋ねれば、返ってきたのは否の答え。当たり前か。今の状況でここにくるわけが無い。彼はこの起きる状況を見通していたのだ。どうやって知ったのか、それとも全て状況を分析して観察して組み立てた予測だったのかは、本人に聞かなければ解らない。
それでもあのレプリカルークは、スコアなど既に導になりはしないと、崩落は起きるのだと主張して起きた後の行動に対する教団の許可まで求めていた。この現状はほぼ確信していた状況なのだろう。ならばそうせざるを得ない状況にでもならなければここに戻りはしないだろう。
確認をしたかった。嘘だと思いたかった。馬鹿な考えをしていると思いたかった。
しかし、何を知っているのか何を考えているのか、よく解らないかのレプリカの言葉が全て真実だとしたら。今までの彼の言葉は的中している。ヴァンの動きは監視者としてのものではない。
『もしもオリジナルルーク達が外殻大地やパッセージリングについて聞きに来たら、』
「……アッシュ達に会おう。すぐにここに来るように伝えてくれ」
「ですが、市長? お顔色が悪いです。体調が優れないなら今すぐではなくてもよろしいのでは無いでしょうか」
「そうはいかん。それに自分の体は自分が一番分かっているつもりだ。……大丈夫だ、連れてきてくれ」
「…………承知しました」
ありありと納得していないような、心配している声だった。一礼をして、副官はゆっくりと歩いて出て行く。その背を見送って、テオドーロは酷く疲れた、覇気の無いため息をついた。力なく肩を落としたまま、ゆっくりと天井を仰いぐ。
「申し訳ありません、代々の監視者の長よ。先達の長達よ。私はこれからあなたたちがずっと守り続けてきたものをどぶに捨てようとしております。……これから私は最後の監視者として、スコアから外れる行動をとるでしょう」
今まで当たり前だと信じていたものを捨てる事になる。迷った時にはいつも答えを指し示して、信じていればよかっただけの導は頼れない。スコアから外れるというのは、そう言うことだ。
スコアから外れるなど、テオドーロとて考えるだけでも恐ろしい。外れぬように、遵守することこそが善だと生まれた時からずっと信じて、そしてきっとこれからも信じ続けていくのだろうとつい数分前まで思っていたことなのだから。
それでも、世界はユリアのスコアから外れなければならない場面に出会ってしまったのだろう。
「始祖ユリア……スコアから外れるこの世界にも、どうかあなたの祝福を―――」
老人の震える小さな声が、静かな会議室の中でポツリと響いた。
ケセドニアに降りる。活気のある町並みはいつかここに来たときのままで、それでも国際情勢のせいか、どこか浮き足立っているような雰囲気だ。空元気のような張り声が辺りで飛び交い、交わされる笑顔も少し薄暗い。
そんな流通の拠点都市を歩く人影が二つ。アーチャーとルークだ。二人とも、あちこちキョロキョロ何かを探すようにしている。
「エミヤ、見つかったか?」
「いや、今のところ見当たらないな。ふむ……この都市に今は居ないのか、はたまた昼間は潜っているのか……」
「ってことは、接触を持つにはやっぱり酒場か」
「ああ、あの酒場の店主がノワールとの知り合いだというのは既に確認済みだ」
アーチャーの頷きに、ルークは内心フローリアンを連れてこなくて正解だったな、と安堵した。……ただでさえちょっと油断ならないのだから、裏との繋がり方だの、酒場の雰囲気だの、あまり覚えさせたくは無い。今ごろアルビオールの船内で何をしているのだろうか。
アリエッタが上手くフローリアンの相手をしてくれていたらいいのだが。
「しかし、意外だったな」
「何が?」
「グランツ響長だよ。疲労も溜まっていたようだし、どうやってアルビオールに残していくか考えていたのだが……よく残して来れたな。彼女ならお前に付いてきそうだと思ったのだが」
「そんなの簡単だ。ミュウに『怖い夢を見て昼寝ができないから一緒に昼寝してくれ』って涙ながらにあいつに頼め、そう言っただけだ。お前にしかできないから頼むぞってミュウに言ったら、大喜びでうまいこと引き留めてくれたぞ」
「ほう、策士め」
「パッセージリングを起動させるような状況じゃないんだ。付いてこなくても良い時にまで付いてきて体力を消耗するなど、馬鹿のすることだ。……と、俺が正面から言って納得するような奴なら、こんな遠まわしな手段は使わなかったさ」
「ふむ、まあ彼女も彼女で生真面目だからな。……外殻大地を崩落させようとしているのが己の実の兄なのだ、じっとしてはおれんのだろう」
「ふうん」
感心無さそうに流して、ルークは酒場の前にたどり着いた。一応キムラスカの血統を示す赤い髪は、引っかぶった外套のフードの中に隠している。片手で扉を押し開ける。酒場に入れば、この日の高い時刻ではまだ人はそうは居ない。
カウンターに座る。すると酒場の主人は顔を隠してはいるがフードに隠れていないルークの顔をみて若いと判断したのだろう、彼の後ろに控えるようにたつアーチャーの向かって眉根を下げてぼやいてくる。
「お客さん、ここは酒場ですぜ。あんたみたいな未成年の兄さんがくるとこじゃない……ほら、そこの赤い兄さんも止めなせえよ」
「まあそう言うな主人。酒なら私が飲もう。お勧めのを一つ頼む」
「……まあ、あんたらがそれで良いってんなら良いンですけどねぇ。どうぞ」
「ありがたい」
そしてしばらく当たり障りの無い会話をしている二人をじーっと見ているだけだったルークだが、ふと思い出したように主人がこちらを向いた。そして首を傾げて笑顔で尋ねてくる。
「しかし、飲めもしないのに、しかもこんな時間から酒場になんて来るもんじゃないぜ兄さん。一体何しにここに来たんだい」
「ああ、ちょっとひとを捜していてね。なあ主人、ノワールと言う女を知らないか?」
「――――ノワール? ……さーて、俺は聞いたことは」
「仕事を頼みたいんだ。主人、漆黒の翼と連絡を取りたい」
「……おいおい兄さん、漆黒の翼って言えば盗賊だろう? そんなやつらと知り合いになれるような機会なんてしがない酒場の主人に回ってくるもんかい」
はっはっはと軽く笑いながら流したかに見えた。が、宿屋の主人はグラスに水を入れて、それをルークの前に置くふりをして小さく呟く。
「あんたらこっちの人間かい?」
「いや、どちらかと言えばやんごとなき身分って側の人間だな。しかし手段を選んじゃいられないんだ。赤い髪の男が仕事の話を持ってきていると言ってくれれば良い。多分仕事を受けてくれるだろうから」
「残念だが、今あの姉さんはここにはいねえよ。少しでてるんだ」
「そうか。いつ頃戻る?」
「さあ。あの人たちはいつも気ままだからな」
「そうか……」
少し考え込んでいたルークはやがて仕方ないな、と呟き道具袋の中をあさって日記帳を取り出した。そのページの内の一枚を千切って、いくつかの箇条書きをする。それを小さく折りたたみ、宿屋の主人の前に置いた。
「それをノワールに渡してくれ」
「……おいおい、渡されてもな。これであのねえさんがこの仕事を蹴ったらどうするんだよ、あんたに伝えられないじゃないか」
「いや、実は漆黒の翼に俺の……双子と言うか血縁者というか、まあ、親戚? が仕事を頼んでいてな。うん、俺の依頼分の金額はそいつにまとめて請求して良いって頼んである。あいつ潔癖だから、自分が助かったなら文句ぶちぶち言いながら払ってくれるさ」
「おいおいおいおい、そんなの本当がどうか……」
「あいつとんでもねえ金持ちだからさ。大丈夫だいじょうぶ、主人、あんたはそれをノワールに渡してくれるだけで良いんだ。しかもそれ、俺の名前で俺の筆跡でしかもばっちりフルネームだからな、あのでこっパチならそのメモと引き換えに金を出すさ。……漆黒の翼とはっきりとつながってることを示すメモだ。そう動かざるを得ないだろうよ」
くっくっくと人の悪そうな笑みを浮かべるルークを見て、主人は心底からそのメモの内容を知りたくなったが、同時に知ってしまうと厄介そうだといち早く気づく。知らぬが仏だ。とにかくこの若者はノワールと知り合いのようだし、ついでにどうやら上客のようだし、まあ一応渡すだけ渡してしまおう。そう決めて、溜息を付いたあとメモをポケットに入れる。
「はあ……じゃあ確かに渡しておく。しかし蹴られても保証はできないし、伝えることもできないからな? それは了承しておいてくれ」
「渡してくれるならそれで十分だ。さて、それじゃあ頼んだぜ」
アーチャーが飲んだ分の代金をカウンターに置き酒場から出る。外に出れば、太陽を反射する砂の照り返しで一瞬目がくらむ。ルークは片手を掲げて目を細めた。どうした、と後ろから問う声が聞こえたがなんでもないと返す。
「……さて、エミヤ。アスターさんに一応エンゲーブの住民の受け入れについて先に言っておいたほうがいいかな。でも確かグレンが前来たときに一人でアスターさんにあってるんだ。盗賊のねぐらからかっぱらったお宝を捌くためだったのかも知れないけど、もしかしたら……」
「ふむ。そうだな、短く終わらせると決めてはいたが偽姫騒動は起こすと初めから決めていたからな。そうすればほぼ確実に戦争は起きる。その時のためにもう既に話を通しているかもしれんが……一応我等からも言っておいたほうがいいだろう」
「じゃあアスターさんのところへ言って話をして、そうしたらもうアルビオールで次だ」
「次の目的地はどちらにするのだね」
「そろそろシェリダンに地核の振動周波数をはかる装置を……」
「ふむ。しかし今回は以前のようについでにベルケンドヘ、とは行けないぞ? 恐らくだがヴァンが戻っている可能性が高い」
「………………ちっ、じゃあエンゲーブ」
舌打ちをしおった。本当に、なんと分かりやすいのだろう。これで自覚が無いと言うのだから、とんでもない。もう何度思ったのか知れない感想を心中で吐きつつ、アーチャーは溜息を一つ。
「……了解した」
* * *
ミュウの背中を撫でてベッドに座っていると、こんこん、とノックの音。どうぞ、声をかけるとひょこりと顔を現したのは無邪気な顔をしたフローリアンだ。今いい? 尋ねてきた問いに大丈夫よ、そうティアが答えればぱあっと嬉しそうな顔をして部屋に入ってくる。その後ろについてアリエッタも一緒に入ってくる。
フーブラス川では倒した魔物たちの仇と狙われ、カイツールではルークを誘拐した六神将の一人。キノコロードからこちら、はじめこそ仲良くなどできなくて警戒されているようなものだったが、今ではもう大分慣れている。どうやら人見知りは激しいが案外順応性は低いわけではないようだ。
シュレーの丘から帰ってきたときなど、ティアの顔色を見て少し困惑したように首を傾げ、体調が悪い、ですか? と心配してきたくらいだ。不思議な関係になってしまったとしみじみ思いながら、ティアは二人に優しく笑いかけた。
「どうしたの?」
「ねえねえ、ティア! これ、この本何かいてるか分かる?」
「本? 本なら……」
「文字なら読めたもん。でも、言葉の意味が難しすぎて……アリエッタにも、よく、わからないです」
ぎゅうっと人形を抱きしめて、拗ねたようにアリエッタがぼやく。その様子に首を傾げる。わからない、とは。彼女もちゃんと読み書きはできるのだから、まさか絵本の言葉がわからないとは無いだろう。一体どんな本なのか。受け取って、とりあえずその本を開く。
開いた瞬間に何これ、と思った。本文のあちこちに線が引かれて走り書きが残っている。所々ではページの角が折られていた。そして文章の余白に書き込まれている文字には見覚えがある。なんとも個性的な筆跡で、読みづらいことこの上ないその筆跡の持ち主は。
「……フローリアン、これどうしたの?」
「うー……だって、ルークが僕と遊んでくれないでその本をずっと読んでるんだもん! 今ならルークいないし……」
「……人の部屋に勝手に入ったの?」
「だってぇ! ルーク独り言ぶつぶつ言いながら頭搔いてさぁ、その本ばっかり読むんだよ、つまんない! だから、僕のことほっぽって読むほど面白い本なのかなぁって」
「面白いって……これ、多分研究書よ? 私はよく分からないけれど、この内容は随分と難解だし……」
恐らくルークがぶつぶつ独り言を言っていたというのは、この研究書に書かれている言葉の意味が分からないから唸っていただけなのだろう。そしてこの文のあちこちに書かれたメモ書きは、恐らく自分にも分かるように改めて文章を噛み砕いたものだ。筆跡により文字が酷く読み辛いが、そのわりには書かれている内容は、線を引いてある先のものよりも随分とわかりやすい文章になっている。
なんだか意外なものを発見した気分だ。感情を忘れてしまう前の彼なら、間違いなく理解しようとする前にわけわかんね、めんどくせー、で放り投げてしまっていただろうに。
何の気なしに、背表紙を見る。書かれた名前に少し驚いた。著者名ジェイド・バルフォア。もしかしたらこれはあの時彼が読んでいた本なのだろうか?
「研究書ぉ? ね、ティア。何の研究書なの?」
「え? ええ、ちょっと待ってね。えっと―――」
表紙を改めてみた。そっけない文字で淡々と印刷されている表題は、普通ならその筋の研究者にしか解らないような専門用語だ。けれど、その題名の中の単語をティアは知っている。
「……フォミクリー技術における、起こりうる問題点について」
フォミクリー? と尋ねてくるフローリアンに対して、アリエッタはぴくりと小さく反応していた。
その様子をみて、ティアは首を振ることで答えた。レプリカを作る技術のことよ、とはフローリアンにはっきりと言いたくなかったし、それに本に書かれている内容はどれもこれも専門用語だらけで、彼女にもよくわからないのだ。
ただ、妙に嫌な予感がする。
ユリアシティ。グレンをグランコクマに連れて行く前。
『……お前のその心配は成立しない。ああそうだ、グレンが起きる時は、』
―――全てが丸く収まってすっきりとした後なんだから。
どうしてか歪に笑っていた彼の表情を思い出し、ティアは困惑した。改めて中を見てみれば、どうも全てのページに彼のメモ書きが残っているわけではないらしい。どうやらその本の中の一項目に対してだけ、そしてそれに派生する形で時々他の項目に飛ぶようにしてメモ書きがされている。
その中の、一番彼が読み込んでいるらしい項目。ティアには馴染み無い単語。その単語が何を言っているのかは理解できない。それでも、彼女の表情がふと翳る。
嫌な予感がした。なぜそう感じたのかは本当にわからない。ゆっくりと文字を指でなぞりながら、その本の項目を声に出す。
「“完全同位体同士に起こり得る大爆発(ビックバン)理論”……?」
久しぶりの没ネタ。
そんな町中を、アビスレンジャーのお面を被って歩く子どもが一人。その子どもは至るものに興味深々で、少年の保護者らしき青年はともすれば喜んで屋台に突っ込みそうな勢いの子どもの手を握って歩き、もう何度も何度も引き留めている。
兄弟だろうか? 道行く人々はこんな情勢だというのについその子どもと青年を見て頬をほころばせていた。
「うわああああ、人がいっぱいだー! ねえルークルーク、あっち行ってみてもいい?」
「ダメだ。フローリアン、少し落ち着け」
「あれ何? ねえあれは? ねえねえねえねえ!」
「アリエッタ。今すぐフローリアンをアルビオールへ……」
「えええええ、やーだー! なんでだよ、ルークの馬鹿ー!」
「フローリアン、嫌がってるから……ダメ、です」
「ったく……あ、こら! フローリアン、またお前どこ行こうとしてるんだ! あとほらお面斜めになってるぞ」
「うー……ねえルーク、これとっちゃダメ? 暑いよ」
「だーめーだ。誰かにお前の顔見られちゃ困るんだから」
「……でもルーク、何かすっごい人に見られてる感じがするんだけど」
「そりゃお前が散々騒ぐからだろう。少し大人しくしろ」
「ちぇー」
いや違う。多分違う。視線が寄ってくるのは多分そのせいだけじゃない。後ろから二人を見ていたアーチャーとティアは内心同じく突っ込みを入れていた。
ぷくっと頬を膨らませて、フローリアンはお面を被りなおす。
(話進まなくなるのでフローリアンはアリエッタとティアとアルビオールでお留守番に変更)