セシル将軍、と凛とした声が兵を連れていた女性にかけられた。その声は聞き覚えのあるもので、まさか、と思いながらセシル将軍は顔を声のした方へ向ける。そこにいた金色の髪の女性に目を見開き、引き連れていた兵に向かって先に進んでいるように命令し、女性―――ナタリアのほうへと近付いてくる。
「ナタリア殿下……生きておいででしたか!」
「そうです。私も、親善大使に命ぜられたルークも生きています。キムラスカが宣戦布告をしたのは私とルークをマルクトが亡き者にしたとの誤解から。もはや戦う理由はありません、今すぐ兵を退かせなさい」
「お言葉ですが、ナタリア殿下。私の一存ではできかねます。今作戦の総大将はアルマンダイン大将閣下ですので」
ならばアルマンダイン伯爵に取次ぎを、と命じるナタリアに、セシル将軍は静かに首を振る。アルマンダインは大詠師モースと会談するためにケセドニアへ行ったとの言葉に、表情を険しくするのはアッシュだ。動いているのがモースだというところにきな臭さを感じながら、不機嫌な顔のままセシル将軍に尋ねる。
「ケセドニアだと? おい、何故戦争中に総大将が戦場を離れる」
「今作戦は大詠師モースより仇討ちとお認めいただき、大義を得ます。そのための手続きです」
「はぁ!? 冗談でしょっ!?」
セシル将軍の言葉に一番反応をしたのは今まで黙って話を聞いていたアニスだった。皆の視線が集中するなか、不機嫌そうな顔をしたアニスがそれはもうおどろおどろしいオーラを背負いながら半眼になって吐き捨てる。
「そーゆー……えーっと、戦闘正当ナントカってイオン様だけが決定できるはずじゃん。モースのヤツ、マジむかつく!」
「それは形式上のことですから。ですが、やはりモースはそう来ましたか……」
ダアトを離れるべきでなかったかと悔やむイオンに、アニスはダアトがヴァンの勢力下であることを訴える。戦場の崩落という危険は、ヴァンがシュレーの丘のパッセージリングを操作してしまったからこそ起きた事態だ。
六神将に力ずくで来られてセフィロトの封印を解放させられるのはなんとしても避けるべきことで、それを力説するアニスにイオンは力なく頷く。それでももっと、どうにかできるやりようがあったのではないかと思っているのだろう。イオンの表情は晴れないままだった。
「……教団内部の手続きは、わが軍の関知するところではありません。とにかくアルマンダイン伯爵がお戻りにならなければ、停戦について言及することはできかねます」
「ちぃっ、そんなこと言ってる場合じゃねんだ! いずれ戦場はアクゼリュスのように消滅しちまうんだぞ!」
「消滅……? マルクト軍がそのような兵器を持ち出しているということですか」
「違いますわ! 違いますけど、とにかく危険なのです……セシル将軍!」
「……申し訳ありません、ナタリア殿下。あなたがそこまで必死になられているのなら、それほどの重大事項なのでしょう。ですが、残念ながら私には兵を退かせる権限は無いのです」
「ではアルマンダイン伯爵に私が直接会いに行きます」
「何を仰いますか。戦時下の海路は危険です。海上では逃げ場がありません。殿下を船にお乗せするわけには参りません」
「しかし!」
ナタリアが抗議の声を上げた時、丁度同時にキムラスカの伝令兵がセシル将軍のほうへと駆けてくる。膝を折った兵から準備完了の報告を受け、セシル将軍も頷く。立ち上がった兵が敬礼し、町の外へと去っていく。その姿を見送り、改めてナタリアに向かいセシル将軍はきっぱりと言った。
「では、兵を待たせておりますのでこれにて御前を失礼させていただきます。殿下のことはカイツール港に伝令いたしますので、本国からの迎えをお待ちください。それでは」
立ち去ろうとするセシル将軍に、気をつけて、とガイが声をかける。それに少し驚きながらも礼を返し、セシル将軍は兵達のもとへと去っていった。
その背を悔しそうに見送り黙考していたのは数秒ほど。顔を上げたナタリアは決意を込めた瞳で周りの仲間に宣言する。
「……カイツールへ連れて行かれては何もできなくなりますわ。陸路でケセドニアへ向かいましょう!」
「ケセドニアへ向かうなら、それしか方法は無いでしょうね」
「はぅあ!? 危ないですよイオン様! 戦場を突っ切ることになるし……ちょ、アッシュ! アンタは何か言わないわけ?」
「……ナタリアが行くならば俺はナタリアを守るだけだ」
「アッシュ……」
「くおらあ、こんのバカップル! いまはそんなに見詰め合ってる場合じゃないでしょーが!」
「アニス、落ち着いてください。深呼吸をしましょう。今のような状況でこそ、冷静にならなければ……ね?」
がおおおと喚くアニスを手馴れた様子でイオンは宥めている。すーはーすーはーと深呼吸を繰り返して冷静になったことにした。そしてアニスが顔を上げれば「大丈夫だ、お前は必ず俺が守る」「アッシュ……」というバカップル再び。
いつもならお熱いですねえなどとからかうところだが、とにかく今は虫の居所が悪かった。モースが話題に出てきていたし、導師であるイオンをおざなりにしているところがどうにも気に食わないのだ。いろいろピキーンと来たアニスが黒い笑顔を浮かべかけたところで、イオンは困った顔をしてガイへと助けを求めた。
ガイは黒いオーラを撒き散らし笑い出したアニスにこええええとドン引きだ。
ああだめだここは僕が頑張らないと。コンマ三秒で決意をし、イオンはぐっとアニスの両手を握り締める。
「ほえ……イオン様?」
「アニス。確かに戦場を横切るのは危険ですが、それでもアルマンダイン伯爵には会えます。僕がアルマンダイン伯爵の目の前ではっきりと戦闘正当証明は発布しないと宣言すれば、停戦の助力にもなるかもしれません」
「でも、戦場の真っ只中のルグニカ平原を陸路でなんて……」
「それにナタリアの生存を知ればそもそもの正当を証明することなど何もないんです。意味のない戦争なんて誰も望んでいない……僕は、戦争を止めたい。だから、よろしくお願いします、アニス!」
「ううう……イオン様に頼まれちゃったら仕方ないですよぅ、もう……」
がっくりと肩を落とすアニスにイオンは嬉しそうにありがとうございます! と笑顔を向けていて、しかしアニスはしかめっ面のままあれこれ諸注意を述べている。それに一々頷きながらもイオンの顔は終始笑顔で、アニスも途中から溜息をついていた。
どうにかしてくれと目で訴えられたガイは仕方ないとでも言いたげに肩をすくめて声をかける。
「やれやれ、イオンと言いナタリアと言い、強情なやつ等ばかりだな。でも本当に気をつけてくれよ二人とも。ここで二人が命を落としたら元も子もないんだからな?」
「はい、よろしくお願いします」「あーもー、こうなったらやってやりますよー」「ですが、あなたも無茶をなさらないでください」「ナタリア……」
「「「……………………」」」
一部のお方がたにはガイの注意が聞こえていなかった模様です。
もうこのバカップルは手に負えんわ。私たちがしっかりしないとね。ああそうだなアニス。目だけで会話をする苦労人二人。守る守る言ってるけど、一番いいのはそれこそ兵を上手くやり過ごして戦わずにケセドニアへと行くことなのだが。そこらへんは分かってるんだろうか、あの二人は。
「えっと……い、行きましょう!」
一人だけなんとか間を保たせようとしているイオンの頑張りが目にしみる。ナタリアは多分アッシュが死ぬ気で守るんだろうから、私がイオン様を守らないと。アニスは心中強くそう思い、決意を新たに頷いた。
* * *
耳元で風切り音がする。高度が高くなれば高くなるほどひやりとした空気が体を包む。ばさばさと羽が体の脇で上下する。グリフィンに乗ったアーチャーは鷹の目で辺りを見回した。
ふと見つけた赤と銀の鎧。いくつかの兵団が陣を形成し、南下してくるマルクト軍に対応できるように布陣している。そのキムラスカの重層な兵力の厚みを見て、アーチャーは嘆息した。
「ちっ、当たり前だが街道沿いはおおよそ兵に抑えられているな。と、なれば行軍するのは自然と舗装整備された道ではなく平原、草原あたりになるか。いや、いっそ森を進むか? 荒地や砂漠でないだけマシだと思うとして、しかし移動する住民たちが納得するかどうか……」
一人ごちて辺りを大きく見回し、大体の布陣状況を把握する。その形を頭に叩き込んで、グリフィンを降下させた。今まで人が豆粒大だった高度から急降下、地面にぶつからない程度に速度を落としつつグリフィンの背から飛び降りる。
「エミヤ、様子は?」
「やはり馬鹿正直に街道沿いに南下しては狙い撃ちだな。兵の南下に対応して街道沿いはほとんどキムラスカも防備を固めている。ここは山と森に沿って南西に進み、川沿いに南下するのが良いのではないかと愚考するが」
「そうですね、それがいいでしょうが……問題は、森を進行するときですね。鍛えた兵でも森を通る進軍速度は遅くなる。ましてや我々が護衛するのは民間人です。ほとんど成人男性だとは言え、行軍訓練を受けているわけではない。遅れる人が少なからずでるでしょうし、その場合も見捨てるわけには行きません。些か不安ですね」
「……森を抜けるといっても、山沿いに川に出るまでだろう? その後は川沿いに平原を南下するんだから、そんなに時間もかかるわけでもないんじゃないのか」
「ルグニカ平原の中央を通る川沿いには小さな森林や背の高い草原が多いのよ」
「しかし、森に潜めば余計なキムラスカ兵との衝突は避けられるやもしれん。逆に言えば川沿いの森にキムラスカ兵が伏せていてはこちらも大混乱に陥るのだが……」
「何言ってるんだエミヤ。そんな時のためにお前がいるんだろう」
「待て、ルーク。私が持っているのは『鷹の目』だ、透視眼などではないのだぞ」
「……アリエッタにウルフ系の魔物も借り受けておくべきだったな」
チッと舌打ちをするルークを見てジェイドは眼鏡を直し、そのレンズの下で目を細めた。
「……それより私はあなたたちが六神将のアリエッタとつながりを持っているらしい話について聞きたいのですがね……ええ、グリフィンを借り受けて人外殿が当たり前のように乗り回していたあたりなどを、特に」
「……そうか。そういえばそうだな、普通は気になるか」
どうしようかエミヤ、とルークは薄い表情ながら困った顔をしている。話すのは良いとしても果たしてどこまでを話すべきか。相手がジェイドでなければここまでルークも警戒しないのだが、何せ相手は見通す人だ。簡単な説明だけであれこれ余分なものまで見透かされやしないかと、気が気ではない。
確かに相手がジェイドではルークにもなかなか荷が重いかもしれない。ここは私が出るべきか、とアーチャーは思考し腕を組む。
「ふむ……まあ簡単に話すとだ。六神将でこちらに取り込めそうなのは今のところ二人。お子様組みならどうにかならないかと思ってね。特にアリエッタは導師イオンに執着していることは明白だったからな、導師イオンとじっくり対話する機会をやる代わりに、今だけは休戦協定を結んでいる。実際にそれが同盟に変わるか時間限定のものになるかは導師次第なのだがね」
「……どうしてあなたはアリエッタがイオン様に執着しているのを知っているのかをじっくり聞きたいところですが、それはともかく。イオン様はご承知のことですか?」
「何、タルタロスで三人同時とやりあった時にイオン様イオン様煩かったのでね(大嘘)。アリエッタとの対話は……マスターがフーブラス川を進んだあたりで導師イオンに意見具申していたと。そうだな、ルーク」
「あ? あ、ああ……うん、ゆっくり話せって言ってたし、イオンもそうですねって考えてたみたいだった。なあ、もうこれくらいでいいか。いい加減エンゲーブの住民の避難経路をある程度絞らないと」
「……ふう。後の気になるところは野営の時にでもじっっっっくり聞かせていただきましょうか」
眼鏡が光を反射して光っている。その絵がやたらに怖かった。
結果的には、やはり街道沿いは避けて森の中をゆっくりと進むことになった。後方はマルクトの一個小隊が守ってくれているので気をつけるべきは前と左右だ。前と左右はアーチャーがその視力を生かし上空からグリフィンで監視。
そして万が一森にキムラスカ兵が伏せていた場合に備えてルークとジェイドが前方の護衛に回っている。ティアはフォースフィールドがあるので避難している住民に混ざってもらっている。その中で転げて立てなくなってしまった人に治癒術をかけたり、側面から強襲された場合は時間を稼ぐのが役目だが……ぶっちゃけアーチャーがいればほぼ側面強襲など喰らうわけもない。
しかし万が一の時の為だ! とのルークの主張と、エンゲーブの住民のより一層確実な護衛のためにティアが折れた形だった。いつでも譜歌を紡げるように気を張る辺り、ルークに言わせればかなり生真面目だと評価を受けただろう。
森を通行中に伏兵を受ければジェイドが思い切り空に向かって譜術を放ち、それを合図にアーチャーが降下。前衛で伏兵を後方に向かわないようにせき止める二人に合流してくる、という流れだ。
まあそれなりに取り繕えてはいる。あのルークがよくぞここまでそれなりに嘘をつけるようになったものだ。半分感心しながら、ジェイドはちらりと後方の空を見上げた。赤い外套が遠目にはためいていて、いくら人外といえどもあの上空飛行中の風の音でこちらの声など拾えまい。
「それで、ルーク。こうまでして二人になった、あなたが聞きたかったこととはなんですか」
「……あんたにはお見通しか。まあどうせエミヤも分かってるんだろうけど」
「お寒い協力関係ですねえ」
「グレンに関しては完全一致、いや最終的には正反対だが……ふん、どうせあいつはグレンの意思を曲げようとはしない。あいつらは満足するだろうが俺はそれが許せないから、こうしてこそこそしてるわけだが……まあヴァン師匠の動きを妨害することに関してはだけは、完全に一致してるんだ。あいつが動けばそれなりに俺も動ける。協力関係って言っても俺とエミヤの協力はそんなもんだから……考えてみればそれなりに十分なもんさ」
ふんと鼻を鳴らして、喋りながらも周囲の警戒を怠らない。森のざわめきの奥に具足の音がしないか神経を張っている様子を見て、ジェイドはふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「ルーク、あなたはもう人間を殺せるんですか?」
「……盗賊も、エミヤがいれば襲ってこないんだ」
「まあオーラからして襲ったらただじゃすまなさそうな武人っぷりですからね」
「ああ……だからまだ人を直接殺したことは無い。けど、必要とあらばやるべきことはやる。俺は死ぬわけにはいかない。覚悟なら、疾うに決めている」
「本当に大丈夫ですか? いざその時になって手を止めてしまえば殺されるのは自分ですよ」
「くどい。言っておくがな、俺はグレンほどお優しくは無いんだ。俺がやりたいことを成す前に、俺を殺そうとする輩まで助ける慈悲をもてるほど強くもない」
淡々と語られる言葉に偽りは無いように見える。平然としていて迷いは無い。しかしその平静さが逆に無理をしているようにも見える。ジェイドの方からは彼の瞳は眼帯に隠されていて見えない。俯くことなく真っ直ぐ前を向いてこんなことを話すようになってしまった、今のこのルークを見れば、グレンは一体どのような顔をするのだろうか。
「それで、聞きたいこと、だったな。なあ大佐、あんた封印術(アンチフォンスロット)を喰らってるんだよな。それってさ、一時的にだけその状態にするとか、そう言う風にできないか」
「封印術? 一体何をするつもりですか」
「ティア・グランツの体に障気が溜まっている。これはしっかりと調べてみないと解らないんだが、恐らく一度ごとに体内に入り込む障気の量が妙に多い。メジオラ高原での計測値が異常だったんだ。ダアト式封呪を無理やり破って入っているせいかそれとも別の要因か……進行速度が速すぎる。薬を飲んでいるはずなのにめまいがしたのが証拠だ。あれじゃあ全部解呪仕切るまでもたない」
苛々とぼやく彼の言葉に、ジェイドは「やー、若いですねぇ」と呟いてしまいたくなるがそれは堪えた。一度エンゲーブで言ってみれば、思い切り真面目な顔をして「俺は確かに生まれた時間は七歳児だが、脳神経や肉体年齢的に『子ども』の枠には入りかねるぞ」と言われたのだ。
ポカンとした顔を見て調子にのったのか、「まあアンタから見れば俺は十分若造だろうな三十路のおっさん」と言ってきた糞餓鬼には笑顔で教育を施してやったが。全く、今のルークを見ればグレンはきっと嘆くだろう。嘆いて変貌の理由を己の従者だと決め付けて大いに怒り狂うだろう。
ルークが、ルークが誰かさんみたいに擦れちまったこの馬鹿エミヤあああ! と嘆きながら木刀を奮う姿が思い浮かぶ。そうだそうだもっとやれ。かの人外が困った顔をして甘んじて殴られている姿を思い浮かべて心中笑う。
しかしそんな思惑と表情を全く表に出すことはなく、考え込むように顎に指を当てルークの言葉の意味を検討する。
「障気? 人外殿の話ではユリア式封呪を解いてパッセージリングを起動させるときに、彼女の体の中に障気が流れ込むんでしたね。なるほど……」
「障気に汚染された第七音素を取り込むフォンスロット自体を解呪時に閉じれば、取り込む障気を少しでも減らせるんじゃないのか」
「それは……そうですね、理論上はそうなります。フォンスロットを全て閉じれば、障気に汚染された第七音素自体が体内に入れなくなるのですから。しかし、封印術を一つ作るには、国家予算の一割弱かかるんですよ? それに、その時々に応じて一時的にだけ閉じるというのは……」
「完全に閉じきることは無理でも、せめて収集率を下げてもそれなりに効果は現れるか?」
「……何もしないよりはマシ、と言ったくらいでしょうが。しかし完全に閉じきることは出来ずとも収束率を落とすだけでも確かに違うでしょう。ですが、どちらにしても身体中のフォンスロットを『一つ残らず』調整しなければなりません。それはそれで骨ですよ」
「そうか。正直アンタのお墨付きが欲しかっただけだ。シェリダンの技術者達に数回使える分の封印術もどきを作れるように依頼したんだ。持続効果は数分弱、使用回数三・四回くらいのヤツをな」
そろそろ出来たころだろうか。いや、まだかかるかな。ザオ遺跡には間に合わないだろう。
まずケセドニアに付いたらモースについて行くだろうイオンを途中でフローリアンとアリエッタにあわせて、その次にケセドニアを降下させた後シェリダンへ寄って地核計測装置とともに引き取って、ついでにどうにかしてベルケンドヘ行って薬を貰いなおして、その後はフローリアンをネフリーさんにでも預けて、その後は……
ルークがあれこれ考えていると、待ってください、とジェイドの少し硬い声が聞こえた。珍しい、あのマルクトの懐刀がこうもあからさまに硬い声を出すとは。不思議に思って視線を向ければ、声と同じく些か顔が固い。
「……封印術もどき? もどきとは言えそうそう簡単に作れるものでは……そもそも費用が凄まじいでしょう。頼んだからと言って早々簡単にはいかないのでは」
「ああ……どうやらグレンがタルタロスで封印術の使い終わった装置を拾ってたみたいでな。それをもとにして作ってもらってるんだ」
「いつの間に……いえ、そうではなく。資金は? 国家予算の一割弱ですよ?」
「エミヤがとにかく頑張ってマシンドクターしてその封印術の使いきったやつを解析して、ついでに封印術みたいに持続性を持たせる必要もないしな。それで大分費用は抑えれるみたいだったぜ」
実をいうとメジオラ高原で見つけた創世暦時代の自律式譜業人形(しかもまだ動いてます)を、どこぞ好事家に売り飛ばせば絶対に国家予算一割弱になるとルークは言ったのだ。しかしイエモンたちがどんな値段を付けられても売らないと言いはり、何故かシェリダンの職人総出でオークションが開催されて、その売り上げ金額もそのままごっそりその装置の製作費用になっている。
そこそこ費用はかかっているが、国家予算レベルの凄まじいものではなかった。ついでにあの機械人形の生きているデータベースにはそれなりに創世暦時代の技術情報が残っていて、それを応用すれば十分に元が取れるくらいのお宝の山、だったらしい。
凄まじい顔でトンデモ金額を言い放ち機械人形を競り落としたイエモンの表情を思い浮かべて、ルークは乾いた笑いを浮かべる。借金していた。アレは絶対に借金をしていた。しかし渋い顔をしていたノエルとギンジも、データーベースを見ると途端に爽やかな笑顔で「先行投資よねおじいちゃん」「そうだなじいちゃんオイラも金だそうか?」と言い放っていたのだから、やはり職人にとって技術情報と言うのは重要だということだろうか。
「もどきとはいえ、持続性も無いとは言え、そう簡単に作られてはたまったものではないのですが……」
「元になる機械自体があったからこその格安価格だとさ。あの機械自体を作るにはやっぱり国家予算クラスの値段が必要らしいし、あんたが心配してるような量産はできない」
「とはいえ、シェリダンの技術力も侮れないということですか……やれやれ。我が軍も封印術即時解除装置(アンチ・アンチフォンスロット)とやらでも研究しますかねぇ?」
「そんなことしなくても……フォミクリー装置って、操作によっては同調フォンスロットってのが開けるんだろ? それでいけば身体中のフォンスロットを弄って戻せるんじゃないのか」
「いいえ、普通の状態のフォンスロットを開くのと、封印術をくらった状態のフォンスロットを開くのでは違いがあるんですよ。そうですね……雁字搦めに閉じられた箱の蓋を開けるのと、南京錠つきの錆びついた蓋を開けるくらいの違いがありますかね」
さらに言えば、フォンスロットの部分部分で解除キーが違うときている。フォミクリー装置で解こうとしても時間がかかりすぎて、色々と動かなければいけないジェイドにとっては現実的ではない。そもそもジェイドだからこそ時間をかけながらも自力で解いているが、普通なら解除できないからこその最高峰の対人兵器なのだ。値段的に量産は出来ないシロモノだが。
ルークはジェイドの説明にも感心無さそうにへえと頷き、しかしなあと首を傾げる。
「封印術ってフォンスロットを閉じるもの、だったよな。相手を封じるんじゃなくて、自分のフォンスロットを全部解放して譜術出力を上げたほうが効果的なんじゃないのか?」
「ルーク……何を言っているんですか。確かに封印術の理論を反転応用すれば可能です」
「なら……」
「可能だとしても。いいですか、そもそも全身のフォンスロットの全力解放など正気の沙汰ではない。確かに譜術を放つ出力も肉体的な筋力もスピードも段違いになって凄まじい兵ができるでしょうが……確実にスプラッタですよ?
人間の肉体は脳が潜在意識的に全力を出せないように制御しています。それを解放するようなものです。動きについて行けずに筋組織はズタボロ、爆発的エネルギーを補う為にも身体中のフォンスロットと肺、心臓はオーバーヒート。人体の中でも最大のフォンスロットである両目からはどくどく景気良く血が吹き出る可能性も否定できません。もしかしたら体内の血管と言う血管は破裂して血まみれ状態、下手したら身体中からは血の汗を、両目からはだらだら血の涙を流しながら戦う人間などドン引きでしょう」
「…………」
ザレッホ火山で片目からどくどく血を流しながら戦っていた自分がいるだけに素直に頷けなかったが、まあ傍から見たらホラー映画だよなあと思い無言で頷く。たしかにどくどく両目から血を流して戦う人間はちょっと正気ではないようにみえるだろう。
次からは気をつけよう、さもなくばまたエミヤに怒られるし。ルークはうんうんと一人納得したように頷きながら、前を向く。ジェイドのほうは向かないようにする。
「じゃあ、最後に聞くことだが。イオン、は……体調崩してないか?」
その言葉にジェイドは一瞬目を見開く。ルークを見るが、常のように依然として真っ直ぐと前を向いたままこちらを見ようともしていない。歩みにはよどみも無い。
「――――――ええ。ダアト式譜術を使う機会も巡っていませんし、旅の途中で時折休憩を挟んでいましたし、これからはアルビオールがあります。イオン様の体調も悪化することは無いでしょう」
「他のやつらは」
「アニスも私もナタリアも皆健康です。ガイが一人だけいつも不機嫌そうな顔をしてあなたのことを心配しているようですがね。彼のようにあからさまではありませんが、イオン様も心配しておいでですし、アニスやナタリアも心中では心配をしているのでしょう。ああ、もちろん私もそれなりに心配しているのですよ? ええはいそれなりに」
「……最後の一言だけが妙に胡散臭いぞ」
「おや。傷つきますねぇ」
「誰かの体調が悪いだの、妙に最近誰かの動きが鈍いだの、そう言うのは無いんだな?」
「……?」
ジェイドはその言葉に何かが引っかかり、ふと眉をひそめる。ええ、と答えるが、直感が警鐘を鳴らしていた。本当にそうか。最近妙に誰かが眉間に皺を寄せるようになった回数が増えていなかったか?
ジェイドが少し考え込んでいる間に、ルークも思考をめぐらせる。どうやらまだはっきりと形になって表れてはいないのだろうが、時間の問題だ。今度ベルケンドヘ行った時にでもスピノザに会わなければ。恐らくは頼んでいた検査の結果がでているはずだ。そして、ルークの予想が正しければ。
ぎりりと奥歯を噛みそうになって、そうすればジェイドに気づかれると思いすんでのところで思いとどまる。まだだ。まだ、間に合う。グレンがルークの同調フォンスロットを閉じたせいでルークがクリアしなければならない条件は厳しくなっているが、それでもどうやら不可能と言う訳では無さそうだ。めどが立った。
ルークは深呼吸をして、少し歩みが遅くなっていたジェイドのほうを振り向く。
「俺が聞きたかったことは大体そんな感じだ。もういい。後は周りの気配を探ることに集中しようぜ、大佐」
「……そうですね」
ルークの言葉に、ジェイドが頷く。
エンゲーブの住民避難はまだ始まったばかりだ。