――― introduction in
がさりと音を立ててあらわれたのは十字を模した面覆い。白と銀を基調にした兵装。
「オラクル兵……?」
どうしてこんなところに。小さく呟くような声を上げて困惑するジェイドの脳は、すぐに一つの可能性を浮かび上がらせる。まさか。イオンがいない現在のダアトでの一番の権力者が、まさかこのような強硬手段に出るとは。
いや、イオンを取り返すためにタルタロスを六神将で襲わせた人間だ。このようなことが当然起こりうると考えておかなくてはならなかったというのに。ジェイドは眼鏡の腹を指で押し上げて、音になっているかどうかの小さな声でポツリと落とす。
「まさかモースが戦闘正当証明を発布したと言うのか……? 確かそのような発布はイオン様しか出来ないと聞いていたが……やれやれ、随分と横暴な大詠師様だ」
「何だ貴様等! こんな森の中をどうして歩いている?」
「怪しい奴等だ……む? おい、そこの男はマルクト軍服をきているな。マルクト軍か」
殺気だっている兵を見て、ルークは一人、恐らくはここにいる誰とも違うことを考えていた。ここにどうしてオラクル兵がいるのかは、恐らくはモースの差し金だろう。だが、ジェイドやアッシュ達は知らないが、モースはルークの傀儡になっているのだ。そして第七譜石の内容を知っているのだから、この行動は恐らく。
「待て。俺たちは民間人を移送しているだけだ」
「民間人だと? だが民間人の隊列に敵兵も潜んでいるとスコアが詠まれている……殲滅しろ!」
「おお!」
なるほど、とルークは理解した。消滅預言を世界に発表するわけには行かない。この世界はスコアに酷く依存していて、消滅が詠まれているならその消滅どおりに世界を回そうとする人間も居るし、その消滅など嘘っぱちだと考え、キムラスカとマルクトが戦争をしてキムラスカが勝利すれば繁栄が訪れるのだと考える人間も多くいるだろう。そしてそこまでスコアに狂信していなくとも、破滅を詠まれた世界で穏やかに過ごせるような人間など居ない。
逃れられぬ不安は騒乱を呼び、恐怖に狂った人たちは争いを始め、そうなったとしても世界は終わってしまう。
だから、消滅預言は世界に発表は出来ない。いずれは発表するにしても、それなりに時間が経った後でなければ余計な混乱を招く。そして為政者たちが世界をスコアから外そうとする理由を知らないまま、その未来にスコア復活派に与しそうなあらかたの主義者達をモースはこの戦場に放り込んだのだろう。
恐らくは、スコアを絶対と信じて疑わぬ人間が説得で納得するかどうかを、かつての自分自身で誰よりも理解しているが故に。未来の禍根はここで絶つ。それともこれもモースなりの慈悲なのだろうか?
スコアから逃れなければならない世界で乱を起こし、破滅に向かうスコアを信じて世を乱してしまう存在へとなってしまう前に。己の信じるものが喜劇の舞台装置だと気づいてしまう前に。スコアを信望していた人間がスコアを失ったときの気持ちなど、ルークには解らない。だがモースはその絶望を己の身をもって知っているであろうから。
……まあ、所詮どう取り繕うともやっている行動は悪どいことには変わりないのだが。
「来るべき未曾有の大繁栄のために……!」
抜剣した兵達が叫ぶ言葉に、ルークは誰にも知られぬようにうっそりと笑う。ああ、馬鹿馬鹿しい。喜劇だ、この世界は。腰の剣に手を伸ばす。
迷うべからず、一瞬の迷いと躊躇いは致死となる。
己の成すべきことを成せ。
森の中に剣戟の音が木霊するまであと数秒。
――― introduction out
「ナタリア!」
「…………っ」
彼女の目の前には剣を振り上げたマルクト兵の姿。アッシュに鋭く名前を呼ばれる。分かっている。分かっていたつもりだった。それでも、どうしても、殺せなかった。無益な殺し合いを止める為にこの道を往っているはずなのに、もうこれで今日は何度目だろう。
母親を呼びながら死んで逝った、ナタリアたちが殺した若いマルクト兵の声がよみがえり、彼女はどうしても目の前のマルクト兵を殺せなかった。
弓を持つ手に力がこもる。しかしその剣が振り下ろされるよりも先に二人の間に割り込む影があった。長い深紅の髪が翻る。容赦なく鎧ごと切り裂く。
ばたばたと地面に赤が散る。ガシャン、と音を立ててマルクト兵は両膝をついた。ただ、最後の力を振り絞り剣の切っ先をアッシュの後ろで表情を歪めて立つナタリアに向ける。
「敵に情けをかけたか……? そんなことじゃ、生き残れないぞ」
それだけを呟き、最期に小さな声で誰かの名前を呼んで謝り、マルクト兵は事切れた。鎧と地面がぶつかり乾いた音を立てて倒れる。
その死にざまを無言で見ながら、アッシュは剣についた血を払い納める。静かな声でナタリアの名前を呼ぶ。その声にナタリアは目を伏せ、弱弱しい声を振り絞る。
「……ごめんなさい。私……止めをさせませんでしたわ」
「仕方ない。誰も好きで人を殺したりはしない。だが、ここは……」
「ええ、分かっています。いえ、分かっていたつもりでした。……私は、もっと現実を知らなくてはなりませんわね」
「……お前は王女だ、普通なら前線に出る機会などない。このような戦場で殺し合いが出来ないことを恥に思うことは無い」
「いいえ、それでも戦争を命じるのは国の王です。……お父様の娘として、私は、知らなければ。この苦しみを、もう二度と繰り返してはしまわぬように」
「ナタリア……」
「アッシュ、先ほどはすみませんでした。でも……助けてくれて、ありがとう」
戦上の中心で愛を叫んではいませんが、相も変わらず馬鹿ップル。それが少しはなれたところから二人を見ていたアニスの感想だった。
まあ戦闘の後のシリアス成分から無駄にいちゃいちゃしているわけではない様なので、アニスも怒る気にはならなかったが。マルクト兵を殺せなかったナタリアが心配だが、アッシュとあの調子ならどうにかなるだろう。
ここは、戦場なのだから。殺すことに躊躇すれば殺されるだけだ。
アニスはトクナガを小さくし背中に乗せる。ふうと溜息を付けば、声をかけられて振り向く。アニスは大丈夫か? と尋ねてきたガイに、少女は苦笑を返した。
「ねえガイ、私は子どもでもティアと同じダアトの兵士だよ? それに、導師守護役なの。覚悟なんてできてるよ」
そうだ、あの時に。モースの呪縛から逃れられたあの時に。命を懸けても助け守るべき人を今まで騙し、裏切っていた。その必要がなくなったあの瞬間に、今まで守れなかった分も含めて必ず守ると決めたのだ。
俯かずに真っ直ぐ前を向いて話す少女の言葉に、ガイは溜息をつく。
「そうか……アニスは強いなぁ」
「えへへ~、そっりゃあ弱っこい人じゃ導師守護役なんて出来ませんから~。イオン様、怪我は無いですよね?」
「ええ、大丈夫です。ところで皆さん、もう日が暮れかけています。色々あって疲れているようですし、もう今日はここで休みませんか?」
「そうだなぁ。予定分は進めているし、そうするか……アッシュ、ナタリア! 今日はここで野営しようと思うんだが、どうだ?」
「分かった。ナタリア、今日はここで休むぞ」
「……はい」
それぞれめいめいに座り込んでいると、誰かの気配が近づくのが分かった。まず真っ先に気づいたのがガイとアッシュで、腰の剣をいつでも抜けるようにして立ち上がる。少し遅れてアニスとナタリアも気づき、いつでも動けるようにする。
「誰かいますの!?」
「どうか剣を抜かないでください。戦うつもりはありません、私です」
緊張を隠せていないナタリアの誰何の声に、静かで落ち着きを持った声が返ってきた。
暗闇から現れたのはマルクトの青い軍服を着たフリングス将軍だ。思わぬ人物の登場に、ナタリアたちの目は驚きに見開かれる。
「はぅあ~、フリングス将軍? どーしてここにいるの?」
「そうだぜ将軍。ここら一体はキムラスカ軍が陣を敷いてるんだぞ」
「部下が皆さんの姿を発見して、私に報告してくれたのです」
「……将軍位にあるものが自ら偵察に来るとは考えられんが……まさかナタリアを直接狙いに来たつもりじゃないだろうな」
「アッシュ! フリングス将軍はそのような方ではありませんわ!」
「いいえ、ナタリア殿下。彼の心配も最もです。戦場ではあらゆる可能性を考えなければ生き残れません。……しかし、どうか誤解しないでください。私はあなたたちに危害を加える為にきたわけではありません。偵察でもない、ただこの戦場を去っていただきたいのです。
あなた方はキムラスカ陣営の方ですから、このままでは我々はあなた方を殺さなければなりません。私達も、セントビナーを助けてくれたお方たちに剣を向けるのは……」
フリングス将軍は苦悩するように目を閉じて溜息を吐く。その表情と言い分に、アッシュもやっと肩から力を抜いた。確かにナタリアを直接狙いに来るなら、後ろにいくらか兵を控えさせておくだろう。その様子もなく、キムラスカ軍がひしめくこの中に本当に単身で乗り込んできたのは、きっと己に害意がないことをこちらにはっきりと示す為だ。
「フリングス将軍、あんたの言いたいことは分かった。しかしこちらも退くわけにはいかない」
「ええ、私たちはこの戦いを終わらせる為に、ケセドニアへ向かっているのです。例え危険でも引き返すことはできませんわ」
「それは無茶です! これから戦いはますます激しくなる。私は部下にあなた方だけを攻撃しないようにとは言えません」
「うう……そりゃ将軍の言うこともわかりますけどぉ……でもやっぱり私達も退けません。あ、だからって戦いたいわけじゃないですよ?」
皆の言葉を聞き、フリングス将軍は困った顔をしてイオンの方を向く。キムラスカの王族だけではなく導師イオンまでもが戦場を横断することに参加しているのは驚愕ものだが、イオンは真っ直ぐにフリングス将軍の目を見返し、首を振る。どうやら彼も彼で退く気は無いようだ。
フリングス将軍は目を閉じて空を仰ぐ。一つ息をついた後は小さく苦笑を溢しわかりました、と声を上げる。
「事情を知るものには、皆さんを攻撃しないように通達してみます。ですが……戦いになってしまっても、兵達を恨まないでやってください」
「そうか……そりゃありがたい。悪いな、フリングス将軍」
「いいえ。私にはこれくらいしかできませんが、どうぞお気をつけて」
一礼した後去っていくフリングス将軍の背を見送り、ナタリアは大きく溜息を吐いた。
「私たちのために危険を冒してまで来てくださったのに、申し訳ありませんわ……」
「このまま戦争が長引けば、外殻大地の崩落で戦場にいる人間は全滅する。俺達は退く訳にはいかない、だからケセドニアまで行こうとしているんだ。このままでいれば、あの将軍も死ぬことになる。お前はお前にしか出来ないことをするために。そうだろう、ナタリア」
「アッシュ……ええ、そうですわね。父の愚行をお諌めするのは、娘である私が成すべきことですから。ですが、明日からもマルクトの方とは争いたくはありませんわ……」
「そうだな。わざわざ来てくれたフリングス将軍の為にも、慎重に行動するように気をつけようぜ、皆」
ガイの言葉に皆は一様に頷き、腰を下ろした。
* * *
そろそろ夕刻も近い。平原を移動するのならもう少し進んでもいいが、夜の森の中の行軍は民間人には些か危険だ。これ以上暗くなる前にそろそろ野営を挟むべきだろうか。しかし予想以上に行軍に手間取っている。このままでは予定よりも行軍日程が一日二日延びるかもしれない。
食料配給を考えなくてはならないが、少なくしては移動する住民の間で不満が生じるだろう。ただでさえ民間人の移動ということで疲れないように荷物を少なくしているのだ、食料もぎりぎり分しか持っていない。
どうしたものかと考えながら上空から進む針路を見張っていたアーチャーは、ふと眼下の森で鳥が一斉に飛び立ったのを見た。一気に顔を強張らせる。野生の獣と鳥は気配に敏感だ。集団行動をする兵の動きにいち早く気づき、行動することが多い。
まさか伏兵か?
アーチャーがそう思った瞬間、上空へとぶっ放される譜術を確認した。ジェイドとルークがいる場所を確認し、アーチャーはすごい勢いでグリフィンを下降させる。
「移動を停止しろ! グランツ響長、前方で戦闘を確認した! 兵を溢さぬようにするが万が一もある、フォースフィールドをいつでも張れるように準備してくれ!」
声が届くだろう位置から早口に告げれば、ティアはすぐに頷き住民達に一箇所に集まるようにと呼びかける。
それを見届けることもなく、アーチャーはルーク達の下へと急いだ。
声が聞こえる。周りであがる悲鳴を突き破って、ルークの脳裏で木霊する。
―――人を殺したくないってその気持ちは、とても尊いものだと
剣を迷いなく振り下ろす。躊躇いは致死毒だ。魔物とは少し違う手にかかる重さは、人の肉を立つ感触。剣戟の音の後に響く悲鳴と赤い飛沫が上がる。緋色がかかる頬を拭いもせずに、ルークは次の敵に目を向ける。
―――俺はお前に人を
「死ねぇ!」
仲間を殺された兵が怒りに染まった声を上げて飛び掛ってくる。振り下ろされる剣を受けて、弾き返す。戦場で感情を乱すなど自滅に向かって走るだけだ。大振りになっているその攻撃をルークがやすやすと受けるはずも無い。
受け流して、大振りの後の隙を狙って剣を握る腕を切る。悲鳴を上げて剣を落としたその直後に、喉を一突き。鎧の隙間から血しぶきが上がってまた汚れた。
「…………すまない」
ルークの口から謝罪が零れる。それは本当に申し訳なさそうな声で、苦悩が滲んでいた声で、しかし彼の謝罪は今目の前で、彼の手により命の灯火を絶たれて目から光を失う兵士に対してではない。
―――……だからさ、守られといてくれよ、頼むから
ごめん。
ごめん、ごめんな、グレン。
でも、守られるだけじゃだめなんだ。戦わないと叶わない。戦って争って奪って、勝ち取らなければ俺の願いは叶わない。だから。だけど。ごめん、ごめんな。お前の左腕を犠牲にしてまで、今までずっと守ってきた願いだったのにな。
ルークの謝罪は親友の願いを己の手で砕いてしまったことで、巣食う苦悩はいつかは確かに必ず守ると誓った願いを違えてしまった事に対してだ。
人を斬るたびにルークの顔は少しだけ歪み、けれどその悔恨は殺している人間に対しては一片も向けられていなかった。人間を殺しているのに、その人間に対して何も感じない。それをルーク自身も自覚していた。自覚しているのに、何も感じられない。
迷うな。握る剣を振り下ろせ。戦場においては刹那の迷いも致死となる。
新たな屍を築く直前、ルークが手を下すまでもなく相手は死んだ。オラクル兵の面覆いを貫き額につきたてられた矢。振り向かなくても誰が来たか分かった。
「ルーク!」
「遅いぞエミヤ。敵はオラクル兵一個小隊40名前後だ。位置を他の奴等に広められたら厄介だ、一人も逃すな、よ! チッ、そっちに何人か行ったぞ大佐!」
「大地の咆哮、其は怒れる大地の爪牙……」
地面に光が走り窪んだ地面に足をとられた兵が動きを阻害され、驚いているとごうと岩が盛り上がりオラクル兵は吹きとばされた。背中から地面に転げ落ちて息を詰めていれば、不意に自分の上に影がかかる。
オラクル兵は面覆いの奥で目を細めながら開いた。落ちかける夕日の逆行になって良く見えない。眼鏡のレンズが光を反射させて、表情がよく分からない人間がこちらを覗きこんでいる。その手には槍。すっと後ろに手を引かれて、そして。
「待ってくれ……俺、俺は! 死っ、死にたく、ない……っ!」
「聞けない相談です」
ずん、と振り下ろされる。ジェイドがついた箇所は眉間だ。怖れも痛みも一瞬で断絶して死んだだろう。殺した兵と仲が良かったのだろうか。後ろで咆哮を上げながら起き上がり、飛び掛ってこようとした兵に振り向きざまに心臓を一突き。
まだいくらか生きている気配を感じ取って、口の中だけで譜術の詠唱をとなえる。
―――炸裂する力よ。
「きさまぁ、よくも……っ!」
「エナジーブラスト」
静かにとなえるだけでいい。圧縮された譜術の光が炸裂し、その譜術はただでさえ重症だった幾人かのオラクル兵の、残りの命を容赦なく刈り取った。ジェイドが辺りを見回せば、ルークとその協力者が残りのオラクル兵を斬り捨てているところだった。
ジェイドが援護の譜術をとなえて放つ。たまらず仰け反るオラクル兵に、止めを刺す。被験者とは違う、今の夕焼けの空に溶けそうな明るいオレンジ色の髪が流れて、その太刀筋が、後姿が、いつかの砂漠の遺跡の中で盗賊を斬り捨てていた誰かと重なる。
「……感傷ですね、らしくもない」
一人ごちて譜術を放つ。戦闘は背後に控えているはずのエンゲーブの住民に被害が及ぶことなく終了を迎えた。
時刻も時刻で、そろそろ夕日も完全に沈む。もう今日はこれ以上の行軍は無理だろう。野営しようとのアーチャーの提案はもっともなもので、これにはジェイドもルークも否はない。しかし問題は行軍速度だ。
ルークは剣についていた血を払って腰に差す。エンゲーブの住民達に今日はここまでだと伝える為に後方へと歩きながら、ルークは二人に尋ねてきた。
「今はどのあたりだ?」
「まだ全工程の半分にも満たないですね」
「やはり森の中の行軍は速度が落ちるな。しかもオラクル兵がこれから先もちょくちょく伏せているなら、慎重に進むためにもさらに落ちる。ふむ、食料が持つかどうかも一つ不安材料足りえるが」
「……いざとなったら食えそうな魔物を狩って凌ぐしかないだろう。最終手段だけど」
「そうですね。しかし、そのような状況になったら流石に住民にも不満が出るでしょう。好き勝手動き出す人が出てきては厄介です。そうならないように慎重に、ですが迅速に進まなければ」
話していれば、住民たちが息を潜めて待機していた場所にまでたどり着いた。三人を心配するティアに全員無傷だということと、襲ってきたのはオラクル兵で恐らくはモースの差し金だということを伝えて、ルークは住民達に今日はここまでだと宣言した。めいめいで野営の準備をする住人に混じって、後方を守ってくれていたマルクトの一個小隊兵も野営の準備を手伝っている。
「さて、では私は野営のための食事の準備でもしてこよう。なに、無駄などひとつも無い野営料理はお手の物だ。任せておけ」
「ああ、頼んだぜ」
アーチャーに任せればまだ食料事情も少しはマシだろう。……ほんの僅かな時間稼ぎにしかならないだろう事は分かってはいたが。
これからの進軍にも不安は残るが一息をついていると、ルーク達に向かって一人の村人が近寄ってくる。その村人がこれから何を尋ねるか。ルークはグレンの記憶を持っているが故に、知っていた。小さく溜息を吐き、目を伏せる。
すぐ隣にいたティアはルークが急に溜息を吐いたことに不思議そうな顔をしていた。
「あの……そちらの軍人さんはタルタロスに乗っていたそうですね」
「確かにタルタロスの指揮をしていましたが、何かありましたか」
「乗組員にマルコと言う兵士はおりませんでしたか?」
「マルコ……確か彼は大佐の副官でしたよね? ですが……」
「…………ええ」
ふっと暗い表情をするティアに頷き、ジェイドは静かに目を閉じた。死者26名。その戦死者名簿の中に記されていた者達の名前に、彼の副官たるマルコの名前もあった。
彼がオラクル兵の潜入を死に際に伝声管でブリッジに伝えたおかげで、それだけの被害ですんだのだ。ジェイドとティアがグレンたちの後方を襲おうとしていたオラクル兵を片付けて駆けつけた時には、既に事切れていた。
その場の三人の表情に気づかないのか、副官ですか、とマルコの知り合いらしき村人は嬉しそうに声を上げた。
「マルコは私の自慢の息子なんです! そうですか、副官か……そんな出世を。かかあも聞けば喜ぶでしょう! それで、あいつは今どうしてますでしょうか。この戦争で前線に出兵させられた、何てこともやはりあるんでしょうか……?」
「――――お父様にはお気の毒ですが、息子さんは敵の襲撃を受け戦死なさいました」
「え?」
嬉しそうに笑って、そして息子を心配する父親の顔が凍りつく。嘘でしょう? とかすれる声で尋ねてくる彼の目を、笑いもせずにジェイドは真正面から見返している。そこでジェイドの言葉が現実のものだと理解したようだ、いつですか、と尋ねる声はやはり嗄れかけている。
「いつ……一体いつなんですか!? この間、タルタロスがエンゲーブに来た時は、あいつも元気で……そうだ、今度、大切な人を連れて帰ってくると! かかあも遠くない未来で娘ができるのかって、俺も楽しみに……」
「それは残念です。息子さんが戦死なさったのは、エンゲーブを出た直後です。導師を狙う不逞の輩に襲われ、名誉の戦死を遂げられました」
「………………っ! そう、でしたか。マルコは、導師イオンをお守りして……」
村人はよろりと一歩よろめきながら、俯いた。拳を握り締めて遠い日の記憶を浚っているのだろう、一瞬口元に淡い笑みが浮かび、そしてすぐに悲痛な表情にかき消される。
「マルコは……あいつは生まれた時、ローレライ教団の預言士(スコアラー)様に言われたんです。この子はいずれ高貴な方のお力になるって。だから軍人になるように、言われて……っ。馬鹿野郎が、いくら立派なことをしても、親よりも先に死んじまうとは……!」
ぎりぎりと唇を噛み切らんばかりにかみ締める村人は、しばらくして顔を上げた。恐らくは急に息子が死んだことで動揺しているのと、今戦場を横切っている不安と、色々な感情がごちゃ混ぜになっているのだろう。
「息子は戦死を遂げても、指揮官は無事なんですね。仕方のないことだとは思います。思いますが!」
睨み付けるような勢いで、ジェイドの顔を見る。そんな、息子をスコアに殺された父親をジェイドは常の冷静な表情で接している。
「でも納得がいきませんや! 俺の息子を……マルコを返してください!! かかあになんといえば良いんですか!」
「残念ですが……」
「ぐっ……く、うう……くそぅ、馬鹿息子が……っ!!」
がっくりと肩を落として去っていく村人をジェイドとティアは無言で見送っていた。けれど途中でルークが一つお聞きしてもいいですか、と彼を呼び止める。ティアが咎めるような声でルークを呼ぶが、彼はそれを無視した。涙が滲んだ顔をした村人が振り向く。生気の無い表情をしていた。
その村人を真っ直ぐに見る緑の瞳には温度がない。ただ冷酷な色を宿して、村人を観察していた。
「スコアラーは死のスコアだけは詠まない。スコアの結果、死が訪れるとしても。そんな馬鹿げた決まりのせいで、アンタの息子は死んだ。つまりはスコアに殺されたも同然だ。でも、もしも。その結果死ぬことになると詠まれていれば、アンタは息子を軍になど入れなかったのか?」
「そりゃあ当たり前でしょう! 誰が好き好んで……!」
「スコアラーに軍人になれと言われていても?」
「それはっ……、」
当たり前でしょう、と再び叫びそうになった声がぐっと村人の喉の奥で詰る。それをみてルークは溜息をつきそうになった。スコアに逆らう、ということに対する感情は、概ね外殻大地の人間にとってはこういうレベルのことなのだろう。
スコアは判断材料の一つとして、比較的スコアを狂信しているわけではない気風のマルクト領内でもこれなのだ。キムラスカあたりになると、もっと酷い状況かもしれない。これから起こさねばならない事象を知っている者として些か不安になるが、それでもこの世界は変わらねばならないのだ。
真実を知る少数の為政者たちが決定を放つだけではなく、民の一人ひとりが少しずつ納得して、自らそうあろう、そうするべきだと思えなくてはスコアの呪縛からは逃れられない。
「恨むのはマルコの指揮官だったそこの軍人か? 否だ、こいつはあの時自分の指揮兵を一人でも多く救おうと自ら最前線に立って戦っていた。封印術をくらった直後でだ。ならば恨むのはスコアか? それも否だ、そもそもスコアとは絶対に起きる未来ではなく可能性の一つ、手段の一つ、見えているだけの枝分かれの未来のひとつでしかない」
傷口に塩を塗りたくるような発言をしながら、一歩一歩、ルークはゆっくりと村人のほうへと歩みを進める。村人は呆然としながら、近付くルークを見ている。夕焼け色の前髪の奥に見え隠れする緑の瞳は冷酷なままなのに苛烈なきらめきを宿していて、思わず背筋に冷や汗が流れた
彼が近付くたびに後ずさりしたくなって、けれどここで退いてはだめだと何かが村人の脳裏で囁いていた。
「何も疑問を抱くこともなく、遵守することこそ善として、ただ従ったのはあんた自身だ」
「ルーク、やめなさい」
「スコアを守って得られた幸せがあって、スコアを守って受けた苦しみと悲しみがあるのなら、スコアを守ることを選んだのは人間なのだからそれを受け入れるのが人間の責任だろう? 守って起きる繁栄も、守れば起きる滅びの道も。守って起きる、生と死もだ」
「ルーク!」
息子の死を宣告された村人にとっては、傷口の上にさらに刃物をつきたてられているようなものだっただろう。がたがた震えて拳を握り、喘ぐように口を開け閉めしながら言葉が出ない様子だった。
そんな状態を見てこれ以上追い込むなとティアがルークの腕を引くのだが、彼はそれを簡単に振り払ってただ村人の目を凍てついた緑の瞳で見ていた。
「それでも途中でそれはおかしいと気づいたなら、起きる未来を回避しようと努力して、スコアから離れるのも人間自身の選択によりだ。さあ、あんたはスコアに息子を殺されたも同然だが、息子を殺す未来を遵守したのもあんた自身だ。
生誕のスコアを聞いていなければ、軍人にならなかったかもしれない。これからあんたはどんな風に生きていくんだろうな。やはり変わらず天気を詠んで一日を詠んで夕食を何にするかも詠んでもらいたいと思うのか?」
「…………スコア、は……スコアを……」
マルコの父親だという村人は、弱弱しい言葉を溢して力なく首を振る。感情がせめぎあって回答がでないらしい。
しかし、まだ迷う分だけマシかもしれない。それでもスコアを守ることを選ぼうとする住民とているだろう。この世界の先行きはそれはもう不安だが―――それでも、完全にお先真っ暗と言う訳ではない。
ルークは小さく溜息をつき村人に背を向ける。
「あなたがどんな風にこれからスコアに接するのか、接したいのか。また機会があったら後日聞かせていただきたい」
それだけを捨て置いてどこぞへ歩いていくルークにどこへ行くのかとジェイドが尋ねれば、少し辺りを警戒してくるとだけ返ってきた。が、ルーク自身は気づいていないだろう心の動きにジェイドは気づいていた。やれやれと思いながら、ルークの言葉を受けて真っ青になっていた村人を案じていたティアに声をかける。
「ティア、ルークについていてくれませんか。その方は私が見ておきます」
「ですが、大佐……」
「……彼も初めて人を殺して、動揺していないように見えてそれなりに動揺しているんですよ。いや、感情減退と言っていたなら、動揺できなかった、何も感じなかったことに動揺しているのかもしれませんが」
何かに謝りながらも冷静に、的確に命を刈っていた姿を思い浮かべる。迷いもなく振り下ろされる刃は容赦もない剣筋を作っていた。そしてあまりにも冷静に次の敵を見据える瞳を見たジェイドの直感だが、彼が謝っていたのは殺していた兵ではなく。
「今のルークは些か危うい。少し見張っておいてください」