戦争を止める為に先を急ぐ。戦場を移動する二日目の朝。慎重に進んでいるつもりでも、そもそもが戦場の横断自体が無謀なのだ。どうしようもなく兵と出会い、そして殺されるわけにはいかないがために争いになる。皇帝陛下万歳、と叫びながら斬りかかってくるマルクト兵を弓で射抜き、そして事切れる直前のマルクト兵の言葉にナタリアは悲しげに唇を噛んだ。
『卑怯なり、キムラスカどもめ。アクゼリュスを滅ぼしておきながら……我が帝国に踏み入り我らの故郷を……踏み荒らすとは……!』
『恨む……俺達は貴様たちを恨むぞ……っ!』
こうして、国のために―――いや、王族のために、その決定に、罪のない人々が亡くなっていく。己の国の王を、為政者を信じて命を懸けてその命を守ろうとする。この戦争がスコアに振り回されたものだとは知らずに。
そして、そのスコアに振り回され最大の愚行を犯してしまったのはナタリアの父、インゴベルトその人なのだ。落ち込んでいる場合ではない。立ち止まってなどいられない。父が犯した愚行なら、それを諌め止めることが出来るのはきっと己だけだろうし、またそうすることが娘の王女たる彼女の責務だろう。
分かっている。分かっていても、それでも遣る瀬無い思いになってしまうのはどうしようもならない。
「……私達の暮らしは、彼らの流血によって支えられているのでしょうか」
「……城やバチカルの中にいるだけでは、知ることの出来ないことがある。真実を知るためには、自分の足で自分の目で確かめる。どれだけ苦しいことでもそれが現実なら、俺達は知らなきゃならない。今のお前の様にだ、ナタリア」
「アッシュ……」
「支配階級の人間は命じるだけで直接前線を知らない者ばかりだ。最終的な決定権は王だが、そんな貴族どもや議会が今のキムラスカで戦争の決定権を持っている。キムラスカは、あの時から何も変わっちゃいない」
剣を納め、ナタリアから視線を逸らして遠くを見る。その横顔がいつかの記憶に重なり、その時の約束と誓いを思い出してさらに悲しくなる。あの時の約束と誓いを果たすために、ずっと動いてきたはずだった。孤児院を作り、医療施設を開放し、港の開拓事業で職をなくしていた国民を雇ったり。
意味がなかったことだとは思わない。本当にかすかなことでしかなかったとしても、それでも確かに救えた人はいたはずで、民の笑顔と時折聞こえた感謝の声が意味のなかったものだとは思わない。それでも、足りなかったのだ。
決意も、王女たる存在が何をなすべきことだったのか、それを考えることも。アクゼリュスに直接赴き苦しんでいる人々をその手で助けることは他の誰かでも出来ることで、本当に成すべきことだったのは。
間違った道に進もうとする父王を己の言葉と声で諌めて止めることこそが、王女たる娘として存在している彼女が成すべきことだったのだ。
――――気づいたことに関して今更だとは思う。けれど、今更でも、それでも気づけたのなら、気づけなかったことよりは何倍もいいはずだ。同じ過ちは決して犯さない。己の過ちが引き起こしたこの悲劇を忘れない。二度と、同じ間違いをしてしまわぬように。
「だが、変わらないことを嘆くくらいなら、声を上げるべきだ。変わらねばならないと分かっているなら、変わるべきだと声を上げるべきだったんだ。ナタリア。声を上げるものがいないなら、俺たちが声を上げるしかない。俺たちが声を上げればいい。この現実を見て、気づいたことがあるのなら、それを声にして知ろうともしない者達に伝えなければならない」
「……そうですわね。それが、次期為政者として在る者の義務で、責務……。己の決定により死ぬものがいることを、その選択が何を民に失わせるのかを、王こそが誰よりも理解していなくてはならないのですね」
「今の伯父上……キムラスカの王をとめられるのは、お前だけだ」
「ええ、落ち込んで立ち止まっている暇などありません……行きましょう」
「アッシュ、ナタリア!」
アニスの声がして、二人はそちらを向く。戦闘が終了した時点でこうも兵と遭遇するのは問題があると、二人で先の様子を見に行ったのだ。ぱたぱたと走り寄ってきて、二人が無事なのを確かめたアニスはほっとしたように息をつき、しかしすぐに険しい表情をした。
「向こうの様子を探ってるガイから伝言。キムラスカとマルクトの両軍が逼迫した状況で、あと一時間もしないうちに多分ぶつかり合うって。そうなったらきっと軍服を着ていない民間人だとしても危ないだろう、だって。どうする? ガイは時間がかかるようになっても少し回り道したほうが良いって言ってるけど……」
「これ以上時間をくうのは、正直得策じゃないな。しかし……」
「ええ、いくらマルクト軍の方とこれ以上遭遇して殺しあうことはできませんわ。戦っている時間を進む時間に当てていれば移動距離もそう変わりませんわ。ここは慎重に回り道をして進みましょう」
「りょーかい! じゃあガイに知らせてくるね」
アニスが走って行ってまもなく、ガイを連れて帰ってくる。予想される激突地点から、大きく左に迂回する形を取って進んだ。皆言葉少なだ。ただ気配を探るようにしてあたりに気を配っている。
迂回する決断が功を奏したのか、そう決めた時から今まで、危うい時はあったが何とかやり過ごし戦闘にはならなかった。慎重に進む。ふと、ガイとアッシュの耳に具足の音が届いた。ぴくりと緊張する二人をみて、アニスとナタリアも体を強張らせる。
恐らくはあの小高い丘の向こう側にマルクト兵かキムラスカ兵がいるのだろう。勢力圏的にはまだキムラスカ側だが、迂回作戦を展開しているマルクト軍だという可能性も捨てきれない。そしてあの丘を抜ければ平地が続いていて、こちらは隠れられるような場所も無い。
そろそろ夕刻になるかならないか、と言ったあたり。もう少し歩くにしても、よりによって最後の最後でこのような展開になるとは本当に上手く行かないものだ。一様に息を詰める。
どうか、どうかキムラスカでありますように。しかし丘から出てきたのは青い軍服だった。
「……マルクト兵の方、ですね」
イオンの苦しそうな声がぽつんと落ちる。そしてあちら側もこちらに気づいたらしい。剣を向けて警戒するように誰何の声を上げ、それにナタリアより先にイオンが名乗り出ようとして―――ふと、何かに気づいたらしいマルクト兵が剣の柄から手を離す。
一様に皆の表情に困惑が浮かぶ。そんな彼らの困惑を分かっているだろうに、かのマルクト兵はやはり間違い無い、と呟き静かに一礼した。
「そこにおわしますのは導師イオン様とキムラスカ王女、ナタリア殿下ですね? フリングス将軍から聞いております。キムラスカ陣営に停戦を呼びかけに向かっていると」
「……! 俺たちを知っているのか?」
「フリングス将軍から話は承っております。ここはどうぞお通りください」
「ありがとうございます!」
「……話を聞いてたからとはいえ、随分すんなり通してくれるんだな」
「ちょ、ガイ! せっかく通してくれるって言ってるんだから、余計なこと言わないようにしようよ!」
マルクト兵の言葉にぱあっと笑顔を浮かべるナタリアとは裏腹に探るような表情をするガイを、アニスが慌ててたしなめる。しかしアッシュも同じ考えだったようで、その視線は疑惑半分と言った様子だ。そんな一行の様子にマルクト兵は苦笑したのか軽く首を振り、簡潔に答えた。
「私の故郷はセントビナーです。……その節は、両親と家族を助けていただき助かりました」
「……そうか、セントビナーの……」
そこで二人の疑惑も氷解した。ほっとして剣から手を離し安心したように笑う。
「その礼と言う訳ではありませんが、せめてもの恩返しだと思ってくだされば結構です」
「いや、こちらこそ疑ってすまなかったな。じゃあ遠慮なく通らせてもらうぜ?」
「はい。どうかご無事……」「いたぞ!」「マルクト兵だ!」「敵だ、殺せ!」
突然の怒号にはっとしたのは誰もが同じだった。いち早く気づいたマルクト兵が弾かれたように後方の味方たちの下へ向かう―――向かおうとして、丘の奥から突然現れたオラクル兵とキムラスカ兵に袈裟切りに斬り捨てられ、血を流して倒れ伏した。
うめき声を上げながら何とか顔を上げようとするマルクト兵に、キムラスカ兵は剣を振り上げる。そしてそれを振り下ろそうとするのを見た瞬間、ナタリアの体は勝手に動き出していた。後方から必死になって呼び止める声がするが、動く体は止まらない。
「死ねえ、マルクトめが!」
「おやめなさい!」
体を双方の間に割り込ませ、凛とした声で戦場にはっきりと宣言する。
「私はナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア! キムラスカ兵よ、剣を納めなさい!」
突然の闖入者がこの場にはそぐわない女性だったことと、そしてその女性が名乗った名にキムラスカ兵が動揺する。構わず殺せと喚くオラクル兵を腕をがしりと握り無理やり押し留め、振り上げていた剣を下ろした兵の困惑気味の声が零れ聞こえてきた。
「ナタリア殿下? まさか! 殿下はアクゼリュスでマルクトの謀略により亡くなられたと……」
「それは誤報だったのです。私たちは父を止める為に今ケセドニアへと向かっているところ……私の謀殺などというありもしない理由で戦争など起こしてはなりません。剣を納めなさい!」
「……しかし、」
どうも迷っている様子をみて、ガイは腰の剣から手を離して倒れているマルクト兵へと駆けつけた。それを助けるように、イオンに何かあればすぐに駆けつけられるように気配を向けながら、アニスもガイの手助けをするようにマルクト兵の側に寄る。
てきぱきと応急処置を施すガイに接触しないように気をつけて、アニスはグミや薬、包帯を渡す。アッシュはすぐに抜剣できる体勢を崩さず険しい顔をしてキムラスカ兵の様子を伺っていた。
ナタリアは今にも剣を振り上げて下ろしてきそうなオラクル兵に真正面から顔を向けて、マルクト兵を背に守り一歩も引こうとはしていない。
そんな一行の様子に、オラクル兵は苛立たしげに声を荒げた。
「ええい、見ろ、こやつらマルクトとつるんでいるだろう! 大方偽者だ、斬り捨てろ!」
「だが……祭典の時に遠目から見た殿下に、この方はよく似ていらっしゃるのだ!」
「ならば! 何故、キムラスカの姫がマルクト兵を助けているのだ! 偽者であろう、殿下の名を騙る偽者など斬り捨ててしまえ!」
迷うキムラスカ兵に向かって、押さえつけられていた腕を振り払ったオラクル兵が声を大にしてけしかけている。それに対してイオンが前に出て、普段の彼からしてみれば随分と裂帛の気合を込めた厳しい声でオラクル兵を呼び止めた。
「やめなさい! この方は確かにナタリア殿下です、剣を引きなさい!」
「残念ですが導師イオン、われらは大詠師派なのです! 戦争の継続が必要なのです、どいてください、あなたの命も保障は出来かねますぞ……殿下だと騙るあなたもだ! さあ、殺すのだ! 貴様がやらぬのならば俺が殺す、そこをどけ!」
「……待て。導師イオンを殺すだと? どういうことだ、貴様正気か? ましてやナタリア殿下までだと!? いい加減にしろ、ナタリア殿下は民にも慕われる我らが誇れる王女殿下だぞ。殿下をどうして我らがこの手で殺さなくてはならないのだ!」
「だから偽者だろうといっているだろう!」
「愚弄するな! 我らがキムラスカ兵がナタリア殿下を見間違うものか!! 退け、無礼者!」
吐き捨てて、ナタリアとイオンに向かい剣を向けようとしていたオラクル兵を大きく突き倒す。しりもちをついて倒れこむオラクル兵には一瞥も向けずに、キムラスカ兵は手に持っていた槍の柄を地面につき、軍式の敬礼を向ける。
「此度は失礼をいたしました、ナタリア殿下。ご無事の様子を……心から、喜び申し上げます。よくぞ、ご無事で……」
「信じて、くれるのですか?」
「信じるも何も……先ほどはお恥ずかしいながら、些か動揺しておりました。遠目から一度お伺いしただけですが、我らが王女の姿を見間違うはずがありません。……殿下、先ほどマルクト兵を庇っておられたようでしたが、なぜかお聞きしてもよろしい―――」
かみ締めるようにして呟かれた言葉に、ナタリアの胸に温かなものがこみ上げてくる。その温かな感情を嬉しく思っていると、ふとキムラスカ兵の背後で影が揺れる。目を見開き、それが何かを考える前にナタリアは悲鳴に似た声を上げた。
「だめです、やめなさい!」
金属がぶつかり何かを断つ音がした。
「――――……が、あ……?」
がしゃん、とキムラスカ兵の足が崩れる。ばたばたと地面に落ちる赤い水。斬りつけた剣の先からそれを滴らせて、キムラスカ兵を背後から斬りつけたオラクル兵はふんと鼻を鳴らす。倒れこんだキムラスカ兵を足で踏みつけて、まだかすかに息をして槍を握り締める彼の背に再び振りかぶる。
アッシュが舌打ちをして飛びかかろうとする。ナタリアも弓を番えようとするが、はっきりと間に合わない。ガイが、イオンが、アニスが悔しそうに顔を歪めていた。めいめいにやめろと口にするが、この場ではそんな言葉は無力でしかなかった。
「やめてっ!」
赤が吹き上がり、一拍遅れてアッシュの剣がオラクル兵へと襲い掛かる。それを間一髪で防ぎ、しかしアッシュの力量を見てすぐにオラクル兵は距離を取ろうとする。そう簡単に離してなるものかとアッシュは距離を詰めて、一息に腕を斬りつける。
「……っ、やってくれたじゃねえか、てめえ! 覚悟しやがれ!」
オラクル兵が悲鳴を上げて剣を取り落とし、アッシュは止めを刺そうと剣を振おろす。オラクル兵が咄嗟に後ろへ退いたせいか、斬りが甘い。即死のつもりで振り下ろしたのだが、未だに往生際悪く生にしがみ付いている。再び舌打ちをして、今度こそ止めを刺そうと近寄る。
オラクル兵はもう既に剣も握れず、恐らく視界もかすんでいるのだろう。すぐ側にある剣を取ることも出来ずに、のろのろとその手は地面の上をはっていた。
アッシュが剣を振り上げ、ちょうどそのタイミングで丘の向こうからキムラスカ兵が現れた。
「隊長、マルクトの陣を制圧……隊長!?」
驚愕し、どこか呆然とした声だった。それだけでもあの隊長らしきキムラスカ兵がどれだけ部下に慕われていたか分かる。その声に気をとられたアッシュに対して、オラクル兵はここぞとばかりに声を張り上げた。
「こやつらは民間人のふりをしたマルクトの協力者だ! キムラスカの隊長もこやつ等にやられた!」
「なん……、巫山戯たことをぬかすな! お前が斬り殺したんだろうが!」
「見ろ、マルクト兵を助けようとしているだろう。奴等は敵だ!」
「待ちなさい、違うのです! 私たちは……」
「キムラスカ兵よ、仇を討て!」
そこまでがオラクル兵の限界だったようだ。強く憎悪をたきつけるような言葉をキムラスカ兵の中に残して、ゴボリと大きく血の塊を吐きぐたりと地面に倒れ伏す。ぴくりとも動かなくなったオラクル兵を見て、アッシュは三度目の舌打ちしたくなった。
これでここにあったことを証言できる人間がいなくなってしまった。ガイとアニスがマルクト兵を介抱していて、キムラスカ兵は死んでいて、そしてそのキムラスカ兵と一緒にいたオラクル兵は今ここでアッシュに剣を突き付けられていたのだ。
この状況を見てどのようなことが起きたのかをミスリードさせるのは酷く簡単だし、何よりミスリードさせた本人に訂正させようにも既に死んでいるのではどうにもならない。死人に口無しだ。
考えたくも無いが、もしかしたら先ほど血を吐いたオラクル兵は自ら舌を噛み切ったのかもしれない。どうせあのままでいても長くはなかったような体だったのだ。より一層状況に真実味を持たせるためだとしたら、とんだ捨て身の策だ。
「隊長……ああああああ、貴様らぁあああああ!!!! 奴等を討てええええ!」
「話を……くっ、どうしてこのようなことに……っ!」
「諦めろナタリア、くるぞ!」
赤が吹き上がる。ドクドクと吹き上がり、それがナタリアの顔にかかった。ずるりと倒れてくるその体を受け止めて、呆然としていたナタリアはすぐにはっとして悲鳴を上げる。
「どうして……どうして私を庇いなさったのです!」
襲い掛かってきたキムラスカ兵のあらかたを倒しきって、流石に多勢に無勢で怪我をしていた仲間の治療をしていたときだった。どうやら斬られて気絶していたが死んでいたわけではなかったのだろう、突如起き上がった兵が休んでいた一行に襲い掛かってきたのだ。
突然の事態に動けなかった人たちの中で、ただ一人動いた人間がいた。彼女の側で寝かされ、介抱されていたマルクト兵だった。
「お許しください、ナタリア殿下。このキムラスカ兵は……友軍の、仇なのです。一人残らず誰かに奪われるのは我慢ならない。一人でも、この手で……」
とっさにナタリアを突き飛ばし、彼女が受けるはずだった刃をその身に受け、そして己の握る刃で生きていたキムラスカ兵を貫いたのだ。己を刺したマルクト兵を見た後でキムラスカ兵は血を吐きながら、怨嗟の声を吐きアッシュ達を射抜かんばかりの眼光で睨みつける。
「なにが、敵ではない、だ……っ! やはりマルクトと通じていたのだろう、そこのマルクト兵は命を懸けて貴様を助けたな! 隊長を殺したのも貴様達だったんだろう! 許さん、許さんぞ!」
「違います、僕達は彼を殺してなどいないのです」
「ふん、信じ、られ、……る、か……。キムラスカ…… ンバ ディ に、繁……栄、あれ――――――」
最後にそれを呟き、キムラスカ兵は事切れた。彼の言葉は皆の心の中に苦味を残すが、それよりも今彼女たちにとって重要事態なのはマルクト兵についてだ。内臓まで達する傷は深く、そして何とか塞いだとはいえ先ほども大きな傷を受けていたのだ。
「キムラスカの……方々 に、お頼みするのは……気が、引け……ぐ、ぁ……」
「喋っては駄目です! 今治しますから、それまでどうか喋らないで!」
ナタリアは必死になって平静を保ち回復譜術をかけるのだが、一日の間に度重なるダメージを受けて第七譜術では恐らく癒しきれない。もう手遅れだ。いくら傷をふさいでも流れた血は戻らないし、この状況ではもうかなりの血を流した後だ。
「どうか、家族に……ありがとう、と……妻と、息子に……愛していると」
「それはあなた自身が、あなたの口から伝えなければ意味のないことでしょう!? お願いですから、どうか……」
「ナタリア殿、下。もうしわけ、ありませ……どうか、両国……和平……息子が、幸せに、暮らせる、平和な……」
「分かりました、ナタリアが、このキムラスカ王女ナタリアが、必ずお父様を説得してこの戦争を終わらせます! そしてあなたの子供が戦争に巻き込まれないような関係を築いてみせます! だから、どうか……っ!」
「あ りが……ござい、ま……――――」
「………………ッ!」
マルクト兵が動かなくなる。それでも治癒譜術をかけ続けるナタリアの手を、アッシュが止めた。涙の滲んだ顔を上げれば、静かに首を振られる。
「アッシュ!」
「この中で治癒師はお前だけなんだ、ナタリア。……力を使いすぎてお前が倒れればこの行軍自体が立ち行かなくなる」
「分かっています、頭では分かっているのです! けれど……」
「ナタリア……」
「私は……この道で、どれだけの人を救えて、どれだけの人を殺しているのでしょうか……」
力なく俯き擦れる声で呟くナタリアの背中に、泣き出しそうな顔をしたアニスがぎゅっと抱きつく。イオンは悲しそうな顔をして、ガイは悔しそうに顔を歪めていた。アッシュも奥歯をかみ締めながら、ナタリアの手を握っていた。
「それでも進まなきゃだよ。戦争を止めるために。ねえ、あのマルクト兵の人も言ってたじゃん。戦争を止めてって。そのために今動いてるんでしょう?」
「そうですね。彼は貴女なら二つの国の関係を平和にしてくれると信じて、願いを託したんです。僕が無力なせいで……オラクル兵にもあのようなことをさせてしまいましたが……及ばずながらお力添えします。必ず和平を結ばせましょう」
「助けられなかったことは悔しいし悲しいが……だからこそ、最期の彼の願いをかなえなきゃいけないんじゃないのか。違うかい?」
「……ナタリア。何も感じず人を殺すよりも、悩みながらでもそう言う風に考えるのは悪いことじゃないだろう。それでも、今それを考えたところで到底結論などでないだろう。でたとしても歪んだものになる。今のお前は自分に否定的だからな、歪んだ結論しか出ない。
この戦争を終わらせて、落ち着いて考えられるようになった時にゆっくりと時間をかけて自分の答えを見つければ良い。……だが、今は……」
「……そう、ですね。今は、成すべきことを成さなければ。ここで立ち止まっていては、今まで殺めて進んできた分の人の命も意味がないものになるのですから。分かっては、いるのです。ですが……」
堪えきれず、ナタリアは握ったアッシュの手を額に当てて、静かに涙を溢した。
「ごめんなさい、ほんの少しだけ……あと少しだけ、許してください……」
「……どうせ時間的にも今日はここで野営だ。泣くだけ泣いて、明日動けるようになっていれば良い」
「ありがとう……」
やりきれない思いが込められた雫が一つ、ナタリアの頬を伝って落ちた。
* * *
マルクト兵の家族に渡せる遺品になるものをと、彼の遺体を改めていた時だった。ガイは彼が首にかけていたものを見つけてふと既視感に襲われる。なんだろう。血が着かないようにとそっと取り外せば、何故そう思ったのかを理解してああと小さく呻いた。
キャパシティ・コアに似た装飾品。『彼』が持っていたのはとても繊細な銀細工だったが、これはきれいな色石で作られたものだ。色も形も違うのに、なぜかそれが思い浮かんだ。
ガイがぎゅっと目を瞑ってそれを握り締めていたら、彼の様子を少し離れていたところから見ていておかしいと思ったのだろう、イオンがこちらに近付いてくる。どうかしたんですか、そう問いかける彼にいや、と苦笑を返してその手に握っていたものを彼の手の平に乗せた。
「さっきのマルクト兵の……家族に渡す遺品は無いかと思ってね。そうしたら、彼がそれを首から提げてて」
「これは、守護を願うシンボルマークの一種……お守り石ですか?」
「だろう、な。戦場に出る家族へ、その無事の帰還を願って送るものだよ」
「……ルークの持っていた銀細工にどこか似てますね」
「イオンもやっぱりそう思うか」
「はい。ルークの持っていたものは旅の中の無事を願うものでしたが、込められた願う思いはきっと同じでしょう」
病気をしませんように。怪我をしませんように。苦しい目に遭いませんように。どうか、帰って来れますように。そういう願いを込めて家族や恋人、もしくは親しい友へと送るものだ。この手のシンボルマークには、裏に送り主の願いを刻んであることが多い。
なんとなしに裏返して、そこに刻まれた拙い文字と丁寧な文字に、イオンは眉をハの字に下げた。
―――おとうさんが けが しませんよう に
―――貴方が無事に私達のもとへ帰って来れますように
「…………」
「遺体を持って帰るなんて無理なら、せめて。それはちゃんと、家族の下へ返してやらないとな」
「そう、ですね。……ガイ」
「……ん?」
「戦争を、止めないといけませんね」
「ああ、そうだな」
決意を強くするイオンの言葉にガイは力強く頷き、そしてそろそろナタリアたちの元へ向かおうと足を踏み出しかけた時だ。近付く気配に気がつき、ガイはイオンを庇うように腰の剣に手をかける。
「誰だ!」
「……どうか落ち着いてください。私です」
その声にガイの目が驚きに見開かれた。
「あなたは……」
目を付けられないようにしている為火をたけないが、それでも回りにホーリーボトルを撒いて就寝の準備をしているときだった。
「ふう! イオン様、準備できまし……ってぇ! あ、あれ? イオン様!?」
一仕事終えた、と満足げな一息を着いていたアニスの声が悲鳴染みたものになる。大慌てできょろきょろと辺りを見回し、一人でフラフラ歩かないでくださいってあんなに言ったのにイイイイイ! と些かお冠の様子だ。今にも走って捜しに行こうとしている少女に溜息をつき、アッシュは先ほど歩いていった方向を指で指す。
「導師ならあっちだ。恐らくだがガイの様子を見に行ったんだろう」
「あ、アッシュありが……って待てええええい! アッシュ、あんた気づいてたんなら止めてよ!」
「ガイが近くに居るなら大丈夫だろう」
「そ・れ・で・も! もー、『だろう』で楽観視してるのはすっごい危険でしょーが! 常に『かもしれない』って思っとかなきゃ駄目なの! イオン様がうっかり途中でマルクト兵に出会ってたらどうするの!」
「…………」
三十メートルも離れてない距離なのだが。しかもその方向には六神将のアッシュ並に気配を察知できるガイも居るのだ。よほどのことでもない限り危険ではないと思うのだが……それでも仕事に目覚めた導師守護役は終始おかんむりの様子で、仕方無しに軽く頷く。
今度からは気をつけようと頷くアッシュによしと頷きを返し、イオンにも注意を言わねばとその方向へと歩き出そうとした時だった。帰ってくるガイとイオンをみてほっと息を吐き、そしてその背についてくる見知った影を見て目を丸くする。
「ガイ、イオン様! それと、たしかキムラスカの……」
「セシル少将であります。ナタリア殿下は居られますか?」
「セシル将軍! ……どうしてここに」
「……やはり居られましたか。部下から、ナタリア殿下らしき人物を見たと報告がありました。まさかと思ってきてみたのですが……」
「……言ったはずですわ。この戦いをやめさせるためにも、アルマンダインに会うのです」
きっぱりとしたその言葉に、セシル将軍は思わずと言った風に声を上げた。
「無茶です! 今ならまだ我が軍の勢力圏内です。どうかカイツールへとお戻りください、この戦場は殿下には危険すぎます」
「できません。私たちは引き返すつもりは無いですし、もう引き返せないのです。ここまで来るのためにこの手で奪った命を無駄になどできません。それに、託された願いもあるのです」
「それに、このまま戦争を続けていてはこの戦場にいる皆が死んじゃうんですよー」
「我が軍は負けません、ですから殿下……」
「違うのです、セシル将軍。戦争に負けて全滅すると言っているのでは無いのです。この戦場自体が危険で、このままではキムラスカ軍もマルクト軍も双方消滅してしまいますわ。そのような事態が迫っていると知っていて、引き返すなどできません」
「殿下……私の立場もお考えください」
凜として言い切るナタリアに、セシル将軍ははっきりと困っている声を出す。彼女の立場を思えば確かに申し訳ないとも思うが、だからと言ってナタリアも引けないのだ。この戦争を起こしたのはナタリアの父で、ナタリアはその娘だ。この戦争を止めるべき責任がある、ナタリアはそう考えているが故に止まれないし、止まるわけにはいかない。
「……セシル将軍、貴女には申し訳ないと思っています。ですが、アルマンダインに停戦を呼びかけ、父をお諌めすることこそ私の使命なのです。どうか、もう止めないで下さい」
平和を、と願いながら死んだ人がいる。死んでしまう父として、息子が戦争に出る必要のない平和をと、それが出来ると信じてナタリアに願って死んでしまった人だ。彼はマルクトの人間で、それでも迫る刃からナタリアを庇ってくれた人だった。
何を言っても引く気は無いと判ったのか、セシル将軍はふうと溜息を吐きながら、殿下にはかないませんねと呟き苦笑交じりに首を振る。
「……分かりました。ではせめて、護衛を付けさせてください。それだけはお願いいたします」
「……分かりましたわ。その厚意はありがたく頂戴いたします」
「ただ、あんまり大所帯だと逆に目立ちかねないぜ」
「はい、了解しました。明日以降、我が軍の一個小隊を皆さんの背後につけます。どうかお気をつけて……」
ケセドニアまで、あと二日。