オラクル兵を消し飛ばそうとしたときだ。
掴んでいた手のひらに力を込めて、あと一秒もせず魂すらも消し尽くそうとした時だった。
『――――大丈夫よ。あなたは自分で』
「……っ!」
つい最近聞いた声が脳裏に蘇り、ルークは寸前で我に帰る。咄嗟に手を離した。呆然とする。オラクル兵の隊長が無様な声を上げて逃げていこうとして、反射的に思考が回る。ここで逃せば、場所が知られる。生かして逃すのは得策ではない。
二度目の死神の鎌は完全なる理性の下に振り下ろされた。未だに慣れない肉を断つときに手にかかる重み、血の匂いと断末魔。
ぐらりとした。
眩暈が酷くなる。
「………………俺、は」
がたがたと手が震えだす。左手から剣がからりと落ちた。震える両手を見下ろす。緑の瞳に怯えが宿り、ルークの表情が歪む。
先ほどの自分の激情を思い出す。至近で人が斬られると言うことがいつかの記憶に重なり、どうしても許せなかった。赦せなかったのだ。殺したいと、湧きあがる感情のままに人には過ぎた力を放とうとした。この力は、使いようによっては確かに何かを殺せる力でも、それでも命を奪うためにこの手にあるのではないはずなのに。
「防衛ですらない、人殺しじゃないか」
憎悪で超振動を使い人を殺そうとした。何のためらいもなく、だ。今までは枷になってくれていたはずの殺さずの誓い、グレンの願いのひとつは自分で切り捨てた。枷も縛りもなくなったルークは、これからは己の意思と心で自戒を保たなくてはならない。
「俺は」
大丈夫だと、彼女は言った。
それでも確かに簡単に人の命を奪おうとするようになってしまっている自分がいる。
「……俺、は」
あの声が蘇らずに感情のまま超振動を放っていれば―――きっと満足していたのだろう自分がいることを理解して、ルークは震える手で拳を握る。人を一人殺しておいて満足げに笑う自分を容易に想像できて、膝が崩れそうになるのを必死に堪える。
感情が無いが故にルークは危うい。人を殺しても呵責が無いと言うのは、酷く不安定だ。一歩を踏み外してしまえば、簡単に人を殺す方法を手段の一つとして躊躇いもなく選ぶのだろう。そして奪った命に対して何も思うことなく、淡々と流してしまうのだ。そんな自分の可能性を改めて思い知り、ルークは必死になって自分が最も信頼する親友の名を呼ぶ。
「グレン、グレン、グレン……俺、俺は」
優しいくせに不器用だと、意地っ張りなくせに結局優しいのだと、からかうようにルークをそう評して、そんなルークが嫌いではないと笑っていた親友の笑顔を思い出す。
狂いたくない。狂いたくない、狂いたくない、狂ってしまった自分を、グレンに見せるわけにはいかない。だってグレンは馬鹿だから、馬鹿なくせにいつも要らない苦労ばかり背負い込んで、狂ってしまったルークを見ればきっといらぬ後悔と悔恨を終身背負い続けてしまうのだ。
狂ってしまうなら、いっそ。
『それとも怖い?』
ああ、怖い。怖いよ。いつか人を殺しても笑って流せるような人間になってしまいそうで、そんな自分が怖くてたまらない。そんな自分を見れば嘆き苦しむだろうグレンを思うとやりきれない。つい先日の記憶、手を包んでいた温もりを思い出しながら、ルークは唇を小さく動かす。
その唇から零れた名前は一人の少女の名前で、けれど声は小さすぎて音にならなかった。
もう一度、どこか縋るように名前を呼び、そして口元を歪めてポツリと落とす。
「これ以上イカレちまったら、その時は」
凛とした、青い瞳を思い浮かべる。
生真面目で意志の強い瞳だ。
「……お前は俺を殺してくれる?」
強がりの上手いお前なら、常に兵の模範たろうとするその沈着さで、狂った俺を心揺らさずその手で止めてくれるだろうか。
* * *
噴水。町中を流れる水音。水上の帝都■■■■■■。風の囁き。飛んでゆく雲は途切れ途切れ。誰かと笑う誰か。後姿を遠目に見て、目をこらす。見たことがある気がする。あの二人を知っている? どうしてだろう。知らないのに、知っている気がした。声がする。歌をねだった彼に、隣に座る少女が何事かを言っている。
風が吹く。
一瞬だけ、その二人の横顔が見えた気がした。
「……?」
見えているはずなのに、その姿が見えない。■くなった■色の髪と、■の瞳。その青年の隣で笑う、■い瞳と■色の長い髪の少女。二人が話しているということは分かる。分かっているのだから、二人の声を聞いているはずなのにその声を記憶できない。音が記憶できない。色が記憶できない。二人の姿を認識できない。わからない。
ただ、二人が何かを話していることだけは分かった。何の話をしているのか。近付こうとして、何かに腕を強く引かれた。振り返り、目を見開く。二人に近付こうとする己を止めようとしたその人物を見て、彼の表情は険しくなる。
彼自身の赤い髪よりも明るい色の長髪。眼帯に片方が隠された翡翠の緑。
「――――やめておけ」
「てめえは……っ」
「勝手にあれこれ覗いていいもんじゃない」
俺も、お前も、所詮はこの世界では部外者でしかないんだから。自分とよく似た顔を持つ彼は、静かに呟き瞼を伏せた。これ以上あの二人を見ないように、とでも思っているのだろう。
……訳が解らない。
「しかしまさかお前が『ここ』に来るとはな。俺とお前なら分かるが……いや、完全に開きはしなくても、引っかかりあって一応繋がってはいる。だからこそ、か」
訳が解らない。
「検査結果を見るまでも無いということだな。くそ、時間がない」
ここはどこだ。アレは誰だ。
「……まあいい。とにかくこれは覚めれば忘れろ。ここは、あの世界の二人だけの記憶だ。俺たちが覗き込んで勝手に覚えてていいもんじゃない」
お前は何を言っている。
「夢を見たことは覚えていても、何の夢かは忘れてしまう。オリジナルルーク。こっちは俺が全部丸く納めてやるから忘れとけ」
「てめえ……」
「■■■の記憶は■■■だけのものだ。俺はあの時覗いてしまったが……だからと言って、お前も良いんじゃねえかとは言えないな」
「てめえは何を知っている……?」
「覚めれば忘れる」
彼の言葉は宛ら呪縛のように。
「いいな、忘れるんだ」
「――――――っんの、レプリカぁ!」
「うわあ、何!?」
ギョッとした声が聞こえて、アッシュはゆっくりと瞬きをした。辺りを見回せば、見慣れた野宿の景色。こちらを見ながらなにか危ないものでも見るような目つきのアニスに、アッシュは眉間に皺を寄せる。
「何をじろじろ見てやがる」
「いやじろじろって。っていうかぁー、突然叫んで飛び起きるとかさー。アッシュってば、いったいどんな夢みてたの、もー……起こそうとしたら急に奇声を上げるんだもん。あー、ちょービックリしたぁ、ほんとに……」
「奇声だと?」
「そうそう。パプリカ……あー、いやでもアッシュだしレプリカって言ったのかな。何アッシュ、ナタリアじゃなくてルークの夢でも見てたわけ?」
「夢……?」
からかう口調のアニスの言葉に、普段なら機嫌悪そうに眉間に皺を寄せるものを、アッシュはふと難しい顔になり考え込む。ゆめをみていた。それは、はっきりと覚えている。何かを見ていた。誰かを見ていた。覚えているのに、思い出せない。
眉間にとんでもない量の皺を寄せ真剣に考え出したアッシュを見て、アニスはおや? と怪訝な表情をする。てっきり何を言ってやがる! と怒鳴り散らすと思っていたのだが、苛苛してはいるようだがすぐ近くで自分をうかがっているアニスのことも気にしていない。
……アニスの存在を綺麗さっぱり脳内からはじき出しでもしているのだろうか。こやつ。本気で脳内構成ナタリアと国とヴァンとルークしかないのではないだろうか。
「雲と、空と……風? いや、水?」
「うは。なんていうか、そういうとこ、アッシュってばルークに似てるよね」
「なんだと? オイコラ、なんてこと言ってやがるテメぇ。俺をあんな」
「あんな屑と一緒にするな、って? はぁ……ルークもなんかぶっ飛んじゃったけど、アッシュが言うほど屑じゃないと思うけどねー」
そう言って、パンパンと膝をたたいてアニスは立ち上がる。そろそろ日が昇る時刻だ。もうケセドニアまで目と鼻の先、出来るならばもうこれ以上どこの兵とも争いをしたくない一行は、視界が確保できるようになればいつでも出れるようにと準備をしていた。
朝食をとればすぐにでも出る準備を皆していて、本日の朝食当番だったアニスはアッシュを呼びに来ていたのだが……珍しく寝過ごしているらしいアッシュを起こそうとしてあの状況になったのだ。ガイの前でルークの名前を出せば途端に誰かさんと誰かさんが険悪になるものだから、アニスがルークの名を出すのはイオンやジェイドの前でだけか、もしくはこういうときくらいしかない。
ちらりと横目でアッシュを見れば、いかにも不機嫌そうな表情で嫌そうな顔をしている。
「なんかぁ、ルークも時々飛び起きて……そのくせ夢見てたことは覚えてたのに、なんの夢見てたっけー、なんて素で言ってたことが何回かあったし。実はアッシュとルークって似てないけど似てるんじゃないの?」
「なんだと……」
「あーもー、ちょっと思ったこと言ってみただけじゃん、そんな怖い顔しなでよー……あーあ、眉間のしわが消えなくなるとナタリアに振られるよ?」
「双牙斬!」
「はぅあ、マジ切れ!?」
あーもう、アッシュってば冗談通じないんだから月夜ばかりと……もごもご、ニンジン料理楽しみにしといてよね! あ、それと朝食できてるからさっさと食べろよコノヤロー。今からでもタコをトッピングに……
ぶつぶつぼやき微妙に途中で黒い言葉を吐きつつ、アニスは去っていく。その背を見送り、アッシュはふんと鼻を鳴らしこれからの進行方向を見据える。
夢を見ていた。それは覚えいているが、内容を綺麗さっぱり忘れてしまった。妙に印象深い夢の気がしたのだが……しかし、忘れてしまったのなら覚える必要がなかったということなのだろう。
気分を入れ替える。ほかの事に気をとられていては、戦場を突っ切るという無茶をしているさなかでは簡単に命取りになってしまう。恐らくは今日中にでも着くだろう。
ケセドニアまで、あとわずか。
* * *
行軍は遅れに遅れていた。一日分の誤差。まだこれだけですんでいるだけで助かっているにはいるのだが、しかし食料の問題がそうはいかない。既に五日目の朝の時分で、四日分の食料は尽きている。
五日目の昼。ケセドニアまであとわずか、目と鼻の先、そこまで行ければどうにでもなる。しかし昼の分はもう無い。いくらアーチャーが無駄などない節約料理を行ったとしても、ずっと歩き通しの男ばかりの行軍では食料の節約もあったものではない。それでもここまでも足せたのはアーチャーの野営料理の腕故だが、そんなことは知ったことではないという住民の反発は強くなっていた。
「いい加減にしろ! もうくたくたで食事もでない、これでもまだ歩けってのか!」
「お前たちが残っても投降しても危険だというから着いてきたんだぞ! ちゃんとしてくれなきゃ困るじゃないか!」
「森の中を歩いているから速度が遅い? なら、森の中を歩かなきゃいいだろう! 街道を歩けばもっと早くいけたんじゃないのか!」
「そうだそうだ、食事が出ないならせめて休憩だけでも入れやがれ!」
口々に言い募り、すごい剣幕でこちらに詰め寄る住民に対してルークは渋い顔をする。
「それはできない。いいか、俺たちは散々ここに伏せいているオラクル兵を斬り捨ててきて、いい加減に音信普通になった部隊に対する捜索班が出ているはずだ。ゆっくりとしていたらそいつらに追いつかれる可能性があるし、それに近くで街道沿いにキムラスカ軍とマルクト軍が対峙している。わざわざのこのこ戦場のど真ん中を横断するなど正気の沙汰では無いし、そんな死にたがりな行動などできない。俺はまだ死にたくない」
「しかし俺たちもいい加減にくたくたなんだ! 休憩を……!」
「だから、せめてここからあと一時間も歩いたらすぐにでも休憩を入れる。しかし今は場所が悪すぎる。離れるべきだ」
「だが……」
「くどい。五人十人のわがままで、他の何十何百もの人間を危険にさらすわけにはいかない。一時間後に、少し長めに休憩は取る。それまで辛抱しろ」
ルークは駄々をこねる子どもに何度も言い聞かせる心境で、いい加減にうんざりしていた。今日の起き抜けに先行するにしては顔色が悪すぎるとアーチャーに言われ、無理やり役目を代わられたのだ。視力が良すぎるほど良いアーチャーに比べれば確かに精度は落ちるが、それでもできないことは無いし、それに既に危険地域は大方抜けている。
あと注意するのは、キムラスカとマルクトのぶつかり合いによって生まれた敗残兵がこちらの森に飛び込んでくるかどうかで、それならまだ視力が必須と言う訳ではない。そう言うわけでアーチャーの代わりに空から戦況を眺めていて、しかし長時間空にいると風に当たり続けることと上空の温度に体が冷えては体力を消耗する。
人外アーチャーとは違い、ルークの能力カテゴリはばっちり人並みなのだ。体力がない状態で体温も低下していては、するはずのないミスを犯してしまうかもしれない。そのため、時折地上に降りては五分ほど小休憩を挟みまた空へと昇っていたのだが、降りた時期が悪く鬱憤が溜まっていた住民達の抗議を受ける羽目になってしまった。
「だがそう言うおまえ自身はちょくちょく休憩してんじゃねえのか」
「そうだ、しかも歩きもしないでずっと魔物の背に乗ってるだろう」
「ひとには厳しく自分に甘くだなんざ反吐が出るな!」
ごうごうと巻き起こる非難に、これではルークでなくともうんざりするだろう。そこまで言うならお前が魔物の背に乗って空の旅をして来いと言いそうになって、それをルークはすんでのところで押さえ込む。馬鹿なことを言ってはならない。魔物は人間に対して決して慣れない。
ただアリエッタのお願いを聞いてこちらの言い分を聞き入れてくれているだけで、それでも魔物だから己よりも上位の強者にしか基本的に従わないのだ。村人を背に乗せればそれこそ弱者が己を踏むなどふざけるなと大暴れするだろう。余計なことは言わないが吉だ。
「一時間に五分の休憩はグリフィンの背に乗り空中から戦況把握する為の必須休憩だ。飼いならされた騎兵様の魔物意外は、手綱を付けられることを嫌がる。野生出身の魔物なら尚更が。よって、命綱も付けられない。そんな状況で上空に上るには休憩が必要だ。だから取っている」
「しかし、昨日までの……あの背の高い強面の兄ちゃんは休憩なんて取ってなかったぞ!」
「俺をあんな人外の体力レベルと一緒にするな」
「じゃあ何で今日はお前が魔物の背に乗ってるんだ!」
「先行では大方オラクル兵と斬りあう。今朝方、俺が起きたときの顔色がやたらに悪かったから心配したエミヤが交代だと言い張ったんだ。……空中視察で大方危険水準以上の場所は渡りきったからな」
「危険じゃないなら休憩くらい……」
「とんでもなく危険な場所はなんとか過ぎたが、それでも戦場に近い場所を通っているだけ危険は常にある。ここまでくればもう大丈夫など、慢心だ。痛い目を見ることになる」
ルークはいい加減に苛苛していた。既に地上に降りてから十分、ずっと捕まっている。そしてその間立ち止まり続けているのだ。これがまだ歩きながらならここまで苛立ちはしないのだが、ルークがすたすた歩いていこうとすればこれ見よがしに座り込んで勝手に休もうとするのだ。
いや、ブチブチ文句を言いながらそのあいだだけでも休んでしまおうという、こちらに言いがかりをつけている一部の策略なのかもしれないが。
……今まで先行では散々殺し合いをしてきたが、後方の住民達には危険も特にないままここまできてしまった。変な安心感を持たせすぎたのかもしれない。積もる不満と、それでもどうにかしてくれるだろうという全く持ってありがたくない変な期待とが重なってしまったが故の弊害だ。
何かあってもこいつがどうにかしてくれる、などとんでもない他力本願だ。何かが起こってしまう前に、自分達で動こうとしてくれなくてはこちらとて守りきれるわけもないのに。
「いい加減にしてくれ。もう十分近く話し込んで足が止まっている。これ以上は他のやつ等と離れすぎる。ただでさえ綱渡りの住民移動が前後に分かれるなど馬鹿のすることだ。それに俺には守りのすべは無い。譜歌を歌えるのはあいつだけなんだから、離れるのは危険だ。もう行くぞ」
「ああ? 危険だって分かりきってるのに移動してくれって言ってきたのはそっちだろ?」
「そうだそうだ、お前らの生活費は俺らの金からでてるんだろうが。なら、危なくなったら俺らを命はって守るのがお前の仕事だろう!」
「…あんたら勘違いしてるようだから言うが、俺はマルクトの軍人じゃないぞ。というか、軍服着てないだろう」
「そりゃ分かってるさ! だが、あんたは初めからずっと教団の軍人の姉ちゃんと一緒にいたな。ならあんたも教団の人間なんだろう? 教団の金は俺たちの寄付でまかなってるんだ、払ってる分の金分働けってんだ!」
「………………」
さて、ここで俺はダアトの人間でも教団の人間気もないというのは簡単だが。では、じゃあお前はまさかキムラスカの人間なのかと悟られてはもっと面倒になりそうだ。そもそも、たしかにローレライ教団の財源は信者達からの寄付だが、それはあくまでも寄付で義務の納税ではない。
それでも金を納めているのは信者達の自由なのだから、金を払ってやってるんだからいざとなったら命をかけても守れなどと少し違うのではないだろうか。それとも、義務でもなく己の意思で払っているという意思があるからこその物言いなのか。
どちらにしろ、教団ともマルクトとも関係のない、むしろキムラスカのしかも王室関係者であるルークにはまるで意味のない言いがかりでしかない。しかも随分と低レベルの言いがかりだ。
痛みを訴える頭を抑えて溜息を吐けば、いかにも呆れているという動作に反抗心がむくむくとわきあがってきたのか、ここで駄々を捏ねている住人達が一層騒ぎ立てる。
「……ここで騒ぎを起こしていては下手をすればキムラスカ兵に見つかるぞ。静かにしろ」
「何言ってんだ! こんなとこまでキムラスカ兵なんか来るもんか!」
「そうだそうだ、お前たちが来ないって言ったから森の中なんてわざわざ悪路を通ってるんだろう!」
「違う。街道や平原をぞろぞろ歩くよりは兵の目に付かないから、だ。見つからないとは言っていないし、危険がないとも言った覚えは無い」
「言葉遊びをしてるわけじゃねえんだよ!」
「だから―――」
ふと、ルークの感覚が何かを捕らえた。それはほとんど勘と言ってもいいもので、咄嗟にルークは目の前に居た何人かをまとめて突き飛ばす。時分よりもいくらかがたいのいい大の大人だが、戦闘をするために鍛えているルークの突き飛ばしはなかなか威力が大きかったようで、悲鳴を上げながら後ろの何人かを巻き添えにして転げる。
何をするんだと怒り狂って声を上げる前に、ルークの鋭い声が響いた。
「他のヤツラも伏せろ!」
その言葉が終わったか終わらないかの時間差で、ごう、と一箇所からすごい勢いで炎が噴出された。ルークが突き飛ばしたおかげで被害は少なかったが、何が何やらわからないまま炎に撒かれたものが一人二人いて、悲鳴を上げて地面をのた打ち回っている。
周りの住民の一部が大慌てで地面の砂を書けたり服をばたばた打ち付けて火を消そうとしているが、譜術をまぜた特殊な譜業兵器から出された炎はなかなかしぶとく消えずらい。
やがて肉の焼ける匂いが充満し、村人の悲鳴は一層酷くなる。
「がああああああああああ、あああああ! …………っ! が、アアアアアアア!」
「おい!」「何だ!」「どうなってんだよ!?」「ひいいい!」
めいめいに騒ぎ酷い混乱状態の村人達を見て、舌打ちをする。一番近いティアを呼ぶべきだろうか? いや、ここに兵がいるということは、もしかしたらあちらのほうにもいくらか兵が行っているかもしれない。可能性は低いが、ないとは言い切れない。そしてあちらにはここにいる住民の何倍もの人間がいるのだ、そこを離れさせるわけにはいかない。
ならばとグリフィンにアーチャーを連れてきてくれるようにと念じる。ミュウから借り受けたソーサラーリングのおかげで、ぎりぎり意思の疎通はできるようになっている。一声上げてグリフィンが飛んでいくのを見送るまでもなく、今にも蜘蛛の子を散らすように走り逃げそうな住民達を一喝する。
「騒ぐな、喚くな、死にたくなければ大人しくしろ!」
逃げ惑う住民に刃を下ろそうとしていたキムラスカ兵に剣を向けて、思い切り奮う。ずぐん、と嫌な音がしてその兵の首と胴体が離れてとんだ。同じくすばやい動作で二人ほどを斬り捨てる。……余計な殺しだ。ここで住民たちが駄々を捏ねて騒がなければ殺さずにすんでいたかもしれないものを。
キムラスカ兵の血を頭から浴びながら、じろりと住民を睨みつければひいっと息を飲む住人たち。バケモノ、ヒトゴロシ。音もなく動いた唇に、知ったことじゃないと吐き捨てる。
「怪我人を背負ってさっさとあいつらのところへ合流しろ」
命をかけて守れといった。今の状況で守れというのは、つまりは守るために襲ってきた相手を殺してでも自分を守れということだろうに、それを理解もせずに言っていたのか。
何が人殺しだ。あちらは殺すのはよくてこちらは駄目だとでも言いたいのか。それでもルークにはまだ叶えるまで死ねない願いがあるのだ。それを叶えるまでなら、顔を知らない誰かの泣き顔をどれだけ築いても死ぬわけにはいかない。
ふと、どこかで似た物言いを思い出す。タルタロス。グレンとその従者の言葉にずっと迷い、そして決意をしたときのことを思い出してなんとなく、遠いな、と思った。あの頃に比べると、随分と遠い場所にまで来てしまった気がする。
今までここまで悲惨な殺し合いを見たことのなかった住民達の思考回路は、もしかしたらいつかのルークの思考に似ていないこともないかもしれない。
いつかのルークも、目の前で殺されていく人間を見るのは気分が悪かった。ルークの代わりにひとを殺したグレンやアーチャーをバケモノ、ヒトゴロシだとは思いはしなかった部分だけは村人達とは違っているだろうが。
「いつまでほうけている……さっさと動け、死にたいのか!」
ルークの本気の怒声に、住民達は顔を恐怖に歪めて逃げていく。それでも同じ村の住人同士という繋がりはある分、何とか炎に撒かれていた住民を連れて行っているだけマシなのかもしれない。しかし。
十中八九、あの二人はもう無理だろう。生き残ったとしても全身に酷い火傷の跡が残り、そして何かしら障害が残るかもしれない。自業自得といえば自業自得だったかもしれないが、それでもルークが住民の喉下にそれこそ剣を突きつけてさっさと歩けとでも脅しかけるまでしていれば―――
「いや、そこまですれば逆に反抗が酷くなっていただけか……」
最後の一日だったというのに、本当に上手く行かない。せっかく今まで被害を0にしていたというのに。本当に最後の最後でドジを踏む。溜息と後悔は一瞬、後は戦場には不要だ。意識を研ぎ澄ませて、剣を握る。
ごう、と再び襲ってきた炎を飛んで避け、その炎の出所に一瞬で近付き譜業機械を背負っていたキムラスカ兵を一刀の下に斬り伏せた。
そしてそのキムラスカ兵が背負っていた火炎装置を上空に蹴り上げて、近くで倒れていたキムラスカ兵の剣を引っつかんでその装置に投げつける。
がきん、とぶつかり合う音の後剣は機械を突き刺し、低めの上空で小規模な爆音が鳴り響いた。
「何事だ!?」
がしゃんがしゃんと具足の音を響かせてキムラスカ兵が集まってくる。集まってくる方向的に、やはりティアたちが進んでいるはずの方向からも着ていることを確認して彼女を呼ばずに正解だったとほっとした。
しかし、空中から見下ろした時に近くに兵の姿は見えなかったのだが、ほんの十分二十分の間にどうも戦況と言うのはなかなか大胆に変わるものらしい。油断をしていたつもりは無いが、それでもやはり慣れのようなものがでてきてしまっていたのだろうか。
剣を握りなおし、一気に駆ける。一刀ごとに兵を斬り捨て死を撒き散らすそのさまは美しくも凄惨だ。吹き上がる赫、それを作り出す刃と翻る朱。
オリジナルのような髪の色をするルークが大勢を相手取って孤軍奮闘していると、ルークを狙っていたキムラスカ兵が一気に四人ほど、突然倒れこむ。その後頭部に矢が突き刺さっていて、その角度から上空からの援護だと把握し一瞬だけ空を仰ぐ。
やはりそこにいたのは想像通りだ。
「戯けが小僧、無事か!?」
「おせーんだよ、ったく」
この状況でルークの名を出さないでいてくれたことに地味に感謝しつつ、ひらりとグリフィンの背から飛び降りてきたアーチャーと背中合わせになって一つ息を吐く。
「悪るいな、馬鹿やった。どうせ四日五日だからって住民の反感をそのままにしてた俺のミスだ」
「いや、私もいくら誰かに反感を持っていたからと言っても、まさか住民がこんな馬鹿をやるとは思ってもいなかったからな……」
「スコアをちょっと突っついただけで住民の反応はコレか。面倒くさいもんだ」
「中毒ではなくとも依存度はそれなりだ。世界全体が、だ。難儀なものさ」
「……ところでエミヤ、これ何人くらい居る?」
「一個中隊……三小隊は無いな、二小隊ほどか。約六十名前後……ふん、編成から見るにマルクトの右翼を狙ってこっそり移動していたのだろうよ。私達は森を川沿いに、こやつ等は森を平原沿いに、と言ったところか」
「……最後の最後で、運が悪い」
「気配もなく突然かち合わせよりはマシだろう」
「そうだな」
アーチャーが双剣を握り締め気配を鋭くするのを感じて、ルークも改めて頭を切り替える。生き残る為の道に迷うな。一瞬の躊躇いも、命取りとなる。キムラスカ兵はこちらを警戒し剣をつきつけながらも、突然入ってきたアーチャーのいでたちにただならぬものを感じているのだろう、撤退の動きも見せている。
さて、今の現状で撤退を見逃すのは吉か凶か。恐らくはあと一日でケセドニアには着くだろうが……いや、見逃したい、など甘えに過ぎない。この状況を招いていしまったのは慣れからでた油断からだ。
「私が四十人ほどを請け負う。そちらも二十人ほどはどうにかしてくれ」
「了解。頼りにしてるぜ、あいつの最強の相棒さんよ」
「いわれるまでもない」
突然戦場に乱入してきた赤い外套の男は、先ほどのルークよりもさらに絶望的な死を撒き散らしていく。
緑の豊かな森の一角が赤に染まるまで、それほど時間はかからなかった。
ケセドニアまで、あとわずか。