エミヤに繋がった後、グレンは手をひらひらとさせ、追い払うような仕草をしてみんなの退室を促した。
これからあいつが何をしようとしてるかなんて想像がつかない。だからそれを会話から少しでも察そうとしていたらしいジェイドはすっと目を細めるが、まあ仕方ありませんねとか呟きながら出て行く。
ティアの後ろについて出て行って、扉を閉めようとしたらジェイドに止められた。……って、おい! それ約束破りなんじゃねえのかよ! あいつは話をきかれたくねえから俺らを出そうとしたんじゃねえのかよ!
微妙に開けられたままの扉の隙間につっこみを入れたかったのだが、なんだかヨクワカラン笑顔の圧力にぐっとたじろぐ。畜生、やっぱコイツムカつく。
少しだけ開かれた扉の隙間から聞こえるグレンの声はぼそぼそとしていてひどく途切れ途切れだ。俺にはさっぱり意味が解らんが、この陰険眼鏡やもしかしたら冷血女も、俺よりは聞き取れているんだろうか。譜術師ってのは音素だの音だのに敏感で……耳がいい? みたいなことを昔ガイあたりから聞いた気がする。
そんなことをつらつらと考えていたら、ふと、妙に静かで通りのいい、力強い声だけが完璧に聞き取れた。グレンは自分の従者の名前を呼び、少し間をとったあと、
「命令だ―――敵を討て、『アーチャー』」
数秒の後、心臓が止まるかのような凄まじい爆音にタルタロス自体が揺らぐような衝撃が襲ってきた。
驚いて窓の方向へと目を向ければ、前衛と中央がごっそり抜けて、左翼、右翼、後衛が申し訳程度に空に浮いている、そんな様子が見て取れた。
「オイオイオイ、一体なんだーっつーんだ?!」
訳がわからず呆然とぼやくが、冷静そうに見える二人も案外同じような思いだったようだ。
ルークはポカンと口をあけながら窓の外を見ていて―――どん、どん、と。不意に何かを叩くような音が室内から聞こえ、すごい勢いで嫌な予感が背筋を滑り降りた。
閉じてもいないので、そのまま扉を思い切り殴り飛ばすような勢いで開け放つ。
どうかしたかと口を開こうとしたのだが、ルークの目の前で壁に叩きつけられていたグレンの右手はずるずると壁伝いに力なく落ちて行き、そしてそのまま身体中から力が抜けてしまったかのように、グレンは倒れこんだ。
「……っ、おい?! グレン!!」
一度感じたことのある感覚が襲ってくる。できればもう二度と味わいたくない感覚だったのだが、一度味わっていたおかげかあのときのようにすぐに倒れこむということだけはしなくて済んだ。それに、この感覚が来たということは彼が自分の願いを聞いてくれたということだ、と少しほっとする。
ほっとして、小さく笑えたのもそこまでだ。
グレンの体の急速に進む音素乖離という現象は、まずはじめにすべての感覚が遠くなるという症状が表れる。音素と元素の結合が普通の症状よりもよほど早く乖離し始め、それまで機能していたはずの体の機能がうまく回らなくなるせいだ。
まず先に遠ざかるのは視界。ぼんやりと輪郭を見て取れなくなって、色ばかりがめちゃくちゃに混ざって、やがて何かに強く目を押し付けていたときのように世界中に青だの黒だのの影がかかってよく見えなくなってくる。目を閉じても目を開けていても同じ景色だなんて全く馬鹿げてる。必死になって何度も瞬きをするのだが、何の改善もされない。
次に閉じていくのは聴覚だ。周り中の騒音が遠くなり、音の意味が理解できなくなる。音が鳴っていることは分かっても、その音が何を意味しているのかが理解する情報の伝達部分がイカレてしまったかのようになってしまうのだ。
どんどんどんどん、煩い。何の音だ? 自分の内側から響く音だけがやたらに大きく響いて頭が痛い。中から規則的に響く……ああ、そうか、これはもしかして、自分の心臓の音、か? やけに鼓膜に響く。煩い。うるさい、うるさい、うるさい。ああ、これが心臓の音でないのならいっそ止めてしまうのに。
そして最後になくなるのは触覚。そしてこれが一番困る。緩々ゆるゆると上から感覚が抜けていく。目を開けているのか閉じているのかの感覚が喪われて、歯を食いしばっていた感覚が抜けて、そして手の感覚が抜ける。やがて足の裏に感じる床の感触さえも分からなくなるのだ。
これだけは何とか時間稼ぎをしなければと必死に残った感覚を総動員して手を握り、壁に叩きつける。壁に叩きつける―――壁に叩きつけているはずなのに、おそかったのか、触覚を喪った体には既に痛覚もない。壁に当たっている触感もない。解らない。いや、そもそも本当に腕を動かせているのか? 壁の冷たさも感じない。
立っている感覚さえも覚束なくなって、足の裏に感じる床の感触はもはや疾うにない。それでも何とか立っていたのだがやがて体から力が抜ける。それでも壁に寄りかかって立っている、と思っていたのだがどうやらそうではなかったようだ。
体中に力が入ってないことだけはなんとなく分かって、このざまでは恐らく思い切り倒れこんでいるのだろうと思う。もう、喉が動いて息をしている感覚すらもない。
重力、が。その向きが変わった気がする。解らない。音?
「 !」
音がする。何かが鳴っている。
「 ! ! ?!」
視界が色を拾う。拾った情報を脳が処理してくれない。これは何色だっただろう。分からなくて、一生懸命考えようとするのだけれど思考がゆるゆると止まっていく。色がなくなる。ああ違う、目を閉じてしまったのか。いや、先刻までは目を開けれていたのか、そっちのほうがすごいな。
音がする。
なんだか必死そうな音だ。
考えるでもなく、そんな言葉が思い浮かぶのだが―――その言葉の意味を思いだせずに、意識が遠ざかる。
「グレン?! おい、どうしたんだよ! グレン!!」
何かが倒れたような音のあと、尋常ではない様子のルークの声が聞こえてきて我に帰ったジェイドとティアは慌てて室内へと入る。そうすれば、そこにいるのは死んだようにピクリとも動かない彼とその体を起こして必死に揺すっているルークの姿。
「ルーク、何があったのですか?」
「しらねえよ! 壁叩いてたと思ったら急にずるずる倒れこんじまったんだ、わけわかんねえよ!」
「私が回復譜術をかけて、」
「いや、それは必要ない」
聞こえた声に三人ともが振り返ると、今倒れている当人の従者が丁度こちらに近付いてくるところだった。
「……どういうことですか?」
「回復譜術でどうこうなるものではないのだよ、『コレ』は」
言いながらアーチャーはルークにグレンを床に寝かせるように指示し、傍らに膝をつき、心臓の上に手をおく。
「――――同調、開始(トレース・オン)」
そんな言葉を彼が呟いたと同時に、グレンの体を一瞬燐光が包み―――ほんの一瞬だけ、ルークはグレンの体が透けたような気がして息を呑んだ。それを見ていたのはルークだけではない。ティアも驚いたように目を見張り、ジェイドはひどく厳しい目をする。
「ライン接続確認、流動確認完了。逆流開始…………ふう、なんとか間に合ったようだ」
「お、おい!」
「あんずるな、小僧。……グレンは死なん」
「でも……でもさっき、確かにコイツの体が!」
「なに、もともと音素乖離しやすい体質でね、我が主は。そのくせとんだ無茶をするのだから従者は苦労する。……まあ安心しろ、もう一度言うが死にはしない。一度乖離した音素をもう一度つなげることは流石にできんが、それ以上乖離するのを止めるだけは可能だからな……グレン限定だが」
「無茶、と言うのは先ほどの大爆撃ですか?」
「ああ、そうだ。もはや相棒として頼まれても主人として命令されても、二度と従うつもりはないがね」
「音素乖離、といいましたね。……それをあなたはどうやって」
「グレンが言ったのではないかね、大佐殿。詮索は却下だ」
「そうですか……では、私のコレは独り言なのですが。あなたは世界に満ちた第七音素を、どうしてか呼吸で取り込むだけで体を組成する第七音素に変換できて、これまたどうしてかそれを彼にそそげるようですが……あなたは、一体なにものです?」
「やれやれ、独り言だといったその口で何を言うかと思えば……私はエミヤ、グレンの従者だ。それ以上でもそれ以下でもなにものでもない」
「………………」
空気がしんと冷え込む。ぬくもりのない赤い瞳を、アーチャーは灰色の瞳で真っ向から見返す。その表情は凪いでいる。やがてジェイドははあと溜息をつき、まあいいでしょうと呟きながら追求を打ち切った。そしてそのまま伝声管にむかう。
「ブリッジ、現在状況は!」
『原因不明の大爆発により敵前衛、中軍ほぼ壊滅、敵戦力六割減! 辛うじて左翼、右翼、が残るのみと後方へ控えていた後詰めが無傷なだけです……恐らくは先の爆発をこちらの攻撃と認識したようで、引いているようです!』
「そうか……残存兵力終結後、転進してくる可能性もある。対空砲火は常に準備しておくように。また完全に引くまではレーダーで常に敵位置を捕捉しておけ」
『はっ! 承知しました!』
「さて、ひとまずはどうにかなったようですが……また次があると厄介ですね」
ふむ、とジェイドが顎に指をかけ何事かを考え込んでいると、大佐大佐大佐大佐~と、扉の向こうで聞き覚えのある声がした。
「大佐~、って、ああ! ここにいた! 大佐ぁー、なんなんですかあれ! どんだけすごい爆弾積んでるんですかこの陸艦! も、すっごいビックリしたんですけど?!」
「おやアニス。イオン様は見つけられましたか?」
「あったりまえですよぅ。ほらイオン様、入っちゃってください」
「ジェイド、先ほどの爆撃は一体……」
「いえ、アレはこちらの攻撃ではなく」
と話を振るだけ振っておいて何も言わない。そのためジェイドの視線を追ってこちらを向くアニスとイオンに、アーチャーはしぶしぶ口を開く。
「ああ、確かにさっきのアレは私個人の戦闘技術だ」
「うげ、個人?! なんつー凶悪な」
つい素が出てしまった後ですぐそこにルークがいることに気づき、アニスははっとして「きゃわーん、恐かったですぅ、ルーク様~」などと抱きついている。そして抱きつくというかむしろタックルするような感じでルークの横腹に飛びついたアニスの勢いに、ルークはぐおっ、といいながらバランスを崩している。
なんともにぎやかなことだ。
「エミヤ殿、さきほどのは、貴方が? ……それと、グレンは気を失っているのですか? 一体……」
「ああ。確かに先ほどの爆発は私がやった。だが、それは残念ながら企業秘密でね、詳しくは言えんのだ。グレンのことなら心配するな、命に別状はない。それよりも、先に確認せねばならないことがあるのだが―――導師イオン」
「……なんでしょうか」
「襲ってきたものに、オラクル兵の格好をしていたものがいたのだが……何か心当たりは?」
その言葉に納得が言ったように溜息を付いたのがジェイド、苦い顔をしたのがアニス、申し訳なさそうに目を伏せたのがイオンだ。
ジェイドはやれやれといわんばかりに首を振って、眼鏡に指を当てている。
「……なるほど、オラクル兵ですか」
「イオン様、それってもしかして……」
「はい……恐らくはモースでしょう。モースは戦争が起きるのを望んでいますから。僕はマルクト軍の力を借りて、モースの軟禁から逃げ出してきました。だから、ルーク。貴方が聞いた誘拐というのも、恐らくはここからきているんだと思います」
「待ってください、導師イオン! それは何かの間違いです。大詠師モースがそんなことを望んでいるはずがありません! モース様はスコアの成就だけを祈っておられます」
「えぇー、ティアさんは大詠師派だったんですね。ショックですぅ……」
思わず声を荒げて反論をしたティアの言葉を聞いて、アニスはがっかりしたような声をだす。するとティアは僅かにうろたえ、しかし首を振り、静かに答えた。
「私は中立よ。それに……誰かが戦争を起こそうとしていると言うのなら、それは兄よ」
「はぁ? お前、なに言ってんだよ」
目を伏せて小さな声で紡がれた言葉に、モースって誰だ、後でグレンにでも聞くか? と一人わからなさそうに首を傾げていたルークのほうが今度は聞き捨てなら無いと反応する。やれやれこれはまた喧嘩が始まるか、長くなりそうだとアーチャーが溜息をつきそうになったとき、うめき声のようなものが聞こえてきて、慌てて主に視線を戻した。
そして上半身を助け起こし、壁に背を預けて座らせる。そうすればしばらくして閉じられていた瞼が震え、ぼんやりと、まだ焦点が合ってなさそうな緑の瞳がゆっくりと開かれた。
「んんー、うわ……体に力はいんねぇやこれ」
「グレン! おい、もう大丈夫なのか?」
心配そうに近寄ってくるルークに頷き、あたりの状況を把握しようとして、
「ほう、やっと起きたかのかね、マスター」
ずごごごごごご、と、そんな擬音語が聞こえてきそうなオーラを背負ったアーチャーを見て固まる。
「あー…その、さっきは悪かったな、エミヤ。だからさ、頼むからさ、生還した主人に向かってその鷹の目で睨み殺さんばかりに視線を突き刺すの、やめてくれねぇ?」
「……全く、私のマスターはいつも無茶をする者ばかりだ」
「ごめんって」
「もう二度と聞けんぞ」
「ああ……そうせざるを得ん状況にならねーように、だろ」
「分かっているのならいい」
「……ああ。で、大佐、状況は?」
「敵兵力は六割減。オラクル兵は退却したようです」
「そうか…………」
グレンは安心したように息をつき、しかしすぐに目を細めた。
「大佐、俺たちの位置は敵に知られてる。オラクル兵が再編成してもっと大勢力で襲ってきちゃ今度こそイオンを取り返されちまうかもしれない」
「そうだな。マスターの言うとおりだ……ここはいっそ、タルタロスにマルクト兵だけを残して私たちは最低少数人数で徒歩でキムラスカを目指した方がよかろう」
「おい、それって」
「ああ……タルタロスには囮になってもらう、と言っている」
「……っ、そんなの」
「……やむをえませんね」
「んだよ、ジェイドまでそんな事言うのかよ!」
「ルーク、イオンはこの和平交渉で絶対に必要な人なんだ……それに、戦争がはじまったらもっとたくさんの人が」
「…………っじゃあ、お前は何のためにそんなになってまでここの人間を助けたんだってんだよ! ろくろく顔もしらねえ人間ばっかだったくせに、お前さっき死にかけてたんじゃねえのかよ!」
「……それは、」
グレンは驚いて目を丸くしてしまう。ルークが怒っているのは、グレンのためだ。命を懸けてまで助けたはずのものをあっさりと囮にするといって、それでは何のために命をかけたのかと怒っている。いや、本当はグレンたちがタルタロスを離れればオラクルの襲撃がないことを承知した上での発言なのだが、そんなこと言えるわけもなく。
それにしても。それにしても、だ。こうまで違うものなのだろうか。本当に、この世界のルークは真人間だ。あのころの自分は、誰かのために怒るなんてことはできなかった。
「……俺は、傲慢だからな」
「っんなの、答えになってねえだろ!」
怒ったルークが大股になってグレンへと近付き、その襟元を締め上げようとした瞬間。はっとしたような顔をして、窓の方向を見たアーチャーは焦ったような声をだした。
「―――いかん、ふせろ!」
『報告、大型の魔物が飛行急速接近中! その後ろにさらに数体続いています、迎撃できません! そちらに近付いています……師団長、お逃げください!!』
伝声管からその声が届き終わる前に、マルクト軍が誇る陸艦タルタロスの一室の窓が凄まじい勢いでぶち破られた。がしゃあんという破壊音と、移動中の風が室内に吹き込んで空気の激流を生んで目を開けているのもつらいくらいだ。窓だけに限らずそれごと周りの外郭がぶち破られる。
それでも必死に目を開ける。見える小さな影。その背を守るように立つ四足歩行の魔物。
「アリエッタの……お友達、たくさん、痛いって…………」
うわぁ、嘘だと言ってくれ。なんでこんなにピンポイントで来るんだろう。こっちはまだまともに動けないというのに。なんだ、まさか魔物に育てられた故の野生の直感ってやつ? グレンはつい遠い目をしたくなる。
「絶対……………………絶っ対に、許さないんだからぁ…………!!」
「って、根暗ッタぁ?! アンタなにしてんのよ!」
「アリエッタ、根暗じゃないもん! アニスの馬鹿ぁ!」
アリエッタの叫びに反応して、彼女の後ろに立っていたライガがアニスのほうへと迫る。狭い部屋の中で距離をとるなど出来るはずもなく、アーチャーが咄嗟に前に出てライガの爪を双剣で受け止めた。
「ちい、とにかくこの娘を外に放り投げろ!」
「エミヤ殿待ってください、彼女は!」
「ここに乗り込んできた飛行の魔物がついているはずだ、死にはせん! 早くやれ!」
「りょーかい! イオン様は下がっててください!」
近くに居たジェイドとティアがイオンを庇うように前に出る。アリエッタへ一番近かったアニスが駆けていく様子を見て、ライガが動こうとするのをアーチャーがおし留める。不機嫌そうな唸り声が聞こえても、顔色一つ変えようともしない。なんせ彼はそのクイーンの怒りの咆哮を聞いたこともあるのだから。
そうしてアニスがアリエッタを突き飛ばそうとした瞬間。
「だから一人でつっこむな、と言っただろう。アリエッタ」
「ふぇ?」
突然アリエッタの後方へ降ってきた大柄な影がアリエッタを脇へと移動させ、そのまま止まれなかったアニスの腕を掴んで―――そのまま開けられた大穴から放り投げた。
「アニス!」
「っの、ヤローてめぇ……ぶっ殺ーす!!」
あと根暗ッタあんたは絶対いっぺん泣かすぅぅぅぅぅ……と、なんとも怖いことを叫びながらアニスは落ちていった。
「さて」
ラルゴの視線がこちらを向いた瞬間、グレンは咄嗟にルークをティアたちのほうへと突き飛ばしていた。幸いにも咄嗟にしてはちゃんと腕は動いてくれた。なんとか動ける、程度には回復しているようだが、確実に戦闘はまだきついだろう。
いまでさえ、ただ一人を突き飛ばしただけで息が上がりかけているのだから。
「痛ったた……くそ、グレン!」
ルークが叫ぶより先にジェイドは譜術を唱えようとするが、その完成を待つほど相手もお人好しではない。
「おおっと、大人しくしてもらおうか。動くなよ、マルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐。――いや、『死霊使い(ネクロマンサー)ジェイド』」
どすん、とグレン首下に鎌が差し入れられる。まるでいつかの焼き直しだ。成長してないということだろうか、こんな状況だというのに小さく笑いそうになる。対して、彼以外の仲間達は余裕がない、厳しい表情をしている。
伝声管からは魔物の襲撃の報告が飛び交っていて、甲板では戦闘が繰り広げられているようだ。
「『死霊使い(ネクロマンサー)ジェイド』……! あなたが……?」
「これはこれは……私も随分と有名になったものですね」
「戦乱の度に骸を漁るお前の噂、世界にあまねく轟いているようだな」
「あなたほどではありませんよ。オラクル騎士団六神将『黒獅子ラルゴ』」
「さあ、大人しく導師イオンを渡してもらおうか」
「イオン様を渡す訳にはいきませんね」
「おっと! この坊主の首、飛ばされたくなかったら動くなよ」
「チッ……マスター!」
ライガと膠着状態を続けるアーチャーがうめき声に似た声をあげる。そんな彼に対して、口の端だけを釣り上げて笑ってみせる。大丈夫だ、それだけを唇の動きで伝えた。
ラルゴはジェイドを要注意としてみていたから、こちらに意識を向けていない。けれどジェイドやティアやルークたちはこちらに意識を向けていたはずだから、彼の唇が動いて小さく笑っていたのには気づいているはずだ。
「死霊使いジェイド。お前を自由にすると色々と面倒なのでな」
「あなた一人で私を殺せるとでも?」
「お前の譜術を封じればな」
そういって、ラルゴが懐から小さな箱のようなものを取り出す。それをジェイドに投げつけた一瞬、成功に気が緩んだその瞬間。今まさにジェイドに切りかかろうとする、グレンから完全に気がそがれた、その時。
「おっさん、人質取るなら相手を選んだほうがいいぜ」
「何?!」
聞こえてきたふてぶてしい声に目をむいてグレンのほうを向く。そして驚きに目をむいた。いつの間にか彼の手には抜き身の剣が握られていたのだから。ラルゴは咄嗟に動けない。そしてグレンは真っ直ぐにラルゴの目を見ながら、刃を突き出した。
「ま、さか……こんな小僧……コンタミ、ネ……」
「ラルゴ!」
ずぶり、と刃を引き抜き軽く振るうと、床にびちゃりと嫌な音を立てて赤い水滴が飛び散った。そしてすぐにラルゴから離れる。アリエッタの悲鳴に反応して、ライガがその巨体に似合わぬ俊敏な動作でラルゴへ近寄り、器用にその背に彼を乗せた。
「お友達も、ラルゴまで……」
外見の幼さに似合わぬ苛烈な目で睨みつけて、アリエッタもライガの背に乗る。
「絶対、絶対、許さない、です……!」
それだけをはき捨てて、ぶちあけた穴から外へと逃げていった。
本日のボツネタ
「あー…その、さっきは悪かったな、エミヤ。だからさ、頼むからさ、生還した主人に向かってその鷹の目で睨み殺さんばかりに視線を突き刺すの、やめてくれねぇ?」
「よーし分かった、よーく分かった、体の弱いマスターのためにこの従者が腕を奮って健康第一野菜と魚とそのたもろもろ完璧に計算した食事設計を……」
「マテ。それは待て! それ絶対俺の嫌いなものばっかりずくしの料理になるんだろうちょっとまて! ごめんなさいもう無茶言いませんお願いだからそれは待て!」
「にんじん、きのこ、ピーマン、カボチャ、タコ、イカ、サーモン……」
「ごめんなさああああああい! ちょ、本気で待てええええええええ! げほごほごほがふ!」
「ふん、調子の悪いふりをしようとしてもそうは行かんぞ。容赦はなしだ」
「いやほんとうにせきが出たんだよ!」
「それでは特濃ミルク一本のみとどっちがいいのだ」
「だからそのデッドオアデッドはもうやめろ、たのむから!」