あ、こ、こんにちは!私、ヘンリー殿下のメイド長をやらせてもらっているミリーと申します。
私が仕えるヘンリー殿下は、少し変わった所のあるお方ですが(『モエ』っていったい何なんでしょう?)とっても優しい人なんです。その殿下が昨年結婚なされました。お相手はヨーク大公家のキャサリン様。とっても綺麗な方なんです。お二人は出合った時から、それこそ何年も付き合った夫婦のように息が合っているんですよ?
私も結婚したら、あんな夫婦になりたいな~
「・・・ミリー、紅茶はまだか」
*************************************
ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(馬鹿と天才は紙一重)
*************************************
「いやー、王子はお強いですな」
「ははは、たまたまですよ」
ハヴィランド宮殿の一室で、2人の男性がチェス盤を挟んで向かい合っている。
一人はヘンリー・テューダー。アルビオン王国の第2王子だ。昨年末、ヨーク大公家のキャサリン公女と結婚したばかりの新婚ホヤホヤでありながら、頬が緩む様子も、うきうき弾んだ感じもまるでなく、熟年夫婦のような空気を漂わせている-宮廷ではもっぱら話のネタになっているが、噂というのは本人の周りだけを器用によけて広がるものだ。
もう一人は、きれいに禿げ上がった頭を手のひらで撫でながらがっはっはと豪快に笑っている。口を開けて笑うことは卑しいこととされているが、彼に言わせると「笑いに下品も上品もあるか」。
ウィリアム・ぺティ・シェルバーン伯爵。アルビオン王国財務省に勤務する財務官である。まだ40代前半でありながら、頭はツルピカだ。もっともそれはどこかの魔法学院の校長から後継者とみなされる教師とは違い、自分でそり上げたのだが。その理由が「朝髪を弄繰り回す時間があったら、何枚の書類が決済できるか」というワーカーホリック的な理由なのが笑える。
ヘンリーとシェルバーンは、互いにチェス盤から目を離すことはない。その様子は、昼真っから仕事をサボってカフェでふけ込む不良中年にしか見えない。だが、2人が使うチェス盤や駒が、職人が一つ一つ、石から削り出した特注品であることに気づけば、彼らがただの不良中年と暇な学生でないことがわかるだろう。
黒のナイトを持ち上げながら、シェルバーンは口を開く。
「この度、財務卿に昇格する事になりましてな」
内容の重大さに比べ、その声はまるで「紅茶のお変わりを」と頼むような気安さがあった。
現在の財務卿であるウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトン卿が、持病の喘息悪化のため、近日中にも辞職するであろうという事は、衆目が一致するところである。いつの時代も(たとえそれが異世界であっても)人事というのは人の耳目を集める。それが自らの出世や仕事に関わるとなればなおさらだ。ましてや1国の財務卿ともなれば-下は下町の酒場から、上は大公家の当主まで、気にならないわけがない。
後任人事が噂される中で、財務官のシェルバーンも有力候補の一人であった。彼の傍若無人ともいえる言動-特に「10メイル離れていても居場所がわかる」というその特徴的な笑い方に眉をひそめるものは多い。だがその実務能力の高さは、誰もが認めざるを得ない。その彼が実際に財務卿に昇格する人事が内定した事を知るものは、宮廷内でも限られている。
「それはおめでとうございます」
そしてヘンリーは、その数少ない後任人事を知る者の一人であった。当然、その顔には驚きの色などない。妻の様な芝居は、自分には出来ないと開き直っているからでもある。
シェルバーン伯爵は暇ではない。むしろ今が1番忙しい時期だ。任命式の打ち合わせや、前任者であるウィルミントン伯爵から、現在の仕事の進捗状況の説明を受け、財務官の引継ぎ作業etc。だが今ここで第2王子とチェスをする-より正確に言えば、彼の意向を確かめる事は、他の何を差し置いても重要であるとシェルバーンは考えていた。
ウィルミントン伯爵は「この人事はスラックトン宰相の推薦」と言っていたが、宮廷の情勢に疎い老伯爵の話を、そのまま信じるわけには行かない。第一、自分は宰相と直接話した事もないのだ。勘のいい者であれば、スラックトン宰相が(よほど注意していないと気が付かない、些細なものではあったが)これまでの事なかれ主義的な対応とは違った行動をしている事に気がつくはずである。シェルバーンは、その理由がこの第2王子にあると考えている。彼は、宰相の変化は、彼が発案したとされる専売所の設置を前後に起ったと見ていた。
宮廷内の、ヘンリー王子への大方の評価は「ちょっと変わったところのあるお方」。そもそも次の国王になることが確実なジェームズ皇太子と違い、第2王子の言動に注目するものは少ない。第2王子についてあれこれ観察する暇があったら、皇太子の覚えを少しでもよくするほうに努力したほうがいいと考えているのだ。(あの堅物皇太子に、ゴマすりが聞くと未だに考えている時点で、彼らの目のなさがわかる)
財務省の中では第2王子の評価は高い。何せ恒常的に財源不足に悩まされ、目を血走らせながら収支計算に取り組む彼らに、専売制という魔法の様な方法で税収増をもたらしたのだ。最初こそ「王子の道楽」「迷惑極まりない」と酷評に近いものがあっただけに、その反動もあってか、この王子に対して、敬意を通り越し、殆どあこがれの様な気持ちを持つものもいるくらいだ。
シェルバーン自身は王子に対して、一歩引いた姿勢であった。専売所にしても、巷間で言われるように王子自身が考え出したとはどうしても思えなかったのだ(ある意味でそれは当たっている)。誰か頭の回る側近がいて、自分の利益になるように王子に吹き込んでいるのではないかと、彼はそう考えていた。
だが最近ではその考えも揺らぎつつある。同じく第2王子が主導したとされる官僚養成学校や王立魔法研究所での農業研究・・・そのいずれもが斬新な発想でありながら、実に手堅い手法で進められている。
(天才っていうのは、いるもんだね・・・)
馬鹿と天才は紙一重という。ならば王子の変な行動(突然「モエ」なる奇怪な言葉を叫んだり、メイド服に異様な執着を見せるらしい。あくまで噂だが)にも説明が付く・・・
シェルバーンはけっこう失礼な男だった。
*
「何故私なのですか?」
回りくどい言い回しは苦手だ。そもそも、何百桁もの暗算や、膨大な書類の中から意図的な数字のごまかしを見つける作業ならともかく、自分は駆け引きや交渉ごとには向いていない。シェルバーンは自分をそう分析していた。その自分が財務監査官ではなく、なぜ財務卿なのか?
いきなり本題をたずねたシェルバーンに、ヘンリー王子が始めて顔を上げた。
(・・・どうみてもケツの青い、くちばしの黄色いガキにしか見えん)
シェルバーンはかなり失礼な男だった。
実際、きちんとした服を着ていなければ、王子の顔は、少し小奇麗なだけの、どこにでもいる青年にしかみえない。目の前の人物が、専売所という、増税をしない魔法の様な方法で、何百年ぶりかの大幅な税収増を王国にもたらした人物だといわれて、どうして信じられよう?こちらのぶしつけな質問に、王子はどうしたものかとあごを撫でて苦笑している。うるさい者がいれば、シェルバーンの対応は「不敬だ!」とがなり立てるに違いない。肝心の王子がこちらの対応を面白そうにして受け入れているのだから「不敬罪」が成立するはずもないのに。
(大体自分が不敬罪なら、国中の殆どの貴族が縛り首だな)
らちもないことを考えるシェルバーンに、苦笑したまま王子が口を開く。
「直球だね。ま、隠してもしょうがないから言うけど・・・伯爵が言うように、財務卿への昇格を提案したのは、この僕だ」
(やはり・・・)
そこまではシェルバーンの予想通りであった。宰相と第2王子との間に何があったかは知らないが、両者は思った以上の強い連携関係にあるようである。もっとも彼自身にとってはさしたる驚きではなかった。何があってもおかしくないのが「宮廷」という場所である。
だからというわけではないが、次の王子の言葉に、シェルバーンが感じたのは「驚き」ではなく「疑問」であった。
「君は『貴族戸籍』をあつかってたね?」
貴族戸籍とは通称で、正確にはもっと長くて舌を噛みそうな名前である。管理責任者のシェルバーンですら、その正式な名前は知らない。そもそも貴族の領地は、国王が貴族に土地を与え、貴族が国王に仕えるという「御恩と奉公」の関係である。領地が事実上、貴族の私有地であっても、アルビオン国内のすべての土地は、建前上「アルビオン国王」のものということになっている。
国家には正当性が必要である。特に王政の場合、何故その王家が国を治める資格があるのかということは非常に重要だ。絶対王政化を進める欧州各国で、王権神授説(神から国の支配を許された)という、一見すると電波系とも思える思想がもてはやされたのは、それが正当性を主張するうえで都合がよかったからだ。(なにせ欧州の王家は、何度も断絶したり没落したりということを繰り返していたから)国家支配の正当性に疑問がつけば、それがクーデターや反国王勢力に利用されかねない。
アルビオン王国初代国王のアーサーは、父である始祖ブリミルからこの地を治めるようにと指示され、ハルケギニア大陸からこの地に渡った。「始祖から国の支配を許された」からこそ、アーサーの子孫(アルビオン王家)は王家でいられるのだ。ガリアの傀儡であったオリヴァー・クロムウェルが組織した「レコン・キスタ」。彼らは反乱の正当性を主張するために「現王家は堕落して始祖ブリミルの寵愛を失った」とした。自分は「新たに始祖から啓示を受けた」、だからこそ「虚無を使える(実際にはアンドバリの指輪の効果)」のだと。
そしてアルビオン王家はニューカッスルに滅んだ。
レコン・キスタ壊滅後、トリステインとゲルマニアの共同統治下に置かれたアルビオンだが、「将来的に始祖の血を引くもの」を王に復活させるという文言は、こうした経緯がある。なによりアルビオンは始祖が初めてハルケギニアに降り立った地とされるサウスゴータを抱えている。始祖の血を引かないものが王に即位しても、正当性に疑問がつく。それでは「レコン・キスタ」の残党に付け入る隙を与えかねない―各国はそう考えたのだろうとヘンリーは見ていた。
話がずれたが-貴族は家督相続のたびにロンディニウムに赴く。国王は領土を相続する許可を与え、貴族は国王に杖の忠誠を誓う。その時に必要となるのが『貴族戸籍』である。その内容は、代々その家が王家につかえてからの歴史に始まり、どこそこの領地を、いつ、どこで、誰から与えられ、今どれだけ保有しているかといったことが書かれている。国王はそれに従い、新しい家督相続者の「忠誠の誓い」と引き換えに、領土を相続することを、始祖ブリミルに代わって許すのだ。
もっとも今では「忠誠の誓い」も形骸化して久しい。自分の領土が「アルビオン国王」から、何より「始祖ブリミル」から与えられたものだと自覚している貴族が、いったい何人存在するのか?財務官として他に多くの仕事を抱えていたシェルバーンにとって、形骸化した領地相続に関わる『貴族戸籍』の管理は、対した重要性を持っていなかった。
「確かに、自分はそれを担当していました。ですが」
「あー、そうだね。説明しないとわからないよね」
そういうと王子はチェス盤から駒を退かせる。
(俺のほうが有利だったのに・・・)
シェルバーンは白黒はっきりさせないと気がすまない性格であった。
一度すべて退かせたチェス盤に、今度はランダムに白と黒の駒を置いて行く。王子の意図がわからず、駒の場所や色をじっと見ていたが、そこには何の規則性もなかった。困惑の色を深めるシェルバーンに、ヘンリーは視線を合わせる。そこには先ほどまでのおちゃらけた空気はなかった。
「これが今のアルビオンの現状だ」
「・・・そうですな」
今更言われるまでもない事だ。
建国当時のアルビオン王国は、空中国土という極めて特殊な土地柄ゆえ、人口が極端に少なかった。初代国王アーサー(始祖ブリミルの子供の一人)は、ハルケギニア大陸からの移民を推進すると同時に、部下に一定区画の土地を与え、積極的開墾を促した。そのためブリミル暦1000年代には、アルビオンには平均で3つから4つの村落を領有する貴族と、国土の4割を支配する飛び抜けた大地主の国王という、一定の秩序が出来上がった。
けちの付き始めが、コーンウォール大公家での家督相続問題に端を発する「アルフレッド・コーンウォールの乱」である。次男が家督を相続したことに怒った長男のアルフレッドが、父ヘンリーと弟ジェームズを殺害。王家に反旗を翻したのだ。当時コーンウォール大公家は王家に継ぐ広い領地を保有していた。折悪しく、アルビオンは10年続いた飢饉の最中にあり、反乱は不平平民や王家に反感を持つ貴族を糾合して、空中国土を2分する内乱にまで発展する。
ブリミル暦1234年に始まったこの内乱は、西フランク王国(現在のガリア王国)の干渉もあって10年間の永きにわたって続き、ただでさえ貧しい空中国土を疲弊させた。また西フランクの干渉は、それに反発したトリステイン・東フランク王国と、西フランク王国の間で第2次大陸戦争(1236-1301)のきっかけともなった。
1大公家の家督相続が、ハルケギニア全土に広がる騒乱を引き起こしたのだ。内乱終結後、その事実と、他国の干渉を重く見たアルビオン政府は、一つの布告を出す。
『家督相続の際には、その家財に関して分割相続を基本とする』
家督を相続するものがすべてを独占する現状を緩和すれば、家督相続時の争いがなくなるだろうという考えであったが、それが違う問題を引き起こすことになると想像したものは誰もいなかった。当時の担当者を責めるのは酷である。(ムカつくのはどうしようもないが・・・)
分割相続といっても、現物財産を持っている貴族は少ない。そのため領地を分割して与える、土地の分割相続という事態が発生した。当然相続のたびに、代々の領地は砕けたビスケットのように小さくなっていく。「これ以上分けると領地経営が成り立たない」と誰もが気づいたのがブリミル暦4000年頃。分割相続の伝統はアルビオンから消え-残されたものは、粉々に砕けた領地。それでも多くの貴族は歯を食いしばって、狭い領地でぎりぎりの経営を続けていた。
そこに止めといわんばかりの大飢饉が-ブリミル暦4500年に発生した「小麦飢饉」だ。これは「開放王」エドワード3世がアルビオンの小麦と比べて粒の大きいトリステインの小麦を輸入し、全土に広めたことが原因である。最初こそ、輸入小麦は収穫量の増大をもたらしたが、この小麦がアルビオンにだけ生息する害虫によって、壊滅的な被害を受けたのだ。免疫のあるアルビオン小麦が全土に復活するまで、優に20年の時間がかかった。農民一揆-魔法が使える貴族に平民が反乱を起こすという、ハルケギニアの常識では考えられない社会現象が幾度となく繰り返され、10万人の餓死者と、40万の犠牲者が発生した。
領地経営どころの騒ぎではなく、多くの貴族が没落していった。
一方で、比較的裕福な大貴族-中の大、大の小クラスの貴族は、放棄された土地を二足三文で買いあさり、アルビオンに王家と並ぶ「大貴族」が発生した。彼らは、ちょうど豆まきした後の豆が散らばったような、あちこちに出来た耕作放棄地を片っ端から買い集めた。
そのため、今のアルビオンの貴族領地の境目は、それこそ無秩序ともいえるほどのひどい状況である。一つの村の中に境界があるのはまだ可愛いほう。教会の中に4つの境界が通るという、わけのわからない状況もあるくらいだ。
そう。ちょうど王子がランダムに駒を置いた、このチェス盤のように・・・
「これをね・・・こうして欲しいんだ」
そう言いながら、王子が駒を動かし始める。その意図を探るようにチェス盤を見ていたシェルバーンだが、駒の置き直しが意味するところを察すると、次第に顔から血の気が引いた。
(な、何を・・・いや、これが何を意味するのかわかっているのか?)
シェルバーンに構うことなく、王子は次々と駒を置き直していく。最後の駒がチェス盤の上に再び置かれた時、伯爵は息を呑んだ。
「・・・・ッ!」
「ほう、さすがだな伯爵。この謎かけがわかるとは」
・・・前言を撤回しよう。このガキは間違いなくイカレている。そうでなきゃ、こんなとんでもない、現実を無視した荒唐無稽な事を思いつくわけがない。
「君にはこの仕事をやってもらいたい」
チェス盤の上には白と黒、2つ駒の塊を取り囲むように、ばらけた駒が数個おかれていた