悲劇の○○というフレーズ。悲劇の政治家、悲劇の武将、悲劇のスポーツ選手、悲劇の画家・・・およそ職業と名のつくものを空欄に入れれば、みんな大好きお涙ちょうだいの物語が出来上がる。
もっとも、その内容は職業によって大きく変わる。
画家や彫刻家などの芸術関係なら、それは死後に評価されたということ。
スポーツ選手であれば、体の故障や不慮の事故などで現役続行ができなくなっている。「あの時出てれば」「あの時○○がいれば」と言われて終るか、新しく第2の人生を始めるか。
武将の場合。十中八九、戦死。悪ければ一家全滅でお家断絶。桜は散るから美しいのだ。自分は散りたくないけど、人のを見るのは気が楽だ。
政治家の場合。志半ばで暗殺されたり、失脚した政治家を「もし彼があの時」と持ち上げ、その構想力をたたえる。そして「時代に翻弄された」とか「一度首相をやらせたかった」とかいうフレーズをつければ、もう言うことなし。
政治は結果責任。負け犬のありもしない未来をああだこうだといっても始まらない。だが「なぜ失敗したのか」を考える上で、彼らの人生は参考になる。ぼやく名誉監督いわく「負けに不思議の負けなし」なのだ。
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(育ての親の顔が見て見たい)
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江戸時代がもうすぐ幕を閉じようとしていた天保十年(1839)、江戸幕府の老中首座(事実上の首相)に一人の男が就任した。男の名は水野忠邦-のちに江戸幕府最後の抜本的改革と言われた「天保の改革」を推し進めた人物である。彼はこれまでの改革(享保・寛政の改革)と同じように緊縮財政による財政再建を目指した。だが水野がこれまでの江戸幕府の将軍や老中たちと大きく異なったのは、「国防」を主眼に置いたことである。
この時期、日本各地に外国船が来航し、日本に対して通商を求める動きが続いた。15世紀中頃の大航海時代から続いた、西欧列強の進出が、ついに極東の地・日本にも及んだのだ。そしてなによりアヘン戦争(1840)で清国がイギリスに敗れたという事実。この時代の人間が受けた衝撃は、今からはとても想像できない。なにせ清=中国は、古くは倭の五王の時代から、遣唐使に律令体制の導入、元寇、朝鮮出兵と、長く日本のお手本であると同時に、最大の仮想敵国でもあったのだ。
その東アジア世界の中心だった清が敗れた-水野は震撼した。
相次ぐ外国船の来航。「次は日本」、誰もがその可能性を考えたが、どうしたらいいかわからなかった。水野は国を挙げての海防体制が急務と考えた。彼は老中として幕府の中央集権化を進め、幕府のイニシアチブの下、強力な挙国一致体制を作り上げて、海外と対抗しようとした。
しかし、水野は失敗した。
彼には経済問題のブレーンが存在しなかった。朱子学的な経済政策(緊縮財政・倹約第1・金儲けは悪)から抜け出せなかった。物価下落を狙って株仲間(同業者組合=ギルド)を廃止したが、財政不足を補うために行った貨幣の改鋳が悪性インフレとなり、逆に物価の高騰を引き起こした。不況への不満は時の政権に向かう。緊縮財政による不況-「倹約・倹約」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返される標語は、江戸庶民の反感を買った。
経済失政に加え、彼を追い詰めたのは「上知令(あげちれい)」である。
将来、日本にも外国が攻めてきた場合、政治の中心である江戸と、商売の中心である大阪は、何としても守らなければならない。ところが両都市の周辺十里四方(1里は約4キロ、10里は40キロ)は、幕府領(天領)、大名領、旗本領が複雑に入り組んでおり、緊急事態が発生した際、だれが指揮をとるのかはっきりしていなかった。
そこで水野は、大名・旗本に十里四方に該当する領地を幕府に返上させ、かわりに、大名・旗本の本領の付近で替え地を与えるという命令を出す。これが「上知令」だ。そして江戸・大坂周辺を幕府が一元的に管理する方針を固めようとした。
だが、江戸・大阪周辺に領土を持つ大名や旗本は、実入りのいい領地を手放すことを嫌ってこれに反対運動を起こした。同じく領地の移転を余儀なくされる次席老中土井利位を担いで、御三家の紀伊も味方にして反対運動を展開。また領地移動を命じた三藩(庄内藩・長岡藩・川越藩)が移封を拒否したことが、止めとなった。結果「上知令」は全面撤回に追い込まれ、水野は失脚。一度出した人事移動命令を撤回したことにより、中央政府としての幕府の権威は失墜した。
以後、幕府で抜本改革は行われることはなく、明治維新を迎える・・・
***
シェルバーン伯は、目の前に座る第2王子を睨み付けていた。殺気を含む物騒な視線を向けられながら、ヘンリーにひるむ様子はない。鈍感なのか、肝が据わっているのか。それともただの馬鹿か。
「殿下・・・」
恐ろしいほどに冷たい声-豪快な性格は表面上のものか。見た目や言動通りの大雑把であっては財務省の官僚は勤まるものではない。繊細にして緻密な完璧主義者-それがシェルバーンの持ち味である。見た目とのギャップがありすぎて、よくわからない。
「貴方は、これが意味することをわかっているのですか?」
シェルバーン伯は、王子が置きなおしたチェス盤を指差す。白と黒の駒が無秩序におかれていたのを、王子は白と黒の2つにわけ、キングを中心に周りを円形に隙間なく取り囲ませた。少し離れて、いつくかナイト(騎士)とポーン(兵士)がパラパラと置かれている。
「無論だ。だから伯爵にやってもらいたいと言っている」
ギリッっとシェルバーンは奥歯をかみ締めた。予想はしていたが、目の前のクソガキは、これ(チェス盤)が意味することが解っている。解った上で、どう反応するか、この俺を試しているのだ。
シェルバーンは自分の仕事に誇りを持っている。面接試験で「算術が得意だから」と見栄を張ったのが災いして財務省に配属されてから以後20数年間、数字とにらめっこの毎日だ。おかげで大嫌いだった算術も得意になった。それほど人に自慢できる人生ではないが、少なくとも自分の半分しか生きていないガキに馬鹿にされるほど、安い人生は送っていないと言い切れるだけの仕事をしてきたという自負がある。
試されている状況は、反吐が出るほど腹が立つが、何も答えないのは「私は知ったかぶりの無能です」と主張するようなもの。それに、このガキが俺に提示した謎かけは、それなりに-いや、かなり凝った物だ。それがまた彼の神経を逆なでる。自分の半分しか生きていないガキと、自分が同じレベルで話している事実が、シェルバーンを苛立たせた。おまけに(今に限って言えば)会話の主導権はその子供にあるのだ。
(この年になって面接を受ける日が来るとはな・・・)
シェルバーンは「面接官」に向かって、口を開いた
「・・・王都といくつかの重要都市周辺を王家の直轄領に、一方で全土に散らばる大貴族の領土は一箇所に集めて領地経営を効率化させる」
にっ!
「まぁ、合格だな」
歯を見せて笑う王子に、シェルバーンは怒りを通り越してあきれた。
*
チェス盤を使った謎掛けは、「上知令」という政策を視覚化するために、ヘンリーが四苦八苦して考え出した方法である。
何故「上知令」なのか
ヘンリーは、アルビオンの細分化した領土が入り組む状況が、江戸時代の日本にかぶって見えた。行政の最小単位である貴族の領土が細分化したことで、小さな貴族はその行政コストに耐えかね破産寸前である。大貴族といえども、全国各地に領地が散らばっている現状は、経営コストが高くつき、家計を圧迫していた。今は大丈夫でも、中長期的に見れば行き詰ることは明らかである。本来、王家を中心とした中央集権化を目指すなら廃藩置県-アルビオンの場合なら、貴族の領土を取り上げ、全土を王家の直轄地にする。その後は州や県を設置し、中央から官僚を送り込む-が出来れば一番望ましい。
しかしながら、今軽々にそんなことを口に出せば、アルビオン国内の混乱は「レコン・キスタ」どころの騒ぎでは済まない。日本の廃藩置県の場合は、大藩から小藩まで殆どの藩が財政危機であり、単独では経営が成り立たないという事情があった。一方のアルビオンは、小規模経営の貴族こそ青息吐息だが、大貴族に関しては(コストは多少かかるが)まだ領地経営に深刻な危機を覚えるレベルではない。
空軍や竜騎士隊の軍事力を背景に無理やり廃藩置県を強行-出来ないことはないかもしれないが、一体どれほどの血が空中国土に流されるか・・・それを考えれば、とても取りうる手段ではない。
(なら間を取ればいい)
それが「上知令」-封建体制の幕藩体制よりあと、明治政府の中央集権政権よりは前の政策である。貴族の領土は残される上知令では、完全な中央集権化は望めない。だが、過渡期の政策としては十分である。第一、今無理やり領地を取り上げたとしても、それを経営する官僚が、まだ十分に育っていないのだ。
最終的には貴族から土地を取り上げるのが目標だとしても、わざわざそれを教えてやることもない。まずは一歩踏み出すことだ。官僚の育つのを待ってじっくり中央集権化を進めればいい。それこそ真綿で首を絞めるように・・・
無論、失敗した政策をそのまま行う馬鹿は居ない。ここでいう「上知令」はヘンリーが独自にアレンジしたものである。
例えば
「り、領地を取り上げるですとお!!」
シェルバーンは思わず素っ頓狂な声を上げた。ヘンリーは「まぁまぁ」と手で押さえながら
「取り上げるんじゃないよ。ヨーク大公家のように、王家に領地を寄進させるんだ」
「そ、それはただの言い換えです!」
「じゃあシェルバーン伯、聞くがね。このまま、数百メイル四方程度の土地しか持っていない貴族の領地経営が、これからずっと成立していくと思うのかね?」
「そ、それは・・・」
目端の利くものであれば、やたらめったな開墾の出来ないアルビオンで小規模の領地しか持たない貴族が、早晩行き詰ることは明白であった。『貴族戸籍』を管理していたシェルバーンは、現実を痛いほど痛感している。
「何も無理に国庫に返還させるわけではない。それに領地を寄進した貴族には、爵位に応じて年金も支給するしね」
ヘンリーはまず、アルビオン国内の貴族の過半数を占める、数百メイル四方以下の貴族に目をつけた。経営の苦しい彼らに、「年金」というエサをぶらさげ、もはや経営の成り立たない領地を寄進させるのだ。貧乏貴族からすれば、どう考えても明るい展望のもてない領地経営より、首都ロンディニウムでの年金暮らしのほうがいいに決まっている。第一、あのヨーク大公家ですら、領地を国土に寄進したのだ。自分達が領地を王家に差し出しても後ろ指を差されることはない・・・
(まさか大公家の領地返還が、こんなところで役に立つとはね・・・)
ヘンリーはキャサリンに感謝した。
羊を二足三文で全土からかき集めたのと、同じ手段だ。羊は少数では利益が出にくく、領地も小規模経営だと、コストばかりが掛かる。
題して「ちりも積もれば山となる作戦」パート2
片っ端からそういった貴族に声を掛ければ、その領土はヨーク大公家領3つ分ぐらいにはなる。領地を一箇所に集めれば、行政コストを抑えることが出来るし、貴族年金を払っても十分お釣りが出る。
そのお釣りを使って
「大貴族は反対しますぞ。それほど領地経営に困っているわけではありませんし」
「なら領地を増やしてやればいい」
「はぁ?」
大貴族が領地の集積化に反対するのは、「自分の領地に口出しするな」というつまらないプライドか、「先祖代々開拓した土地を人にやれるか」という意地である。なら札束で横っ面をひっぱたいてやればいい。水野忠邦のように高度な政治的目標を理解させるのは難しいが、お金で理解させることはたやすい。(上品なやり方ではないが)
「貴族年金を払える分を最低限国庫に残すとしてだ、のこりは一人で領地経営を続けるという選択をした貴族どもにくれてやればいい」
「し、しかし・・・」
「領地も増えるし経営コストも下がるとやつらは喜ぶだろう」
シェルバーンには最早、目の前の青年を「ケツの青い、くちばしの黄色いガキ」と侮ることは出来なかった。
「大貴族とはいえ、その領地の広さはたかが知れている。100年もすれば行き詰るだろうしな。泣きついてくればそれでよし。その時になってもまだ領地経営にこだわるなら、無理やり召し上げるだけだ。その時になれば、もはや大貴族といえども恐るるに足らん・・・」
この駒のようにね
そうつぶやいたヘンリー王子は、ばらけて置いた駒の一つを指で弾き、にやりと笑った。
その笑顔にシェルバーンは寒気を覚えた。彼はただただ、圧倒されていた。これは決して机上の空論などではない。一体誰に、どんな教育を受ければ、これだけ決め細やかで、根性ババ色な政策を考えられるのか・・・
*
ふ ぇ っ く し ゃ い !
「エセックス男爵、風邪ですか?」
「(ズズズッ)最近冷えるからの・・・」
*
(こりゃ、スラックトンの爺さんと話が合うわけだ・・・)
シェルバーンは掴みどころのない宰相の顔を思い浮かべ、ため息をついた。もはや声を上げる気力ですら、残っているかどうか疑わしかった。
「だから私なのですね・・・」
「そうだ。『貴族戸籍』を管理していた伯爵なら、貴族の領地について詳しいだろうしね。どこの土地が狙い目だとか、どこの子爵家は貧乏だからすぐに飛びつくだろうとか・・・もう何人かは具体的な顔も浮かんでいるんじゃないか?」
「あはは・・・」
シェルバーンは乾いた笑みを浮かべた。
「しかし殿下。その、『あげーちれー』ですか。実際にやるとなると、相当な反発が」
「さっきの僕の話を聞いていなかったのかい?」
「・・・?」
「すぐに全部やる必要はないんだ。長期的目標を立てたら、あとはじっくり、ゆっくり、コツコツと。題して・・・」
『国土改造100年計画』
今度こそ、シェルバーンは開いた口がふさがらなかった・・・