親父が死んだ。
前の日まではピンピンしていた。
次の日は、起きてこなかった。
確かに体は弱っていたが、俺はあの親父が死んだと聞かされても、冷たくなった手をこの手で握り締めるまで、信じることが出来なかった。
「・・・今にも柱の陰から出てくる様な気がしてな」
葬儀の際、兄貴のジェームズ皇太子-国王ジェームズ1世が、ポツリとつぶやいた言葉に、俺は首だけ振って、肯定の意を表した。
『死んだのは冗談だ。驚いたかヘンリー!わっはっは!!』
あの笑い声は、もう聞けない。
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(戦争と平和)
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ブリミル暦6212年は、政争と政変、そして戦争で幕を開けた。年明け早々、アルビオン国王エドワード12世が崩御。始祖ブリミルの子孫であるアルビオン王の葬儀には、ハルケギニア諸国から弔問客が訪れた。ガリア王国だけが王族ではなく、王弟であるノルマンディー大公が名代で来たが、特にそれを疑問に持つものはいなかった。
2週間後-アルビオン国王にジェームズ1世が即位したその日、ガリアがトリステインに宣戦を布告。国境の景勝地・水の精霊が住まうラグドリアン湖は、軍靴によって踏みにじられた。王都トリスタニアまで迫らんとするガリア軍2万と、トリステイン国王フィリップ3世が率いる8千は、セダンで激突(セダン会戦)。この戦いで王太子フランソワが戦死するなど、トリステイン側は大きな犠牲を出したが、ガリア軍にも甚大な被害を与え、何とか退けることに成功する。
以後はセダン要塞を中心に、一進一退の攻防が3ヶ月続く。
その最中、ガリア国王のロペスピエール3世は、王都リュティスで崩御。71歳だった。ガリアのシャルル王太子は、トリステイン側に休戦協定の締結を申し入れた。国土を蹂躙され、多くの犠牲を出したトリステインは反発したが、アルビオンやロマリアの仲介もあって、停戦に合意。4ヶ月に及んだ「ラグドリアン戦争」は終結する。
ガリアの新国王-シャルル12世は、前国王の側近集団をヴェルサルテイル宮殿や政庁から追放して、権力基盤を築こうとしている。そのためガリア国内では今、不穏な空気が流れているという。
そして、確実に勢力を拡大していく不気味な存在-ヴィンドボナを治めるホーエンツォレルン総督家。ラクドリアン戦争の最中に、自国出身の枢機卿を通じて、巨額の献金をロマリア宗教庁に始めた。セダン要塞で軍を指揮するフィリップ3世は、その端正な顔を歪め、仲介に奔走していたアルビオンの第2王子はうんざりとした表情でため息をついた。
ハルケギニアを覆う戦乱の兆し-各国は息を潜めて、次に何が起こるかを、息を潜めて見守っている。まさに一触即発の状態である。
ロペスピエール3世の国葬に出席したヘンリーは、ロンディニウムへと帰還すると、国王やスラックトン宰相に報告した後、ただちにハヴィランド宮殿内の息子アンドリューの部屋を訪れた。エセックス男爵から、アンドリューが昨晩から熱を出して寝込んでいると聞いたからだ。気もそぞろに、自分で扉を開け、駆け込むように部屋に入った。
乳母のアリーや女官たちが慌てて立ち上がって迎えようとするのを手で制する。息子が眠る豪華なベットの脇で、キャサリンが椅子に腰掛けて、居眠りをしていた。
アンドリューは体が弱いようで、しょちゅう熱を出す。赤ちゃんのころには熱を出すというが、それにしてもよく体調を崩した。前世での息子は健康だけが自慢、風邪一つひいたことがないという奴だっただけに、キャサリンは気が気でないようだ。本来、子育ては乳母や教育係に任せるものだが、彼女は暇があると(なければ無理やり作ってでも)しょっちゅう息子の部屋に顔を出している。
妻を起こさないよう、小声でアリーに尋ねる。
「どうだ?」
「熱は下がられました。妃殿下は今朝からずっと側に付いておられたので、お疲れが出たのでしょう」
そう言うと、アリーが伺うようにこちらを見る。キャサリンを起こしたほうがいいかどうか迷っているのだ。ヘンリーは手を振ってその必要はないと伝える。
「いい、しばらく寝かせておいてやれ」
ベットに近づいて、アンドリューの寝顔をのぞく。
ただただ、眠るためだけに寝ている、その顔を
いつからだろう-何も考えずに眠れなくなったのは。以前はベットに入れば、次の瞬間には眠れたものだ。それが今では、あれやこれやと思い悩んで、なかなか寝付けない。
キャサリンと結婚したときか
親父が死んだと知らされたときか
ガリアがトリステインに侵攻したと報告を受けたときか
ちがう
息子が、生まれてからだ
キャサリンが目の前でこっくりこっくり頭を揺らしている。その手元には、編み掛けの『何か』。体の弱いアンドリューのために、何か作っているんだろう。
なんだこれは・・・へびか?それともなまこか?
声を出さずに笑った。
頭を揺らすキャサリンやアンドリューの寝顔を見て、何故か、親父の冷たくなった手の感触を思い出した。感触を振り払う様に、両手を強く握り締める。
小説の世界、しかも王子様という状況を、どこか遠い世界の出来事のように感じていた事に、今頃になって気がついた。
ヘンリーは自分を笑った。
自分はこの世界を生きているつもりだったが、心の中のどこかで「現実じゃない」と思っていたのだ。そう考える事で、自分を守っていた。失敗しても、どうせ現実じゃない・・・だからあれだけ大胆なことが出来た。
子供が生まれて、親父が死んで-ようやくわかった。
この「ハルケギニア」という、ふざけた世界に生きている俺は「現実」なのだと
生きたいと思った。
生きて、生きて、死ぬまで生きて。その間にやれるだけの馬鹿をやって。怒られて、呆れられて。だんだん大きくなる息子の成長を見守って、いつの間にか追い越されて、足腰の立たないよぼよぼの爺さんになって・・・
「・・・死んでたまるか」
死んだら、ミリーの困った顔を見れなくなる
死んだら、アルバートやトマスに馬鹿を言えなくなる
死んだら、ジェームズ兄貴やデボンシャー伯に怒られなくなる
死んだら、シェルバーンやエセックスの爺さんの説教が聞けなくなる
死んだら・・・キャサリンやアンドリューに会えなくなる
「死んでたまるか」
ふぇ・・・あむ・・・
一瞬、アンドリューが笑ったような気がした。
*
「・・・頭が痛いな」
ハヴィランド宮殿の国王執務室。新しく部屋の主となったジェームズ1世は、報告書に目を落としながらため息をついた。皇太子として国政にかかわる状況と、国王として国政の全責任を担うのはわけが違う。国王に即位してからわずか半年の間に、これだけの国際情勢の急変にさらされたのだ。心なしか、頭の白髪が増えたように見える。
若き国王は、こけた頬を億劫そうに動かす。
「ヘンリー、お前の見解を聞かせて欲しい」
最高権力者は臣下に弱みを見せてはいけない。それは即、王の権威低下に繋がる。たとえどんなに苦しくても、どれだけ重大な判断であっても、最後の判断は自分で下さなければならない。ジェームズ1世は、初めて経験する-そして死の瞬間まで担い続けなければならない、最高権力者としての重責と重圧に、必死に耐えていた。
真面目な兄貴のことだ、適当に息抜きだなんてことは、考えたことすらないだろう。ならばせめて弟として、出来る限り兄を支える。自分が生き残るためにも-ヘンリーは図らずも、生前のエドワード12世が考えていた、兄を弟が補佐する体制を、自分の意思で決めたのだった。
ジェームズは何よりもまず、この緊張状態を生み出した大国について問うた。
「ガリアはどうでる?」
ヘンリーはシュバルト商会から手に入れた独自情報もあわせて、自分の見解を述べ始めた。
昨日急死したガリアの「太陽王」こと、ロペスピエール3世は、とにかく自尊心と大国意識が強かったことで知られる。彼の父であるシャルル11世は、諸侯軍を削減して国王直轄の軍を創設しようとしたため、貴族の反乱が相次ぎ、幼いロペスピエール自身も、何度か暗殺の危機に見舞われた。しかし、彼は幸運なことに、かすり傷ひとつ負わなかった。
幼い彼はこれを「自分は始祖ブリミルに愛されているからだ」と考えた。
普通、成長すれば、このような考えは忘れてしまうか、自分の中で馬鹿馬鹿しいと消化してしまうが、彼はそのどちらでもなかった。「始祖ブリミルに愛された自分」を信じつづけたのだ。彼の父であるシャルル11世は、諸侯軍の削減を推し進め、保護主義と産業育成に重点を置く重商主義的政策で、絶対王政への基礎を築いた。シャルル11世の没後も、その遺臣達は意を受け継いで、ガリアの王権強化に邁進した。
ロペスピエール3世が親政を開始したのは、まさにこの時期であった。以後彼は50数年の長きにわたり国政を担い続けた。対外出兵は大きなものだけで13回。結果、ガリアは長年にわたりガリアを苦しめたイベリア半島のグラナダ王国を屈服させるなど、歴史上最大級の領土を獲得することに成功した。だがそれと引き換えに、ガリアの財政は危機的なレベルまで悪化した。繰り返される外征の軍事費にくわえ、獲得した領土の支配コスト、ヴェルサイテイル宮殿の建設に象徴される散財・・・そしてトリステインとの5度目の戦争の最中、ロペスピエール3世は、ヴェルサイテイル宮殿で崩御した。その死は「太陽王」の終焉としては、あまりにもあっけないものであった。
「新しく即位したシャルル12世陛下は、どちらかというと祖父のシャルル11世と同じく現実主義的性格が強いようです」
ヘンリーはロペスピエール3世の葬儀に出席するという名目で、ラクドリアン戦争の仲介役としてリュテイスに赴き、シャルルと会談している。細面の顔は父譲りだが、その目には神の寵愛を信じていた前国王とは異なり、理知的な光があった。
・・・そういえば、ヴェルサイテイル宮殿の礼拝堂に安置されていた棺の横に立っていた、あの髪の青い青年。あれがジョセフだったのかな?逆算したら14歳のはずだけど、そう考えると体がでかかったな。じゃあ、その後ろに隠れて泣いてたのがオルレアン公か・・・あー、よく覚えてない。大体、仲介交渉のことで頭が一杯だったし、忙しかったし。わかってりゃ、もっとガン見したんだけどな。まぁ、遊びに行ったわけじゃないから仕方がないか。
そんなことをつらつらと思い浮かべながら、ヘンリーは続ける。
「財政の問題もあります。なによりグラナダ王国が再び離反の動きを見せていますし、トリステインとも停戦が成立したとはいえ、以前緊張関係にあることに変わりはありません。しばらく身動きは取れないでしょう」
ジェームズ1世は、何か思い出したように視線を泳がせた。
「そうだ・・・シャルルとは昔、チェスで何度か戦ったことがある」
「ほう、いかがでしたか」
「実に堅実で、つまらん打ち方だった」
ヘンリーは声を出して笑った。真面目で面白みがないといわれる兄貴が、まさか他人を「つまらん」と評するとは思わなかったからだ。ジェームズも苦笑しながら続ける。
「だがそれだけになかなか手ごわかったぞ。こちらの動きに合わせて動く-だから隙が出来ない。守りは堅いし、攻めは堅実。チェスの教本の様な、基本に忠実な打ち方だった」
なるほど・・・なんとなく、シャルル12世の性格がわかったような気がする。
「基本的に受身なんでしょうな、シャルル陛下は。先代の負の遺産がこれから襲い掛かってくることも、その対応を誤れば、国そのものの屋台骨を揺るがしかねないことも、十分に承知しておるのでしょう。少なくとも国内で御自身の支持基盤を固められるまでは、動かないですし、動けません」
むしろ・・・ヘンリーは続ける
「気になるのは、ヴィンドボナのホーエンツォレルン総督家です」
「何?あの金貸し上がりの、トリステインの地方総督がか?」
ジェームズ1世の認識は、それほど的外れな物ではない。元は東フランク王国の没落貴族であったホーエンツォレルン家は、金融業で再興を果たし、ヴィンドボナ総督にまで上り詰めた。一度没落を経験したこの家は、貴族的な見栄やプライドに縛られることがなかった。ヴィンドボナの実権を握ってからも、この地のかつての支配者トリステインを名目上の君主と仰ぐことで、自らの存在を覆い隠し、ホーエンツォレルン家の支配を確実なものにした。
いつの日か、完全に独立するために。
だからこそ、この総督家に注目するものは、ほとんど存在しなかった。ヘンリーとて、帝政ゲルマニアが成立するという原作展開を知らなければ、注目することはなかったであろう。それぐらいこの家は、巧みに自らの存在を「トリステイン」という衣で隠していたのだ。
今の情勢は、総督家が長年待ちわびた絶好の機会である。名目上の宗主国トリステインは戦争で疲弊し、国境を接する大国ガリアも、自国の事で手一杯。両国が軍事干渉を行う可能性は限りなく低い。あとはロマリア宗教庁からのお墨付きさえあれば、王政を宣言出来る。
ロマリア宗教庁のトップである教皇は『始祖ブリミルの地上での唯一の代理人』とされる。つまり教皇から王を名乗ることを許されれば、それはすなわち、始祖ブリミルに認められたということと同じ意味を持つ。無論「ロマリア教皇が始祖ブリミルの代理人」というのは建前である。だが、始祖ブリミルの子孫であるトリステイン王家から独立するためには、その建前こそが重要なのだ。自国出身の枢機卿を通じた巨額献金の意味するところは、総督家が王国として独立する最終段階であり、トリステインと決別する意思を固めたということである。
「もはや、古い服(トリステイン)を脱ぎ捨てる時が来た!」
そんな声が、ヴィンドボナの総督府から聞こえてきそうだ。
「・・・献金の事実に間違いはないのか?」
「ラッセル枢機卿からの情報です。間違いはないかと」
ジェームズ1世も、献金の意味するところを察して、頭痛を覚えたのか、頭を軽く振ってから眉間を揉んだ。
「トリステインも、ガリアも動かんのなら、総督家はどう出る?」
「動きませんな」
仮にロマリアへの工作が成功して、王の称号が与えられて独立を果たした場合。宗主国のトリステインは絶対に認めないだろう。だが、軍事干渉は、ガリアと緊張関係にあっては出来ない。ガリアにしても、トリステイン・グラナダに加えて、3つ目の戦線を作ることはしないだろう。旧東フランク王国領内の諸国家-ハノーヴァー王国、ベーメン王国、ザクセン王国、役者はそろっているが、それぞれ自国の事情に縛られて動くことすらままならない。
「要するに、だれもホーエンツォレルン家の独立を止めることは出来ないということです。総督家も今のところは独立さえ果たせば、満足でしょうから」
黙ってヘンリーの発言を聞いていたジェームズだが、次第に顔から緊張の色が抜け、そのかわりに困惑の表情を浮かべた。
「どこも動かないのか?」
「動けないのです」
3国(ガリア・トリステイン・ホーエンツォレルン家)による冷戦構造だ。先に動いたほうが、残りの2国から袋叩きになる。互いに互いを牽制しあって、動くことが出来ない。
「ただ、この状況がいつまでも続くとは思えません。ホーエンツォレルン家が独立した後、周辺の中小国家に攻め込まないという保証はありません」
実際に原作では「帝政ゲルマニア」という、領土だけならガリアに並ぶ大帝国を建国したのだ。ジェームズ1世は再び目をつむり、腕を組んだ。考えるときの彼の癖だ。ヘンリーは黙って王の決断を待つ。
ヘンリーは、自分の役割はあくまで参謀的なもの-情報の収集と分析、それに基づく意見を述べる-だと弁えていた。「最終的な決断は、すべて自分の判断で下せ。そして責任は自分で取れ」兄は父から教えられた通りに、国王たらんとしている。それを弟がしゃしゃり出て、したり顔でああだこうだ言うことは許されない-そう考えていた。
ジェームズはしばらく沈思黙考した後、決断を下した。
「情報だ。もっと詳しい情報が居る。特に総督家に関して。独立だけで満足なのか、それとも東フランクの再興を狙っているのか・・・それでハルケギニアの行方が決まる」
これよりちょうど一ヵ月後。ロマリア教皇ヨハネス19世は、トリステイン王国ヴィンドボナ総督のゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルンに「ゲルマニア王」の称号を与えた。
ゲオルグは直ちに「ゲルマニア王国」建国と、トリステインからの独立を宣言。
動き出した歯車は、誰にも止めることが出来ない
時にブリミル暦6212年。原作開始まで、あと31年。
「・・・ヘンリーよ。なんでわしがこんな事を」
「いや、ミリーに任せるにしては、今回は真面目な内容でしたので」
「出番とられた・・・」