名言や格言は、短い言葉で、対象となる物事の心理を突く。
たとえば仕事について。アメリカのデパート王いわく
「自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した―こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である」
確かにその通りだ。楽しく勉強するものは、いやいや勉強するものより、遙かに効率よく習得できるという。仕事も同じといいたいのであろう。だが実際には、こんな風に考えることのできる人は少ない。特に宮仕えで、それも上司がとびっきりの変わり者だった場合は・・・
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(正々堂々と、表玄関から入ります)
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パリー・ロッキンガム子爵は困惑していた。上司であるデヴォンシャー伯爵から呼び出されて、宮殿内の侍従長室に出頭すると、そこに居たのは彼だけではなかったからだ。
「よく来てくれたね、子爵」
「へ、ヘンリー殿下?」
本来の部屋の主であるはずの伯爵の椅子に、深く腰掛けて、机の上で手を組むヘンリー王子の姿に、さしものパリーも驚いた。その左右には、まるで始祖を護る従者のように、デヴォンシャー伯爵と外務次官のセヴァーン子爵が立っている。
「とりあえずこれを」
そういってヘンリーから渡された命令書にパラパラと目を通したが、パリーはますます困惑の色を強めた。書類には、いたってシンプルな-「大陸での諜報活動を命じる」の文字。問題はその対象が、何も記されていないのだ。これでは一体、何を調査すればいいのかわからない。
アルビオン東部の名門貴族、ロッキンガム公爵家の3男に生まれたパリーは、15の時に王立空軍に入隊。各地で盗賊団討伐や、亜人対策で功績を立て、子爵を叙爵されたという、根っからの軍人である。軍人であるがゆえに、命令には絶対服従の覚悟はある。たとえ「オーガ鬼とキスしろ」と命令されても、命令ならする・・・
「・・・パリー、お前・・・」
ヘンリー殿下、モノの例えでございます・・・な、なんですかその目は?!ですから、本当にそんなことはしません。
「・・・」
デ、デヴォンシャー伯?何で私から離れるのです?
「と、とにかく、諜報活動をするというのはわかりました。ですが、これだけでは、まるで雲をつかむような話です。単独調査か、それとも複数か、そもそも論ですが、一体どこの、何について調べるのですか?」
パリーの質問に、ヘンリーは一見、何の関係もないように思えることを言い出した。
「・・・君にはデヴォンシャー伯と一緒に、サヴォイア王国への使者として赴いてもらう」
「な、何の使者でございますか?」
殿下は何故かわしに視線を合わそうとしない。ヘンリーに代わり、セヴァーン子爵がその目的を告げる。
「メアリー王女とウンベルト皇太子殿下との、本年末に予定されている結婚-これを延期するよう、交渉に赴いていただきたいのです」
「なっ!」
パリーが驚くのも無理はない。貴族や王族間での「結婚延期」とは、社交界特有の隠語であり、事実上の婚約破棄を意味するからだ。ヘンリーは思ったとおりの反応を返すパリーに、苦笑しながら続ける。
「誤解するなよ?これは文字通りの『延期』だ・・・考えても見ろ。ガリアとトリステインがドンパチしたすぐ後に、ガリア南部国境と接するサヴォイア王国とうちが宴席関係を結んでみろ。人の喧嘩にわざわざ首を突っ込むことになる」
「・・・確かに」
現サヴォイア国王のアメデーオ3世は、ロペスピエール3世(先代ガリア国王)の派遣軍を何度も撃退した、いわば『天敵』である。例え以前から決まっていた事とはいえ、この時期にサヴォイア家とアルビオンが婚姻関係を結ぶことは、否が応でもガリアを刺激することになる。サヴォイア家としても、大国ガリアと事を構えるのは好ましくない。だが、向こう側から「結婚を延期してほしい」とは絶対に言い出せない。通常は「結婚延期=婚約破棄」を意味するからだ。アルビオン側からの申し入れは、渡りに船だろう。
「今年の初めに親父(エドワード12世)が死んだからな。言い訳としては申し分ない。ならこっちから言い出せばいい・・・親父は最後まで娘思いだったよ」
父王の死を揶揄しているようにも聞こえるが、ヘンリーの口調はいたって淡々としたもので-それがかえって、彼の悲しみの深さを表していた。いつも口うるさいデヴォンシャー侍従長も、何も言わない。
「ジェノヴァまではフネで行ってもらう。だが帰りは歩きだ」
「はええ!?」
パリーがこれまた素っ頓狂な声を上げた。デヴォンシャー伯も「聞いてないぞ」という表情を浮かべる。快速船ならサヴォイア王国の首都ジェノヴァまで、約5日だが、トリステインのラ・ロシェール(アルビオンに一番近い大陸の港)から、陸上を歩くなら、馬を使ったとしてもゆうに2ヶ月はかかる。
「ガリアもトリステインも、領空上の船舶航行にピリピリしていてな。行きは通行を許可してくれたが、帰りは駄目だった・・・まぁ、こちらとしてはやましい事はないから、無理にねじ込めば、出来ない事もなかっただろうがな」
パリーはヘンリーの言葉の真意を探る。
「・・・どちらが本題ですか?サヴォイア家への使者か、諜報活動か」
「両方だ」
迷うことなく返された答えに、パリーはたじろぐ。
・・・つまりこういうことか?ラクドリアン戦争の影響で船が使えないことを理由に、堂々と他国の中を歩ける。ついでに諜報活動をして来いと?
「何故、そのような手間の掛かる事を?ガリアにしろ、トリステインにしろ、そのために高い維持費を払って、大使館や領事館を置いているのではないですか」
ヘンリーに問いながら、視線はセヴァーン子爵に向けられている。そもそも、そういう諜報活動を行うのも、在外公館であり外務省の仕事である。一体貴様らは何をしているのだと、自然と口調や視線も厳しいものとなるが、この外交官はピクリとも表情を変えない。
「今回の調査対象は両国ではありません。そもそも、ガリアやトリステインは放っておいても情報が入るようにしております」
何ら気負うことのない子爵の言葉からは、絶対の自信が感じられるが、パリーにしてみれば、根拠のない虚勢にしか見えない。(だったら、ガリアのトリステイン侵攻ぐらい予想しておけ)と皮肉の一つも言いたくなる。無論、自分を含めた軍も、誰一人として予想した者はいなかったので、偉そうなことはいえないが・・・
・・・いや、そういえば、近衛隊の若手将校の一人が「ガリアの動きが怪しい」と言っておったな。わしも周りも聞き流しておったが・・・なんといったかな、あやつの名前は・・・
パリーの思考は、ヘンリーが目的地を告げたことにより、いったん中断せざるを得なかった。
「今回の調査対象はヴィンドボナ-ゲルマニア王国だ」
*
ゲルマニア王国建国は、名目上の宗主国であったトリステインを激怒させた。すでに何十年も前から、ヴィンドボナ周辺のホーエンツォレルン家支配は確立しており、フィリップ3世や軍高官などは、いずれこの総督家が独立するであろうこと、そしてトリステインにそれを止める力がない事を理解していた。だが、理性と感情はまったくの別物。多くの犠牲を出してガリアを退けたら、後ろから切りつけられたのだ。怒らないほうがおかしい。トリステインで湧き上がった反ゲルマニア感情もむべなるかなである。
それはともかく-『ゲルマニア王国』という国号を聞いた者の反応は2つに分かれた。首をかしげる者と、顔をしかめた人間にだ。
新国王は、ガリア王国のように都市や地域の名前を取って「ヴィンドボナ王国」「ザルツブルク王国」、またはトリステインやサヴォイア王国のように、家名を名乗って「ホーエンツォレルン王国」と名乗ると予想していた。それが何故「ゲルマニア」-ゲルマン人の国なのか?
「まったく・・・根性の悪い爺さんだ」
顔をしかめた後者であるヘンリーは、忌々しげに新国王の顔を思い浮かべる。
最後のトリステイン王国ヴィンドボナ総督にして、ゲルマニア王国初代国王のゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン(ゲオルク1世)。直接会った事はないが、何度か肖像画を見たことがある。特徴的な鷲鼻と四角い顔。その鋭い目つきは、政治家というより、むしろ前世で何度も石を投げてやろうと思ったことのある人種-やり手の銀行家という印象を与える。
「こんな顔の男が、教条的なゲルマン民族主義者なわけがない」
ハルケギニアには過去3度の大きな民族大移動があった。ブリミル暦100年代のガリア人、400年代のゴート人、2000年代のゲルマン人である。彼らは東方から砂漠を渡ってやってきたというが、その詳細は明らかではない。わかっていることは、東から多くの人間が流れてきたという事実である。
始祖ブリミルの子供や弟子たちは、ハルケギニアに4つの国家を建国した。
空中国土のアルビオン王国(ブリミルの長男アーサー)
ハルケギニア大陸の西方海岸から北東海岸一体を領有したトリステイン王国(ブリミルの次男ルイ)
ハルケギニア大陸の大半を領有したフランク王国(ブリミルの3男カール)
アウソーニャ半島のロマリア王国(ブリミルの弟子フォルサテ)
アルビオンとトリステインは王国として現在まで続いている。ロマリアはブリミル暦1000年ごろまでにロマリア王国(現在のロマリア宗教庁)を中心とする都市国家連合に、そしてフランク王国は、ブリミル暦450年に西フランク(現在のガリア王国)と東フランクに分裂。東フランクと西フランクは2500年の長きにわたり、互いを滅ぼし、併合せんと戦いを続けた。しかし、決着は付かなかった。
対立は、ゲルマン民族の大移動にともなう、東フランクの滅亡(2998年)で幕を閉じた。
最初、東フランク王国はゲルマン人の精強さを見込んで、彼らを積極的に受け入れた。ゲルマン人は領内で積極的な開墾を行い、その一部は貴族化した。武力に優れた彼らは、次第に王国の中枢に食い込んでいった。それが国内に亀裂を生んだ。各地でゲルマン人貴族と元から東フランクに使えていた貴族との間で対立が深刻化し、王家の威信は低下した。最後の東フランク国王バシレイオス14世が、反ゲルマン貴族に暗殺されると、もはや国家としての統一を維持することは不可能となった。
東フランク王国を構成する貴族は、没落する者と、それぞれ王国や大公国として独立する者に分かれた。ホーエンツォレルン家は前者である。一方で王国崩壊の原因となったゲルマン人貴族は、入植して数百年しか経っておらず、領地支配は脆弱で、王国や公国として独立出来た家はなかった。
ゲルマン人は旧東フランク領内に、平民や一貴族として広く居住した。その勇猛さを恐れられ、軍人への道を断たれた彼らは、多くが都市部に居住して商人として活躍した。真面目な彼らは自然と大商人に成長したため、既存の商会や、反ゲルマニア貴族の系図を引く国王・貴族の下で、迫害を受けた。身包みをはがされ、追放されたことも1度ではない。こうした環境の下で、ゲルマン人の中に「自分達の国を持ちたい」という思いが生まれたのは、自然なことであった。それは最初の「出来たらいいな」という願望から、次第に知識人やゲルマン貴族の中で『ゲルマン民族主義』-ゲルマン人の国を作ろうという、具体的な政治目的へと成長した。
ゲルマン民族主義と、ゲルマン人の現状への不満は、後者が爆発したとき、より強固に結びついた。
第9回聖地回復運動(4507~10)の際、各国は軍の遠征費用をまかなうため、領内で増税を行った。東フランク領内のベーメン王国でも、軍事費をまかなうために、都市商人を対象に臨時増税が行われた。ベーメン王国は国内にゲルマン人が多く、商人、中でも金融部門に占める割合が多かった。増税に反発してデモを行う彼らに、軍は解散させるために威嚇発砲を行った。
その流れ弾が、1人の少女-マリアの心臓を打ち抜いた
少女の死は、何百、何千年と積もらせてきたゲルマン人の不満を爆発させるのには、十分過ぎた。この知らせがもたらされると、旧東フランク王国領内で連鎖的に騒乱が発生した-「マリア・シュトラウスの乱」である。
このゲルマン人の反乱は、3ヶ月余りで鎮圧されたが、ゲルマン人に与えた影響は大きかった。『ゲルマン民族主義』は、自分達の不遇な境遇を解決してくれる「最後の希望」「救世主」として、ゲルマン人の中で信じられるようになった。
それに目をつけたのが、ホーエンツォレルン家のゲオルグ1世なのだろう。もともとこの家は東フランクの没落貴族である。ヴィンドボナに流れ着いて居住し、金融業で成功して再興を果たした。金融業はブリミル教が「労働なき冨」と批判していることもあり、なり手が少ない。結果的に排他されたゲルマン人が、その多くを占めている-自然と彼らとの付き合いは深い。
東フランクの貴族は、誰もが一度は考える。自分達のルーツである祖国-東フランクの再興を。ホーエンツォレルン家も例外ではなかった。かつて東フランクの再興は、何度も試みられたが、そのすべてが失敗に終わった。誰もが、割れた皿をくっつけようとしても無理なように、一度分裂した国家を、もう一度元通りの国に統合させるのは不可能なのだと考えた。
ゲオルグ1世は、恐らくこう考えたのだ。
「上から駄目なら、下からだ」
上から(国家主導)の再統一が駄目なら、下から-平民や商人に「国を作りたい」と思わせればいい。実際これまでの統一が失敗してきたのも「ブレーメンに商売の主導権を握られたくない」「東フランクの再興といいながら○○王国の主導ではないか」といった批判によって、頓挫したからだ。
割れた皿を、割れる前と同じように復元することは出来ない。
だが、接着剤でくっつけて、同じような物を再現することは出来る。
その接着剤がゲルマン人だ
ゲルマン人は東フランク領内の諸国に広く居住している。商会や金融業で強い影響力を持つ彼らは、誰よりも「自分の国」への願望が強い。ホーエンツォレルン家の祖はゲルマン人ではない。だがこの没落貴族は「仕えるものは何でも使う」という点では徹底したものがある。「ゲルマニア王国」-ゲルマン人の国と名乗るだけで、各国のゲルマン人から無条件にも近い支持を得られるのだ。こんなに安い買い物はない。
現代人のヘンリーには、いろんな国家を無理やり統一しても、ましてや民族を掲げて統一すれば、あとが大変だろうとしか思えなかった。大セルビア主義を掲げて統一したユーゴスラビアの末期を知っているからだが-教条的な民族主義者ならともかく、あの慎重でケチ(リスクに敏感)なゲオルグ1世が、ゲルマン人を使って統一した後の問題点が、わからないはずはない。
だが、往々にして感情は、理性を容易に押し流す-ゲルマン人は「自分の国」を、ゲオルグ1世は祖国「東フランクの再興」を-この両者が結びついた結果生まれる、土石流のような勢いを押しとどめるのは難しいだろう。
だからといってヘンリーは、「はいはいどうぞ」と受け入れるわけにはいかないのだ。ガリアだけでも手一杯なのに、大陸にもうひとつ強大な統一国家が出来るよりは、ある程度の中小国家が互いにいがみ合っていてくれるほうが安全保障上、いいに決まっている。そのほうがラクだし。
「大体、民族主義を利用したつもりなんだろうが-利用しているつもりで、逆に利用されているというのはよくある話だしな」
願望に基づいて行動する現実主義者ほど、厄介な者はない-まして、自分は冷静だと思っている分だけ、余計にたちが悪い・・・
とにもかくにも情報がいるのだが、肝心のアルビオン王国ヴィンドボナ領事館は閉鎖されているのだ。これは準同盟国であるトリステインに配慮したためである。
トリステインとしては、武力でゲルマニアと事を構える気がなくても、独立を事実上黙認せざるを得ない状況であっても「はいそうですか、どうぞご勝手に」とは、国内的にも対外的にも絶対に言えない。国内では弱腰と批判され、対外的には組し易しと見なされるからだ。
これ以上外交失点を重ねるわけにはいかないが、だからといって軍事的冒険は出来ない-そこでトリステインが考えたのが「ゲルマニアの不承認政策」である。
不承認-国家としてゲルマニアを認めない。だからどうしたと思うが、国が国を認めないというのは、それなりの意味を持つ。自国の領土を不法に武力占領している武装集団-そう見なしているのだ。ゲルマニアの軍人や役人が、トリステインの実効支配する領内に一歩でも入れば、強盗団と同じく即時逮捕、処刑しても、法的には違法ではない。実際に行動に移すかどうかとは別問題である。「権利を放棄しない」とだけ言っておけば、それは十分外交カードになりうる。手札は多ければ多いほうがいいに決まっているからだ。
準同盟国たるトリステインが不承認政策をとっているのに、アルビオンが領事館とはいえ、そのまま在外公館を置いておくことは、両国関係にとっても好ましいものではない。「ヴィンドボナとて貴国の領土。なら領事館はこのままでも問題はないはず」と主張できないことはないが、とても同盟国に対する言葉ではない。それにトリステインはアルビオンから出港する船の主要中継拠点港をいくつも抱えているのだ。機嫌を損ねていい相手ではない。トリステイン側からの申し入れ通りに、ヴィンドボナ領事館の閉鎖が決まった。
ゲルマニアの情報収集拠点となる領事館を閉鎖せざるを得なくなった状況に、国王ジェームズ1世も、外務卿のパーマストン子爵も頭を抱えた。王妃カザリンの実家たるダルリアダ大公国はゲルマニア王家と縁戚関係にあるが、大公国は親ゲルマニア-どこまで正確な情報が入ってくるかは疑わしい。
何とかして自前の諜報を-頭を悩ませる2人の前で、ヘンリーがぽつりと言う。
「メアリーの結婚式、どうする?」
何も諜報活動は秘密でなくてもいい。表玄関から入る理由があれば、堂々と国情を観察できる。表に出ている情報だけがすべてではないが、すべての情報が裏に隠されているわけでもないのだ。
こうして「越後のちりめん問屋の隠居」作戦は決行されることになった。