「自由のためなら、名誉のためと同じように、生命を賭けることもできるし、また賭けねばならない」
そう言った「騎士」がいた。
男は生まれながらの騎士ではなかった。貴族でも、軍人でも、ましてや役人でもなかった。田舎の故郷で、少しばかり裕福な家に生まれただけである。すでに時代遅れとなっていた、理想の騎士について書かれた物語を読んでいくうちに、自分を「騎士」だと思い込んだ-善良で、哀れで、愚かな男だった。
架空の姫を恋い慕い、ロバのようにやせて小さい馬を愛馬とし、哀れみか、真性の馬鹿かはわからないが-ただひたすらに、滑稽なまでに忠誠を誓う、気のいい農夫を従者として。自称「騎士」は世直しの旅に出た。
男は、自分が英雄でも、ましてや騎士でもないことを、そして本の中の、自分があこがれた、古き良き伝統に基づく騎士道を守る騎士が、世界からいなくなっている事を、認めようとはしなかった。それゆえ、自分が排斥され、馬鹿にされ、精神病扱いされ、再起不能の大怪我を負っても
粗末なあばら家のベットで、従者に見取られながら、「騎士」は、一人満足して、神の元に召された。
最後まで戦い続けた男の死により、世界から「騎士」を名乗るものはいなくなった。そして、この世から、この自称「騎士」の記憶を持つものがいなくなると同時に、騎士と言う存在すら忘れられる・・・かと思われた。
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(外伝-老職人と最後の騎士)
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ガリア王国の首都リュテイスは、ハルケギニアでも有数の大河・シレ河と共に成長してきた。ロマリア大王ジェリオ・チェザーレの遠征により、火竜山脈から南を支配されると、当時の国王ロペスピエール1世が、防衛に適したシレ河の中洲に首都を移したのが始まりである。ロマリアを叩き出した後も、王家はこの地にあり続けた。東フランク崩壊後、名実共にハルケギニア1の大国となったガリアの首都に、人や商会が集まり、今では河に沿って5リーグ以上の都市が広がる、ハルケギニア一の大都市へと成長した。
旧市街地から川を挟んで東側、商会の本店や、銀行が連なるトルビヤック街。その一角に、しっかりと石を組み合わせ、漆喰とコンクリートで固めた、4階建てのひときわ高い建物が存在する。
「リュテイス商工会館」-リュテイスに本店を置く、すなわち、ガリア国内で商会や銀行を営む、ガリア商工界の主要メンバーが寄付して建設された会館である。「平民商人の社交場」と言われるように、ガリアで商売をする者にとって、ここで開かれる会議やパーティーに招かれることが、一種のステータスとされていた。
「あのブレーメンの、ロリコンの、ケツの穴がミジンコよりも小さい、イカサマのイン○ン糞野郎が!!」
・・・ここはリュテイス商工会館。ガリア商人のステータスとされる場所・・・のはずである。
会館3階の大会議場には、円形の大机と、それを取り巻くように20脚の椅子が置かれている。机が円形なのは、商人に上下は無いという建前と、いつでも他者を蹴落として、自分がトップに躍り出るという本心を現しているからだとされる。もっとも、そんな話はただの噂でしかない。実際には、上座だの下座だのといったくだらないことで、貴重な時間をつぶしくないという、味も素っ気も無い理由からだ。ここに集う者は、皆が「時は金なり」を身をもって知るものばかり・・・のはず
机の一角に陣取り、先ほどの、余り上品とは言えない内容を叫んでいた男が続ける。
「あの金貸しの吸血鬼野郎が!あ!?貴様らが着飾った服を切れるのは誰のおかげだと思ってる?!あ?私ら『毛織物ギルド』が、一からコツコツと、え?何十年もかけて、ド素人を職人に育ててきたからだろうが?!一体、一人の職人を育てるのに、どれだけの、どれだけの・・・何百、何千年という、先人の、職人たちの汗と血と、魂がこもっていると!!」
興奮の余り、椅子から立ち上がって、机の上に身を乗り出さんばかり。日ごろめったなことで感情をあらわにしない彼には珍しく、ワインも飲んでいないのに顔は真っ赤。太った白髪混じりの髭面と、威圧感を振りまくその言動は、一見傭兵崩れの強盗のように見えなくも無いが、その職業は腕利きの毛織物職人だ。
男-ドミニコは、ただの職人ではない。いくら腕利きとはいえ、それだけで、このリュテイス商工会館はくぐれない。ドミニコは『ガリア毛織物ギルド』の組合長という肩書きで、この会館への入館が許された。
ガリアは元々、その広大な領土から放牧が盛んで、自然と毛織物産業が発達した。自然と、ガリア毛織物産業の元締めである毛織物ギルドは、他国のギルドより優位に立つ。数年前まで-いや、半年前までは、「ガリア毛織物ギルド」は、トリステインやロマリア諸国のギルドをも傘下に治め、毛織物製品の価格決定に関しては、ハルケギニアの5大商会すら口出しさせないという影響力を持っていた。その影響力を背景に、原料の羊毛の購入価格決定に関しても、意のままに進めていたのだが、今回それが、初めて覆される危機に直面した。誰あろう、ドミニコの言う「ブレーメンのロリコン」によって。
「ブレーメンのロリコン」とは、ハノーバー王国の首都ブレーメンに本店を持つシュバルト商会の代表-アルベルト・シュバルトその人である(何故ロリコンかというと、彼は5年前に、17歳年下の、それもかなりべっぴんな女性を後妻に迎えたから-ようは嫉妬だ)。
***
アルビオンで稼働し始めた水力紡績工場の噂を聞いた毛織物職人の誰もが、その荒唐無稽な施設と機械、その目的を聞いた瞬間、鼻で笑った。シュバルト商会がなにやら大規模な用地を取得して、工場を建設しているということは知っていた。それが、まさか、そんな荒唐無稽なことをするためだとは!
羊毛を糸に加工するという、複雑で手間の掛かる作業。羊毛と一口に言っても、一頭一頭、毛質はまるで違う。汚れを取って、質を見極め、少しづつ糸に繰っていく-魔法でも不可能な、神の創りたもうた精密機械-人にしか出来ない。それを、平民の老人が作ったという機械が、代弁する?馬鹿も休み休み言え。お前ら、一度でいいから糸を紡ぎだしてみろ。そんな世迷い語とはいえなくなるだろう。糸は現場で繰ってんだ、帳簿でしか数えたことのないお前らに何がわかる?
「現場の人間なめんな、商人ども」
職人達は、長年の実績と経験から、それが不可能だと判断した。
それゆえ「羊1頭の羊毛なら1日以内で糸に加工する、出来なければ違約金を払う」という、シュバルト商会の条件を、法外ともいえる手数料契約を後払いで結んで、笑いながら受け入れた。「やれるもんならやってみろ」とでも、言わんばかりに
結果は、言うまでもないだろう
「人間なめんな、石頭」とでも言うべきか?それとも神か。
シュバルト商会は、この契約をギルドを通さずに行った。国内外の「ガリア毛織物ギルド」に所属する職人や商会に、個人の伝を頼って人を派遣。一軒一軒、「どうか、お願いします」と頭を下げさせたのだ。本来、紡績作業はアルバイトとして農家などに外注していた作業。職人達は、わざわざギルドに相談することもない(実際これまでもそうであった)と、たかをくくり、気前よく発注した。ギルドから割り当てられた手持ちの羊毛の全てを任せた職人もいる。
冷静に考えれば、大陸一の大商会が、自分たちのような小さな職人と、わざわざ不利益な契約を結びに来るという、不自然な話。警戒して当然、疑問に思わないないほうがおかしいというものだ。
だが、彼らは目先の小遣い稼ぎの誘惑に酔いしれて、契約の不自然さに気付くことはなかった。ギルドに割り当てられた仕事だけをしていれば、食いっぱぐれることはないが、それ以上儲けることはできない。ギルドを出し抜くことは、最低限の生活保障さえ失うことを意味する。
今回の場合、やたら権限にうるさいギルドの機嫌を損ねる心配がない上に、適度な臨時収入が手に入る。それも自分だけが「つて」があったお陰で、他の職人を出し抜いて-信じる者達は、都合のいい事実だけを信じ、始祖と神に感謝しながら、前祝の酒に酔った。
題して「ちりも積もれば山となる作戦、パート3」
パート1と2の発案者である、アルビオンの王弟ですら「お前・・・刺されても知らんぞ」と、呆れたぐらいだ。
糸を持って真っ青になった職人達がギルドに駆け込んでも、時すでに遅し。シュバルト商会は、後払い契約金の支払いを、職人達の後見役であるギルドに求めた。積もり積もった契約金総額は、小国の国家予算にも匹敵する莫大なもので、たとえ「ガリア毛織物ギルド」といえども、そう簡単に払えたものではない。
なんのことはない。シュバルト商会は、最初から嵌めるつもりだったのだ。
そんな商会に狙われた、ハルケギニアでも有数の大ギルド「ガリア毛織物ギルド」の組合長に、何故ドミニコのような、腹芸の出来ない、昔かたぎの職人が就いているのかというと・・・話し出すと長いので、端折って言う。
かつて「神輿は軽くてパーがいい」と言った権力者がいたそうだが、組合員の利益を守る同業者組合の代表がパーでは困る。とはいえ、あまり切れ者なのも、その・・・なんだ、あれだ。ギルド全体の利益主張と見せかけて、当人だけが肥え太ろうとしたことは数知れず。切れすぎる刀は、扱いが面倒くさいのだ。交渉ごとでは、圧倒的な組合員を背景に、いけいけドンドン。そんなものに交渉術といったものは求められておらず、むしろ名誉会長的な存在が望ましい。そして・・・
言い出すとキリがないので、求められる人物像をまとめると・・・
「裏表のない性格で、度量がでかくて面倒見がよく、組合のめんどくさい仕事も嫌がらずにやってくれるが、金の使い込みや、せこせこした策謀を起こす心配はまるでない。人格的に気難しい職人たちからも尊敬を受ける、一流の毛織物職人」
いたのだ、そんな都合のいい人間が。ドミニコは(太い指からは想像も出来ないが)職人として一流であり、また見た目とたがわない面倒見のよさと、裏表のなさを見込まれて、組合長に推された。
そんな、決して軽くとも、パーでもないドミニコを責めるのは、酷と言うものだ。
一体誰が想像しよう?
10人掛りで一週間以上かけて行っていた、糸を紡ぎだす作業を、わずか1日足らずで完成させてしまう機械が存在するとは?
ドミニコ自身は、シュバルト商会から同様の提案を受けていたが、丁重に断った。昔から外注していた農家にすでに発注済みだったこともあるが、人の弱みに付け込んだような契約は、彼の好むところではなかったからだ。それに、人の弱みを知ったからとて、その情報を人に伝えるほど、ドミニコの口は軽くなかった。
彼は良くも悪くも、職人だった。
ドミニコに付いて来たギルド所属の職人達は、組合長のように純粋に怒ってはいない。小遣い稼ぎをしようとしたのは、下っ端の職人達だけではなかった。自分達が欲を掻いた為に招いたという負い目もある。これ以上、恥をさらしたくなかった。
ましてや、金の無心に来ている今は
「お話は理解しました。要は、失敗の尻拭いをして欲しいと、こういうわけですな」
リュテイス商工会館役員にして、ガリア銀行協会会長のリチャード・アークライトの、突き放した言葉に、組合役員は下を向き、ドミニコは顔色を変えた。
「会長!それは、余りにも・・・」
「事実でしょう?自分達の間抜けさの後始末を、尻拭いを手伝えとおっしゃる-童にならともかく、大の大人相手に、これ以上に丁寧な言い方は、私の辞書にはありませんな」
ドミニコは机の上に置いた両手を握り締めた。自分に全く落ち度のない(気が付かなかったという瑕疵はあるが)、組合員達の独断専行の末の失敗であるのに、ギルドの長として、そこから逃げずに、打開のために奔走する彼は、ある意味理想の上司ではある。だが、理想の上司が、必ずしも有能とはいえないのが難しいところだ。
「確かに、その紡績機とやらは、これまでの常識を覆す物だったのでしょう。そして、シュバルト商会が、あなた方の無知と欲に付け込んだ-それも間違いではない」
アークライトは鼻眼鏡を指で上げながら続ける。
「だが、あなた方は『出来るはずが無い』と勝手に即断した。現物の機械も見もせずに-職人でありながら、書類上の金に踊らされた、まさに『労働なき冨』を追い求めた結果ではありませんか?」
痛烈な皮肉に、組合役員達は言葉も返せない。
「労働なき冨」は、ロマリア宗教庁や、熱心なブリミル教信者が、金融やそれに携わる者を批判する言葉。働きもせずに、利息で生活する者はけしからんと、そう言いたいのだ。信者から献金を搾り取り、何の富も生み出さない馬鹿でかい教会を立てている貴様らはどうなのだと、聖堂騎士に聞かれれば、間違いなく胴と首が泣き別れになるようなことを考えているのが、アークライトの今日この頃である。
閑話休題
ブリミル教の教えはともかくとして、職人というのは、腕一本で生計を立てているという自負心から、押しなべて自尊心が強い。それゆえ、金融業者を、どこか一段下に見ているところがある。日頃、自分達を見下しておきながら、この様か-これ以上無い嫌味だ。
そんな嫌味や皮肉の視線にも、ドミニコは目を逸らさらず、逆に睨み返している。組合員達や職人、その家族-自分が逃げることは。彼らを路頭に迷わせることになる。それに、3千年以上続く、毛織物職人の伝統を背負っているのだという自覚があるからだ。
覚悟は買うが、それだけで金を貸すことは出来ない。
「で、シュバルト商会はなんと言って来てるのです?」
ドミニコは目を見開いた。これ以上わかりやすい驚いた表情があるだろうか?何故シュバルト商会が、債権取立ての猶予と引き換えに、条件を突きつけてきた事を知っているのかと、どうしてばれたのかと-それを見たアークライトは、初めて苦笑いを浮かべた。ドミニコの正直さが、滑稽でもあり、うらやましくもあった。
「あ、あぁ、はい。それが、ギルド主導で、業界再編を、業者の数を減らすようにと」
「ほう、それはそれは」
アークライトはドミニコにあわせて、驚いたような顔をしたが、シュバルト商会の提案は、予想通りの回答だ。
現状、毛織物価格が高止まりしているのは、価格交渉に絶大な影響力を持つ「ガリア毛織物ギルド」の存在もあるが-何より、独立した職人の数が多すぎるのだ。少数経営のため、製造コストが高くつき、それが販売価格に影響する。商会などはその事実に気がついていたが、その弊害を是正するのは容易ではない。ギルドに手を突っ込むことは、一人一人の職人達が持つ、既得権益を奪うということなのだ。
今回のシュバルト商会の「だまし討ち」も、一気に業界再編を行うことによって、有無を言わさず、職人達の権益を巻き上げることが目的なのだろう。牙を抜き去った狼など、豚にも劣る。飢えを待って、丸焼きにするなり、家畜にするなり、好きに出来るというわけだ。一番勢力の強いギルドを狙い撃ちにすることによって、あとは各個撃破すればいい。
こうして、シュバルト商会は、ハルゲギニア毛織物産業の新たな王となるのだ。
前述のアルビオンの王弟は、そう言って高笑いするブレーメンのロリコンを見ながら、しばらくお付き合いを控えようかなと考えていた。一緒に恨まれたら、たまったものではない。
アークライトがシュバルト商会の立場なら、同じことを主張していただろう。そして「ガリア銀行協会会長」のアークライトも、同じ事を要求する。
「協会として融資の条件は唯一つ、シュバルト商会と同じですな」
「・・・っ、な、何を!何ですと?!」
憤然とするドミニコとは違い、組合の役員達は、ある意味予想していたのか、さして驚きもせず、そして愕然としながら、その言葉を受け止めた。
高コスト体質を改善しない限り、毛織物ギルドに-なにより毛織物産業全体に、明るい展望は開けない。そして、血を流す改革は、組合員同士の権益を守りながら、品質を維持するという、同業者組合の理念と矛盾する。
「ガリア毛織物ギルド」は、その成り立ちや名前からして、ガリアの職人業者の指導力が強かった。それが、次第に他国の職人達の技術が上がるにつれて、組合のガリア指導に反発が出始めていた。先のラグドリアン戦争の際、トリステイン国内の毛織物ギルドが脱会。それを切っ掛けに、ロマリア諸国のギルドも、ロンバルディア商会が主導する業界再編に、櫛の歯が抜けるように脱会届が届けられ、体制は動揺を始めていた。
この状況で、シュバルト商会からの一撃-シュバルト商会の提案を受け入れるにしろ、ガリア銀行協会から融資を受けるにしろ、「ガリア毛織物ギルド」には、解体という選択肢しか存在しないのだ。
第五回聖地回復運動に参加し「最後の騎士」と呼ばれた、イベリア王国のアマディス・デ・ガウラ子爵は、エルフの攻勢に、聖戦軍が総崩れとなる中、一人で敵陣に突入することを表明。無謀だと止める周囲に、彼はただ一言だけ告げて、馬を返した。
「俺は、騎士なんだ」と
必死に、毛織物職人としてのプライドを守ろうとしている、目の前の老職人を見ていると、何故か、この無謀な騎士の姿が思い浮かぶ。アークライトは、目の前の、おそらく「最後の組合長」と呼ばれるであろうドミニコに、慰めの言葉をかける事はしなかった。
「・・・いかがしますか」
ドミニコは、その両手で、顔を覆った。彼の職人としての人生を刻み込んだ、太くて短い、タコと節だらけの、ごつごつした手で。
震える唇で、何とか言葉を紡ぎ出す。
「・・・何故だ?何故、こうなった?」
「時代、ですかな」
柄にも無いことを言っているのはわかっているが、それ以外に言葉が見当たらなかった。
「ガリア毛織物ギルド」と言えば、ハルケギニアの毛織物職人達の憧れであり、目標であった。それが、今では存亡の淵に-いや、解体へのカウントダウンを始めている。騎士の時代が終わりをつげたように、職人達が腕一本で、国をまたいで渡り歩く時代が終わろうとしていたのだ。水力紡績機は、その切っ掛けでしかない。
アークライトは、もう一度尋ねた。
「いかがいたしますか?」
返事はない。それが返事であった。
***
「帰られました」
「あぁ、そうか」
秘書の報告に、気のない返事を返すアークライト。ドミニコたちが出て行った後も、大会議場から出て行かず、わざわざ持って来させたワインを、浮かない顔でデキャンタからグラスに注ぐ。
誇り高き老職人の幻想を打ち砕く役回りが、面白いわけがない。ドミニコはここで断られても、それこそ「ガリア毛織物ギルド」の看板を背負う、最後のひとりとなっても、金策に走り回るのだろう。間抜けな組合員の尻拭いのためではなく、自らの、毛織物職人としての誇りを守る為に。
ワインのコルク片を手で弄っていると、報告を終えた秘書官が部屋を出て行かないことに気がついた。若い秘書は、躊躇いがちに、こちらを伺っている。
「なんだ?」
「え、ええ、その」
「早く言いたまえ」
いつもハキハキとした彼にしては珍しく、歯切れの悪いその態度。秘書は、やはり言葉を選びながら尋ねた。
「・・・ドミニコ氏は、どうなるのでしょう」
気になることは誰でも同じらしい。アークライトは、唇の端を吊り上げながら、若い秘書官に答えた。
「心配いらん。腕のいい職人は、どこでだって必要とされるものさ」
ギルドがなくなることにより、一番泣きを見るのは、中から下の腕しか持たない職人達である。ギルドという後ろ盾をなくした彼らが、ましてシュバルト商会から莫大な借財を背負った身で、ひとり立ちをしていくことは不可能である。いずれ、職人としての誇りもプライドも捨て、単なる一熟練労働者として、機械の下で働くのであろう。
人の手でなければ、不可能だと考えられてきた紡績ですら、機械化できたのだ。それ以上の事、糸から布地に織り出す作業が、そこから先の工程が不可能だと、神ならぬ-なにより、神に嫌われているとされる金貸しの我らが、どうして判断できよう?
そうなった時、生き残れるのは-ドミニコのような、名実兼ね備えた職人だけ
安心した顔で出て行く秘書を見送りながら、アークライトは、誰もいなくなった大会議場に向かって呟く。
「騎士は死して名を残し、職人は作品を残す、か」
手元のグラスを一気に傾ける。
タルブの5990年-悪くないはずだが-何故か、渋い苦味を感じた。
***
3年後、ドミニコは「ガリア毛織物ギルド」の解散を宣言。残った資本金を、最後まで残った組合員達に分けると、故郷のカルカソンヌで、自分と家族だけの小さな工場を立ち上げた。
太い指に似合わない、きめ細やかな仕事振りは、高い評価を受け、後に、彼とその子孫の毛織物は、高級ブランド『ドミニコ』として確立。長く王家や貴族達に愛されることになるのだが-アークライトはそれを知らない。
まして、異世界の愚かな男が死んだ後に、どうなったか等・・・所詮は一銀行家でしかない彼が、知るはずもない。
男は、「騎士」として、物語の主人公となった。
様々な言葉に翻訳され、多くの人々に、時代と年齢を超えて、長く読み継がれることになった自身の生涯が、故郷の村で、彼が憧れたような内容であったのかどうかは-「騎士」として、その一生を駆け抜ける事が出来た彼にとっては、どうでもいいことであろう。