「黒い猫でも白い猫でも ネズミを捕るのが良い猫だ」
鄧小平(1904-1997)
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(神の国の外交官)
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アルビオン王国外務卿のパーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル卿は、いろんな意味で目立つ男だ。身長180サントと、アルビオン人にしては比較的身長が高く、その細身の体に、面長の顔、そして離れたどんぐり眼と、一目見たら忘れようがない風貌をしている。当然ながら、当人からすれば、それが少なからぬコンプレックスとなっていた。女性受けする顔ではない事は百も承知だが、それ以前に、自分の風貌が、仕事にまで影響を与えているとあっては、笑ってもいられない。
外交とは本来、地味なもの-裏方だと彼は考えている。外交問題や戦争を未然に防ぐためには、ボヤの段階で消すことが一番だ。早期に問題に気が付くことが出来れば、いくらでも対応が出来る。火が大きくなってから、腕まくりをして「自分の出番だ」などと乗り出す外交官は、無能を知らしめている以外の何者でもない。
パーマストンは19年間、ハルケギニア中の「ぼや」を、各国と協力しながら、消し続けてきた。彼はアルビオン外務省内の日和見的な八方美人策を良しとしたわけではない。省内の大反対を押し切って、トリステインと同盟関係を締結したのも、その一環である。パーマストンはそれがアルビオンのためになると確信したのであれば、摩擦を恐れずに断固として主張した。
そんな外交姿勢や、自身の「風貌」もあって、パーマストンは否が応でも、国際政治の中心だと目されるようになった。ロンディニウム・ダウンニング街の各国大使館が、彼の一挙手一投足に注目する中で、秘密裡の会談など出来るはずがない。
その点、目の前の特徴のないのが特徴の様な男は、人ごみに紛れ込むことも、たとえ街中で堂々と密会していても、気付かれる事がないだろう。
一言で言えば「無味無臭」、空気の様な男だ。背格好は中肉中背。目や鼻が付いているのに、特徴がまるでなく、髪の色は、ハルケギニアで最も多い、薄い金髪ときている。覚えようにも、とらえどころのない顔-まるで「のっぺらぼう」だ。
(・・・外交官というより、諜報屋か?)
これは「勘」だが、この大使は根っからの外交官ではない。聖堂騎士隊(バラディン)で、異端者を焙り出す活動でもしていたのではないか?必要とあれば、眉一つ動かさず、いかなる残忍な拷問でもやってのける-そんな臭いがする。つい昨日、ロマリア連合皇国から派遣された教皇大使のヌーシャテル伯爵フェデリコ・ディ・モンベリア卿の、特徴のない顔を見ながら、パーマストンはそんな事を考えていた。「のっぺらぼう」は、薄い唇を動かしながら、淡々と説明を続ける。眠気を催すのは、おそらくそれが、神官の説教の調子と似ているからだ。
「・・・だということです。アルビオンとしてはいかがお考えでしょうか?」
「ふむ・・・」
神官との違いは、神の教えではなく、現実の「世界」について語っているということ。
「反対する理由はないが・・・これで、トリステインが納得するのか?」
「納得するのではなく、させるのだとか。水の国の宰相はそう仰られました」
「エスターシュ大公がか」
パーマストンは小さく息を吐いた。
(大した自信だ)
国内の反発は、自分の首と引き換えに収めてみせる-条約と刺し違えるつもりか。しかし、あの若造、昔はそんな人間ではなかったはずだが・・・何があの男を変えたのか。それとも一度失脚して、政治の世界に嫌気がさしているだけなのか?案外、これを口実に、さっさと引退したいだけなのかもしれんが・・・
(どちらにしろ、わが国にとって悪い話ではない)
パーマストンは、この案件は終わったといわんばかりに、ヌシャーテル大使が差し出した書類を閉じた。この件に関しては、所詮ロマリアやアルビオンは第三者に過ぎない。隣近所が盛り上がっても、夫婦喧嘩は止められない(もっとも、夫婦ではないが)。
それにもまして、パーマストンは、このロマリア大使との会談を、出来るだけ早く終わらせたかった。この「のっぺらぼう」な男と、生理的に話していたくない-様々な修羅場をくぐってきた歴戦の外交官であるパーマストンに、そう思わせる何かが、ヌーシャテル大使にはあった。
「さて・・・本題を聞かせていただけますかな」
「ご賢察、感謝いたします」
馬鹿に丁寧な言葉遣い。それがかえって、この男の気味悪さを際立たせている。そもそも、あの若造の、最後の芝居の筋書きを説明させるために、わざわざ教皇大使を派遣するのは、風石の無駄遣い以外の何者でもない。何か別の-本当の目的があるはずだ。
ヌーシャテル大使は、先ほどと同じように。何の抑揚もない声で切り出した。
「神と始祖の教えに背く、不心得者について、ご相談したく」
パーマストンは心の中で(どの面下げて)と悪態を尽いた。
ヌーシャーテル大使の言う「不心得者」とは、新教徒のことである。
ロマリア連合皇国は「光の国」と呼ばれるが、同時にその歴史から「不死鳥の国」という陰口を叩かれている。聖フォルサテの子孫である歴代の「大王」は、「始祖の墓守」という権威を背景に、アウソーニャ半島の都市を纏め上げ、「聖なる国」の拡大を目指した。ブリミル暦2000年代のロマリア大王-ジェリオ・チェザーレ(この頃の大王は聖エイジスを名乗らず、自身の名を名乗った)の時代には、ガリアの火竜山脈から南西部一帯を含む領土を獲得するなど、絶頂期を迎えた。
しかし、ジェリオ・チェザーレの死を切欠に、国は衰退へと向かう。領土の拡大に伴い、都市間の結束が乱れ、そこをガリアにつかれて、南西部からたたき出された。半島外の領土を失うと、都市間の紛争はますます拡大。「大王」の権威は失墜し、フォルサテの子孫も、かろうじて半島が統一国家であると主張するための象徴として、祭り上げられるだけの存在となった。
本来なら、ここで消えていくところだが、そうはいかないのが、この国のどしぶといところである(消えてくれれば良かったのにと、パーマストンは思う)
庶流の大公家から即位した大王・聖エイジス20世(2890-3050)は、即位と同時に、なんと「大王」の称号を放棄。混乱の中、彼は自身を『ロマリア教皇』と名乗ると宣言した。世俗の王ではなく、「始祖の墓守」という宗教的権威に価値観を見出したのだ。
現在にまで続く、ブリミル教をつくりあげたのは、この聖エイジス20世である。ブリミル教の教義は、彼が一人でつくり上げたといってもいい。
聖エイジス20世には「文才」があった。「始祖と愉快な仲間達」だの「始祖のお言葉集」だのをかき集めて作った『始祖の祈祷書』を教典に、始祖の名を冠した、体系的な一神教である『ブリミル教』を確立させた。元々、ハルケギニアの民に始祖ブリミルへの英雄信仰があったこと、王侯貴族にとって、その教えが都合が良かったこと(始祖を称えることは、王権と支配の正統性の強化に繋がる)もあり、身分を問わず、広く受け入れられた。
こうして、聖エイジス20世は、新しく名乗った『ロマリア教皇』という地位に「始祖の墓守」に併せて、「神の代理人としてのブリミル教の協議の唯一の正統な解釈者」という権威を付け加えた。
彼のもくろみは成功した。ロマリア連合皇国は、ブリミル教という新たな衣をまとう事によって、再び国際政治の主要プレイヤーに躍り出た。ブリミル暦3000年代に再び行われた一連の『聖戦』-聖地回復運動を主導して-「聖戦」による諸国の荒廃や、「異教徒狩り」などの消えない傷を、ハルケギニアの民と大地に刻みながら、ハルケギニアでの影響力を回復した。
『停滞の3000年代』をもたらした報いは、当然の如く撥ね返ってきた。
聖エイジス20世は、教えの中に「妻帯の禁止」を盛り込んだ。民間信仰の神官は、その多くが妻帯を禁止しており、対抗するために盛り込まざるを得なかった条文だが、これが自分の首を絞めた。フォルサテの子孫として延々と継いてきた世襲の王家が、その前提となる妻帯を禁止したのだ。聖エイジス20世は、得意の弁論で、何だかんだと理由をつけて「祖王・聖フォルサテの血統を絶やさないため」には「妻帯は駄目だけど妾ならOK」という、女性の全てを敵に回すような、とんでもない抜け穴を作り出した。
堤防は蟻の穴からも崩れる。聖エイジス20世がこの抜け穴を設けた時点で、ブリミル教が堕落していくのは当然の運命とも言えた。自制の美しさはどこへやら、酒は飲む、女は抱く、「宗派」という名の派閥をつくり上げての権力争い。修道院の領地では、貴族領主も真っ青な暴政-無論、すべての神官が堕落していたわけではないが、100人の普通の神官より、1人の堕落した神官の方が目立つのだ。
ブリミル暦4000年。堕落した教会の現状に、ハノーヴァー王国の平民出身の一司祭が声を上げた。
司祭ウィリアム・ロードは「教皇聖下への30の質問」と題した弾劾状をばら撒いて、教会の腐敗を弾劾。『始祖の祈祷書』に記された、始祖ブリミルの教えに立ち戻れと訴えた。
当時のロマリア教皇・聖エイジス27世の答えは「破門」であった。確かにウィリアム司祭の言う、教会の腐敗批判にしても、始祖の教えに立ち戻れも、もっともなことであったが、それを判断するのは、ハルケギニアでただ1人-ロマリア教皇だけ。そのようなことを主張すること事態、「ブリミル教の協議の唯一の正統な解釈者」であるロマリア教皇をトップとする、ロマリア宗教庁の秩序に、喧嘩を売るものであった。
ブリミル教では、「破門」された人間の魂は、天上にも地獄にもいけずに、永遠にさ迷い続けるとされる、最も重い罪であった。教皇権が絶大なブリミル暦3000年代には、破門と脅すだけで、ガリアの王が自らロマリアに謝罪に来るなど(カルカソンヌの屈辱)その効果は絶大であった。聖エイジス27世は、生意気な司祭もこれで黙るだろうと考えた。
「例え舌を切られ、この身が火で焼かれようとも、私の動きは止まらない」
黙らなかった。ウィリアム司祭は、むしろ声高に教会を批判し始めた。そして独自の教典解釈-「実践教義」を唱え始めたのだ。
実践教義とは、大まかに言うと「人間の本姓である欲は自制しようとしてもできるものではなく、むしろそれをあるがままに受け入れるこそが重要」「働いて稼ぐことは悪ではない。商人が商いをすることは、騎士が戦場で杖働きをすることと同じこと。社会に還元さえすれば、商人といえども、天上に迎えられる」いうものであった。
その是非はともかく、一司祭でしかないウィリアムが、独自の教義を唱え始めたとあっては、その教会批判を苦々しく思いながらも聞き流していた宗教庁としても、見過ごせるものではなかった。ブリミル暦4010年、ハノーヴァー王国に聖堂騎士隊を送り込んで彼を捕らえさせ、ロマリア大聖堂前の大広場で、望みどおりに火炙りにした。
炎で皮膚がただれ落ち、異臭と煙が立ち込める中、ウィリアム司祭は聴衆に向かって叫んだ
「自由!自由!自由!」
自由が何を意味していたかはわからない。だがウィリアムの処刑後、「実践教義」を実行するブリミル教徒が増加した。実践教義を唱えるブリミル教徒は、自らを「新教徒」と名乗り、中にはロマリア教皇の権威ですら否定するものも現れた。商人の間では「稼いでもいい」という解釈が歓迎されたのだ。一時期のアルビオンでは「石を投げれば新教徒」という状況になり、聖堂騎士が諸国を回っても、沈静化どころか、火に油を注ぐ結果となった。
その傾向は今に至るまで続いている。さすがにお膝元のアウソーニャ半島には、新教徒は「いない」。歴代の王が熱心なブリミル教徒であるガリアやトリステインなどでも、新教徒は数えるほどしか存在しない。だが、長く騒乱が続き、教会権力が弱く、国境警備の甘い旧東フランク地域諸国の領内では、「新教徒」の活動はむしろ活発化している。司祭や、中には修道院長や大司教の中にも新教徒がいると噂される始末だ。
不倶戴天-新教徒とは共存できないと、歴代のロマリア教皇は(本心はどうであれ)唱えており、それは現在の教皇ヨハネス19世も一貫して宣言していた。
パーマストン外務卿は、この人には珍しく、顔をしかめて嫌悪感をあらわにしていた。
(気に食わん・・・)
ロマリアも、新教徒も、パーマストンにとっては、同じ穴の狢にしか見えない。パーマストンは、自分にも人並みの信仰心はあると思っているが、それ以上でも以下でもない。本当かうそかわからない始祖の言葉の解釈をめぐり、延々と論争をつづける神学者などは、彼の理解の範疇を超えていた。そんな理解不能な人種の話に付き合わされて、面白いはずがない。
険しい顔をするパーマストンに、ヌーシャテル大使が言う。
「人は罪深き存在。気付かぬうちに、人を傷つけているものです」
罪の塊のような貴様らには言われたくはないと言わんばかりに、パーマストンは鼻を鳴らす。それにしても、説教くさいことを言う。まるで坊主・・・坊主の国から来たのだから、当然か。
不機嫌な雰囲気を隠そうともしないパーマストンに、ヌーシャテル大使は神学生に教義を説く神官のように話す。
「貴国も、新教徒にはお悩みでしょう」
「何、教皇聖下ほどではありません」
嫌味を眉の一つも動かさずに受け流したヌーシャテル大使は、逆に逆ねじを食らわせてきた。
「いえいえ。教皇聖下も、アルビオンの歴史には、非常に関心を寄せておられまして」
ピクリと、膝の上で組まれていたパーマストンの手が動く。
アルビオンは、旧東フランク地域と並んで、新教徒の活動が盛んであった。「解放王」エドワード3世の「善意」が引き起こした、小麦飢饉(4500-4521)で苦しむ平民達は、この実践教義に飛びついた。飢饉の対応で手一杯な王政府は、ロマリア宗教庁からの度重なる抗議を受けたが、政変が相次ぐ状況では、打つ手がなかった。
ブリミル暦4544年、トリステイン王アンリ4世が、アルビオンの王位継承権を主張したことに始まる四十年戦争(アルビオン継承戦争。4544-4580)では、反王家勢力の中核として、新教徒が活躍した。四十年戦争終結後、アルビオンでは徹底的に新教徒が弾圧された。「再建王」リチャード12世も、その治世を通じて、新教徒の「改宗」に力を注いだが、それでも「実践教義」は、植物の根のように、深くアルビオンの大地に根付き続けた。5900年には東部のアバディーンで、アルビオンの王族を担いだ新教徒による大規模な蜂起(アバディーン騒乱、またはジャコバイトの乱)が発生し、一時は反乱軍の支配地域が東部全体に及ぶという反乱へと発展した。
前述のヌーシャテル大使の発言は、このようなアルビオンと新教徒の歴史的な経緯があるからである。
パーマストン自身、曽祖父が「ジャコバイトの乱」で戦死しており、新教徒にいい感情は持ってはいない。だからといって、私情を外交政策に挟むほど、彼は子供ではなかった。少なくとも、目の前の男が-その後ろにいるロマリア教皇が、何を目的としているかわからない限りは、うかつなことを話して、言質を与えるわけにはいかない。
ヌーシャテル大使の言葉には答えず、どんぐり眼でじろりと相手の顔を見据える。沈黙は、時には雄弁に勝るのだ。
(それにしても・・・)
見れば見るほど、特徴のない顔だ。つかみどころのない風貌も、意識的に作っているのだろう。こんな人間がゴロゴロいるだろうロマリアの機嫌を損ねることは望ましいことではないが、アルビオンの外交をつかさどる立場として、出来ないことは出来ないと言わざるを得ない-ともかく、全ては目の前の男の発言次第だ。
相変わらず表情に乏しい顔のヌーシャテル大使が、来訪の目的を告げる。
「新教徒に対して、アルビオンとロマリアが連携を強めるために、ロマリアの大使である私が訪れた-というのが『表向き』の理由です」
「前置きはいい。本題は?」
やたらに言葉を飾るのが、ロマリア人の悪い癖だ。下手に相槌を打てば、何時間でも話し続けかねない。
言葉を遮られた事への不満も見せず、大使は「では」と本題を切り出す。
「私は『ロマリア』の大使としてではなく、『教皇聖下』の使いとして参りました」
(聖下の使いと出たか・・・)
パーマストンは舌打ちした。国と自分が必要だと判断すれば、どんな馬鹿馬鹿しい建前でも、始祖像のごとく崇めて来たが・・・虚構の上に立ち、虚構の権威を唱えながら、それを虚構だと知る者たちの派閥争いの片棒を担ぐとあれば、面白いはずがない。
「なるほど・・・教皇聖下はお優しい御心の持ち主のようだ」
ブリミル教の総本山であるロマリアと、アルビオンとの連携は、大陸諸国-特に新教徒の多い旧東フランク諸国を刺激する。いくら新教徒対策が必要だとはいえ、妥協はありえないロマリアと手を組むとなれば、関係悪化は必至。アルビオンにとっては、得るもの少なくして、失うものが多いばかりの「同盟」である。
「教皇聖下は、信仰篤きお方ですが、それを強要する事はありません」
「なるほど・・・友人としては望ましいかぎりですが、ブリミル教のトップとしてはどうなのですかな」
そして、ヌーシャテル大使が、初めて表情を作って見せた。
口の端だけを半月状に吊り上げて造った笑みに、パーマストンはゾッとすると同時に、生理的な嫌悪感を覚えた。
「最終的にネズミを狩ればよいのです。そして、狩るのは猫でもネズミ捕りでも構いません」
・・・国の土台を揺るがすという点では、同意する。同時にパーマストンは、どこか引っかかるものを感じることの出来る自分の感性に安心もした。
現ロマリア教皇ヨハネス19世-バルテルミー・ド・ベルウィックは、ガリアのベルウィック公爵家出身。教皇選出会議(コンクラーベ)では、保守派のイオニア会系勢力と、ガリア出身の枢機卿らの支持を得て、第294代教皇に選出された。
話はさかのぼるが、聖エイジス27世は、新教徒対策に失敗したため、任期途中の弾劾まで検討されるほど、権威が失墜した。新教徒の爆発的な増加と、揺らぐ教会の権威に危機感を持った宗教庁では、いくつかの改革が行われた。
教皇選出会議(コンクラーベ)の不文律打破も、そのひとつである。聖エイジス20世は、建前上「教皇」を、世襲ではなく、枢機卿の投票によって選出されると既定した。しかし実際には、聖フォルサテの血を受け継ぐ7つの侯爵家(選帝侯)出身の枢機卿から選出され、外国貴族出身の枢機卿は勿論、ロマリアの貴族出身であっても、いかに選帝侯出身の枢機卿より優秀であっても、選ばれたことはなかった。
聖エイジス27世崩御後、選帝侯出身の枢機卿には、平時ならともかく、この非常時を乗り切るだけの器量を持った人物はいなかった。そして「教会の因習打破」を訴えたトリステイン出身のパウロ枢機卿がコンクラーベで選出された。こうしてロマリア史上初の、聖フォルサテの血統以外からの教皇-グレゴリウス1世が誕生。聖エイジスは、聖フォルサテの血を継ぐ選帝侯家出身のみが名乗ることとなったのだが・・・
待っていたのは、教会改革ではなく-血こそ流れないが、反吐が出るほど薄汚い権力闘争劇であった。
いくら権威が失墜したとはいえ、始祖ブリミルの弟子・聖フォルサテの子孫というのは、それだけで敬意を持たれる存在。教皇の権威(使徒座)とは、「神の代理人」でも「ブリミル教の最高権威」でもなく、「始祖の墓守」の子孫という事実だけだったのだ。ところが、ただの(ただのと言うと変だが)貴族出身の教皇には、そんなものは存在しない。選帝侯出身ならまだ納得できるが、貴族出身となれば「なんであいつが」「俺のほうが」という我執が出てくるのは、むしろ自然なことだった。
こうして、それまでは選帝侯家の綱引きに過ぎなかったコンクラーベが、以前にもまして重要な地位を持つことになった。「即位すれば死ぬまで教皇」とあって、有力候補は支持を得ようと、本来の仕事を放り出して走り回り、支持者は、教皇就任後の見返り(ポスト)を期待して、金をばら撒きの、女を抱かせのと支持獲得に奔走した。「聖人になりたきゃ、大聖堂の連中と反対のことをやればいい」という戯言が、ロマリア市内で流行したのも、無理からぬ話だ。
宗派間の対立が激化したのも、この時期だ。「保守派」だの「改革派」だのは、それまでは一応「祈りの言葉の順番は」「始祖の祈祷書第4節第3節の解釈の違いにより」と頭に関していたのだが、これを境に、教皇選挙を優位に進めるための「派閥」と化した。
当初の目的とは反対に、コンクラーベの不文律打破は、教会の分裂をもたらしただけであった。
選挙は投票ではなく、事前の活動が本番だ。教皇が死ぬ寸前でなくとも、むしろピンピンしている間から、選挙準備は始まっている。現教皇とその派閥は、自身の後継候補を、非教皇派の派閥は、対立候補を据えようと、虎視眈々と活動している。現教皇が後継者を認めさせるためには、まずは実績を残すことである。「何もしない」という安全策もあるが、他派閥から「無策だ」という批判を受けかねない。
教皇の出来る仕事は多くはない。宗教庁改革は、自分の支持者を失うことになりかねず、歴代教皇は手を出すことはなかった。となると、一番望ましいのは、全教会が結束して対応できる「新教徒」対策となる。とはいえ、新教徒対策は「心の問題」というだけでなく、国家主権も絡んでいるだけに、効果的な対策が難しい。アウソーニャ半島内の新教徒は、早くに「改宗」させたため、国外に住む新教徒が対象となるが、実際のところ、国内に新教徒を抱える国に対して「対策」を求めるぐらいしか、とる手はなかった。トリステイン王国やグラナダ王国のように、王家が熱心なブリミル教だといいが、旧東フランク諸国のように、新教徒対策に熱心でなく、むしろ黙認しているとなると、効果的な「改宗」は難しい。昔のように、聖堂騎士団を送り込むわけにも行かない。
聖ヨハネス19世は、「対応を求めた」という事実が欲しいのだ。効果を上げれなくとも「行動した」という点数稼ぎにはなる。アルビオンが新教徒に良い感情を持っていないことは、大陸諸国は知っている。連携は出来なくとも、拒否することはないだろう・・・
「現実主義者」と噂される教皇らしい、姑息なやり方だ。
点数稼ぎに付き合わされるパーマストンは、苦々しげに掃き棄てる。
「やはり教皇聖下のご心痛、一方ならぬものがあるようですな」
「さすがパーマストン卿。ご賢察、恐れ入るばかりです」
歯の浮くような台詞でありながら、頭の一つも下げようとはしない。これが自分の部下なら、杖の一つでも振っているところだ。手土産の一つも持ってこないで、何を言うか
そんなこちらの気持ちはお見通しといわんばかりに、ヌーシャテル大使は「手土産」を広げ始めた。
「何、ただとは申しません。わがロマリアが手に入れた、お望みの情報を提供いたします」
大体想像は付くが、確認のために尋ねる
「ジャコバイトか?」
パーマストンの言葉に、わが意を得たりと膝を打つ大使。これで気味の悪い笑みさえ浮かべていなければ、どこぞの劇場で役者として食えるだろう。
「ジャコバイト」は、四十年戦争の際、トリステイン側に属したスチュアート大公家と、その子孫こそが、正統なアルビオン王と主張する者を指す。四十年戦争で、スチュアート大公家のヘンリー・ストラスフォード3世は戦死し、その子ジェームズ(老僭王)の擁立を訴えたことから「ジャコバイト」と呼称されるようになった。ジャコバイトは長く、反王家勢力の中核として活動し、国内の新教徒と結びついて、長くアルビオンを苦しめた。アルビオンの反新教徒感情は、1500年以上の長きにわたるジャコバイトとの戦いによって形成されたといってもいい。5900年のアバディーン騒乱で、スチュアート大公家のジェームズ8世が戦死したことにより大公家は絶えたが、ジャコバイトは、いまだにアルビオンの大地の下で蠢動し続けている。
そしてアルビオンは現在に至るまでジャコバイトの大陸における活動拠点を掴めないでいた。
「さすがアルビオンにこの人ありというパーマストン卿、とても私ごとき非力非才の及ぶ所では・・・」
「世辞はいらん」
世事を聞いて嬉しくない者はいないが、この大使に言われていると思うだけで、全ての言葉が不快に感じる。それにしても、非力非才とは・・・どの口が言うか
「ネズミは誰がとってもいい」とはよく言ったもの。ロマリアは自分の手を汚さず、新教徒を始末させるつもりだのだ。確かに、ロマリアが「新教徒対策」といえば内政干渉という批判も飛び出すだろうが、アルビオンが「反アルビオン勢力の取り締まり」と申し入れれば、表立った反論は難しい。
ロマリアの手のひらで踊らされているようで気分が悪いが―それも、1000年以上に及ぶジャコバイトの因縁を断ち切れるのなら、どんなくだらない芝居にでも付き合ってやるさ
「それで、やつらはどこにいる?」
ヌーシャテル大使は、相変わらず気味の悪い笑みを浮かべながら、一つの地名を告げた
「トリステイン王国西沿岸部、神から見捨てられし地-アングル地方」
「ダングルテールか」
何故か、妙な胸騒ぎを覚えながら、パーマストンはその地名を何度も繰り返した。