連合皇国の首都ロマリアで、4年に一度の風物詩となっているもの-それは、教皇選出会議(コンクラーベ)である。教皇に選出される平均年齢は70歳、大体在任の4年目で始祖の下に召される計算だそうだ。
これは教皇選出会議の制度が関係している。会議で投票できるのは、枢機卿以上の高位聖職者に限られている。司教であり、10人以上の枢機卿の推薦を受ければ、立候補できるため、論理的に言えば、平民司教も教皇になれるが、何の後ろ盾もない司祭が立候補したところで、投票で勝ち目はない。そのため、実際に候補者となるのは、選挙戦を十分に戦うことが出来る有力枢機卿に落ち着く場合が多い。支持を集めるためには、それなりの準備と経験が必要であり、ある程度の時間が必要となる。自然と候補者の年齢も上がるというわけだ。「坊主は長生き」と言うが、それでも70歳から、10年も20年も続けられるわけがない。
4年に一度の「狂宴」は、ロマリアの市民にとっては、格好の娯楽である。人事を予想するのは面白い。当たればなお面白い。賭けていた金が増えれば、もっと楽しい-現在の教皇が、ロマリア市民に人気がない本当の理由は、就任から6年目になるのに、未だに死にそうにないからだという小話があるくらいだ。
この小話を聞いたナザレン神学校のある神学生は、次に発した一言で、同級生から「ユーモアがある」と褒められることになる。
「老人は、労わるものだ」
自らを褒め称える同級生を前に、彼-ジュール・マンシーニ=マザリーニが、その端正な顔を不機嫌そうにゆがめたのは、言うまでもない。
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(赤と紫)
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御年74歳になる現ロマリア教皇ヨハネス19世-バルテルミー・ド・ベルウィックの朝は早い。日が上る前に起き上がり、完全に太陽が顔を出したときには、すでに身だしなみを整え終えている。その反対に夜は早く、日が沈みだした頃に着替え始め、完全に沈んだときには、すでにベットに入っているというのだから、徹底している。
それに付き合わされる神官や聖堂騎士はたまったものではない。しかし、この老教皇は、断固としてその生活スタイルを変えようとしなかった。60年以上もこの慣習を続け、実際に風邪の一つもひいたことがないのだから、たいしたものである。これを「融通が利かない」と見るか「周囲に流されない」と見るかで、評価が分かれるところだ。
いつものように、日の昇る前に目覚め、朝の祈りを済ませたヨハネス19世は、いつものように機嫌が悪かった。ここ数年、この老教皇の機嫌が良かったことはない。ザクセン王が領内の修道院に課税すると聞けば怒り、聖堂騎士隊の服装が乱れていれば、風紀が乱れていると延々と説教をし、雨が降りそうになると、足の古傷が痛み出すために気分を害する。
往々にして、人は年齢を重ねると、堪え性がなくなるという。だが、この老人の気の短さは、よくある老人のそれを超えていた。元々の性格もあるのだろうが、政治家にして政治屋、経営者にして行政官、そして何より、全ブリミル教徒を統べる存在である老人の頭を悩ませることは、悪魔の誘惑のように多く、『破門』を宣告したい人間は、掃いて捨て、砕いて煮て、流民に配るスープに混ぜてしまいたいほどいるからだ。
『破門』の誘惑に駆られながら、それを表情にはおくびにも出さずに、目の前の人物の要望を聞くヨハネス19世。迷える者の話を聞き、道を示すのが「商売」とはいえ、好き好んでサハラに迷い込んだ者に、帰る道を指し示すことは、果たして自分の仕事なのかどうか。神や始祖ならともかく、自分はそこまで暇ではない。
「昨年の旧東フランク地域の天候不順による不作の影響もあり、流民は増えるばかりです。城門での流民対策も限界があります。このままでは週3回の炊き出しも中止せざるを得ません」
迷える大馬鹿者-ロマリア市のガエターノ・ラパニエッダ食料局長は、自分の言動が、気難しい老教皇の機嫌を損ねている事は重々承知した上で、自分の主張を得々と述べる。
「教皇聖下、何とぞ迷える流民達に御慈悲を」
「・・・週2回の炊き出しを、3回にしたのは、君の判断だそうだな」
「はい。恐れながら、飢える流民に手を差し伸べる事が、聖下と始祖の御心に添う行為であると考えた次第です」
口調こそ丁寧ではあるが、ラパニエッダの表情からは、まったく自分への敬意が感じられない。目鼻立ちが整ったその顔は、もうすぐ40になるというのに、肌の張りや髪のつやにはいささかの衰えも見えない。一言で言えば、女子供に好かれる容貌だ。実際、市民にも人気があるという。
ロマリア市政は、市議会がその実権を有する。権威や権力という物に、生理的に拒否反応の強いアウソーニャ半島の中でも、ロマリア市民のそれは、群を抜いている。名目上は、教皇が市長や市議会議長を指名することになっているが、実際には議会の多数派を追認しているだけの話。ある意味、政教分離が最も進んだ都市が、教皇のお膝元であるというのが、何とも皮肉な話だ。これは、ロマリア市に限ったことではなく、アルクレイヤなどの連合皇国を構成する自治都市にも共通したことであり、ブリミル教を完成させた聖エイジス20世以来、宗教と政治の関係に、長年苦しんできたロマリアならではの『智恵』である。
ヨハネス19世は、その『智恵』とは、詰まる所「バランス」だと考えている。
各王国や都市の政治や外交に、全く宗教庁の影響力が無い訳ではない。トリステインやガリアに置ける教会の影響と比べれば、その違いは明らかである。しかし、最低限の超えてはいけない範囲を、構成国と宗教庁は『暗黙の了解』として把握していた。それを越えれば、市長や国王、たとえ教皇といえども、必ず失脚する。
目の前の男は、そのバランスを意図的に壊し、自分の為だけに利用しようとしている。それが老教皇には気に食わない。
連合皇国の首都にして、始祖の眠る地であるロマリアには、さながら、砂糖に群がる蟻の様に、ハルケギニア中から流民が集まる。職にあぶれた者、故郷を捨てた農民、破産した商人、家族に捨てられた孤児、そして障害者や、戦場で傷を負った兵士・・・ハルケギニアの最下層の中で、ロマリア市にいないのは、新教徒ぐらいのものだ。
しかし、何事にも限りがあるように、手持ちの砂糖(配給)には限度がある。それを、目の前の男は、それも砂糖を配る責任者であるはずの男は、それをわかっていながらやっているのだから、性質が悪い。
ロマリア市で定期的に行われている貧民への炊き出しは、社会保障の一環である。家も職も、食事もない彼らをほうっておけば、何をしでかすかわからない。それに飢える貧民を放っておくことは、普通の領主ならいざ知らず、教皇聖下のお膝元では外聞が悪すぎる。
『ハルケギニア一の資産家』という陰口を叩かれるロマリア教皇だが、その資産は無限ではない。教会の資産には、すぐに現金化できないもの、そもそも現金化が不可能なものも多く含まれている。献金は相手の善意に頼るもので、景気状況に左右されるため不確実。恒常的に支出しなければならない莫大な人件費や、必要最低限の活動資金を差し引くと、実際に宗教庁が自由に使える予算など知れたものだ。それを使って、毎日やってくる貧民に炊き出しを行っていれば、すぐに蓄えなど尽きてしまう。
そのため、流民への食料配給の資金は、ロマリア市と宗教庁が出資し、ロマリア市食料局が配給することになっている。個人の篤志家や、各宗派の教会ごとが行う炊き出しを含めて、それぞれが互いの「バランス」を守り、配給を行っていた。
それを、目の前の男が、自らの職権で、週2回の炊き出しを、3回としたことでバランスが狂った。貧民への同情から行った行為であれば、まだ救いはあったのだが、この男の場合は、ただの人気取りだ。「困っている貧民に手を差し伸べることは、神の国の首都に住む我らの義務である」選挙民である家持の有産者階級にとっては、自尊心をくすぐる、耳に心地の良い話だろう。実際、このラパニエッダも、来年に任期満了を迎える現市長の後釜を狙っていると聞く。
当然、財源の裏づけなどないから、行き詰るのは目に見えていた。その尻を、教皇である自分のところに持ってくるなど、お門違いもいいところだ。
野太いが、よく響く声で、ラパニエッダの要請を断るヨハネス19世。
「残念だが、余裕がなくてな。期待には添えん」
「なんと!」
ラパニエッダの芝居がかった振る舞いが、いちいち癇に障る。故郷のガリアを出て、早50数年。未だにロマリア人の、過剰ともいえる言葉の装飾や、芝居がかった立ち振る舞いは、好きにはなれない。
「これは、教皇聖下のお言葉とは思えないお言葉!困る民が目の前にいるのです、何故その手を差し伸べられないのです?あぁ、聖下のお考えがわかりません。私ごときには、聖下のお考えが理解できないのは当然で・・・・・・」
大仰に落ち込んだ仕草をラパニエッダがした瞬間、ヨハネス19世はその額に、水の入ったコップを投げつけた。護衛する聖堂騎士や、秘書官が驚いているが、構うものか。目の前の男が、髪から水を滴らせながら、怒りに顔を震えさせているのが見れただけで十分である。
「・・・これが、飢える民達へのお答えですか」
「帰りたまえ。こう見えても忙しいのでな」
それに、十分選挙対策になっただろうと、声に出さずに呟く。ラパニエッダは、断られることを承知でこの話を持ってきたに違いない。そして、人気のない自分を「悪役」にして、反権威が大好きなロマリア市民に「自分は教皇であっても、もの申す市長になる」とでも言うつもりなのだろう。選挙対策に付き合った上に、水をぶっ掛けられるという、格好の材料を提供してやったのだ。むしろ感謝して欲しいぐらいだ。
「何を言おうと構わんが、ものを申すなら、それなりの覚悟をしてからにしたまえ。わしは、始祖のように心が広くないのでな」
何も答えず、怒りの籠もった一瞥を送り、大股で部屋を出て行くラパニエッダ。
老教皇の機嫌は、水を掛けたことによって多少好転したが、またすぐに顔をしかめた。
ヨハネス19世の風貌は、たった今出て行ったラパニエッダとは違い、少なくとも女子供に好かれる顔立ちではない。頬はそげ、目は落ち窪んで眼光鋭く、ヘの字に大きく結んだ大きな口に鷲鼻。聖職者というよりも、物語に出てくる、頑迷なドワーフの鍛冶職人のようだ。その老人が、思いっきり顔を顰めているのだから、赤ん坊が見ればトラウマになりそうな、それはもう大変な形相である。
教皇である自分を選挙に利用しようなど、いい度胸であると感心もしたが、ヨハネス19世は、怒りが先に来た。自分がロマリア市民に人気がないことは自覚していたし、それゆえに自身の宗教庁内での求心力が低下しているのも薄々気が付いていたが、こうも露骨に見せつけられると・・・それも、あのような自分の半分しか生きていない若造になめられるのは、我慢がならない。
(全く、どいつもこいつも)
ヨハネス19世は、苛立たしげに、机を人指し指で叩く。
老教皇は何もかもが面白くなかった。幾多の先人の例にもれず、ヨハネス19世も。最近の風潮に不満を持っている。
老人の見るところ、最近の平民はもちろん、聖職者や貴族、果ては国王に至るまで、誰も彼も彼もが本音をむき出しにし過ぎている。確かに、本音は大切だ。しかし「建前」の重要性をわかっていないのが、老教皇の目には危うく映る。騎士道、道徳、正義、そして教会やブリミル教も、結局のところ、突き詰めれば「建前」だ。
しかし建前あってこその本音であり、逆ではこの世は無秩序になる。
それをわかっていない者が多すぎる。古臭いだの、手垢の付いただの、回りくどいだの・・・建前には、それなりの理由があるのだ。全く意味もない建前などありえない。本当に意味がないものは、とうの昔に廃れてしまっているのだから。
新教徒どもなど、その最たる例だ。あの不心得どもは、教皇や教会組織は「無駄」だという。神や始祖と、信徒の間を、教会が遮っていると。教皇の紫の神官服を一着作る費用があれば、何人の食料を配れるかと。
(あの偽善者どもめ)
教皇は苛立たしげに首筋を叩いた。
大体、貧民どもに「餌付け」するその姿勢が気に食わない。確かに、自らの衣食を削って、目の前の飢える民に食料を配る行為は、称賛に値する。しかし、それはあまりにも安易だ。今日をしのげる食べ物をやって、その後はどうするのだ?職も住居も、無尽蔵にあるわけではない。一日や二日、命をつなぐだけの、その場しのぎではないか。自らも貧民と共に餓死する覚悟があるなら、それは一つの見識だろうが、あいにく新教徒の牧師が餓死したという話は、トンと聞いた試しがない。
偽善を偽善と弁えているならそれでいい。だが、建前ばかりを振り回し、彼らが信仰の本質だという貧民の救済に、根本的な解決策を示さず、さも自分達だけが、真の始祖の教えを継ぐものだという。そして、宗教庁の「建前」を批判するなど・・・それこそ笑止千万ではないか。
そこまで考えて、老教皇は眉間のしわを深くする。
(・・・それでも、あの男よりましか)
自らの身を削る分だけ、むしろ肥え太ろうとする食料局長よりはましだ。
ロマリアの市議会は、市民性なのか、とにかく政争が激しい。政敵に勝つためには何でもする。たとえ、流民が票を持っていなくとも、それが人気取りになると理解しているから、あの男は、自分から配給のスープを配るパフォーマンスを行う。もし流民達が犯罪を起こし、市民の流民への感情が悪化すれば「犯罪者をたたき出せ」と叫び出すだろう。
建前なき政治家は、こうも醜くなれるものなのか?世論に敏感だと言えば聞こえがいいが、貴様らには信念がないのかと、小一時間ほど説教したい気分に駆られる。たとえしたところで、蛙の面に小便だろうが。
ぶつぶつと呟き続ける、明らかに機嫌の悪い老教皇に、おずおずと秘書官が告げた。
「聖下、ヌーシャテル伯爵が」
「通せ」
間髪いれずに答えるヨハネス19世。いつもなら一秒たりとも見たくない、人形の様なあの男の顔を、今は無性に見たくなった。
***
「ずいぶんとお早い拝謁、感謝いたします聖下」
相変わらず特徴に乏しい顔をした、ロマリア連合皇国外務省のヌーシャテル伯爵フェデリコ・ディ・モンベリア卿は、淡々と感謝の意を表す。皮肉を言っているように聞こえるが、これがこの男の常日頃の言い回しであるのは、外務長官時代からの付き合いで知っている。
その人形の様な顔を見て、ヨハネス19世は安堵した。いつもなら気分を害するであろう、どんな時でも変わらないその表情が、実に小気味よく感じる。
(何を考えているかわからない男の方が安心するとは)
かなり疲れているのだなと、苦笑を漏らした。肉体的な意味でもだが、本音を丸出しにする枢機卿や政治屋に振り回されるのは、老人の頭の芯に、とてつもない疲労をもたらす。同時に、自分の笑いの意味を問い返さないヌーシャテルに満足した。
この男の経歴はよくわからない。出身地も家も、年齢ですら本当かどうか。だが、政争に敗れた貴族が、献金と引き換えに名前を変えて聖職者になったり、某王家の私生児だという枢機卿がいるロマリア宗教庁ではよくあることであり、ヨハネス19世も気にしてはいない。
前教皇ボニファティウス10世に認められ「ヌーシャテル伯爵」の称号を与えられたというが、どういう功績を立てたかはわからない。ヨハネス19世自身も、外務長官時代に前教皇に、この部下の詳細について聞いたのだが、誤魔化された。おそらく「裏仕事」だとは察しがつくが、余計な詮索はしない。与えられた任務にのみ忠実で、余計なことを言わない存在である彼を手放したくなかったからだ。
「結論から申し上げます。ノルマンディー大公の反乱と、エルコール・コンサルヴィ枢機卿は無関係です」
「そうか」
ヨハネス19世は、その左右対称にへの字に曲がった大きな口の端から、小さく息を吐いた。
ガリア北東部を治めるノルマンディー大公ルイ・フィリップ7世の反乱は、ロマリアにも深刻な影響をもたらした。直接的な影響もそうだが、何よりも現教皇派にとっては、手痛い失点だということで、関係筋では大きな関心を集めた。
教皇選出会議(コンクラーベ)では、二つの要素、宗派と人脈がものを言う。宗派は、保守派のフランチェスコ会や改革派のカルメル修道会などの考え方の違いによるグループ、人脈は出身国別のグループであるが、要は「派閥」である。前者が思想的派閥、後者が出身国別の派閥といっていい。思想的派閥といっても、一部の聖地奪回論を主張するものを除き、基本的にノンポリ。新教徒とは違い、ロマリア教皇の定める教義内での解釈論争に、大きな差異が生まれるはずがなく、派閥ありきの解釈論争でしかない。そのため、選挙の時には保守派のフランチェスコ会と、改革派の東フランク騎士団の連携などという、奇想天外な選挙協力もできるわけだ。
ここ200年余り、教皇選挙は、宗派ではイオニア会とフランチェスコ会の2大保守派勢力と、東フランク騎士団の改革派勢力が入り混じり、そこにガリア出身の派閥勢力(ガリア派)が加わった四つ巴の戦いが繰り広げられている。三つの宗派は、それぞれ単独で過半数を占めることが出来ず、キャスティングボードを占めるのは、結束力の強いガリア派であった。これはガリアの人口が飛びぬけて多く、自然と同国出身の枢機卿の割合が多かったのと、リュテイスが政策的にガリア出身の枢機卿団を資金面で後押ししていたためだ。
実際、前回の教皇選出会議(コンクラーベ)では、前教皇ボニファティウス10世を支えた保守派のイオニア会系勢力と、ガリア出身の枢機卿が手を組み、外務長官であったバルテルミー・ド・ベルウィックを擁立。実家のベルウィック公爵家やガリアの支援も受け、第294代教皇-ヨハネス19世に選出された。
選挙に負けると悲惨である。それは聖職者でも変りはない。むしろ、日頃何かと自制を強いられる彼らのほうが、他の欲望を、ゆがんだ形で無理やり抑え込み、人事や選挙に傾けるため、それはもう大変なものだ。選挙後はロマリア市議会も真っ青な報復人事が行われ、非主流派は、主流派の顔色を伺いながら、自腹を切って次の選挙に向けての活動を続ける。主流派は、負けたときのつらさを身にしみているため、死に物狂いで次の選挙に勝とうとする。
ヨハネス19世は、その風貌や、角張った言動で、とにかく人気がなかった。教皇は、基本的にはよほどのことがない限りは、死ぬまで教皇である。生きている間から、次の教皇選挙の準備が始まるが、現教皇を擁立した勢力にとって、ヨハネス19世の人気のなさは致命的であった。「このままでは次の選挙に負ける」と、ガリア派とイオニア会が焦る中、発生したのが今回の反乱である。イオニア会が頭を抱えたのは、言うまでもない。
ノルマンディー地方を管轄する司教枢機卿のエルコール・コンサルヴィは、ガリア出身の、いわゆる「ガリア派」である。その交渉能力の高さから、ヨハネス19世の外交ブレーンとして知られているが、同時にルイ・フィリップ7世との公私にわたる親交も有名であった。
「ノルマンディー大公の反乱を、エルコール・コンサルヴィ枢機卿は、事前に知っていたのではないか?」という声が出るのも、無理からぬ事であった。無論エルコール本人は否定したし、彼がそのような策謀を巡らせる人物ではないことは、宗教庁の誰もが認識していた。しかしこの失点を政敵が逃すはずがなく、東フランク騎士団系列の枢機卿は声高にこの説を唱え、フランチェスコ会系の枢機卿も、あくまで第三者的立場を装いつつ、事実関係の厳重な調査を訴えた。
この問題がややこしいのは、ガリア王政府が、フランチェスコ会系勢力を後押ししているという点である。ガリアにしてみれば、今回の反乱をエルコール・コンサルヴィ枢機卿と結び付けることができれば、北東部の教会勢力の領地を没収出来るチャンス。たとえ自国出身の教皇が困ろうと、天秤にかけるまでもなく、どちらを選択するかは明らかであった。
ヨハネス19世は、母国の裏切りに憤慨しながら、事実関係の非公式な調査を、ヌーシャテル伯爵に命令した。たとえ声高に叫ぼうとも、事実は何よりも雄弁に物語る。司教会議の場で正々堂々と主張できるだけの確証が、裏付けが欲しかったのだ。
「まぁ、どちらでもよかったのだがな」と、呟くヨハネス19世。自らの仕事の価値を否定するかのような言葉にも、表情を変えないヌーシャテル伯爵に、久しぶりに機嫌がいい老教皇は、滑らかにいつもの口癖を交えつつ話しだす。
「何事もバランスじゃ。流れる水は腐らないが、流れのない水はすぐに腐る。コップの移し替えでも、それはそれなりに意味はある・・・グレゴリウス13世、ボニファテイウス10世と、イオニア会とガリア派が手を組んだ教皇が続いたからな。わしも入れると3人目、足掛け15年。そろそろ、交代の時期じゃ」
「・・・ガリア派が分裂しても、かまわないと?」
慎重に言葉を選びながら言う伯爵に、頷いて答える老教皇。
「わしの死んだ後など知ったことか・・・と言いたいが、そうはいかん。何より、ガリア派は強くなりすぎた」
出る杭は打たれる。その人数と豊富な資金力を背景とする団結力で、ガリア派はここ最近、教皇選出会議では必ず勝ち馬に乗ってきた。3大宗派は当然のこと、トリステイン、イベリアと、他国出身の枢機卿が、ガリア派を好ましく思っているわけはない。おまけに大公の反乱と、ガリア出身の現教皇の不人気-次の教皇選挙で「ガリア派外し」が行われる可能性は極めて高い。
それは、ガリアにとっても、宗教庁にとっても不味い事態だ。ガリアを外して選挙に勝っても、宗教庁内でガリア出身の聖職者が多いのは変わらない。反ガリアで一本化したとしても、所詮は烏合の衆。政権運営が息詰まるのは目に見えている。そしてなによりも、要職から外され、宗教庁の情報を得られなくなったガリア本国が、今までの通り献金をつづけてくれる保証は、どこにもない。
その事態を避けるにはどうすればいいか、ヨハネス19世は老人なりに解決策を考えていた。
「ガリアは数が多いから嫌われる。しかしそれが2つか3つに分裂すれば、その他大勢の一つにすぎなくなる。キャスティングボードどころの話ではない」
そしてこれは保険でもある。たとえ一方が選挙で負けても、もう一方が勝ち馬に乗れば、リュテイスと宗教庁のパイプは保たれる。数の多いガリアだからこそできる保険のかけ方だ。
軽く眉間をもむヨハネス19世。まったく、神はこの年寄りを、どこまで働かせたら気が済むのか。
「あくまで内部対立ゆえの分派でなければならん。ノルマンディー大公には悪いが、ここはガリア派を分裂させるための道化役となってもらおう。伯爵にもいろいろ働いてもらうと思うが・・・出来るな?」
「はい」と答えるヌーシャテル伯爵に、胸をなでおろす老教皇。この男が「はい」と言って、成功しなかったことはない。満足げにうなずいていると、ヌシャーテル伯爵はそれを見計らったかのように「もう一つご報告が」と調査報告を淡々と続けた。
ふ ざ け る な ぁ !!!!
執務室に、ヨハネス19世の怒声が響いた。
***
ロマリア連合皇国外務長官のカミーロ・ボルケーゼ枢機卿は、自らの仕える老教皇の様子を、部屋に入る前から予想出来た。そしてそれは、案の定、寸分の狂いもなく当たっている。こめかみに青筋を立てるヨハネス19世の話を、心中でため息を吐きながら聞いていた。
「だから選帝侯家など、さっさとつぶしてしまうべきだったのだ。聖フォルサテの名を汚すごくつぶしどもめ、金と暇のあるバカは、碌な事をせん・・・」
よほど腹に据えかねるのか、苛立たしげに貧乏ゆすりをする老教皇。とてもブリミル教のトップである教皇とは思えない態度だ。しかしカミーロも、内心ではヨハネス19世と、全くの同意見であった。
選帝侯-聖エイジス20世の時代に定められた聖フォルサテの血を受け継ぐ7つの侯爵家を指してこう呼ぶ。かつて教皇選出会議の不文律が打破されるまでは、教皇を持ち回りで輩出していた。そのうち2つの家は絶え、現在は5つの侯爵家が存続している。すなわち、セレヴァレ侯爵家、トスカーナ侯爵家、ゴンサーガ侯爵家、ゴンサーガ・ネヴェル侯爵家、そしてリーグレ侯爵家の5侯爵だ。当主はそれぞれ、自動的に助祭枢機卿になることが出来、教皇会議の選挙権と被選挙権を有していたが、トスカーナ侯爵家のエイジス30世(在任6098-6120)以来、教皇を輩出していない。
ヌシャーテルのもたらした情報、それはゴンサーガ・ネヴェル侯爵家当主のフェデリーコ=ゴンサーガ・ネヴェル枢機卿が、独自にノルマンディー大公の公子、ジャン・フィリップを煽り、反乱を起こさせたであろう事。そして反乱軍に独自に援助をしているという明確な物的証拠であった。
ヨハネス19世は、ここ数年にないほど怒っていた。一人の大馬鹿者、ゴンサーガ・ネヴェル枢機卿の行為は、宗教庁のみならず、連合皇国という枠組みそのものを揺るがす行為であったからだ。
連合皇国という、ロマリア教皇を頂点とする国家連合。宗教権力が国家や都市などの世俗国家をまとめるという、ゆがみや矛盾は、数えきれないほどある。しかしながら、曲がりなりにもアウソーニャ半島が一つにまとまっていたからこそ、これまで北のガリアからの圧力を跳ね返すことができたのも事実だ。
反抗心旺盛で、権威が嫌いなアウソーニャ半島の各都市をまとめ上げる労力は、並み大抵のものではない。それこそ、ヌーシャテル伯爵や、聖堂騎士隊の「出番」もあった。
光の国を維持するために、裏仕事を命じる-この点に関して、ヨハネス19世にはその命令を下すのに、何の躊躇いもなかった。ロマリアなき半島、教皇なきブリミル教がもたらす破滅的な無秩序と、その結果ひき起こるであろう流血の事態を考えれば、いくら矛盾があろうと、今の「光の国」を維持することのほうが、リスクは少ないと信じていたからだ。
そして、その「建前」をいたずら半分で弄ぶ者は、自らの地位と責任が欠如した行為を繰り返す者は、断固として許す事ができなかった。それがたとえ、聖フォルサテの子孫であっても・・・いや、子孫だからこそ、許してはいけない、あってはいけないことなのだ。
フェデリーコ=ゴンサーガ・ネヴェル枢機卿の、薄い笑みを浮かべた顔を思い出すだけで、ヨハネス19世の中で、抑えきれない激情がわきあがってくる。いつも眠そうで退屈気な眼をしたこの枢機卿は、教義や宗教庁の出世にはまるで関心がない。その代わりに、芝居や歌劇については、並々ならぬ興味と才能を示していた。新作が上映されると、必ずこの若き枢機卿の論評が新聞に載り、彼に認められればヒットは間違いなしというほどである。
その演劇バカが、何をとち狂ったのか。内政干渉どころではない。何せ一方の当事者なのだ。もしこれが他国の知るところとなれば、それは連合皇国の枠組み自体を揺るがしかねない。聖フォルサテの子孫の引き起こしたスキャンダルは、間違いなく教会権力の失墜につながる。教会という求心力を失ったアウソーニャ半島が、再び戦乱の時代に突入する可能性も否定できない。
「見ているだけでは我慢できずに、自分でもやりたくなったのだろうよ、あのバカは。現実と虚構の区別が付いておらん・・・大した考えもなく、贔屓の役者のパトロンになるような気持で支援しているのだろうて」
ボルケーゼ枢機卿は恐る恐る尋ねた。
「いかがなさいます?ガリア政府へは・・・」
「アホか貴様は!」
ヨハネス19世の剣幕に、押し黙るボルケーゼ。机を限界まで握りしめた拳で殴りつけながら、憤懣やるかたないといった様子で、教皇は怒鳴る。
「いかがも、くそも・・・ガリア国内の教会領を没収してくださいとでも言うのか?!修道院や教会を取り壊してくださいとでも?!貴様は、宗教庁を潰す気かぁ!!!」
黙って罵倒に耐えるボルケーゼ。元々、癇癪の癖があられたお方だが、ここ数年は特に激しくなった。こういう場合は、静かにやり過ごすに限る。
怒鳴り散らして少し落ち着いたのか、息を吐くヨハネス19世。かつて聖フォルサテや、大王ジュリオ・チェーザレも、自分と同じ苦労を味わったのだろうなと考えると、悪い気はしないが、それでも、二度とこのような判断をしたくはない。
「・・・しらを切る」
この言葉には、さすがにボルケーゼは反応した。「いや、しかし」と反論しようとする外務長官を、老教皇はじろりと睨んで黙らせる。ピンと伸びた背筋と同じように、眼光の鋭さは、未だにこの老人の頭脳が、いささかも衰えていないことの、何よりもの証明になっていた。
「知らぬ存ぜぬを決め込む。証拠を消せ。あの馬鹿が発注した注文書から一切合財、ノルマンディー大公と関係する物的証拠の全てをだ」
言えないのであれば、隠すしかないというのは、確かにその通りだが。ボルケーゼは尚も食い下がる。
「ですが、人の口に戸は立てられぬと申します。しらを切りとおすのは・・・」
「人の点に関しては、手を打つ」
「金ですか?しかし」
老教皇は、への字に結んだ口から、聖職者にあるまじき言葉を発した。
「消す」
ボルケーゼは、ぎょっとして、ヨハネス19世を見返した。落ち窪んだ目の放つ視線は、とても冗談を言っているようには見えない。への字に曲がった大きな口は、一度決めたことを断固としてやり通す意志の強さを現しているというが、まさにその通りだ。
これほど仕えにくい主は、ハルけギニア広しといえども、二人といないだろう。元々の性格が狷介で癇癪持ちの上に、最近では老人特有の頑固さまで兼ね備えてきた。しかし、その判断に従い行動するには、一度たりとも不安になったことはない。この頑固爺は、やると言ったら必ずやる。ボルケーゼにとっては、それだけで十分であった。同時に、この問題解決にかける老人の気迫に、さすがに教皇に選出される人物は、自分とは違うのだという思いを深めた。
「・・・すべて、ですか?」
「一人でいい。過ぎた火遊びの責任は、取ってもらう」
「見せしめというわけですか」
ボルケーゼは、老教皇の顔を再び見返した。微塵も決意の揺らぎが感じられない表情に、頼もしさを覚えながら、話題を切り替えた。
「アルビオンへの来訪についですが・・・」
そして、この話題は、二度と触れられることはなかった。
数日後。ベル=イル公爵率いるガリア軍が、ガリア北東部の物流拠点カーンを制圧。ロマリア教皇ヨハネス19世が、アルビオン行幸に出発したのと同じ日に、フェデリーコ=ゴンサーガ・ネヴェル枢機卿の病死が発表された。